スワスティカ これでインディア スワスティカ
装飾上

2010年8月

装飾下

|| 目次 ||
映評■6日(金)Aisha
分析■7日(土)インドの英語新聞の弱点
映評■13日(金)Peepli [Live]
分析■14日(土)インド人取扱説明書
映評■20日(金)Lafangey Parindey
分析■21日(土)パーキスターンの最初の国歌
分析■23日(月)インド旅行TIPS
分析■24日(火)NDM-1とデリー腹とナハーリー
映評■27日(金)Hello Darling
映評■28日(土)Aashayein
音楽■31日(火)O Yaaro India Bula Liya


8月6日(金) Aisha

 「スラムドッグ$ミリオネア」(2008年)旋風は、ARレヘマーンのアカデミー賞・グラミー賞受賞をはじめ、インドの娯楽業界にも大きな収穫をもたらしたが、その中でも特に羽振りが良くなったのが、クイズ番組ホスト役として出演したアニル・カプールである。かつてのヒーロー俳優だったアニルは、「スラムドッグ$ミリオネア」前は何となく落ち目になっていたのだが、ハリウッドで名が売れたおかげで、一気にインドを代表する俳優になってしまった。「Saawariya」(2007年)で女優デビューを果たした娘のソーナム・カプールのキャリアも軌道に乗り始め、公私ともに絶好調である。アニルは過去に「Gandhi, My Father」(2007年)など数作をプロデュースしているが、その彼の最新プロデュース作「Aisha」が本日より公開となった。主演はもちろんソーナム・カプール。だが、それと同じくらい注目なのが、共同プロデューサーとして名を連ねているリヤー・カプールである。リヤーはソーナムの妹であり、姉と同じくらい美貌を持っているのだが、姉とは違ってプロデューサーの道を選んだ。つまり、「Aisha」はアニル・カプール一家のホーム・プロデュース的な作品となっている。このような家族経営的映画制作法は、リティク・ローシャンの一家が得意としている。さて、アニル・カプールの一家の実力はどうだろうか?

 ところで、「Aisha」は英国人女流作家ジェーン・オースティンの小説「エマ」を原作としている。18世紀~19世紀に活躍したジェーン・オースティンはインド映画とも全く無縁でなく、既にグリンダル・チャッダー監督が彼女の「高慢と偏見」を原作に「Bride and Prejudice」(2004年)を監督している(ただしこれは正確には英国映画、キャストにボリウッド俳優あり)。当時の英国社会の人間模様は、現代のインドに不思議とうまく当てはまるが、やはり結局は外国の小説であるため、インド映画的にうまく消化する必要もある。「Aisha」の監督はラージシュリー・オージャー。既に数本映画を監督しているが、ほとんど無名の女性映画監督である。音楽は「Dev. D」(2009年)で頭角を現したアミト・トリヴェーディーで、「Dev. D」に勝るとも劣らない楽曲を提供しており、既にヒットチャートを席巻している。そのファッション性の高さもあり、「Aisha」は8月の話題作のひとつとなっている。



題名:Aisha
読み:アーイシャー
意味:主人公の名前
邦題:アーイシャー

監督:ラージシュリー・オージャー
制作:アニル・カプール、リヤー・カプール、アジャイ・ビジュリー、サンジーヴKビジュリー
原作:ジェーン・オースティン「エマ」
音楽:アミト・トリヴェーディー
歌詞:ジャーヴェード・アクタル
振付:アシュリー・ロボ、テレンス・レーヴィス、カラン・ブーラーニー
衣装:パルニヤー・クレーシー、クナール・ラーワル
出演:ソーナム・カプール、アバイ・デーオール、イーラー・ドゥベー、サイラス・サーフーカル、リサ・ハイドン(新人)、アルノーダイ・スィン、アムリター・プリー(新人)、アーナンド・ティワーリー、ヴィドゥシー・メヘラー、サミール・マロートラー、アヌラーダー・パテール、ユーリー、MKラーイナー、マスード・アクタル
備考:サティヤム・ネルー・プレイスで鑑賞。

左から、アルノーダイ・スィン、リサ・ハイドン、イーラー・ドゥベー、
ソーナム・カプール、アバイ・デーオール、アムリター・プリー、
サイラス・サーフーカル

あらすじ
 富裕層の家庭に生まれ、デリーの上流社会を満喫していたアーイシャー・カプール(ソーナム・カプール)は、動物愛護、チャリティー、絵画、料理、ガーデニング、ヨーガなど、様々な活動に携わっていた。同じく上流階級に属する幼馴染みのピンキー・ボース(イーラー・ドゥベー)とは大の親友で、常に行動を共にしていた。最近アーイシャーが始めたのはイベントマネージャーで、特にお似合いのカップルを結婚させることに熱中していた。とりあえず、亡き母の代わりに可愛がってくれていた叔母のチトラ(アヌラーダー・パテール)を、スィン大佐(ユーリー)と結婚させることに成功した。

 アーイシャーにはアーリヤー(ヴィドゥシー・メヘラー)という姉がいたが、カラン・バルマン(サミール・マロートラー)と結婚し、ムンバイーに住んでいた。現在アーリヤーは妊娠中だった。そのカランの弟がアルジュン・バルマン(アバイ・デーオール)で、アーリヤーの幼馴染みでもあった。銀行に勤めており、世界中を飛び回っていたが、最近ロンドンからデリーにやって来て、滞在していた。アルジュンは唯一アーイシャーに意見できる人物であった。アルジュンは最近、アールティー・メーナン(リサ・ハイドン)というニューヨーク生まれのインド系女性と付き合っており、彼女はデリーにも来ていた。また、アーイシャーはスィン大佐の養子ドルヴ(アルノーダイ・スィン)がデリーに戻って来ていることを知る。幼少時はひ弱な本の虫だったドルヴは、しばらく見ない間にホットな男となっていた。

 アーイシャーは、ハリヤーナー州バハードゥルガルから結婚相手を探しにデリーにやって来た田舎娘シファーリー・タークル(アムリター・プリー)を、大手製菓チェーン経営者の御曹司ランディール・ガンビール(サイラス・サーフーカル)とくっつけようとしていた。シファーリーは偶然、幼馴染みのサウラブ・ラーンバー(アーナンド・ティワーリー)と出会い、彼からプロポーズを受けるが、アーイシャーは中産階級に属するサウラブを好まず、断るように言う。アルジュンは、他人の恋愛や結婚に干渉するアーイシャーを事あるごとにたしなめていたが、アーイシャーは聞く耳を持たなかった。アーイシャーは、シファーリーとランディールのカップル成立を目指して様々な策を弄するが、ランディールは実はアーイシャーのことが好きで、皆で出掛けたキャンプで彼女はプロポーズをされてしまう。当然、アーイシャーはそのプロポーズを蹴っ飛ばす。それを聞いたシファーリーもしばらくショックから抜け出せなくなる。

 アーイシャーに振られたランディールは、ピンキーと心を通い合わせるようになり、すぐに婚約を結んでしまう。アーイシャーは、自分に何も言わずにピンキーがランディールと婚約したことに腹を立てるが、ピンキーも彼女の独善的な態度が気に入らず、2人は決裂してしまう。

 アーリヤーが出産することになり、アーイシャーはシファーリーやドルヴと共にムンバイーを訪れる。後からアルジュンやアールティーもムンバイーにやって来て、生まれたばかりの赤ちゃんと対面する。そこでアーイシャーは今度はシファーリーとドルヴをくっつけようとするが、やはりうまく行かず、なぜかドルヴとアールティーがくっついてしまい、シファーリーはアルジュンに完全に恋してしまう。シファーリーは、それを「似合わない」と否定するアーイシャーに激怒し、彼女の元を去って行く。一連の事件を経て、アーイシャーは一人ぼっちになる。一応ピンキーとは仲直りしたものの、心は晴れなかった。また、アーイシャーは父親(MKラーイナー)の計らいで、ムンバイーで働くことになる。

 ドルヴとアールティーの婚約式が行われている中、アーイシャーは深夜一人で沈んでいた。今や完全にアーイシャーはアルジュンに恋していたことを自覚する。それを見て激励する父親に後押しされたアーイシャーは、勇気を振り絞って婚約式に乗り込み、壇上から招待客の中にいるだろうアルジュンに向けて、愛情を吐露する。ところがそれは違う新郎新婦の会場で、大恥をかいてしまう。

 もはや勇気を失ったアーイシャーはトイレで大泣きする。だが、そこへシファーリーが訪れる。シファーリーは、会場でアーイシャーを見つけ、彼女を追って来ていたのだった。彼女はアーイシャーのスピーチも聞いていた。だが、シファーリーは「一度見つけた愛は手放さないように」とだけ言い残して去って行く。

 夜、家に帰ったアーイシャーは、突然アルジュンの訪問を受ける。アルジュンは、アーイシャーがムンバイーへ行くことを知って駆けつけて来たのだった。彼はアーイシャーのスピーチをシファーリーから聞いたようで、自分もアーイシャーのことがずっと好きだったと告白する。また、シファーリーはサウラブと結婚することになった。

 こうして、アーイシャーとアルジュン、ピンキーとランディール、アールティーとドルヴ、シファーリーとサウラヴの4組の結婚式が同時に行われた。

 ヒロインの名前が題名になっていること、ジェーン・オースティンの小説が原作になっていること、ファッショナブルなパブリシティーなどからも察せられるように、インド映画では珍しい、女性向けの女性中心映画であった。ここまで極度に女性をターゲットにしたヒンディー語映画は、ゴージャスなファッション界を舞台にした「Fashion」(2008年)以来であろう。アバイ・デーオール演じるアルジュンをはじめ、男性登場人物も数人出て来るが、彼らはストーリーの中核ではなく、人物描写も甘くて、完全に隅に追いやられている。主人公は完全にソーナム・カプール演じるアーイシャーをはじめとした女性陣である。そういう意味で、女性観客からの方が好意的な反応が多そうな映画だと言える。

 しかし、敢えて中性的な立場からこの映画を理解し評価しようと努力しても、主人公アーイシャーの行動には全く感情移入できなかった。人を階級で差別し、父親のクレジットカードを使って贅沢三昧をし、趣味の延長線上で色々な「社会活動」に手を出し、自分がお似合いだと思ったカップルを、本人の意志と関係なく意地でも成立させようとする強引な性格で、こんなに卑劣な人間はいない。もちろんそんな彼女でも最後には反省するのだが、それまでの言動から、彼女の幸せを祈る気持ちは完全に失せているため、最後にアルジュンと結ばれるシーンも手放しで受け容れることができない。

 それと関連し、アーイシャーが他人の披露宴でアルジュンに愛の告白をしてから、シファーリーとの会話を介して、アルジュンがアーイシャーに告白するまでの流れも、ストーリーの一番重要な部分でありながら、端折って描写されていたように感じた。特にシファーリーの気持ちが無視されてしまっている。最終的にサウラブと結婚することに決めたシファーリーであったが、そのセッティングをアルジュンが行ったと会話で述べられていただけである。シファーリーとサウラブの結婚の最大の障害となったのはアーイシャーなのだから、罪滅ぼしに彼女が何か行動しなければならなかった。

 劇中で、チトラの台詞として、「恋愛は台風のようにやって来るものではない。台風が地形を全く変えてしまうように、人生を全く変えてしまうものではない。恋愛はそこにあるもので、いつしか気付くもの」というような言葉があったが、これが「Aisha」の核心的メッセージと言っていいだろう。200年前の英国の小説が原作となっているが、こういう恋愛の在り方が明確に描かれるようになったのは「Jaane Tu... Ya Jaane Na」(2008年)辺りで、ヒンディー語映画の最新トレンドに乗っていると言える。

 原作「エマ」のプロットをインドに当てはめただけかもしれないが、デリーの上流社会の様子が描かれていたのは、ムンバイーを本拠地とするヒンディー語映画では珍しく、デリー在住者としてこの映画を多少贔屓目に見る要素となった。ポロ観戦、ファームハウスでのパーティー、五つ星ホテルでの結婚式、絵画展、デザイナーズ・ブティックでのショッピング、リシケーシュでのラフティング・ツアーなど、デリーのスノッブな若者たちの日常を垣間見ることができる。また、コンノート・プレイス、プラーナー・キラー、DLFエンポリオ、ディフェンス・コロニー、グレーター・カイラーシュなど、デリーに住んでいればお馴染みの場所や地名がいくつか劇中に登場するため、デリー在住者は特に楽しめることだろう。

 「Aisha」ではファッション性がかなり追求されており、特に有名ブランドが軒を連ねるヴァサント・クンジの高級モール、DLFエンポリオでのショッピング・シーンは圧巻であった。美容やメイクなどにもわざわざブランドの広告を兼ねてシーンが費やされており、いかにも女性向け映画という感じがした。

 自分の中でソーナム・カプールの評価はかなり分かれている。前作「I Hate Luv Storys」(2010年)の映画評では彼女の演技を酷評した。今回は、共感しにくい役で、役柄が良くなかったものの、全体的に朗らかな演技をしていて概して好印象であった。しかし、クライマックスでアルジュンに告白されたときの「リアリー?」という台詞が何とも気の抜けたもので、一気にガクッと来た。「I Hate Luv Storys」でも、同様にクライマックスで間抜けな演技をしていたので酷評したのだが、これは一体何なのだろうか?他にも時々台詞に感情がこもっていないことがあり、これは演技なのか地なのか、今のところ評価し切れずにいる。しかし、スター女優としてのオーラは十分備えており、今後ますます重要な地位を占めて行くことになるだろう。

 アルジュン役のアバイ・デーオールは、ハトケ(一般とは違った)映画の常連となっているが、今回はヒロイン中心映画のヒーローとして、サポート役に徹していた。だが、所々でしっかりと演技をしていて良かった。

 脇役陣は特筆すべき俳優が多い。ピンキーを演じたイーラー・ドゥベーは、愛すべきおばさん女優リレット・ドゥベーの娘で、同じく女優デビューしているネーハー・ドゥベーの妹。アールティーを演じたリサ・ハイドンは国際的スーパーモデルで本作が映画デビュー作となる。アルノーダイ・スィンは、国民会議派のベテラン政治家アルジュン・スィンの孫で、「Sikandar」(2009年)に続いて2作目。シファーリーを演じたアムリター・プリーは見たところ特別なバックグランドはないようだが、彼女も本作でデビューとなる。脇役女優として大成しそうだ。

 映画の出来には議論の余地があるが、奇才アミト・トリヴェーディーの音楽は最高に素晴らしい。「Dev. D」のヒット曲「Emosanal Attyachar」の再来的な「Gal Mitthi Mitthi」は今年の結婚式で流行しそうなダンスナンバーだし、アコースティックギターの音が心地よい弾き語り曲「Sham」も良い。他にもアーイシャーの性格をよく表現したタイトル曲「Aisha」や「By The Way」、フラメンコ風「Behke Behke」など、アミト・トリヴェーディーらしいバラエティーに富んだ構成となっている。「Aisha」のサントラCDは買いである。

 アニル・カプール一家渾身の「Aisha」は、ヒンディー語映画界で台頭しつつあるガールズ映画の代表格だ。ジェーン・オースティンの「エマ」を原作とした、女性視点からのロマンス映画で、ファッショナブルな演出も手伝って、女性に大いに受けそうな作品である。主人公には全く感情移入できなかったが、「Jaane Tu... Ya Jaane Na」的な、都市在住の若者中心のスマッシュヒットになるのではないかと思う。

8月7日(土) インドの英語新聞の弱点

 日本ではほとんど新聞を読む習慣がなかったのだが、インドに来てからは、日本と比較して価格が馬鹿みたいに安いこともあり、3紙を定期購読している。日本は新聞の値段が高すぎると思う。1部10円くらいにすべきだ。しかしインドは、国土が広く問題が山積していることもあり、日本と違って細かいことでグチグチ言っている暇がないくらい次々と色々な事件が起きるので、新聞を読むのが楽しい。ジャーナリストもそういう意味ではインドの方がやりがいがあるかもしれない。

 それはともかく、定期購読している3紙の新聞の内、2紙は英語新聞、1紙はヒンディー語新聞である。ほとんどの場合、英語新聞はザ・ヒンドゥー紙とタイムズ・オブ・インディア紙、ヒンディー語紙はヒンドゥスターン紙を読んでいる。時々、新聞配達屋の都合で別の新聞が紛れ込むこともある。本当はクオリティー紙として評判の高いインディアン・エクスプレス紙やジャン・サッター紙なども読んだ方がいいのだが、ただでさえ3紙をじっくり読むだけで半日が終わってしまうので、これだけに留めている。

 英語新聞とヒンディー語新聞を比較しながら読むのはひとつの楽しみであり、ヒンディー語をマスターした者の特権だと思っている。日本の報道関係者の中には、インドの情報収集のためには英語の情報源だけで十分だと考えたり、インドの全ての言語から情報を集めるのは不可能なので必然的に英語に頼ることになると諦めたり、そもそも連邦公用語であるヒンディー語のニュースを重視していない人もいるようだが、主に言語からインドに入った者の立場として、そういう考えは間違いだと主張し続けていかなければならないと使命を感じてる。

 英語新聞とヒンディー語新聞を見比べてみて、大きく異なるのは一面に来る記事の種類である。英語新聞は、国際的に大きな事件が起こった場合、それを一面に持って来ることが多いが、ヒンディー語紙は必ずしもそうではない。一方、ヒンディー語紙では、物価の上昇や生活必需品の値上げなど、生活に密着したニュースが一面に来る傾向にある。これは読者層の違いを反映していると言える。また、ヒンディー語紙の方が宗教関連のニュースが豊富で、インドの文化に興味のある外国人にとっては勉強になる情報が多い。「今週の断食日」みたいな情報まで事細かく掲載されていることが多いので、特に断食を日課とする主婦層には受けがいいことだろう。

 しかし、英語新聞の最大の弱点は、英語媒体であるが故に、常に外国人の目を意識していることにあると薄々感じている。英語で流したニュースは、インド滞在中の外国人のみならず、インターネット社会の現代では、世界中の人々に、瞬時にかつ容易に読まれることになる。だから、外国人に知られてはまずいような情報について、英語新聞のペンの力は、自然と、または故意に、弱まるのである。一方、ヒンディー語新聞は、外国人がヒンディー語の新聞を読むことは通常ないという前提の下、かなり自由奔放に、かつ深く、記述をすることができているように感じる。他のローカル言語新聞ではさらにその傾向が強まっているかもしれないが、僕が読んでいるのはヒンディー語紙のみ(時々ウルドゥー語紙にも目を通すが)であるため、そこまで踏み込んだ発言は控えておく。

 例えば、現在デリー周辺で大きな問題となっている名誉殺人やカープ・パンチャーヤトによる集団的私刑(参照)も、より早くより大々的に取り上げていたのはヒンディー語紙の方であった。

 インドでは伝統的に、以下の5つの項目に関する研究を外国人研究者が行うのを嫌がると言われている。嫌がるというのはつまり、研究者ヴィザを発給しないということである。
  1. 部族の研究(部族の人々や部族エリアについての研究)
  2. インドに接する国境の地域研究
  3. 国防志向研究
  4. 人口成長と人口政策の研究
  5. チベット研究
 これらの他にもインドにはカースト問題や貧困問題など、外国人が安易に触れることをインド政府が好ましく思わない問題は多い。そしてそれは学究的分野のみならず、報道分野にも関連して来ることは容易に想像できる。最近日本の某テレビ局のデリー支局長がヴィザ延長をインド政府から却下されたことが日本でもニュースになっていたが、それもインドのタブーに触れる報道を行ったことが原因だと考えられている。これと同様の監視の目は、インド国内の英語新聞にも向けられているように感じる。

 ところで、8月7日付けのヒンドゥスターン紙に、こんな見出しの記事が掲載されていた――「लेह में सामरिक महत्व का पुल बहा(レーで軍事的に重要な橋が流された)」。ラダックで6日未明に発生した集中豪雨と、それに伴う土砂崩れや洪水に関するニュースである。以下、その内容の全文を和訳する。

 レーにおいて集中豪雨によって引き起こされた洪水により、軍事的観点から非常に重要なニム橋が流されてしまった。このため、レーからカルギルに駐屯中の兵士たちに陸路で食料や物資を送ることが不可能となっている。この橋が流されたことは、軍隊にとって非常に大きな衝撃だと考えられている。ニューデリーで行われたある重要な会議において、ニム橋の即座の再建が最優先されることが決まった。工兵部隊2連隊がこの任務のために派遣された。ニム橋は、ニムを一方でレーと、もう一方でカルギルと結んでいる。悪天候のため空路で食料を送ることも困難となっている。

NH1Dの3ヶ所が流された:この他、シュリーナガル~カルギル~レーを結ぶ国道1D号線において、重要な部分3ヶ所が洪水により完全に流されてしまった。これにより軍は大変困惑している。ウーダムプルの軍司令部長BSジャームワール中将は、指揮下にある第14部隊の隊長SKスィン中将に、救援活動を自ら指揮するように命令を下した。

第15ビハール部隊員と第8ラージャスターン・ライフル部隊の兵士たちが行方不明:情報源によると、土砂崩れと洪水のために、軍の第15ビハール部隊と第8ラージャスターン・ライフル部隊の兵士たち40人が行方不明となった。この兵士たちは、ラダックのチェルンカ・アクシスの近くのスタリにいた。情報源によると、レーで1名の兵士が死亡したことが確認された。行方不明となった兵士たちの捜索が行われている。夕暮れまで悪天候が続いたため、救援活動に支障が出ているが、レーや周辺地域に駐屯中の兵士たちは、深刻な泥や瓦礫の中で、できる限りの救援活動を行っている。

DRDO実験場が崩壊:この間、国防研究開発機関(DRDO)の実験場、高標高地国防研究所も完全に崩壊した。この実験場はレーやラダックの環境やそれに関する事柄について研究をしている。実験場の多くの支所も土砂崩れや洪水によって流されてしまった。主要実験場も大きな損害を被り、瓦礫の山となっている。

レーのコロニーがひとつ完全に消滅:情報源によると、レーのひとつのコロニーが完全に消滅し、ここにはおよそ100人が埋まっている恐れがある。国防省報道官によると、災害によって負傷した400人の市民は、市民病院が瓦礫で埋まってしまったために、軍の臨時病院に搬送された。国防長官プラディープ・クマールが州政府と連絡を取り合っている。

 ラダック地方はパーキスターンと中国に隣接する軍事的要衝である。今のところ、ラダック地方を陸路で結んでいるのは、シュリーナガル~カルギル~レーの道と、レー~ケーロン~マナーリーの道のみである。特にシュリーナガル~カルギル~レーの道は、パーキスターンとの暫定国境線であるライン・オブ・コントロール(LoC)と平行して走っており、軍事的に最重要のエリアとなっている。ラダック地方で発生した土砂崩れと洪水の被害は、ラダックの主都レー周辺に広がっており、上記の2つの陸路のみならず、空港まで使用不能としてしまっているが、軍にとっては、特にこのシュリーナガル~カルギル~レーの道が通行不可となったことで、大打撃となっているのである。この災害のニュースは至る所で大々的に流されているが、ここまで詳細に軍の被害や動向について書いた記事は、現在のところ、どの英語新聞にもなかった。ヒンドゥスターン紙の姉妹紙である英語新聞ヒンドゥスターン・タイムズも確認してみたが、このラダックの災害自体の記事はあったものの、上記の軍事関連の記事は見当たらなかった。やはりセンシティブなエリアにおける国防に関する情報を含むため、英語新聞では流せなかったのだと思われる。これが自主規制の結果なのか、それとも何らかの政府の検閲が入った結果のか、それは不明である。一応、英語新聞の弱点の端的な例として、ここに記録しておく。

 これと関連して思い出されるのは、2008年11月26日のムンバイー同時テロ事件である。あのときはテレビ局がこぞって現場から事件の展開をリアルタイムで生中継したため、テロリスト鎮圧に乗り出した治安部隊の一挙手一投足がテロリストに知られてしまい、大きな問題となった。あのとき国防に直結する事件への報道の在り方について議論が行われていたが、それがその後のインドのジャーナリズムに大きな影響を与えているのかもしれない。もっとも、ヒンディー語新聞のみで上記のような軍事関連記事が掲載されたのは記事選択や編集過程の中で起こった単なる偶然かもしれないし、本当に重要な軍事機密情報は報道もされないであろう。

 実は、今回大災害に遭ったラダック地方には、今年5月にマナーリー経由でバイクで行こうとしたのだが、天候不順のためにまだ途中に雪が大量に残っており、引き返した経緯がある(参照)。あのときから、「今年の天候は何だか変だ」と地元の人も口々に言っていたのだが、その不安がこのような大災害となって現実のものとなったことには驚かざるをえない。まだ死者数は確定していないが、既に100人を越えている。今回の洪水と土砂崩れでラダックの貴重な文化遺産のいくつかも損害を被ったと聞く。大ヒットしたヒンディー語映画「3 Idiots」(2009年)に出て来た「ランチョーの学校」も例外ではないらしい。ラダック行き再挑戦を狙っていたのだが、今年はもう無理かもしれない。

8月13日(金) Peepli [Live]

 「3 Idiots」(2009年)を当て、飛ぶ鳥を落とす勢いのアーミル・カーンが、妻キラン・ラーオと共にプロデュースした新作ヒンディー語映画「Peepli [Live]」が、独立記念日(8月15日)週間の本日より満を持して公開された。今回はアーミル・カーンの出演がないばかりか、他のスターキャストすらなく、しかも低予算の映画なのだが、事前にその音楽や予告編が大きな話題を呼んでいた。今年、個人的に非常に楽しみにしていた映画の1本。主要テーマは農民の自殺問題だが、それだけに留まらない、インドの様々な問題を風刺した作品である。監督は、NDTVなどでテレビ番組の制作に携わった経験があるものの、今回が映画監督デビュー作となるアヌシャー・リズヴィーである。



題名:Peepli [Live]
読み:ピープリー・ライブ
意味:ピープリー村より生中継中
邦題:ピープリー[ライブ]

監督:アヌシャー・リズヴィー(新人)
制作:アーミル・カーン、キラン・ラーオ
音楽:インディアン・オーシャン、ブリジ・マンダル・バドワーイー、ナギーン・タンヴィール
歌詞:サンジーヴ・シャルマー、スワーナンド・キルキレー、ブリジ・マンダル・バドワーイー、ヌーン・ミーム・ラシード、ガンガーラーム・サケート
出演:オームカル・ダース・マニクプリー(新人)、ラグヴィール・ヤーダヴ、ファルーク・ジャファル、シャーリニー・ヴァツァー(新人)、ナワーズッディーン・スィッディーキー、ヴィシャールOシャルマー(新人)、マライカー・シノイ、スィーターラーム・パンチャル、ジュガル・キショール、ナスィールッディーン・シャー、パルル(新人)、ゴールー(新人)、デーヴェーン(新人)
備考:PVRプリヤーで鑑賞。

ラグヴィール・ヤーダヴ(左から2人目)、
オームカル・ダース・マニクプリー(中央)、
シャーリニー・ヴァツァー(右から2番目)、ファルーク・ジャファル(右隅)など

あらすじ
 ムキヤ・プラデーシュ州(架空の州)州議会の再選挙が近付いていた。物語の舞台となるピープリー村は、ラーム・ヤーダヴ州首相(ジュガル・キショール)の選挙区内に位置していた。

 ピープリー村に住む貧しい農民、ブディヤー(ラグヴィール・ヤーダヴ)とナッター(オームカル・ダース・マニクプリー)の兄弟は、銀行から借りた借金が返せず、担保にした土地を公売に掛けられそうになっていた。そんなとき、ブディヤーは地主のバーイー・タークル(スィーターラーム・パンチャル)から、政府から自殺した農民の遺族に10万ルピーの補償金が支払われる制度を耳にし、自殺を決意する。だが、自分では自殺せず、弟のナッターを自殺させることにする。ブディヤーは独り身だった一方で、ナッターには妻ダニヤー(シャーリニー・ヴァツァー)と3人の子供がいたが、純朴な性格だったナッターは、つい兄の言うことを聞き入れてしまう。彼らは、未亡人の母親(ファルーク・ジャファル)と共に同居していた。

 偶然ピープリー村に別件で取材に訪れていた地元新聞の記者ラーケーシュ(ナワーズッディーン・スィッディーキー)がナッターの自殺計画を取り上げたことで、この出来事は瞬く間に政府やメディアの注目を集めることとなる。ナッターの家には、英語ニュース局のリポーター、ナンディター・マリク(マライカー・シノイ)やヒンディー語ニュース局のリポーター、クマール・ディーパク(ヴィシャールOシャルマー)をはじめとして、国中から報道関係者が集まり、ナッターの自殺を生中継するため、今か今かとそのときを待つようになった。退屈な寒村に突然群衆が押し寄せたことで、ピープリー村はお祭り騒ぎとなる。役人もナッターの家を訪れ、自殺を思い留まらせるために井戸ポンプを贈与したりもした。ナッターの身辺警護のために、大量の警察官も動員された。さらに、選挙が近いこともあり、その上、ピープリー村が州首相の選挙区内であることもあり、政治家も大挙してナッターの家を訪れた。遂には州首相までナッターの家を訪れ、ナッターに10万ルピーを支給することを宣言して騒動の終息を図るが、選挙法違反の疑いで却下されてしまい、再びナッターの自殺問題は振り出しに戻ってしまう。ムキヤ・プラデーシュ州の州政府与党と、中央政府の与党がライバル同士だったこともあり、中央政府のサリーム・キドワーイー農相(ナスィールッディーン・シャー)はこの問題を政治的に利用もしていた。一方で、農業省の官僚は裁判所に責任を転嫁し、我関せずの態度を取っていた。

 予想以上の大騒動になってしまったことで、ナッターは全く自殺をする意欲がなくなってしまう。だが、ブディヤーがそれを許さなかったし、集まったメディアも事件の「結末」を求めていた。

 ところが、ある日突然、ナッターが行方不明になってしまう。メディアも警察も大わらわとなり、あちこち探し回るが見つからない。だが、実はナッターはバーイー・タークルの手下たちによって監禁されていた。バーイー・タークルはナッターをキドワーイー農相に売って利益を得ようとするが、キドワーイー農相の方が一枚上手で、ラーム・ヤーダヴ州首相に連絡をし、政治的に恩を売る。ナッターの居所が分かったことで動きやすくなった州首相はピープリーで記者会見を開くことを決める。

 一方、ラーケーシュは独自にナッターの居所を突き止めていた。ラーケーシュはナンディターに連絡をし、彼が監禁されていた倉庫に呼び寄せる。州首相の記者会見取材のために会場に来ていたナンディターは、こっそり会場を後にするが、それに勘付いた他の報道関係者たちも後に続く。ナッター監禁場所の暗闇の中で、ナッターを連れに来た役人とバーイー・タークルの部下たちと報道関係者たちが鉢合わせしてしまい、一騒動起きる。その混乱の中で爆発が起こり、ラーケーシュが焼死してしまう。実はナッターは間一髪で逃げ出していたのだが、その焼死体がナッターのものだということになってしまう。「結末」が出来たことで報道関係者たちは満足して次々と帰って行った。

 3ヶ月が経った。結局、ブディヤーたちは政府から補償金をもらえなかった。なぜならナッターは自殺ではなく事故で死んだからである。ナッターの事件を機に発表された貧困対策パッケージも彼らには届かなかった。一方、村を逃げ出したナッターは、都市部の工事現場で働く労働者となっていた。

 上映時間100分ほどの、インド映画では短い部類に入る映画であった。だが、その中にどれほど多くのメッセージが込められていたことか。物語の核は、借金を負い、土地を手放さざるをえなくなった貧しい農民の最後の賭け――自殺をして10万ルピーの補償金を手に入れること――が引き起こす騒動である。その騒動は、貪欲に高視聴率のネタを求めるTVニュース番組間の競争のおかげで、舞台となるピープリー村のみならず、州政府、やがては中央政府までも無視できないレベルまで拡大する。「Peepli [Live]」はその様子を滑稽にかつ活き活きと描き出していた。

 しかし、この作品はそれだけに留まらない。農民の自殺宣言が引き起こす騒動が幹だとしたら、インドの様々な問題が枝葉となって各方面に広がり、物語を肉付けしており、現代インドが抱える諸問題が非常に巧妙に指摘されていた。もっとも大きなメッセージは何と言っても都市と農村の格差拡大であろう。この映画を少しでも見れば、インドの都市と農村で全く次元の異なった世界が平行して展開されていることを痛感するだろう。同じインド人でありながら、都市在住のインド人と農村在住のインド人では、全く別の人種か、または全く別の時代を生きているかのようだ。そればかりでなく、都市在住のインド人は農村在住のインド人の問題を全く理解しておらず、主人公ナッターの自殺問題ですらひとつのストーリーとしてしか捉えられていない。また、ナッター問題で盛り上がっているときにピープリー村では1人の老人ホーリー・メヘトーが過労死する。ホーリーもナッターと同様の問題を抱えた貧しい農民であったが、集まった報道関係者はナッターの動向のみに関心を抱いており、彼のことなど誰も見向きもしない。なぜなら視聴者はナッターを求めており、それ以外の農民のことなど何の視聴率の足しにもならないからである。最後のシーンで、自殺し切れずに村を逃げ出したナッターは、都会(おそらくデリー)において、「ラグジュアリー・ライフ」を謳った高層マンションの工事現場で労働者として働いていたが、これも都会の華々しい「ラグジュアリー・ライフ」が、どれだけの農民たちの不幸の上に成り立っているのかを強烈に問い掛けている。現在、デリーでは英連邦スポーツ大会(CWG)の準備のためにあちこちで急ピッチで工事が行われている。当然、多くの労働者がそこで働いている。グルガーオンやノイダなどの衛星都市群では、雨後の竹の子のように富裕層のための高層マンションが建設中である。やはりそこでも田舎から出稼ぎにやって来た労働者たちが汗水たらして働いている。それを思うと、この「Peepli [Live]」の結末は、涙なしには見られなかった。そして、この映画を見終わった後に無性にこみ上げてきた涙は、現実に直結する厄介な涙であり、通常のインド映画から来る涙とは違った種類のものであった。

 ところで、上では「都市在住のインド人」と一括りに囲ってしまったが、劇中でそれを代表するのは、ニュース番組の報道関係者と、州政府や中央政府の政治家や役人であり、実際には都市在住の一般庶民は登場しない。それでも、ニュース番組の「視聴者」として、一般庶民は潜在的な存在感を持っている。それは、時々画面がテレビ画面を通したような映像になることからも分かる通りで、映画を鑑賞する観客自身を、都市に在住し、農村での本当は笑えない騒動を、まるでドラマのように楽しむ「視聴者」に仕立て上げる工夫がなされている。言わば、現実のニュースをドラマ化して楽しんでいる現実をドラマ化することで、より現実感溢れた作品となっており、娯楽映画ながらドキュメンタリー映画的な体験を観客に与えることに成功している。

 上で述べた都市と農村の格差において、もっとも重要な役割を果たすのは報道関係者であり、「Peepli [Live]」はメディアの在り方についても疑問を呈していた。インドのニュース番組の行き過ぎた視聴率至上主義は今までも「Rann」(2010年)などのヒンディー語映画で何度か批判にさらされて来たが、メディアの報道姿勢そのものへの疑問がもっともよく表れていたのが、ローカル新聞社の記者ラーケーシュと、デリーからやって来た英語ニュース局のリポーター、ナンディターとの考え方の違いである。都会の熾烈な報道合戦に毒されていないラーケーシュは、まだ死んでいないナッターの報道だけに熱中して、既に死んだホーリーのことをメディアが取り上げないことに疑問を感じるが、デリーからやって来たナンディターは、視聴者の関心を理由に、当然の如くそれを却下する。ナッターは今正に土地を失おうとしている農民であったが、ホーリーは既に土地を失い、土を売ってなけなしの金を稼いでいた貧困農民であった。もし農村の貧困問題の本質を一般に知らせるのが使命ならば、ナッターよりもホーリーのニュースの方がふさわしい。だが、そんなことに関心を払う報道関係者は1人もいなかった。報道合戦の末に、行方不明となったナッターが最後に確認された場所に残された大便の残骸を巡って速報が流される始末。最高にブラックなジョークであった。そしてナッターが「焼死」した後、次々に村を去って行くメディアたち。その後に現場に残されたのは、大量のゴミであった。まるで農村に嵐のように現れた都会。そのシーンも酷く印象的で、何とも言えない嫌悪感が沸き起こった。

 また、英語ニュース局とヒンディー語ニュース局の間のライバル意識も劇中で少しだけ触れられており、興味深かった。ヒンディー語ニュース局のクマールはは「英語のニュースなんて誰も見ていない。一般庶民が見ているのはヒンディー語のニュース」と発言する一方で、英語ニュース局のナンディターは、洗練されていないヒンディー語ニュース局のスタッフを鼻から見下していた。

 もうひとつ重要なテーマだったのは、政府が貧しい農民のために打ち出す数々のヨージュナー(制度)の杜撰さである。書類の上では貧しい農民たちを助けるために様々なバラ色の制度が用意されているが、それらは結局本当に必要とする人々に届いていない。借金苦の末に自殺を宣言したナッターを救うためのヨージュナーはとりあえず州政府の手元にはなく、この問題とは何ら脈絡のない井戸のポンプ(「ラールバハードゥル」と呼ばれていた)を贈ることぐらいが精一杯であったし、最終的に死んだとされたナッターの遺族に政府からの補償金が渡ることもなかった。中央政府が勝手に立ち上げて、その施行を州政府に丸投げしたようなヨージュナーもあり、それらは中央と州の政治闘争の駒になったりもしていた。当然、政治家や官僚の怠慢やエゴも劇中では効果的に描写されていた。

 映画の脚本は、アヌシャー・リズヴィー監督自身の手によるオリジナルであるが、ストーリーを概観すると、ヒンディー語文学の巨匠ムンシー・プレームチャンドの不朽の名作「ゴーダーン(牛供養)」を想起せざるをえない。1936年に出版された長編小説「ゴーダーン」は、牛を飼うことを夢見ていた貧しい農民が、借金に次ぐ借金や社会的抑圧に苦しんだ挙げ句に土地を失って労働者に転落し、炎天下の重労働で過労死するまでを描いた作品である。「Peepli [Live]」は現代を舞台にしてはいるものの、「ゴーダーン」の雰囲気がよく再現された作品で、正に「現代のゴーダーン」と言える。しかも「ゴーダーン」の主人公の名前はホーリー・メヘトー。ちょうど「Peepli [Live]」で過労死した老人の名前もホーリー・メヘトーであった。また、「ゴーダーン」の中でホーリーの妻の名前はダニヤーであるが、「Peepli [Live]」ではナッターの妻の名前がダニヤーになっており、偶然とは思えない一致を感じた。「ゴーダーン」では町と村の話が交互に進んで行き、貧しい農民がどうあがいても貧困から抜け出せないようになっている社会のシステム全体をあぶり出す努力が払われているが、その手法も、「Peepli [Live]」で滑稽に取り上げられた、都市と農村の奇妙な接触に受け継がれているように感じた。

 「Peepli [Live]」の巧みなところは、これらの問題を、言葉でもって明確に提起し、批判するのではなく、物語の自然な流れの中で、観客に自然に問題意識を芽生えさせていたところである。これだけに留まらず、おそらく見る人によってさらに様々な感想が得られる作品であろう。それだけでも、「Peepli [Live]」が優れた映画である証拠だと言える。

 映画に出演している俳優たちのほとんどは、ヒンディー語映画界では無名の人物ばかりである。名優ナスィールッディーン・シャーを除けば、ブディヤーを演じたラグヴィール・ヤーダヴぐらいがかろうじて名の知れた俳優だと言える。俳優の多くは、インドを代表する劇作家、故ハビーブ・タンヴィール氏が立ち上げた劇団ナヤー・シアターに所属している。主人公のナッターを演じたオームカル・ダース・マニクプリーもナヤー・シアターの一員である。元々ナッター役はアーミル・カーンが演じる予定だったらしいのだが、オーディションに来たオームカルを見て、アーミル自身が演じるよりもオームカルの方がナッター役にふさわしいと判断し、アーミルは完全にプロデューサーとして裏方に回ったと言う。ナヤー・シアターは、地元の素人俳優を起用し、市場などで野外上演するスタイルを確立した劇団であり、そのノウハウが「Peepli [Live]」にも活かされていた。特に、ピープリー村にメーラー(祭り)が出現するシーンは、ナヤー・シアターの得意とする民俗芸能溢れるカラフルな演劇スタイルを想起させた。

 劇中ではムキヤ・プラデーシュ州という架空の州が登場するが、これはマディヤ・プラデーシュ州のもじりと考えていいだろう。映画の大部分は、マディヤ・プラデーシュ州ラーイセーン県のバドワーイー村で撮影された。州都ボーパールから70kmほどの地点にある村のようである。水道はおろか、ちゃんとした道路もないような正真正銘の農村で(さすがに電気はあった)、村人たちの多くが映画にエキストラ出演している。ナッターの3人の子供もバドワーイー村在住の子供のようである。また、冒頭のシーンで登場するテンポ(乗り合いタクシー)も実際に村で走っているものだ。おかげで非常にリアルな村の風景がスクリーン上でも再現されており、ここ最近のボリウッドにおける都会志向映画の群れの中で異色を放っている。また、今年は「Ishqiyaa」、「Well Done Abba」、「The Japanese Wife」、「Raavan」、「Red Alert」など、インドの農村部を舞台にした映画の公開も続いているのであるが、その中でも「Peepli [Live]」は段違いのリアルさを誇っていると言える。

 「Peepli [Live]」は音楽も素晴らしい。特に公開前からセンセーションを巻き起こしているのが、「Mehngai Dayain(インフレ魔女)」である。バドワーイー村の楽士たちがたまたま演奏していたのを監督が耳にして気に入り、一応撮影しておいたのだが、編集の段階で映画の中に自然にはまる場所が出来たために挿入したという逸話がある。折からインドではすさまじいインフレが続いており、庶民の生活は困窮している。そこにタイミングよくインフレを風刺する曲が飛び出て来たものだから、人々の心をガッチリと捉えたという訳である。方言丸出しの素朴な演奏だが、今までのボリウッド映画にないリアルな曲で、映画の雰囲気ともピッタリ合っている。その他、「♪オイラの国はカラフルだべ、旦那~」という歌詞で始まるインディアン・オーシャンの「Des Mera」も冒頭や中盤で効果的に使われており、映画を盛り上げていた。

 言語は3層構造である。ひとつは村人たちの話す方言系のヒンディー語。ボーパール周辺の方言であろうか。手加減なしのリアルな方言であるため、非常に聴き取りが困難である。特に寝た切りお婆さんの話す台詞はほとんど理解できなかった。ふたつめはヒンディー語ニュース局のレポーターや中央政府の人間などが話す標準ヒンディー語である。これは、多少ニュース番組特有の言い回しがあったりもするが、聴き取りはそう困難ではない。みっつめは英語ニュース局のレポーターや中央政府の人間などが話す英語である。特に方言と英語の落差は激しく、都市と農村の格差をよく表していた。全体として、台詞のひとつひとつを理解するのには、方言が台詞の大部分を占めるため、かなり困難な部類の映画である。

 「Peepli [Live]」は、典型的な娯楽映画のフォーマットに則った作品ではないものの、滑稽さと悲哀さが入り交じった高度なレベルの感傷を観客に与えるよく出来た映画で、ヒンディー語映画の成熟をひしひしと感じさせる傑作の一本である。映画としても一級品であるし、社会風刺として捉えても色々考えさせられるものがあるし、ヒンディー語映画が今どんな進化を遂げているのかを知るのにも絶好の作品である。今年必見の一本だと断言したい。

8月14日(土) インド人取扱説明書

 8月12日付けのタイムズ・オブ・インディア紙に、「Be Patient with 'Touchy' Indians: UK advisory(短気でタッチーなインド人には辛抱強く:英国が勧告)」という記事が掲載されていた。2012年にロンドン五輪を控えた英国の観光エージェンシーVisitBritainが、国内の観光従事者に対し、世界の様々な国からの訪問客に対してどのように接したらいいのかを示したガイドラインを発表したが、その中にインド人も含まれており、「インド人は短気だ」「インド人は裕福な人ほど要求が厳しくぶっきらぼうである」「インド人は他人から触られるのを嫌がる」「インド人は英国の料理に懐疑的である」などと言ったことを書かれている、というちょっと自虐的な記事であった。デリーが開催まであと50日ちょっとまで迫った英連邦スポーツ大会のための工事に追われる中、英国は開催から2年も前にこんな高度なガイドラインを発行してますよ、という当てこすりも兼ねているのだが、やはりより大きな関心事は、インド人は世界の人にどう見られているのか、ということであろう。

 このガイドラインの詳細は、VisitBritainのマーケティング部門の方のウェブサイトで閲覧可能である。Insight & Statistic > Country Research > Asia Pacific > India >Market and Trade Profileと辿って行けば、「India - Marketing and Trade Profile」と題したPDFファイルをダウンロードできる。

 37ページに渡って様々な統計結果が並んでいるのだが、その中でも特に面白いのが第11章の「Understanding Indian Culture(インドの文化を理解する)」である。以下、いくつかピックアップしてみる。手取り足取りの親切さで、まるで日本の某旅行ガイドブックのように詳細なアドバイスである。しかし、インド人の特徴や習性をよく捉えており、「インド人取扱説明書」とも言える。
  • インド人は概して、個人としてのステータスよりもどのグループに属しているかで自分を定義する。人は特定の州、地域、町、家族、職業、宗教などに属すると考えられている。

  • インド人は、言葉であっても言葉でなくても、「ノー」と表現するのを好まない。相手をがっかりさせるよりは、例えば、何かがないと言うよりは、インド人は相手が聞きたいと考えた答えを返す。この振る舞いは不正直だと考えられるべきではない。インド人は、誰かに要求されたものを与える努力をしないと非常に失礼だとみなされてしまう。よって、インド人は否定的な答えをすることを好まない。インド人は肯定的な答えをするが、故意に特に内容のないことを言う。そういう場合、会合の正確な時間を決めたり、乗り気の反応をしたりするのをためらうなど、言葉に表れない合図を探す必要がある。

  • インド人観光客は口頭上の再確認と対面のやり取りを好む上に、印刷された情報を受け取ることを好む。インド人観光客は未だにパンフレットに極度に依存しており、家族はそれをもとにどこへ行くか考え決定する。今では多くの家庭にコンピューターがあるが、インターネットの大半は今でもオフィスで使用されており、家族の意志決定者や影響力のある人物にリアルタイムツアーを提供することは不可能である。

  • 礼儀正しく接することは重要である。インド人は怒りっぽく、旅程の修正などの事案に対しても怒る。インドでは規則はそれほど厳格ではなく、インド人観光客はそれが海外旅行中も適用できると考えている。

  • パッケージツアーのルート上にある欧州の都市やリゾートでは、インド料理レストランがどんどん出来ているが、それは、多くのインド人ツアー客が自分たちのシェフと共に旅行していることに対する反応である。インド人の、特に厳格な菜食主義者の好みに合う料理を出すことは非常に重要である。多くのインド人、特にグジャラート州やラージャスターン州出身の商人コミュニティーは、菜食主義者かつ絶対禁酒者で、比較的保守的である。インドのヒンドゥー教徒は牛肉を食べず、インドのイスラーム教徒は豚肉を食べない。調理の段階でも配膳の段階でも、非菜食主義的要素があってはならない。インド人は通常、注文の際にヴェジタリアン・メニューが充実していることを好む。多くのインド人はヨーロッパや英国のヴェジタリアン料理を食べることを嫌がらないが、3回か4回に1回はインド料理を食べたがる。

  • インド人は紅茶かコーヒーを好む。紅茶は普通、朝か午後5時頃に飲まれる。夕食時間は通常遅く、午後9時前ではないことがほとんどである。アルコールを飲むインド人の間では、ウイスキー、ビール、ウォッカ、ラムが人気である。

  • インド人観光客の多くは、裕福になり、自信を持ち、ライフスタイルが改善されたことにより、友人や親戚の家よりもホテルに泊まることを好むようになって来た。部屋と部屋がつながった構造になっている家族部屋が重要で、常に要求される。

  • インド人消費者は金額に値する価値を求め、宿泊費を節約して他のことに使う傾向がある。

  • インド人は価値を計るために、暗算または計算機を使って、常に価格をルピーに変換する。これは、収入、出身地、社会集団、初訪問者かリピーターかを問わず、インド人に根強く残っている習性である。

  • 礼儀正しさ、地元料理への適用性、チェックアウトの遵守性などに基づきエクスペディアが2008年に行った旅行者エチケット調査によると、インド人旅行者はフランス人に次いでワースト2位となっている。だが、実際はそんなに悪くない。これらの振る舞いのいくつかは、混沌とした都市や環境に住んだ結果であり、不本意ながらも染みついてしまったものだ。しかしながら、多くのインド人は自分の住む街で混沌に慣れているため、秩序を見ると称賛する。

  • インド人は一般的に短気で、すぐに対応されることを望む。これもまた、混雑した環境の中に住んでいるからで、時間内に何かが行われる必要がある。

  • 一般的にインド人はとても愛想がよい。彼らはとても好奇心旺盛で多くの質問をしたがる。彼らはまたすぐに考えを変える傾向にある。彼らと接する場合は通常、忍耐力が必要である。しかしながら、裕福なインド人ほど要求が厳しく、ぶしつけな傾向があることが観察されている。

  • インド人は機会があれば常に値段交渉をする。レストランや小売店ではないが、旅行代理店を通して航空券やホテルを予約するときやノミ市の買い物などで値段交渉をする。

  • インド人は必要以上に多弁で、書面または口頭でのコミュニケーションのときに叙述が冗長過ぎる傾向にある。

  • インド人(特に初訪問者)は、海外旅行時に非常に防御的な考えを持っており、通常、温かく友好的な待遇を期待していない。従って、そのような待遇を受けるとより長く滞在したり、より多くのお金を使ったりする傾向にある。

  • インド人の多くはインドで公共交通機関を使うことに慣れていない。なぜならそれは貧困層や中流階級層の交通手段だからである。

  • アクセントは訪問者がインドのどの地域出身かによって異なる。言葉や仕草を理解するのが困難なことも時々ある。例えば、頭を揺らすことがしばしば「イエス」を意味する。

  • 初対面のとき、身体的接触は極力避けるべきである。女性に対しては特に当てはまる。たとえそれが全く純粋で友好的なものであっても、初対面で触られたり、あまりに近付かれることは失礼だと考えられる可能性がある。もっとも一般的なインド式挨拶は、両手を合わせた「ナマステー」である。

  • インド人は自分たちがインド人であることを強調されることを必ずしも快く思わない。彼らはそれをからかいや軽蔑だと受け止める可能性がある。
 大体その通りだと思うし、特に反論はない。だが、触れる触れないの問題については一言。インド人は、特にカーストの高い人ほど、他人に触られるのを嫌がるのは確かかもしれないが、少なくともインド人は初対面でこちらの体を気兼ねなく触って来る。冒頭で引用した漫画では、インド人男性が英国人警察官に、「触るのはダメ、触るのはオレだけ」という台詞を吐いているが、もしかしたらそこまで計算してのものなのかもしれない。ただ、同じようなことは日本人、韓国人、中国人などについても書かれており、別にインド人だけではない。

 他にも上記の統計には様々なことが書かれていて、目を通すとさらに面白い。ボリウッド映画についての言及もある。やはりボリウッド映画がインド人の心理に与える影響は相当大きいようで、VisitBritainもインド人観光客を英国に呼び込むためにボリウッド映画をフル活用しようとしている。例えば、「ロンドン最大のインド人コミュニティーを抱えるサウスオールは、『Dilwale Dulhania Le Jayenge』(1995年)でシムラン(カージョール)が住んでいた場所で、トラファルガー広場は同映画の印象的な冒頭シーンで使われた」とか、「アルバート記念碑は『Mujhse Dosti Karoge』(2002年)に出て来た」とか、「ハイド・パークは『Kabhi Khushi Kabhie Gham』(2001年)のある歌のロケ地のひとつで、この歌は大英博物館で最高潮を迎える」などとわざわざ解説されている。

 ところで、「もしお金を無制限に使えるならどこへ行きたいか」というアンケートの結果は日本人にとって興味深い。1位スイス、2位米国、3位シンガポール、4位英国と続き、5位が日本となっているのである。以下、フランス、ドイツ、イタリア、ニュージーランド、カナダと続く。意外にインド人は日本旅行に興味があるみたいだ。もしインド人観光客を日本に誘致したいなら、これはかなりチャンスでなかろうか。

 VisitBritainでは、当然のことながらインド人観光客の分析だけでなく、各国の観光客に混じって、日本人観光客の分析も載っている。これもなかなか面白い。「日本人の微笑みを幸福のシグナルだと考えてはいけない。日本人は狂ったり、恥じらったり、失望したときに微笑む」、「絶対に時間に遅れてはならない」、「日本人は、たとえ必要であっても、誰からの助けも拒否する。通常、3回聞いてみて、やっと助けを受け容れるか、それでも拒否するか、確かめるべきである」、「日本人女性は笑うとき口に手を当てる」、「日本人(特に女性)は子供のような雰囲気を持っていると言える。これは諸刃の剣である。このおかげで日本人女性は疑いなくとても魅力的に見えるが、一方で女性はキュートに行動し、装うように教えられているという欠点もある。映画、テレビ、音楽などで、女性は常に、か弱く、繊細で、華奢に描かれている。日本語に吹き替えられた映画において、男性の声はとても低いのに、女性の声は常に超ソプラノになっている。同じことは女性アナウンサーにも言える」など、いろいろ書かれている。「食事後、満腹なら皿に少し食べ物を残す」というマナーが書かれていたが、これは中国のマナーではなかろうか?それ以外は納得できるものばかりであった。僕が付け加えるとしたら、「日本人はカメラを向けると必ず人差し指と中指を立てるが、特に深い意味はないので気にしなくてよい」とかか。

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8月20日(金) Lafangey Parindey

 2000年代後半に活発に活動するようになった若手俳優の中で既に勝ち組がはっきりして来ており、最近のヒンディー語娯楽映画は、その勝ち組の男優と女優を組み合わせて作るのが一種のトレンドとなっている。勝ち組を具体的に指摘するならば、男優からはランビール・カプールやイムラーン・カーンなど、女優からは、カトリーナ・カイフ、ディーピカー・パードゥコーン、ソーナム・カプールなどが挙げられ、その他、ユニークな立ち位置にいるアバイ・デーオール、ファルハーン・アクタルや、南インドの映画界からチャンスをうかがっているジェネリアやアシンなどの動向も注目される。これに加えて長年ヒンディー語映画界で活躍して来た新旧の大御所俳優たちが引き続き存在感を放っており、彼らがヒンディー語映画界のメインストリームを構成していると言っていい。

 本日より公開の「Lafangey Parindey」は、ニール・ニティン・ムケーシュとディーピカー・パードゥコーンの初共演作である。上で敢えてニール・ニティン・ムケーシュの名前は挙げなかった。なぜなら彼は、メジャーデビュー作「Johnny Gaddaar」(2007年)のスマッシュヒットを除けば、まだ主演作で大したヒットがないからである。しかし、十分上を狙える位置におり、その証拠に今回飛ぶ鳥を落とす勢いのディーピカーとの共演が実現した。よって、ニールにとって重要な作品となる。

 監督は「Parineeta」(2005年)で高い評価を得たプラディープ・サルカール。だが、次の「Laaga Chunari Mein Daag」(2007年)を外しており、ここで起死回生の一作と行きたいところである。ただ、「Lafangey Parindey」は、彼の今までの2作とはまた違った雰囲気の映画で、守りに入っていないことがうかがわれる。プロダクションは、ボリウッド最大の映画コングロマリット、ヤシュラージ・フィルムスである。

 題名の翻訳には多少迷いがあった。「Lafangey Parindey」の「Lafangey」はヒンディー語の言語的特徴から形容詞・名詞のどちらとも受け止められる。もし形容詞だとしたら、題名は「ならず者の鳥たち」になり、もし名詞だとしたら、題名は「ならず者たちと鳥たち」になる。映画のストーリーや映画音楽の歌詞から判断したところでは、これは主人公の男女2人をそれぞれ象徴した言葉で、後者と受け止めた方がより自然だと判断した。ただ、複数形で考えると変なので、単数形で考えた。呼格と考えればこの問題は解決するが、言葉遊びの一種で、そこまで深く考える必要もないだろう。



題名:Lafangey Parindey
読み:ラファンゲー・パリンデー
意味:ならず者と鳥
邦題:ならず者と羽なき鳥

監督:プラディープ・サルカール
制作:アーディティヤ・チョープラー
音楽:Rアーナンド
歌詞:スワーナンド・キルキレー
振付:ボスコ・シーザー
衣装:マノーシー・ナート、ルシ・シャルマー
出演:ニール・ニティン・ムケーシュ、ディーピカー・パードゥコーン、ピーユーシュ・ミシュラー、マニーシュ・チャウダリー、ヴィラージ・アダヴ、ナミト・ダース、ヴィナイ・シャルマー、パローミー、アマイ・パーンディヤ、ケー・ケー・メーナン(特別出演)、ジューヒー・チャーウラー(特別出演)、ジャーヴェード・ジャーファリー(特別出演)、シヤーマク・ダーヴァル(特別出演)
備考:PVRプリヤーで鑑賞。

ニール・ニティン・ムケーシュ(左)とディーピカー・パードゥコーン(右)

あらすじ
 ムンバイーの低所得層が住むティラク・ワーディー地区に住むナンダン・カームテーカル(ニール・ニティン・ムケーシュ)は、アンダーグランドで毎週金曜日に開催されている違法賭博ボクシングのチャンピオンで、「ワン・ショット・ナンドゥー」の異名を持っていた。ナンドゥーは腕っ節が強いだけでなく、目隠しをして対戦相手と戦って勝つ独特のスタイルを確立していた。ナンドゥーは違法賭博の総元締めオスマーン・アリー(ピーユーシュ・ミシュラー)や、その右腕アンナー(ケー・ケー・メーナン)からも可愛がられていた。

 同じティラク・ワーディー地区には、ピンキー・パールカル(ディーピカー・パードゥコーン)という女の子も住んでいた。ピンキーは日中モールで従業員として働いていたが、彼女にはダンサーになる夢があった。タレント発掘番組「インディア・ゴット・タレント」のオーディションが行われることを知り、ピンキーは同僚と共にローラースケート・ダンスの練習に励んでいた。

 あるとき、オスマーンから呼び出しを受けたナンドゥーは、自動車を運転する仕事を頼まれる。アンナーは、ナンドゥーが運転する自動車に乗って対立マフィアを暗殺する。ナンドゥーとアンナーは逃亡するが、その途中で誰かをはねてしまう。アンナーはナンドゥーを下ろし、一人で走り去る。その後、アンナーは遺体で発見された。

 ナンドゥーがはねたのはピンキーだったことが分かる。ピンキーはこの事故によって両目の視力を失ってしまう。世間ではアンナーが1人で自動車を運転して暗殺をし、ピンキーをはねたことになっていたため、ナンドゥーが疑われることはなかったが、ナンドゥー自身は罪悪感に苛まれていた。

 退院後、仕事はクビになってしまったものの、ピンキーは踊りの練習を続けようとしていた。だが、盲目になったためにパートナーも別の人とオーディションに出場することを決める。ピンキーの夢は完全に閉ざされようとしていた。しかし、ナンドゥーがピンキーに救いの手を差し伸べる。元々目隠しボクシングを得意としていたナンドゥーは、盲目となったピンキーに、目が見えなくても周囲の物事を判断するテクニックを教わる。徐々に踊れるようになって来たピンキーは、ナンドゥーをダンスパートナーに抜擢する。最初は断るナンドゥーであったが、やがて折れ、ローラースケートを履いて踊る練習をし始める。2人の間に恋が芽生えるのも時間の問題であった。

 ナンドゥーは真剣にピンキーとの結婚を考えるようになるが、ピンキーがボクシングで金儲けをしている男とはどんな女性も結婚しようとはしないと言っていたため、用心棒の仕事をし始める。ナンドゥーとピンキーのペアはオーディションを勝ち抜き、最終5組にも選ばれる。ナンドゥーはこれを機にボクシングを止めることを決意し、オスマーンに相談しに行く。この事態を予想していたオスマーンは、ナンドゥーがボクシングを止めることを許すが、その代わり最後の試合に敗北して引退するように勧告する。無敗だったナンドゥーは、最後の試合でKO負けを喫する。

 一方、とある警察官がピンキーのひき逃げ事件を執拗に捜査していた。その結果、ナンドゥーの名前が浮上する。警察官はピンキーに会いに行き、彼女をはねたのはアンナーではなく実はナンドゥーであると明かす。ショックを受けたピンキーは、敗北したばかりのナンドゥーに対し絶好を言い渡す。

 「インディア・ゴット・タレント」の決勝戦が行われようとしていた。ピンキーは、ナンドゥーとのペアを解消し、1人で出演すると言い出す。ギリギリまでテレビ局側には真実を明かず、本当に1人でステージに立つ。審査員として来場していたジューヒー・チャーウラー(本人)、ジャーヴェード・ジャーファリー(本人)、シヤーマク・ダーヴァル(本人)は驚き、失格にしようとするが、途中でナンドゥーが入って来る。ピンキーは最初戸惑うが、すぐにペースに乗り、息がピッタリの踊りを披露する。トラブルはあったものの、ナンドゥーとピンキーは優勝する。

 収録後、ピンキーはナンドゥーを待っていた。ピンキーは、自分をひいて盲目にしたのはナンドゥーだが、その自分に見ることを教えたのもナンドゥーであると考え、彼を許す。ナンドゥーとピンキーは熱い口づけを交わす。

 盲目をはじめとする身体障害を物語の中心に据えた映画は、ヘレン・ケラーの人生をルーズにベースとしたヒンディー語映画「Black」(2005年)の成功後にボリウッドで増えたのだが、何となくデリカシーに欠ける表現が多く、そういう事柄に過敏な社会に生きている日本人にとっては、嫌悪感を覚えるものも少なくなかった。「Lafangey Parindey」の中心にいるのも、事故によって盲目となった女性である。だが、この映画は潜在的に精神に負荷を与えるような要素をなるべく(いい意味で)軽く扱う努力をしており、不思議と盲目という点がストーリーの真の中心になることはなかった。ヒロインのピンキーは盲目になってもガッツを失わず、彼女が視力を失ったことへの悲しみを吐露するシーンは意外にも少ない。タレント発掘番組でも、ピンキーが盲目であることは特に審査員などに明かされていなかったようである。それだけでなく、この映画には完全な悪役がいない。違法賭博の総元締めオスマーンも極悪人ではなく話の分かる人物であるし、ピンキーをひき逃げした真犯人=主人公ナンドゥーを追う警察官も人情的である。登場人物の多くは低所得層で、低所得層が集住する地区に住んでいるが、貧困を感じさせるようなシーンもなかった。

 ボクシングやダンスという派手な要素があったものの、物語の中心となっていたのはやはり恋愛である。女の子の側がぐいぐい引っ張って行くタイプの恋愛で、主演2人の好演もあって、とても微笑ましいシーンが多かったが、その恋愛の革新は、同情との葛藤であった。ナンドゥーは、自分がピンキーをひいてしまったという引け目からピンキーの手助けを始める。その動機は罪悪感であり、言わば同情だっただろう。だが、その事実を知らないピンキーは、ナンドゥーをとても親切な人間だと考えるようになり、絶対の信頼を置くようになる。ピンキーがナンドゥーをダンスパートナーに選んだのも、彼が同情で彼女を助けている訳ではないと考えていたからである。このギャップがストーリーの中心であった。そしてこのギャップを抱えつつも2人はお互いに惚れ合うようになり、最終的には強気なピンキーがナンドゥーに愛の告白をする。もちろん、このときまでにナンドゥーのピンキーに対する気持ちは同情ではなく愛情になっていたのだったが、ピンキーに真実を隠していることが彼の気持ちを引っ張ることとなった。

 インド娯楽映画ではこういう場合、必ず最終的に真実を明かすことを決意することになる。相手に何か隠し事をしながら、付き合ったり結婚したりすることは、インド娯楽映画の文法では決して好まれない。だが、その決意をした途端、他の方面から本人に真実がばれてしまうというのが常套手段で、「Lafangey Parindey」でもその伝統的手法が踏襲されていた。具体的には、ピンキーひき逃げ事件を密かに捜査していた警察官が、ピンキーに真実を暴露してしまうのである。捜査の進行状況はストーリーの合間に効果的に挿入され、スリルを煽っていた。真実を知ったピンキーは当然ナンドゥーと絶交する。そうなった場合の解決法もインド娯楽映画では既に定石がある。真実を明かそうとしたことを知る友人などが、真実を明かそうとした相手にそのことを伝え、仲を取り持つのである。やはり「Lafangey Parindey」でも全くもってその手法で解決がなされており、ボクシングを止めたナンドゥーの決意を友人がピンキーに伝えていた。そういう意味ではとても古風な映画であった。

 昨今テレビが社会的影響力を増して来たことを反映し、ヒンディー語映画の中でテレビ番組が扱われることも多くなった。「Rann」(2010年)や「Peepli [Live]」(2010年)などが代表例だし、「スラムドッグ$ミリオネア」(2008年)もその国際的な例だが、ここ数年人気のタレント発掘番組をストーリーに組み込むことも出て来た。その最初の例は「Rab Ne Bana Di Jodi」(2008年)であり、「Chance Pe Dance」(2010年)が続くが、この「Lafangey Parindey」はその最新の例だと言える。特に「Lafangey Parindey」のプロデューサー、アーディティヤ・チョープラーが監督した「Rab Ne Bana Di Jodi」との類似性は指摘されざるをえないだろう。それでも、タレント発掘番組の決勝戦をクライマックスに持って来る脚本はヒンディー語映画の歌と踊りの伝統と相性が良く、「Rab Ne Bana Di Jodi」に続いてとても感動的なシーンに仕上がっていた。さらに、ピンキーが盲目であることが、「Rab Ne Bana Di Jodi」よりも緊迫感あるクライマックスを演出していた。ナンドゥーと絶交したピンキーは決勝戦において1人で踊り出すのだが、まるでナンドゥーがいるかのような表現力豊かなダンスであった。そこへ駆けつけたナンドゥーが途中から参加し、彼女の影となって踊る。当然、ピンキーは彼の存在に気付き、やって来たことを責めるのだが、彼に説得されて踊りを続ける。この瞬間、このペアの最高の踊りが引き出されるのだった。

 総じて感動的な映画になっていたのだが、それに大きく貢献していたのがヒロインのディーピカー・パードゥコーンである。今回彼女が自分で台詞をしゃべっていたのか不明なのだが、もしそうだとしたら満点を与えたい。タポーリー・バーシャー(ムンバイヤー・ヒンディー)で強気な発言を繰り返すピンキーは、関西弁を話す女性が何となく魅力的に見えるのと同じ効果なのか、非常に魅力的であった。要所要所の演技もとても心のこもったものであった。特に月についてナンドゥーと語り合うシーンや、最後にナンドゥーを受け容れるシーンなどは、素晴らしかった。その上、ローラースケートを履いて踊るという、運動神経が悪いと出来ない芸当をしていた。見たところ代役ではなく本人が踊っていた。さすが元バドミントン選手である。この映画で、ディーピカーはライバルのカトリーナやソーナムよりも頭ひとつ飛び抜けた印象である。

 ディーピカーの相手役ニール・ニティン・ムケーシュも堅実な演技であった。腕っ節は強いが奥手なナンドゥーを、持ち前のオドオドした表情を駆使して、巧みに表現していた。強さと弱さを同時に演じ分けられたことで、俳優としての成長を印象付けた。ゴシップ好きな人には、ニールとディーピカーのキスシーンも見所となるだろう。見ているこっちが恥ずかしくなるくらいの、明白かつ長時間の口づけであった。

 違法賭博の総元締めオスマーン・アリーを演じたピーユーシュ・ミシュラーも良かった。特別出演の俳優が数人いるが、その内で比較的重要な役を演じたのはケー・ケー・メーナンのみ。小汚い風貌で突然ぬっと現れるので覚悟した方がいい。

 音楽はRアーナンド。まだ無名の音楽監督だが、TVCMの音楽作曲で活躍している人物で、今後映画界でも活躍しそうだ。ARレヘマーンなども同様の道を辿って才能を開花させている。そこまで多くの歌が挿入されていた訳ではないが、「Man Lafanga」はナンドゥーがピンキーに恋したときに流れ、非常に印象的な使われ方をしていた。「Ishq Mahnge Pade Phir Bhi Sauda Kare(恋は高い買い物、それでも取引は止めない)」という歌詞が後々まで脳裏に響いていた。

 上で少し触れたが、この映画の言語はタポーリー・バーシャーともムンバイヤー・ヒンディーとも呼ばれる、ムンバイーの路上で話されているヒンディー語の一方言である。しかも手加減なしの訛り具合なので、通常のヒンディー語映画に比べて台詞の理解度は低かった。

 「Lafangey Parindey」は、ストーリーラインに目新しさはないものの、ディーピカー・パードゥコーンの熱演が光る佳作である。名作「Parineeta」の実績があるプラディープ・サルカール監督にはもっと冒険をして欲しい気もするのだが、これはこれでよくまとまっている。ファイティング・シーンやダンス・シーンも満載だが、中心はロマンス。多少の流血はあるが、極度に観客の心を沈ませないような配慮が感じられ、娯楽映画として安心して見られる作品である。

8月21日(土) パーキスターンの最初の国歌

 公式には、インドは1947年8月15日午前0時0分に、パーキスターンは1947年8月14日午後12時0分に、英国の支配から独立したことになっている。よって、インドの独立記念日は8月15日に祝われ、パーキスターンの独立記念日は8月14日に祝われる。どの瞬間をもって「独立」とするかには異論があるのだが、権力委譲の儀式自体はインド(ニューデリー)でもパーキスターン(カラーチー)でも8月14日中に行われ、国家元首による独立宣言の放送は、インドでは8月14日中に、パーキスターンでは8月15日になってから行われた。

 インドの独立記念日が日本の終戦記念日と重なるのは偶然ではない。1947年に英領インド帝国最後の総督に就任したルイス・マウントバッテンは、それ以前にビルマで日本軍と激戦を繰り広げた経歴を持っており、日本軍が降伏した8月15日に特別な思い入れを持っていた。元々マウントバッテンは1948年6月1日までにインドの独立を完了する任務を負ってインド総督に就任したのだが、インド国内における独立運動の激化を見て、英国が威厳をもってインド統治から退場するためには早期の独立が必須と考え、1947年内の独立を目指すようになった。しかし、具体的な日付けはギリギリまで決定しなかった。1947年6月4日に行われた記者会見で初めて、無名の記者の質問に答える形で、マウントバッテンは8月15日を独立日と公表し、インドや英国本国に衝撃を与えた。その後、異例のスピードでインド独立法案が可決され、宣言通り8月15日にインドは独立した。

 1947年8月15日が占星術上で大凶の日であったことは割と有名である。まず、この日は金曜日であった。インドの占星術では金曜日は何かを始めるのにふさわしくないとされる。それだけでなく、8月14日から15日にかけての深夜は、磨羯宮(山羊座)の時期で、しかも土星の影響下にあった。磨羯宮も土星も紛争を象徴する。占星術を信じる人々は、印パ分離独立後の騒乱の原因を、この日付けに帰してる。しかし、インド初代首相ジャワーハルラール・ネルーはそんなことは気にしなかったようだ。

 ただ、イスラーム教の習慣では、1947年8月15日は非常に吉祥な日であった。この日はヒジュラ暦1366年ラマダーン月27日目にあたり、ライラトゥル・カドルまたはシャベ・カドルと呼ばれる祝日であった。この日、予言者ムハンマドが神から初めて啓示を受け、聖典クルアーン(コーラン)が初めてこの世に出現したとされている。さらに、金曜日はイスラーム教徒にとって1週間でもっとも吉祥な日である。イスラーム教徒にとって金曜日は集団礼拝日であるし、「最初の人間アーダムは金曜に創られ、金曜に楽園に入れられ、金曜に楽園から追放され、来るべき審判の日も金曜に起こる」(岩波イスラーム辞典)とされる。それがライラトゥル・カドルに重なるのは、何にも増して吉祥なこととされる。その一方で、イスラーム教の暦の考え方では日没から1日が始まるため、実質的には8月14日の夜からライラトゥル・カドルが始まっていることになる。パーキスターンの独立記念日が8月14日ということになったのは、ライラトゥル・カドルとも関連しているのだろう。

 パーキスターンの初代総督ムハンマド・アリー・ジンナーがどのような国造りを目指していたのかについては、現在まで議論が続いており、容易に立ち入れる問題ではない。だが、独立直前の1947年8月11日に行われたスピーチでジンナーは、「国民は、どの宗教にも、どのカーストにも、どの信条にも属することができ、それらは国家の関するところではない」と述べ、パーキスターンを宗教中立主義的な国家にすることを宣言している。しかも、そのスピーチの2日目に、ジンナーはパーキスターンの国歌作詞を、ヒンドゥー教徒のウルドゥー語詩人に依頼し、実際にその国歌がパーキスターン建国から1年半のみ使用されていた。この意外な事実は最近になって「発見」され、ジンナーの宗教中立主義の証明として、または単なるウンチクとして、語られるようになったようである。

 パーキスターンの最初の国歌を作詞したのは、ジャガンナート・アーザード(1918-2004年)というヒンドゥー教徒である。著名な詩人ティロークチャンド・メヘルームの子供で、パンジャーブ地方のミヤーンワーリー(イーサーケール)に生まれ、1947年当時ラホールでジャーナリストとして活動していた。ジャガンナートは5日という短期間で新生国家パーキスターンの国歌を作詞した。


ジャガンナート・アーザード

 ジャガンナート・アーザード作のパーキスターン国歌の冒頭の一節は以下の通りである。
Ae Sarzameen-e-Pak
Zarre Tere Hain Aaj Sitaron Se Tabnak
Roshan Hai Kehkshan Se Kahin Aaj Teri Khak
Tundi-e-Hasdan Pe Ghalib Hai Tera Swak
Daman Vo Sil Gaya Hai Jo Tha Muddaton Se Chak
Ae Sarzameen-e-Pak
اے سرزمیں پاک
ذرّے تیرے ہیں آج ستاروں سے تابناک
روشن ہے کہکشاں سے کہیں آج تیری خاک
تندی حاسداں پہ غالب ہے تیرا سواک
دامن وہ سل گیا ہے جو تھا مدّتوں سے چاک
اے سرزمیں پاک
 一部自信がないが、意訳するとこのようになる。
おお、清浄なるパーキスターンの大地よ
お前の土という土は今日、星々よりも明るく輝く
お前の一粒一粒は今日、銀河よりも眩しく輝く
お前の意志はいかなる敵の羨望をも凌ぐ
長年切り裂かれていた誇りは縫い合わされた
おお、清浄なるパーキスターンの大地よ
 しかし、この国歌は1948年9月11日にジンナーが死去すると数ヶ月で撤回されてしまう。イスラーム国家としての道を歩み始めたパーキスターンにとって、ヒンドゥー教徒が作詞した国歌をそのまま擁することは都合が悪かったのだろう。初代首相リヤーカト・アリー・ハーンの指揮下で国歌委員会が結成され、パーキスターンの新たな国歌が公募されることになった。最終的にはハフィーズ・ジャーランダリー作詞、アハマド・グラームアリー・チャーグラー作曲のものが新国歌に選定され、1954年に正式に認定された。当然、両人ともイスラーム教徒である。だが、その歌詞はジャガンナート作のものよりも難解な言葉が多く含まれており、格式は高いが国民の歌という感じがしない。ちょうど、インドの国歌が、ウルドゥー語詩人ムハンマド・イクバール作詞の比較的容易な言葉で書かれた「Sare Jahan Se Achchha」ではなく、ベンガル人文学者ラヴィーンドラナート・タゴール作詞のサンスクリット語混じりの「Jana Gana Mana」になってしまったのと状況は似ている。

 ところで、パーキスターンの最初の国歌を作詞したジャガンナート・アーザードは、パーキスターンにおけるヒンドゥー教徒に対する弾圧に耐えかね、1947年9月にインドに移民してしまった。長らくジャンムー大学でウルドゥー語文学を教え、詩作も続けた。特にイクバールの研究で業績を残し、バーブリー・マスジド破壊事件を批判する詩なども作った。

 ジャガンナート・アーザード作の国歌には、こんな一節がある。
مغرب سے ہم کو خوف نہ مشرق سے ہم کو باک
اے سرزمیں پاک
Maghrib Se Hum Ko Khauf Na Mashriq Se Hum Ko Baak
Ae Sarzameen-e-Pak
西からも東からも我々に脅威はない
おお、清浄なるパーキスターンの大地よ
 現在のパーキスターンの悲惨な現状と照らし合わせると、非常に皮肉な歌詞である。

8月23日(月) インド旅行TIPS

 先日、2012年に五輪を控えたロンドンが、五輪期間中に同市を訪れる外国人観光客を効果的に歓迎するため、主要国の文化や国民性を分析したガイドラインをネット上で公表したことを伝えた(参照)。その中にはインドも含まれており、いろいろ鋭いことが書かれていた。

 それに触発されたのか、今年10月に英連邦スポーツ大会(CWG)を控えたデリーも、似たようなガイドラインをCWGの公式ウェブサイトに掲載した。しかし、その方向性は全く逆である。ロンドンが、潜在的訪問客となる外国人の特性を分析し、それに合わせた対応を国内の観光関係者に提示しているのに対し、デリーは、「インド旅行TIPS」と題したページの中で、インド特有の文化を訪問客に紹介し、それを尊重するように促して、「郷に入れば郷に従え」を実行させようとしているのである。

 それだけならまだしも、その内容がインドを訪れようとする外国人を恐怖のどん底に陥れるような性格のもので、早々に物議を醸した。各メディアで批判的に報道されたためか、既にメインページからのリンクは消滅している。だが、今のところページは残っており、ここから閲覧は可能である。

 リンク先の「インド旅行TIPS」には13項目が並んでおり、順にヴィザ、健康と予防接種、旅行保険、持参すべき物、地理、通信、メディア、写真、通貨、郵便、ショッピングとお土産、観光、チップについて解説がされている。それらの多くは一般の旅行ガイドにも書かれているようなことであり、特筆すべきものもないのだが、いくつか敢えてピックアップするならば、以下のような点であろう。
  • CWG運営委員会が外国人観光客に対してインド訪問前に接種を勧めているワクチンは、ポリオ、破傷風、ジフテリア、腸チフス、肝炎の5種で、その上マラリア予防錠剤の摂取を勧めている。

  • インドでもっとも広く読まれている新聞はヒンディー語紙だが、英語新聞も充実している。その例として、タイムズ・オブ・インディア、ヒンドゥスターン・タイムス、インディアン・エクスプレスの3紙が挙げられている。

  • 遺跡などでの写真撮影や8mmビデオによるビデオ撮影については基本的に規制はないが、三脚、プロップ、投稿照射器などを使用したり、プロまたは商業用の写真を撮影する場合は、事前にインド考古調査局からの許可が必要となる。

  • 路上の店や物売りから何かを購入するときは値段交渉が必須であるが、適切な店、特に「定価販売」と表示されている店では、値段交渉をしてはならない。

  • サービスチャージを請求書に含めているレストランでは、チップを払う必要はない。もしサービスチャージが含まれていない場合は、10%のチップが慣例である。もし大人数での食事で合計額が高額な場合は5%ほどでよい。

  • 空港や鉄道への移動の際、タクシー運転手へのチップは一般的に支払わなくてもよい。しかしながら、仕事内容や拘束日数によっては、ツアーガイドや運転手はチップを期待している。
 このような事柄のみならば別段問題に感じないだろう。むしろ結構参考になる。しかし、実は当初公開されたインド旅行TIPSには19項目あった。現在ネット上に残っているインド旅行TIPでは、その内の6項目が削除されているのである。逆に言えば、それら6項目が問題を孕んだものだったのである。削除されてしまった今、それらを確認することは、メディアの記事での引用を除けば困難なのだが、幸いGoogleのキャッシュに残っていたため、復元することが出来た。多少意地悪な行為だが、それをここで、英語原文と共にひとつひとつ紹介しようと思う。項目の表題は順に、言語、エチケット、飲食、社会交流、トイレ、その他の重要な注意事項である。
LANGUAGE

There are fifteen national languages recognized by the Indian constitution and these are spoken in over 1600 dialects. India ’s official language is Hindi in the Devanagari script however English continues to be the official working language. For many educated Indians, English is virtually their first language, and for a great number of Indians who are multi-lingual, it will probably be the second.

The country has a wide variety of local languages and in many cases the State boundaries have been drawn on linguistic lines. Besides Hindi and English, the other popular languages are Assamese, Bengali, Gujarati, Kannada, Kashmiri, Konkani, Sanskrit, Sindhi, Tamil, Malayalam, Marathi, Punjabi, Oriya, Telugu and Urdu.

言語

インド憲法には15の国語が規定されており、1600以上の方言が話されている。インドの公用語はヒンディー語で、デーヴァナーガリー文字で表記されるが、英語も公用語として機能し続けている。大半の教養あるインド人にとって、英語は実際には第一言語となっており、マルチリンガルのインド人の多くにとって、英語は第二言語となっている。

インドでは様々なローカル言語が話されており、多くの場合、言語の境が州の境となっている。ヒンディー語と英語の他、アッサミー語、ベンガリー語、グジャラーティー語、カンナダ語、カシュミーリー語、コーンカニー語、サンスクリット語、スィンディー語、タミル語、マラヤーラム語、マラーティー語、パンジャービー語、オリヤー語、テルグ語、ウルドゥー語が有力な言語である。
 この項目には非常にまずいことが書かれている。およそインド人が書いたとは思えない文章である。まず、しょっぱなから「国語(national language)」という言葉が何も考えずに使われているが、厳密に言えばインドに国語は存在しない。「公用語(official language)」のみである。インド憲法には第八附則なるものがあり、そこに記載された言語、すなわち第八附則言語が、一般に「公用語」と認識されている。その数は現在22である。よって、「インド憲法に15の国語が規定されている」というのは全くのデタラメになる。第八附則言語の数が15だったのは1967年~92年のみで、憲法制定から1967年の憲法改正までは14言語、1992年の憲法改正後は18言語となり、2003年の憲法改正で22言語となった。

 また、インドにおける英語の普及度を誇張して書いているところもある。確かに教養層のインド人は英語を流暢に使いこなすが、英語を第一言語、つまり母語とするようなインド人は少数のはずである。マルチリンガルのインド人の多くが英語を第二言語としているというのも、簡単には首肯できない。
ETIQUETTE

The common form of greeting in India is the Namastey. It involves the joining of your palms as during prayer in church, raising them towards the face and bowing the head slightly.

If you are male introduced to a lady or a grown-up girl, don’t take the initiative of offering a handshake. If she extends her hand, you must reciprocate, but don’t be the first to extend your hand. If you are female and are being introduced to a male, it is up to you, the female, to take the initiative for a handshake. The rule of thumb is that the female extends her hand first, and the male reciprocates.

The Western practice of a peck on the cheek as a form of greeting a lady or a grown up girl is JUST NOT DONE when you are in India unless you happen to be in ‘Westernized Indian’ circles or in the company of people in the glamour industry such as models and beauty queens (even then, DON’T take the initiative if you are male).

If you find the lady is not extending a hand shake, go for the Namastey. Even with men, the Namastey can be an excellent little PR gimmick! Follow it up with a kaise hai (how are you?) and you have broken the first block of ice if one there was!

Be aware that public displays of affection (hugging, kissing) are generally not appreciated. However, it is common to see men showing affection and camaraderie on the roads and in villages throughout the country.

If somebody has invited you home for dinner, carry with you a bottle of wine accompanied by a bouquet of flowers or at least a box of sweets or chocolate bar for the children.

The feet are considered to be the lowliest part of the body and shoes are treated as unclean. People usually take their shoes off before entering a house and putting feet on the furniture is considered bad manners.

Many Indians are in the habit of shaking their head in the course of conversation or taking instructions. Don’t show amusement if you witness this.

Politics can be freely discussed in India and most people will have an opinion which they will not mind being contradicted, but avoid discussing religion.

If eating Indian style, with the hands, it is useful to remember that it is considered impolite to use the left hand for eating.

エチケット

インド共通の挨拶はナマステーである。教会で祈るときのように両手を合わせ、顔の前まで持って行き、軽く会釈しよう。

もしあなたが男性で、女性や年長の少女に出会った場合、自分から握手を求めてはならない。もし女性側から握手を求められたら受け容れなければならないが、自分から手を伸ばしてはならない。もしあなたが女性で、男性に出会った場合、握手を求めるか否かの主導権はあなたにある。簡単に言えば、女性がまず握手を求め、男性が受け容れるということだ。

西洋において女性や年長の少女に対して挨拶するときのスタイルであるペック(頬への軽いキス)は、インドにいる間は、「西洋化されたインド人」のサークルか、またはモデルやビューティークィーンなどのグラマー産業の人々の間に紛れ込んだのでもない限り、絶対にしてはならない。もし上記の例外的状況にいても、もしあなたが男性ならば、自分から行ってはならない。

もし女性が握手を求めていないときは、ナマステーをしよう。男性に対しても、ナマステーはちょっと素敵なPRギミックになるぞ!続けて「カイセー・ハェ(ご機嫌いかがですか)」と聞けば、初対面の緊張もすぐに解けることだろう!

公共の場における抱擁やキスなどの愛情表現は好まれないことに気を付けよう。しかしながら、国中の路上や村では、男性同士が愛情や友情を表現するのはよくある風景である。

もし誰かから夕食に招待されたら、ワイン1瓶と花束か、少なくともお菓子一箱か子供へのチョコレートセットを持参しよう。

足は体の中でももっとも汚い部分だと考えられており、靴は不浄なものとして扱われる。人々は通常、家に入る前に靴を脱ぐ。足を家具の上に載せることは失礼だと考えられている。

多くのインド人は会話中や指示を受けている間に首を振る癖がある。もしそれを目撃したとしてもおかしく思わないでもらいたい。

インドでは政治は自由に議論されうるもので、大半の人々は自分の意見を持っており、否定されても気にしない。しかし、宗教についての議論は避けよう。

インド式に手を使って食べるときは、食事に左手を使うことは失礼だと考えられていることに気を付けよう。
 エチケットで書かれていることは、主に西洋人向けではあるが、決して的外れではない。しかしいろいろ細かすぎるのである。一時的な旅行者に対してペックについての禁止を説明するのに、わざわざ「西洋化されたインド人」やらモデルやらビューティークイーンやらを引き合いに出す必要はなかろう。それともCWG中はそういう人たちと会える機会が増えるのだろうか?男性へのナマステーが「ちょっと素敵なPRギミック」って何だ?インド人男性同士の愛情表現についても何か誤解を招きそうな書き方をしている。夕食に招待されたらワインと花束を持って行けと書かれているが、インド人の多くがアルコールを反社会的だと考える傾向が強いことを考えると、かなり偏ったアドバイスである。プロポーズしに行く訳でもあるまいし、花束も別に必要ないだろう。政治については議論してもいいが宗教については議論をするなと書かれているが、インド人から宗教について議論を吹っ掛けて来ることも多いと思う。ただ、西洋人向けなので、キリスト教の考えをインド人に押しつけるなということなのであろう。概して、どこか浮世離れしたアドバイスばかりのように感じる。
FOOD AND DRINK

Beef is not served in many parts of India and pork is also not easily available. Eat non-vegetarian food only in good restaurants as the meat in cheaper and smaller places can be of dubious quality. Good quality vegetarian food is easily available throughout the country. Curd or yoghurt is served with most meals as it is a natural aid to digestion and helps temper the spicy food.

Please take note of the following points:

Never buy food from roadside stalls or mobile canteens. Not that they are necessarily bad, but one’s system may not be accustomed to such delicacies which may result in an upset stomach.

Always drink bottled water and ensure that the seal is broken in front of you.

For the first few days it might be advisable to clean your teeth in bottled water.

If unsure, do not eat salads and stick to vegetarian food.
Only eat fruit you can peel, however if there is no option then wash fruit in bottled water before eating.

Wash your hands before and after eating.

飲食

インドの大部分で牛肉は提供されず、豚肉も簡単には手に入らない。ノンヴェジ料理を食べるときは、安い食堂の肉は怪しいことがあるので、高級レストランでのみ食べるようにしよう。おいしいヴェジタリアン料理はインド中で簡単に手に入る。ほとんどの食事にはヨーグルトが付いて来るが、それは、ヨーグルトには消化を助け、料理の辛さを和らげる働きがあるからである。

以下の点に注意:

路上の店や移動式食堂で食事を買わないようにしよう。それらが全て悪い訳ではないが、それらの食事に体が慣れないことがあり、腹の不具合を引き起こす可能性がある。

常にボトルウォーターを飲み、あなたの目の前で開栓されたことを確認しよう。

最初の数日はボトルウォーターで歯磨きをするといい。

もし心配ならば、サラダを食べず、ヴェジタリアン料理のみを食べるべきである。皮を剥く果物のみを食べるべきだが、もし他に選択肢がないならば、食べる前にボトルウォーターで洗おう。

食事の前と後に手を洗おう。
 何かこれからインドを訪問しようとする外国人を無性に不安にさせるような書き方である。ノンヴェジ料理を食べるなら高級レストランのみで、と言っておきながら、不安ならばヴェジタリアン料理のみを食べよう、と書かれており、何だか外国人の食欲を削いでいる。ボトルウォーターの重要性が強調され過ぎており、そんなに水には気を付けなればならないのかと、インドへ行く前から下痢になりそうである。ただ、ボトルウォーターで歯磨きしたり果物を洗ったりするのは、長期滞在者でもやっている人はいる。そこまで気にしなくてもいいと思うが。
SOCIAL INTERACTION

Even in the most cosmopolitan of cities in India the chances are that your different appearance might mean that you will be stared at, though this especially happens in the smaller towns and more remote areas. Please do not be offended no harm is meant, it is just curiosity. However, to minimize this, when in public places please respect local sensibilities and dress codes by covering shoulders and knees.

社会交流

インドでは大都市でさえも、あなたは異なった外観のために周囲からじろじろ見られることになる。小さな町や僻地ではそれは尚更である。しかしそこには悪意はなく、単なる好奇心なので、どうか気を悪くしないでもらいたい。しかしながら、それを最小限に抑えるために、公共の場にいるときは、肩や膝を隠し、地元民の感情やドレスコードを尊重して欲しい。
 今更インド人の視姦は制御不可能と踏んだのか、じろじろ見られても気にしないでね、と開き直っている。インド滞在中は服装に気を付けるのは当然だが、外国人(特に女性)の不安を煽るような書き方である。
TOILETS

In India, public toilet facilities are few and far between and outside of the hotels and restaurants can be of dubious cleanliness. We recommend taking every opportunity you can to use a clean toilet in hotels and restaurants and that you carry tissues/wet wipes with you.

トイレ

インドでは、公衆トイレは少なく、ひとつひとつが離れており、しかもホテルやレストラン以外のトイレは衛生的ではないことが多い。よって、できる限りホテルやレストランの清潔なトイレを使い、ティッシュやウェットティッシュを持ち歩くことを勧める。
 これも特に女性旅行者を不安にさせるような項目である。こういうことは、旅行ガイドには盛り込まれてもいい内容だが、はっきり言って、CWG主催者や政府関係のウェブサイトが書くようなことではないだろう。インドには公衆トイレが少ない、汚いから、なるべくホテルやレストランのトイレを使ってね、などと書いている暇があったら、CWGまでに衛生的な公衆トイレの数を増やす努力をするべきだ。
SOME IMPORTANT DO'S AND DON'TS

Foreign nationals have to pay their hotel bills in foreign currency only, in cash, travelers’ cheques or by credit cards. (However, Indian rupees are accepted if supported by proof of certificate of encashment in India of foreign currency or travelers' cheques).

Don't exchange money on the black market—it's not worth the risk. Keep currency exchange receipts if you wish to reconvert your unspent money.

Don't accept damaged or torn local currency notes, as they may not be accepted by others. You may also find that large banknotes may not be accepted for small purchases because of a shortage of small notes.

We do not recommend purchase of air/ rail/ bus tickets through strangers or unauthorized travel agents / tour operators.

For your safety, we suggest that you do not hire transportation from unlicensed or unapproved operators. We can provide you all types of transportation at very reasonable prices. Self- drive cars though available are not recommended as it is not advisable for you to drive on the Indian roads with all the traffic.

While shopping, sightseeing or going to and from transportation terminals avoid touts and brokers. Be aware of unscrupulous shopkeepers; if you feel that you are being abused do not hesitate to consult the proper authorities.

Taxi and auto-rickshaws fares keep changing; therefore, they do not always conform to readings on meters. To avoid confusion, insist on seeing the latest fare chart available with taxi/ auto-rickshaw drivers and pay accordingly. Taxis and auto-rickshaws do not have meters in all cities, but where they do, insist on the meter being flagged in your presence. In case the driver refuses to cooperate, seek the assistance of a policeman. Where there are no meters, ask assistance at your hotel and agree on the taxi fare in advance.

その他の重要な注意事項

外国人はホテルの料金を外国通貨の現金、トラベラーズチェック、クレジットカードで支払わなければならない。しかしながら、もしインドにおいて外国通貨やトラベラーズチェックを両替した証明書があるならば、インドルピーでも支払い可能である。

闇市場で両替をしないように。危険を冒す価値はない。もし未使用のお金を再両替するのならば、両替レシートを保存しておくこと。

破損したり破れたりした地元紙幣を受け取らないこと。それらは他の人に受け取ってもらえないことがある。高額の紙幣は、お釣りの不足から、少額の買い物で受け取ってもらえないことがあることにも注意。

航空券、鉄道切符、バス切符を他人や不認可の旅行代理店を通して購入することは勧めない。

安全のため、不認可の旅行代理店からタクシーをハイヤーすることは勧めない。我々は適切な価格であらゆる種類の交通手段を提供できる。レンタカーも利用可能だが、インドの道路を運転することは安全ではないため勧められない。

ショッピング、観光、駅や空港の行き来などのときに、客引きやブローカーを避けるように。悪質な店員にも注意。もし騙されていると感じたときは、遠慮なく該当な機関に相談すること。

タクシーやオートリクシャーの運賃は変動が激しく、メーターの示す運賃が実際の運賃と一致しないことがある。混乱を避けるため、タクシーやオートリクシャーの運転手が持っている最新の運賃表を見るように心掛け、それに従って運賃を支払うべし。全ての町でタクシーやオートリクシャーにメーターが付いている訳ではないが、メーターがある場合は、メーターを使うことを主張し、目の前でメーターが下ろされることを確認する。もし運転手がそれを拒む場合は、警察に助けを求めること。メーターがない地域では、ホテルの助けを借りて、事前にタクシーの運賃を決めること。
 インドにおいて外国人は基本的に外貨で支払うことを義務づけられているのには多少驚いた。昔の名残であろう。しかし現在では形骸化しており、支払いの際にいちいち両替証明書などの提示を求められることはない。唯一、列車のチケットを外国人専用窓口で購入しようとすると、両替証明書が必要となる。

 不認可の旅行代理店について何回か言及されているが、政府の仕事は、そういう違法な旅行代理店を使わないように旅行者に呼びかけることよりもむしろ、そういう違法な旅行代理店を取り締まることにあるのではないだろうか?客引きやタクシー、オートリクシャーの運転手に関する注意事項も何だか情けない限りである。普段から厳しく取り締まっておけば、このようなことにはならなかったはずだ。なにか全てが他人事のように書かれており、インドを旅行する外国人旅行者がいつまで経っても同じ手口で騙されるのには政府当局のこういう無責任な態度が大きな要因となっているのではないかと思われるほどである。第三者による旅行ガイドブックにこういうことが書かれているなら、なるほどふむふむと読めるのだが、政府側からこういうことを言われると、無性に腹が立って来る。

 もしここまで書くならば、もっといろいろな注意事項があるはずだ。例えば乞食への対応、野良犬への注意喚起、都市部でも停電や断水が頻発することの警告、インド社会全体に蔓延する時間のルーズさへの理解などなど。ただ、既に削除またはリンクが外されたということは、問題を認識したということの表れだと思われるので、今後CWGまでにまた新たなガイドラインが発表されるのか、引き続き少し意地悪な視線で注目して行きたい。

8月24日(火) NDM-1とデリー腹とナハーリー

 最近、ニューデリー・メタロベータラクタマーゼ1(NDM-1)という新型細菌が世界で拡大しているらしい。従来の抗生物質が効かないとされており、既に死者も出ている。だが、デリー在住者として気になるのは、細菌の名前に「ニューデリー」が入っていることである。この細菌が最初に報告された患者はインド系スウェーデン人で、ニューデリー旅行中に民間病院でこの細菌に感染したらしく、そこからこのような名前が付いたようである。どうやらインドとパーキスターンが主な発生地とみなされているようである。

 今年10月に英連邦スポーツ大会(CWG)開催を控えたデリーにとって、NDM-1拡大は非常に嫌なニュースである。ただでさえ施設準備の遅れや運営委員会の汚職問題で開催が危ぶまれているのに、ニューデリーの名を冠した脅威の新型細菌が世界中でデリーのネガティブなイメージをまき散らしているのである。日本ではCWGはそれほど知られていないが、一応70ヶ国以上の国や地域が参加する、夏季五輪に次いで2番目の規模の総合スポーツ大会で、インド中央政府とデリー州政府は、古のアシュヴァメーダ(馬祀祭)よろしく、威信を賭けて準備を進めている。また、近年インドは医療観光(メディカル・ツーリズム)にも力を入れており、比較的安価な治療費を武器に外国人を呼び込んでいる。NDM-1はその医療観光に直接の大打撃を与えうる。当然インドは、NDM-1がインドを感染源としているという報告に反論している。

 デリーの名を冠した細菌が世を騒がせている中、何となくデリー・ベリー(Delhi Belly)のことを思い出していた。デリーの名を冠した医療関係の用語が出来たのは、デリー・ベリー以来のことであろう。デリー・ベリー、つまりデリー腹とは、いわゆる旅行者下痢のことで、旅先で慣れない食事など食べることで起こる。インド到着後、3日~1週間以内に発症することが多い。しかしインドを旅行する外国人旅行者にとって、下痢は友達みたいなものだ。水の違い、香辛料の過剰摂取、もしくは不衛生な食事環境など、様々な要因で旅行者は下痢を体験する。それは通常起こりえないような種類の下痢であることが多く、便が完全に液状化してしまうことも少なくない(だからウェルカム・シャワーとも呼ばれる)。これになるとバス移動が地獄になるが、旅行している内にいつの間にか下痢である状態が普通になったりするものだから不思議だ。野菜料理より肉料理の方が下痢を引き起こす可能性が高いので、デリー腹をきっかけに、旅行中ヴェジタリアンに転身してしまう事例もよくある。

 大半の外国人旅行者はデリーを旅の出発点とするため、下痢になった場合、その原因はただでさえデリーに求められてしまうことが多い。それに加えて元々「デリー腹」という言葉があるから、もうデリーと下痢の関係は切っても切れないものとなってしまう。日本人のインド旅行記ではあまり「デリー腹」という単語は出て来ないが、外国人の旅行記だと、「私もデリーでデリー腹になった!」などと、一種の観光通過儀礼であるかのように、割と嬉しそうに扱われている。東京で東京タワーに上り、北京で北京ダックを食べ、タイでムエタイを観戦し、ダージリンでダージリン・ティーを飲み、イランでペルシア絨毯を買い、ボルドーでボルドーワインを飲み、ロンドンでロンドン橋を渡り、ハリウッドでハリウッド山の写真を撮り、リオデジャネイロでリオのカーニバルを見るようなものか。

 ところで、現在オールドデリーと呼ばれている一画は、かつてシャージャハーナーバードと呼ばれていた。ムガル朝第5代皇帝シャージャハーンが建造したためだ。インド最大の城塞都市だったシャージャハーナーバードは、デリーのインドの首都としての地位を確固たるものとした。しかし、もしかしたらムガル朝時代のシャージャハーナーバードの人々もデリー腹で困っていたかもしれない。なぜならシャージャハーナーバードは水の問題を抱えていたからである。水が不足していた訳ではない。ヤムナー河の河畔に位置しているし、デリーの西にあるナジャフガルから用水路で水を引っ張って来て、街全体に供給していた。この水はかつてチャーンドニー・チャウクを流れており、ラール・キラーまで続いていた。ところがこの水質に問題があったらしい。最近発売された「Celebrating Delhi」(Penguin Viking, 2010)という本の中で、プリーティ・ナーラーインは書いている:
1648年、シャージャハーナーバードが完成し、10日間に渡って祭りが催されたが、シャーヒー・ハキーム(王付きの医者)は参加しなかった。欠席の理由について質問されたハキームは、「チャーンドニー・チャウクを流れる川の水は非常に有毒で、市民にとって有害です」と答えた。シャージャハーンは都を放棄する気になれなかったので、代替の解決法を求めた。ハキームは、香辛料と油脂を豊富に使った食事を提案した。香辛料は豊富にあったが、貧者は必要な量のギー(純油)を買うことが出来なかった。そこで、処分された動物の足を少量の牛の筋と混ぜて一晩とろ火で煮ることで解決した。(p.167-8)
 つまり、高価なギーの代わりに、それまで廃棄されていた山羊の足を煮込むことで油脂を出し、デリーの有害な水を解毒したのである。これがデリー名物ナハーリーの起源だと書かれている。


アル・ジャハーワルのナハーリー

 「ナハール」とは「朝」という意味であり、その名の通り、ナハーリーは現在でもオールドデリーのイスラーム教徒が朝食として好んで食べる食事となっている。午前中にジャーマー・マスジド前のカリームやアル・ジャワーハルなどの老舗料理店に行くと食べることが出来るし、その他にもオールドデリー中に「名店」とされるナハーリーの店が点在すると聞く。ナハーリー用の山羊の足も街角でよく売られている。前日から長時間煮込むため、濃厚で肉も軟らかい絶品の料理であるが、一般の日本人にとって、このような油っぽい料理を朝から食べるのは辛いだろう。しかし、デリー腹予防のために発明された料理だと考えると、特にインドを旅行中下痢に悩まされがちな人にはなかなか親近感が沸くのではなかろうか。ちなみにナハーリーは「ニハーリー」とも呼ばれており、類似の料理としてパーヤー、スィリー・パーヤー、ハリームなどがある。一口にナハーリーと言っても、オールドデリーだけでも様々なレシピがあり、さらにハイダラーバードやパーキスターンでも各地独特のナハーリーが伝わっているようだ。しかし、起源がデリーにあることは間違いないようである。ナハーリーが元々上流階級のご馳走なのか庶民の家庭料理なのかについては異論があるが、プリーティ・ナーラーインは、ギーを大量に買えない庶民のために考案された料理だとしている。

 デリーは、酸っぱ辛い各種立ち食いスナック菓子「チャート」でも有名だが、これも香辛料で水を解毒するために編み出されたものだと同書に書かれている。時はムガル朝第6代皇帝アウラングゼーブの時代であるらしい。どのくらいまで信憑性のある話か分からないが、インド料理に香辛料と油が多く使われているのは、風土に合わせたものであるのは間違いないだろう。

 しかし「デリー腹(Delhi Belly)」という言葉はいつ誰が使い出したのだろう?まさかムガル朝時代からディッリー・ペートとかシカメ・ディッリーなどと呼ばれていた訳ではあるまい(共にヒンディー語やウルドゥー語で「デリー腹」の意)。やはり英領インド時代に英国人が考案した言葉なのだろうか?こういうときに役に立つ、アングロインディアン語彙辞典「Hobson-Jobson」(1886年初版)を引いてみたが、「Delhi Belly」の用法は見当たらなかった。代わりに「デリー瘤腫(Delhi Boil)」という皮膚病についての記述を見つけた。これも立派な「デリー」の名を冠した病気だ。これは皮膚リーシュマニア症の一種で、かつ東洋瘤腫(Oriental Sore)の一種とされる。だが、最近ではデリー瘤腫という言葉は一般には聞かない。

 デリー腹に戻って、手っ取り早くGoogle Booksで検索をかけてみたが、やはり少なくとも19世紀には「Delhi Belly」という言葉が出て来る文献は見当たらなかった。この言葉が急に登場するのは1940年代に入ってからである。しかも、どうもその頃の使用者には米国人が多いようである。

 1940年代と聞いて思い浮かぶのは第二次世界大戦だ。英国の同盟国だった米国は、中緬印戦区(China Burma India Theater)と名付けられた部隊の一部をインドに駐屯させており、ビルマまで迫った日本軍を攻撃していた。きっとインドに駐在した米国軍人も腹を壊したのだろう。そしてその内の誰かが「デリー」と「ベリー」で韻を踏んだ名称を冗談で口走ったのではなかろうか。ただ、明確な資料はないため、これは単なる空想に過ぎない。

 また、旅行者下痢は「デリー腹」以外にも各地で様々な呼ばれ方をしている。ムンバイーではボンベイ・ベリー(Bombay Belly)、カラーチーではカラーチー・カーズ(Karachi Kurds)、カーブルではカーブリティス(Kabulitis)、カトマンズではカトマンズ・クイックステップ(Kathmandu Quickstep)、ヤンゴンではラングーン・ランス(Rangoon Runs)、バリではバリ・ベリー(Bali Belly)、香港では香港ドッグ(Hong Kong Dog)、カイロではカイロ・ツーステップ(Cairo Two-Step)など。エジプトではファラオの復讐(Pharaoh's Revenge)やマミーズ・タミー(Mummy's Tummy)、メキシコではアステカ王国最後の王の名を取ってモンテズマの復讐(Montezuma's Revenge)とかモンテズマの呪い(Curse of Montezuma)などとも呼ばれているらしい。また、東京の名を取って、東京下痢(Tokyo Trots)という言い方もあるみたいだ。さらに、最近新たにこのリストに加わったものとして、タイのタイダル・ウェーブ(Thai-dal Wave)もある。2004年のスマトラ島沖大地震に伴う大津波からの着想であろう。

 これらの名称をざっと見て大体共通しているのは、下痢を連想させつつ、韻が踏まれていたり言葉遊びになっていたりすることである。それを考えると、デリー腹の起源についても、もしかしたら誰かがデリーで下痢になったからそういう名称が付いたのではなく、単に語呂が良いからそうなっただけのように思える。しかし、上記の中でも特に「デリー・ベリー」は格別語呂のいい組み合わせであるため、他のものよりもより国際的に普及することになったのだと思われる。

 ちょうど現在、人気ボリウッド男優アーミル・カーンのプロダクションが「Delhi Belly」という全編デリー・ロケの英語映画を制作中である。もしこの映画が世界的に公開され、知名度を得るようなことでもあれば、さらにデリーと下痢との連想的癒着は強まってしまうことだろう。まさか映画の内容まで下痢関連という訳ではなかろうが。

 総じて、「ニューデリー」の名を冠した新型最近NDM-1がニュースになっており、CWGを控えたデリー州政府は慌てているが、歴史を紐解いてみるとデリーという都市名は、デリー瘤腫、デリー腹と、なぜか病名と縁が深い。これもひとつの運命と諦めるしかないのかもしれない。

8月27日(金) Hello Darling

 今週は少なくとも6本の新作ヒンディー語映画が同時に公開となった。こんなに多くの映画が同時公開されることは稀だ。おそらく9月2日(一部では1日)のクリシュナ・ジャナマーシュトミー祭の影響であろう。もしくは、カラン・ジャウハル制作の話題作「We Are Family」の公開が、サルマーン・カーン主演の話題作「Dabangg」との衝突を避けて、9月10日から3日に前倒しとなったため、元々3日に公開予定だった映画がこぞって8月27日に移動したのかもしれない。

 「We Are Family」や「Dabangg」に比べたら、本日公開の映画はどれも小粒でスターパワーも無きに等しい。だが、その内のいくつかは時間があれば見てみる予定である。まずは上映スケジュールがちょうど良かった「Hello Darling」を鑑賞することにした。監督はマノージ・ティワーリーという新人監督だが、同名のボージプリー俳優とは無関係である。グル・パナーグ、セリナ・ジェートリー、イーシャー・コッピカルという3人のB級女優が出演しており、テーマはオフィスにおけるセクシャル・ハラスメントとパワー・ハラスメントである。



題名:Hello Darling
読み:ハロー・ダーリン
意味:ハロー・ダーリン
邦題:ハロー・ダーリン

監督:マノージ・ティワーリー
制作:アショーク・ガーイー
音楽:プリータム
歌詞:シャッビール・アハマド、クマール、アーシーシュ・パンディト
振付:ラージュー・カーン、レモ、ポニー・ヴァルマー、リッチー・ラカ
出演:グル・パナーグ、セリナ・ジェートリー、イーシャー・コッピカル、ジャーヴェード・ジャーファリー、ディヴィヤー・ダッター、チャンキー・パーンデーイ、スィーマー・ビシュワース、サニー・デーオール(特別出演)
備考:PVRプリヤーで鑑賞。

左から、イーシャー・コッピカル、グル・パナーグ、
ジャーヴェード・ジャーファリー、セリナ・ジェートリー

あらすじ
 国際的アパレル企業RBグループのムンバイー支社長を務めるハールディク・ヴァス(ジャーヴェード・ジャーファリー)は、プールヴィー(ディヴィヤー・ダッター)という妻がいたが、部下の女性社員にセクシャル・ハラスメントやパワー・ハラスメントを繰り返ししていた。社員の1人マーンスィー・ジョーシー(グル・パナーグ)は、彼の性的要求をはねのけたため冷遇されていたが、いつか見返そうと仕事に没頭していた。マーンスィーには、ロンドンで働くボーイフレンドがいたが、彼の再三の呼びかけにも関わらず、ムンバイーで働き続けていた。

 ある日、ムンバイー支社に、ハリヤーナー州の片田舎出身でデザイナー志望の女の子サトヴァティー(イーシャー・コッピカル)が入社して来る。早速ハールディクの魔の手はサトヴァティーにも延びるが、彼女は間一髪で逃げ出す。サトヴァティーはマーンスィーと仲良くなる。また、ハールディクの秘書キャンディー・フェルナンデス(セリナ・ジェートリー)は、ロッキーというアメリカかぶれのミュージシャン、ロッキー(チャンキー・パーンデーイ)と同棲していたが、もっともハールディクのセクハラ被害を受けていた。さらに、ハールディクはキャンディーとの情事を捏造してSMSで社員に送っていたため、彼女は他の社員から白い目で見られていた。不憫に思ったマーンスィーとサトヴァティーはキャンディーを仲間に引き入れる。こうして、ハールディクに復讐を誓う3人の女性社員グループが結成された。

 ある日、いつも通りハールディクにコーヒーを入れるように命令されたマーンスィーは、自分の仕事ではないと怒りながらもコーヒーを作って出した。ところが誤ってミルクの代わりにネズミ退治のための毒を入れてしまった。オフィスで倒れる音がし、ハールディクは病院に運ばれた。失敗に気付いたマーンスィーは、このままでは自分がハールディクを毒殺したことになってしまうと慌て、何とかしようとする。ところが、実はハールディクはコーヒーを飲む前に自分で倒れて頭をぶつけただけだった。よって、ハールディクの命に別状はなかった。しかし、ちょうどハールディクと同じICUに運び込まれた警察官僚が毒を盛られて死亡していた。部下の警官からその知らせを耳にしたマーンスィーらは、ハールディクが死んだと勘違いしてしまう。司法解剖される前に遺体をどこかに廃棄することを思い付いたマーンスィー、キャンディー、サトヴァティーの3人は、警備していた警官の目を盗んで遺体を持ち出す。ところが、廃棄する段階になって、それは別人の遺体であることに気付く。一方、ハールディクは3人が相談しているところに偶然居合わせ、自分を毒殺しようとしていたことを知ってしまう。ハールディクは3人を尾行し、要所要所で彼女たちの行動を盗撮していた。

 翌日出社した3人は、目の前にハールディクがいるのを見て驚く。しかも会社には警官が来て取り調べを行っていた。ハールディクは、警官が帰った後、マーンスィー、キャンディー、サトヴァティーを呼び出し、2つの選択肢を与える。ひとつは殺人未遂の罪で牢屋へ行くこと、もうひとつは明日から7日間3人で彼に性的奉仕をすることであった。相談した3人は、ハールディクをマーンスィーの家に呼び、誘惑した後で睡眠薬によって眠らせ、一室に監禁する。そして、会社の人々にはハールディクが出張に行ったと伝え、その間マーンスィーが支社長を代行することになる。

 ところで、ハールディクの妻プールヴィーは、夫の浮気癖に困っており、NGOのパティ・スダール・サミティ(夫更正の会)に相談していた。パティ・スダール・サミティの長プーラン・ターイー(スィーマー・ビシュワース)は、4週間夫を拉致して更正させると約束する。ところが間違えてキャンディーの同棲相手ロッキーが拉致されてしまう。ハールディクはマーンスィーの家に監禁されていたため、てっきりプールヴィーは夫がパティ・スダール・サミティにいると思い、夫の更正を期待して過ごす。

 マーンスィーの経営手腕により、ムンバイー支社は瞬く間に業績を上げ、働く既婚女性にとっても働きやすい環境が整った。社員総出のファッションショーも成功させ、絶好調だった。ところが、ロンドン本社から社長がムンバイーに来ることになり、大きなトラブルに直面する。しかも、同じ頃にハールディクが脱走したことが分かる。何とかハールディクの前に社長に会って事情を説明しようとするが、ハールディクの妨害に遭って失敗する。社長(サニー・デーオール)はムンバイー支社を訪れ、会社の様子を点検する。社長は、マーンスィーが改革した点をひとつひとつ褒めるが、ハールディクは毎度のようにそれを自分の実績にしようとする。業績上昇を喜んだ社長はハールディクの昇進を決め、バングラデシュ支社長に任命する。驚くハールディク。それは言わば左遷であった。実は社長は、マーンスィーのロンドン在住のボーイフレンドからムンバイー支社で起こっていることを全て聞いていたのだった。社長は、仕事が多忙のためにボーイフレンドのプロポーズを断ったマーンスィーに対し、彼のようないい男を捨てるなと助言し、彼女を新しいムンバイー支社長に任命する。マーンスィーの結婚もすぐに決まった。

 ところでバングラデシュに飛ばされたハールディクは、現地で同性愛者に言い寄られていた・・・。

 「Fashion」(2008年)や「Aisha」(2010年)に続く、女性を主人公に据えたガールズ映画のひとつと位置づけられる。女性を主人公にし、インド人女性が抱える様々な問題を扱ったヒンディー語映画は、「Lajja」(2001年)、「Water」(2005年;厳密にはカナダ映画)、「Dor」(2006年)など少なくないのだが、ターゲットを完全に女性観客に合わせて演出する作り方はヒンディー語映画界では新しいと言えるのではないかと思う。そういう映画をこれからもガールズ映画と呼んで行きたい。

 しかし、「Hello Darling」の脚本はパンカジ&サチンのコンビが担当している。彼らは「Kyaa Kool Hai Hum」(2005年)や「Apna Sapna Money Money」(2006年)など、下世話なコメディー映画の脚本を書いてきた脚本家コンビであり、今回も下ネタ満載となっている。露骨な卑猥シーンはないものの、台詞で結構際どいことを口走っている。年齢認証はU/A(未成年者は要保護者同伴)だが、A(大人向け)でもおかしくない。そういう意味では、下ネタOKの女性向け映画という微妙な位置づけの作品だと言える。ただ、ハリウッド映画「Nine to Five」(1980年)との極度の類似も指摘されている。

 テーマは冒頭にも述べた通り、働く女性がオフィスで直面するセクハラ・パワハラである。予告編では、インドでは働く女性の10人に3人がオフィスでセクハラに遭っているとされていた。劇中におけるセクハラ・パワハラの張本人はジャーヴェード・ジャーファリー演じるハールディク・ヴァスである。全く同情の余地なしの諸悪の根源として描写されており、彼の末路も哀れである。ちなみにハールディクは「心から」という意味のヒンディー語で、一般的な単語であるが、英語アルファベットが「Harddick(固い男性器)」になっており、早速下ネタとなっている。そのハールディクの被害に遭っている3人の女性主人公を通して、セクハラ・パワハラが描写される。一方、ハールディクは既婚であるため、セクハラ趣味の夫を持った妻についても平行して多少触れられている。ただ、こちらはどちらかというと「夫の浮気を見抜けない馬鹿な女」という感じの描写の仕方で、物語の中心でもなかった。

 やはり物語の中心は、グル・パナーグ演じるマーンスィー、セリナ・ジェートリー演じるキャンディー、イーシャー・コッピカル演じるサトヴァティーの3人である。この3人の女優は各々の事情からヒンディー語映画界において成功の階段を順調に上れずにB級女優に留まっているのだが、今回はこの3人の中でも明暗が分かれていると思う。まずもっとも輝いていたのはグル・パナーグである。1999年のミス・インディアであると同時に、元々知的でかつ凛とした表情が持ち得であり、「Hello Darling」で演じたような賢く勝ち気な女性の役はお手の物である。望めばもっと上位の女優を目指せたはずだが、本人が多趣味かつマイペースなためか、それともヒンディー語映画界にフィットしないのか、大したブレイクもなしに30歳を越えてしまった。しかし、この3人の中では圧倒的に演技力、迫力、魅力があり、今後も活躍の場をうまく見つけて行ってもらいたいものである。

 イーシャー・コッピカルも遂にB級に留まってしまった残念な女優だ。「Company」(2002年)でのアイテムナンバー「Khallas」が大ブレイクし、一躍時の人となったのだが、アイテムガールとしてのイメージが先行してしまったのが仇となり、その後いい役がなかなかもらえなかった。2009年に結婚したため、このまま引退の道を歩むかもしれない。しかし「Hello Darling」の中での彼女は、ハリヤーナー州の方言ハリヤーンヴィー語を使いこなし、なかなか小回りの利く演技をしていた。彼女も作品に恵まれればもっと上を目指せたのに、とても残念なことである。

 セリナ・ジェートリーは全く駄目だ。彼女もアイテムガールとしてのイメージが定着してしまった不幸な女優の1人であるが、それ以上に美容整形を受けたことを度々公言して女優としての品格を落としてしまった。もしかして整形の後遺症が出て来ているのか、単に髪型が似合っていないのか、「Hello Darling」での彼女は非常に醜く感じた。そしてかつてはかろうじて残っていた女優としてのオーラまで感じられなくなってしまっていた。過去の出演作品のグレードでは3人の中では一番なのだが、個人的なアピールでは3人の中ではもっとも低かった。

 オフィスでのセクハラ・パワハラを題材にした映画は珍しく、その着眼点は良かったと思う。だが、話を単純化し過ぎており、ハールディクに対する復讐も浅はかで、セクハラ・パワハラに対する何らかの解決策を提示するような努力も払われていなかった。単なるコメディー映画と見ればなかなか笑えるが、着眼点が良かっただけに、雑な作りが残念だった。同性愛支持者として有名なセリナ・ジェートリーが出演している割には、同性愛を小馬鹿にしたようなストーリーだったのも批判の対象になりそうだ。

 面白顔・面白声俳優のジャーヴェード・ジャーファリーは、セクハラ・パワハラ上司役を気持ち悪く熱演。ディヴィヤー・ダッター、チャンキー・パーンデーイ、スィーマー・ビシュワースなども限定的ながら映画に貢献していた。サプライズ出演はサニー・デーオールである。全く予想もしないところから登場するので、前知識なしに見ると驚く。

 音楽はプリータム。途中数曲が挿入され、ダンスシーンもあるが、耳に残ったものはなかった。音楽や踊りに力が入っていた映画ではなかった。

 ところで、映画に登場する女性たちはそれぞれ特徴的な言葉をしゃべっていた。グル・パナーグ演じるマーンスィーは標準ヒンディー語であるが、セリナ・ジェートリー演じるキャンディーはゴア州辺り出身のキリスト教徒でコーンカニー語っぽいヒンディー語を話し、イーシャー・コッピカル演じるサトヴァティーはハリヤーンヴィー語を話す。そしてディヴィヤー・ダッター演じるプールヴィーはグジャラーティー語ミックスのヒンディー語を話す。おまけにスィーマー・ビシュワース演じるプーラン・ターイーは、ドスの利いたムンバイヤー・ヒンディーであった。言語の多様性はこの映画の面白い点である。

 「Hello Darling」は、オフィスのセクハラ・パワハラを題材にしたコメディー映画であり、働く女性の共感を呼ぶような導入となっているが、「Kyaa Kool Hai Hum」並みの下ネタで満ち溢れており、家族向けではない。取って付けたようなストーリーで深みはないが、ちょっとした大人の笑いを楽しみたいのなら見てもいいだろう。

8月28日(土) Aashayein

 ヒンディー語映画界で名監督面している映画監督たちの中で、僕が心から全く認めていないのがナーゲーシュ・ククヌールである。彼のデビュー作「Hyderabad Blues」(1998年)はヒングリッシュ映画の先駆けのひとつとして映画史的に重要な作品であるし、「Iqbal」(2005年)や「Dor」(2006年)など、一定の評価、一定の興行収入を上げた作品もあるが、最近彼が作る映画からは全く才能を感じない。今週公開の「Aashayein」はナーゲーシュ・ククヌール監督の最新作となるが、実はここ数年半分お蔵入りしていた曰く付きの作品で、やっと公開に漕ぎ着けた有様である。その過程から察するにまたしても名作とは思えなかったが、ナーゲーシュ・ククヌール監督の末路を見届ける気分で映画館に足を運んだ。キャストでは、主演ジョン・アブラハムの他、カンナダ語演劇界の巨匠ギリーシュ・カルナドが出演していること、シュレーヤス・タルパデーが特別出演していることなどが特筆すべきである。



題名:Aashayein
読み:アーシャーエーン
意味:希望
邦題:希望の家

監督:ナーゲーシュ・ククヌール
制作:パーセプト・ピクチャー・カンパニー、Tシリーズ
音楽:プリータム、サリーム・スライマーン、シラーズ・ウッパール
歌詞:サミール、クマール、シャキール・ソハイル、ミール・アリー・フサイン
衣装:アパルナー・シャー
出演:ジョン・アブラハム、ソーナール・セヘガル、ギリーシュ・カルナド、ファリーダー・ジャラール、アシュヴィン・チターレー、アナイター・ナーイル、プラディープ・スィン、プラティークシャー・ローンカル、ヴィクラム・イナームダール、ソーナーリー・サチデーヴ、シャラド・ワーグ、ナーゲーシュ・ククヌール、シュレーヤス・タルパデー(特別出演)
備考:サティヤム・ネルー・プレイスで鑑賞。

左から、アナイター・ナーイル、ジョン・アブラハム、ソーナール・セヘガル

あらすじ
 ラーフル・シャルマー(ジョン・アブラハム)はラーオ(ナーゲーシュ・ククヌール)が管轄する違法クリケット賭博で全財産を掛けて勝ち、3千万ルピーを手にする。ラーフルは恋人のナフィーサー(ソーナール・セヘガル)にプロポーズし、結婚することになる。ところがちょうどそのとき肺がんが見つかる。絶望に打ちひしがれたラーフルは、ナフィーサーに黙って姿をくらまし、新聞広告で見掛けた「希望の家」パドマーシュラムを訪ねる。そこは不治の病に罹った人々が死を待つための施設であった。ラーフルは施設を管理するシスター・グレース(プラティークシャー・ローンカル)に頼み込み、大金を寄付することでその施設に入れてもらい、過ごし始める。

 パドマーシュラムには様々な人が死を待っていた。ラーフルの隣にはパドマー(アナイター・ナーイル)という17歳の女の子がいた。おませなパドマーはラーフルとすぐに仲良くなり、様々な話をするようになる。10歳の少年ゴーヴィンダー(アシュヴィン・チターレー)は地元の人々から「神の使い」と崇められていた。ゴーヴィンダーもラーフルと仲良くなる。喉頭がんを患っていたパールタサールティー(ギリーシュ・カルナド)は施設の人々から「アンクル」と慕われていた。一方、マドゥ(ファリーダー・ジャラール)は施設の人々から避けられていたが、それは彼女がエイズ患者だったからである。しかもマドゥは元娼婦であった。しかし、性交渉でエイズになった訳ではなく、輸血によって感染したと言う。ラーフルは、これらの人々と徐々に親交を深めるようになって行く。

 ゴーヴィンダーはラーフルに話を聞かせる。それは、ラーフルの「秘密の夢」だったインディ・ジョーンズばりの大冒険であった。インディは何者かに奪われた愛用の鞭を探して旅を続け、鎖でつながれた幽霊たちで満ち溢れた洞窟に入り込む。幽霊たちはパドマーシュラムの人々にそっくりであった。パドマーそっくりの幽霊もいた。その洞窟の奥には灼熱の釜があり、その上に鞭が入った宝箱があった。しかし、その宝箱には鍵がかかっていた。幽霊たちの鎖を灼熱の釜で溶かすことでしか鍵は手に入らなかった。この話はここで終わったが、その夜ラーフルは夢を見て、ゴーヴィンダー似の幽霊が、彼の心臓を取り出し、それを幽霊たちをつなぐ鎖の錠の鍵に変えるシーンを見た。

 その話にヒントを得たラーフルは、パドマーと共に、パドマーシュラムの人々の「最期の望み」を叶えることにする。そのためにビーチパーティーを催し、死を待つ人々に最期の望みを書かせて集める。ラーフルはパドマーと共に、持参した大金を使って人々の望みを叶えて行く。その一方、2人はお互いに望みを入れた壺を交換し、全ての望みが叶ったときにそれを見ることを決める。

 家族と会いたいと願っていたパールタサールティーの願いを叶えた夜、ラーフルはインディ・ジョーンズの話の続きを夢で見る。全ての幽霊を解放し、鎖を溶かして遂に宝箱の鍵を手に入れたラーフルとパドマーだったが、パドマーが足を滑らせて釜の中に落ちてしまう。目を覚ましたラーフルはパドマーの部屋へ行く。するとパドマーが今にも息を引き取りそうな状態であった。ラーフルは急いでパドマーの最期の望みを見る。それは、ラーフルとのセックスであった。急いでラーフルはパドマーと寝ようとするが、キスをしただけでパドマーは息を引き取る。

 翌朝、ラーフルがパドマーの机の引き出しを開けると、ラーフルの最期の望みが入った壺が壊されているのを発見する。ラーフルは、インディ・ジョーンズの衣装が欲しいと書いていた。パドマーは死ぬ前にその望みを叶え、彼にインディ・ジョーンズの衣装を贈っていた。また、パドマーはラーフルの事情を知っており、死ぬ前に彼のフィアンセであるナフィーサーに電話をしていた。ナフィーサーはパドマーシュラムに駆けつけ、彼の面倒を見るようになる。

 日に日にラーフルは弱って行った。だが、ゴーヴィンダーが新たな話を話し出したことで、次なる目標が見つかる。それは不死の泉を見つける旅であった。ゴーヴィンダーは、不死の泉に辿り着くにはまず地図を見つけなければならないと言う。ラーフルはてっきりパドマーシュラムの庭にある噴水を不死の泉だと思い込み、その中に飛び込んで大はしゃぎするが、それが原因で寝込んでしまう。だが、地図は最後の幽霊の手元にあると知ったラーフルは、マドゥのところへ行き、探し始める。そこで見つけたのが、ヒマーラヤ山脈のとある避暑地のパンフレットであった。それは、かつてラーフルとナフィーサーが共に行こうとしていた場所だった。

 ラーフルは、パドマーに贈られたインディ・ジョーンズの衣装を身に付け、ナフィーサーと共にその地へ向けて旅立つ。

 死に行く人をテーマにした感動作は古今東西数え切れないほどあり、ヒンディー語映画でも、「Anand」(1971年)から「Kal Ho Naa Ho」(2003年)まで、名作が多い。しかし、既に定型化してしまった感は否めず、安易に死をテーマにした感動作に手を出すのは褒められたことではない。だから、「死を待つ人の家」を舞台にした「Aashayein」は、ナーゲーシュ・ククヌール監督らしい浅はかなチョイスだと思った。そして彼らしく中途半端に死を扱っていたため、死に行く人の映画に付き物の涙はほとんどこみ上げて来なかった。しかし、その中途半端さがかえって功を奏していたようにも感じた。インド人監督タルセーム・スィンがインド中の風光明媚なロケーションをフル活用して撮影した「The Fall」(2006年;邦題「落下の王国」)のように、現実と空想を織り交ぜて娯楽映画的要素を織り込むことに成功しており、ラストも、主人公の死でしんみり終わらせるのではなく、空想の世界への旅という形で、よりポジティブな後味の映画となっていた。

 しかし、あくまで中途半端なので、深みはない。空想の世界にしても、「インディ・ジョーンズ」シリーズの受け売りでオリジナル性はないし、「神の使い」ゴーヴィンダーの存在も子供だましの小手先テクニックに思えた。「Anand」と比較されることを予想して開き直っているのか、劇中に「Anand」を登場させて登場人物たちに死期を知ったときの行動などについて語らせてもいる。もっとも卑怯だと感じたのは、主人公ラーフルが「映画だったらこうで」「映画だったらああで」と語って、映画によくある行動を取っていたことである。これにより、陳腐なシーンがいくつも出て来ることへの口実になっていたのだが、ナーゲーシュ・ククヌール監督のように仮にもある程度の経験と実績のある映画監督が採用するような手法ではないだろう。

 パドマーシュラムに住む人々にはそれぞれの物語があるのだが、もっとも心温まるのはラーフルとパドマーの交流である。パドマーは多感で現代的な少女で、彼女を子供扱いするラーフルを翻弄しながらも、彷徨える彼の心を自然に救いの方向へと導いて行く。彼女の言動には、数ヶ月の余命の中でも少女から女性へと成長して行こうとするエネルギーが満ち溢れており、死に行くラーフルのエネルギー源となっていた。「Anand」におけるアーナンド・セヘガル(ラージェーシュ・カーンナー)の、「Kal Ho Naa Ho」におけるアマン・マートゥル(シャールク・カーン)の役割を彼女が担っていたと言っていいだろう。それに加え、息子や孫たちとの確執を抱えたパールタサールティーのエピソードが小気味よい感動を添えていた。

 主演ジョン・アブラハムは、こういう繊細な役柄を演じるには多少無骨過ぎるところもあるのだが、無邪気さも同居しているのがいいところで、インディ・ジョーンズに憧れ、空想の世界で実際にインディ・ジョーンズになってしまうところなど、はまり役であった。肺がんによる痛みで苦しむシーンなどはオーバーアクティング過ぎるところもあったが、全体的に好演と言えるだろう。

 ナフィーサーを演じたソーナール・セヘガルは元TV女優で、「Radio」(2009年)や「Jaane Kahan Se Aayi Hai」(2010年)などの映画にも出演しているが、まだ主演作と言える作品はない。「Aashayein」でも主人公のフィアンセ役でありながら脇役に追いやられていた。間違いなく、パドマーを演じたアナイター・ナーイルの方が存在感があり、演技力もあった。「Chak De! India」(2007年)出演のいわゆるチャク・デー・ガールズの1人で、今回は丸坊主になり、体を張った演技をしていた。チャク・デー・ガールズの中では女優業をコンスタントに続けている1人である。

 ベテラン俳優ギリーシュ・カルナドがちょっと変な役で登場するのは面白い。喉頭がんで喉頭を切除しており、エレクトロラリンクス(電気式人工喉頭)という器械を使ってしゃべる。シュレーヤス・タルパデーは、ラーフルとパドマーが主催したビーチパーティーにバンドのボーカルとして出演。「Ab Mujhko Jeena」を歌う。ナーゲーシュ・ククヌール監督も冒頭でカメオ出演するが、元々演技力はゼロであり、単に映画の邪魔をしていただけであった。

 音楽はプリータム、サリーム・スライマーン、シラーズ・ウッパールなどの寄せ集めとなっている。映画の題名「希望」に合わせて、希望に満ちた歌詞と雰囲気の曲が多いが、突出した出来のものはない。

 「Aashayein」は、長い間お蔵入りしていたのではあるが、死という重いテーマを、暗すぎず明るすぎず、娯楽映画としてのバランスを保ちながら取り扱っており、ナーゲーシュ・ククヌール監督の今までの作品の中ではいい方に含まれる。それでも無理して見る必要がある作品ではない。

8月31日(火) O Yaaro India Bula Liya

 10月3日~14日にデリーで英連邦スポーツ大会(Common Wealth Games; CWG)が開催予定で、現在デリーでは急ピッチでインフラ整備が行われている。7月にはインディラー・ガーンディー国際空港のターミナル3がオープンし、9月にはデリー・メトロの新路線も開通する予定だが、それもCWGを念頭に置いたスケジュールで動いて来たプロジェクトである。同時にソフト面でも準備が進められており、ボランティアの育成や市民の意識向上にも力が入れられている。

 しかし、大会が近付くにつれ、度重なる工事の遅れと工期の延長、基準を満たさない建築品質、運営委員会(OC)の汚職、当初の概算から100倍以上に膨れ上がった予算と巨額の無駄遣いの実態などが連日報道されるようになった。さらに、無計画かつ非効率的な「美化」工事があちこちで突発的に行われ、市民は大きな困難に直面することになり、デリーの風景はかえって醜くなってしまった。同じような問題は北京五輪前の北京やFIFAワールドカップ前の南アフリカ共和国でも起こっていたが、ここまで酷い状態ではなかっただろうと思う。依然としてデリー市民の間でCWGに対する期待は高いが、既に失望してCWG期間中デリーを脱出することを計画する人々も出始めている。チケット予約は6月から既に始まっているが、売れ行きは当初の期待ほど良くはないようだ。

 問題だらけのCWGだが、最近やっと明るいニュースがあった。アカデミー賞・グラミー賞受賞のインドを代表する音楽家ARレヘマーンの手による大会テーマソングが8月28日に大々的に発表されたのである。公式ではないようなのだが、ARレヘマーンのアカウントによってインターネット上で公開されており(参照)、誰でも視聴・ダウンロードできるようになっている。

 テーマソングの正式タイトルは不明なのだが、メディアの多くは「O Yaaro India Bula Liya」としている。直訳すれば「おお友よ、インドが呼んだ」という意味になる。冒頭の一節がこのフレーズであるし、その後も何度もこの歌詞がリフレインされる。曲は、コーラスが印象的な大人しめのイントロから始まるが、すぐにディストーションの効いたギターが入ってハードロック調となり、途中転調を挟みながら、激しいドラムの音と共にエンディングの盛り上がりを迎えるというような展開となっている。メインボーカルはARレヘマーン自身で、歌詞のほとんどはヒンディー語である。

 ところで、インドを旅する旅人やインドにはまってしまった日本人が好んで使う「インドに呼ばれた」「インドが呼んでいる」というフレーズは、元々三島由紀夫が考え出したものらしい。そうだとするとこれは日本人限定の概念ということになるのだが、CWGのテーマソングが「インドが呼んだ」という歌詞を含む曲であることは、どこか運命的つながりを感じる。ただしCWG参加国は英連邦加盟国に限られるため、日本とは関係ないのだが。

 「O Yaaro India Bula Liya」を何度も何度も繰り返し聞いていたら、インド独立50周年記念ソングとしてARレヘマーンが1997年に作り、自分で歌っている「Maa Tujhe Salaam - Vande Mataram」を思い出した。マニ・ラトナム監督の「Bombay」(1995年)が1998年に日本で「ボンベイ」という邦題で一般公開され、そのDVDが1999年に発売されたのだが、そのDVDに特典としてこの曲のタミル語版が収録されていた。映画本編も良かったが、むしろこの映像と音楽に圧倒されてしまい、何度も何度も見直しは涙ぐんでいた。今見ると、ロケ地はジャンムー&カシュミール州ラダック地方、ラージャスターン州ジャイサルメール近辺、グジャラート州カッチ地方、ケーララ州のどこかで、割と偏っていることが分かるが、あの頃は既にインド1周旅行を完了していたもののインドのことなど全く分かっておらず、ただただインドの広大さと多様性と雄大な自然と人々の美しさに感動していた。そして自分もこの一部になりたいと思うようになった。本当にインドが外国人を呼ぶようなことがあるとしたら、僕を呼ぶ声のひとつは確実にARレヘマーンの「Maa Tujhe Salaam - Vande Mataram」であった。

 そのARレヘマーンが今になってはっきりと「インドが呼んだ」というモチーフの曲を作っているのは、自分にとっては格別感慨深いものがあった。そういえばレヘマーンは「Swades」(2004年)でも「お前の祖国(インド)がお前を呼んでいる」という歌詞の歌を作り、自分で歌っているが、あれは海外に移住したインド人向けの曲だったため、外国人である僕の心に直接響くものはなかった。それでも、ARレヘマーンは正に「インドが呼ぶ声」そのものであり、多くの国々からの来客を見込むCWGのテーマソングの作曲家としては、アカデミー賞やグラミー賞などの国際的実績は抜きにしても、最適の人物だったと言える。

 ところが、発表から数日が経ち、「O Yaaro India Bula Liya」に対する批判的な声もはっきりと聞こえるようになって来た。その予兆はSNSなどでのネット上コメントで見られたが、今日になって新聞にも掲載されていた。8月31日付けヒンドゥスターン紙には、「थीम सांग में वो जादू नहीं(テーマソングにあの魔法はない)」との題名で、ARレヘマーン作曲のテーマソングに対してファンや政府関係者の中でくすぶっている批判や不満を紹介している。誰がこの曲にゴーサインを出したのか、という責任問題にまで発展しそうな勢いである。また、元々このプロジェクトのためにARレヘマーンは1億5千万ルピーの報酬を要求したが、交渉の結果、最終的に5500万ルピーになったという裏事情も書かれていた。まるで報酬が少なかったから手抜きをしたような書き方である。

 CWGのテーマソングを作曲するに当たって、まず大きな難関として立ちはだかったのが、FIFAワールドカップ南アフリカ大会のテーマソングとなった、シャキーラの「Waka Waka (This Time For Africa)」であった。インドは必ずしもサッカーが人気の国ではないが、この曲はインドでも大いにヒットした。まずはインドが誇る世界の音楽家ARレヘマーンに、この曲を越えるようなノリノリのテーマソングを期待する声が強かった。次に、ARレヘマーン自身の「Jai Ho」が足枷となっていた。「スラムドッグ$ミリオネア」(2008年)のテーマソングとなったこの曲は、アカデミー賞とグラミー賞を勝ち取り、世界の頂点に立った。ARレヘマーンは、「Jai Ho」を越える曲を作らなければならなかった。そして、国歌のように皆の口に自然に馴染み、スポーツ応援歌としても機能し、インドらしさも含むような曲は当然の要件であった。ARレヘマーンにとって、CWGテーマソングは大きなチャレンジとなったに違いない。彼は6ヶ月をこの曲に費やし、発表のギリギリまで修正を加えていたと語っている。

 しかし、多くのインド人の意見では、「O Yaaro India Bula Liya」は、シャキーラの「Waka Waka」にも、レヘマーン自身の「Jai Ho」にも到底及ばないと評価されており、応援歌としては「Chak De! India」(2007年)のタイトル曲(サリーム・スライマーン作曲)の方がマシだとさえ言われてしまっている。ARレヘマーンが創造性に関わる部分でここまで批判を受けたことは過去になかったのではないかと思う。

 歌詞の奇妙なヒンディー語も槍玉に挙がっている。題名の「インドが呼んだ」を意味する「India Bula Liya」は実は文法的に間違っており、本当は「ネ構文」というヒンディー語独特の文法規則(言語学的には能格と言う)に則って、「India Ne Bula Liya」にならないといけない。僕も気になってはいたが、詩の中では文法の逸脱も許されることが多いので、そういうものだと考えていた。だが、やはり一旦世論が批判に傾くと、これも批判の対象となってしまうだろう。

 それでも、今までの経験から言うと、レヘマーンの曲は、聴いてすぐに「イイネ!」という即効性はなくても、映画の映像などと合わせて聴いたりすると味が出て来て、結局時間が経つと思い出深い曲になっているということが多い。「O Yaaro India Bula Liya」にもそういう力があるのではないかと思う。全体にエネルギーがなくても、部分部分を切り取って使うことで、いろいろな表情を付けられる曲のようにも感じる。ただ、ARレヘマーンの過去の曲を振り返ると、「Rang De Basanti」(2006年)のタイトル曲のような、バーングラー風のアレンジの方がパンジャーブ色の強いデリーでのCWGのためのテーマソングには良かったかもしれないとは思う。CWGのインド人観客の大半はデリー周辺から来るだろうし、彼らはバーングラー大好きなので、そういう曲が流れたらそれだけで会場はもの凄く盛り上がったことだろう。

 ARレヘマーンの「O Yaaro India Bula Liya」は、CWGの運営委員会にとって、今までの辛気くさい雰囲気を吹き飛ばすための絶好の起爆剤となるはずだったが、どうやらこれも不発に終わってしまったようである。CWGの先行きがさらに不安になったが、本当に実行可能なのであろうか?



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