スワスティカ これでインディア スワスティカ
装飾上

2002年前半ダイジェスト2

装飾下



2月5日(火) Raaz

 昨日に引き続き、今日も映画を見に出掛けた。コンノート・プレイスのオデオン・シネマでやっている「Raaz」の12:30からの回を見に朝バスで行ったのだが、なんと映画館は満席で、3:30からの回まで満席になっていた。仕方ないので6;30からのチケットを買って時間を潰すことにした。

 前々からコンノート・プレイスの北西にあるカロール・バーグに行ってみようと思っており、大体地図は頭に入っていたので、コンノート・プレイスからカロール・バーグまで徒歩で行ってみた。噂によるとカロール・バーグは秋葉原とアメ横を合体させたような市場らしい。途中で何度か道を尋ねながら、なんとかカロール・バーグに辿り着いた。けっこう遠かった。




カロール・バーグ


 カロール・バーグでまず目立ったのはマクドナルドで、その他プラネットMや、よく広告を目にするK’s Mallもあった。サーリーやクルター・パジャーマーなどの高級衣料品店が多く、僕にはあまり興味の沸かないところだった。マクドナルドのある辺りは高級店が多いのだが、その北に行くと一転して個人経営の小さな店が密集しており、まさにアメ横のようだった。携帯電話の修理屋が並ぶ一角もあった。カロール・バーグにはなぜかチベット系の人が多かったのも印象に残った。

 プラネットMで音楽を試聴したりしながらなんとなく時間を潰したのだが、3時頃にはコンノート・プレイスに戻った。うまくバスを拾うことができたので、帰りは歩かずに済んだ。

 しばらくコンノート・プレイスをブラブラしていたが、疲れてしまったので、パーリカー・バーザールの上にある公園のベンチに座って時間が経つのを待っていた。今、コンノート・プレイスのセンター・サークルはデリー・メトロの工事のため立ち入り禁止になっているので、従来そこにたむろしていた怪しい商売人たちがこぞってこのパリカ公園にやって来ているようだった。僕が座っていると、ポップコーンを売る少年、チャーイを売る少年、靴磨き屋、ピーナッツ屋、耳掻きワーラー、乞食などが代わる代わるやって来た。耳掻きワーラーはデリー名物といってもいい存在で、彼らに耳掻きをしてもらうと驚くほど耳クソがよくとれるらしいのだが、外国人は法外な値段をふっかけられるので覚悟が必要である。耳掻きワーラーに耳掻きをしてもらっていたインド人がいて、僕に話しかけて来たので、彼に「耳掻きいくらでした?」と聞いたら「両方で5ルピー」と言っていた。おそらくそれが正規の値段だろう。耳掻きワーラーに100ルピー払った日本人の話をどこかで聞いたことがある。

 座っているだけでもいろんな人が話しかけて来てくれるので、退屈せずに過ごせるし、またヒンディー語の勉強にもなるので良かった。6:00に映画館に向かった。さすが満席だっただけあって、映画館は大混雑だった。これほどの混雑ぶりは、「Lagaan」「Gadar」「Kabhi Khushi Kabhie Gham」級である。ムンバイーの映画館の客入りも100%だったらしいから、「Raaz」は実は隠れた名作なのかもしれない。期待に胸を膨らませながら映画館に入った。(この後「Raaz」はロング・ラン・ヒットした)

 「Raaz」とは「秘密」という意味。主演はディノー・モーリヤーとビパーシャー・バス。ディノー・モーリヤーという男優は初めて見たが、ビパーシャー・バスは「Ajnabee」に出ていたセクシーな新人女優で、今僕がもっとも注目している女優なので、その成長ぶりを見るのも楽しみだった。見てみたらビックリ、インド映画には珍しい、正真正銘のホラー映画だった。




ビパーシャー・バス


Raaz
 アーディティヤ(ディノー・モーリヤー)とサンジュナー(ビパーシャー・バス)は新婚夫婦だったが、アーディティヤが仕事中心の人間だったので、サンジュナーは不満のある生活をしていた。サンジュナーの交通事故をきっかけに、二人はウーティーにある別荘で休養することにした。そこは二人が愛を育んだ場所だった。ウーティーに着いた二人は生活を始めるが、サンジュナーの耳にはなぜかときどき悲鳴が聞こえ、ポルターガイスト現象も起こる。恐怖におびえるサンジュナーはヴァストゥ・シャーストラ(風水のようなもの)の教授に相談し、家を見てもらう。そして教授は家に「誰か」がいることを指摘する。アーディティヤとサンジュナーはウーティーを出ようとするが、霧が妨害してどうしてもウーティーを出ることができなかった。そこでサンジュナーは幽霊と正面から対話して何を求めているのか知ることを決意し、アーディティヤをムンバイーに帰して一人で家に留まる。そこでアンジュナーはとうとう幽霊の姿を目撃する。それは血まみれの女性だった。ヴァストゥの教授は霊魂を自分の身体に呼び寄せる術をサンジュナーに教え、サンジュナーはその通りにする。そしてサンジュナーの身体に霊魂が入り込む。そこに夫のアーディティヤが帰ってくる。アーディティヤはサンジュナーの様子がおかしいことに気付き、サンジュナーの顔を見た瞬間「お前はもう殺したはずだ!」と叫ぶ。そして霊魂はサンジュナーの身体から抜け出す。そしてアーディティヤは自分が過去に犯したことを暴露する。実はアーディティヤは昔サンジュナーがいないときにこの家でマリーニーという一人の女と不倫をしていたのだが、アーディティヤに妻がいることを知り、アーディティヤに「全てはなかったことにしてくれ」と言われたことからマリーニーは逆上し、アーディティヤの目の前で「全てをぶち壊してやる!」と叫んで自殺をしたのだった。そしてアーディティヤはマリーニーの遺体を森の中に埋め、全てを隠蔽したのだった。その霊魂が今までサンジュナーを邪魔していたのだった。サンジュナーは夫の不倫を知ってショックを受け、家を飛び出し教授のもとへ行くが、教授は「今度はアーディティヤの身が危ない」と警告する。そこで家にすぐに戻ったのだが、アーディティヤは既にマリーニーの亡霊にさらわれてしまった後で、自動車で崖から転落してしまう。アーディティヤは意識不明の重態となり、病院で緊急手術が行われる。ヴァストゥの教授は「マリーニーの遺体を焼かない限りアーディティヤは助からない」と言う。サンジュナーと教授はすぐに森に向かってマリーニーの遺体を捜し出し、火をつけようとするが、亡霊は教授を殺した上に身体に乗り移り、サンジュナーを殺そうと追いかけてくる。サンジュナーは逃げ惑いながらも何とかマリーニーの遺体にガソリンをかけて火をつけ、遺体を焼くことに成功する。亡霊は消え去り、アーディティヤの手術も成功する。そしてアーディティヤとサンジュナーは再び愛し合うことになる。

 普通ハリウッドのホラー映画ではキリスト教が背景にあるので霊媒師として牧師さんとかが登場すると思うのだが、インド映画ではその代わりとしてヴァーストゥ・シャーストラの教授が出て来たところが面白かった。ヴァーストゥ・シャーストラとは中国の風水の起源になったと考えられるもので、家の間取りや家具の配置などを規定した考え方である。儀式の様子もヒンドゥー的で、マリーニーの遺体を捜すときにはレモンを紐で吊るして手で持ち、反応する方向へ進んで行ったりした。

 それにしてもインド人はホラー映画を見るのに適していないようだ。絶叫シーンでは笑い声と口笛が沸き起こり、意味もなくあちこちから冗談めいた悲鳴が上がったりする。おかげで恐怖も半減して夜眠れなくなるようなことはなかったが・・・。ホラー映画の作りはヒッチコック映画に似ていて、見えない恐怖をインド映画にしてはうまく表現していたと思うのだが、世界的なレベルに持って行くとちょっとチャチな部分も目立った。一応インド映画なのでミュージカル・シーンが途中で挿入されていたが、正統ホラー映画にミュージカル・シーンは全く似合わない。いっそのことミュージカルは全部カットしてしまった方がよかった。

 ビパーシャー・バスはやはり素晴らしかった。「恐怖におびえる美人」というおいしい役柄をうまく演じきっていた。演技力もあるし、ユニークな美人顔をしているので、これからもどんどん伸びていくと思う。ますますビパーシャー・バスのファンになった。しかし敢えて欠点を言うとすれば、ビパーシャー・バスはインドの伝統衣装が全然似合わないことだ。はっきり言って洋服の方が断然似合う。こういうインド人女優が最近増えてきた。

2月8日(金) ヴァサントーツァヴァ

 ここのところ授業に一番くせものの韓国人が来ていないので、授業が早く進む。彼は現在奥さんと一緒にどこかを旅行中らしい。彼は授業中いつも重箱の隅を突付くような質問を長々とするので、授業がなかなか進まなかった。僕はもっと進度を早めてほしかった人なので、今のペースがちょうどよい。昔やりだめしてあった予習の分は尽きて来たので、また地道に予習していかないといけなくなった。

 マンジュ先生の授業では、先生が短い話を話し、聞き終わった後で内容をノートに書くという形式のことをやった。話自体は簡単な単語しか使っていなくて分かりやすかったのだが、後から思い出して書くのはやはり難しい。けっこう役に立った。

 今日はビルジュー・マハーラージ主催のダンス・フェスティバルであるヴァサントーツァヴァ(春祭り、という意味)へ行こうと思っていた。友達がチケットをくれると言っていたので、それを期待していたのだが、彼女は学校に持って来てくれなかった。そこで授業後アド・チーニーの彼女の家を訪問した。アド・チーニーは学校のすぐ近くにあり、訪れるのは2、3回目だ。前に来たときはまだ引っ越したばかりのときで、部屋にはベッドしか置いてなくてガランとしていたのを覚えている。あれから数ヶ月が経ち、どう変わったかと思っていたが、案外まだガランとしていた。机、椅子、冷蔵庫などは追加されたが、基本的に「空間」という感じがした。お茶を入れてもらって、しばらく話をしていた。

 ヴァサントーツァヴァはコンノート・プレイスの近くのカマニ・オーディトリアムという劇場で、6:15からだった。カマニ・オーディトリウムには一度カタック・ダンサーの雅子さんと一緒に行ったことがあるので迷うことはないだろう。そういえばビルジュー・マハーラージは雅子さんのグル・ジー(師匠)なので、多分雅子さんも会場に見に来ているだろうと思った。友達からチケットをもらい、一度家に帰って荷物を置いて、コンノート・プレイスへ向かった。

 5:30頃カマニ・オーディトリアムに着いた。まだ開いてなくて、門の前には数人のウーパル10%インド人たちがたむろっていたが、案外少なかった。開門と同時に中に入り、1階席の前から4列目のど真ん中に陣取って開幕を待った。本当は最初、真ん前に座ってやろうかと思っていたのだが、一番前列はビルジュー・マハーラージ自身やその他インド舞踊界・音楽界の巨匠たちが座る席だったみたいで、権威のありそうな人が続々と着席していたので、そこに座らなくてよかったと思った。最初は空席が目立つくらいだったが、次第に席は埋まっていき、最後では階段に座り込む人がいるくらい盛況になった。

 最初の演目はSanyuj。「融合」みたいな意味だと思う。なんとインドの楽器と日本の楽器を使った音楽に合わせて踊るダンスだった。インド楽器はシタール、タブラー、日本楽器はオオカワ、締め太鼓、大太鼓、尺八、三味線などだった。生演奏ではなかったが、作曲者は滝本ヤスヒロという日本人だった。ダンサーは若い女の子が多かった。2番目の演目はNrityacaha-Taal Gajjhampa。「ダンス礼拝―ガッジャーンパのリズムに載せて」という意味。これは生演奏で、シタール、タブラー、ハルモニウム、歌手が隅に座り、踊り手の女の子二人が演奏者たちとリズムの掛け合いをしながら踊る踊りだった。クリシュナとラーダーの恋を題材にした踊りに見えた。3番目はAbhinaya「演技」。ヴィシュヌ神に捧げられたダンスっぽく、男一人と女8人くらいのダンスだった。みんなちょっと年齢が上だった。そして4番目がTihai。「収穫」という意味だろう。このダンスでなんと雅子さんが出演していた。インド人ダンサーの中に混じって一人だけ日本人が出演していたのですごいと思った。やはり雅子さんは相当なレベルのカタック・ダンサーなのだろう。男3人女9人、合計12人の豪華なダンスで、物語らしきものもあった。




Sanyuj


Tihai


 これだけ終わった後で休憩となり、休憩後はいよいよビルジュー・マハーラージが出演するトリとなった。題名はVasant Vaibhav。「春の力」「春の富」とでも訳せばいいだろうか?共演者はギリジャー・デーヴィーという人で、有名な声楽者らしいが、僕は知らなかった。楽器はサーランギー、タブラー、ハルモニウム、タンプーラ(×2)が用意され、真ん中にギリジャー・デーヴィーがどっかりと座ってまずはビルジュー・マハーラージ抜きで歌いだした。どうも風邪を引いてるみたいで、ゴホゴホと席をしたり途中で薬か何かを食べたりして適当にやってるみたいだったが、声はよく出ていた。しかも高い声なんてまだ若々しかった。インドの芸術の全ては声楽に集約される、という言葉もあるぐらい、インドにおいて歌を歌うことは重要なことである。しかもインド声楽は西洋の声楽と違って個々の声域を重視するので、無理して高い声を出させるようなことはしない。よって、年を取っても美しい歌声を出すことができるらしい。ギリジャー・デーヴィーは一見いい加減にやっているように見えたが、ちゃんと演奏者たちの指揮もこなしていた。途中ではハルモニウムの人に「音が大きいからマイクを遠ざけなさい」と注意していた。ハルモニウムの人は「オレだって目立ちたいんだ」と笑いながらもマイクを遠ざけていた。インド音楽はジャズと同じ即興音楽なのだが、ジャズとは違って混沌としている。一見みんな好き勝手に演奏しているようにも見えてしまう。しかし、お互いちゃんと目配せしてるし、演奏者同士が音楽で会話をしている様子が見て取れる。それがインド音楽の楽しさだろう。後ろでタンプーラを弾いていた若い女性もギリジャー・デーヴィーをサポートして歌声を披露していたが、その人もけっこううまかった。ギリジャー・デーヴィーの一番弟子かもしれない。




ギリジャー・デーヴィー


 一通りギリジャー・デーヴィーの歌が終わったところで、ビルジュー・マハーラージが登場した。僕はてっきり踊りを披露してくれるのかと思っていたが、歌声とパカワージの演奏のみだった。一応座り踊りをやっていて、パントマイムのような劇も歌に合わせてやっていたのだが、僕は踊りを見たかったのでちょっと残念だった。しかもビルジュー・マハーラージが登場したところでちょうどデジカメのバッテリーが切れてしまい、彼の写真を撮影することができなかった。非常に悔しかった。でもビルジュー・マハーラージの動作は全く無駄がなく、観客をぐっと惹き付けるものがあった。最後は舞台に花びらがまかれ、劇場がほのかな甘い香りに満たされて閉幕した。聴覚、視覚、嗅覚をうならされた一夜だった。

 カタック・ダンスの特徴は、足に付けた鈴の音(または足音)によるタップ・ダンスと、回転の美、そして手や顔の表現力だと思った。一説によるとスペインのフラミンゴはカタック・ダンスが起源らしい。もともとヒンドゥー教のダンサー・カーストの人々が神話や伝説などを題材に各地を巡業して披露した踊りが元になっており、紀元前5世紀頃から続いていたらしい。10世紀に入り、イスラム王朝がインドを支配するようになり、カタックは宮廷舞踊として発展したそうだ。ビルジュー・マハーラージはそのカタック・ダンスの第一人者である。

2月16日(土) フィルム・フェア

 今日新聞を見てみたら2001年度のフィルム・フェアのノミネート作品が掲載されていた。フィルム・フェアとはヒンディー語映画関連の授賞式みたいなもので、新聞で初めてノミネート作品を知った。URLも載っていたので早速アクセスしてみたら、今日の午後7時半から始まるらしいことが書いてあった。そのときちょうど7時半頃だった。こんなことはしていられないと思い、下に降りて行った。大家さんは体調が悪いらしく寝込んでおり、スラブは家庭教師が来ていて勉強していたので誰もテレビを見ていなかった。チャンネルをいくつか変えてみると、やはりフィルム・フェアがオンエアされていた。

 ところが7時半から9時までは過去のフィルム・フェアの映像だった。驚いたことに毎年フィルム・フェアのステージでは男優女優が踊りを披露するらしく、僕がそのとき見た過去の映像の中では、カリシュマー・カプール、アイシュワリヤー・ラーイ、リティク・ローシャン、シャールク・カーンなどが踊っていた。僕は今までインドの映画スターの大半はあまり踊りが上手くなくて、映像の力で踊りを上手く見せているだけなのかと思っていたが、みんなけっこう上手くてびっくりした。もっとも、踊りの得意なスターだけ踊っているのかもしれないが。

 9時からやっと今年度のフィルム・フェアのオンエアが始まった。司会はアルチャナー・プーラン・スィンとジャヴェード・ジェフリー。アルチャナーは「Kuch Kuch Hota Hai」で女教師役で出演していた人、ジャヴェードは映画やテレビで活躍するマルチ・タレントみたいだ。二人で寸劇まがいのトークを交えつつ、まずは映像賞や衣装賞など、テクニカルな部分の受賞から始まった。受賞式の合間にスターのダンスが入り、今年はアルジュン・ラームパール、ディーヤー・ミルザー、アミーシャー・パテール、ウルミラー・マートーンドカル、ビパーシャー・バス、アクシャイ・クマールなどが踊りを披露した。特にアルジュン・ラームパール、ディーヤー・ミルザー、ビパーシャー・バスの3人は新人の中でお気に入りだったので、生のダンスが見れて満悦だった。受賞は以下の通り。

2001年度 フィルムフェア FILMFARE ノミネート&受賞作品
★=受賞 ☆=批評家賞
作品賞 Best Film
Asoka
Dil Chahta Hai
Gadar -Ek Prem Katha
Kabhi Khushi Kabhie Gham
Lagaan
監督賞 Best Director
Anil Sharma Gadar
Ashtosh Gowariker Lagaan
Farhan Akhtar Dil Chahta Hai
Karan Johar Kabhi Khshi Kabhie Gham
Santosh Sivan Asoka
主演男優賞 Best Actor
Aamir Khan Dil Chahta Hai
Aamir Khan Lagaan
Amitabh Bachchan Aks
Shah Rukh Khan Kabhi Khushi Kabhie Gham
Sunny Deol Gadar -Ek Prem Katha
主演女優賞 Best Actress
Amisha Patel Gadar
Kajor Kabhi Khushi Kabhie Gham
Kareena Kapoor Asoka
Karishma Kapoor Zubeidaa
Tabu Chandni Bar
助演男優賞 Best Actor In A Supporting Role
Ajay Devgan Lajja
Akshaye Khanna Dil Chahta Hai
Amitabh Bachchan Kabhi Khushi Kabhie Gham
Hrithik Roshan Kabhi Khushi Kabhie Gham
Jackie Shroff Yaadein
助演女優賞 Best Actress In A Supporting Role
Jaya Bachchan Kabhi Khushi Kabhie Gham
Kareena Kapoor Kabhi Khushi Kabhie Gham
Madhuri Dixit Lajja
Preity Zinta Chori Chori Chupke Chupke
Rekha Lajja
コメディアン賞 Best Performance In A Comic Role
Govinda Jodi No.1
Govinda Kyo Kii... Main Jhuth Nahin Bolta
Johnny Lever Ajnabee
Paresh Rewal Yeh Terra Ghar Yeh Meraa Ghar
Saif Ali Khan Dil Chahta Hai
悪役賞 Best Performance In A Villainous Role
Aftab Shivdasani Kasoor
Akshay Kumar Ajnabee
Amrish Puri Gadar -Ek Prem Katha
Manoj Bajpai Aks
Urmila Matondkar Pyar Tune Kya Kiya
音楽賞 Best Music Director
Anu Malik Mujhe Kuchh Kehna Hai
A.R.Rehman Lagaan
Jatin-Lalit & Others Kabhi Khushi Kabhie Gham
Shankar-Ehsaan-Loy Dil Chahta Hai
Uttam Singh Gadar -Ek Prem Katha
歌詞賞 Best Lyricist
Anand Bakshi Udja Kale Kawan Gadar -Ek Prem Katha
Anil Pandey Suraj Hua Maddham Kabhi Khushi Kabhie Gham
Javed Akhtar Mitwaa Lagaan
Javed Akhtar Radha Kaise Na Jale Lagaan
Sameer Title Song Kabhi Khushi Kabhie Gham
男性歌手賞 Best Male Playback Singer
Adnan Sami Mehbooba Mehbooba Ajnabee
Shaan Koi Kahe Kehta Rahe Del Chahta Hai
Sonu Nigam Suraj Hua Maddham Kabhi Khushi Kabhie Gham
Udit Narayan Mitwaa Lagaan
Udit Narayan Udja Kale Kawan Gadar -Ek Prem Katha
女性歌手賞 Best Female Playback Singer
Alka Yagnik Jaane Kyon Dil Chahta Hai
Alka Yagnik O Re Chhori Lagaan
Alka Yagnik San Sanana Asoka
Kavita Krishnamoorthy Dheeme Dheeme Zubeidaa
Vasundhra Das Rabba Rabba Aks
その他各賞
★Best Screen Play・・・Farhan Akhtar(Dil Chahta Hai)
★Life Time Achievement Award・・・Gulzar
★Best Story・・・Ashutosh Gowariker (Lagaan)
★Best Dialogue・・・Karan Johar (Kabhi Khushi Kabhie Gham)
★Special Award・・・Raveena Tandon(Aks)&Amisha Patel(Gadar)
★R.D.Burman Award・・・Shankar-Ehsaan-Loy(Dil Chahta Hai)
★Best Action・・・Tinnu Verma(Gadar)
★Best Art Direction・・・Sharmishta Roy (Kabhi Khushi Kabhie Gham)
★Best Cinematography・・・Santosh Sivan (Asoka)
★Best Editing・・・Sreekar Prasad (Dil Chahta Hai)
★Best Sound Recording・・・Rakesh Ranjan (Aks)
★Best Background Score・・・Ranjit Barot (Aks)
★Best Scene of the Year・・・Kabhi Khushi Kabhie Gham
★Best Male Debutant・・・Tusshar Kapoor
★Best Female Debutant・・・Bipasha Basu
★Best Choreography・・・Farah Khan (Dil Chahta Hai)

 大方の予想通り、アーミル・カーンの「Lagaan」が作品賞、監督賞、主演男優賞、音楽賞、歌詞賞、男性歌手賞、女性歌手賞の主要7部門を制覇した。「Lagaan」はアカデミー賞外国映画部門にインド映画で初めてノミネートされているので(実際は3回目)、この快挙は当然だろう。A.R.ラフマーンの音楽賞受賞は個人的に嬉しかった。これで一体何度目の受賞だろうか?一方、「Asoka」「Gadar -Ek Prem Katha」の両大作は残念ながら主要各賞は無冠に終わった。「Kabhi Khushi Kabhie Gham」は主演女優賞、助演女優賞を受賞し、一応面目を保った形だ。カージョールが主演女優賞を受賞したのには少しびっくりした。てっきり「Gadar」のアミーシャー・パテールが受賞すると思っていたからだ。また、マニアックな部門で「Dil Chahta Hai」が健闘したのは微笑ましかった。批評家作品賞、助演男優賞、コメディアン賞、ブルマン賞を受賞。僕のお気に入りの映画「Ajnabee」のアクシャイ・クマールが悪役賞を受賞して一矢を報いたのも嬉しかった。

 会場で顔が見えたスター(来ていたスターではなく)は、アミターブ・バッチャン、ジャヤー・バッチャン、アビシェーク・バッチャン、シャールク・カーン、カージョール、アイシュワリヤー・ラーイ、アミーシャー・パテール、アルジュン・ラームパール、ジャッキー・シュロフ、レーカー、プリティー・ズィンター、ラーニー・ムカルジーなどなどだ。シャールク・カーンは事故に遭ったのか、首に固定器を巻いていた。カリーナー・カプールは何も受賞できなくてヘソを曲げたのか、会場にいなかった。お姉さんのカリシュマー・カプールは批評家主演女優賞をゲットしたのだが・・・。

 放送は生放送ではなく、時間をずらして少し編集されて放送されていた。途中に長いCMが入ることもあって、全ての受賞が終わったときには既に夜1時になっていた。

2月22日(金) Haan Maine Bhi Pyaar Kiya

 現在200クラスには4人の先生が来ている。会話クラスのマンジュ先生は時々暴言を吐くがしっかりと教えてくれるし、文法のチャンドラプラバー先生は最近は慣れてきたし、リーディングのプラモード先生は進度は早いが分からないところはちゃんと教えてくれる。しかしライティングのアヒルワール・パラムラール先生だけはどうにも我慢ならない。出席の確認とどうでもいい雑談で授業の半分が潰れてしまう上、クラスに来る前に何をやるか考えて来ないみたいで、生徒の前で本か何かを見ながら今日やることを考えている。アヒルワール先生の授業は下手すると全く無駄な時間になってしまう可能性がある。話を聞いてみると、100、200、300、400クラス全ての人々が彼に対して同じようなことを思っているらしい。校長先生に直訴した方がいいだろうか・・・。

 今日は学校が終わった後、映画を見にPVRナーラーヤナー(Naraina)へ行った。ターゲットは「Haan Maine Bhi Pyaar Kiya」。PVRナーラーヤナーは、高級シネマ・コンプレックスPVRチェーンのひとつで、コンノート・プレイスの西の方、ナーラーヤナー・ヴィハール駅のすぐ近くにある。ガウタム・ナガルからリクシャーで75ルピーだった。初めて行く場所だったので、ほとんどリクシャー・ワーラーの言い値でOKしてしまったが、おそらくもうちょっと安くいけるはずだ。

 今まで行ったPVRアヌパム(サーケート)やPVRプリヤー(バサント・ローク)は、映画館を中心に高級ショッピング街が出来上がっていたが、PVRナーラーヤナーはちょっと力不足だった。マクドナルドやバリスタもないし、オシャレな店もひとつもない。普通の庶民的なマーケットの隅にシネマ・コンプレックスが出来てしまったような感じだった。映画館へ行ってみると今日からちょうどサルマーン・カーンの話題の新作「Tumko Na Bhool Paayenge」が封切られていたが、早々に姿を消しそうな「Haan Maine Bhi Pyaar Kiya」の方を優先することにした。チケットはやはり一律150ルピー。チケットと一緒に小さなカードをくれた。見てみると「Lagaan」の絵が印刷されており、「To Aamir and team, Best of luck at the Oscars!」と書かれていた。今年度、インド映画で初めて(実際は3度目)アカデミー外国映画賞にノミネートされたアーミル・カーン主演の「Lagaan」の応援カードだった。インド中が一丸となって「Lagaan」の応援をしているような感じがして微笑ましかった。しかし僕の予想によると、クリケットを題材にした「Lagaan」はアメリカでは受けないと思われる。もし賞が獲得できたら僕も自分のことのように喜ぶのだが、どうなるだろうか?




PVRナーラーヤナー


 映画が始まるまで1時間ちょっと時間があったので、PVRナラーヤナーの周辺をブラブラした。残念ながら前述の通りPVRナラーヤナーの周辺にはマクドナルドはなかったが、代わりにKent’sというちょっとマクドナルド風のハンバーガー屋があった。カールカージー、サウス・エクステンション、ディフェンス・コロニーなどにも支店があるみたいなので、デリーではちょっとした店なのかもしれない。チキン・バーガーを食べてみたが、なかなかおいしかった。

 PVRナラーヤナーの近くには列車の駅があり、線路の上を陸橋がまたいでいた。その陸橋の上に行って駅の様子を眺めていた。ところがこのとき事件が起きてしまった。ふと下を見てみると、橋のすぐ下で数人の人が魚を売っているのが見えた。上から見下ろしただけなのではっきりとは分からないが、けっこう新鮮な魚のように見えた。だから何気なしにカメラを構えて写真を撮った。すると、下にいたインド人たちが騒ぎ出した。どうせ「オレの写真も撮ってくれ」と言っているのだろうと思い、僕は相手にせず立ち去ろうとしたが、数人の男たちが形相を変えて僕の方へ走ってきて、鉄塔をよじ昇って陸橋に上がってこようとしていたので、これはやばいことになったと思いその場から立ち去ろうとした。この時点ではまだ「オレの写真も撮ってくれ」的な熱心な目立ちたがり屋インド人数人が追いかけて来ているだけかと思い、あまり真剣に逃げなかったのですぐに追いつかれた。やはり彼らの顔を見てみると普通ではない。マフィアの顔である。彼らは僕に「なぜ写真を撮った?」と厳しく詰問してきた。「僕はただの旅行者で、日本人で、映画を見に来ただけだ。魚が好きだから写真を撮った」と答えた。話を聞いてみるとどうもその市場は警察の目を盗んでやっている違法市場らしく、ばれるとやばいらしい。そしてその違法市場を取り仕切っているマフィアたちが僕を取り巻いているという図式になっていたみたいだった。こちらの出方によっては少なからず命の危険があった場面だ。しかし僕が旅行者であることに安心したのか(本当は違うが・・・)、ほとんどのマフィアは帰ったが、一人だけしつこく僕の腕を掴んで訳の分からないことをわめく人物がいた。彼が言うには「写真を撮って喜びを得たのだから、バクシーシとして2000ルピー払え、さもないとお前のカメラを壊すぞ。そうなったらお前にとってもオレにとっても何の利益もない。だからバクシーシを払え」という無茶苦茶な理論だった。腹が立ったのでぶん殴って橋の上から突き落としてやろうかと思ったが、お金で解決するならいいだろうと思い、50ルピーを払ってやった。彼は2000ルピー払えと言っていたものの、50ルピー札一枚で満足して帰っていった。とんだ災難だった・・・。すぐに映画館まで戻って、その後は大人しくベンチに座って映画が始まるのを待っていた。やはり人気がない作品らしく、僕が見た回では20人前後しか観客が入っていなかった。




これが問題の写真


 「Haan Maine Bhi Pyaar Kiya(はい、私も恋をしました)」は、カリシュマー・カプール、アビシェーク・バッチャン、アクシャイ・クマール主演の映画である。カリシュマー・カプールには一度ウダイプルで会ったことがあり、今や思い出の人になっていることと、アミターブ・バッチャンの息子のアビシェーク・バッチャンの演技力・ダンス力を見てみたかったことから、この映画を見ることにしたのだった。ただ、先週公開され始めたばかりなのにも関わらず、今週からもう縮小公開されているところを見ると、あまり出来のいい映画ではないだろうことが予想できた。




左からアクシャイ・クマール、
カリシュマー・カプール、
アビシェーク・バッチャン


Haan Maine Bhi Pyaar Kiya
 プージャー(カリシュマー・カプール)とシヴ(アビシェーク・バッチャン)はデリー在住の若者で、二人とも職探し中に出会い、同じ会社に勤めることになり、そして結婚することになった。一度シヴがプージャーの誕生日をすっぽかしたりして夫婦仲はギクシャクするものの、何とか二人はうまくやっていた。プージャーとシヴはハネムーンでスイスへ行った。ホテルのフロントで偶然シヴは大学時代の知り合いの女の子と出会う。仕事の都合でシヴはその女の子と共にジュネーブへ出掛けるが、帰るときに雪崩で道が封鎖されてしまい、シヴと女の子は一晩モーテルに泊まることになった。その夜、シヴはその娘と不倫してしまう。その事実を知ったプージャーはシヴに一方的に離婚を申し付ける。プージャーは傷心状態のままムンバイーへ行き、そこで映画スターのラージ・マルホートラー(アクシャイ・クマール)の秘書の職を得る。やがてラージはプージャーに惹かれていき、求婚するが、プージャーはラージのことが忘れられず、はっきり答えることができないでいた。しかし、結婚の準備は着々と進んでしまっていた。あるときラージ、プージャー、その他の映画スタッフが撮影のためにナイニー・ヒルへ行き、オシャレなホテルに泊まることになった。しかしそのホテルのマネージャーは実はシヴだった。シヴはプージャーと離婚して以来、独身のままでいた。シヴとプージャーは再会するが、プージャーはシヴの不倫のことをまだ怒っており、シヴと話そうとしなかった。ラージはプージャーとシヴの関係など露知らず、シヴに自分の結婚のことを無邪気に話し、シヴに結婚式のコーディネートを依頼する。シヴもプージャーへの責めてもの償いのために、全力を尽くして結婚式を準備することを誓う。結婚式はラージの自宅で行われ、シヴは結婚式を祝う歌を歌わされる。途中までは二人の結婚を祝う内容の歌だったが、堪え切れなくなったシヴは遂に「私も恋をしたんだ」と歌いだし、花婿を待つプージャーを迎えに行く。プージャーもラージとの結婚には乗り気ではなく、シヴを許さなかったことを後悔していた。ラージはそのとき初めてシヴとプージャーの仲を知り、自分の結婚の代わりにシヴとプージャーを結婚させる。こうしてハッピーエンドとなる。

 インド映画にはよくある、「う〜ん、本当にこれでいいのか」的な展開と終わり方の映画だった。シヴとプージャーの性格は結婚前と結婚後で全然違うし、離婚した夫婦同士がまた再婚するというプロットも何か説得力に欠けるような気がした。カリシュマー・カプールを映画館のスクリーンで見たのは初めてだったが、時々目が怖い人だなぁと思った。演技力はある人だと思う。アビシェーク・バッチャンの映画も初めて見た。聞いた話では演技も踊りも上手くないとのことだったが、端正な顔立ちだし、演技力も問題はなかったように思われる。しかしダンス・シーンがなかったのは、やはり彼のダンス力の無さに配慮してのことなのだろうか?アクシャイ・クマールは後半からの登場となったが、存在感はあった。誰かに似てるなぁと思いつつ映画を見ていたが、多分彼はトム・クルーズに似ていると思われる。

 PVRチェーンの映画館はチケットが高いだけあって設備は日本並みである。映像もきれいだし、音もクリアーだし、座席も心地よい。特に音がいいことが原因なのか、PVRで見た映画のヒンディー語は心なしか聴き取りやすく、映画の理解も深くなるような気がする。安いチケットの映画館で見ると陽気な観客たちの反応を楽しめるのだが、映画の理解を深めようと思ったらPVRに行った方がいいのかもしれない。また、女の子たちの情報によると、普通の映画館に一人で行くと痴漢に遭う可能性が非常に高いのだが、PVRなら客層がリッチなだけあって、ほとんど痴漢の被害には遭わないらしい。

 映画が終わったときには既に10時近くになっていた。行きはリクシャーを使ってリッチに移動してしまったので、帰りはバスを乗り継いで質素に行くことにした。もう夜遅くてDTCのバスが来なかったので、STAバス(青いバス、バスパス不可)に乗って6ルピー払い、メディカルまで行った。ナラーヤナーからメディカルまでの道はリング・ロードという環状線で、デリーの幹線道路であり、ひどい渋滞だった。リクシャーで20分ほどの道のりが、1時間以上かかってしまった。

2月23日(土) Tumko Na Bhool Paayenge

 昨日に引き続いて今日も映画を見に出掛けた。今日の映画はサルマーン・カーン主演の「Tumko Na Bhool Paayenge」。昨日から公開され始めたばかりの新作である。コンノート・プレイスのプラザ・シネマで見ようかと一瞬思ったが、昨夜PVRの魅力を思い知ったばかりだったので、今日もPVRへ足を運んでしまった。しかし昨日行ったPVRナーラーヤナーは遠いので、今日は比較的近いPVRアヌパムへ行った。

 チケット売り場の人に「ヒンディー語映画だけどいいの?ヒンディー語分かるの?」と念を押されつつも150ルピーのチケットを購入。マクドナルドで映画が始まるまで時間を潰し、映画館の中へ入った。思っていたよりも客の入りはよくなくて、空席が目立った。

 「Tumko Na Bhool Na Paayenge(君を忘れることはできない)」は長らく銀幕から遠ざかっていたサルマーン・カーンが久しぶりに主演を張る映画である。共演は期待の新人ディーヤー・ミルザーとゴージャス美女スシュミター・セーン。ディーヤー・ミルザーは日本人好みの「かわいい」系の顔で、スシュミター・セーンはインド人的な「美人」系な顔の女優である。




左からスシュミター・セーン、
サルマーン・カーン、
ディーヤー・ミルザー


Tumko Na Bhool Paayenge
 ヴィール(サルマーン・カーン)はラージャスターンの田舎に住む純朴な青年で、両親と共に悠々自適に暮らしていた。ヴィールにはムスカーン(ディーヤー・ミルザー)という恋人がおり、父親の計らいで婚約が決まった。幸せいっぱいのヴィールだったが、次第に幻覚に悩まされるようになる。そして自分には幼少時代の記憶が全くないことに気付く。ヴィールとムスカーンの結婚式が行われたのだが、そのときに数人のマフィアが会場に乱入して来て、突然ヴィールを突き飛ばす。マフィアはヴィールのことを「アリー」と呼び、「弟」「ムンバイー」という言葉も口にする。ヴィールに兄弟はいないはずだし、ムンバイーにも行ったことがなかった。マフィアはヴィールを殺そうとしてきたのだが、突然ヴィールは不可思議な力を発揮してマフィアたちを一人で片付けてしまう。そのとき父親は初めてヴィールに本当のことを話す。実は両親には別の一人息子がいたのだが、戦争へ徴兵されて死んでしまった。その遺灰を川に流しているときに偶然川の中から現れたのがヴィールだった。両親はヴィールを息子の生まれ変わりであると信じ、今まで3年間育ててきたのだった。事実を知ったヴィールは、本当の自分を探すためにムンバイーへ行く決意をする。両親と新妻のムスカーンを村に残して・・・。

 ムンバイーに着いたヴィールは何となくモスクに入り、アッラーに礼拝を始める。記憶を失う前のヴィール、つまりアリーはムスリムだったのだ。そのモスクでアリーを知っている人物に出会う。アリーは彼に自分の弟はどこにいるか聞いたが、その瞬間何者かに狙撃されて彼は息絶えてしまう。しかし死ぬ前に彼は自分が実の弟であることを告げる。そしてなぜかムンバイーでは警察に追われる身分となってしまっていたアリーはその後も失われた記憶を頼りにムンバイーをさまよう。そしてある建物の部屋に入った瞬間、全ての記憶が蘇る。そこはまさに自分の部屋だったところだった。

 アリーは射撃の名手で、親友のインデールと共にマフィアたちを暗殺する秘密警察だった。あるとき、州知事からとんでもない依頼を受けた。なんと自分を暗殺してくれ、との依頼だった。プランはこうだった。州知事は予め防弾チョッキを来て壇上に上がり、そこで狙撃を受けるが一命を取り留める。その悲劇によって有権者の同情を集め再選を果たそうとしていたのだった。アリーは断ろうとしたが、インデールは100万ルピーという報酬金に目がくらんで引き受ける。作戦当日、狙撃はアリーが引き受けたのだが、狙撃する前に州知事は別の何者かに頭を狙撃され即死する。こうして警察から追われる身になったアリーは列車で逃げたのだった。

 全ての記憶が戻ったアリーは弟の遺体が収容されていた病院を訪れて、もう一度別れを告げる。そこへインデールと、アリーの恋人だったメーヘク(スシュミター・セーン)が現れる。アリーが行方不明になった後、メーヘクはインデールと結婚していた。警察もやって来たので、彼らと積もる話をする間もなくアリーは逃げ出すことになった。そして列車に乗り込んだ瞬間、忘却していた最後の記憶が蘇る。州知事偽狙撃失敗の後に乗り込んだ列車の中で、自分に致命傷を負わせて川に落としたのは、パートナーだったインデールだったのだ。追いかけてきた警部にもそのことを説明し、2時間だけ時間を猶予時間をもらって自分の無実を証明しようとする。インデールの自宅へ行ったアリーは、メーヘクに全てを話し、州知事の側近と密談を交わしているビデオも入手する。全ては州知事の側近とインデールが仕組んだ罠だった。側近が前州知事を殺して自分が州知事となるために計画を立て、インデールが前州知事の頭を撃って、アリーを犯人に仕立て上げたのだった。アリーが全てを知ってしまったことを知ったインデールは暴漢たちと共にアリーの待ち構えるアパートを襲撃するが、アリーは一人で超人的な力を発揮して全員返り討ちにする。しかしメーヘクはドサクサに巻き込まれてインデールに殺されてしまう。アリーとインデールは一対一の殴り合いをして、とうとうアリーはインデールを殺す。そこへ駆けつけた州知事はアリーを殺そうとするが、アリーが証拠のテープをみんなの前で放映したため、逆に州知事が逮捕されてしまう。

 自分の過去に決着を着けたアリーはムスカーンの待つラージャスターンの田舎に戻り、再び田舎の青年としての生活を始めたのだった。

 記憶を失った主人公、罠にはめられ追っ手から逃げながら自分の無実を証明する、かつての親友の裏切りが発覚・・・と、あらすじ的にはありふれた要素が盛り込まれていただけだったが、はっきり言って非常に楽しい映画だった。後半はちょっとストーリーに強引なところがあったが、分かりやすい、インド人の大好きなアクション・シーンも多くて、全体としてヒットしそうな予感がした。音楽の評価もよい。ただ、ヒンドゥー教徒として育てられていた主人公が実はムスリムだった、という冒険的プロットは、大多数のインド人にどう受け止められるかが心配だった。

 それにしてもディーヤー・ミルザーがいい。後半はほとんど出番がなかったのが残念だが、この映画の前半のディーヤー・ミルザーだけでも見る価値がある。人間離れした美しさを誇っているアイシュワリヤー・ラーイにはなかった「キュートなかわいさ」があって、日本人にも絶対に受けると思われる。逆にスシュミター・セーンはこの映画ではあまり重要な役ではなかったため、あまり目立たなかった。スシュミター・セーンはあまりに美しすぎてゴージャス過ぎて親しみが沸かない・・・。あと、相変わらずサルマーン・カーンは自慢の肉体を見せびらかしていたが、この映画のヒットで完全復活するだろう・・・か?グッド・ラック。




ディーヤー・ミルザー1


ディーヤー・ミルザー2

 そういえば映画の中で、去年の12月に結婚式に参加しに行ったラージガルの名前が出て来た。ヴィールが住んでいたラージャスターンの町の名前がラージガルだった。案外有名な町だったのだろうか。

3月4日(月) ザーキル・フサイン・コンサート

 朝起きたときから停電だった。停電だと朝一番のネットができないので不機嫌である。特に最近ではグジャラート州の宗教対立の情報収集を怠らないようにしないと、いつ何時デリーに暴動が飛び火して被害に巻き込まれることもありうる。情報は大事にしないといけない。朝、家を出ようとすると大家さんに呼び止められ、トイレを修理してもらうから鍵を預けていけと言われた。僕の部屋のトイレは慢性的な故障状態で、修理屋にちょっといじってもらって直してもらってもすぐにまた壊れてしまう。今度こそは新しい部品と取り替えてもらわないといけない。僕は念を押して新しい部品と取り替えて直してくれと頼んで鍵を預け、学校へ行った。

 今日は友人とザーキル・フサインのコンサートへ行く約束をしていた。友人がチケットを首尾よく取ってくれていて、行けることになった。チケットはなんと驚きの無料である。世界一のタブラー・プレイヤーの演奏を無料で聴くことができるのだ。インド好きにとってはまさに夢の街デリー。実はデリーで行われているインド舞踊やインド古典音楽のコンサートは無料のことが少なくない。これはおそらく政府がデリーをインド文化の中心地にしようと画策しており、伝統芸能を保護奨励しているからだと思われる。インドは地方分権型の国で、首都デリーの機能はほとんど政治オンリーになりがちなので、それを文化の中心地にまで無理矢理押し上げようと努力しているように思える。しかし実際はチケット無料ながらゲットするのに苦労したらしい。今回はカマニ・オーディトリアムで開催され、インヴィテーション・チケットはサウス・エクステンションのプラネットM、カマニ・オーディトリアム、そしてベンガリー・マーケットの写真屋で配らるはずだったらしいが、プラネットMはグジャラート州の暴動の影響で閉店、カマニ・オーディトリアムでは実際は配られておらず、結局ベンガリー・マーケットの写真屋で手に入れたらしい。いったいどういう脈絡でその写真屋が公演のチケットを配布しているのかはよく分からなかったそうだ。

 友人とはカマニ・オーディトリアムの前で待ち合わせて、僕は一回家に帰った。僕が学校へ行っている間にリペア・ワーラーはトイレを直しておいてくれたみたいだ。部屋の荷物も全部無事だった。大家さんは信頼できる人なので、こういうときには助かる。ところがやはりトイレは新しい部品と取り替えてくれてなくて、ただちょっといじっただけで直ったことにされていた。これでは前回と同じ状況である。案の定、すぐに壊れてしまった。・・・だんだん悲しくなってきた。

 ザーキル・フサインのコンサートは午後6時半から開始だった。僕たちは気合を入れて1時間前の5時半に集合し、カマニ・オーディトリアムの前で開場を待った。今回の公演の題名は「eLAN」。タブラー・プレイヤーのウスタッド・ザーキル・フサインとカタック・ダンサーのラジェーンドラ・ガンガーニーの共演だった。

 今日のカマニ・オーディトリアムは大変な混雑だった。僕たちは早めに行ったにも関わらず、前方の5、6列が予約席になっていたこともあり、真ん中辺りの席になってしまった。ところが後から後から人がやって来て、すぐに座席は埋まってしまい、座れない人は通路に座り込む有様だった。座れただけラッキーという状態だった。と思っていたら通路も全て埋め尽くされてしまい、遂に入場制限となってしまっていた。だから会場に入れただけラッキーというほどの大混雑だった。公演が終わってからサンスターンのウクライナ人たちに偶然出会ったのだが、彼女たちは1時間以上表で待たされて、ようやく会場に入ったときにはもう演奏が終わりかけていたときだったと悔しがっていた。やはり早めに来ておいて大正解だったみたいだ。

 公演は7時過ぎに始まった。ステージの下手に台が設けられ、その上に手前からタブラー、パカワージ、ハルモニウム、サーランギー、シタール奏者が座った。もちろんタブラーの奏者はかの有名なザーキル・フサインである。舞台の残りの部分はただの空間で、カタック・ダンサーのラージェーンドラ・ガンガーニーが1人で縦横無尽に踊りまくっていた。まずはシヴァ神への祈りのダンスから始まり、後はザーキル・フサインとのリズムの会話のオンパレードと言ってよいだろう。




ステージの様子


 何と言ってもザーキル・フサインのタブラーはすごかった。超絶スピードの手の動き、音のマシンガン、フライング・フィンガー・・・!ギターに例えたら早弾きギターだろう。なんという手の動きだろうか。しかも正確にリズムを刻んでいる。しかもしかも打楽器の音とは思えないほどメロディアスである。はっきり言ってビックリした。僕は今までそんなにタブラーを聴いてきたわけではないが、ザーキル・フサインがなぜこれ程までもてはやされているか理解できたような気がする。しかしザーキル・フサインのタブラーがあまりにフィーチャーされすぎていて、他の楽器がただの添え物と化していた。音のバランスが悪くてタブラーの音がやたらでかく、他の楽器の音が小さくて、音楽としては非常に調和の欠いたものとなっていた。ザーキル・フサインが主役なので、おそらく意図的にそういうバランスになっている可能性が強いのだが、ちょっと気になった。

 そのザーキル・フサインのタブラーに合わせてラージェーンドラ・ガンガーニーはカタック・ダンスを繰り広げていた。ラージェーンドラ・ガンガーニーもザーキル・フサインに引けをとらないほど有名な人物らしいのだが、僕は初めて名前を聞いた。カタック・ダンスは足に付けた鈴と足踏みによって音とリズムを表現しながら、上半身によるパントマイム的動作で、ときには繊細な、ときにはダイナミックな動きを表現する踊りである。そして途中で必殺技的に旋回を織り交ぜつつ、最後の決めでピタッと身体を止める。おそらくいろんなタイプの踊り方があるのだろうが、今回のステージで頻繁に行われていたのは、まずダンサーが「ダ、ディン、ディン、ダ、ティ、ティ、ティ・・・」などとリズムを提示し、それを歌手が復唱しつつタブラーでそのリズムに見合った音を作り出して演奏し、ダンサーは自分で提示したリズムに合わせて踊りを繰り広げるものだ。観察していたところ、多分それはヤラセではなく即興である。予め振り付けを決めてリズムを演奏者と打ち合わせて踊るというよりも、演奏者、踊り手共々即興でやっていると考えた方が自然だった。しかし踊り手によって提示されたリズムを演奏者がちゃんと記憶していてそれに沿って演奏し、しかもそれが踊り手のダンスとピタッと重なっているところを見る瞬間というのはまるで魔法を見ているかのようである。僕には全く想像のつかない達人たちの世界だ。何十種類ものリズム提示と踊りが繰り返されていたが、その中で2回ほど踊り手と演奏者でリズムが合わなくてもう1回やり直してた場面もあった。ラージェーンドラ・ガンガーニーの踊りを批評できるほど偉くはないが、緩急の効いた踊りを踊る人だと思った。そして多分ユニークな心も持ち合わせている人だろう。なぜなら会場から笑い声が沸き起こるような面白いリズム提示や踊りをしたりもしていたからだ。

 公演はほぼ2時間ほどで終わった。会場にはビルジュー・マハーラージや政府の閣僚などVIPも多数訪れており、最後は彼らが全員壇上に上がってお互いに敬意を表し合っていた。そしてザーキル・フサインがステージから姿を消すと同時に、彼にサインを求めに走る人々が後を追いかけていった。僕も彼の写真が撮りたかったのでザーキル・フサインが消えていった方へ駆けつけたのだが、既にザーキル・フサインは楽屋に避難してしまい、後に残された群集が押し合いへし合いの無益な争いをしていたところだった。しかしこれで諦めるわけにはいかず、その後もザーキル・フサインが楽屋から出てくるのをずっと待っていた。ザーキル・フサインは30分ぐらい楽屋に篭っていたが、遂に表に用意されていた自動車へ乗り込むために出て来た。ほとんど一瞬の間で、ザーキル・フサインもすぐに車に乗り込んでしまったのでサインをもらえた人は少なかったが、僕の友人はちゃっかりサインをザーキル・フサインのCDにしてもらっていた。僕は彼の写真を撮ることができたぐらいだった。今回はあまりに熱狂的なファンが多すぎてザーキル・フサインの警護も自然と厳重になってしまったみたいだ。でも生のザーキル・フサインの演奏を聴くことができ、そして間近で見ることができ、しかもそれら全てが無料だったことは、本当に幸せなことだと思った。




公演終了後・・・


ファンのサイン責めに遭うザーキル


3月9日(土) クルクシェートラ

 1週間前から計画していたクルクシェートラ旅行を遂に決行する日が来た。土曜日と日曜日、1泊2日の旅程である。カメラ、歯ブラシの他はほとんど手ぶら状態で出掛けた。朝7時半頃に家を出て、バスでISBTまで行き、チャンディーガル行きのバスに乗り込んだ。クルクシェートラはデリーの北、ハリヤーナー州にあり、チャンディーガルへ行く道の途中にある。グランド・トランク・ロード(通称G.T.ロード)を通って北上した。G.T.ロードはちゃんと舗装されており、途中までは中央分離帯もある立派なハイウェイだった。

 クルクシェートラは「地球の歩き方」には載っていない場所である。「マハーバーラタ」で描かれている大戦争の舞台になった地であると同時に、インダス文明の遺跡も見つかっており、インドの中でもかなり歴史のある土地だ。もちろんヒンドゥー教の聖地である。この土地がクルクシェートラ(クルの土地)と呼ばれるようになったのには以下のような伝説がある。

クルクシェートラの由来
 クル王は黄金の馬車に乗ってサラスヴァティー河のほとりの土地にやって来た。そして馬車の金を利用して鋤を作り、シヴァ神から雄牛を借り、ヤマ神から水牛を借りてその土地を耕し始めた。神々の王インドラはそれを見てクルに何をやっているのか尋ねた。クル王は「8つの徳(禁欲、真実、寛容、親切、純粋、慈愛、ヨーガ、節制)を栽培しているのです」と答えた。インドラ神は再び尋ねた。「それらの徳の種はどこにあるのかね?」クル王は「私が種を持っています」と答えると、インドラは笑って去って行ってしまった。その数日後、今度はヴィシュヌ神がやって来た。そしてクル王に同じことを質問した。クル王は同じように返答した。ヴィシュヌ神はクル王に「私にもその種をくれないか」と頼んだ。クル王は「あなたのために種を蒔きましょう」と答え、自らの右腕を切り落とし、ヴィシュヌのチャクラ(円盤)で粉々に切り裂いて耕した土地に植えた。同じようにクル王は左腕、両足、そして最後に頭も切り落として大地に植え、ヴィシュヌ神に捧げてしまった。クル王の行為にヴィシュヌは喜び、彼に祝福を与えた。インドラもその様子を見て喜び、再び姿を現してクル王に何でも願いを叶えてやろうと言った。クル王は2つの願い事をした。ひとつはこの土地が自分の名で呼ばれるようになること、もうひとつはこの土地で死んだ人は誰でも天国へ行けるようになること。この話からクルクシェートラという地名が付けられたという。

 上の話からするとクルクシェートラは道徳と精神文化の中心地であり、非常に縁起のよい土地ということになるが、もうひとつプラモード先生からクルクシェートラにまつわる別の話も聞いたので付け加えておく。

血縁を忘れる土地
 「マハーバーラタ」において、カウラヴァとパーンダヴァの間で戦争が行われることが決定的になると、クリシュナは戦場に適した土地を見つけるために旅立った。カウラヴァとパーンダヴァは親戚同士だったので、彼らが戦うにはそれなりの適した土地が必要だった。クルクシェートラに辿り着いたとき、クリシュナはある光景を目にした。リンゴの木の下で1人の女性が泣き伏していたのだ。よく見てみると、彼女の手には子供の死体が横たわっていた。たった今、彼女の息子が死んでしまったようだ。クリシュナはしばらくその様子を見ていた。母親はしばらくずっと泣いていたが、泣き疲れると空腹を感じたようだった。ふと上を見るとリンゴの実がなっていた。しかしリンゴは彼女の手の届かない高さにあった。すると彼女は、自分の息子の死体を台にしてそのリンゴを取り、食べたのだった。それを見たクリシュナは、クルクシェートラを戦場にすることを決めた。なぜなら自分の息子の死体を踏み台にして自らの欲を満たすぐらいだから、血縁関係を忘れて殺しあうのにもっとも適した土地だと判断したからである。

 この話からするとクルクシェートラは道徳もクソもないような感じがする。僕にとっていったいどういう土地なのだろうか。期待に胸を膨らませながらクルクシェートラに向かっていた。

 デリーから3時間ほどでピプリーという町に辿り着いた。バスで行った場合、G.T.ロード沿いにあるピプリーがクルクシェートラの玄関になる。ピプリーからクルクシェートラへ向かう道の入り口には立派な門が建っており、バガヴァッド・ギーターをアルジュナに説くクリシュナの像がその上に乗っかっていた。




クルクシェートラの入り口


 ところが、僕はピプリーに着いた途端困ってしまった。ピプリーはただの町で、全く観光客を受け入れる態勢が整っていないのだ。クルクシェートラはヒンドゥーの聖地なのだが、ほとんど観光地化されていないために、観光地によくありがちな観光客に群がるリクシャー・ワーラーや客引きの姿が全く見当たらなかった。デリーやアーグラーなどであんなに憎ったらしく思えた彼らだが、全くいないとなるとそれも困ってしまうものだ。特にクルクシェートラのような、ガイドブックにも載っていないマイナーなところでは・・・。一応事前にネットで情報を仕入れておいたのだが、クルクシェートラの主な寺院と宿泊施設などのリストと、ピプリーでバスを降りればいいことぐらいしか有益な情報がなかった。ピプリーに着いたら何をすればいいのか皆目検討もつかなかった。第一、クルクシェートラの地図がない。バスを降りたところでウロウロしてみたが、地図を売ってみる店などなかった。観光局らしきものもない。頼みの綱はリクシャーだが、クルクシェートラは田舎の町のために、乗り合いオート・リクシャーしかなくて、タクシーとして機能しているリクシャーは存在しなかった。僕は平和な町に突然現れたエイリアンのような感じになってしまい、住民たちから好奇と猜疑の視線が突き刺さっていた。

 でもとりあえず何か行動をしないといけないので、バス停近くにいた乗り合いオートの運転手に「ブラフマ・サローヴァルに行く?」と聞いてみた。クルクシェートラにある寺院の名前を適当に言ってみただけである。そうしたら「乗れ乗れ」と言われたので乗ってみた。乗り合いだったので他にも乗客はいて、リクシャーはバガヴァッド・ギーターの門をくぐって一路西の方角へ向かっていった。道がガタガタな舗装道路な上にリクシャーが何十年も前に作られたようなアンティーク・リクシャーだったため、身体のアチコチが痛くなるほど揺れまくった。途中で客を降ろしたり乗せたりしつつ、最後はクルクシェートラ大学の校門の前に止まった。

 変なところまで連れて来られてしまって困りつつも降りようとすると、リクシャー・ワーラーから「寺院は見ないのか?」と聞かれた。「連れて行ってくれるの?」と聞き返してみると「全部寺院を廻って150ルピーでいいよ」と言われた。おお、やっと観光できそうな気配になって来た、ということで、その値段でOKして、彼にクルクシェートラの主な寺院を廻ってもらうことにした。

 オンボロ乗り合いリクシャーを1人でチャーターするという豪華だか貧乏臭いのだか何だか分からない行為をして、まずはジョーティサルへ行った。いきなりメインの名所である。ここはクリシュナがアルジュナにバガヴァッド・ギーターを説いたまさにその場所と言い伝えられている。バガヴァッド・ギーターといえばインド人の心の支えになっている聖典である。いざ戦争が始まろうというときにアルジュナは敵側に身内や知人がいるのを見て戦争を渋りだす。クリシュナは「魂は不滅である。結果を考えず、各人の義務を果たすべし。クシャトリヤとして生まれたからには戦争をすることは義務である。」と説いてアルジュナを勇気付ける。それがバガヴァッド・ギーターである。捉え方によっては「魂は不滅だから人を殺してもいいんだよ」と殺人を肯定する危険な哲学のような気がしないでもないが、全部読んだわけではないのであまり偉そうなことを言うのは止めようと思う。

 ジョーティサルはクルクシェートラの郊外にあった。池のほとりにある寺院で、境内には樹齢5000年と言われるバニヤンの樹が祀られている。樹齢5000年というと、つまり「マハーバーラタ」の戦争(のモデルとなった争い)が行われたと推定される時期からここにあったことになる。だからクリシュナがアルジュナに説いたバガヴァッド・ギーターを生で聞いた生き証人という扱いをされて篤く敬われていた。だが、何事にも大袈裟なインド人のこと、これもおそらく本当の話ではないと思われる。他に境内にはすごい古そうなシヴァ・リンガもあった。しかし寺院自体はそんなに古くはなかった。




樹齢5000年(?)のバニヤン樹


 次にバーン・ガンガーへ行った。ここもまた「マハーバーラタ」ゆかりの土地である。カウラヴァ軍の大将ビーシュマは無数の矢を受けて倒れ、突き刺さった矢のせいで地上から浮き上がった状態になっていた。そのビーシュマが息絶えようとしていたとき、戦争は中断されてパーンダヴァ軍の将軍たちもビーシュマのもとへ駆け寄った。ビーシュマが喉の渇きを訴えると、アルジュナは地面に向けて矢を放った。すると矢が地面に刺さった場所から泉が湧き出た。ビーシュマはその水によって喉の渇きを癒し、息絶えたのだった。その泉が今も現存しており、それがこのバーン・ガンガー(ビーシュマ・クンドとも呼ばれている)であるというのだ。俄かには信じがたい話である。バーン・ガンガーを覗き込んでみると正方形の小さな池になっていたが、水は緑色、水面にゴミなどが浮いていたのでなんか汚ない印象を受けた。

 バーン・ガンガーの隣には巨大なハヌマーンの像が立っていた。なぜここに「ラーマーヤナ」の主人公であるハヌマーンの像が立っているのかはよく分からなかった。一応「ラーマーヤナ」にもクルクシェートラは登場するそうなのだが・・・。

 次に行ったのはビルラー・マンディル。デリーやマトゥラーにも同名の寺院があった。名前の通りインドの大財閥ビルラーが建てた寺院である。外見のデザインも似ていた。ビルラー財団はインド各地にいくつも寺院を建てたのだろうか・・・?もちろん新しい寺院である。

 ビルラー・マンディルのすぐ近くにあったハヴェーリー・バーバー・シュラヴァン・ナートにも行った。この寺院はけっこう古くて17世紀のものらしい。寺院ながら要塞のような造りで、入り口の門なんかは風情があった。・・・しかし普通に考えたら17世紀の寺院といったら古い寺院の内に入るのかもしれないが・・・僕が期待していたのはもっともっと古い時代の遺構か何かだ。いや、まだ何かあるだろう・・・。

 シュリー・ジャイ・ラーマ・アーシュラムも行った。この寺院の建造は1973年。まだまだ新しい。寺院の庭にあったふたつの彫像(アルジュナが矢を放って泉を作るシーンと、あと謎のシーン)はよかったものの、普通の寺院という印象はぬぐえなかった。

 その次に行ったブラフマ・サローヴァルにはさすがに驚いた。すさまじい広さの人工池があったのだ。まるで海のような広さである。こんな田舎の村にどういう動機でこんなものを造ったのか首を傾げたくなるような代物だった。沐浴用の池なのは分かるのだが、こんなに広い池(というか湖)を造る必要はなかったはずだ。驚いたというか呆れたというか。ブラフマ・サローヴァルの中にはサルヴェーシュヴァラ−マハーデーヴ寺院やプラーチーン寺院などいくつかあったのだが、その中でもっとも興味深かったのはチャンドラ・クープ。井戸の跡なのだが、「マハーバーラタ」と関係があるらしく、かなり古い井戸らしい。確かに井戸を囲っていた周りの石は古そうだった。




ブラフマ・サローヴァル


 リクシャー・ワーラーが言うにはこれで大体の寺院は廻ってしまったらしい。後から確認したらまだ行ってないところも幾つかあったのだが、大小全ての寺院を全部廻っていたらキリがないので、まあいいだろう。しかし、・・・5000年の歴史のある町にしては全く古い寺院がないではないか・・・。町自体も新しいし、風情もない。本当にここでマハーバーラタ戦争が行われたのか甚だ疑わしい。全部でっち上げではないのか・・・?疑いだしたらキリがなかった。これでいいのかインド人?これでいいのかヒンドゥー教?そんな疑問を胸に抱えつつ、最後に博物館へ行くことにした。

 クルクシェートラの博物館は2つある。ひとつは昔からあった博物館で、シュリー・クリシュナ・ミュージアム、もうひとつは最近できたらしく、クルクシェートラ・パノラマ&サイエンス・ミュージアム(通称パノラマ)という名前だった。リクシャー・ワーラーによるとシュリー・クリシュナ博物館はつまらないからパノラマだけ見れば十分とのことだったが、僕はどちらも見た。パノラマの方を先に見たので、こちらの方から書いていく。




パノラマ


 パノラマの入場料は10ルピーだった。ちなみに今までクルクシェートラの寺院で入場料金が必要だったところはない。また、パノラマの入場料に外国人料金もなかった。まだ外国人旅行者にとって「古き良きインド」が残っている貴重な場所である。現在主な都市の観光地は全て外国人料金が設定されてしまっているから・・・。パノラマの1階は「サイエンス・ミュージアム」の名の通り、子供向けの科学に関する展示がしてあった。テコの原理とか、万華鏡とか、変形した鏡とか・・・。日本にもこういう博物館は時々ある。これだけだったら金を返せと叫ぶところだったが、この博物館の真骨頂は2階の「パノラマ」の部分にあった。階段を上がっていくと、マハーバーラタ戦争を題材とした360度パノラマのジオラマ&壁画が展示されており、戦争中に起こった主要な出来事が説明されていた。バガヴァッド・ギーターを説くクリシュナ、ビーシュマに打ちかかるクリシュナとそれを止めるアルジュナ、アビマンニュの死、ガトートカチャの死、ビーマとドゥリヨーダナの戦いなどなど・・・これにはけっこう圧倒された。写真持込禁止だったので写真を撮れなかったのが残念だった。「マハーバーラタ」に登場する武器の分類がしてあったのも興味深かった。

 一方、シュリー・クリシュナ・ミュージアムの方は、クリシュナに関する美術品の展示が主だった。入場料7ルピー、こちらもカメラ持ち込み禁止である。展示品は、クリシュナ関連の彫刻、絵、細密画、テキスタイルなどなどである。3階にはクリシュナの一生を題材としたこれまたジオラマが展示されていた。パノラマのジオラマも、ここのジオラマも、実はけっこうクオリティーが高いような気がした。インドの博物館のジオラマというと、本当にどうしようもないくらいしょぼいものが大半を占めているのだが、クルクシェートラの博物館のジオラマはトップ・クラスの出来だと思う。服のデザインや作り、顔の表情、全体の構図などなど、腕の立つジオラマ職人カースト(そんなのあるのか?)が作ったと思われる。また、ドワールカーに関する発掘調査の記事や発掘品の展示もあった。ドワールカーはクリシュナが造った街なのだが、クリシュナが去ったと同時に海に沈んだと言われている。現在グジャラート州にドワールカーという街があり、ヒンドゥーの聖地となっているのだが、そのドワールカー沖の海底から都市遺跡が見つかっているらしく、「マハーバーラタ」の記述はただの伝説ではなく、何らかの事実に基づいていることが実証されたそうだ。

 これで一応リクシャー・ワーラー一押しのスポットは全て廻ったことになった。本当はクルクシェートラに一泊してゆっくり廻ろうと思っていたのだが、案外サクサクと廻れてしまった。クルクシェートラがあまりに外国人観光客用にできていないことから、宿探しも自信がなかったので、これで帰ることにした。リクシャー・ワーラーにピプリーのバス・スタンドまで送ってもらって、お礼として200ルピー渡しておいた。

クルクシェートラの結論
「マハーバーラタ」に関する知識のない人にはあまり楽しめないところかもしれない。また、本当は歴史のある地域だと思うのだが、町や寺院は案外新しいので、古さを求めてやってくるとがっかりする。もしかして全部でっち上げの可能性も無きにしも非ずである。オススメのスポットはジョーティサル、ブラフマ・サローヴァルと博物館2つ。デリーから日帰りで十分だと思われる。宿泊施設としては無料で泊まれるダラムシャーラーがいくつかあるみたいだが、僕は利用しなかったので分からない。

 クルクシェートラを見終わった後デリーに帰ろうと一時考えたのだが、このまま日帰りするのはもったいないような気分になり、急遽チャンディーガルへ行って今日はそこで泊まることにした。ピプリーのバス停で簡単にチャンディーガル行きのバスを拾うことができた。行き当たりばったりの旅である・・・。

 チャンディーガルはハリヤーナー州とパンジャーブ州両州の州都であると同時に連邦直轄地(ユニオン・テリトリー)でもあるという複雑な都市である。いったいどんなところか見てみたくて、全くの前知識なしで飛び込むことになった。もちろん初訪問である。

 クルクシェートラからチャンディーガルまではバスで約2時間ほどだった。クルクシェートラからチャンディーガルに至るまでの土地は非常に肥沃な大地と見えて、一面畑が広がっていた。道路沿いに並ぶ店の看板に書かれたパンジャービー文字でチャンディーガルに入ったことが分かった。そしていよいよチャンディーガル市街地へバスは入っていったのだが、僕は自分の目を疑うほどびっくりしてしまった。広くてきれいな道路、碁盤目状の道路網、交差点には必ずロータリー、整然と立ち並ぶ街灯と街路樹、いったいここはどこだ!?と叫びたくなるほど驚いた。敢えて比するとすればパーキスターンの首都イスラマーバードに似た概観だった。後から知ったのだが、チャンディーガルはフランス人建築家の都市計画に基づいて1952年に作られた新しい街らしい。イスラマーバードもギリシア人が設計した街だ。西洋人が計画して造った都市というのはどうしてこうだだっ広くて生活感がなくて実用性に乏しくなってしまうのだろうか・・・?

 チャンディーガルのバス停に着いた途端、リクシャー・ワーラーが寄ってきた。そうそう、コレコレ。クルクシェートラにはなかったこの雰囲気。やはり観光地にはコレが必要である。なにしろ宿のあても何の情報もないのだから、彼らに頼るしかない。どこか安いゲストハウスはあるか聞いてみたら「オレが連れて行ってやる」と頼もしい返答。とりあえず彼の言うがままに連れて行ってもらうことにした。チャンディーガルは観光地ではないことからそうぼられることもないだろう。

 ところが僕がチャンディーガルを訪れたときはちょうどタイミングの悪いときだったみたいだ。まずチャンディーガルでは法律上外国人は2つ星以上のホテルに泊まらないといけないらしい。インドではホテルにチェック・インする際、宿帳の他に外国人だけ外国人登録局に提出するためのフォームを記入させられる。ところが安いゲストハウスにはこのフォームが用意されておらず、自動的に外国人は泊まれないようになっているそうだ。ただ、僕はデリー在住だし、ヒンディー語もできるのでこの規則はあまり関係なかった。こっそりゲストハウスに泊まってしまえば問題ない。また、昔まではバス停近くに手頃なゲストハウスが数軒あったそうなのだが、最近新しく法律ができたらしく、住宅地にゲストハウスを開いてはいけないことになってしまった。だから今まで都市の中心部にあったゲストハウスは全て郊外へ追いやられてしまったらしい。この法律ができる前までは市内に100軒以上あったゲストハウスも、移転のために現在は30軒ぐらいに減ってしまったそうだ。だからチャンディーガルは近頃慢性的な安宿不足となっているらしい。それに加え、運の悪いことに明日、チャンディーガルでジンバブエ対インドの国際クリケット・マッチが開かれることになっていた。このため、クリケットを見るためにチャンディーガルに多くの人々がやって来ており、空き部屋を見つけるのが困難な状況になっていた。これらの事情から、実はチャンディーガルに手ぶらで飛び込んだことはかなり無謀な冒険だった。

 しかしそのリクシャー・ワーラーが連れて行ってくれたゲストハウスには空き部屋があり、泊まることができた。そのゲストハウスも都市部から郊外に移転してきたばかりで、まだ部屋の半分以上は建設中だった。驚いたのは部屋代。なんとバス・トイレ共同のダブル・ルームで700ルピーと言われた。そんなのムンバイーより高い。もっと安い部屋はないのか、と聞いてみたら、屋上にある部屋(バス・トイレなし)が500ルピーと言われた。それでもまだ高い。僕はチャンディーガルの宿状況の悪さに立腹していたので、「チャンディーガルに泊まっても何の利益もないから、今からデリーに帰るよ」と言って帰ろうとした。その時点で時計は6時を指していた。今からデリーに帰れば今日中にはデリーに着くだろう。するとその発言にマネージャーは根負けしたのか300ルピーまで下げてくれた。これでとりあえず明日もチャンディーガルを見て廻れることが決定した。ちなみに宿の名前はJyoti Palaceという。

3月10日(日) チャンディーガル

 昨夜は真夜中から雨が降り出した。僕の泊まった部屋は屋上で、屋根がトタン屋根だったこともあり、雨粒の音が激しく響いた。最初は屋根の上を誰かが歩き回っているのかと思ったが、雨が激しくなるにつれてダダダダッという音になったので、雨が降っていることが分かった。心霊現象でなくてよかったが、こうもうるさくては眠れない。

 雨は一時止んだものの、早朝から再び降りだした。このまま降り続けたら困るなぁと思っていたが、インドの雨は後腐れなしだ。朝日が昇り、夜の終わりと共に雨雲も東の空の彼方へ消えてしまった。後にはすがすがしい朝の空と水溜りが残った。道には雨後のたけのこのようにインド人たちが行き来し始めた。

 ホテルのマネージャーはけっこう親切な人で、朝食にプーリーを食べたいと言ったら自分で作ってくれた。彼にチャンディーガルの観光地をリストアップしてもらった。9時頃ホテルをチェック・アウトし、サイクル・リクシャーでまずはロック・ガーデンへ行った。

 サイクル・リクシャーで25ルピーかかっただけあって、ホテルからロック・ガーデンまではかなりの距離があった。おかげでチャンディーガルの街並みを改めてよく観察することができた。道路や緑はきれいでいいのだが、歩いても何の面白みもない、ある意味殺風景な街だった。森林の中に道路を引いて街を造ったような感じで、人間臭さが全く感じられない。碁盤目状に引かれた道路で区切られた区画はセクター1、セクター2とかいうような番号で呼ばれており、これも人間臭さが感じられなかった。郊外にはスクナー湖という人造湖もあった。全てが人造、全てが意図的で、気持ちの悪くなるような街だった。ロック・ガーデンはスクナー湖の近くにあった。

 僕はロック・ガーデンを見るまでは実はチャンディーガルに来たことをちょっと後悔していた。こんなつまらない街にいるくらいなら、まだクルクシェートラにいた方がマシだと思っていた。ロック・ガーデンも、とりあえず観光をしないと来た意味がないと思って半ば義務的に足を運んだだけだった。ところがロック・ガーデンの中に入った瞬間、考えが180度変わった。

 ロック・ガーデンというからには、石でできた庭みたいな感じだろうと予想していた。ロック・ガーデンの周りは石の壁で覆われており、中には何があるかよく分からなかった。入場料は5ルピー。外国人料金などない。入り口から一歩足を踏み入れてみると、その瞬間ここはただの石の庭ではないと直感した。芸術の芳香が漂ってきたのだ。中は石でできた迷路みたいで、所々にガラクタでできたような人形や、奇妙な形をした石が飾ってあったりした。それらがいい味を出していて、ガラクタや石なのに生き物のような躍動感があった。途中には川があったり滝があったり橋があったりして退屈しない。その摩訶不思議な空間を形容するにはどういう言葉が適しているだろうか。古代文明の都市でもなく、モダンな都市でもない。いつの時代とも区別できないような独自の雰囲気。そう、ひとつだけこの空間と似た雰囲気を持つものがあった。「ミスト」というけっこう有名なゲーム・ソフトである。あのゲームの世界観に通じるものがあった。とにかくやたらと心が高揚してしまってあちこちでカメラのシャッターを切った。




石の壁に囲まれた道






ガラクタで出来た人形たち

 ロック・ガーデンはネーク・チャンドという1人の変人が作り上げた王国である。ネーク・チャンドは交通局員だったが、1953年にチャンディーガルが造られる過程で出た大量の石や廃棄物などを見て心を動かされ、それらを再利用するために集めて郊外の森林に持って行き、それらを使って家や人形を作って秘密裏に自分の王国を造り始めた。しかしそこは政府の土地で、勝手に個人がそういうことをするのは違法行為だった。1972年、政府が森林を開拓しているときにネーク・チャンドが造った石の王国が発見された。チャンディーガルは大騒動となり何百人もの人々がネーク・チャンドの王国を見に訪れた。しかし違法は違法である。政府としてはネーク・チャンドを罰しなければならない。ところが、市民たちがネーク・チャンドの味方になり、市民の要望によって政府は彼に石の王国造営を続けさせることを認めることになった。それだけでなく、政府は彼に給料と50人の労働者を与えた。こうしてネーク・チャンドの情熱が作り上げた石の王国は政府公認のロック・ガーデンとなり、観光地に乏しいチャンディーガルの見所となっている。今も着々と王国は造り続けられているそうだ。

 ロック・ガーデンを廻っているときに3人のインド人の若者と仲良くなった。彼らは例のクリケットの試合を見にアンバーラーというチャンディーガルのすぐ南にある町から来たそうだ。試合は2時半から始まるので、それまで暇潰しにロック・ガーデンに来ていたようだ。チャンディーガルは初めてらしい。彼らとチャンディーガルを一緒に廻ることにした。

 ロック・ガーデンの次はスクナー湖まで歩いて行った。そこでボートに乗ろうと誘われたが、ボートのレンタル代は30分60ルピーという法外な値段だったので、乗らなかった。そこで今度は博物館へ行った。スクナー湖からバスに乗って5分ほどのところだった。そのバスは観光用の2階建てバスで、ルーフ・トップに座ると気持ちよかった。




アンバーラーから来た若者たち


 博物館といっても、そこには3つの建物があった。考古学博物館、都市博物館、美術館である。まずは考古学博物館へ行った。ここは無料だった。まだ半分建設中で、展示物も大したことなかった。化石とか石器とか土器とか、本物か偽物かよく分からないようなものが雑多に展示してあるだけだった。次に行った都市博物館(シティー・ミュージアム)はけっこう参考になった。計画都市チャンディーガルの造営と発展の歴史が紹介されており、じっくり見ればチャンディーガルのことが何でも分かりそうだった。ただ、彼ら3人はサッサと見て廻ってしまうので、僕もそのペースについていかざるをえず、あまりゆっくりと見れなかった。ここにはチャンディーガルの大きな地図があり、その前に座っている人に頼めばチャンディーガルのことを説明してくれる。その人はチャンディーガルのことについてやたらと詳しく、「〜へ行きたいんだけど、どこにあるんですか?どうやって行ったらいいんですか?」と質問すると詳細に説明してくれる。チャンディーガルで一番最初に来るといい場所かもしれない。最後に行った美術館には、インドのいろいろな美術品が展示してあった。テキスタイル、ガンダーラ出土品、細密画、ヒンドゥー教の神像、ジャイナ教の彫刻、現代画家の油絵などなど。ここも3人のハイペースなスピードに付いて行ったのでゆっくり見れなかった。

 博物館群のすぐ前に、チャンディーガルの観光地のひとつローズ・ガーデンがあった。しかしバラがたくさんあるだけの公園で、あまり楽しくはなかった。そのままローズ・ガーデンを横切っただけだった。

 彼らはそろそろクリケット・マッチが行われるスタジアムまで行かなくてはならないので、バス・スタンドまで歩いて行った。そのとき僕にもひとつ目的地が出来ていた。都市博物館にあったある写真に目が留まったのだ。それはチャンディー寺院。チャンディーガルの地名のもとになった寺院で、チャンディー女神(チャームンディー)が祀られている古い寺院みたいだ。僕は是非そこに行ってみたかった。ところが、3人の若者たちは僕のためにチャンディー寺院へ行くバスを調べてくれたが、誰もその寺院のことを知らなかった。チャンディー・マンディル(寺院)という地名の場所は郊外にあるのだが、そこに寺院はないらしい。その代わり、マンサー・デーヴィー寺院ならあると言われた。チャンディーガルでもっとも大きな寺院らしい。仕方ないので、そこへ行くことにした。マンサー・デーヴィー寺院行きのバスはすぐに見つかった。クリケットを見に行く彼ら3人とはバス・スタンドで別れた。僕もクリケット観戦に誘われたのだが、何しろ夜の11時頃まで試合があるというので、いくらなんでもそんな遅くまでチャンディーガルにいるわけにはいかない。丁重に断っておいた。

 チャンディーガルのジェネラル・バス・スタンドから30分程で、マーター・マンサー・デーヴィー寺院に到着した。小高い丘に寺院はあった。寺院の周りには出店が立ち並び、けっこうな盛況ぶりだった。もうすぐシヴァラートリーというヒンドゥーの祭りがあるので、シヴァの娘と言われるマナサー女神を祀ったマンサー・デーヴィー寺院に参拝する人々が多いのはうなずけた。しかし寺院の入り口の門からはみ出るくらい、参拝客の長蛇の列が続いていたので、ヒンドゥー教徒ではない僕はとてもじゃないが中に入れる雰囲気ではなかった。だから外から眺めるだけに留まった。でも生活のにおいのしない殺風景シティー、チャンディーガルの中にあって、やっと人間臭い場所に来ることができた気分だった。寺院を参拝するということで、多くの女性たちはよそ行きのキレイなサリーを身にまとっていたのが印象的だった。寺院を参拝し終えた人々の顔は晴れやかだった。しばらく門前市をブラブラした後、マンサー・デーヴィー寺院からバスに乗ってバス・スタンドに戻った。これで大体タイム・リミットも来て、見てみたかった場所も見尽くしたので、チャンディーガルを去ることに決めた。




マンサー・デーヴィー寺院の入り口
参拝客の長蛇の列が・・・


チャンディーガルの結論
バックパッカー向きの街ではない。当分の間、宿状況の悪さは続くだろう。計画都市の街並みと、ロック・ガーデンは一見の価値あり。他にも面白い建築物がいくつかあるそうだ。

 デリー行きの長距離バスに乗ってデリーに戻った。チャンディーガルからデリーまでは約5時間。夜の9時頃にはISBTに到着した。1泊2日の行き当たりばったりショート・トリップだったが、一般的な観光地ではないところを見ることができていい経験になった。

3月13日(水) Kranti

 急に中間テストが始まった。一応2学期が始まったときにもらった予定表には「3月13日 Internal Assessment」と明記されていたので文句は言えないが、もっと前もって言っておいてもらいたかったものだ。もっとも、テストと言ってもいい加減なものだが。実際、今日行われたテストはアヒルワール先生のライティングの授業だけだった。そのテストも極めていい加減だった。マンジュ先生の会話のテストは明日あるらしい。一応今日も予行練習のような感じで少ししゃべらされた。僕が土日に行ったクルクシェートラ&チャンディーガル旅行のことを話したら、「本当に行ったの?」と驚かれた。

 授業後、映画を見にコンノート・プレイスへ出掛けた。本当は3時半からの回を見たかったのだが、バスがなかなか捕まらず、その回は間に合わなかった。でもコンノートではやることがあった。最近ちょっと服を探している。どんな服かというと、長袖で、薄い生地のシャツである。南インド旅行をしたときにティルヴァナンタプラムで一着そういう服を買ったのだが、夏に備えてもう1、2枚同じようなシャツが欲しくなっていた。聞くところによるとデリーではそのような服は手に入らないらしいが、自分の足で確かめてみようと思った。僕の脳裏には、ある1枚のシャツが理想としてこびりついていた。それも今持っている長袖シャツを買ったティルヴァナンタプラムの店に置いてあったのだが、長袖で黒地の生地で、胸にワンポイントでシヴァの三叉檄が入っていた。その服も一緒に買いたかったが、その時分は旅行始めのときであり、ちょっとお金節約モードになっていたので、1枚しか買わなかったのだ。今思えばあのとき買っておけばよかったと悔やまれる。今からティルヴァナンタプラムへ行きたい気分だ。

 とりあえずコンノートのインナーサークルに店舗を並べているフィラとかアディダスなどのスポーツ用品店に目を通してみたが、長袖のTシャツ自体が少なくて、デザインもいいのがなかった。第一、そういう店は高い。Tシャツごときで500ルピーも出費したくない。今度はパーリカー・バーザールへ行ってみた。相変わらずの熱気と客引きの強引さで、何軒かの洋服屋に「長袖のTシャツはある?」と聞いて廻ったのだが、ださくて汚ないものばかりだった。ここでもお目当てのものは見つからなかった。

 そこで最後の望みを託して、パハール・ガンジへ行ってみることにした。パハール・ガンジに足を踏み入れたのは何ヶ月ぶりだろうか、かなり久しぶりだった。ここも相変わらずの熱気である。人とサイクル・リクシャーとオート・リクシャーと屋台車と牛とが織り成す一大狂想曲だった。春休みシーズンに突入しており、外国人旅行者もたくさんいた。ブラブラと歩きながらパハール・ガンジの左右に広がる土産物屋を覗き込んだ。しかしパハール・ガンジに売られているのはいかにも「アジアにはまってます」的なくすんだダボダボの服しか売られていなかった。いいのがないなぁと思いつつ歩いていたら、突然僕の名を呼ぶ声が。振り返ってみると、そこにはソーヌーさんがいた。何回かLさんの家で会ったことがあるインド人である。彼はパハール・ガンジで旅行会社を経営しており、日本語も堪能である。彼とは2ヶ月ぶりくらいに再会した。久しぶりということで彼のオフィスへ連れて行ってもらった。ソーヌーさんのオフィスはパハール・ガンジの路地裏にあって、場末的な路地を通って行かないといけないので、臆病な旅行者を連れて行くにはちょっと不利だと思った。オフィス自体はこじんまりしているものの清潔で問題はなかったのだが。彼の仕事仲間を紹介されたりしたが、映画の開始時間が迫っていたのですぐに帰らせてもらった。・・・しかし、あまりパハール・ガンジに知り合いが増えるというのは気持ちのいいものではない。なぜならインドに留学している日本人の中には、現地のいかさま旅行会社と提携して、日本人旅行者をそのオフィスへ連れ込む仕事をしている人がいるからだ。僕もインド初訪問のときにそういう日本人に騙された経験があり、絶対に自分はそういう日本人旅行者斡旋業はしまいと固く決意している。しかしやはりインドに住んでいると、自然に旅行会社のインド人と仲良くなるようになっているようだ。もしお金に困っていれば、そのまま日本人旅行者を連れ込む仕事に走ってしまってもおかしくはない。だが、インド人が日本人を騙すならまだしも、インドにおいて日本人が日本人を騙すという行為は絶対に許されるべきではない。

 今日見た映画は「Kranti(革命)」。ボビー・デーオール、アミーシャー・パテール主演の映画である。他にヴィノード・カンナー、カビール・ベーディーなどが出ていた。前評判はあまりよくなかったのだが、一応この映画のCDを買ってしまったので、上映打ち切りになる前に早急に見ておこうと思った。




ボビー・デーオールとアミーシャー・パテール


Kranti
 警視総監アヴァデーシュ・プラタープ・シン(ヴィノード・カンナー)にはアバイ(ボビー・デーオール)という息子がいた。アバイも警官だったのだが、いわゆる暴力警官で、力で事件を解決する癖があったが正義感が人一倍強かった。あるときアバイは1人の泥棒を捕まえた。ところがそれはとてもかわいい女の子だった。泥棒の名前はサンジュナー(アミーシャー・パテール)。アバイとサンジュナーは恋に落ちる。

 インドでは不審なテロ事件が多発しているときだった。アバイはテロ組織の摘発に力を入れていた。そんなとき、大金持ちのラーナー・プラタープ(カビール・ベーディー)の家に泥棒が入り、アバイは駆けつける。アバイはその犯人を逮捕するが、そのときにラーナーの盗まれたカバンの中から、テロ組織と関係のある弾丸を発見する。そしてラーナーがテロ組織と深く関わっていることをアバイは直感する。ラーナーもアバイが危険な人物であることを悟る。

 ところがラーナーが取った手段は常人とは違った。なんとアバイを自分のボディー・ガードに指名したのだ。一生アバイをボディー・ガードとしてこき使うつもりだった。ところがアバイはラーナーを訪ねて来たマフィアの仲間を銃殺する。「あなたを守るためだ」と言って・・・。ラーナーも文句は言えず、仕方なくアバイをボディー・ガードから外す。

 ラーナーは今度も巧妙な作戦を立てる。部下の1人をアバイの元へ送って、アバイを見た瞬間逃げ出させた。アバイは自分の顔を見て逃げ出す不審人物を必死で追いかけ、公衆の面前でつかまえて暴行を加えた。しかしその男は何もしておらず、アバイは暴行の責任を取らされ謹慎処分となる。ところが、その謹慎処分中にもラーナーはアバイをうまく誘い出し、自分の部下をアバイに銃殺させる。これでアバイは殺人罪に問われることになり牢屋に入れられてしまう。

 父親のおかげでアバイは何とか助かり、ラーナーによるさらなるテロ事件を察知する。それは将軍を歓迎する記念式典だった。現場に駆けつけたアバイはテロリストを発見して追い詰め、ヘリコプターに仕掛けられた爆弾のことを知る。そのときちょうど将軍は父のアヴァデーシュと共にヘリコプターに乗り込もうとしていたときだった。アバイは全力疾走でそこまで駆けつけ、間一髪で2人を助ける。そして現場に来ていたラーナーを発見し、ボコボコに殴った後、父親と2人で拳銃を握って、ラーナーを射殺する。こうして2人の警官親子によって、インドの平和は守られたのだった。

 インドでは未だに「ダーディー・ハリー」タイプの無法者警官映画がもてはやされる国なのだ。とにかく観客は正義のヒーローのアクション・シーンを見に映画館に来ているようだ。ストーリーは二の次である。この構成はAVヴィデオにも通じるものがある。アクション・シーンさえ良ければ、ストーリーなんてあまり気にしない人が多そうだ。インド人の若者は悪い奴が打ちのめされるのを見て快感を得ているのだろうか・・・?もしそうだとしたら、日頃よっぽど悪い奴にいじめられているのだろう・・・。でもインド人すらこの映画は「ベーカール(失敗作)」と言っているので、少しは安心か。前評判通り、しょうもない映画だった。

 ヒーローのボビー・デーオール、ヒロインのアミーシャー・パテール、僕は双方ともあまり好きな顔ではない。むしろ悪役のカビール・ベーディーが光っていた。コメディー・シーンらしきものもなかった。もし万が一あったとしても、とても笑えるようなものではないだろう。音楽はまぁまぁなのだが、ダンス・シーンは最低レベルにつまらなかった。おそらく早ければ今週の金曜日に上映が打ち切られるだろう。そしてインド映画の歴史に埋もれて行く作品となるだろう。僕の記憶からも早々に消去されるだろう。この日記を後から読み返したときに、「あ、こんな映画見たっけ?」と首を傾げるくらいだろう。



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