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【8月1日〜8月15日】

8月1日(木) Humraaz

 今日も昼から薄っすらと空に雲がかかり、雨が降りそうな雰囲気だった。結局僕の住んでいる辺りでは降らなかったが、雲が日光を遮ってくれたおかげで少し涼しかった。最近、あちこちの家の屋上で子供たちが凧を揚げているのをよく目にする。最初はモンスーンの到来を祝っているのかと思ったが、よくよく考えてみればあと2週間後にインドの独立記念日がある。それを祝っての凧揚げだった。

 今日は映画を見に行った。前々から見ておきたかった「Humraaz」を見に、PVRアヌパム4へ足を運んだ。デリーでは金曜日ごとに上映作品が入れ替わるので、今日見ておかないと明日から見れなくなる可能性があった。「Humraaz」の意味は「共有の秘密」。ボビー・デーオール、アクシャイ・カンナー、アミーシャー・パテール主演の映画だ。評価も上々で期待が持てたが、その期待を裏切らないほど、どんでん返しに次ぐとんでん返しで楽しめた。ヒンディー語映画にしてはストーリーが凝っていたが、もしかしたらハリウッド映画かインドの他言語映画のパクリかもしれない。ヒンディー語映画は実はパクリが多くて、「いや〜、久々に楽しいヒンディー語映画を見たなぁ〜」と思って映画館を出ても、後から調べてみたら実はパクリであることが判明し、ちょっとガッカリすることが時々ある。




−Humraaz−
左からボビー・デーオール、アミーシャー・
パテール、アクシャイ・カンナー


Humraaz
 カラン(アクシャイ・カンナー)とプリヤー(アミーシャー・パテール)は恋人同士だった。カランはダンス・グループを率いており、大富豪ラージ・シンガーニヤー(ボビー・デーオール)が主催するクルーズ・ツアーに同行するダンス・グループのオーディションに野望を燃やしていた。一旦はライバル・グループのジョージョー・フェルナンデスのグループがその栄誉を勝ち取るのだが、カランはジョージョーの家まで訪ねて行って、酔っ払っていたジョージョーを窓から突き落として殺害する。リーダーを失ったジョージョーのダンス・グループはクルーズ・ツアーに参加できなくなり、代わってカランのグループがクルーズへ参加することになる。ジョージョーの死は事故として扱われた。

 クルーズはシンガポールからマレーシアを数日間かけて旅する豪華なツアーで、船もタイタニック号並みに巨大だった。そこでカランとプリヤーの仲を知らないラージは、ショーでダンスを踊るプリヤーを見初め、ディナーに誘い、最後にはプリヤーにプロポーズをする。そしてプリヤーはそれを承諾する。カランはそれを聞いて激怒すると思いきや、2人で抱き合って喜び合う。実はカランとプリヤーは、ラージを罠にはめる計画を練っていたのだった。カランはラージとプリヤーを結婚させ、そしてすぐに離婚させ、彼の遺産の半分を分捕ってやろうと考えていたのだった。

 ジャイプルでラージとプリヤーの結婚式が行われた。ラージは真剣にプリヤーを愛する一方で、カランはプリヤーより金のことを考えてばかりいた。対照的な2人の男の姿を見て、やがてプリヤーはカランよりもラージを愛するようになる。しかもカランの友人ハリが実はカランのジョージョー殺しや、結婚詐欺の計画を全て知っており、カランに口止め料を払うように要求していた。金を払う期限の日、カランはハリまでも殺してしまう。

 ラージを愛する気持ちが強くなったプリヤーは、ラージと離婚できないことをカランに打ち明ける。その告白を聞いたカランはショックを受けるが、すぐに計算が働き、ハリに口止め料を要求されていることを打ち明ける。ハリは既にこのとき死んでいるが、プリヤーはそのことは知らなかった。プリヤーはカランの言葉を信じ、口止め料を自分が払うことを約束する。カランの計算はそれだけではなかった。カランはわざとラージにこのことを匿名で密告し、カランとプリヤーがラージを罠にはめようとしていることを知らせる。ハリの口止め料を手渡しにカランの家を訪れたプリヤーの後をラージは尾行し、プリヤーがカランに金の装飾品を渡すところを見てしまう。こうしてラージは自分が裏切られていたことを知る。しかもラージは、カランがハリを殺したことも知る。ハリは死ぬ間際にラージに電話し、留守電に全てを打ち明けていたのだった。その留守電をこのとき初めてラージは聞いた。

 ラージはカランの家を訪れ、2つの道を提示する。1つは警察にハリ殺しの件を通報し、牢屋に入る道。もう1つは自分を裏切ったプリヤーを殺す道。ラージはカランにプリヤーを殺させようとしたのだった。その代わり大量の報酬金を用意していた。カランはプリヤー殺しを承諾する。

 一方、ラージとカランの間に密約が成立したことを知らないプリヤーは、ラージに全てを打ち明けようと決心していた。プリヤーはカセット・テープに事の真相を録音し、朝、ラージの自動車の中に置いておいた。それは奇しくもプリヤー殺しが計画されていた日だった。あいにくラージは朝、そのカセットを聞かずに出勤してしまった。家に1人になったプリヤーに覆面の男が襲い掛かる。仕事が終わり、自動車に乗って自宅に帰ろうとするラージは、カセット・テープにプリヤーの告白が吹き込まれていたのを初めて知った。そしてプリヤーが本当に自分のことを愛してくれていたことを知った。ラージは急いで自宅に戻る。

 自宅には警察が来ており、全てが終わった後だった。悲しむラージ。しかしよく見てみたらプリヤーは無事だった。床に倒れていたのは、プリヤーを殺そうとした覆面の男だった。ラージはその男の顔を確認するが、なんとカランではなかった。そこへカランが現れる。カランはちょうどラージの家を訪れ、プリヤーに襲い掛かった覆面の男を間一髪で殺して、プリヤーの命を救った英雄になっていた。しかもカランは、ラージがカランにプリヤー殺しを依頼しているシーンを全てビデオに録画していた。今度はラージの立場が危うくなる。カランはラージをゆすって、何千万ルピーもの口止め料を要求する。

 金の受け渡し場に現れたラージは1ルピーも持っていなかった。カランはボディーガードと共に現れた。ラージはカランに金を渡すよりは、カランを殺す道を選んでいた。懐から銃を取り出しカランに向けて放つ。カランは咄嗟に避けて、乱闘が始まる。多勢に無勢でラージは一旦床に倒れてしまうが、そこでプリヤーが現れた。プリヤーはカランとラージが口止め料のことを話しているところを全て盗み聞きしていたのだ。そして依然としてプリヤーはラージの味方だった。カランはプリヤーに向けて銃を放ち、プリヤーは左肩に銃弾をくらう。しかしそれを見たラージは怒って急にパワーアップし、並み居るボディーガードを全て1人で皆殺しにしてカランさえも首吊りの刑に処す。しかしカランは死んだ振りをしており、ラージが立ち去ろうとしたときにラージの背中に向けて銃を向けた。ところが銃弾を受けたのはカランの方だった。その後ろからさらにプリヤーがカランを銃で撃ったのだった。こうしてラージとプリヤーはお互い抱擁し合い、ハッピーエンドとなった。

 ストーリーは非常によくできていて、どんな展開になるんだろうとドキドキしながら、しかも感心しながら見ていた。ボビー・デーオールが出ると必ず暴力映画となるので、今回もそれを半分予想していたが、やはり最後は力づくで決着が付いてしまった。最後のアクション・シーンの寸前まで緻密に進んでいったので、最後が大味な暴力シーンだったのはちょっと残念に思えた。でも、どんでん返しが起こる度に観客のインド人から唸り声が出ていたので、インド人受けもいいのではなかろうか。

 アクシャイ・カンナーの映画は「Taal」と「Dil Chahta Hai」ぐらいしか見ていないのだが、今回の彼はなんだか増毛していたように思えた。アクシャイ・カンナーの第一印象は、「額が広くてハゲかかっている男優」だったのだが・・・。この映画では彼の演技が一番光っていた。アミーシャー・パテールは相変わらずあまり好きになれないのだが、ちょっとしたお色気シーンもあったりして今回はまあ満足。歌と踊りは中の上だと思った。

 ストーリーがよかったのに加えて、なぜか今日は耳の調子がよく、かなりヒンディー語を理解できたように思えた。特にジョニー・リーヴァルの言葉のジョークで笑うことができた。アクションのジョークなら言葉が分からなくても壺にはまりさえすれば誰でも笑えるのだが、言葉のジョークで笑うことができるとかなり玄人気分だ。



 家に帰ってYahooニュースを見ていたら、以下のような興味深いニュースがあった。

インド北部に130歳の女性?
 【北京1日時事】ニューデリー発の新華社電(電子版)がこのほど、現地の報道として伝えたところによると、インド北部の村に130歳以上とみられる女性が住んでいることが分かった。事実なら、ギネスブックで世界一の長寿と認定された鹿児島市の本郷かまとさん(114歳)を大きく抜くことになる。

 3カ月前からこの女性の家系調査を開始したインド北部チャンディガルの弁護士によれば、女性の出生証明はないが、孫が80歳で、まだ健在の子供が102歳という。

 女性は今も山にまき集めに行き、毎日牛乳を2杯飲み、パンを食べる生活を送っている。人生で病院には2回しか行ったことがないという。 (時事通信)

 摩訶不思議な国インドのこと、さもありなんな話である。インド北部というのはいったいどこのことなのか明記がなかったが、僕の予想では多分カシュミール地方だと思う。なぜならカシュミール地方のパーキスターン側にあるフンザという村は、世界的に長寿村として知られているからだ。そこではアプリコットがよく食べられており、それが長寿の要因という説を聞いたことがある。それか、チャンディーガルの名前が出ているので、パンジャーブ州かハリヤーナー州、またはヒマーチャル・プラデーシュ州かもしれない。

 この話をスラブにしたら全然驚かれなかった。「僕の友達のお婆ちゃんなんか、124歳だよ」とケロリと言っていた。鹿児島市の本郷かまとさん(114歳)どころの騒ぎじゃないだろう。もしかしてインドって世界一の長寿国?

8月2日(金) ザムルードプルの物件

 数日前ザムルードプルで僕が発見した物件は、今度新しくサンスターンに通う韓国人の女の子2人組のものとなった。彼女たちは今年のホーリーのときに出会った人たちで、いつの間にかサンスターンでヒンディー語を学ぶことになっていた。元はといえば僕が彼女たちにその物件を紹介したのだが、よっぽど気に入ったのか、他の物件をろくに見ないうちにそこに住むことを決めてしまっていた。僕は彼女たちについていって大家さんとの契約を見守っていた。確かに今まで僕が見てきたインドの家の中でも、トップクラスのきれいさだったので、ザムルードプルの雰囲気と大家さんとの相性、それに家賃に納得がいけば、かなり快適に過ごせるであろうことは容易に保証できた。結局電気代、水道代込みで7000ルピーということになった。2人で住むならちょうどいいぐらいの家賃と広さだろう。

 実はその物件の大家さんとその物件を紹介する不動産屋は同一人物だったので、紹介料は一切払わなくていいことになった。ところが、契約書を作るのに何か面倒な手続きが必要らしく、その手数料を彼女たちが払うことになった。大家さんと共にジャングプラーにある法律事務所のようなところへ行き、契約書を作ってもらった。写真3枚、ヴィザのコピー1枚が必要だった。この契約書、作るのに1時間以上かかった上に、作成料が4000ルピーもした。実際はそんなにしないと思うのだが・・・多分大家さんがその作成料のいくらかをもらっているのだろう。これは大家さんの方が一枚上手だった。紹介料を家賃1ヶ月分払うよりは安く済んだが、家賃半月分よりは高くついたことになる。ちなみに不動産屋に払う紹介料は、デリーでは家賃の半月分〜1ヶ月分払うことになっているようだ。これは交渉次第である。

 一方で僕の引越しの方はあまり進展がない。引越しをすることはかなり自分の心の中で決定したが、いざ決心するとガウタム・ナガルが無性に名残惜しく思えてくる。大家さんの家族、特にスラブのことが頭に浮かぶ。ちょっと自意識過剰かもしれないが、僕がいなくなるとスラブはかなり寂しがると思うな・・・。僕がいなくなった後は、誰と一緒にマクドナルドへ行くのだろうか?

8月3日(土) 家探し

 今日は朝からPVRアヌパム4に「Bend It Like Beckham」という映画を見に行ったのだが、今日のチケットは全て売り切れだった。最近週末のPVRアヌパム4のチケットは本当に手に入りにくい。1枚150ルピーもするのに、よくみんな見に来るなぁと驚いてしまう。一般の映画館の2〜3倍ぐらいの値段だ。インド人は家族やグループで見に来る人が多いので、さらに大きな出費となるだろう。それなのに敢えてPVRアヌパム4を選ぶとは、ある程度余裕のある人々が増えてきたのだろうか。デリーではだんだん中流階級のインド人の人口が増えつつあることを時々ふと実感することがある。

 映画は見れなかったが、それでもいろいろやることはあった。まずはネルー・プレイスのコンピューター・マーケットへ行った。そこで安物のCD−R(1枚11ルピー)と、違法コピーCDを購入した。マクロメディア・コレクションという名前で、FlashやDreamweaver、Fireworks(もちろん英語版)などが入っている。これが1枚150ルピー。他にもいろいろソフトが入っていたが、結局インストールしたのはFlash 5.0とDreamweaver 4.0だけだった。シリアル番号が入ってなくてインストールできないものもあった。まあどうせ150ルピーなのでもともと多くは望んでいない。

 その後、カイラーシュ・コロニーの不動産屋へ行って、新しい物件がないか聞いてみた。今日は2つ新しい空き部屋を見せてもらった。1つはグレーター・カイラーシュ1のWブロックにあり、Mブロック・マーケットの真ん前の家だった。どうもグレーター・カイラーシュ1で安い物件を探すと、絶対に使用人用の部屋みたいな物件を紹介される。グレーター・カイラーシュ1の敷地には家主の立派な建物がド〜ンとそびえており、奥の隅に2〜3階建ての小さい建物が寄り添うように建っている。大体螺旋階段で上の階に上るようになっており、部屋は小さくてあまりきれいではないことが多い。今日見せてもらったWブロックの物件は、この前見せてもらったWブロックの物件(自称「President of G.K.1」の家)よりも汚なくて、即刻パスだった。家賃も聞かなかった。Mブロック・マーケットの真ん前というのも、逆に治安が悪そうだったし騒々しそうだった。

 次に見せてもらったのはカイラーシュ・コロニーJブロックの物件。1階は大工さんか何かの事務所で、その2階が空き部屋になっていた。カイラーシュ・コロニーにしては安く、3500ルピー。棚や窓、トイレやシャワーなどをちゃんと修理させて、きれいに掃除さえすれば快適に住めそうな感じの部屋だった。ちょっと気に入った。

 最後にもう一度、自称「President of G.K.1」の家の空き部屋を見てみた。まだ入居者が決まってなくて空だった。やはり天井が低いものの、今まで見た物件の中ではいい方かもしれない。ギザルとウォーター・クーラーを付けてもらって、電気代込みで4000ルピーになれば、ここに住んでもいいかな、と思い始めた。Mブロック・マーケットも近いし、学校までも歩いて20分程度だ。ただ、バス停からはちょっと遠いのが難点か。今日は大家さんが昼寝中だったので、別に何も交渉したりしなかった。

 最初は9月から引っ越せばいいか、と思っていたが、最近だんだんサンスターンの学生たちがカイラーシュ・コロニー近辺で住む家を探し始めた感じなので、早めに決めてしまった方がいいかもしれない、と思い始めた。近いうちにもう一度自称「President of G.K.1」と交渉しようと思う。

8月4日(日) フレンドシップ・デー/Evverybody Says I'm Fine

 インドだけなのか国際的な日なのか知らないが、今日は「フレンドシップ・デー」である。友人の手首にミサンガのようなものを結んであげる習慣になっている。だが、特に何が行われるわけでもなく、友達同士「ハッピー・フレンドシップ・デー」と握手して終わりのことが多い。

 最近曇り空のことが多い。本格的にモンスーンがやって来たようだ。デリーの四方ではかなり雨が降り始めたらしい。おかげでデリーはウォーター・クーラー状態で、涼しい風が吹いてきて涼しかった。午後に少しだけ雨も降った。やはり雨が降るとインド人はわざわざ外に出て雨を浴びる。今の季節、インドでは「いい天気」と言ったら曇りか雨の日を指すのだ。

 昨日のヒンディー語新聞「ダイニク・ジャーグラン」に子供向けの面白い記事があったので、暇潰しに今日、日本語に訳してみた。

いい習慣を身につけよう
 健康で丈夫な身体を手に入れるためには、運動、スポーツと栄養満点の食事の他に、君の生活習慣も正しくすることが非常に重要なんだ。正しい習慣を身に付けたときに初めて「いい子」と言ってもらえるんだよ。

 健全な肉体に健全な精神が宿る、だから偉大な先人はかつてこう言ったんだ――「一番の幸せは健康な身体である」と。早寝早起きしてる子供はいつも健康で幸せで、勉強もよくできる。科学者たちも、朝に学んだことは長く覚えていて、しかも簡単に理解できることを証明してる。だから君はパパとママを説得して、夜遅くまでテレビを見ないようにしてもらって、朝は早く起きて一緒にちょっと散歩したりするといいよ。そうすれば、ただみんな君のこと好きになるだけじゃなくて、将来にも不安がなくなるよ。

 運動で育つ身体

 学校の宿題が終わった後の自由時間は、テレビを見るよりも公園で遊ぶ方がいいよ。公園のすがすがしい風で身体は新鮮で活発になるからね。それに運動や体操で僕たちの身体の筋肉と内臓が活性化するんだ。

 衛生と清潔のために2つの注意事項

 衛生と清潔に関して、常に注意してなければいけないよ。毎朝規則的に歯を磨くだけでなく、夜寝る前にも同じことを繰り返さなくてはいけないよ。シャワーを浴びるときは石鹸と水を使おう。小さな子供にシャンプーを使いすぎるのはよくないから、1週間に1度ぐらいシャンプーを使ってあげよう。遊んで帰ってきた後は、自分の手、足、口と首を石鹸と水でよく洗おう。トイレに行った後も手を石鹸でよく洗おう。そうすれば、汚れとばい菌が落ちるよ。

 汚ない衣服は避けよう

 身体を清潔に保つことが大切なのと同じく、清潔な衣服を着ることも大切だよ。汚ない衣服を着ていると、ただ臭いにおいがするだけじゃなく、皮膚の病気になる可能性があるよ。君は少なくとも自分の下着は自分の手で洗おう。気候に合った服を着ることも大切だよ、そうしないと病気になっちゃうよ。

 煙や塵を避けよう

 もし君の家で誰かがタバコを吸っていたら、そのときはその場所から遠くへ逃げよう。タバコは吸ってる人だけじゃなく、そばにいる人にも有害なんだ。自転車などに乗っているときは、ハンカチで鼻と口を覆おう。そうすれば自動車のガスや砂埃が身体の中に入るのを防ぐことができるよ。

 インドも都市部を中心にだんだんと欧米並みの衛生観念を持ったインド人が出現し始めたということだろうか?日本で同じような記事が新聞に載ったら驚くに値しないが、インドでこういう記事が大衆向けの新聞に載るというのにはちょっと驚いた。上に書かれていた記事の中には、いかにもインドらしい部分や、逆にインド離れした部分が見受けられた。

 「朝だけじゃなく、夜も歯を磨こう」という部分はいかにもインドらしい。インド人は朝に歯を磨く民族なのだ。日本でも朝歯を磨く人がいるが、一般的には夜寝る前に磨く人が多いだろう。朝と夜両方磨く人も多い。でもインド人は絶対的に朝歯を磨く。昔、夜に歯を磨いていたら、シャームーにその姿を見られ、「今頃歯を磨いてるの?」と笑われたことすらある。でも普通に考えたら夜寝る前に歯磨きした方が絶対に効率的なのだ。ただ、不思議なことに虫歯になるインド人は少ないらしい。

 「家でタバコを吸ってる人がいたら遠くへ逃げよう」というのも、割とインドっぽいような気がした。タバコを吸うのを止めさせる、という発想はないようだ。個人の習慣を尊重しているということだろうか。

 「自転車に乗ってるときに鼻と口を覆う」というのは、実際に自転車やバイクに乗ってるインド人がやっている行動なので容易にイメージが浮かぶ。東京でバイクに乗ってる人が時々やってるのを見たことがあるが、日本ではあまり一般的ではないだろう。強盗に見えるからあまり日本ではやらない方がいいかもしれない。

 「家でテレビを見るよりも外で遊ぼう」という注意書きがあるということは、裏返して考えてみれば、次第にインドでも家の中に閉じこもって外で遊ばない子供が増えてきたことを意味するのかもしれない。一応僕の家の近くの公園では、夕方になると大勢の子供たちが遊んでいるのだが・・・。



 夜、友達のインド人7人とPVRアヌパム4へ映画を見に行った。7人で映画を見に行くのは初めてのことだ。最初はPVRプリヤーへ「Men In Black2」か「Minority Report」を見に行ったのだが、どちらもチケットが手に入らなかった。1枚2枚ぐらいならダフ屋から少し高いお金を払って購入することもできたのだが、7枚となるとダフ屋でも難しい。そこで今度はPVRアヌパム4へ駆けつけたのだが、そこでもチケットは手に入らなかった。しかし「Everybody Says I'm Fine」という映画だけはまだ空席があった。聞いてみたら7人分ひとかたまりで空席もあったので、そのチケットを購入した。その映画に関しては全くどんな映画か予備知識がなかったの一か八かのギャンブルだった。

 「Everybody Says I'm Fine」は、「Monsoon Wedding」に似た感じの映画で、インド映画だが登場人物のほとんどが英語で会話をするという、新ジャンルのインド映画だった。舞台はムンバイーのとある美容院で、主要登場人物は全員流暢な英語を話す。唯一、運転手や召使いなどが会話をするときだけヒンディー語が使われる。つまり、インド上流階級のリアルな姿が描かれていると言っても過言ではない。今の僕の言語能力では、はっきり言って英語よりもヒンディー語の方が聴き取りやすくなっていたため、全体の理解度は通常のヒンディー語映画よりも落ちた。監督はラーフル・ボース、主なキャストはレーハーン・エンジニア、コーエル・プリー、ラーフル・ボース、プージャー・バット、アナヒター・オーベーロイなど。ザーキル・フサインが音楽監督を務めていたのにも驚いた。

Everybody Says I'm Fine
 ムンバイーの街角にある美容院XENのオーナー、ゼンは不思議な能力を持っていた。人の髪の毛を切ると、その人の考えていることを読み取ることができるのだ。彼は毎日やって来るお客さんたちの心を読んでいた。人々は口では「自分は絶好調だ」と言っているが、内心はいろいろ問題を抱えているものだ。しかしゼンはその能力を悪い方向には使わず、客の考えていることを尊重して、その願望通りに事を進めてあげたりして、さらには恋のキューピッドになったりもしていた。

 XENにはいろいろなお客さんがやって来た。若い女学生、落ちぶれたが豪遊生活を止めないマダム(プージャー・バット)、感情の起伏が激しい個性派俳優(ラーフル・ボース)、一見社会的に成功したビジネス・マンなどなどだ。その中で、ゼンはあるとき心を読むことのできない一人の女の子と出会う。彼女の名前はニキータ。ニキータは毎晩クラブ通いして遊び歩いているような不良少女だった。ゼンは彼女に惹かれる。そしてニキータにだけ、自分が持っている不思議な能力について打ち明けたのだった。そしてある晩2人はベッドを共にする。

 ゼンの美容院によくやって来るビジネス・マンがいた。彼は雑誌の表紙に載るほど事業に成功したのだが、娘のことで大いに悩んでいた。ある日ゼンはそのビジネス・マンの娘がニキータであることを知る。そしてその男が娘のことを全く省みないばかりか、密かに殺してしまおうと考えていたことを察知する。ゼンは怒り、そのビジネス・マンの頭を鷲づかみにして台に叩き付け、殺してしまう。ゼンはその死体を自動車の運転席に乗せて壁に突っ込ませ、交通事故に見せかけた。

 ニキータの父の死体はすぐに発見された。ニキータは父の死にショックを受け、1人でXENへやって来る。そして、ゼンに髪を切らせる。ゼンの脳裏には、ニキータの激しい感情が一気に押し寄せてくる。父には愛してもらえなかったけど、愛してもらいたかった気持ち、毎晩遊びまわっていたが、身体を許したのはゼンだけだったこと、どんな父親でも生きててもらいたかったことなどなど・・・。ゼンはただただニキータと共に泣き崩れるしかなかった。

 翌朝、ゼンはいつものように髪を切っていた。しかし、気付くと誰の心も読めなくなっていた。ゼンにとって他人の心を知ってしまうことは苦痛だった。他人の苦痛まで分かってしまうからだ。その苦痛から解放されたのだ。ゼンはニキータと抱き合って喜ぶ。

 う〜む、インド映画でここまで作れるか、と唸るぐらいの作品だった。この映画だったら欧米の映画と並べて鑑賞しても全く遜色ない。言語が英語ということで、もちろんインド国内市場だけを見たら観客は自ずと絞られてくるのだが、より広いマーケットである世界市場を視野に入れた場合、このインド映画のような新ジャンル「ヒングリッシュ映画」は一時代を築くぐらい将来勢力を拡大するかもしれない。ちなみに「Everybody Says I'm Fine」はトロント、バンクーバー、フィラデルフィアなどいくつかの映画祭に出品されたらしい。

 ただ、気になったのが、普通のヒンディー語映画などに比べて際どいシーンがけっこう多かったことだ。インド映画ではキス・シーンが出てくることすら稀なのに、この映画では濃厚なキス・シーンがあった他、ベッド・シーンまであった。英語の映画だから許されるのか?そこんとこの基準がよく分からない。

 観客の反応はかなりよかった。ミュージカル・シーンはなかったものの、普通のインド映画のようにギャク・シーンも満載だったので、場内からは時々爆笑の声が上がった。しかし、やはり英語を聴き取って笑わなければならないので、笑う人々の笑い方には「オレは英語ができるんだぜ」という優越感じみたものがあったように思えた。また、本当にこの映画ほどインドで日常的に英語が使用されているかは、今もって僕には謎である。確かにマクドナルドなどに行くと、そこにいるインド人の若者たちは英語でしゃべっていることが多い。でも時々ヒンディー語が混じるのが通常だ。また、もしこの映画のゼンのように、他人の思考が読めるようになったと仮定して、普段英語をしゃべっているインド人の脳みその中を覗いてみたら、果たして彼らは英語で思考しているのだろうか、ふと疑問に思った。

8月5日(月) デリー日本人会ホームページ

 実は僕はデリー日本人会のホームページ作成のバイトをすることになっていた。今年の4月、日本に帰る前に一度日本人会の人々と顔合わせがあったのだが、その後音信不通となり、このバイトはオジャンになったかと思っていた。しかしつい先日先方から連絡があり、ホームページ作成の仕事の一部を今日引き受けることになった。昼頃、サフダルジャング・エンクレイヴにある日本人会の事務所へ出かけて行った。

 事務所には新しく購入した東芝のDynabookが置いてあった。そのPCで作業をしろ、ということみたいだ。僕の持っているPCもDynabookだったので、使い勝手はいい。しかしコンセントの変換プラグを誰かがどこかに持って行ってしまったようで、パソコンに電源が供給できなかった。事務所の家電製品は全て最初からインド式プラグだったので、他に変換プラグがなかった。しかし、よく探してみたら湯沸しポット用に使っている変圧器があり、日本用のプラグを差し込めるようになっていたので、それを使うことにした。

 しかし、事務所のパソコンには古いホームページのファイルがひとつも入っていないことが判明した。今までのホームページを作っていたYさんは、古いパソコンにも新しいパソコンにもファイルを全く残していないようだった。Yさんに電話をしてみると、ファイルは彼が持っており、しかもデザインを一新する予定とのことだったので、この際僕が一からサイトのデザインを作り直そうと勝手に決心し、ホームページを作りはじめた。今までのデリー日本人会のホームページは、なんとなく初心者丸出しというか、ゴチャゴチャしすぎというか、とにかく僕のセンスに合わなくて気になっていたのだ。

 本当は今日頼まれた仕事はただ年間行事予定と役員名簿のページを作成することだけだったが、大きなお世話ながら本当に一から自分好みのホームページを作成してしまった。簡単にかっこいいホームページを作るコツは、あまり色を多く使わないことだ。同系色でまとめると、簡単にスッキリとしたホームページになる。多色を使うにはある程度の知識とセンスが必要になり、時間もかかる。日本人会のホームページは特に理由もなく白地にオレンジで統一してしまった。12時から5時まで5時間ほどで大まかなサイトのデザインを作った。まだYさんや広報部の人に了承を得ていないのでアップデートはしていないが。

 聞くところによると、来月ぐらいからある日本人がグリーン・パークのマーケットに日本人向けのスーパー・マーケットを開店するらしい。こんな時期に何で・・・という気持ちもあるが、もしその噂が本当だったら、デリーの日本人にとって朗報中の朗報だろう。デリーで納豆、味噌、醤油などなどが安価で手に入る時代がやって来るのだろうか?そうなったらデリーの駐在員も過ごしやすくなり、日本企業もインドに進出しやすくなり、デリーに住む日本人が多くなればさらに日本人を相手としたレストランや店がオープンする、というサイクルが生まれるだろう。だんだんデリーがバンコク化しつつあり、少し悲しい気持ちもするが、少しワクワクする気持ちもあるのは確かだ。

 夜にはなぜか急に大家さん一家と南インド料理レストランへ出掛けることになった。僕がスラブに「今から一緒にマクドナルドに行かない?」と誘ってみたところ、「今から僕たちは南インド料理レストランに行くんだ。兄さんも行く?」という話になったのだった。最近あまり大家さんの家族と一緒に夕食をとったりしていなかったので、久々の会食となった。しかももうすぐ引っ越す可能性が高いので、最後の晩餐となる可能性もある。一応大家さんには「いい家が見つかったら引っ越す」とは言ってあるものの、まだいつ引っ越すかは知らせていない。というか、僕自身まだいつ引っ越すか決めていないのだが。

 どこの南インド料理レストランへ行くかと思ったら、なんと旧ケーンドリーヤ・ヒンディー・サンスターン近くにあるゴーヴァルダンというレストランだった。学校から近かったこともあり、僕は何度か行ったことがある。スラブは生意気にも香水をつけて来ていた。僕は「ホイホ〜イ、香水付けてどこ行くんだい?女の子とデートかい?」とからかってみた。シャームーから以前聞いたのだが、スラブは学校でどういうわけかヒーローになっていて、女の子にモテモテらしい。まあ確かにスラブは背も高くて顔もかわいい。しかしスラブは「僕は女子と話したことなんて一度もないよ。女子は意地汚くて、奴らと話すと勉強ができなくなる」と、よく分からない言い訳をしていた。ゴーヴァルダンで僕はターリーを、スラブはマサーラー・ドーサーやワーダーを食べた。

 僕としてはゴーヴァルダンの料理は何の問題もないくらいおいしかったのだが、スラブはワーダーが気に食わなかったみたいで、不機嫌そうな顔をしていた。熱し方が足りず、柔らか過ぎたらしい。大家さんはウェーターに文句をつけて、もう1皿新しいワーダーを持ってこさせていた。大家さん一家の感想では、南デリーの南インド料理屋の中ではウドゥピが一番おいしいということで満場一致していた。ウドゥピの支店が以前までユスフ・サラーイのマーケットにあったのだが、そこは潰れてしまった。本店はヴァサント・ヴィハールかどこかにあるそうだ。夕食をおごってもらったので、大家さんに「ありがとうございました」と一応言っておいたら、「君は私の息子じゃないのかね?礼を言う必要はない」と言われた。あまり親切にしないでもらいたい、ガウタム・ナガルを去れなくなる・・・。

8月6日(火) 仮契約

 去年の暮れあたりからCDの価格が一気に値下がりし、歓喜に浮かれてその頃はかなり無作為にCDを買いまくってしまった。視聴もろくにせず、ジャケットが気に入ったり、好きな音楽監督が音楽を担当していたりしただけで即購入という衝動買い状態だった。だが、駄作を買ってしまうことも少なからずあり、CD1枚100ルピー(300円弱)になったとはいえ、冷静に考えてみればインドでは1人分の贅沢な食事ができてしまう値段だから、現在ではCD購買熱はかなり冷めた。決定的要因は、僕のパソコンのハード・ディスクの容量が少なくなってきたことだ。いちいちCDを入れて聞くのが面倒なので、買ったCDは全部MP3にしてハード・ディスクにコピーし聞いている。だが、MP3ファイルはけっこう大きなサイズになるので、ハード・ディスクをかなり占領してしまっているのだ。とは言え、1週間に1度は新作CDをチェックしに行くのが習慣となっている。

 今日はサウス・エクステンションのプラネットMへ行った。また新しいCDがいくつか発売されていた。片っ端から買い漁りたい衝動を抑え、ジャケットを見て音楽監督や出演俳優などをチェックする。また、プラネットMやミュージック・ワールドには売り上げベスト10コーナーの棚もあり、それも参考になる。インド人の間でヒットしていれば、そのCDは間違いなくいい曲である。そのくらい、僕はインド人の音楽センスに信頼を置いている。プラネットMやミュージック・ワールドでは視聴もできる。「Kaante」「Mujhse Dosti Karoge」「Dil Hai Tumhara」などを視聴し、「Kaante」を買うことを決意した。ベスト10コーナーでも2位にランク・インしていた。1位は「Devdas」。家に帰って聞いてみたが、割とクラシックなインド音楽のテイストに、現代っぽいセンスをミックスしてあって良作だった。音楽監督はアーナンド・ラージ・アーナンド。最近マフィアと電話で密談していた罪により逮捕されたサンジャイ・ダットのレアな歌声を聴くことができるのもよい。

 サウス・エクステンションからバスに乗ってサンスターンへ行った。いつ学校が始まるか聞いてみた。今まで何度も足を運んだのだが、校長先生が変わるらしく、その人が着任するまでスケジュールが決まらない状態だった。しかし今日行ってみたら決定していた。8月12日(月)から始まるそうだ。

 ここ2週間ほど新居探しを適当にやっていたのだが、遂に今日決定することにした。場所はG.K.1のWブロック。大家さんは自称「President of G.K.1」。部屋が気に入ったというよりも、ロケーションと大家さんの人柄が気に入ったから、そこに決めることにした。大家さんはラーホール近郊出身の人で、インド・パーキスターン分離独立のときにデリーに移住してきた老人だ。もう引退しているのだが、現役時代はソーシャル・ワーカー(?)をしていたらしい。ダムの建設やその他の公共事業を援助したりしていたそうだ。また、東京三菱銀行の駐在員が5年間その家に住んでいたそうで、親日的で信頼が置けそうだった。上流階級の部類に入る人なので、会話は英語中心である。ヒンディー語を忘れてしまうかもしれない。でも老人なので耳が遠くて、けっこう会話するのは苦労する。今日は手付金として1000ルピーだけ払っておいた。引越しは8月15日のインド独立記念日後にすることにした。

8月7日(水) Bend It Like Beckham

 まだ日本人会のホームページが完成してなかったので、昼頃からサフダルジャング・エンクレイヴにある日本人会の事務所へ行ってホームページを作成した。

 今日はたまたま事務所に、来月あたりからグリーン・パークで日本人向けスーパー・マーケットを開く人が来たので、その人と話をすることができた。もともとネパールで長く暮らしていた人で、インド滞在歴もかな〜り長そうだった。有機野菜や調味料などをまずは置く予定らしく、お客さんの要望に従っていろいろ揃えていくそうだ。店の名前は「大和屋」になるらしい。その他、法律が許せば日本の酒・ビールなども置く予定らしい。場所はグリーン・パーク・エクステンションのパーク・リージェンシー・ホテルの地下1階だそうだ。客は日本人駐在員がターゲットだが、最近増え始めた健康志向の金持ちインド人にも来てもらえるような店にするそうだ。僕がガウタム・ナガルを引っ越した後に、そんな便利な店が開くなんて皮肉な話だが、G.K.1からも別にそんなに遠くはないので、時々訪れることも可能だろう。デリーに新しい風が吹き始めている。



 今日は夜からPVRナーラーヤナーに「Bend It Like Beckham」を見に行った。この映画はイギリス在住のインド人女性監督グリンダル・チャッダーが作った英語の映画で、僕が勝手に名付けた「ヒングリッシュ映画」の一種と分類することができるが、一般的には英国映画の分類となっているようだ。海外に住むインド人の生活ぶりと、女子サッカーを題材とした映画で、インドで公開され始めたのは最近だが、今年の4月からFIFAワールド・カップに合わせて世界各地で公開されていた。日本で公開されていたかはよく分からない。




Bend It Like Beckham


Bend It Like Beckham
 ロンドンの閑静な住宅街に、パンジャーブ人の一家が住んでいた。お父さん(アヌパム・ケール)は警察官、お母さんは保守的で敬虔なスィク教徒。その家には2人の娘がおり、長女のピンキー(アルチー・パンジャービー)はファッションが好きで、フィアンセとの恋愛に燃える女の子、そして次女のジェス(パルミンダル・ナグラー)は全く正反対の性格で、デヴィッド・ベッカムを崇拝し、自身もサッカーをプレイするのが大好きなスポーツ少女だった。もちろんお母さんはジェスがサッカーばかりして全然女の子らしい性格でないのを嘆いていた。

 ある日、ジェスが公園でいつものように近所の男の子たちとサッカーをして遊んでいると、女子サッカー・チームに所属しているジュレス(ケイラ・ナイトリー)がジェスの才能を見抜き、彼女をチームにスカウトする。女子サッカー・チームのコーチ、ジョー(ジョナサン・リース・マイヤーズ)もジェスを認め、こうして彼女は女子サッカー・チームの選手となる。ジェスは他のチームとの対抗試合でも活躍し、頭角を現す。ジェスとジュレスは親友となり、一緒に練習に精を出していた。

 しかしジェスは家族の承諾を得られないままサッカー・チームに入ってしまったので、いつも内緒で出掛けては練習をしていた。ただ、お父さんだけは、自分も過去にクリケット選手を夢見ていたが諦めたことがあり、ジェスには諦めずに自分のやりたいことを貫いてもらいたかった。一方、お母さんはジェスにパンジャーブ料理を教え込んでなんとか女の子らしい女の子にしようと努力する。お姉さんのピンキーはフィアンセとの結婚が決まり、幸せの絶頂にあった。

 次第にジェスとジョーは惹かれあった。ところがジュレスもジョーのことが好きだった。こうしてジェスとジュレスの間に亀裂が生じる。しかしチームは順調に試合を勝ち進み、決勝戦まで出れることになった。ところが、運悪くその日はジェスのお姉さんの結婚式当日だったのだ。

 いくら決勝戦があるとは言え、お姉さんの結婚式を欠席することは許されない。ジェスは仕方なく決勝戦出場を諦め、サッカーに対する情熱も冷めてしまう。ジェスは部屋中に貼ってあったベッカムの写真を全て取り除いた。

 結婚式当日そして決勝戦当日、ジェスはサーリーに身を包み、姉の結婚の儀式に付き添っていた。しかしお父さんはジェスにこっそり言う。「今やらなかったら一生後悔することになる。結婚式は夜通し続いて、大勢の人が来ているからお前が1時間2時間いなくなっても分からない。行って来い」ジェスはお父さんに抱きつき、友達の自動車に乗って試合会場へ向かう。ジェスは車の中でサーリーを脱ぎ、試合服に着替える。

 既に試合は半分を過ぎていた。ジェスのチームは先制されて負けていた。ジェスは早速チームに合流する。ジェスが加わったチームは勢いを盛り返し、同点に追いつく。そして後半終了間際、ジェスはゴール前でファールをもらい、フリーキックのチャンスを得る。ゴールの前に壁となってたちはだかる選手。ジェスの目にはそれが一瞬自分の家族のように見えた。ジェスは思いっきりボールを蹴る。ボールはベッカムの蹴ったワンダフル・シュートのようにきれいに弧を描き、壁を避け、ゴール・キーパーとは反対方向に曲がってネットの中に飛び込んだ。その瞬間試合が終了し、ジェスたちのチームは優勝した。ジェスとジュレスも友情を取り戻す。

 その試合を見ていたスカウトがジェスとジュレスの才能を認め、彼女ら2人にアメリカの名門女子サッカー・チーム留学の奨学金を用意してくれた。ジェスはこっそり結婚式会場に戻り、結婚式が一段落した後に家族にその話を打ち明ける。最初は勝手に結婚式を抜け出してサッカーの試合に出ていたことを知ってジェスの家族は怒るが、ジェスの熱意に負け、とうとうアメリカ留学を認める。

 ジェスとジュレス、2人の旅立ちの日、空港には2人の家族と、コーチのジョーが見送りに来ていた。ジョーとジェスは最後にキスを交わす。そこへなんとベッカムが通りがかる。しかしジェスはベッカムに目もくれず、ジョーとキスし続けるのだった。

 主人公がインド人であることを除けば、非常にスタンダードなスポーツ映画だった。しかし主人公がインド人であるがゆえ、文化の衝突というか、人種の衝突というか、アジア的モラルがブラック・ユーモアにもなり、欧米文化への軽い警鐘にもなっていて、映画をユニークなものにしていた。この辺は在英インド人監督が自分のルーツをうまく利用したということだろう。見終わった後はスッキリする、いかにもインド映画らしい娯楽映画だった。

 先日見た「Everybody Says I'm Fine」は割とインド人英語だったのだが、この映画の英語は当然のことながらコテコテのイギリス英語だった。ほとんどのインド人もきれいなイギリス英語をしゃべっていた。はっきり言って僕はインド人英語にさらされて生きているので、イギリス英語が耳に入って来にくい。だが、ストーリー自体は分かりやすかったので、理解不能状態には陥らなかった。

8月8日(木) スペクトラネット

 さて、G.K.1に引っ越すことに決めたわけだが、一番の懸念はインターネット事情だった。ガウタム・ナガルではハートウェイ(Hathway)というインターネット・ケーブル会社を利用できたのだが、その会社はG.K.1ではサービスを行っていないらしい。スペクトラネットという会社が仕切っているそうだ。わざわざまた契約しなおさないといけないので面倒だが、噂によるとモデムが要らなかったり、ブロード・バンドでスピードがかなり速かったり、月々の使用料がハートウェイより安かったりするらしい。しかしスペクトラネットのホームページを見てみても、サービス・エリアや料金体系などが明記されていなかったので、実際に当地に足を運んでネット事情その真相を確かめることにした。

 ところが今日は昼頃からあいにくの雨・・・いや、インドでは恵みの雨なのだが、やはり日本人の僕には「あいにくの雨」と表現せざるをえない。今日の雨は結構本格的で、デリー中いたるところが洪水となった。G.K.1もあまり水はけがよくないようで、Mブロック・マーケット、Nブロック・マーケット近辺などは舟が必要かと思われるくらい、道路が水浸しだった。まるでシュリーナガルのようだ。

 ネットのことはネット・カフェが一番詳しい。G.K.1のWブロックに最近オープンしたネット・カフェへ行ってみて、どうやってネットにつないでみるか聞いてみた。すると返って来た答えは「スペクトラネット」。これは脈アリ、ということで、コンタクト・ナンバーやオフィスの住所などを教えてくれるように頼んだのだが、ネット・カフェの兄ちゃんはなんか連れない人で、電話番号すら教えてくれなかった。僕が同業者に見えたのだろうか・・・自宅でネットをしたいだけなのに・・・。

 その他、Nブロック・マーケットにもネットのできるところがあったので聞いてみたのだが、そこは電話線でネットにつないでいるらしく参考にならなかった。今日は有用な情報を得られないまま終わってしまった。その代わりショッピングをした。Nブロック・マーケットには、デリーでは有名なファブ・インディアという服飾店がある。今日は初めてそこに入ってみた。ファブ・インディアはサーリー、クルター・パジャーマーなどのインド服の他、ベッド・シーツ、カーペット、カーテン、ちょっとした家具などを売っている。どれもいかにもインドらしいデザインで、質もよくて値段もそんなに高くなかった。クルター・パジャーマーも、いいのがたくさんあって、なんで今までここでクルター・パジャーマーを買わなかったのか内心舌打ちをしたほどだ。せっかく来たので、300ルピーほどのクルターを1着購入した。

 Mブロック・マーケットのCD屋へも行ってみた。ここは良質のDVDが手に入る(かも)ということで、個人的に注目している店だ(まだここで買ったことはない)。最新映画「Yeh Hai Jalwa」のDVDが既に置いてあった他、「Lagaan」「Dil Chahta Hai」「Kabhi Khushi Kabhie Gham」「Kaho Na Pyar Hai」「Zubeida」などの名作DVDがズラリと揃って一律2000ルピー。高い・・・!高すぎる!しかし品質は良さそうだ。一度買って品質を確かめてみようと思うのだが、2000ルピーの出費は痛すぎる。他の市場でなかなか良質のDVDが見つからなかった「Kabhi Khushi Kabhie Gham」のDVDを買うことを現在検討中。多分、引越しが済んで一段落した後だろう。

 Mブロック・マーケットは引越し後、足繁く通うことになるだろうマーケットだ。改めてそういう視点から眺めてみると、ここにはマクドナルド、バリスタ、ピザハットなどが揃い、南デリーの中心的なマーケットとなっていて使いやすそうだ。また、スーパー・マーケットもあって、買い物にも便利である。あとは安くておいしいレストランがあれば御の字なのだが、今のところG.K.1ではマクドナルドとバリスタにしか入ったことがないのでよく分からない。

8月9日(金) ヘア・カット

 最近日本人会室によく出入りしている。日本人会室では毎日有閑マダムたちがなんらかのサークルを行っている。月曜日と水曜日はブリッジ同好会が行われていた。今日はコーラス・グループ「コール・マユール」がコーラスの練習をしていた。入るとすぐに集会場になっており、みんなの視線が一瞬突き刺さるのでちょっと入りにくい。外の熱気の中から急にエアコンの効いた冷たい空気の中に入るのだが、同時にムッとする香水のにおいに包まれる。僕が作業するのはその隣にある事務室なので、あまりマダムたちの邪魔をしないようにずっと閉じ篭っている。

 今日も日本人会のホームページを作った。案外情報量があって完成してない。普通日本人会室の事務所はミトラさんという人が管理をしているのだが、彼女は現在日本に帰っており、臨時にヴァティカの奥さんが来て管理している。ものすごい暇そうにしているので、話し相手になったりもしている。ちなみにヴァティカは既に他人に経営を譲ってしまったらしい。

 実は今日は日本人会室に日本人の美容師が来るというので、僕も髪を切ってもらおうと思って待っていた。日本人会室の閉館する5時過ぎにやっとやって来た。彼女は別に店を構えて営業しているわけではなく、日本人の自宅へ出向いて出張カットをしている人だ。カットのみで500ルピーと、インドの基準から考えたら激高だが、もう今月中に日本に帰ってしまうらしく、僕も髪が伸びてきてちょうど床屋で切ってもらおうと考えていたところなので、お願いすることにした。

 その美容師の人は大昔にサンスターンに通っていたこともあったらしく、またインドに長く住んでいるようで、やたらとヒンディー語がうまかった。ヴァティカの奥さんもインド人と結婚してインドに暮らしているのでヒンディー語が達者だ。時間的なハンデはあるものの、自分よりヒンディー語のうまい人に会うと自分の自尊心が崩れ、向学心を刺激される。

 男が女にかなわないジャンルというのはいくつかある。命の創生は、男がどう頑張っても真似できない女の優位のひとつだ。その他、言語の習得というのも男はどうも女にかなわないように思われる。僕は人と会話するときにトピックがすぐになくなってしまう。話したいことは常に1つか2つで、それを話してしまえばその人との会話は終了する。しかし女同士の会話を見ていると、トピックが無限に出てくるように思えてくる。次から次へと、よくそんなに話すことが思いつくなぁと呆れることが少なくない。話している内容はナンセンスなことが多いようにも思えるが、普段からトピックが多いということは外国人と外国語で話す際にも有利に働くし、話す量を稼げるし、ナンセンスな会話の方がかえって簡単な会話になって勉強になるし、言語習得のために非常に有利だ。そもそも脳の構造から女性の方が言語能力に長けているようにできているらしい。代わりに女性は空間感覚がない人が多く、地理感がなかったり、運転が下手な人が多いらしいが。

 さすがに日本人だけあって、日本的センスで長めに髪を切ってもらえた。インドではこういうカットはなかなか難しい。しかし、出来上がったカットをインド人にアミターブ・バッチャンと言われたが・・・。もしかしてインドの床屋に「アミターブ・バッチャン・カットで」と言えばいいのかもしれない。そういえば近所の子供に「アミターブ・バッチャン」というあだ名を付けられていたことがあったな・・・。

8月10日(土) 引越し1週間前

 ガウタム・ナガルからG.K.1への引越しをインド独立記念日後に設定しており、1週間後に迫っているものの、最後の詰めができていない。最後の詰めとは、ネットのことである。果たして僕の新居でネットができるのかどうか、ネットができるのはほぼ確実だと思うが、いったい何が必要で、毎月どのくらい料金がかかるのか、モデムは買いなおさないといけないのか、どれくらいの期間でネット・ケーブルを引いてくれるのか、などを調べないといけない。全ての鍵を握るのは、G.K.1一帯のネットを支配するスペクトラネットという会社である。

 しかしやっとのことでスペクトラネットの支店の住所をゲットしたので、今日はじきじきに出向いて全ての謎を解明しようと息巻いていた。場所はA-11 Kailash Colonyらしい。カイラーシュ・コロニーに支店があったとは、前回はずっとG.K.1中を探し回っていた。行ってみたら、ラーラー・ラージパト・ラーイ・パトに面したところにあった。しかし、チャウキダール(警備員)に聞いてみたらスペクトラネットはA-5に移転したらしい。それでは、ということでその新住所へ向かった。

 スペクトラネットの移転先は、案外サンスターンとけっこう近かった。アムウェイという会社の大きなビルの横に小さく「Spectranet」という看板が出ていた。しかし、入り口がよく分からない。聞いてみると今日は閉まっているらしいが、オフィスらしき入り口が全然見当たらない。もしかしてスペクトラネットって怪しい会社かもしれない。とにかく、月曜日にもう一度来ることにした。

 まだネットが確定していないので、引越し先の大家さんにはまだ1000ルピーの手付金しか払ってないし、今住んでる大家さんにも引越しが決定したことを伝えてない。もちろん、引越しするかもしれない、ということは伝えたが。もしG.K.1でネットができない、もしくは料金が高かったり、ネット開通までまた何ヶ月も待たされるようだったら、引越しは諦めてガウタム・ナガルに住もうと思っている。

8月11日(日) インドの乞食の謎

 最近曇りの日が多くなって、大分涼しくなった。道を歩いていても、汗びっしょりになることは少なくなったように思える。今日は所用があってサウス・エクステンションまで歩いて行ったが、全然苦にならなかった。日差しがギンギンに照りつけているときは、日陰から日陰へ、浮き島を渡っていくかのように歩かないといけないのだが、今日は日光に気を取られる必要はなかった。ただ、曇っているだけでなかなか雨が降らない。別に個人的に雨は降ってもらわなくてもいいのだが、デリー的、またはインド人的にはもっと降ってもらいたいようだ。雨が降らないおかげで、インド各地では農産物が大打撃を受けているのだが、その副作用で今年は非常に蚊が少ないらしい。湿気も少ないため、非常に過ごしやすい。

 ガウタム・ナガルからサウス・エクステンションに向かう途中にある、マスジッド・モートの辺りにはサイババの寺院がある。現在存命中のサティヤ・サイババではなく、その前のシュリー・サイババの寺院だ。その横ではテントが張られていて、プーリーやダヒーが無料で配られていた。テントの前には乞食のようなほとんど裸同然の子供たちが列をなしており、無料の食事を受け取っていた。今日は何かの祭りの日だったのだろうか?

 インドでは祭りの日に食べ物が無料で誰にでも提供される。結婚式も大体そんな感じだ。レストランや安食堂も定期的に余った料理などを乞食に与えているような気がする。その確証はないが、食堂の前に乞食が大集合している風景を今まで2度ほど目にしたことがある。インドって案外食べ物には甘い国というか、日本人が考えているよりも本当に腹をすかせている人々の人口は少ないような気がする。食べ物だけは、種類にこだわらなければ誰でも食べれる国なのではなかろうか。オート・リクシャーに乗っていて、信号で止まったりすると、よく乞食がやって来て「ローティー食べるためにお金をくれ」と言われるが、彼らは本当に乞食をして得たお金を食べ物に使っているのだろうか?食べ物以外の、他の何かを買うために貯蓄しているような気がしてならない。

 また、ゴミ集めをしている人々もいる。住宅のゴミや道端に落ちているゴミを拾って、町の片隅にあるゴミ集積所のようなところへ持って行くとお金に換金してもらえるらしい。ガウタム・ナガルにもそういうところがある。もともとゴミなので、元手は0ルピーである。それを集めれば集めるほどお金になるのだから、考えようによってはやりがいのある仕事だ。特に鉄類は金になるみたいで、磁石を棒の先にくっつけて、その磁石を地面に擦りつけながら歩いているゴミ集めの人々もよくいる。また、各家庭からゴミ集め代として1ヶ月数十ルピーもらえるので、定期収入もあることになる。彼らの身なりは乞食に等しいが、一応仕事をしているとも言うことができる。しかし元手0ルピーというのは、乞食もゴミ集めも一緒だ。日本の乞食を見てみると、けっこうゴミ箱を漁っていたりするので、日本語では「乞食」の範疇の中に「ゴミを漁る人」が入っているようだ。ゴミ収集人は公務員として立派な地位を確立しているが・・・。疑問なのは、ゴミ集め人たちは暇なときに乞食をしたりしないのだろうか・・・もしくは普段は乞食をしている人が、ゴミ集めをして金を得ようとか、そういう努力はしないのだろうか?カースト制度の原則に則って考えてみれば、乞食は専ら乞食をし、ゴミ集め人は専らゴミ集めをしていることが予想されるが・・・。インドの乞食社会は謎だらけである。

 と、割とインド在住2年目でも、インドの街中を歩いているといろいろ考えてしまうのだが、もうひとつ考えてしまうことがあった。マスジッド・モートのサイババ寺院を過ぎて北に歩いていくと、今度は立派な有料公衆トイレがあった。ちょっと前までは空き地だったところだ。そこに有料公衆トイレができてしまった。僕は今までこういうトイレを1回も使用していないので、1回何ルピーか、どのくらいきれいなのかは分からないが、最近だんだんデリーのあちこちにこういうトイレが建ってきたのを感じる。

 デリー市内ではよく、「スラブ・トイレット・コンプレックス」と名の付いた有料公衆トイレが目に付く。これについてネットで調べてみたら、けっこう面白いことが分かった。これらの公衆トイレは、ビンデーシュヴァル・パタク博士という1人の人物が始めた社会福祉&人権擁護運動の一環で作られたものらしい。設立から25年間でインド国内または近隣諸国に合計65万軒もの公衆トイレを建設し、人間の廃棄物をエネルギーに変えるバイオガス工場を62軒も作ったらしい。挙句の果てに、スラブ国際トイレ博物館なるものも設立したらしい。デリーにあるので、近いうちに一度行ってみようと思っている。

8月12日(月) サンスターン始業式

 今年のサンスターンは何か違う・・・。今日からケーンドリーヤ・ヒンディー・サンスターンのカリキュラムがスタートしたのだが、驚き桃の木洗面器、まさに驚きの連続だった。突然アルビンド・アーシュラムからカイラーシュ・コロニーに移転した時点でかなりのビックリ度があったのだが、始まってみたらさらに大きな驚きがあった。まず、11時に始業式が始まると言われていたのだが、きっちりと11時に始まってしまった。去年も11時に始まると言われたが、結局12時過ぎに始まったという経緯があったために不意を突かれた。もっと正確に言えば、10時55分から始まった。フライングである。インドで予定時間より何かが早く始まるのは非常に稀なことである。かなり焦ってしまった。まあ僕は10時50分には到着していたが。

 しかも、半ば予想していたことだが、今年からかなりスケジュールが変わるみたいだ。去年まで授業は11時開始の2時半終了、45分授業だったのだが、今年からは10時半、もしかしたら10時に授業が始まり、ランチタイムの前には授業が終わることになるかもしれない。しかも50分授業になるらしい。今日はまだ全てが決定されておらず、先生たちも詳しいことは分からなかった。また、去年までは1週間に4日授業があったのだが、今年は月〜金まで、1週間に5日授業があるそうだ。平日の休日がなくなることになる。映画を見に行ったりするとき、この平日の休日はけっこう重宝していたのだが、そもそも勉強しに留学しているため、週休3日の生活は僕にはちょっと物足りなかった。だからこの変化は僕は歓迎する。

 先生の数も増えた。新しい先生も2人やって来て、見たところどちらもなかなか有能そうだった。1人はダラムパール先生という人で、数年前、東京外語大学でヒンディー語を教えていたこともあるそうだ。僕のヒンディー語の恩師である町田先生のことを聞いてみたら知っていた。

 今年からデリー校とアーグラー校は連動して授業が行われるみたいで、デリー校に校長先生は置かれないことになった。アーグラー校の校長がデリー校の校長を兼ねることになったそうだ。アーグラー校がインド各地に点在するケーンドリーヤ・ヒンディー・サンスターンの本部なので、つまりデリー校はサンスターンの大ボスの直轄地となったことになる。

 新入生はいきなり今日テストがあった。去年は始業式の次の日にテストがあったのでまだ余裕があったのだが、今年入った新しい生徒たちにとっては寝耳に水だっただろう。しかも、始業式はほぼヒンディー語オンリーで進められたので、ヒンディー語を一から学ぼうとしてサンスターンに来た人にとっては大いに焦燥感をかき立てられたのではなかろうか?

 いきなりサンスターンの雰囲気が変わってしまって驚き続けていたが、しかしいかにもサンスターンだな、と妙に安心してしまうこともあった。まず、今日から学校が始まるということを知らない生徒が多かったらしく、生徒があまり来ていなかった。ギリギリまでいつ始まるか決定されなかったので、これは生徒の責任ではない。また、部屋のエアコンが古いみたいで、ガーガーうるさくて先生の声が聞こえないほどだった。しかもあまり涼しくならない。授業後、事務所に学生証を発行してもらいに行ったが、「引っ越したばっかでそんなことしてる暇はない。1ヵ月後」と冷たくあしらわれてしまった。学生証がないとバスパスが作れないのだが・・・。

 今年の生徒の顔ぶれを見てみると、スリランカや香港からの留学生がいたりして、去年よりもさらに国際的になっているように感じた。韓国人は相変わらず多いが、予想していたよりも日本人は少なかった。今日はまだ全員生徒が来ていないので、まだはっきりと言えないが・・・。あと、ちなみに旧サンスターンは現在ただの壁になっており、移転の知らせなどは一切ないので、情報が足りなくて新サンスターンに辿り着けなかった新入生も数人いるのではないだろうか・・・ちょっと心配である。



 衝撃の事実が発覚した。ここ数日間、G.K.1周辺のケーブル・インターネットを取り仕切っているスペクトラネットについて調査を続けていたのだが、ついに今日その真相が明らかになった。なんとスペクトラネットでネットをしようとすると、1ヶ月3000ルピーもの料金を支払わなければならないらしい。現在使っているハートウェイが1ヶ月1500ルピーなので、2倍の料金だ。しかも今使っているモデムは使えないらしく、また新しくモデムを買わなければならないらしい。とすると合計1万ルピーくらい初期費用でかかるだろう。また、G.K.1やカイラーシュ・コロニーにてスペクトラネット以外でネットをする手段は、電話線以外ないらしい。僕にとって自宅ネット環境は、水と電気の次に必要なものだ。このような状態なので、G.K.1に引っ越す計画は全て白紙に戻ってしまった。

 新たに浮上した計画が、ガウタム・ナガルからバイクまたはスクーターで通う作戦である。ちょうど友達からヒーロー・ホンダのパッションというバイクを25000ルピーほどで譲ってもらえそうな感じだ。一見高価に見えるが、大事に使って、事故にも泥棒にも遭わなければ、インドを去るときに2万ルピーぐらいで売れると思うので、実質的にはそう損でもない。中古のスクーターなら5000ルピーぐらいから手に入る。問題なのは駐車場なのだが・・・。

 大家さんに「引っ越さないかも」と話をしたら喜んでもらえた。特にスラブは嬉しかったみたいだ。召使いのシャームーにまでも「兄さんがいなくなると寂しいと思ってたよ」と言われた。一時はG.K.1での優雅で静かな生活を思い描いていたが、現在では住み慣れたガウタム・ナガルで温かな人々に囲まれてワイワイ過ごす方に心が傾いている。

8月13日(火) インペリアル・ガーデン

 最近毎日多かれ少なかれ雨が降って非常にいい天気である。今日は傘が必要なくらい雨が降っていたが、まだバケツをひっくり返したような雨というのは振っていない。道路が河になっていたので、リクシャーで学校へ行った。

 サンスターンはまだ始まったばかりなので流動的な授業だ。先生が適当に適当なクラスに出向いて行って授業をしている感じだ。僕が「なんで学期が始まる前にちゃんとスケジュールを決めないのですか」と文句を言ったら、「いきなり本格的に授業が始まったらビックリするだろう」と言われた。どうも最初の1週間は助走期間のような位置づけみたいだ。

 昼頃、授業を受けていたらいきなり僕が呼ばれた。外に出てみると、引っ越し先に決めていたG.K.1の大家さん、自称「President of G.K.1」がやって来ていた。そういえば大家さんには学校の住所を教えていた。まだ大家さんにはキャンセルするということを伝えておらず、ちょうど今日授業が終わってから言いに行こうと思っていたところだった。手付金1000ルピーを払っただけで約1週間ほったらかしにしておいたので、ちょっと怒っていた。でも僕が見抜いたとおり根はいい人だったので、僕が引越しをキャンセルする旨を伝えたら手付金1000ルピーを返してくれて、また何かあったら来なさい、と言ってくれた。



 G.K.2にかなり本格的な中華料理レストランがあるとの噂を聞き、数人の友達と昼食を食べにそこへ行ってみることにした。レストランの名前はインペリアル・ガーデン。1皿数百ルピーという超高級レストランだが、ランチは1人300ルピーのコースがあるので、それを9人で食べることにした。

 ランチ・コースは飲み物・前菜・本菜・飯or麺・スープ・デザートをそれぞれメニューの中からチョイスできる。インドの中華料理というと、インド風中華料理というか、中華風インド料理になってしまうことが多い。ところが、このインペリアル・ガーデンで出てくる料理は、ここがインドかと疑いたくなるほど本格的だった。日本の高級中華料理屋に比べたら遜色あるとは思うし、野菜などはインド産なので、どこかインド料理の面影を残している料理もないことはなかったが、十分許せる味だった。どこがどうすごいとか、そういう味の批評は僕に味のセンスがないために書けないが、インドの中華料理を痛いほど思い知っていればいるほど、この味には驚くと思う。聞くところによると、カルカッタに移住した中国人がコックを勤めているそうだ。住所はE-3, Local Shopping Centre, Masjid-Moth, G.K.2である。

8月14日(水) チャーイバーバー健在

 サンスターンの教師陣には実は厳格な上下関係がある。その上下関係はサンスターンの勤務期間に比例しており、若い教師は年上の教師に絶対に逆らえない。また、サンスターンで最高の権力を持つディレクターともなると誰にも逆らうことができず、もし教師がディレクターに苦情を申し立てたり生意気な意見を陳述したりすると、即刻辺境地帯のサンスターン分校へ飛ばされるらしい。

 デリー校でとりあえず権力を持っているのは、去年からいたチャンドラプラバー先生である。ところが、このチャンドラプラバー先生は勝手に休暇をとってしまい、ジョードプルへヴァカンスへ行って帰って来ないらしい。「16日からサンスターン授業開始」というスケジュールを書き残し・・・。というわけで12日から始まったサンスターンであったが、実際に始まるのは16日からで、本格的に始まるのは来週からみたいだ。つまりはいつもの通りということか。

 サンスターンにはある有名な人物がいる。今年でサンスターン勤務24年のチャーイバーバーである。チャーイバーバーは1杯3ルピーでサンスターンの教師・生徒にチャーイを作り続けている。そのチャーイは味が薄く、日本人には概ね不評なのだが、「チャーイバーバーのチャーイは甘すぎなくておいしい」という人もいるから不思議だ。サンスターン移転に伴いチャーイバーバーの進退を密かに心配していたが、幸いにもというか、当然にもというか、チャーイバーバーもカイラーシュ・コロニーの新サンスターンにそのまま勤務することになった。旧サンスターンにてチャーイバーバーに宛がわれていた部屋は、ほとんど物置部屋と呼ぶべき、薄暗くて狭い部屋だったのだが、新サンスターンではなんと、僕が今住んでいる部屋の2〜3倍はあろうかと思われる広い部屋になっていた。キッチンも広く、机とイスも置かれており、いわば「チャーイバーバー・カフェ」と名付けたくなるような贅沢な環境だった。

 授業が終わってから、その「チャーイバーバー・カフェ」を訪れてチャーイバーバーと話した。以前のチャーイバーバーは「ハーン・ジー」「ナマスカール」「チャーイ?」ぐらいしかしゃべれなかったと思うのだが、なぜか新サンスターンに移ってからやたらと饒舌になっていた。広い部屋になって嬉しいのだろうか?しかしやはり新サンスターンの立地には不満があるらしく、「前の方がよかった」と言っていた。チャーイバーバーの本名はハリ・スィン、ナイニタール出身の人で、現在はカーンプル辺りに住んでいるらしい。そこから毎日バス通学しているそうだ。齢は既に82歳を数えているのに、あのインドのバスに乗って登下校していると思うと、かなり心配になってしまう。せっかく広い部屋になったので、チャーイ以外にも何か作ってくれないか、と頼んでみたが聞き流された。

8月15日(木) インド独立記念日

 終戦記念日を迎えて戦没者を追悼したり平和を訴えたりする日本とは180度違い、今日はインドでは独立を祝うハッピーな日だ。朝から近くの寺院のスピーカーが大音響でエンドレスな宗教歌を鳴り響かせ、空には色とりどりの凧が浮かんでいた。僕はどこへ出掛けるでもなく、家でのんびりと過ごした。昼頃にはスラブやシャームーと一緒に、家の屋上で凧揚げをした。

 インドの凧は日本の凧よりシンプルな構造で、揚げるのに少し技術がいる。まず、道端に臨時で開店される凧屋へ行って凧と紐を買う。凧と紐は別売りなのだ。凧は50パイサぐらいからある。紐は、凧固定用の太目の紐と、凧揚げに使う、細めで長い紐がある。どちらも太目の芯にグルグル巻きにされている。凧はタケヒゴと薄い紙を使って作られただけの簡単な構造で、日本の凧のように足は付いていない。紙の部分の適当な場所にマッチ棒で上に2箇所、下に2箇所、合計4箇所穴を開けて凧固定用の紐を通す。その紐を、凧がバランスを取れるようにうまく長さを調節して結び、その紐にさらに凧揚げ用の細い紐を結ぶ。ここまでやって初めて凧揚げの準備が完了する。

 凧を揚げるときは2人がかりで行うのが普通だ。1人は凧揚げをし、もう1人は紐の巻いていある芯を持ってサポートする。適当な長さに紐を伸ばして凧を下に垂らし、おもむろに紐を引っ張り上げて凧を上に浮かす。これでうまく風に乗ればいいのだが、何度かやらないとうまくいかない。僕のような初心者はこの時点で既につまずく。この時点で失敗すると、凧は障害物などにぶつかって紙に穴が開き、すぐに壊れてしまう。もし風に乗って浮かび上がったら、今度はもっと上空に凧を揚げて安定させなければならない。まだ低空飛行の時点ではすぐに落ちてきてしまうので、タイミングをうまく見計らってピッピッピッピと小刻みに紐を引っ張って凧を安定させながら、かつ紐を伸ばして行ってより高く高く揚げて行く。この小刻みな引っ張りと、ゆるやかな伸ばしがインドの凧揚げのコツだと思った。・・・僕は凧をうまく飛ばすことができなかったので、ただスラブが飛ばすのを見て思っただけだが。ある程度上空まで行けばあとは紐を持ってるだけでも飛ぶので簡単である。

 しかし、飛んでからがインドの凧揚げの醍醐味である。近所の凧とお互いに糸の切りあいをするのだ。凧と凧が接近すると、わざと操作して糸と糸を絡み合わせ、お互いに摩擦させあう。もちろん糸が切れた方が負けである。糸の切れた凧は切り切り舞いしてゆっくりと地上へ落下していく。その凧がまた誰かの家の屋上に落ちて、そこの人々がまた糸を結んで使ったりすることもある。

 凧揚げをするため、今日初めて僕の住んでいる建物の屋上のそのまた上に上った。僕たちの建物はガウタム・ナガルの中でも1、2を争うほど高い建物なので、近隣の建物は大体眼下に見下ろすことができる。どの建物の屋上でも、子供たちや大人たちが凧揚げに夢中になっている様子が見えた。遠くの方にはクトゥブ・ミーナールやロータス・テンプル、ネルー・スタジアムなどが見えた。だが、東西南北360度、全く山は見えない。ず〜っと地平線が続いている。僕が生まれ育った場所は、建物の屋上に上らなくともどこかに山が見えていたので、山の見えない風景というのは実はちょっと不思議な感じがする。

 屋上に上って景色のよさにちょっと感動したのだが、その感動を打ち消すような不快なものも見てしまった。インドの屋上には必ず貯水タンクが設置されており、今日は屋上に上ったついでに、僕の家に供給されている貯水タンクを見る機会を得た。その貯水タンクは2m四方くらいのバスタブみたいな感じで、屋根というか蓋がなくて天日にさらされており、そこには虫の死骸がいくつもプカプカと浮かんでいた。今まで僕は水道水を飲み水に使ったことはなかったのだが、この貯水タンクを見た瞬間、今まで無謀な勇気を出して水道水を飲まなくてよかった・・・と思った。そういえば、夏の昼間にシャワーを浴びると、天然ホットシャワーになっていたのを思い出す。これだけ直射日光を浴びた水だったら、あれだけ温かくなっても不思議ではない。早速大家さんに苦情を言って、水を掃除して貯水タンクに蓋をしてくれるように頼んでおいた。



 ヒンディー語紙ナヴバーラト・タイムスに付属のハロー・ディッリーに、独立記念日に寄せて数人のボリウッド・スターの寄稿が載っていたので、日本語に訳した。

アジャイ・デーヴガン
 我々が独立してから長い年月が経ったが、現在はその自由をしっかりと守り抜くときとなっている。これは、インドの全地域に潜在している全ての悪を精力的に明るみに出すことによってのみ可能だ。

 我々は、国は人間よりも大切であることを忘れるべきではない。なぜなら国があるから我々があるのであり、アイデンティティーがあるのだ。本当のことを言うと、バガット・スィンの殉死は私の理想なのだ。だから彼の役に完全になりきることができたのだ。彼らの視点に立って考えてみれば、自由とは何か、知ることができる。

解説・感想:アジャイ・デーヴガンはこの前「The Legend of Bhagat Singh」という映画に主演で出演した。彼が「全ての悪を明るみに出す」という発言は、もしかしてムスリムのテロリストを根絶やしにするということを意味しているのかもしれない。もしかして彼はヒンドゥー至上主義なのだろうか?
シャールク・カーン
 「独立記念日」というのは、全てのインド人の心に喜びの波を走らせる言葉だ。我々の国の統一性こそが、もっとも素晴らしい成果なのだ。これだけ多くの問題を抱えながらも、インドは今でも統一性を保っている。なぜなら、我々の国は日進月歩の発達をしているからだ。国の独立に関して話をするのは、私の年齢から言ってよくないだろう。ただ私はこれだけ言うことができる。自分の家族を愛するのと同じように、自分の国も愛すれば、全ての問題は自ずと解決するだろう。全ての国民が愛国心を持つことは非常に重要だ。ただ「ジャイ・ヒンド(インド万歳)」や「ヒンドゥスターン・ハマーラー・ハェ(インドは我々のものだ)」と言うだけでは何の意味もない。これらの言葉の意味を理解して実際に行動することによって、我々のインドは本当の意味で独立を得るだろう、そして独立闘争の犠牲者たちも満たされるだろう。

解説・感想:シャールク・カーンはイスラーム教徒だが、インドへの愛国心は持っているようだ。
アミーシャー・パテール
 私の考えでは、インドのおける愛国心と自尊心は、他のどの国にも見られません。私は外国で何年も暮らして、そこの文化を見て知ってます。その間に私は、自分の母国以外に愛は感じないと思いました。特にインドでは血縁がとても大切です。これは他の国では見られません。ここでは、神様だけでなく人間までも崇拝されています。もし私が誰かを愛すれば、その分私も愛を得ることができます。私はこのことを自分の国の文化から学びました。私は何度生まれ変わってもインド人になりたいと思っています。それと同時に、政治家の人たちにも、多種多様な人間の美質に気を配ってもらいたいと思ってます。そして失業者を減らすように努力してもらいたいです。なぜなら、失業者の増加が原因となってテロや犯罪が増加しているからです。自国内の問題が解決されなければ、私たちの国の発展を祝うことはいつまでたってもできないでしょうし、独立していながら奴隷の人生を過ごすことになるでしょう。

解説・感想:若手の人気女優の割には、軽々しくいろんな社会問題に口を出していたりしてハラハラする。でも基本的にインドを愛しているようだ。
ラヴィーナー・タンダン
 人々の心に人間性の感情が芽生えなければ、独立したとしても何の意味もありません。私の心の中には、自分の母国に対する大きな愛があります。私は、インドのためになることを何かしたいと強く願っています。私は映画に関わっていますから、演技によって何かできるはずです。映画によって国を改革することができるはずです。今日の緊張状態の中で、「ガダル」「ラガーン」「ミッション・カシュミール」のような映画は観客の愛国心を強くさせます。誰でもテロを何としてでも止めなければなりません。私は、外国の力がテロを拡大させて国を内からも外からも空っぽにしているように感じます。独立記念日は全てのインド人にとって重要です。しかしそれよりもその独立と自由を守っていくことが重要なのです。

解説・感想:インド映画の製作目的のひとつとして、やはり国威発揚があることが堂々と述べられており、しかもそれを推進しようとしている。現代の日本では考えられないことだ。やはりテロのことに言及している。
リティク・ローシャン
 私は何度生まれ変わってもインド人になりたいと思っている。なぜなら私は自分の国をとても愛しているからだ。私はこのようなインドの理想を描いている。そのインドは人が他人を怖がらせたりしない。自分の欲望や少しのお金のために誰かを殺したりしない。誰でも自由に、何の恐れもなく歩き廻ることができる。私のこの夢が叶うとき、私はインドが本当の意味で独立したと言うだろう。

解説・感想:直接的な言及は避けているが、やはりテロのことについて述べている。イギリス生まれのリティクも、インドが大好きのようだ。

 これらのインタビューの全てが本当に本人の発言かどうか、また、本当に本心から述べているのかどうかは怪しいが、皆一様にインドへの愛、テロに対する批判、真の独立と自由はテロが撲滅された後に初めて得られることなどを語っている。僕からすると、独立記念日とテロを結びつける理由がよく分からない。独立を記念する日なんだから素直に55年前の独立を記念すればいいのではないだろうか?深読みすれば、インド・パーキスターン分離独立時の混乱が現在のテロ事件に結びついているのであり、それを解決することが分離独立の傷痕を完全に過去のものとすることができる、ということなのかもしれないが、どうも「ムスリムはみんなパーキスターンへ行け」とも言っているように聞こえたりして釈然としない。


―天恵編 終了―

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