スワスティカ これでインディア スワスティカ
装飾上

2006年5月

装飾下

目次
映評■1日(月)Gangster
映評■2日(火)The Mistress of Spices
分析■2日(火)タミル・ナードゥ州でインダス文字発見
映評■5日(金)36 China Town
分析■7日(日)マンゴーの楽園、マリーハーバード
分析■11日(木)Dhoom世代
映評■12日(金)Tom Dick and Harry
分析■13日(土)J&K州は売春公認州?
映評■14日(日)Tathastu
▼チャッティースガル州旅行(5月15日〜26日)
旅行■15日(月)ゴーンドワーナー・エクスプレス
旅行■16日(火)ジャバルプル
旅行■17日(水)ラーイプル
旅行■18日(木)スィルプル
旅行■19日(金)ボーラムデーオ&ターラー
旅行■20日(土)ジャグダルプル
旅行■21日(日)バールスル&ダンテーワーラー
旅行■22日(月)チトラコート
旅行■23日(火)コーンダーガーオン
旅行■24日(水)カーンゲール国立公園
旅行■25日(木)奈落列車
旅行■26日(金)旅行のまとめ
映評■29日(月)Fanaa
映評■31日(水)Ankahee


5月1日(月) Gangster

 今日は、先週の金曜日から公開の新作ヒンディー語映画「Gangster」をPVRプリヤーで見た。

 「Gangster」の副題は「A Love Story」。プロデューサーはマヘーシュ・バット、監督は「Murder」(2004年)のアヌラーグ・バス、音楽監督はプリータム。キャストは、イムラーン・ハーシュミー、シャイニー・アーフージャー、カンガナー・ラーナーウト(新人)、グルシャン・グローヴァーなど。

Gangster
 インドの警察から指名手配されているギャングスター、ダヤー・シャンカル(シャイニー・アーフージャー)と恋に落ちたシムラン(カンガナー・ラーナーウト)は、共に警察の追っ手から逃げ回る毎日を送っていた。2人は結婚していなかったが、パスポートを偽造するために孤児の男の子ヴィットゥーを引き取り、3人家族を装って韓国のソウルに逃亡した。家族に憧れていたシムランにとって、ダヤー、ヴィットゥーと共に暮らす生活は幸せそのものであった。しかし、ある日インドの諜報員に見つかって襲撃を受け、ヴィットゥーが殺されてしまう。【写真は、イムラーン・ハーシュミー(上)、シャイニー・アーフージャー(左下)、カンガナー・ラーナーウト(右下)】

 ダヤーは悲しみに沈むシムランを韓国に残して、モーリシャスやドバイなどを転々とする。しかも、ダヤーは週に1回しかシムランに電話をしなかった。シムランは次第に寂しさを紛らわすためにアルコール中毒になっていった。そんな中、ダヤーは韓国の酒場でシンガーをしているアーカーシュ(イムラーン・ハーシュミー)と出会う。シムランはアーカーシュの優しさに次第に心を開いていき、自分がギャングスターの女であるという秘密まで明かす。それを聞いてもアーカーシュはシムランに失望したりせず、彼女への愛を変えなかった。シムランはアーカーシュをいつしか愛するようになり、2人は一夜を共にする。

 ところが、電話をしてもなかなか出ないシムランを怪しんだダヤーは、密かに韓国に戻っていた。ダヤーはアーカーシュを叩きのめすが、それを何とか止めたシムランはダヤーに、今ではアーカーシュを愛していると言い渡す。泣き崩れるダヤーは、もうギャングスターの仕事は辞めることを誓う。そのときダヤーたちは再び諜報員の襲撃を受ける。何とか逃亡に成功した2人は、ソウルから離れた場所に居を定める。心を入れ替えたダヤーは、肉体労働をして日銭を稼ぐ。

 だが、シムランはアーカーシュの子供を身篭っていることに気付く。ダヤーはインドへ戻るための偽造パスポートを受け取りにソウルへ戻っていた。シムランはアーカーシュに電話をする。アーカーシュはすぐにシムランのところへ駆けつけ、彼女と結婚したいこと、またダヤーのためにも、彼を警察に引き渡すことを提案する。

 一方、ダヤーはかつて師事していたギャングスターの大ボス(グルシャン・グローヴァー)とソウルで偶然出会い、殺されそうになる。それでも何とか返り討ちにしたダヤーは、シムランをソウル駅に呼び寄せる。待ち合わせ時間を大幅に遅れてソウル駅にやって来たダヤーであったが、そこには警察が待ち構えていた。シムランに裏切られたことを知ったダヤーは号泣しながらパトカーに押し込まれる。

 だが、シムランはアーカーシュが実は諜報員であり、全てはダヤーを逮捕するための作戦であったことを知ってしまう。そしてアーカーシュはシムランに対し、ギャングスターの情婦なんかに誰が真剣に恋をするかと言い放つ。インドに戻ったシムランは、自分を裏切ったアーカーシュを暗殺する。そのときシムランもアーカーシュに撃たれて負傷してしまうが、一命は取り留める。

 逮捕されインドに引き渡されたダヤーは死刑を宣告される。シムランは、ダヤーの死刑執行と時を同じくして病院の屋上から飛び降り、自殺する。天国でシムランはダヤー、ヴィットゥーと再会するのであった。

 狂おしい恋愛映画。インド映画にありがちなお気楽さがなく、胸をキリキリとしめつけられるような重々しさのある優れた映画であった。だが、アンハッピーエンドでありながら、映画館を出るときに晴れ晴れとした気分にさせてくれるのは、インド映画の長所を死守した結果と言えるだろうし、僕はそれを高く評価する。間違いなく2006年のボリウッドの最高傑作のひとつに数えられる作品となるだろう。

 「Gangster」という題名からは、マフィア同士の抗争を描いた映画を想起してしまうが、副題の「A Love Story」が示す通り、この映画の基本は恋愛である。恋愛、そして裏切りに次ぐ裏切り、そして再び死でもって償われ、結ばれる恋愛。こういうインド映画は今までなかったのではないかと思う。

 映画的技法で最もうまかったのは、冒頭の導入部とインターミッションに入る前の映像。あらすじでは時系列に沿って書いたが、映画では現在と過去が交錯する。冒頭では、シムランが1人の男を銃で撃ち、自身も男に撃たれるシーンが描かれる。病院に担ぎ込まれたシムランと男は、同じ手術室で手術を受ける。そこからシムランの回想シーンへと移る。

 シムランの回想の中で、アーカーシュとの出会い、ダヤーとの関係などが明らかになり、再びインターミッション前に手術室の映像となる。そこで、隣で手術を受けていた男が息を引き取る。このときまで男の顔は隠されているが、男が死ぬと初めて、それがアーカーシュであることが分かる。シムランは無表情のままである。このとき、シムランがアーカーシュに騙されたことまでは語られていないので、観客はシムランのこの表情に悲しみを見る。だが、インターミッション後のストーリーから、シムランの表情には、自分を裏切り、ダヤーを裏切る原因を作ったアーカーシュが死んだことへの達成感を浮かべていたのだと再認識する。インターミッションを上手に使ったうまい演出であった。

 演技の点で最も印象に残ったのは、ソウル駅の前でのシムランとダヤーの待ち合わせのシーン。アーカーシュに説得されたシムランは、ダヤーを警察に引き渡すことを決め、ダヤーが現れるのを待っていた。かつてのボスとの戦いで血だらけになっていたダヤーは2時間遅れで駅に現れ、シムランに抱きつく。そして、ポケットから小さなケースを取り出す。しかし、そのときパトカーのサイレンの音が鳴り響く。シムランに裏切られたことを知ったダヤーは、次第に顔を崩し、遂には号泣し始める。ダヤーを演じたシャイニー・アーフージャーは全体的にオーバーアクティング気味であったが、このときの号泣振りだけは素晴らしかった。ダヤーが逮捕された後、地面に落ちたケースからは、赤いスィンドゥールの粉がこぼれ落ちていた。インドではスィンドゥールは結婚の証。ダヤーはシムランに正式に結婚を申し込もうとしていたのであった。

 ヒロインのカンガナー・ラーナーウトはヒマーチャル・プラデーシュ州出身の新人女優である。声が鼻声っぽくて気になったが、新人とは思えないほど堂々とした演技をしていたし、「連続キス魔」イムラーン・ハーシュミーとの濃厚なキスシーンも難なくこなしており、これからに期待できる。イムラーン・ハーシュミーは、素朴な青年役と見せかけて実はとんだ曲者という役。彼の出演作の中ではベストと言える演技だった。

 この映画には他にいくつも特筆すべき事柄がある。やはり日本人として最も気になるのは、この映画の大部分がソウルでロケされていることだ。一説によると、この映画は韓国でロケされた初めてのインド映画らしい。日本とそれほど変わらないソウルの風景の中でインド映画が繰り広げられるのは奇妙な感じだった。そういえばこの映画のストーリーは少し韓国映画っぽいところがあった。イムラーン・ハーシュミーが眼鏡をかけていたのも、もしやヨン様の真似か?昨今、インドでは韓国企業の躍進が著しい。おそらく韓国企業がインド映画の韓国ロケを誘致したのではなかろうか。現に、ソウル駅前のシーンではわざとらしく駅前スクリーンにLGの広告が流れていた。日本企業もインド映画の力をもっとうまく利用して、「Love in Tokyo」(1966年)以来初のボリウッド日本ロケ実現に向けて頑張ってもらいたいものだ(そういえば「Dhoom 2」はソニーが全面協力しているようだ)。

 この映画の題材になったのは、1993年のムンバイー連続爆破テロの主犯とされるアブー・サレームとその愛人で元ボリウッド女優のモニカ・ベーディーと言われている。インド警察から指名手配されていたアブー・サレームとモニカ・ベーディーは2002年9月18日にポルトガルのリスボンにおいて偽造文書所持の疑いで逮捕された。それ以来、インドはポルトガルに対して2人の引渡しを求めており、2005年11月11日にようやく本国送還に成功した。現在アブー・サレームは公判中である。アブー・サレームは自身の人生を題材にした映画の上映を禁止するように訴えたが、マヘーシュ・バットは「映画は創作であり現実の人物とは関係ない」と主張している。アブー・サレームも結局上映禁止の訴えを取り下げたようだ。ちなみに、アブー・サレームの自供は、ボリウッド男優サンジャイ・ダットのムンバイー連続爆破テロへの関与を示唆しており、そのおかげでサンジャイ・ダットは危機に陥っている。

 また、この映画のキャスティングには二転三転があったようだ。当初、アーカーシュ役のオファーを受けたのは、パーキスターンの豪腕投手ショエーブ・アフタルであり、またシムラン役をオファーされたのは、マッリカー・シェーラーワトだったようだ。マヘーシュ・バット制作「Nazar」(2005年)で主演したパーキスターン女優ミーラーの妹、アクサ・ルバーブも候補に入ったようだが、結局イムラーン・ハーシュミーと新人のカンガナー・ラーナーウトが演じることになった。

 マヘーシュ・バット制作の映画は、パーキスターンの俳優や音楽家とのコラボレーションが多いが、この「Gangster」では今度はバングラデシュで大人気のバンド、ジェームス(James)が「Bheegi Bheegi」でボリウッド・デビューを果たしている。しわがれ声の熱唱ボーカルがかっこいい。アッサム人歌手ズビーンのカッワーリー風ソング「Ya Ali」もよい。だが、「Gangster」の中でも最も優れているのは、K.K.が歌う「Tu Hi Meri Shab Hai」であろう。音楽監督は「Dhoom」(2004年)で大ヒットを飛ばしたプリータム。イムラーン・ハーシュミーが出演する映画のサントラはなぜかヒットする確率が非常に高いが、この「Gangster」もヒット中であり、買う価値ありである。

 イムラーン・ハーシュミーが出る映画は何となく退廃的な狂おしい情愛を描く映画が多いような気がする。「Gangster」もその潮流に乗った作品であり、しかもある種の到達点に達している優れた作品だ。もはやこれは、「イムラーン映画」というジャンルの確立を宣言してもいい時期ではなかろうか。

5月2日(火) The Mistress of Spices

 今日はPVRアヌパムで新作ヒングリッシュ映画「The Mistress of Spices」を見た。主演は「インドの女神」アイシュワリヤー・ラーイ。アイシュワリヤーは、2004年にグリンダル・チャッダー監督のヒングリッシュ映画「Bride and Prejudice / Balle Balle! Amritsar to L.A.」に出演しており、今回が英語映画出演第2弾となる。

 題名は、「スパイス使い」とでも訳そうか。米国在住ベンガル人女流作家チトラー・バナルジー・ディヴァーカルニー原作の同名小説をもとに作られた映画である。プロデューサーはグリンダル・チャッダー、監督はグリンダル・チャッダーの夫のポール・マエダ・バージェス。キャストは、アイシュワリヤー・ラーイ、ディラン・マクダーモット、アヌパム・ケールなど。

The Mistress of Spices
 サンフランシスコに「スパイス・バーザール」という名の店を開くインド人女性ティロー(アイシュワリヤー・ラーイ)は、客の抱えている問題を見抜き、スパイスの力でそれを癒す能力を持っていた。しかし、ティローは3つのルールを守らなければならなかった。1)スパイスの力を自分の欲望のために使わないこと、2)他人の肌に触れないこと、3)店から外に出ないこと。これらのルールを破ったとき、スパイスは罰を下すと師匠に警告されていた。ティローはそれらのルールを守りつつ、店にやって来る人々の相談に乗っていた。【写真は、アイシュワリヤー・ラーイ】

 ある日、ティローは店の前で事故に遭って負傷したダーグ(ディラン・マクダーモット)を助ける。スパイスたちはティローに警告するが、ティローは彼に恋するようになってしまう。また、ティローはダーグに触れ、ルールのひとつを破ってしまう。

 すると、スパイスたちはティローではなく、ティローの顧客を罰するようになる。今までティローのスパイスに助けられていた人々は、スパイスのせいで不幸に襲われるようになる。それを見たティローは、客を取るか、愛を取るかのジレンマに陥る。ティローは一旦はスパイス使いの道に戻るものの、やはりダーグを忘れることができず、今度は「店から出てはいけない」というルールを破って、ダーグと一緒にデートをしてしまう。店に帰って来ると、スパイス・バーザールの店内は無茶苦茶に荒らされてしまっていた。

 ティローは最終的に、愛とスパイスの両方を取る道を行く。ティローはまず、スパイス・バーザールを閉店することに決める。そしてスパイスの力を使って自らを着飾り、ダーグの家へ行って一緒に一夜を過ごす。その後、店に戻ったティローはスパイスに火を付け、焼身自殺を図る。

 だが、翌朝気付いたときにはティローはダーグに助け出されていた。手には赤唐辛子が握られていた。スパイスはティローの愛を許してくれたのだった。

 グリンダル・チャッダーはもしかして少女趣味の人なんじゃないだろうか?彼女は「Bend It Like Beckham(ベッカムに恋して)」(2002年)のヒットで一躍有名になったが、続くヒングリッシュ映画「Bride and Prejudice」は見事に外し、次回作でどう出るかが注目されていた。僕は「Bride and Prejudice」をそれほど駄作だとは思わなかった。インド人女性と英国人男性の恋愛という点で少し不安があったが、ボリウッド的娯楽映画を英語でやりたかったんだな、という意図がはっきりと分かった分、監督のお遊びと受け止めることができたからだ。しかしこの「The Mistress of Spices」はどう見てもチャッダー監督のグロテスクな少女趣味の産物としか思えない。スパイス使いというキャラクターは新しかったが、言うなれば魔法使い。スパイス使いとしての責務と恋愛の間の板ばさみはまだいいとしても、恋愛のために焼身自殺をし、それが結局恋愛成就につながるというお伽話的クライマックスは、いかにも乙女の夢物語という感じがする。しかも今回も前作と同じくインド人ヒロインが白人男性と結ばれる結末である。一連の作品の中で、チャッダー監督が観客に何を訴えたいのか、段々分かって来た。英国人と結婚した自身の行動を正当化したいのだろう。恋愛を賞賛しながらも最低限の伝統・習慣・ルールを守る傾向にあるインド映画の伝統とは全く違った、ラディカルな映画を作る映画監督だと思う。

 ひとつひとつの花に意味があるという「花言葉」は日本人にも馴染みが深いが、スパイスのひとつひとつにも意味があり、それぞれ効能があることを知るのは新鮮な体験である。それらが果たして本当にインドの伝統医学に基づいたものなのかは知らないが、映画中ではカルダモン、シナモン、コショウ、トゥルスィー、ターメリックなどなどのスパイスの効能が語られ、とても興味深い。ティローが経営するスパイス・バーザールの店内の雰囲気もとてもいい感じだ。また、ティロー(Tilo)という名前は「ゴマ」という意味であり、それが映画の最後で締めの台詞につながっているところもニクイ演出であった。

 アイシュワリヤー・ラーイがヒロインを演じることはおそらく最初から決まっていたことだろうが、相手役のキャスティングには疑問を投げかけざるをえない。アイシュワリヤー演じるティローは、店の前でバイクで怪我をしたダーグというアメリカ・インディアンの血を引く米国人に一目惚れしてしまう。そのダーグをディラン・マクダーモットという米国人男優が演じているのだが、全然アイシュワリヤーと釣り合っていない。まだ「Bride and Prejudice」のマーティン・ヘンダーソンの方がよかった。しかもアイシュワリヤーは、ステレオタイプなインド人女性役を強要されており、彼女の魅力がほとんど発揮できていなかった。彼女の英語も、感情がこもっていないような気がする。アイシュワリヤーは、英語の映画に出演したい気持ちは分かるが、もっと脚本をよく見て映画を選ばないと、海外の映画界において女優としての価値を下げてしまうだろう。また、ソフトなベッドシーンはあったが、キスシーンはなかったことも付け加えておく。

 脇役の中では、スパイス・バーザールの常連客の1人を演じたアヌパム・ケールが最も名の知れた男優である。彼は「Bride and Prejudice」にも出ていた。だが、大した見せ場はなかった。アヌパム・ケールが演じたお爺さんの孫娘ギーター役を演じたのは、パドマー・ラクシュミー。世界的に有名なインド系英国人作家サルマーン・ルシュディーの妻である。このギーターのキャラクターは、ほとんど出て来ない端役ではあるが映画のメッセージとしてとても重要だった。ギーターは、メキシコ人とアメリカ人のハーフと恋愛結婚しようとして、両親や祖父を困らせるのである。やはり、インド人女性と外国人男性の恋愛が、チャッダー映画の根幹にある。

 言語はほとんどが英語。時々ヒンディー語も登場するが、重要な台詞はない。ダーグの回想シーンでは、アメリカ・インディアンの言語も出てくる。また、ティローの幼年時代のシーンは、おそらくケーララ州で撮影されたと思われる。ケーララ州はアーユルヴェーダの故郷として知られている。

 「The Mistress of Spices」は、アイシュワリヤー・ラーイが出演する英語映画ということで十分注目される映画ではあるが、それ以外に特筆すべき事柄がある映画ではない。グリンダル・チャッダー監督は、今度はジョン・トラボルタ、ジェニファー・ロペス主演の「Dallas」を監督するようだが、果たしてどうなるのだろうか?

5月2日(火) タミル・ナードゥ州でインダス文字発見

 僕は子供の頃から古代文明がとても好きだった。その興味はいわゆる超古代文明と言われるオカルトチックな分野まで達しており、ムー大陸とかアトランティス大陸とか、名前を聞くだけでワクワクしていた。だが、少なくとも実在が確認されている世界四大文明の中では、特にインダス文明にとても興味を持っていた。未だに解明されていないインダス文字や文明滅亡の謎にロマンを感じていたものだった(インダス文明は核戦争で滅んだと信じ込んでいたが・・・)。当然、インダス文明の本場であるインドやパーキスターンを旅行する際はインダス文明の遺跡も欠かさず巡っており、今までモヘンジョ・ダーロ、コート・ディージー、ハラッパー、ロータル、ドーラーヴィーラーなどを訪れた。近々、カーリーバンガーも訪れる予定である。インドに住んでいると、インダス文明の遺跡まで比較的簡単に足を伸ばせるのが嬉しい。それに、インダス文明の発掘調査の進展はインドの国威発揚に関わっているため、インダス文明絡みのニュースは積極的に報道されることが多く、毎回そういう記事を見つけるたびに心が躍る気分である。

 5月1日のザ・ヒンドゥー紙にも、インダス文明に関する記事が一面に掲載されていた。記事の見出しは「タミル・ナードゥ州で世紀の発見」。何と、インダス文字が刻印された石製の研磨手斧がタミル・ナードゥ州で発見されたらしい。

 発見のいきさつはこうである。2006年2月、ナーガパッティナム県に住む学校教師Vシャンムガナータンは、バナナとココナッツの木を植えるために自宅の裏庭を掘り起こしていた。すると、地面の中から2つの石製の研磨手斧を見つけた。シャンムガナータン氏は考古学に興味を持っており、タミル・ナードゥ州考古学局に務める友人に電話をした。その友人はその手斧を預かり、さらにタミル・ナードゥ州考古学局のTSシュリーダール特別局長に手渡した。シュリーダル局長は、2つの手斧の内のひとつに文字が刻まれているのを発見した。彼は同局の碑文研究家に鑑定を命じたところ、それらがインダス文字であることが特定された。さらに、インダス文字の権威として知られる考古学者イラヴァタム・マハーデーヴァンが検証したところ、彼もやはりインダス文字だと断定し、これを「タミル・ナードゥ州の考古学における世紀の発見」と表現した。マハーデーヴァン氏によると、この手斧は紀元前1500年ほどのものだという。


発見された手斧

 なぜこの手斧が世紀の発見なのか。それにはいくつか理由がある。まず、まとまった形でのインダス文字の碑文がタミル・ナードゥ州で発見されたのはこれが初めてだからである。今まで、インダス文字の出土はマハーラーシュトラ州が最南端だったようだ。マハーデーヴァン氏によると、この手斧が北インドから輸入されて来たものである可能性はないらしい。なぜなら手斧の石材はタミル地方のものであるからである。

 手斧に刻まれた文字は4文字。マハーデーヴァン氏が考案したインダス文字番号によると、48番、342番、367番、301番とのことである。最初の文字は、肋骨を持った骨格の人間が体操座りのような格好をしている。2番目の文字は取っ手のある壺。3番目の文字は三叉の槍、4番目の文字は三日月である。もちろん、インダス文字はまだ未解明であり、これらはマハーデーヴァン氏の個人的な見解で、実際は別のものを表しているかもしれない。また、マハーデーヴァン氏によると、1番目の文字の読み方は「muruku」、2番目の文字の読み方は「an」で、それらを合わせると「murukan」になる。「ムルガン」と言えば、タミル地方で信仰されている戦闘神であり、ヒンドゥー教の神話の中ではシヴァ神の息子のカールティケーヤと同一視されている。三叉の槍や三日月がシヴァ神のシンボルと同一であることも興味深い。


<これらの文字画像はここより拝借>


ムルガン

 この48番と342番の文字のセット、つまりマハーデーヴァン氏によると「murukan」という単語は、ハラッパーから出土したインダス文字の印章などにも頻出する組み合わせらしい。

 まとまったインダス文字がタミル・ナードゥ州内で初めて発見だけでなく、そこに書かれていた単語はタミル文化と密接に関係ある言葉だった。それをもってして、マハーデーヴァン氏は、この手斧の発見によって3500年前にタミル地方に住んでいた人々が、インダス谷地方と同一の文字を使用していただけでなく、同一の言語を使用していたことが明らかになったと主張している。これこそが、この手斧を世紀の発見と呼ぶ最大の要因だ。

 また、ちなみに48番「muruku」文字が単独で刻まれた土器や、47番文字が刻まれた土器は、前々からタミル・ナードゥ州、やケーララ州などで発見されていたらしい。だが、この手斧のように、人工加工物に複数の文字がひとまとまりとなって発見されたのはこれが初のことのようだ。

 インダス文明の担い手がどの民族だったかについては、昔から議論が絶えない。現在ではドラヴィダ系の人々だったとの説が有力だが、確かにこの手斧の発見は、マハーデーヴァン氏が言うように、それを裏付ける強力な証拠となるだろう。

 また、蛇足ではあるがひとつ追記しておく。この記事を掲載したザ・ヒンドゥー紙は、スポーツ紙のような新聞が多いインドにあってもっとも硬派な新聞であるが、本来はチェンナイを本拠地とする南インド系の新聞である。そのために、どちらかというとタミル人の自尊心を満たすこのニュースが一面に掲載されたのであろう。

5月5日(金) 36 China Town

 かなり暑くなって来たが、今日も頑張ってバイクでPVRアヌパムまで行き、本日公開の新作ヒンディー語映画「36 China Town」を見た。

 題名は映画の舞台となる住所であり、特に深い意味はない。プロデューサーはスバーシュ・ガイー、監督は「Ajnabee」(2001年)や「Aitraaz」(2004年)などのスリラーを得意とするコンビ、アッバース・マスターン、音楽は今絶好調のヒメーシュ・レーシャミヤー。キャストは、アクシャイ・カンナー、カリーナー・カプール、シャーヒド・カプール、ウペーン・パテール(新人)、パレーシュ・ラーワル、ジョニー・リーヴァル、パーヤル・ローハトギー、タナーズ・ラール、ラージ・ズシ。その他、イーシャー・コッピカル、タヌシュリー・ダッター、プリヤンカー・チョープラーが特別出演。

36 China Town
  ゴアのチャイナタウンでカジノを経営する大富豪ソニア(イーシャー・コッピカル)は、行方不明になってしまった1人息子ヴィッキーに250万ルピーの懸賞金を懸けていた。ゴアで行方不明になったヴィッキーはなぜかムンバイーにおり、映画スターを夢見てムンバイーへやって来たラージ(シャーヒド・カプール)と、お見合い結婚と失恋のダブルパンチに打ちのめされてムンバイーをさまよっていたプリヤー(カリーナー・カプール)に発見される。2人は250万ルピーの懸賞金を山分けすることに決め、ソニアに電話をして、バスでゴアへ向かった。【写真は左から、パーヤル・ローハトギー、パレーシュ・ラーワル、カリーナー・カプール、アクシャイ・カンナー、シャーヒド・カプール、ウペーン・パテール、ジョニー・リーヴァル、タナーズ・ラール】

 2人が「チャイナタウン36番地」にあるソニアの邸宅に着いた頃は既に真夜中になっていた。人気のない邸宅に入った2人は、ソニアの死体を発見する。急いで2人は逃げ出したが、慌てていたプリヤーはスーツケースを邸宅に置いてきてしまった。

 ソニア殺人事件は、カラン刑事(アクシャイ・クマール)が担当することになった。カランは早速ラージ、プリヤーを捕まえた他、遺体をプリヤーのスーツケースに入れて持ち運んでいた夫婦KK(ジョニー・リーヴァル)とルビー(タナーズ・ラール)、そして殺人があった夜にKKと共に夜通しギャンブルをしていたホテルのオーナー、ナトワル(パレーシュ・ラーワル)とその妻グレイシー(パーヤル・ローハトギー)、また、その夜グレイシーと共にいたゴア切ってのプレイボーイ、ロッキー(ウペーン・パテール)など、次々と容疑者を捕まえた。それぞれの容疑者は隠し事があって嘘の供述をするが、カランは嘘を的確に嘘を見抜き、事件の犯人をズバリ言い当てる。

 題名から、何か中国と関係ある映画なのかと期待しまうが、中国っぽいモチーフが用いられているもののほとんど中国とは関係ない。ゴアのチャイナタウン36番地にある邸宅で起こった殺人事件と、それを巡る1人の刑事と7人の容疑者の駆け引きを描いたスリラー映画。だが、スリラーの部分よりもむしろ、映画の息抜きになっているコメディーシーンの方が秀逸な映画であった。

 こういうスリラー映画では、あっと驚く真犯人の存在と、巧妙に張り巡らされた伏線が評価の対象になる。だが、この映画ではそのどちらも弱かった。あらすじの中で真犯人に関して書かなかったが、実は真犯人はメインキャストの中にはいない。こういうどんでん返しはスリラー映画にはよくある手法であり、映画をよく見ている人なら序盤からその展開は予想できたはずである。その割に伏線や殺人の動機に説得力がなく、スリラー映画としての質は著しく低かった。

 コメディー映画としての成功は、2人のコメディアン、パレーシュ・ラーワルとジョニー・リーヴァルの存在に拠るところが大きい。パレーシュ演じるナトワルと、ジョニー演じるKKは、2人ともギャンブル好き。だが、ナトワルはギャンブルで金持ちの妻の財産をかなり食い潰してしまったため、現在ではギャンブル禁止となっている。しかし、ギャンブル禁断症状が出て来ており、ついついふらふらとカジノへ迷い込んでしまう。一方、KKはあるバーバー(行者)から授かった「予知のサイコロ」を武器に、ゴアのカジノで一儲けしようと企んでいた。この2人がタッグを組んでルーレットに挑戦するのだが・・・結果は惨敗。しかも殺人事件に巻き込まれ、観客を大爆笑させてくれる。

 この映画がもしヒットしたら、それは映画そのものの力ではなく、音楽監督ヒメーシュ・レーシャミヤーのおかげと言えよう。ヒメーシュ・レーシャミヤーは現在最も勢いのあるシンガーソングライターで、彼が作曲し、かつ自ら歌を歌った曲はヒットを連発している。「Aashiq Banaya Aapne」(2005年)の同名曲、「Aksar」の「Jhalak」、この「36 China Town」の「Aashqui Meri」、もうすぐ公開予定の「Tom Dick and Harry」の「Jhoom Jhoom」などが、最近のヒメーシュ作曲ヒメーシュ歌唱ヒット曲である。調子に乗った彼は最近、「Aap Kaa Suroor」というソロアルバムまでリリースした。「36 China Town」の音楽はヒメーシュ色がかなり強く出ており、ヒメーシュ・ブームに洗脳されているインド人観客を呼び込むだけの力があると思われる。

 実生活の恋人であるシャーヒド・カプールとカリーナー・カプールは、「Fida」(2004年)以来2度目の共演。この2人は案外相性がいいのだろうか、見ていてものすごく自然な感じがする。そして2人とも揃って二枚目半の演技をそつなくこなしていた。この映画がデビュー作となるウペーン・パテールは、見ていて苦笑いしたくなるほどのプレイボーイ役。アゴが割れている上に筋肉ムキムキという変な男優がまた現れた。

 「Shaadi Se Pehle」(2006年)に続き出演のアクシャイ・カンナーは、ふざけたキャラクターばかりの中で1人だけ真面目な刑事役。その真面目っぷりがまた周囲とのギャップを生んでいておかしい。アクシャイ・カンナーはいつの間にかけっこういい男優になっていると思う。そういえば、彼が英国紳士風の黒いスーツと帽子をかぶってチャイナタウン36番地の邸宅に入っていくシーンがあったが、あれは訳が分からなかった。

 イーシャー・コッピカルは殺される大富豪役で、冒頭のみに出演。タヌシュリー・ダッターは、シャーヒド・カプール登場シーンのミュージカル「Jab Kabhi」の相手役で特別出演。プリヤンカー・チョープラーは、事件解決後の後日談映像に出演。なんとアクシャイ・カンナー演じるカラン刑事の妻役であった。

 映画は中国と全く関係なかったものの、ダンスシーンには中国っぽいモチーフが出てきた。多分ノースイーストの人であろうが、東洋人っぽい顔をしたバックダンサーやエキストラも目立った。中には日本的モチーフまであった。例えば忍者とか、ハッピっぽいデザインの服とか・・・。また、シーンとシーンの間に日本語のヒラガナやカタカナが一瞬だけ見えたような気がする。言うまでもなく、インド人は中国と日本を未だに混同している。

 ところで、ゴアのチャイナタウンというのはおそらく架空のものであろう。僕の記憶が正しければ、インドにはチャイナタウンはコールカーターにしかない。チャイナタウンということでネオン街のような風景が映し出されていたが、おそらくタイのバンコクでロケされたのであろう。

 「36 China Town」は、ヒメーシュ・レーシャミヤーの音楽のヒットによりかなり期待されていた作品だが、蓋を開けてみると平均以下のスリラー映画であった。最初からコメディー映画と割り切って見に行けば何とか許せるレベルかもしれない。

5月7日(日) マンゴーの楽園、マリーハーバード

 最近、デリーの街角には黄色く熟れたマンゴーが出回っている。しかし、北インドのマンゴーの季節は雨季前後である。現在デリーで出回っているマンゴーは、南インドから長い時間をかけて運ばれて来たものか、人工的に早く熟させて収穫されたものか、去年収穫されたマンゴーを冷凍保存したものか、最悪の場合は熟れたようにペイントされたものらしく、マンゴー通はまだ手を出さない。

 外国人の間では、「マンゴー=アルフォンソ」という偏見があまりにもこびりついてしまっているようだ。マンゴーには、それこそマンゴー辞典が作れてしまいそうなくらいいろいろな種類があるのだが、その中でもオレンジがかった黄色をした中型のマンゴー、アルフォンソ種は外国人によく知られた名前である。ゴア原産のアルフォンソ・マンゴーは、マハーラーシュトラ州西部で主に生産されており、特にラトナギリのものが有名だ。収穫時期は4月。そのリッチなテイストは、インド料理で例えるならば「皇帝のカレー」バターチキンと言ったところか。だが、マンゴーに子供の頃から親しんでいるインド人(特に北インド人)の前で「マンゴー=アルフォンソ」なんて口走ったら、「まだ分かってないな」と鼻であしらわれてしまうだろう。確かにアルフォンソは「果物の王様」と呼ばれるマンゴーの中において、「マンゴーの王様」と呼ばれており、インドから海外に輸出されるマンゴーの中でも大きなシェアを占めている。だが、その理由は必ずしもアルフォンソがインドのマンゴーの中で一番おいしいからではない。アルフォンソは形がよく、味や香りが強く、しかも日持ちがするために、海外輸出用として適しているだけだ。アルフォンソだけでマンゴーの道を閉ざしてしまうのは、徒然草に出てくる「仁和寺にある法師」のようなものだと言える。では、どのマンゴーが一番おいしいのか。それは、インド人1人1人が一家言を持っているので、ここで不用意に書くことはできない。


アルフォンソ

 それでも、僕の周りのマンゴー通には、西ベンガル州のマールダー(イングリッシュ・バーザール)で取れるファジリー・マンゴーをインド最高に推す声が強い。僕もその声に押されてマールダーまでわざわざ行ったことがあったが、まだ収穫前だったという苦い思い出がある。その後、何とか食べる機会に恵まれた。マールダー・マンゴーをインド料理に例えるならば、みんなの大好物「アールー・ゴービー(ジャガイモとカリフラワーのカレー)」とかその辺りか。アルフォンソがひとつでお腹いっぱいになるのに対し、マールダーは何個でも食べたくなる味である。


マールダーのファジリー・マンゴー(収穫前)

 ところで、ウッタル・プラデーシュ州の州都ラクナウーの近くにも、「マンゴー・キャピタル」を自称するマンゴーで有名な場所がある。ラクナウーの有名な観光地バラー・イマームバーラーやルーミー・ダルワーザーを越え、市街地から西に約30km行った地点にあるマリーハーバードである。マリーハーバードは、カーコーリーやマールなどと共に、ウッタル・プラデーシュ州の「マンゴーベルト」を構成している。

 マリーハーバード一帯には多くのマンゴー畑が密集しているようだが、その中でも最も有名なマンゴー農園は、カリームッラー・カーンが経営するアブドゥッラー農園である。彼の一族は300年以上も前からマンゴーの商売に関わっているという。その農園の中に樹齢90年の1本のマンゴーの木がある。なんとこのマンゴーの木、1本の木に315種類ものマンゴーが成るのである。カーン氏が10年の歳月をかけて接木していったらしい(そんなことができるとは知らなかった!)。カーン氏が「マンゴーの大学」と呼ぶこの木は、リムカブック(インドのギネスブック)に載っているという。


カリームッラー・カーン

 アブドゥッラー農園のスペシャリティーは、カリームッラー・カーンの父親アブドゥッラー・カーンの名前を冠したアブドゥッラー・パサンド(アブドゥッラーの好物)。このマンゴーは多くのマンゴー・フェスティバルで受賞している。また、カーン氏が「グラス」と呼ぶマンゴーも特殊である。小さい品種のマンゴーだが、このマンゴーはナイフで切って食べたりしない。マンゴーに針で穴を開け、コップの上に置と、果汁が自然にコップに溜まっていくのである。そして全て果汁が出切ったらそれを飲むというわけだ。

 ちなみに、マリーハーバードは、ウルドゥー詩人ジョーシュ・マリーハーバーディー(1898-1982)の生まれ故郷でもある。ジョーシュ・マリーハーバーディーは1955年にパーキスターンに移住したが、彼の生家は今でもマリーハーバードに残っているという。やはり彼の家もマンゴー農園を持っていたようだが、現在ではインド政府の所有物となっている。また、マリーハーバードの近くには、「Junoon」(1978年)、「Kalyug」(1980年)、「Umrao Jaan」(1981年)などのロケ地となった宮殿もいくつか残っているようだ。ラクナウーとマリーハーバードの間にあるカーコーリーは、カバーブ(串焼き肉)で有名な町である。「Rang De Basanti」(2006年)にも「カーコーリー・カバーブ」という言葉が出てきた。

 話をマンゴーに戻そう。北インドで最も有名なマンゴーの品種のひとつにダシャヘリーがある。緑〜黄色のマンゴーで、食べた後まで手に残るその強い香りと、濃厚な味で知られている。実はダシャヘリーの原産地と言われるダシャヘリー村も、このマリーハーバードの近くにある。ダシャヘリー村には、樹齢300年のオリジナルのダシャヘリー・マンゴーの木がある。この木は昔からラクナウーのナワーブ(太守)の所有物となっているらしい。かつてナワーブは、この木になる全てのマンゴーを誰にも食べさせないようにするため、木全体を網で覆ってしまったことがあるとか。ナワーブがそこまでこだわるマンゴーなので、さぞや素晴らしい味だろうと舌なめずりをしてしまうが、残念ながら今でもこのオリジナルのダシャヘリーの木になるマンゴーは市販されておらず、王族しか味わうことができないという。ただし、通常のダシャヘリー・マンゴーは6月中旬頃から市場に並び始める。


ダシャヘリー・マンゴー

 ダシャヘリーと双璧をなす北インドのマンゴーの品種にチャウサーがある。やはりマリーハーバードの近くにチャウサーという名の村があり、そこのマンゴーが原産らしい。チャウサーは黄金色をした大型のマンゴーで、7月に市場に出並び始める。その圧倒的な甘さは、未熟なままで食べても十分甘いとまで言われている。


チャウサー・マンゴー

 その他にもインドには各地に有名なマンゴーの品種がある。ウッタル・プラデーシュ州ではサフェーダーやラングラーなども有名であるし、グジャラート州のケーサル、アーンドラ・プラデーシュ州のバンガンパッリ、カルナータカ州のトータープリー、タミル・ナードゥ州のニーラムなども特産品である。どのマンゴーが最もおいしいかは本当に議論の分かれるところだ。やはりインド人は自分の地元のマンゴーを一番だと主張する傾向が強い。だが、マンゴー党の中でこれだけは一致した意見であろう――インドのマンゴーは世界一!

 ところで、日本のマンゴー党に朗報である。「世界一」のインドのマンゴーがもうすぐ日本に輸出されるようになるかもしれない。現在日本はインドからのマンゴー輸入を全面的に禁止している。それは手荷物で持ち帰った際も同様で、もし成田などの税関で荷物の中からマンゴーが見つかると容赦なく没収されてしまう。マンゴーをインドから日本にうまく持ち帰るコツは、マンゴーのひとつひとつをサランラップなどで包んで匂いが外に漏れないようにすることだ。こうしないと空港を警備する「マンゴー犬」に発見されてしまう。だが、もうこんな苦労をしなくてもよくなるかもしれない。そのマンゴー禁輸措置を解除するための手続きが現在着々と進行中だからだ(もしかしてもうゴーサインが出たのか?)。日本に出回っているマンゴーはフィリピン産のものが多いと思うが、一度インド産マンゴーが市場に出回るようになれば、日本にマンゴー革命が起きることは確実であろう。

 マンゴーの原産地はベンガル湾沿いのインド東部、ミャンマー、アンダマン諸島らしい。紀元前5世紀頃に仏教僧たちがマンゴーを東南アジアや東アジアに伝え、ペルシアの貿易商たちがマンゴーを中東やアフリカに伝えたようだ。16世紀以降インドにやって来たヨーロッパ人たちも、マンゴーの世界普及に一役買った。おかげで今では世界中でマンゴーが生産されている。だが、それでも「マンゴーの父」としてのインドの地位は少しも揺らいでおらず、インド産マンゴーは世界のマンゴーの貿易量の40%を占めているという。時々冗談で「インド最大の輸出品は宗教」と言われるが、マンゴーも大した輸出品である。

 ・・・と言うことは、インドのマンゴーが食卓に並べられることを許されなかった日本は、世界的潮流からかなり取り残されていたと言える。マンゴーなしの食生活・・・日本人はかなり貧相な食生活を送っていたものだ。インドで生まれた仏教は既に6世紀に日本に伝来していたが、インドのマンゴーはようやく21世紀になって日本に上陸しそうだ。

5月11日(木) Dhoom世代

 2004年の大ヒット映画「Dhoom」。

 プリータムの音楽も大ヒットしたが、この映画のヒットの最大の要因は、日本製大型バイクの活躍である。「Dhoom」はバイクが主人公の映画と言い切っても過言ではない。インドではつい最近まで、交通カースト制度(いかに安くてボロい四輪車でも、道路上の身分はどんなに高価な二輪車よりも絶対的に上)の影響もあり、バイクは「四輪車を持てない人の乗り物」というイメージが強かった。それは今でも根強いが、それでもこの映画の登場のおかげで、「バイクはかっこいい」「バイクはステータス・シンボル」というイメージがインド人の間で劇的に定着した。今まで燃費をバイク購入時の最大のポイントと考えていたインド人の心の中に、「多少燃費は悪くてもかっこいいバイクが欲しい」という意欲を沸き起こさせた。そして、金のあるインド人は、インド国内で販売されている100cc〜200ccぐらいの小型バイクに飽き足らず、タイから1000cc前後の大型バイクを輸入して乗り回すようになった。ボリウッド・スターの中にも、バイク愛好家を自称する人がいつの間にか増えている。ジョン・アブラハム、サルマーン・カーン、ソハイル・カーンなどなど・・・。クリケット・スターのマヘーンドラ・スィン・ドーニーもバイク好きで有名である。「Dhoom」以降、ボリウッド映画の中に大型バイクが登場する機会もぐっと増えた。「Dhoom」以降では、「Deewane Huye Paagal」(2005年)の終盤にある、ドバイでロケされたバイク・スタントが圧倒的である。

 これら一連のバイク・ブームをひっくるめ、輸入バイクであれインドの市販バイクであれ、バイクを愛する人々は「Dhoom世代」と呼ばれるようになっているようだ。


映画の1シーン
ジョン・アブラハムが乗っているのは
Suzuki GSX1300R Hayabusa



ナンバープレートをよく見ると・・・
セロハンテープで貼り付けられた紙!?
イカス!

 ところで、5月11日付けのタイムズ・オブ・インディア紙では、「Dhoom世代」のスピード出し過ぎや交通違反が問題になっていた。インド人ライダーのスピード違反は今に始まったことではないと思うし、その増加の裏には、「Dhoom」のヒットだけでなく、二輪車人口の増加、二輪車の性能アップ、道路の整備など、他にも多くの原因が考えられるだろう。だが、「Dhoom」との関連性も確かに見受けられる事象があった他、いくつか興味深い事実が分かったため、今回取り上げることにした。

 記事の中でもっとも興味深かったのは、インドではバイクのスピードを計測するスピード・レーダーや赤外線カメラがないということ。よって、暴走するライダーが後を絶たないものの、スピード違反で捕まるライダーはほとんどいないらしい。また、無理に捕まえようとしてライダーを怪我させることを警察が恐れていること、四輪車に比べてナンバープレートが小さいため、ナンバーをメモして後からチャーラーン(challan;元ヒンディー語。インド英語でinvoiceという意味。ここでは違反切符)を送ることが困難なこともその理由のようだ。僕も確かに今までインドでバイクを運転していてスピード違反で捕まったことはない。逆に考えれば、インドは法定速度を気にして運転しなくていいということが分かってちょっとした収穫であった。

 ちなみに、二輪車の交通違反で最も多いのはノーヘル。やはり見てすぐ分かるから、警察も捕まえやすいのだろう。最近、これからは規格化されたヘルメットのみをヘルメットと認めるようになるとの記事を見たが、果たしてどうなるのであろうか?あの安っぽいプラスチック製ヘルメット(下の写真)が消えて行くのであろうか?ノーヘルの次に多いのは3人乗り。インド人は4人乗り5人乗りと曲芸師のようなこともするが、その場合の罰金は1人超過するごとに加算されていったりするのであろうか?素朴な疑問である。その次は無免許。無免許運転は、これらの違反で捕まったときに連鎖的に見つかることがほとんどであろう。


インド名物エコノミーヘルメット(20ルピー)


命の保証はないが、警察はやり過ごせる

 また、インドの乗用車法では、二輪車の最高速度は時速50kmと決められているようだ。交通警察は、「なぜ二輪車製造会社は時速50km以上出るバイクの製造を許されているのか?」と疑問を投げかけている。だが、インドのバイク事情も道路事情もだいぶ変わってきたので、法律の方を現状に合わせる必要もあるのではないかと思う。ちなみに僕が所有しているヒーローホンダのカリズマは、最高速度125kmと宣伝されている。

 さらに目を引いたのは、グレーターノイダ・エクスプレスハイウェイで週末に密かに行われているレースの記述であった。この道路は、ノイダとグレーターノイダを結ぶ全長23.5kmの道路であり、どうやらレースに適した広くてきれいな舗装道のようだ。デリーの裕福な若者たちは、高性能の四輪車や二輪車を持ち寄って、ここでレースを開いたり、スタント・パフォーマンスを競い合ったりしているらしい。今年3月にはノイダ警察がこれらの若者を一斉摘発したようだが(まるで日本の警察の暴走族一斉摘発のようだ)、それでもまだ警察の目をかいくぐって続けられているようだ。確か「Dhoom」にもバイクレースのシーンがあった。多分これも、「Dhoom」の影響ではないかと思う。


これは「Dhoom」の1シーン

 ところで、僕はインドでバイクを乗り回している。インドでバイクに乗るというと、かなり危険に思われることが多いが、実は日本よりもインドの方がいくつかの点で快適のような気がする。

 まず、上に述べたように法定速度を全く気にする必要がないこと。その他の交通ルールもあってないようなものなので、警察を恐れながら運転する必要はない。ただし、デリー内ではノーヘルは厳しく監視されているので、ヘルメットのみ気を付ける必要がある(デリーの外ではヘルメット着用義務すらあやふやである)。例え警察に捕まったとしても、罰金は100ルピー(300円以下)。日本の法外な罰金に比べたら全然痛くない。

 しかし、裏を返せばインドではみんな交通ルールを守っていないということなので、道路はさぞや危険なのではないかと思われるだろう。だが、法律に縛られない自然交通ルールが道路を支配しているので、それほど危険でもない。道路は右側通行か左側通行か、くらいが法律で決まっていれば、後は交通なんて何とかなるのではないかと思ってしまうくらいだ。インドでは、みんな他の人が危ない運転をしていることや、インドの道路には何が飛び出て来るか分からないことをよく心得ているので、とても注意深く運転している。そして、その場の臨機応援で何とか切り抜けるだけの知恵を持っている。停電で信号が消えるとさすがに混乱するが、それでも何とかなって行くのが日本人から見ると不思議でたまらない。インドの道路を見ていると、これがインドで名高い「混沌の中の秩序」か、とうなってしまうことが何度もある。その点では、交通ルールを盲従し、秩序の中でのみ生きることに慣れ、ルールに従ってさえいれば安全と思い込んでいる日本の方が、潜在的な危険を孕んでいるくらいだ。

 バイクにとってさらにありがたいのは、インドの道路で車両を運転する人々がバイクの存在をかなり意識してくれていることである。四輪車は二輪車を邪魔に思い、二輪車は四輪車を邪魔に思うのは万国共通だと思うが、それでも二輪車を運転していると「周囲に気にされている」という自分自身の存在感を感じる。言うまでもなく、道路上で存在感があることは危険回避に非常に重要だ。インドでは、バイクの数が比較的多くてバイクの存在を気にせざるをえないこと、また、多くの四輪車ドライバーがバイクを運転した経験を持っていることなどがその理由なのではないかと思う。日本では、多くの四輪車ドライバーはバイクの存在をほとんど無視して運転しているところがあるし、二輪車を経ずに四輪車を運転している人がけっこういてバイクの気持ちがよく分かっていないのではないかと思うことが時々あり、かえって危険である。

 遠出するとき、有料道路の料金所の多くが二輪車の通行料を免除してくれていることも嬉しい。二輪車が通行料を払わなければならないのは、デリーとノイダを結ぶトール・ロードぐらいである(9ルピー)。ほとんどの有料道路はフリーパスで通過することができ、四輪車に比べて経済的にも時間的にも優越感を感じる。日本の高速道路も見習ってもらいたいものだ。

 インフラ整備の遅れはインドの大きな問題のひとつであるが、バイカーにとって道路が悪いことはかなり頭の痛い問題である。しかし、デリーの道路は比較的きれいだし、主要都市を結ぶ幹線道路も近年だいぶ整備が進んで来た。四大都市をハイウェイで結ぶ「黄金の四角形計画」も、遅々としてはいるものの着々と進行中である。ハイウェイ上のサービス(ガソリンスタンド、トイレ、休憩所など)も徐々にではあるが充実しつつあるのを感じている。

 よって、バイクに乗ることだけに関するなら、インドはけっこう快適な国である。少なくとも僕はそう思っているし、日本に帰ってもしバイクに再度乗り始めたら、かなりストレスが溜まるのではないかと危惧している。

 しかしながら、インドでバイクを運転する際の最大の短所は、何と言っても暑さであろう。現在も酷暑期真っ只中。いくらバイク好きでも、こう暑くてはよっぽどのことがない限り日中バイクなんて乗ってられない。また、いかにインドが発展しようと、この暑さを抑えることは不可能だ。この暑ささえなければ、日本に比べて気ままにバイクを運転できるインドはバイク天国になれると思うのだが・・・。以上、「Dhoom世代」の妄想であった。

5月12日(金) Tom Dick and Harry

 今日はPVRアヌパムで本日公開の新作ヒンディー語映画「Tom Dick and Harry」を見た。

 題名は主人公3人の名前。この3つは英語圏で非常に一般的な名前であり、英語の慣用句では「一般の人」を表す。だが、主人公3人はちょっと普通ではない。3人とも身体障害者なのだ。トムはベヘラー(耳が聞こえない人)、ディックはアンダー(目が見えない人)、ハリーはグンガー(しゃべれない人)である。詳しくは以下のあらすじと解説を参照のこと。監督はディーパク・ティジョーリー、音楽はヒメーシュ・レーシャミヤー。キャストは、ディノ・モレア、ジミー・シェールギル、アヌジ・ソーニー、セリナ・ジェートリー、キム・シャルマー、グルシャン・グローヴァー、シャクティ・カプールなど。

Tom Dick and Harry
  ベヘラーのトム(ディノ・モレア)、アンダーのディック(アヌジ・ソーニー)、グンガーのハリー(ジミー・シェールギル)は、スィク教徒ハッピー・スィンの家に家賃を払って住んでいた。彼らの家の隣には、セリナ(セリナ・ジェートリー)というかわいい女の子が住んでおり、3人とも彼女にゾッコンだった。また、魚売りの女の子ビジュリー(キム・シャルマー)はトムに猛烈アタックを繰り返していた。【写真は左から、アヌジ・ソーニー、セリナ・ジェートリー、ディノ・モレア、キム・シャルマー、ジミー・シェールギル】

 その頃、街では女の子の誘拐事件が多発していた。それを行っていたのは、世界最悪の悪人を目指すスプラーノ(グルシャン・グローヴァー)であった。スプラーノはかわいい女の子を海外へ売り飛ばすビジネスをしており、次のターゲットをセリナに定める。部下たちはセリナ誘拐を試みるが、トム、ディック、ハリーの妨害にあって失敗する。彼らに顔を見られてしまったため、スプラーノは今度は彼ら3人を殺害するよう命令を下す。ところがそれもあえなく失敗に終わる。

 セリナに恋するトム、ディック、ハリーの3人は、とうとう彼女に同時に告白する。だが、セリナは拒絶する。彼女に好きな人がいると思い込んだ3人は、今度はセリナとその彼をくっ付ける作戦を練る。セリナの家で「彼」の家の住所を見つけ出した3人は、セリナを睡眠薬で眠らせて、「彼」の家へ連れて行く。

 ところが、実はセリナは警察(シャクティ・カプール)が誘拐事件の首謀者を見つけ出すために送り込んだ覆面警官であった。そしてセリナの家で見つけた「彼」の住所は、実はスプラーノのアジトの住所だった。3人はスプラーノにセリナを引き渡して帰って来る。ところが、家に帰ってTVを見て、3人はさっき会った男がマフィアのドンであることを知る。

 トム、ディック、ハリーやその仲間は、スプラーノのアジトで催されていた宴に変装して紛れ込み、セリナや他の誘拐された女の子たちを助けようとする。ところがスプラーノにそれがばれてしまい、捕まってしまう。そこへちょうど警察が駆けつけ、大乱闘の末、スプラーノとその部下たちは逮捕される。

 子供向けTV番組みたいな子供騙しの低レベルなギャグ満載のコメディー映画。グンガー、ベヘラー、アンダーの身体障害者コンビが主人公ということで、先日公開されたばかりのアンダーとベヘラーが主人公の「Pyare Mohan」と酷似していた。「Pyare Mohan」も大した映画ではなかったが、「Tom Dick and Harry」もそれ以上にしょうもない映画であった。また、身体障害者をコメディーの主人公にすることに、僕は抵抗を感じずにはいられない。

 日光東照宮で有名な「見ざる、聞かざる、言わざる」の三猿は、インドでは「ガーンディー・ジーの三猿」と言われている(その起源や関連は不明)。その三猿と、身体障害者3人を対比させたスタートの切り方はコメディーとしてはまあ合格と言えるだろう。だが、目の見えないディックがコンドームを風船と間違えて子供たちに配ってしまったり、セリナのお父さんの用事をディックが助けているところを女中が2人が同性愛行為をしていると勘違いしたりという下ネタから、スプラーノとその部下たちのコミカルな悪役振りまで、非常にベタな笑いが続いた。また、ベヘラーのトムにグンガーのハリーが身振り手振りで説明するシーンが何度もくどくどしく出てきてじれったかった。全く笑えないことはないが、コメディー映画として失敗していることは明らかで、それが必然的に映画としての失敗につながってしまっている。

 いくつか過去の映画のパロディーも出て来た。インド映画をよく見ている人にとって、パロディーを見るとニンマリすることは避けられないのだが、しかしそのパロディーの仕方は何となく外しており、あまり素直にニンマリすることができない。例えば、冒頭では「Sholay」(1975年)の有名な「Tera Kya Hoga Kaliya?」のシーンが出て来るが、特に必要なシーンではなかった。盲目つながりで、「Black」(2005年)が引き合いに出されるが、やはり蛇足であった。クライマックスのシーンで、トム、ディック、ハリーがボリウッドの有名なキャラクターに扮してスプラーノのアジトに潜入するが、笑いの壺には全く届かない。ちなみにトムは「Amar Akbar Anthony」(1977年)でアミターブ・バッチャンが演じたアンソニー、ディックは「Josh」(2000年)でシャールク・カーンが演じたマックス(多分)、ハリーは「Mangal Pandey」(2005年)でアーミル・カーンが演じたマンガル・パーンデーに変装していた。


左からアンソニー、マックス(?)、マンガル・パーンデー

 唯一パロディーで面白いのは、スプラーノの部下の3人である。スプラーノは、ボリウッド映画の有名な3人の悪役を贅沢にも部下にしている。「Sholay」でアムジャード・カーンが演じたガッバル・スィン、「Mr. India」(1987年)でアムリーシュ・プリーが演じたモガンボ、「Shaan」(1980年)でクルブーシャン・カルバンダーが演じたシャーカールである。スプラーノは、これらの悪役が犯した過ちを犯さないように気を付けながら世界一の悪役を目指すという、ユニークな悪役キャラである。グルシャン・グローヴァーは昔からおかしな悪役を演じて来ているが、その集大成がスプラーノだと言える。ちなみに、スプラーノのキャラクターは「オースティン・パワーズ」(1997年)のドクター・イーヴルがモデルになっていると思われる。

 この映画の唯一の救いは音楽監督ヒメーシュ・レーシャミヤーだ。特に「Jhoom Jhoom」は大ヒット中である。ヒメーシュ・レーシャミヤーは、自信を持って「インドの小室哲哉」と呼ぶことができる。彼の音楽はいつも同じようなメロディーで、しかも同じ歌詞が何度も繰り返されるのだが、不思議な中毒性があり、彼が作曲し彼が歌う曲はほとんどヒットを飛ばしている。かつてARレヘマーンが「インドの小室哲哉」と紹介されたことがあったが、レヘマーンよりもヒメーシュの方が小室哲哉と比較するにふさわしいだろう。ヒメーシュは、「Tom Dick and Harry」の挿入歌を作曲するに留まらず、なんと自身も映画中に登場して歌を歌っている(帽子をかぶったつぶら目で髭の濃い男)。しかも映画中挿入される「Jhoom Jhoom」と映画終了後のオマケナンバー「Tere Sang Ishq」の2曲に!一応、「Jhoom Jhoom」の方はハリーが見た夢ということになっており、翌朝ハリーは「夢の中にヒメーシュ・レーシャミヤーが現れた」と報告していた。それにしても、音楽監督が映画に登場するなんて、前代未聞のことなのではなかろうか?

 主役と言えるのは5人。ディノ・モレア、ジミー・シェールギル、アヌジ・ソーニー、セリナ・ジェートリー、キム・シャルマーである。だが、インド映画をよっぽど見込んでいる人でない限り、これら5人のほとんどは全く見知らぬ俳優ということになるだろう。知らなくても不思議ではない、はっきり言って今のところこれらの俳優は二流止まりだからだ。意外にも、最も名を知られていないであろうアヌジ・ソーニーの演技が光っていた。また、僕は今までキム・シャルマーを認めていなかったのだが、彼女が今回演じた「マチュリーワーリー(魚売り)」のビジュリーは恐ろしいほどはまっていてよかった。バストやヒップを揺らすと「プヨヨ〜ン」という効果音がしたりして、やはりものすごくベタなギャグのネタになっていたが、大衆には受けるだろう。ボリウッド映画には時々、ビジュリーのようなセクシーな格好をしたマチュリーワーリーが登場する。ムンバイーには家々を訪問して魚を売り歩くマチュリーワーリーが本当にいるのだろうか、デリー住民の僕には興味津々である。一方、ディノ・モレア、ジミー・シェールギルや、メイン・ヒロイン扱いのセリナ・ジェートリーは風格を欠いた。


マチュリーワーリー

 「Tom Dick and Harry」は、コテコテのギャグが満載のコメディー映画である。ヒンディー語が分からない人でもおそらく簡単に理解し、笑うことができるだろう。だが、それ以上の深みは期待してはならない。他に特筆すべきは、ヒメーシュ・レーシャミヤーが登場するダンスシーンとキム・シャルマーの「プヨヨ〜ン」ぐらいか。

5月13日(土) J&K州は売春公認州?

 5月13日付けのインディアン・エクスプレス紙を読んでいたら、衝撃的な事実が発覚した。なんと、ジャンムー&カシュミール(J&K)州は、インドで唯一、売春が合法化されている州らしい。

 J&K州の特殊な状態を論じる前に、まずはインド全体における売春に対する規制を抑えておく必要がある。実は、インドは売春が非合法の国ではない。インドでは、売春は法律で禁じられていない。売春に関する法律はあるが、それは売春そのものを禁じる法律ではない。だが、他方で売春を合法とする法律は、J&K州の除けば存在しない。つまり、インドでは売春は合法でも非合法でもない扱いになっている。

 インドで売春を扱う法律は、1956年に制定された猥褻商売防止法(PITA)。この法律は、1950年に国連で採決された売春防止宣言と国際的世論に押される形で制定され、当時は全インド猥褻商売抑制法(SITA)と呼ばれていた。1986年の改正をきっかけに、現行のPITAと呼ばれるようになった。

 PITAは、性労働を外郭から制限して行き、結果的に売春を撲滅することを目的とした法律だが、この法律の大きな落とし穴は、売春そのものを禁止していない点である。PITAが明確に禁じているのは、
  • 宗教施設、教育施設、病院などの「公共の場」から200ヤード(約183m)以内、または州政府、警察、行政長官などによって指定された区域での売春と買春
  • 公衆の面前で言葉、仕草、身体の露出などにより客の呼び込みをすること
  • 本人が望む望まないに関わらず人に売春をさせること
  • 売春目的で人を移動させること
  • 売春宿の経営や関与
  • 売春目的か否かに関わらず売春宿に滞在すること
  • 他人が売春で得た収入で18歳以上の人が生活すること
などである。つまり、裏を返せば、個人でこっそり目立たない場所で商売を行う売春婦は一応法には触れないということである。「公共の場」の定義も非常に曖昧で、これでは売春は完全に禁止されていることになっていない。よって、警察は性労働者たちを摘発する際は、売春ではなく、インド刑法(IPC)に規定されている公共猥褻罪や公的不法妨害罪などの罪を適用するようだ。

 話をJ&K州に戻そう。J&K州は、インドで唯一売春を合法とする法律がある州である。その法律は公認売春規正法といい、80年以上前の1921年に制定されたものだ。1921年、この法律はまずは政令として公布され、その後、同年2月12日にマハーラージャー・ハリ・スィンのダルバール(王宮)で承認されたことから、法律として実効化した。インド独立後も廃止されずに残り、現在まで同州の法律の一部となっている同法は、売春婦を「性を売って稼ぐ女性」と規定し、県庁に登録された公認売春婦の売春を認めている。同時に、この法律は売春宿の経営者を「性労働のための家、部屋、テント、ボート、その他の場所を所有する男性または女性」と規定し、公認売春婦を使った売春宿の経営を認めている(「ボート」という単語があるところが、ボートハウスで有名なシュリーナガルを擁するJ&K州らしい)。

 しかしながら、J&K州ではPITAとランビール刑法(インド刑法のJ&K州適用版)によって売春を規制している。だが、売春を公認する法律がある以上、公認売春婦になるための申請用紙は現在でも入手可能であるし(手数料はたったの5ルピー)、もし誰かがこの法律を利用して公認売春婦になろうとしたら、行政側としてはそれを拒否することはできないようだ。よって、J&K州では、売春を合法とする法律がありながら、売春が規制されているという矛盾した状況となっている。また、この同州に公認売春婦が存在するのか否かは不明である。さすがに州政府もその矛盾を看過できなくなったようで、次の州議会で公共売春規制法の廃止を提議する見込みである。

 なぜJ&K州で突然こんな大昔の法律が話題に上ったかというと、現在同州で政治家、警察、官僚が関与する大規模な売春ネットワークのスキャンダルが暴露され、大問題になっているからだ。民衆は、スキャンダルへの抗議と、売春ネットワークに関わった人物の名を発表を求めたデモを連日行い、それを鎮圧しようとする警察との衝突が繰り返されている。最近J&K州の治安は幾分落ち着いて来ていたのだが、このセックス・スキャンダルにより今までの平和努力が水泡と帰す可能性もある。中央政府もこの問題を深刻に受け止めているようだ。

 だが、5月13日付けのタイムズ・オブ・インディア紙の分析によると、どうやらこのデモを陰で操っているのは、カシュミール分離派のテロリストたちのようだ。目障りな有力者の名前を何の根拠もなしに「スキャンダルに関わった」と発表して民衆を扇動したり、「美容院が女性の道徳の堕落を後押ししている」「ケーブルTVも堕落の原因だ」などと主張してそれらを一時閉鎖に追いやったりと、「道徳」という新たな武器によって民衆と世論を思いのままに操っているらしい。最近では「カシュミールの女性は携帯電話を持つべきではない」との声明まで発表されたという。

 時代遅れの公認売春規制法はすぐに廃止されるであろうが、J&K州で火の付いたセックス・スキャンダル問題は対応を誤ると大変なことになりそうだ。

5月14日(日) Tathastu

 今日はPVRアヌパムで新作ヒンディー語映画「Tathastu」を見た。

 「Tathastu」とは「それでよい」という意味。監督はアヌバヴ・スィンハー、音楽はヴィシャール・シェーカル。キャストは、サンジャイ・ダット、アミーシャー・パテール、ジャヤープラダー、グルシャン・グローヴァー、ヤシュ・パータクなど。

Tathastu
 二輪車工場に勤める一般人ラヴィ(サンジャイ・ダット)は、妻サリター(アミーシャー・パテール)、一人息子ガウラヴ(ヤシュ・パータク)と共に幸せに暮らしていた。ところがある日、ガウラヴはクリケットの試合中に倒れてしまう。ラヴィは息子を高級病院へ連れて行く。ところが、診察料は3万ルピーもかかった。何とかお金をかき集めたラヴィだったが、追い討ちをかけるように息子の心臓移植手術のために150万ルピーが必要であることを知らされる。【写真は、アミーシャー・パテール(左)とサンジャイ・ダット(右)】

 ラヴィはまずは150万ルピーを調達するために保険会社や勤務先などを当たるが、システムはラヴィのような貧乏人に優しくできておらず、思うように金が集まらなかった。医者も、150万ルピーが支払われない限り手術は始められないと言い張る。追い詰められたラヴィは、銃を買って病院の受付を占拠し、その場にいた30人を人質にとる。病院はすぐに警察に取り囲まれる。ラヴィと警察の間では断続的に交渉が続けられる。

 最初はラヴィを怖がる人質たちであったが、息子の命を救うための行動だと分かると、彼を応援するようになる。また、会社の同僚たちも現場に駆けつけてラヴィを援護する。

 ところで、実は同病院には政府与党の党首スワーミー・ジーが入院していた。党首も心臓を患っており、心臓移植が必要であった。そのときすぐに入手可な心臓はひとつのみ。入院した順番がガウラヴの方が先であったため、もしお金が支払われればガウラヴの方にその心臓の優先権があった。だが、ラヴィは期限までにお金を支払うことができなかった上に、政治家たちの圧力があり、スワーミー・ジーの手術が優先されることになった。

 それを知ったラヴィは、遂に観念して人質を解放し、警察の前に出て来る。だが、ラヴィはそのまま引き下がる男ではなかった。公衆の面前で自殺し、自分の心臓をガウラヴに渡そうとした。そのとき、群集の中からスワーミー・ジーの部下の政治家が現れる。そして、スワーミー・ジーはガウラヴに心臓を譲ること、そして手術代を党が肩代わりすることを発表する。実は既にスワーミー・ジーは他界していたのだが、これは群衆の支持を得るために行ったパフォーマンスであった。だが、そのおかげでガウラヴの手術が行われることになり、ガウラヴはまた元気にクリケットで遊べるようになった。

 所々いい映画っぽい要素が見受けられるのだが、全体的に細かい欠陥が目立ち、結局駄作の烙印を押さざるをえない。

 息子の手術の費用が工面できずに病院を占拠するという「Tathastu」のストーリーは、どうやら実話をもとにしているようなのだが、脚本や展開が稚拙であるために現実感がなかった。ラヴィが占拠した病院の構造がいまいち分かりにくいし、ラヴィと人質たちの間のやり取りは説得力を欠いた。病院を包囲した警察の行動も適切ではないし、最後に政党がガウラヴの手術代を肩代わりするのも根本的な解決になっていなかった。着想が悪くなかっただけに、これらの詰めの甘さが惜しまれるところである。

 この映画の表のテーマは父と子の間の愛情であろうが、裏のテーマは間違いなく社会のシステム批判である。特に強調されていたのは、庶民の生活レベルとかけ離れた高級病院の内情。初診料として3万ルピーも要求され、手術代として150万ルピーも支払わなければならないというのは、果たして現実的な数字が分からないが、月給5千ルピーのラヴィを初めとした一般庶民にとって、大都市にある高級病院が法外な診察料を取っていることは確かであろう。そして、挙句の果てには「貧乏人はこんな病院に来るな。政府系病院へ行け」と言われる始末。だが、息子のこと愛してやまないラヴィにとって、自分の収入の限界を超えていたとしても最高の病院に息子を入院させたいというのは、当然の願望であろう。インド映画では一般的に、登場人物が怪我をすると当然のようにきれいな高級病院に運ばれるが、「Tathastu」は庶民が高級病院に行ったらどうなるかを取り上げており、その点で監督のメッセージは伝わって来た。

 この映画の最大の見所はサンジャイ・ダットのシリアスな演技であろう。マフィアのドンをやらせると右に出る者はいないサンジャイ・ダットだが、意外に彼は芸幅の広い役者である。「Munna Bhai MBBS」(2003年)のようなコメディーもできるし、「Parineeta」(2005年)のような時代劇もできるし、今回のようなシリアスな演技もできる。しかし図体がでかく、風格があるので、今回彼が演じたような一般庶民の役は少し無理がある。それに、彼が100ccくらいのバイクに乗っているシーンがあったが、全然似合っていなかった。だが、もっとも優れた演技をしていたのは、間違いなくサンジャイ・ダットであった。

 映画最大の戦犯はアミーシャー・パテール。彼女は現在のボリウッドの俳優の中で、最も人気に釣り合う演技力を持ち合わせていない女優である。女優と呼ぶのも憚られるくらいだ。彼女が泣き喚くシーンが数回登場するのだが、どれもオーバーアクション気味で現実感がない。

 女医を演じたジャヤープラダーは「Khakee」(2004年)以来の出演。しかし、彼女のようなベテラン女優に見合う役ではなかった。

 音楽はヴィシャール・シェーカルだが、映画中ほとんどダンス・シーンはなし。唯一、カッワーリー・ナンバーが挿入されていたが、ない方がマシというぐらいのつまらない曲と踊りであった。

 「Tathastu」は、社会に向けたメッセージをひしひしと感じさせてくれるものの、現実感のない展開なので、あまり感情移入はすることができないだろう。

5月15日(月) ゴーンドワーナー・エクスプレス

 チャッティースガルの名前は魔法だ。僕だけかもしれないが、チャッティースガルの名前を聞いただけで身震いがする。チャッティースガル州は常に「いつか旅行してみたい州ナンバー1」だった。

 チャッティースガル州は2000年にマディヤ・プラデーシュ州から分離独立した新しい州である。州公用語はヒンディー語。「チャッティースガル」とは「36の砦」という意味で、その名の通りこの地域にはかつて36の砦があったからこの名称で呼ばれるようになったとされる。インド亜大陸中央部に位置するチャッティースガル州は、それまでほとんど無視され続けて来た地域だが、州政府が集中的に観光を推進していることもあり、州成立以来急に注目を集めるようになった。チャッティースガル州の大きな特徴のひとつは、州内に住む部族の独自の文化とその優れた手工芸品である。ジャールカンド州やオリッサ州西部も部族地帯として有名だが、チャッティースガル州はそれらの地域と「トライブ・ベルト」を構成している。

 数年前からチャッティースガル州旅行を狙っていたのだが、情報の欠如と観光環境の整備の遅れからなかなか踏み出せないでいた。しかし、2005年2月開催のスーラジクンド・クラフトメーラーがチャッティースガル州の大特集をしており、そこでチャッティースガル州の情報を集めることができたこと、また、同年9月に発行された定番旅行ガイド「ロンリープラネット・インド(英語版)」がチャッティースガル州の旅行情報を少量だが掲載したことなどから、次第にチャッティースガル州旅行の準備が整ってきた。

 5月後半という酷暑期真っ只中の時期にチャッティースガル州を旅行するのは酷かと一瞬考えた。インド平野部の旅行は涼しい時期がいいに決まっている。だが、既にインドでいろいろな種類の暑さを経験した中、湿気のない暑さだったら旅行するのに大きな障害とはならないと分かって来た。チャッティースガル州は内陸にあるのでそれほど湿気はないだろう。涼しい時期はオリッサ州などの高温高湿地域に当てた方が得策だ。この時期にオリッサ州は旅行できない。デリーよりも暑くなかったらそれだけで御の字である。よって、遂にチャッティースガル州旅行を決行することに決めた。

 前々から、チャッティースガル州を旅行するならここもついでに行っておきたいと思っていた場所があった。マディヤ・プラデーシュ州東部のジャバルプル。この辺りはゴーンド族の王国があった地域で、いくつかユニークな見所がある。デリーからまずはジャバルプルに行き、そこからチャッティースガル州を目指す旅程を立てた(旅行地図は5月26日の日記にまとめてある)。

 デリーとジャバルプルの間にはいくつか列車が走っているが、ジャバルプルに早朝着く夜行急行列車、2412ゴーンドワーナー・エクスプレスに乗ることにした。毎回列車のチケットの予約には苦戦しているが、今回は観光ヴィザで来ていた知り合いの助けを得て、簡単に取ることができた。

 ゴーンドワーナー・エクスプレスは午後2時半にデリー南部のハズラト・ニザームッディーン駅を出発。最近は便利になったもので、インド鉄道のウェブサイトから列車の発車状況(つまり出発に遅れはないかなど)を確認できるようになった。調べてみたところ時間通りの出発。余裕を持って2時10分頃には駅に到着するようにした。

 ところが今回は大きな落とし穴が用意されていた。インドには、まるでこれは何かのゲームかと思われるくらいの落とし穴がいろんなところで待ち構えているが、このゴーンドワーナー・エクスプレスもかなり難易度の高い罠を仕掛けていた。僕が予約したのはAC(冷房車両)3等の寝台席で、チケットには車両番号はAS2と書かれていた。ところが、プラットフォームに停車していたゴーンドワーナー・エクスプレスには、AS1はあれど、AS2はいくら探しても見当たらないのだ。代わりにAS1/2という得体の知れない車両があった。これはAS0.5ということなのか、それともAS1とAS2の合体した車両なのか、とにかく今までこんな番号の車両は見たことがない。しかし、AS1があってAS2がどこにもないとすると、このAS1/2がAS2である可能性が高い。とりあえずその車両の近辺の人に「これはAS2か?」と聞いてみると、「AS2はあっちだ」と言われた。僕は、「あっち」と言われた方向で「AS1」を確認して来たところである。しかし、そちらにあるということは僕の見落としかもしれないと思い、また来た方向へ戻った。だが、やはりAS1しかない。既に出発まであと5分。今までインドの列車は何度も使っており、だいぶ経験も積んだつもりだが、こんななぞなぞみたいな自体は初めてだ。仕方ないので、とりあえずAS1に乗ってみることにした。すると、赤い服を着たポーターがちょうど出て来るところだった。列車のことは、車掌の次にポーターがよく知っている。ポーターに「AS2はどこ?」と聞いてみたら、「これがAS2だ!AS1と書いてあるけどAS2だ!」と答えて去って行った。なんと、車両番号の間違いだったか!かなり苦戦したが、何とか自分の車両に乗り込むことができた。

 列車の旅の楽しさの大部分は、同じコンパートメントになった他の乗客たちの顔ぶれに依存している。今回は幸か不幸か、超絶バドマーシュ(悪戯っ子)の兄弟2人組を連れた家族と一緒になってしまった。チェートゥー(7歳)とオーミー(5歳)という2人の男の子は、インドの騒がしい子供そのもので、2人でじゃれ合ったりふざけ合ったり喧嘩したり、大変だった。特に年下のオーミーがやたら攻撃的な子で、プロレスの真似みたいなことを列車の通路で始めたり、列車中に響く大声を上げたり、くしゃみをして鼻水を飛び散らしたりとやりたい放題であった。インドの親は小さい子供に対しては基本的に放任主義なので、時々叱りはするが後はほったらかし。そしてなぜかこの2人は僕に絡んで来た。オーミーが「自動車ごっこをしよう」と言って来たので遊んであげたのだが、それがまた想像を絶する自動車ごっこであった。オーミーが2台のミニカーをカバンの中から取り出して来て、1台を僕にくれたので、てっきり2人でブ〜ンブ〜ン言いながら椅子の上とかを走り回る遊びだと思ったのだが・・・なんとオーミーは手に持った自動車を執拗に僕にぶつけて来るのだ。そして、「ぶつかられたら空に飛び上がって地上で転がり回らなければならないんだ」と説明して来た。どうも映画の見すぎのようだ。よって、僕の持ったミニカーはオーミーにぶつけられては、「グァ〜ン」と言いながら空に吹っ飛んだりしなければならなかった。しかもこの子はまだ5歳なのに汚ない罵り言葉をよく知っている。どうも全て映画に出て来た台詞のようだ。ボリウッド映画が子供に与える悪影響について考えつつ、オーミーの車の突進に耐えていた。幸い、この家族は途中のジャーンスィー駅で降りたので、その後は平和が訪れた。

 平和は訪れたのだが、同じコンパートメントにはもう1人変なおじさんが座っていた。見た目は普通のインド人のおじさんで、温和で物静かな感じなのだが、僕がデリー在住の日本人であることが分かると、途端に饒舌になって営業を始めた。何の営業かというと、レイキである。レイキとは臼井甕男という日本人によって編み出されたと言われている手当て療法だ。日本でどれだけ普及しているのかは知らないのだが、少なくともインドではけっこうメジャーである。そのおじさんは、レイキを人に教えることができるという「レイキ・マスター」らしく、レイキ治療院兼学校をデリーのマハーラーニー・バーグで開いているそうだ。そして、僕にレイキを学ぶようしつこく勧めてきた。一応名刺を受け取り、「気が向いたら行きますから」とかわすと、営業を終えたおじさんは途端に元通り大人しいおじさんに戻り、そのままジャバルプルまで二度とレイキの話題は出さなかった。一体何だったんだろう・・・。

5月16日(火) ジャバルプル

 ゴーンドワーナー・エクスプレスは午前5時50分にジャバルプル駅に到着する予定だったが、到着したのは午前6時40分頃。てっきりもっと遅れるかと思っていたので、ちょうどいいくらいの時間に到着してくれてありがたかった。

 ジャバルプルは「マハーバーラタ」の時代まで遡る古い街のようだが、13世紀からゴーンド族の王国(ゴーンドワーナー)の首都として栄えた街として特に有名である。マディヤ・プラデーシュ州東部からチャッティースガル州にかけて、10世紀頃から5つのゴーンド族の王国が存在し、ジャバルプルはその中心地のひとつだった。その中でもガラー・マンドラー王朝の王妃ドゥルガーワティーが有名である。1524年に現在のウッタル・プラデーシュ州バーンダーに生まれたドゥルガーワティーはカジュラーホーの寺院を造ったチャンデーラ王朝の末裔で、1542年にゴーンド王国のダルパトシャーに嫁いでゴーンドワーナーへやって来た。ところが、1550年頃にダルパトシャーは死去してしまい、息子のヴィール・ナーラーヤンもまだ幼少であったため、ドゥルガーワティーが摂政となって王国を統治した。ドゥルガーワティーの統治下、王国は経済的、文化的に最盛期を迎えた。ところが、その繁栄はムガル王朝の征服の野心に火を付けることになる。ドゥルガーワティーはムガル王朝の軍門に下ることを拒否し、真っ向から立ち向かった。3度に渡る戦いの中、負傷したドゥルガーワティーは自刃し、結局ゴーンド王国は敗北してムガル王朝の属国に成り下がってしまうが、ムガル王朝の支配に対抗し、生き恥をさらすよりは死を選んだ勇敢なドゥルガーワティーは、「ジャーンスィーのラーニー」ラクシュミーバーイーと並ぶ女傑としてインド史に記録されている。ジャバルプルにはドゥルガーワティーの名を冠した施設などがいくつか散見され、地元の人々の誇りとなっていることが伺われた。

 ジャバルプルはあまり外国人旅行者には有名ではない都市だと思うのだが、旅行者に対してしたたかな人が多いところだった。インド人観光客が多いからだろうか、それとも近くに有名なカーナー国立公園があるからだろうか?駅を出るや否や、殺気立ったオートワーラーたちに囲まれ、「ホテルまで5ルピー!」「いやいや無料!」と引っ張りだこであった。オートが5ルピーとか無料って、悪名高いアーグラーと同じじゃないか!ちょっと無料のオートに乗るのは怖かったので、5ルピーのオートに乗ってホテルまで向かった。

 ジャバルプルで宿泊したのは、ホテル・ヴィジャン・パレス。オールド・バーザールと呼ばれる旧市街の入り口辺りにあるホテルで、デラックス・ノンACシングルが450ルピーだった(デラックスしか空いていなかった)。バスルーム、テレビ、タオル、石鹸、シャンプーなど完備で、快適なホテルだった。

 シャワーを浴び、朝食を食べた後、ジャバルプル観光に出掛けた。ジャバルプルの見所はほとんど郊外にある。オートをチャーターしてそれらを巡ることにした。暑さを懸念していたのだが、どういう偶然か今日は1日中曇り空で、涼しい日であった。

 まず向かったのは、ジャバルプルから約25km西へ行った場所にあるドゥアーンダール滝。ジャバルプルからオートで40分ほどの地点に駐車場があり、そこから10分ほど歩くと到着する。ナルマダー河にあるこの滝は、「煙の滝」という名前の通り、ものすごい水しぶきを上げる豪快な滝であった。ここは観光地であると同時に周辺住民の生活の場でもあるようで、地元の人々が河で洗濯したり水浴びしたりしていた。


ドゥアーンダール滝
観光客が滝を眺める横で地元の人がせっせと洗濯中
左下は河に投げ込まれる賽銭を潜って拾う少年

 ドゥアーンダール滝から少し戻ったところの丘の上には、64ヨーギニー寺院という円形の寺院がある。円形の壁には64体のヨーギニーの像が祀られており、中心部にはシヴァとパールワティーを祀ったガウリー・シャンカル寺院が建っている。ヨーギニー(ダーキニーとも呼ばれる)とは、ヒンドゥー教の8母神に付き従う64人の侍女のことであり、シャークタ派の信仰と密接に関係している。中央のガウリー・シャンカル寺院は、カルチュリー王国の女王アラナーデーヴィーが1155年に建造したが、その周囲を取り囲むヨーギニーの像はさらに古いもののようだ。同じような64ヨーギニー寺院は、オリッサ州からマディヤ・プラデーシュ州にかけて見られ、世界遺産カジュラーホーにも存在する。ヨーギニー信仰については勉強不足なのであまり詳細について書くことはできない。


64ヨーギニー寺院&ガウリー・シャンカル寺院
円形の境内の中心にはシヴァとパールヴァティーを祀った寺院

 次に行ったのは、ジャバルプルの観光の目玉、ベーラーガートである。別名マーベル・ロックス。この辺りのナルマダー河は断崖絶壁に囲まれており、その岩肌の色がまるで大理石のように白いので、こう名付けられた。ただし、大理石のように見える白い岩は実際は大理石ではなく、マグネシウムが混ざった石灰岩である。その狭い峡谷をボートで遊覧するのがお決まりのコースとなっており、何を隠そう僕もこれを楽しみにしていた。ここは度々ボリウッド映画のロケ地にもなっており、最近では「Asoka」(2002年)の「Raat Ka Nasha」のミュージカル・シーンが有名だ。乗り合いボートの料金は乗客数によって変わるようだが、僕は31ルピー払った。舵取りの人が「あの岩は寺院に見えます」「ここでレーカー(女優の名前)が踊りました」「あそこの洞穴にはワニが住んでいますが、今は夏休みでどこかへ行っています」などと、ヒンディー語で面白おかしく解説をしてくれる。遊覧客に披露するためか、それともただ単に暑いからか知らないが、子供たちが岩の上から飛び込み合戦をしていたのが一番印象に残った。時間は正味30分ほど。以前はもっと奥まで行っていたようだが、上流にナルマダー・ダムが出来たおかげで水位が下がり、今は途中までしか行けなくなってしまっているらしい。はっきり言って面白さは期待を下回ったが、インドの数ある観光地の中でもユニークなアトラクションだと感じた。このベーラーガート遊覧は10月から6月まで営業している。


ベーラーガート(マーベル・ロックス)遊覧
岩で遊ぶのはマーメードでもローレライでもなく地元の子供たち

 ベーラーガートはジャバルプルから約22kmの地点にあるが、遊覧を終えてからは来た道を引き返し、ジャバルプル郊外にあるマダン・マハルへ行った。ここも是非見てみたかったスポットである。マダン・マハルは小高い岩山の上に立つ小さな城砦だが、その特異な点は、大きな岩の上に建物が乗っかっていることである。このようなタイプの城砦はインド広しと言えどここにしかないという。マダン・スィンという名のゴーンド族の王が1116年に建造したらしく、ドゥルガーワティー時代には見張り塔として利用されていたようだ。入場料はなし。この砦のすぐ脇にもいくつか建物跡があったが、ほぼ完全に崩壊してしまっていた。ちなみに地元の言い伝えによると、このマダン・マハルの地下には大量の金塊が隠されているという。


マダン・マハル

 このマダン・マハルの周辺には黒い岩がゴロゴロと転がっており、ハイダラーバード周辺の風景とよく似ていた。岩によって出来た洞穴を利用した寺院も多く見受けられた他、「バランシング・ストーン」なる取って付けたような観光スポットもあった。


バランシング・ストーン

 ジャバルプルに戻った後はドゥルガーワティー記念博物館へ行った。外国人の入場料は30ルピー(特に法外な値段ではなかったので外国人料金で入場)。1階はジャバルプル周辺で出土したシヴァ、ヴィシュヌ、ジャイナ教関連の石像が陳列されていた。2階は、ターティヤー・トーペーからガーンディー、ネルー、ボースまでの独立運動関係の写真や文物の展示、アショーカ王の碑文、ベーラーガートの64ヨーギニー寺院の特集、古銭コレクション、そしてジャバルプル周辺に住む部族をジオラマと写真で再現した部族セクションなどがあった。やはり部族セクションが最も興味深かった。また、博物館の前にはヴィシュヌのアヴァタール(化身)のひとつ、ヴァーラハ(イノシシ)の像が置かれていた。

 ジャバルプルにはなぜかスィク教徒が多く、街の中心部にはグルドワーラーもあった。その正面にはモスクもあった他、教会もたくさん見かけた。英国植民地時代はナルマダー地区の中心都市として栄えたようで、その名残りからか新市街の方は整然とした街並みだった。さらに特筆すべきは、午後から夕方にかけて、ジャバルプルの市街地には多くのマンゴーシェイク屋とラッスィー屋が軒を連ねる。マンゴーシェイクは1杯5ルピーという破格の値段でうまい。ラッスィー屋の方は、なぜかイッチャーダーリーという名前を冠した店が多かった。その中でも最も客を集めていたのが本物のイッチャーダーリーだろうと予想し、1杯10ルピーのラッスィーを飲んで見た。甘くて濃厚なラッスィーであった!他に気付いたのは、チキン・ビリヤーニー専門店がいくつかあったこと。今日の夕食はそんなチキン・ビリヤーニー専門店のひとつで取った。チキンに柔らかさがなかったのが残念だが、ご飯の方は味がよく染み込んでいてうまかった。意外に食べ歩きが楽しい街であった。

5月17日(水) ラーイプル

 今日はチャッティースガル州の州都ラーイプルへ一気に移動する。ジャバルプルからラーイプルまでは360kmぐらいある。ジャバルプルのバススタンドは、公営のものと私営のものが隣り合わせになっている。昨日、バスの時刻を確認したところ、公営のラーイプル直行バスは午前9時半にならないとなかった。おそらく12時間以上かかるので、なるべく早朝に出て明るい内に着くバスの方が好ましい。私営の方を当たってみたら、午前6時発のバスがあったので、それを利用することにした。運賃は185ルピー。

 午前6時過ぎにジャバルプルを出たバスは、まずはちょっとした丘陵地帯を通過した。ここには野生の猿がたくさんおり、運転手と助手は猿の群れを見つけるとバスを止めて、昨晩のローティーの残りを猿たちにばらまいていた。その丘を越えると再び平野となり、8時45分頃にジャバルプル南東にあるマンドラーに到着。マンドラーもゴーンド王国の中心地だった場所で、この近辺にもマダン・マハルのような城砦の遺構が残っている。ジャバルプルのドゥルガーワティー記念博物館の部族セクションにいくつか遺跡の写真が展示されていた。時間があったら巡ってみたかったのだが、マディヤ・プラデーシュ州はメインではなく、チャッティースガル州の方に時間を割きたかったので、今回は素通りすることにした。

 午前9時15分頃にマンドラーを出て、バスはビチヤーという町へ向かった。ジャバルプル南東には、インド最大の敷地面積を誇るカーナー国立公園がある。てっきりバスはこのカーナー国立公園を通り抜けて行くかと期待していたのだが、その北端をかすめるように通っただけだった。2時間ほどでビチヤーに到着し、またバスは30分ほど止まっていた。私営バスを選んだのは、もっとスピーディーに行ってくれることを期待したこともあったのだが、公営バスと変わらぬ鈍行ぶりだったのでちょっと残念だった。ビチヤーまではバスは比較的空いていたのだが、ビチヤーで多くの人々が乗り込んで来た。ジャバルプルではまだあまり感じなかったが、この辺まで来ると普通のインド人とは違う少し平べったい顔の人が増えた。近くに額に刺青を入れた女の子もいたが、多分部族なのだろう。

 ビチヤーを出ると、再び丘陵地帯となった。おそらくこの山がマディヤ・プラデーシュ州とチャッティースガル州を隔てているのだろう。この丘陵地帯はサトプラー・ヒルズと言われているようだ。どこに州境があったのかは記憶にないのだが、いつの間にかチャッティースガル州に入っていた。

 チャッティースガル州の第一印象は、「貧しいな・・・」であった。ほとんど日陰のないだだっ広い荒野が広がっており、人工のものなのか自然のものなのか、所々に湖があって、人々が洗濯をしたり水浴びをしたりしていた。住民の家屋も泥作りの「カッチャー・マカーン」ばかりだ。だが、チャッティースガル州の辺境部が特に貧しかっただけのようで、さらにバスが進むと、もう少し発展した村や町が目に入って来るようになった。午後2時半過ぎにカワルダーという町に到着。カワルダーはかつてカワルダー藩王国の首都だった町だが、道路の交通量が少なく、市場にも活気がないように見えるため、村に毛が生えた程度という印象であった。そして午後4時半頃にはシムガーという三叉路を中心とした町に到着。ここは、ビラースプル(チャッティースガル州の主要都市のひとつ)、ジャバルプル、ラーイプルへ続く道が交差している交通の要所だが、やはりダーバー(安食堂)が並ぶだけの寂れた町だった。

 シムガーからラーイプルへ国道200号線を南下。悪い道ではなかったのだが、この途上で事故を2回目撃した。1つはトラックの横転。インドのトラックは重心が高いので、よく横転する。最初見たときはギョッとするが、インドのハイウェイでは特に珍しくない風景である。もう1つは暴走トラックの子供をひき逃げ。目の前でトラックが自転車に乗った子供をひいて、しかも走り去っていくところを見てしまった。バスの運転手などは最初は道行く車を止めて何とかしようとしていたが、最後には「運が悪かったんだ」と言ってバスを発車させた。

 ラーイプルに近付くに連れて次第に都会っぽくなって行った。午後6時頃にラーイプルのナヤー・バススタンドに到着した。さすが州都だけあって、街並みは立派なものだった。きれいに舗装され、街灯が立ち並ぶ大通りもあった。ラーイプルではバススタンド近くのホテル・ジョーティに宿泊することにした。エアークーラーのシングル、バスルーム、テレビ、タオル、石鹸付きで300ルピー。日本人が珍しいようで、とてもフレンドリーに接してもらえた。

5月18日(木) スィルプル

 ラーイプル周辺の最大の見所と言えば、ラーイプルから東に約85km行った地点にあるスィルプルである。

 スィルプルはシュリープルが訛った形で、少なくとも5世紀頃から存在した町のようだ。チャッティースガル州のある地域には、古代にはコーサル国という王国があり、一時期スィルプルはその首都であった。コーサル国は、アヨーディヤーを首都とするコーサル国と区別してダクシン・コーサル国(南コーサル国)と呼ばれてた。スィルプルは特に、ダクシン・コーサル国の黄金時代を築いたマハーシヴァグプタ・バーラールジュン(595-696年)の頃には首都として栄えたようだ。当時スィルプルはどうやら仏教の重要拠点のひとつだったようで、ヒンドゥー教寺院の他に仏教寺院も発掘されており、中国の玄奘も639年にこのスィルプルを訪れている。

 このように、スィルプルは遺跡好きにはたまらない場所である。今日は、スィルプルを中心にラーイプル東部にある見所をタクシーをチャーターして回った(AC付きターター・インディカで1600ルピー)。

 午前8時にラーイプルを出発。昨日頼んでおいたタクシーのドライバーはちゃんと時間通りに来てくれたので感心。ラーイプルとオリッサ州のサンバルプルを結ぶ国道6号線を東へ向かう。アーラングという町を越えた辺りで左に折れる道があり、それをまっすぐ進めばスィルプルである。この辺りは森林地帯で、セミの鳴き声がやかましかった。

 スィルプルには2時間弱で到着。かつてダクシン・コーサル国の王都として栄えたスィルプルは、今では遺跡と廃墟に囲まれた静かな村であった。観光客はあまり訪れないようで、村人たちは全く観光客ずれしていない。一昔前のカジュラーホーはこんな感じだったのではなかろうか?村のすぐそばには、チャッティースガル州最大の河であるマハーナディー河が流れていた。

 最初に向かったのは、スィルプルの最大の見所であるラクシュマン寺院(入場料はインド人5ルピー、外国人100ルピー)。スィルプル村の東の端に位置している。スィルプルの遺跡はほとんど崩れてしまっているが、この寺院はちゃんとシカル(塔)が残っている。それ以上に重要なのは、この寺院が現存する中でインドで2番目に古いレンガ造りの寺院であることだ(一番目は不明)。マハーシヴァグプタ・バーラールジュンの母親ワースターが、7世紀に夫ハルシャグプタの死を悼んで建造したと言われている。ガルバグリハ(聖室)とマンダプ(前殿)からなるヒンドゥー寺院の一般的な様式。マンダプ部分は崩れてしまっており、柱の基部だけが残っている。聖室の入り口のトーラン(門)にはヴィシュヌ神のアヴァタール(化身)やミトゥナ像がズラリと彫られており見事。上部にはシェーシュ(蛇神)に横たわるヴィシュヌ神が彫られている。壁の一部には石膏も残っている。


インドで最も古いレンガ造りの寺院、ラクシュマン寺院
ご本尊はヴィシュヌ神
塔部表面にはプラスターが残っている
聖室入り口の門の彫刻が見事

 ラクシュマン寺院の敷地内には、周辺部から出土した石像などを収めた博物館が2つある。ヒンドゥー教のみならず、仏教やジャイナ教関連の石像も出土しており、この辺りがマハーラーシュトラ州エローラのように複数の宗教が同時に保護されていた地域であることが伺われた。


博物館の展示物
左から四面シヴァリンガ、ターラー(仏教)、
パールシュヴァナート(ジャイナ教)、ヌリスィン(人獅子)、
マヒシャースラマルディニー(悪魔を殺すドゥルガー女神)

 ちなみに、昨年10月にこの寺院のご本尊のヴィシュヌ神が盗まれるという事件が発生したようで、警戒態勢は非常に厳重だった。スィルプルに入る車両は全てナンバーをチェックされ、ラクシュマン寺院も四方を高いフェンスで囲まれており、寺院の聖室入り口や博物館の入り口には最新式のセキュリティー装置が設置されていた。


最新式セキュリティー装置

 スィルプルでは多数の仏教遺跡が見つかっている。その多くはヴィハール(僧院)だが、その中でも最大のものがラクシュマン寺院の南にあるティーヴァルデーヴ・マハーヴィハールである。数年前に発見されたばかりの最新仏教遺跡だ。柱が並ぶ広場を、仏像が祀られた部屋を中心に僧侶の個室が取り囲んでいる。後から知ったところによると、このヴィハールの門の彫刻がとても素晴らしいようだが、横から入って横から出てしまったために見逃してしまった。この遺跡だけ屋根が掛けられていることから、その重要性が伺われる。まだ入場料はなかったが、チケットオフィスの建物は既にできていたので、将来的には入場料を取るようになるのだろう。ティーヴァルデーヴ・マハーヴィハールの奥には、セヘビクシュニー・ヴィハールと呼ばれるもうひとつの僧院跡も発見されている。この発掘現場からはガラス製の腕輪の破片が多数見つかったことから、ここは尼僧用の僧院だったのではないかと考えられているが、それ以外の重要な根拠はない。


ティーヴァルデーヴ・マハーヴィハールとその周辺の仏教遺跡
右下の写真は尼僧の僧院と考えられている

 マハーナディー河の河畔には多くの寺院が建っているが、その中でも最も重要なのはシヴァリンガを祀ったガンダルヴェーシュワル寺院。元々は非常に古い寺院のようだが、現存しているのはマラーター時代に再建されたものらしい。それでも、寺院や境内の所々に芸術性の高い石像が多数残っており、寺院の古さを静かに物語っていた。中でもいきり立った男性器を丸出しにしてターンダヴァの踊りを踊るシヴァ神の像と、柔和な表情が印象的なラクシュミー・ナーラーヤンの像が印象的であった。ラクシュマン寺院はもはや遺跡となってしまっているが、この寺院を初めとしたマハーナディー河畔の寺院群のほとんどは生きている寺院で、礼拝が行われていた。


ガンダルヴェーシュワル寺院
右上はちんぽ丸出しで踊るシヴァ神、左下はラクシュミー・ナーラーヤン
右下は寺院の壁面にあった謎の彫刻
最近のものか

 村の西側には、アーナンド・プラブ・クティ・ヴィハールと呼ばれる仏教僧院がある。これは7世紀にアーナンド・プラブという名の仏教僧によって建設されたとされるレンガ造りの僧院で、彫刻が施されたトーラン(門)の他に仏像も出土している。


アーナンド・プラブ・クティ・ヴィハール

 スィルプルには他にも数多くの遺跡が存在し、発掘調査も進行中である。しかし、暑さのために小さな遺跡までひとつひとつ丹念に巡る気力がなかったし、上記の遺跡以外はほとんど廃墟であるので、全ては見て回らなかった。現在スィルプルはゲストハウスも旅行者向けのレストランもないような田舎だが、あと数年後に行けば、もっと整備された観光地になっていることだろう。

 スィルプルを見終わった後は、ラーイプル方面へ戻り、途中にあるアーラングという町に立ち寄った。ここにも古い寺院がひとつ残っている。12世紀に建造されたパンチラト様式のジャイナ教寺院で、中には3体のティールタンカラ(アジタナータ、ネーミナータ、シュレーヤーンサ)の像が安置されている。また、ガルバグリハ(聖室)の外壁面は、カジュラーホーのようなミトゥナ像でビッシリと埋め尽くされている。寺院の正面部分はまるでナイフで切り落としたかのようにスッパリとなくなっており、かえって印象的な外観となっていた。


バーンド・デーヴァル寺院

 実は朝食を食べずに観光に来ていたので、腹が減っていた。だが、この辺りにはほとんどレストランが見当たらなかった。そこで、アーラングにある食堂に入って軽食を食べることにした。ドライバーの勧めに従い、この辺りの特産品だというムーング豆のバラーというスナック(1つ3ルピー)を食べた。豆コロッケという感じの味であった。


バラー

 アーラングから今度は南へ向かい、チャンパーランという町へ行った。ビハール州にある、マハートマー・ガーンディーが藍小作労働争議を率いたチャンパーランとは別の町である。チャンパーランは、ヴァッラバーチャーリヤ派を創始したヴァッラバーチャーリヤの生まれた場所とされている。チャンパーランには、メルヘンタッチな色使いのチャンペーシュワルナート寺院がある。グジャラーティー資本で建設され、グジャラート州のからの参拝客が多いようで、ヒンディー語が州公用語のチャッティースガル州にありながらグジャラーティー文字が目立った。この寺院の詳しい背景はよく分からないが、特に行って面白い場所ではなかった。内部は写真撮影禁止だったので、寺院本殿に続く廊下のみ撮影。


チャンペーシュワルナート寺院

 最後に、チャンパーランから約10km、マハーナディー河の河畔にあるラージムという町へ行った。ラージムには、ラージーヴ・ローチャン寺院というヴィシュヌ寺院がある。スィルプルのガンダルヴェーシュワル寺院と同じく全体が白いペンキで塗られてしまっていて味がなかったが、内部の彫刻や像は素晴らしかった。中には黒い服を着た魔女っぽい女神の像もあり、不気味だった。寺院は8〜9世紀に建造されたという。寺院を訪れるとちょうどご開帳のときで、ご本尊のヴィシュヌ神を拝むことができた。ラージーヴ・ローチャンとは「蓮の目」という意味。目がピカリと光っていた。


ラージーヴ・ローチャン寺院
内部の彫刻が見事
右下はガルル鳥に乗るヴィシュヌ神
左下の像はドゥルガー女神か

 ラーイプルに戻った後、夕暮れまで時間があったのでラーイプル市内の見所を見て回ることにした。と言ってもラーイプルには取り立てて面白い場所はない。マハント・ガースィーダース記念博物館ぐらいだ。この博物館は1875年にラージナーンドガーオン藩王国のマハーラージャー、マハント・ガースィーダースによって設立されたもので、インドで10本の指に入る古い博物館とのことである。1875年に建造された元の博物館は八角形の形をした近代的な建物だが、1953年に現在の建物に移転された。旧博物館、現博物館共に、時計塔の近くにある。マハント・ガースィーダース記念博物館の1階には、ラーイプル周辺の遺跡から出土した石像、テラコッタ、銅像、コインなどの展示があり、博物館の主要な展示物となっている。2階は自然史コーナー。インドの博物館によくある、動物や植物の模型をジオラマ風に並べたアレである。他にこの階には武器の展示もあった。この博物館の中で最もつまらない階だ。3階には部族関係の展示がある。チャッティースガル州に住む部族たちの使用している器具や装飾品などがメインだ。

 ちょうど今日は博物館設立記念日で、入場料が無料になっていた。だが、せっかく入場料が無料なのに、博物館を訪れる人はとても少なかった。入場料が無料であることも博物館へ行ってから初めて知ったし、そもそもラーイプルの街を歩く通行人の中で博物館の位置を知っている人はほとんどいなかった。

 夕食は、おそらくラーイプル最大の繁華街だと思われるジャイストゥンブ・チャウクにあるギルナールというレストランで食べた。ここはグジャラーティー・ターリー様式のターリー専門レストランだったが、ターリーの内容は必ずしもグジャラート料理ではなかった。お替りは自由、と言うか、お替りを要求する前に次から次へと店員が食べ物を皿に乗っけてくる。1人70ルピー。ラーイプルに来たら一度は訪れたいレストランである。

5月19日(金) ボーラムデーオ&ターラー

 今日はラーイプルの北側に位置する観光地をタクシーで巡ることにした。

 午前8時に出発。まず目指したのは、チャッティースガル州とマディヤ・プラデーシュ州の州境近く、サトプラー山脈の中にあるボーラムデーオ。国道200号線を北上し、シムガーという町で西に折れてカワルダーまで行く。ここまでは、ジャバルプルからラーイプルへ来たときに通ったので見覚えのある風景が続いた。カワルダーからは本線を外れて田舎道に入り、そのまま約15kmほど進む。所々道がよくない上に、国道200号線はトラックやバスの交通量が多いので、けっこう時間がかかった。ラーイプルからボーラムデーオまでは116km、約3時間ほどでボーラムデーオに到着した。なだらかな山々に囲まれたボーラムデーオはそれだけでも非常に美しい場所であったが、ここの見所は山の上にひっそりと建つボーラムデーオ寺院である。

 11世紀前半にナーグワンシー王朝によって建造されたこの石造寺院は、外壁面を無数のミトゥナ像が覆っていることから、「チャッティースガル州のカジュラーホー」と呼ばれている。ガルバグリハ(聖室)にはシヴァリンガが祀られているが、寺院の名前はなぜかゴーンド族の神様ボーラムが由来のようだ。シカル(塔)やマンダプ(前殿)が完全な形で残っており、おそらくチャッティースガル州で最も保存状態のよく、しかも芸術的に完成された寺院と言える。ボーラムデーオ寺院は今でも参拝者を集める生きた寺院であり、入場料などはなかった。


ボーラムデーオ寺院
カジュラーホーに勝るとも劣らない男女交合像の嵐

 ボーラムデーオにはもう2つ寺院が残っている。マンドワー・マハルとチェールキー・マハルである。チェールキー・マハルの方は崩壊してしまっているようなので、マンドワー・マハルだけを見た。マンドワー・マハルは、マハル(宮殿)という名前が付いているものの、実際は寺院である。解説によると、1349年にファニ・ナーグワンシー国の王が、カルチュリー国のアンビカー・デーヴィーとの婚姻を祝って建造したものらしい。ガルバグリハ内部は一段低くなっており、シヴァリンガが祀られている。マンダパは16本の柱によって支えられただけのシンプルな構造だ。そしてボーラムデーオ寺院と同じく、本殿の外壁面にはミトゥナ像が彫られている。しかし、おそらく訪れる者全てが首を傾げるであろうことは、その彫刻の芸術レベルが明らかにボーラムデーオ寺院のものよりも下がっていることだ。マンドワー・マハルはボーラムデーオ寺院よりも300年後に建造された。それにも関わらず、寺院の壁面に残っているミトゥナ像は素朴というか、稚拙というか、ほのぼのしているというか、ボーラムデーオ寺院の持つ密集性と繊細さが見受けられない。これは文化の衰退を表しているのだろうか?


マンドワー・マハル
ミトゥナ像はとても素朴

 ボーラムデーオの見所を見終わった後は、途中のカワルダーに少し寄ってもらった。カワルダーにはマハーラージャーの宮殿があると聞いていたのだ。カワルダーで道を尋ねつつ探したら、確かに宮殿はあった。宮殿の門を入ってすぐ左手には何かのオフィスがあり、人が働いていた。そこで聞いてみると、マハーラージャーは今は留守で宮殿は閉まっているという。しかも、宮殿の敷地内には訓練された犬が徘徊しており、余所者を見ると襲って来るらしい。宮殿内のオフィスで働く人もその犬を大いに恐れているというから、ドーベルマンか何かなのだろう。写真くらいは撮りたかったが、犬の話を聞いた途端、先へ行く勇気が失せてしまった。

 カワルダーを出た後、一旦シムガーまで戻った。シムガーはビラースプルとラーイプルを結ぶ国道200号線と、ジャバルプルから続く国道12A号線が交差する町で、ちょっとした市場になっている。このとき2時になっていたので、シムガーのダーバー(安食堂)で昼食をとった。

 次に向かったのは、本日第二の目的地であるターラー。ターラーも是非行ってみたい観光地であった。だが、ドライバーがターラーの位置をよく知らなかったので、途中で道を尋ねつつ進むことになった。ターラーは、シムガーからビラースプル方面へ国道200号線を北上し、2つめの河を渡る手前で右に折れて、田舎道を進んで行くと河の向こうに寺院が見える。乾季だったので河の水が干上がっており、河を自動車で渡ることができたが、雨季以降には別の道を通らなければならないかもしれない。

 ターラーは、マニヤーリー河の河畔にある小高い丘にある2つの崩れかけた寺院で有名である。それぞれデーヴラーニー寺院、ジェーターニー寺院と呼ばれている。どちらもシヴァ寺院で、5〜6世紀の建造とされている。デーヴラーニー寺院はかろうじて壁までが残っているが、ジェーターニー寺院は基部が残るでほぼ全壊状態。寺院の周囲には欠損した石像や石柱が散乱していた。まだ整備中で入場料などはなかったが、将来的には入場料を取るようになりそうだ。


デーヴラーニー寺院


ジェーターニー寺院

 5〜6世紀の寺院というとかなり古い。だが、これだけ崩れに崩れた寺院をわざわざ見に来る物好きはあまりいないだろう。しかし、ターラーの魅力は実は寺院にあるのではない。1987〜88年にかけての発掘調査で発見された、ある石像がここの最大の見所なのだ。そして僕もその石像を見にわざわざここまで来たのだった。僕がその石像のレプリカを初めて見たのは、マディヤ・プラデーシュ州ボーパールの州立考古学博物館においてであった。なんだこれは!インドの神様の像をけっこう見て来たつもりだったが、あのような種類の像は未だかつて見たことがなかった。あのときの衝撃は今でも忘れない。それほど異様な石像であった。その石像の本物がチャッティースガル州にあることを知ったとき、僕は何が何でもそこへ行くことを決めたのだった。

 その石像は、デーヴラーニー寺院の入り口の左側にある。ターラーの寺院群の敷地内にはいくつもの石像が無造作に並べられていたが、この石像だけはその重要性から、小屋に収められ、錠がかけられていた。


デーヴラーニー寺院の左側に小屋がある


中を除いて見ると・・・何やら不気味な石像が!

 これこそが、ターラーの最大の見所であるルドラシヴァ像だ。高さ2.54m、幅1mのこの巨大で不気味な像は、カメレオン、魚、カニ、カエル、孔雀、亀、虎、蛇、ワニなどの様々な動物と人面によって体が構成されており、しかも胸、腹、腰などに顔を持っている。このようなタイプの像は、インドはおろか世界でも他に例がないという。世界70大不思議があったら、このルドラシヴァ像はランクインして然るべきだ。








ルドラシヴァ像4連写


顔のアップ
カエルの目、トカゲの鼻、魚のヒゲ、カニのアゴ、孔雀の耳

 不気味なのだが、何だか愛嬌のある顔や身体をしており、おどろおどろしいということはない。見れば見るほどいろいろな部分に発見があり、非常に興味をそそられる像である。一体誰がどんな目的でこのような像を作ったのか?シヴァ派タントリズムの信仰と関係あると言われるが定かではない。ルドラシヴァという名称も便宜的に名づけられただけで、本当は何の像だかよく分かっていない。ターラーの遺跡の中で、この異様な像だけがほぼ完全な形で発見されたことも、単なる偶然なのか疑わしくなって来る。何かの魔力なのではなかろうか・・・。

 見ての通り、残念ながらルドラシヴァ像は鉄格子の奥に安置されており、うまく1枚の写真にまとめることができなかった。ルドラシヴァ像のレプリカは、前述のようにボーパールの州立考古学博物館や、ラーイプルのマハント・ガースィーダース記念博物館に置いてあり、そこならレプリカながら全貌を眺めることが可能だ。


ボーパールの州立博物館に所蔵されている
ルドラシヴァ像のレプリカ

 どうしてもルドラシヴァ像に目が行ってしまいがちだが、他の石像や彫刻にも鬼気迫る迫力があった。その特徴を自分なりの言葉で表現するならば、繊細かつ豪快。石像のサイズはどれも巨大で、しかも悪魔の居城のデコレーションのようなおどろおどろしいものが多い。それでいて彫刻は繊細であり、その芸術的レベルはかなりの高さである。特にデーヴラーニー寺院のガルバグリハの門の内側に彫られていた獅子(?)の顔が気に入った(下の写真では一番左上)。いったいどんな壮麗な寺院だったのだろうか?想像が膨らんで止まない。


デーヴラーニー寺院とジェーターニー寺院の石像と彫刻の数々

 ターラーの遺跡を見終わった時点で午後4時であった。時間があったらもう少し近辺の遺跡を見たいところであったが、ラーイプルへ引き返すことにした。ビラースプルからさらに先のチャッティースガル州北部にも、ジャーンジギール、ラームガル、ディーパーディーヒなど面白そうな遺跡がゴロゴロ転がっているが、今回は行けそうにない。チャッティースガル州は「何もない場所」という印象が強かったが、とんでもない、この2日間で、多くの観光資源に恵まれた州だと認識を改めさせられた。ただし、まだ外国人団体観光客を受け容れられるだけの設備は全くと言っていいほど整っていない。観光地まで行く交通機関もとても頼りない。ボーラムデーオだったら、カワルダーでテンポなどをチャーターして行くことができるだろうが、ターラーは今のところビラースプルかラーイプルでタクシーをチャーターしないと無理であろう。

 ホテルに戻る前に、ドライバーがラーイプル北郊にあるバンジャーリー寺院に寄ってくれた。ジャバルプルからラーイプルに来るときも目にしたが、最近出来た何の変哲もない寺院かと思っていた。ドライバーがやたらと勧めるので、ちらっと覗いて見ようと思ったら、実はなかなか面白かった。まず、狭い敷地内に、ヒンドゥー教の神様たちの巨大な人形がいくつも並べられている。そしてそれらの造形のレベルがインドにしてはなかなか高い。バスの中からは、2つの寺院の屋上にある巨大なハヌマーンとシヴァの像のみが目に入ったのだが、敷地内には他にもヴィシュヌ、クリシュナ、ブラフマーなど、多くの神様の人形があった。


バンジャーリー寺院
左上からハヌマーン、シヴァ、
シェーシュに横たわるヴィシュヌ、
カーリヤ竜を殺すクリシュナ、アムリタを持って現れるラクシュミー

 しかし、それらのハイレベルな神様人形よりも面白かったのは、このバンジャーリー寺院のご本尊である。つい、これらの人形に圧倒されてしまうが、バンジャーリー寺院のご本尊は、バンジャーリー女神というドゥルガー女神の一種で、人形で彩られた2つの寺院の横にある。その女神の顔が何とも・・・以下、写真を見ていただけば分かる。


バンジャーリー女神の像


クレヨン○んちゃん?

 ヒンドゥー教の寺院のご本尊は、時々思わず噴き出してしまうようなおかしな物体が祀られていることがある。このバンジャーリー寺院もそのひとつであろう・・・。

5月20日(土) ジャグダルプル

 チャッティースガル州の中でも特に行ってみたかったのが、「手工芸品の里」と呼ばれるバスタル地方。チャッティースガル州の手工芸品と言えば、何も言わなければこのバスタル地方の部族たちが作る手工芸品のことを指すくらいである。バスタル地方はチャッティースガル州南部に位置しており、行政区分ではバスタル県という県を構成している。チャッティースガル州最南端の県がダンテーワーラー県で、そのすぐ北にあるのがバスタル県だ。その中心都市はジャグダルプル。今日はバスでジャグダルプルを目指す。

 午前8時にナヤー・バススタンドでジャグダルプル行きの私営バスに乗り込んだ(155ルピー)。バスはラーイプル市内を乗客を求めてしばらく徘徊し、その後やっとラーイプルを出た。ラーイプルから国道43号線を南下。しばらくは平野が続いた。

 途中、カーンケールという町に到着。小高い岩山の麓にあるけっこう大きな町で、中心部には「ヤー・アッラー」という大きなアラビア文字が掲げられたモスクがあった。カーンケールも藩王国があった場所で、宮殿があるようだ。このカーンケールを越えると森林地帯となり、やがてバスはいろは坂のような急斜面のジグザグ道を上り始めた。この一帯は緑のなだらかな山々が遠くまで続く非常に風光明媚な場所であった。その坂を上り切ったところにはケーシュカールという町があり、看板に書かれている住所から、ここが既にバスタル県であることが分かった。カーンケールからケーシュカールに来ると、標高は500m上がるらしい。おかげでバスに入ってくる風が少し涼しくなった。バスに乗り込んで来る乗客も、いかにも部族っぽい服装の人が増えた。

 ケーシュカールからさらに国道43号線を南下。バスタル地方の手工芸品の中心地であるコーンダーガーオンやバスタルを通り過ぎた。ジャグダルプルに到着したのが午後3時半頃であった。

 ジャグダルプルはバスタル県の県庁所在地であるが、やばいくらい田舎の町であった。その田舎度を端的に表すのは、この町にオートリクシャーが走っていないことであろう。市内交通はサイクルリクシャーのみが利用できる。そして、この町の人々が外国人に対してあまり免疫がないことも見て取れた。僕が町を歩いているとみんな注目して来るのだが、僕が話しかけようと少し近付くと、目をそらしたり、どこかへ行こうとしたりするのだ。おそらく英語で話しかけられるのを恐れているのだろう。しかし、気候は少し暑いくらいでラーイプルより断然マシ。ジャグダルプルはちょっとした避暑地としてもいいかもしれない。

 バススタンドでサイクルリクシャーを拾い、町の中心部に当たるサンジャイ・マーケットまで行ってもらった。このマーケットから少し裏手に入った場所にある、ホテル・レインボーに宿泊することにした。ホテル・レインボーには州観光局オフィスがあり、旅行情報を集めやすいし、ホテル自体もけっこうよいと聞いていたからである。エアークーラーのシングル部屋で、380ルピー。バストイレ、テレビ、タオル、石鹸などが完備されている。

 朝からほとんど食べていなかったので、チェックインした後はまず軽食を取った。その後、ホテルに併設されている観光局オフィスへ行って情報を集めることにした。僕がもっとも欲しかった情報は、部族の村にどうやったら行くことができるか、ということだった。しかし、観光局オフィスにはあまり経験のなさそうな若者しかおらず、しかも彼らは観光客が何を求めているのか正確に把握することができていなかった。パンフレットなどに記載されている情報以上のものは入手できなかった。

 仕方ないので、まずは人類学博物館へ行くことにした。この博物館へ行けば、チャッティースガル州の部族のことがよく分かるらしい。ところが、誰も博物館の位置を知らない。サイクルワーラーに聞いても分からない。人々が自分の町の観光スポットを知らないのは、観光客が少ない町によくあることである。チトラコート・ロードにあることが分かっていたので、今度はチトラコート・ロードの場所を尋ねつつ歩いた。チトラコート・ロードには出たが、やはりその道周辺にいる人の大半も博物館のことを知らなかった。だが、1人の人が、「ダラムプラー・ナンバー1にある」と思い出して教えてくれたおかげで、そこまで辿り着くことが容易になった。ダラムプラー・ナンバー1なんていう変な名前の町が本当にあるのかと一瞬疑ったが、本当にあった。だが、はっきり言ってジャグダルプルの隣町であった。最初はチトラコート・ロードをひたすら歩いていたのだが、これはかなり遠いということがだんだん分かって来たので、サイクルリクシャーを拾って行くことにした。ダラムプラー・ナンバー1で再び道を聞いたらすぐに教えてもらえた。やっと博物館に辿り着いたのだが、残念ながら土日は休みで、門は閉ざされていた。月曜日に出直すしかない。

 今度は、ジャグダルプルまで戻って、バスタルの手工芸品が売られている店はないか探してみることにした。ジャグダルプルまで来れば至る所に手工芸品の店があるのではないかと考えていたが、サンジャイ・マーケットは完全に食材のマーケットで、そのようなものはなかった。人類学博物館を探す際に少し町を歩いたのだが、生活必需品を売る店があるのみで、お土産屋のようなものは見当たらなかった。だが、ホテルのレセプションに聞いてみたところ、手工芸品が売られている場所を教えてもらえたので、そこへ向かった。ジャグダルプルには、手工芸品店が軒を連ねる通りがあった。チャーンドニー・チャウクとシャヒード・パークの間にある通りである。ここで売られているものは木彫品中心で、僕が一番求めているドークラー(ベルメタル・アート)はほとんど売られていなかった。この辺りの店は、軒先で職人が木を削っていたりする工場兼店舗のような感じのものが多かったが、唯一、バッターチャーリヤ・アートという店だけはきれいにディスプレイされた近代的な店舗であった。そしてドークラーも高級品を中心に売られていた。だが、店員がまた情報に疎い人間で、手工芸品について何を質問しても的を射た返事は返って来なかった。ジャグダルプルは情報が絶対的に不足している!

 手工芸品店巡りをしていたらすっかり日が暮れてしまった。今日は特に目覚しい成果は得られずにバスタル1日目を終えることになってしまった。帰る途中、広場でカバッディーの大会が行われていたのでちょっと観戦することにした。全インドから男女のカバッディー・チームが来ており、壮絶な戦いを繰り広げていた。カバッディーの試合を生で見たのは実はこれが初めてである。ルールは少し分かる程度。見ていてよく分からない場面もあったが、けっこう迫力のあるスポーツで新鮮だった。

5月21日(日) バールスル&ダンテーワーラー

 バスタルに来て以来、観光に苦戦している。インドは旅行が予定通りに行かない国なのは百も承知で、あらかじめその心の準備はできているのだが、その心の準備を越えた予定通りの行かなさにもどかしい思いをさせられている。今日も予定通りに事が進まなかった。

 今日はジャグダルプルから38kmの地点にある、バスタル地方最大の自然観光地、チトラコート滝へ行こうとしていた。あらかじめ、朝9時にチトラコート行きのバスが、アヌパマーという名の映画館の近く(つまりバススタンドとは別)から毎日出ているとの情報を得ていた。念には念を入れて昨日現地へ行って、発着所近くに店を構える人々に聞き込み調査をしてみたが、やはり9時にチトラコート行きのバスが出ているとのことだった。さらに念を入れて、今朝は8時半過ぎにそこへ行ってみた。すると、チトラコート行きのミニバスが今にも出発するところであった。後から知ったところでは、この午前8時半発のバスがチトラコート行きの最も早い便で、9時にももう1本チトラコート行きのバスが出ている。

 てっきりその8時半発のバスはチトラコート止まりか