 |
 |
 |
 |
 |
|
|
|
これでインディア 

2004年2月

|
|
| ◆ |
2月1日(日) 2003年ボリウッド映画界を振り返る |
◆ |
ボリウッド映画のアカデミー賞と言われる、フィルムフェア賞のノミネート作品が公開された。ノミネート作品の記述と共に、2003年のボリウッド映画をアルカカット的に振り返ってみようと思う。(■フィルムフェア賞の結果は2月22日の日記に掲載)
| 作品賞 |
| Baghban |
2003年10月6日鑑賞 |
| Kal Ho Naa Ho |
2003年11月28日鑑賞 |
| Koi... Mil Gaya |
2003年8月11日鑑賞 |
| Munna Bhai M.B.B.S. |
2004年1月11日鑑賞 |
| Tere Naam |
2003年12月28日鑑賞 |
まずは映画賞。「Kal Ho Naa Ho」と「Koi... Mil Gaya」は2003年の大ヒット映画なので、それらのノミネートは分かりきっていた。受賞もこの2つのどちらかになるだろう。老年カップルの恋愛を描いた「Baghban」のノミネートも納得できる。「Munna Bhai M.B.B.S.」は傑作コメディーだと思っていたが、映画賞にノミネートされるとは少し意外。しかし何より意外だったのは、サルマーン・カーンの「Tere
Naam」が映画賞にノミネートされたことだ。僕はこの映画に最低評価しか与えていなかったのだが・・・。
他に個人的なノミネート作品を上げるなら、「3 Deewarein」「Jogger's Park」「Pinjar」「Dhoop」などだろう。
| 監督賞 |
| J P ダッター |
LoC Kargil |
2004年1月3日鑑賞 |
| ニキル・アードヴァーニー |
Kal Ho Naa Ho |
2003年11月28日鑑賞 |
| ラージクマール・ヒラーニー |
Munna Bhai M.B.B.S. |
2004年1月11日鑑賞 |
| ラーム・ゴーパール・ヴァルマー |
Bhoot |
2003年6月7日鑑賞 |
| サティーシュ・カウシク |
Tere Naam |
2003年12月28日鑑賞 |
監督賞と映画賞は割と重なることが多いが、監督賞ではカールギル戦争を描いた「LoC Kargil」のJPダッター、インド初の本格的ホラー映画「Bhoot」のラーム・ゴーパール・ヴァルマーがノミネートされている。「Kal
Ho Naa Ho」のニキル・アードヴァーニーが監督賞を受賞するのが順当なところだと思われるが、もしかしたらJPダッターが健闘するかもしれない。
| 主演男優賞 |
| アジャイ・デーヴガン |
Gangaajal |
未見 |
| アミターブ・バッチャン |
Baghban |
2003年10月6日鑑賞 |
| リティク・ローシャン |
Koi... Mil Gaya |
2003年8月11日鑑賞 |
| サルマーン・カーン |
Tere Naam |
2003年12月28日鑑賞 |
| シャールク・カーン |
Kal Ho Naa Ho |
2003年11月28日鑑賞 |
主演男優賞は、90年代を代表する男優が揃い踏みとなり、まだ世代交代が完全になされていないことを暗示している。「Koi... Mil Gaya」で知能障害児を演じたリティク・ローシャンが一番得票しやすいため、受賞の可能性が高い。将来的なことも考えて、リティクが受賞するのが最も好ましいだろう。
もし、2002年の大晦日頃に公開された「Mr. and Mrs. Iyer」が2003年の映画の範疇に入るなら、同映画で主演を演じたラーフル・ボースを主演男優賞に推したい。「Jogger's Park」のヴィクター・バナルジーや、「Dhoop」のオーム・プリーもいい演技をしていた。
| 主演女優賞 |
| ブーミカー・チャーウラー |
Tere Naam |
2003年12月28日鑑賞 |
| ヘーマー・マーリニー |
Baghban |
2003年10月6日鑑賞 |
| プリーティ・ズィンター |
Kal Ho Naa Ho |
2003年11月28日鑑賞 |
| プリーティ・ズィンター |
Koi... Mil Gaya |
2003年8月11日鑑賞 |
| ラーニー・ムカルジー |
Chalte Chalte |
2003年7月30日鑑賞 |
| ウルミラー・マートーンドカル |
Bhoot |
2003年6月7日 |
主演女優賞にプリーティ・ズィンターが「Kal Ho Naa Ho」と「Koi... Mil Gaya」でダブル・ノミネート。2003年はプリーティ・ズィンターの年であったことを象徴している。しかし、もう一人2003年大活躍した女優がいる。ウルミラー・マートーンドカルである。「Bhoot」で霊が憑依した女性役を体当たりで演じ、当時から主演女優賞の呼び声が高かった。「Pinjar」でもいい演技をしていた。当然、プリーティ・ズィンター対ウルミラー・マートーンドカルになるだろう。「Baghban」で主演した往年の名女優ヘーマー・マーリニーがダークホースか。「Tere
Naam」のブーミカー・チャーウラーのノミネートは全く理解できない。
| 助演男優賞 |
| アビシェーク・バッチャン |
Main Prem Ki Diwani Hoon |
2003年7月24日鑑賞 |
| アルシャド・ワルスィー |
Munna Bhai M.B.B.S. |
2004年1月11日鑑賞 |
| マノージ・バージペーイー |
LoC Kargil |
2004年1月3日鑑賞 |
| サイフ・アリー・カーン |
Kal Ho Naa Ho |
2003年11月28日鑑賞 |
| サルマーン・カーン |
Baghban |
2003年10月6日鑑賞 |
ノミネートされた男優をざっと見ると、「Kal Ho Naa Ho」のサイフ・アリー・カーン以外に受賞はあり得ないと思われる。「Main Prem Ki Diwani Hoon」のアビシェーク・バッチャンと言われてもあまりピンと来ないし、「Munna
Bhai M.B.B.S.」のアルシャド・ワルスィーと言われても、助演というより脇役だったし、「LoC Kargil」のマノージ・バージペーイーと言われても、それほど出番が多かったわけではないし、「Baghban」のサルマーン・カーンに至っては、ノミネートされた理由すらよく分からないほどだ。マノージ・バージペーイーは、「Pinjar」でのノミネートの方がよかったと思う。あれは助演なのか主演なのか、微妙なところではあるが。
| 助演女優賞 |
| ジャヤー・バッチャン |
Kal Ho Naa Ho |
2003年11月28日鑑賞 |
| プリヤンカー・チョープラー |
Andaaz |
2003年6月5日鑑賞 |
| レーカー |
Koi... Mil Gaya |
2003年8月11日鑑賞 |
| シャーバナ・アーズミー |
Tehzeeb |
2003年12月5日鑑賞 |
| シェヘナーズ・トレジャリーワーラー |
Ishq Vishk |
未見 |
助演女優賞は、往年の名女優の三つ巴の戦いとなるだろう。つまり、「Kal Ho Naa Ho」のジャヤー・バッチャン、「Koi... Mil Gaya」のレーカー、「Tehzeeb」のシャーバナ・アーズミーである。誰が受賞してもおかしくない。ただ、ジャヤー・バッチャンは「Kal
Ho Naa Ho」で、メイン・ストーリーを凌駕するほど重要な役回りを演じていたので、彼女の受賞が最も可能性が高い。
| コメディアン賞 |
| ボーマン・イーラーニー |
Munna Bhai M.B.B.S. |
2004年1月11日鑑賞 |
| ジョニー・リーヴァル |
Koi... Mil Gaya |
2003年8月11日鑑賞 |
| パレーシュ・ラーワル |
Fun2shh |
未見 |
| パレーシュ・ラーワル |
Hungama |
2003年8月23日鑑賞 |
| サンジャイ・ダット |
Munna Bhai M.B.B.S. |
2004年1月11日鑑賞 |
インド映画では、突発的に登場して本編のバランスを崩すほど抱腹絶倒の喜劇を繰り広げるコメディアンが必ず存在し、彼らは彼らで観客の人気を集めている。そして彼らコメディアンのために、インドの映画賞にはコメディアン賞も存在する。現代のインドを代表するコメディアン、ジョニー・リーヴァルが「Koi...
Mil Gaya」でノミネートされている他、コメディー映画「Munna Bhai M.B.B.S.」のメイン・キャラクター2人、ボーマン・イーラーニーとサンジャイ・ダット、そしてこれまた味のある演技で楽しませてくれるパレーシュ・ラーワルが「Fun2shh」と「Hungama」でダブル・ノミネートしている。サンジャイ・ダットはどちらかというと主演男優賞ノミネートの方が適切だったのではないかと思うが、人気男優なので受賞する可能性があるかもしれない。ただ、僕はボーマン・イーラーニーの受賞を予想している。「Koi...
Mil Gaya」でのジョニー・リーヴァルの役はそれほどパンチが効いてなかったと記憶している。
| 悪役賞 |
| ビパーシャー・バス |
Jism |
2003年1月17日鑑賞 |
| フィローズ・カーン |
Janasheen |
未見 |
| イルファーン・カーン |
Haasil. |
未見 |
| プリーティ・ズィンター |
Armaan |
未見 |
| ヤシュパール・シャルマー |
Gangaajal |
未見 |
インド映画界には、悪役専門の悪役俳優も存在し、これまたそれぞれ独自の人気を誇っている。そして悪役俳優のための悪役賞も用意されている。しかし、残念ながらちょうど悪役賞にノミネートされた映画は未見の映画が多いため、あまり評価ができない。ただ、女優でありながら悪役賞にノミネートされた、「Jism」のビパーシャ・バスと、「Armaan」のプリーティ・ズィンターの健闘を祈りたい。
| 音楽監督賞 |
| アヌ・マリク |
LoC Kargil |
| ヒメーシュ・レーシャミヤー |
Tere Naam |
| ジャティン−ラリト |
Chalte Chalte |
| ラージェーシュ・ローシャン |
Koi... Mil Gaya |
| シャンカル・エヘサーン・ロイ |
Kal Ho Naa Ho |
インド映画の重要な要素、音楽ジャンルにも賞が用意されている。まずは音楽監督賞。ノミネートされた上記5つの映画のCDは全て所有している。この中で僕のお気に入りのCDは、「Kal Ho Naa Ho」と「Tere Naam」。どちらも何度も繰り返し流して聞いたCDだ。受賞もこのどちらかだと思われる。「Koi...
Mil Gaya」や「Chalte Chalte」の音楽もけっこう好きだ。「LoC Kargil」は、ノミネートされるほどいい曲だったとは思えないのだが・・・。
毎年必ずノミネートされているARレヘマーンは、今年はノミネートされなかった。
| 作詞家賞 |
| ジャーヴェード・アクタル |
Ek Saathi |
LoC Kargil |
| ジャーヴェード・アクタル |
Kal Ho Naa Ho |
Kal Ho Naa Ho |
| ジャーヴェード・アクタル |
Tauba Tumhare |
Chalte Chalte |
| サミール |
Kissi Se Tum Pyar Karo |
Andaaz |
| サミール |
Tere Naam |
Tere Naam |
映画音楽の作詞家のための作詞賞。音楽監督賞とは違って、一曲ずつのノミネートとなる。ノミネートされた曲はどれも題名を見ただけでイントロが浮かんでくるような曲ばかりだ。しかし、ジャーヴェード・アクタルとサミールの一騎打ちとなってしまっているのは、インド映画音楽界の作詞家の数の少なさを表している。僕は、「Kal Ho Naa Ho」、「Tauba Tumhare」、「Tere Naam」の3つの内のどれかが受賞すると予想している。「Kissi
Se Tum Pyar Karo」の詞もよかった。
| 男性歌手賞 |
| アビジート |
Suno Na |
Chalte Chalte |
| クマール・サヌー |
Kissi Se Tum Pyar Karo |
Andaaz |
| ソーヌー・ニガム |
Kal Ho Naa Ho |
Kal Ho Naa Ho |
| ウディト・ナーラーヤン |
Idhar Chala |
Koi... Mil Gaya |
| ウディト・ナーラーヤン |
Tere Naam |
Tere Naam |
映画音楽の歌は、俳優ではなくプレイバック・シンガーが歌うのが普通であり、彼らにも賞がある。男性歌手賞も曲ごとのノミネートである。ウディト・ナーラーヤンが2曲でノミネートされているが、多分「Tere Naam」で賞を獲得すると思われる。「Tere Naam」の歌は、街のあちこちで耳にしている。「Kal
Ho Naa Ho」を歌ったソーヌー・ニガムも可能性はある。
| 女性歌手賞 |
| アリーシャー・チナイ |
Chot Dil Pe Lagi |
Ishq Vishk |
| アルカー・ヤーグニク |
Odhni Odhke |
Tere Naam |
| アルカー・ヤーグニク |
Tauba Tumhare |
Chalte Chalte |
| チトラ |
Koi Mil Gaya |
Koi... Mil Gaya |
| シュレーヤー・ゴーシャル |
Jadoo Hai Nasha Hai |
Jism |
女性歌手賞は、どれも甲乙つけがたいノミネート。大衆の人気からすると、「Tere Naam」の「Odhni Odhke」を歌ったアルカー・ヤーグニクが最も有力だが、個人的には「Koi
Mil Gaya」も好きだし、「Jism」の「Jadoo Hai Nasha Hai」もいいし、「Tauba Tumhare」もいい。ただ、多分今年の音楽関係の賞は、「Tere Naam」関係が席捲するのではないかと思っている。
他にも技術関係の賞があるが、ノミネート作品は発表されていない。例年、それらの賞は、授賞式当日に受賞作品だけが発表されるだけである。
2003年のボリウッド映画を振り返ってみると、まず思うのは、2002年の危機的な駄作連発状態から一気に脱却できたことへの安堵感である。特に2003年後半は良作が相次ぎ、収益を上げることができた映画も去年に比べたら圧倒的に多いと予想できる。失敗作といえば、ただ「Boom」の大コケが記憶にあるくらいだ。
総合的に考えて、2003年を代表する映画は「Kal Ho Naa Ho」と「Koi... Mil Gaya」の2本だ。「Kal Ho Naa
Ho」は、「Kuch Kuch Hota Hai」や「Kabhi Khushi Kabhie Gham」を立て続けに大ヒットさせ、今やボリウッド界の無敵艦隊とも言えるジャウハル親子コンビの第三作目であり、やはり大ヒットを記録。歴史に残る傑作となった。この映画抜きに2003年は語れない。また、ローシャン一族が総力を結集して世に送り出した「Koi...
Mil Gaya」は、ヒンディー語映画初のSF映画ということで目新しかった。リティク・ローシャンの演技力とダンス力が光っていた。しかし、「E.T.」の真似という批判を免れておらず、そこがもどかしいところだ。これ以外に、ラーム・ゴーパール・ヴァルマーの「Bhoot」も、インド映画初の本格的ホラー映画として、ボリウッド映画界の変化を象徴する作品だった。
それら華々しい映画の裏で、「Tere Naam」が暗躍した1年でもあった。グジャラート旅行中で「Tere Naam」に関わる数々の思い出が生まれたので、僕のこの映画に対する感情は複雑だが、ただひとつ言えるのは、「Tere
Naam」の音楽だけは傑作であり、受賞してもおかしくないということだけである。映画自体については、僕は全く楽しめなかった映画なのだが、なぜかインド人から高い評価を得ているので、非常に不思議である。これはサルマーン・カーンの根強い人気に支えられているのかもしれない。彼は「Tere Naam」で主演男優賞にノミネートされている。そういえばサルマーン・カーンは、「Baghban」で、誰が見てもミスキャスティングとしか言いようがない役を演じていたが、それによってなんと助演男優賞にもノミネートされてしまっている。インド映画界を裏で支配する何らかの「力」が、サルマーン・カーンをバックアップしているように思えてならない。
2003年は、プリーティ・ズィンターが大女優としての道を駆け上った年でもあった。シムラー生まれで清涼なイメージのあるプリーティのファンは、インド人にも日本人にも男にも女にも非常に多い。僕にとっても、プリーティは好きな女優の一人だ。主演女優賞にダブル・ノミネートされた上に、「Armaan」で悪役賞にノミネートされていることに、彼女の活躍が象徴されている。
2002年は、爆発的に英語のインド映画、つまりヒングリッシュ映画が公開された年であったが、2003年はそれほどヒングリッシュ映画が公開されなかった。僕が2003年に見たヒングリッシュ映画は、「Bolliwood Holliwood」「Freaky Chakra」「Mango Souffle」「Jogger's Park」の4本のみである。「Bolliwood
Holliwood」はデリーでは1月に公開されたが、公式データでは2002年公開になっているため、それを除くと3本になってしまう。「Jogger's Park」が最も楽しいヒングリッシュ映画だったが、2002年の良作ヒングリッシュ映画群に比べたら力不足だ。僕がインド映画至宝の傑作と高評価する「Mr.
and Mrs. Iyer」は、デリーでは2002年12月最後の週から年越しで公開されたのだが、2002年の映画にするべきか、2003年の映画にするべきか、よく分からない。
ノミネートに登場した映画はほとんど全て見たが、数本見たことのない映画があり、まだまだ未熟であると感じた。映画賞にノミネートされる作品くらいは全部見ておかないと、インド在住インド映画ファンとしては失格だろう・・・。「Tere Naam」は、デリーで封切られたときには見逃していた。当時はこれだけフィルムフェア賞に関わってくるとは予想だにしていなかった。グジャラート州ブジで偶然公開されていたのを見ておいてよかったと思っている。さもなくば、DVDで見なければならなかったところだ。DVDでインド映画を見ることは、僕にとっては敗北に近い。映画は映画館で見るものであり、DVDなど二次的メディアで見た映画は、映画として評価してはならない、というのが僕の持論である。
今日はイードゥッ・ズハー。別名バクリー・イードとも呼ばれる。ムスリムの祭りで、ヤギがアッラーに捧げられる日である。イスラーム教徒の多く住む場所へ行けば、ヤギが生贄として殺されるのを見ることができる。大学も休日だったので、今日は久しぶりに以前住んでいたガウタム・ナガルを訪ねた。昔の大家さんの家族は皆元気だったが、居住者には少し変化があった。なんとカシュミールから来たイスラーム教徒が貸室の一室に住むようになっていた。大家さんはジャイナ教徒で、イスラーム教徒をけっこう嫌っていたので、驚きである。そのカシュミール人は見たところあまりいい人相をしておらず、もしかしたらカシュミール人テロリストではないかと密かに思っている・・・というのは冗談だが、少なくとも、外国人旅行者を引っ掛けてシュリーナガルへ送り込んで監禁する商売をしているカシュミール人の一人であることはほぼ間違いない。僕を見た途端、「電話番号を教えてくれ、ガイドを頼みたいから」と言ってきたり、「また必ず会おう、必ずな」と脅しに似た別れの挨拶をしてきたり、典型的な悪質カシュミール人だと思った。既にヤギは殺し終えたらしい。・・・純菜食主義の大家さんの家でそんなことを堂々とするとは・・・。大家さんもよく容認しているものだ。僕が大家さんとカシュミール人と話していたときに、掃除のおばさんがやって来て、大家さんに「あんたの宗教はどうなっちまったんだ」と文句を言っていた。ヤギの生贄のことを言っていたのだろう。大家さんは、「ウッタル・プラデーシュ州のムスリムは悪い奴ばっかだが、カシュミールやラクナウーに住んでいる本当のムスリムたちは、皆いい人ばかりだ」と言い訳がましいことを言っていた。一波乱ありそうな予感である。
今日はPVRアヌパムで新作ヒンディー語映画「Paap(罪)」を見た。監督は「Jism」(2003年)の女性監督プージャー・バット。キャストはジョン・アブラハム、ウディター・ゴースワーミー(新人)、グルシャン・グローヴァー、モーハン・アガーシェー、デンズィル・スミスなど。
| ● |
|
● |
|
 |
|
| ● |
上がウディター・ゴースワーミー、
下がジョン・アブラハム |
● |
| Paap |
ヒマーチャル・プラデーシュ州スピティーの、ある静かなチベット仏教僧院では、デリーに住む、リンポチェ(宗教指導者)の転生した姿である男の子を連れて来ることになった。その役目を、僧院の麓に住む家族の娘カーヤー(ウディター・ゴースワミー)が担うことになった。カーヤーは物心ついたときから山奥で育ち、生まれて初めてデリーを訪れた。カーヤーはリンポチェの生まれ変わりである、ラーモーという6歳の男の子と出会い、彼と共にデリーのホテルに宿泊する。そこでラーモーはある殺人事件の唯一の目撃者となる。警察官シヴァン(ジョン・アブラハム)はラーモーとカーヤーを事件の目撃者ということで、デリーに強制的に滞在させる。ラーモーは犯人の特定に協力させられるが、なかなか犯人は見つからない。そのときラーモーが偶然見たTVに、ラージ・メヘター警視監(グルシャン・グローヴァー)が映っていた。ラーモーはTVに向けて指を刺す。何と上司が殺人事件の犯人だったのだ。
シヴァンは別の上司にそのことを打ち明けるが、実は彼もラージ・メヘターの一味だった。シヴァン、カーヤー、ラーモーは警察に命を狙われることになった。シヴァンは2人をスピティーまで連れて逃げるが、その途中で腹に銃弾を受け、カーヤーの村に着いたときには瀕死の状態になってしまっていた。カーヤーの父はシヴァンの存在を鬱陶しがるが、しぶしぶ家で治療させることにした。シヴァンはカーヤーの献身的な看病のおかげで回復する。
カーヤーはもうすぐ出家して僧院へ入る運命にあった。カーヤーはそれを好ましく思っておらず、詩を書いては日々夢想の中に暮らしているような女の子だった。シヴァンとカーヤーは次第に惹かれあうようになるが、状況はそれを許さなかった。カーヤーの父はシヴァンから娘を守り、シヴァンに冷たく当たっていた。一度シヴァンはカーヤーに愛を告白し、父をとるか自分をとるか選択を迫るが、デリーにいた親友がラージらに殺されたことを知り、カーヤーを後にしてデリーへ復讐へ向かうことを決意する。シヴァンはカーヤーに「やはり僕たちの住む世界は違ったみたいだ」と言って決別を言い渡す。
しかしラージ・メヘターらにもシヴァンの居所が知れてしまう。彼ら汚職警官3人組はカーヤーの村を襲撃するが、シヴァンは彼らを一人一人始末する。
シヴァンが村を去る日が来た。シヴァンはカーヤーに別れを告げることなく、村を後にする。しかし、シヴァンを嫌っていた父親は娘に、「愛を捨てて生きることが一番悲しいことだと悟った」と言い、シヴァンと一緒になることを暗に許す。カーヤーはシヴァンの後を必死で追い、ヒマーラヤの山々に囲まれた平地の中で抱き合う。 |
 |
  |
  |
  |
  |
  |
  |
  |
  |
  |
インドの中のチベット世界というと、ジャンムー&カシュミール州のラダック地方や、スィッキム州あたりが有名だが、ヒマーチャル・プラデーシュ州東部にもチベット世界がある。スピティーやラハウルと呼ばれる地域である。「Paap」は、スピティーを舞台にした、しかも当地でロケが行われた、インド映画にしては珍しい雰囲気の映画だった。プージャー・バットのプロダクションは以前にもゴアを舞台とした「Sur」(2002年)や、ポンディチェリーを舞台とした「Jism」(2003年)など、インド国内ロケでありながら、まるで外国ロケのような雰囲気の映画を作ってきた。ゴア、ポンディチェリーと来て、次にチベット文化地域へ目が向くのは自然の成り行きだったかもしれない。
2時間ほどの映画で、インド映画にしては短く、ストーリーもそれほど複雑ではなかったため、さらりと見れる映画だった。やはりスピティーの荒涼とした山岳地帯の風景が映画を独特なものとしており、それだけでインド人観客の感動の溜息を誘っていた。主人公の女の子カーヤーは、必要以上に恥じらいのある女の子で、男に手を触れただけで「罪」と感じるような子だった。それでいながら、カーヤーの妄想はすさまじく、シヴァンに激しくキスされるようなことを思い浮かべたりしているからアンバランスだった。はっきり言って、かなりエロい映画であった。
カーヤーを演じたウディター・ゴースワーミーは、チベット人とインド人のハーフみたいな顔をしており、この映画に適した顔をしていた。元々モデルのようで、この映画が女優デビュー作となる。しかし、彼女の登場シーンはすごい。いきなり下着姿で湖を泳ぎ出すのだ。女性が監督をしているくせに、なぜか無意味にエロいシーンが入っているのが不思議だった。顔が一般的なインド人顔ではないため、普通のインド映画に主演女優として出演するのは少し難しいかもしれない。
ジョン・アブラハムは、どの映画でも同じような演技をする男優だということがだんだん分かってきた。彼の映画は「Jism」と「Aetbaar」(2004年)を見たが、どちらも同じような演技だった。常にオーバーアクション気味で、必ず汗びっしょりで目を充血させながらしわがれた声でしゃべり、やたらと脱いで筋肉を見せびらかそうとする。役を演じるというより、自分自身を演じるタイプの、シャールク・カーンみたいな男優になっていくだろう。
「Paap」の音楽はいい出来栄えで、サントラCDは現在売上トップである。音楽監督はアヌ・マリク。アヌラーダー・パウドワールの歌う「Intezaar」、ヌスラト・ファテ・アリー・カーンの孫ラハト・ファテー・アリー・カーンが歌う「Mann
Ki Lagan」、パーキスターンのポップ・グループ、ジュヌーンのメンバー、アリー・アズマトの歌う「Garaj Baras」の3曲が素晴らしい。プージャー・バットがプロデュースする映画の音楽は、「Sur」にしろ「Jism」にしろ、なぜかヒットになる傾向にある。
「Paap」はカラーチーのカラ映画祭で上映された最初のインド映画となったという。「罪」という題名から、もっとすごい罪を思い浮かべていたのだが、それほど罪深い行為が描かれていなかった。まあまあの映画であった。
一点。この映画にはチベット僧たちが多数エキストラ出演しているのだが、彼らの顔がスクリーンに映し出されると、なぜか観客から笑いが漏れた。チベット人のようなモンゴロイド系の顔がインド映画に出てくることに対する、軽蔑的な笑いのような雰囲気で、同じモンゴロイドとして、少し気に障った。
| ◆ |
2月3日(火) God Only Knows |
◆ |
今週は新作インド映画が4本同時に封切られたので非常に忙しいのだが、面白そうな映画から順に見て行っている。その中で、チープだが面白そうなヒングリッシュ映画が上映されている。「God Only Knows」というコメディー映画である。
監督、脚本はバラト・ダボールカル。キャストはマハーラーシュトラ州の有名な映画俳優、TV俳優、舞台俳優が多数出演している。一応名前を挙げておくと、ジョニー・リーヴァル、アンジャン・シュリーヴァースタヴ、ディリープ・プラバーヴァルカル、ヴィジョー・コーテー、ヴィハング・ナーヤク、シャルバーニー・ムカルジー、キショール・プラダーン、シェヘリヤール・アタイ、ヴィジャイ・パトカル、スレーシュ・メーナン、ベーニカー。インド神話の神様が登場人物として登場するので、インド神話の知識があると理解に役立つ。
| ● |
|
● |
|
 |
|
| ● |
God Only Knows |
● |
| God Only Knows |
天界の神々の王インドラ(ディリープ・プラバーヴァルカル)は、ナーラド(ヴィハング・ナーヤク)に典型的な21世紀タイプの人間を連れてくるよう命令する。ナーラドが連れてきたのは、政治のことしか考えていない汚職にまみれた政治家、ミニストリージー(アンジャン・シュリーヴァースタヴ)だった。ミニストリージーは天界に来てもふてぶてしい態度を改めず、神の中の王インドラに取って代わることを画策する。ミニストリージーは地上から秘書(キショール・プラダーン)を呼び寄せ、天界の神々や天人天女たちを相手に政治工作を始める。ミニストリージーの言うことに耳を貸す者はいなかったが、懲りない彼は地獄へ行って、死神ヤムラージ(ヴィジョー・コーテー)をそそのかす。ミニストリージーは、天界は身分差別社会だと主張し、民主主義と選挙によって天界の王を決めるべきだと言う。ヤムラージもその気になり、選挙に協力することになる。ミニストリージーは政党を発足させ、選挙戦を開始する。インドラも部下のメーナカー(シャルバーニー・ムカルジー)をスパイとしてミニストリージーの元へ送り込むが、メーナカーはその内ミニストリージーの本当の仲間になってしまう。今度はインドラは愛の神カームデーヴ(シェヘリヤール・アタイ)のアドバイスを受けて、女装してミニストリージーのところへ行ってトップ・シークレットを盗み出す。一方、ヤムラージはイメチェンのために広告代理店と契約して、プロモーションCMなどを作ったりする。
いよいよ選挙当日の日。ミニストリージーの政党と、インドラ支持の政党の間で選挙が行われた。天界の住人たちの投票が行われたが、結果は同数だった。しかし一人だけ投票をしていない人がいた。ナーラドである。ミニストリージーとインドラは、ナーラドに票を懇願するが、ナーラドは遂に「ストップ!」と叫び、天界をミニストリージー来訪以前の状態に戻すことを決定する。結局事実上、インドラの勝ちだった。
ところが、ミニストリージーはそれでも諦めず、天界の王が座る王座に勝手に座り込む。すると天から「もう我慢ならん!」と声がして、世界は天地共々崩壊してしまった。・・・しかし、全てが消滅したというのに、生き残っていた者が二つだけあった。それはゴキブリと、ミニストリージーだった。政治家は世界が滅んでも生き続ける、という話だった。 |
 |
  |
  |
  |
  |
  |
  |
  |
  |
  |
インドでは神話を題材とした映画やTVドラマなども人気を誇っているが、この映画は神様コメディーという新しいジャンルに挑戦しており、なかなか面白かった。しかも主題は政治やボリウッド映画の痛烈な風刺である。
まず映画の冒頭で、「映画は身体に悪いので、自己の責任で見るように」などという主旨の注意書きが出て、その後、「この映画は駄作中の駄作で、それを見に来た観客も大馬鹿者だが、金を払ってしまったので仕方ないから、席を立たずに見て下さい」みたいな主旨の歌が流れる。
登場人物はおかしなのばかりで、ジョニー・リーヴァル演じるインチキ・サードゥ、道化役のナーラド、冥界の王の癖に臆病で小心者のヤムラージ、深く考えすぎのインドラ、汚職政治家のミニストリージーとその秘書、色っぽいメーナカー、ハートマークのヒゲがお茶目なカームデーヴ、広告代理店の2人組みなど、どれも確かな演技力を持った俳優が個性的な役を演じている。
ナーラドはインドラに、21世紀の人間界のことを教える。ナーラドが言うには、人間で最も恐ろしいのは、税務署の役人である。下着にまで税金をかけて、根こそぎ金を取って行ってしまう。しかしさらに恐ろしいのは警察である。賄賂を渡さないと逮捕されてしまうという。それよりもっと恐ろしいのは、バーイー(マフィア)である。そんな話を聞いている内に、インドラは21世紀の典型的人間のサンプルを天界に連れてくるよう、ナーラドに言い渡す。ナーラドが連れて来たのは、舌尖三寸と臨機応変の計略で州首相まで駆け上ったミニストリージーだった。
ヤムラージの力によって、ミニストリージーはヘルニアの手術中ポックリと死んでしまう。ミニストリージーは自分が死んだというのに全く動じておらず、天国でも政治家を止めなかった。そしてインドラが座っている、全宇宙を支配する力を持つ椅子に心を奪われてしまう。彼は太陽神スーリヤや月神チャンドラなどと話してインドラ失脚を画策するがうまくいかず、地獄へ行く。地獄では彼の友達がたくさんいた。ミニストリージーはヤムラージをうまく味方につけて政党を立ち上げる。神様の世界を「民主主義に反する」として批判したりするのでおかしい。インドラもインドラでいろいろ策略を巡らせて対抗し、ミニストリージーの元に美しいアプサラー(天女)のメーナカーを送り込んだり、自ら女装して乗り込んだりする。インドラが映画俳優のジャッキー・シュロフ(偽物)をキャンペーンに呼べば、ミニストリージーはクリケット選手のサチン・テーンドゥルカル(偽物)を呼んだりする。最終的に神様たちが天の怒り(?)によって天界もろとも滅亡してしまうのは、何だか矛盾した話だが・・・。
ミュージカル・シーンもたくさん用意されており、有名な曲の替え歌などもある。「インド初のカラオケ映画」というキャッチフレーズの通り、ミュージカル・シーンには歌詞が出るため、一緒に歌って楽しむことができる(そんなことしてる人はいなかったが・・・)。
言語は80%ほど英語で、残りの20%はヒンディー語。ヒンディー語が分からなくても楽しむことは可能だろう。ただ、インド神話の知識がないと、登場人物の役柄が分からないかもしれない。何しろ英語の映画といえど、インド人向けに作られているため、インド神話の設定がベースになっている部分は常識の範囲として全く説明されずにストーリーが展開していく。
「God Only Knows」は、PVRの限られた映画館の限られた時間にしか上映されていないので、見るのは少し難しいかもしれないが、ユニークな映画なので見て損はしないだろう。
| ◆ |
2月4日(水) ジャグジート・スィン・コンサート |
◆ |
今日は、ガザルの巨匠ジャグジート・スィンのコンサートを見に、スィーリー・フォートへ行った。
ガザルとは元々詩の形式のことを言う(2003年12月5日の日記参照)。日本の百人一首を思い浮かべてもらえればよく分かるが、インドでも歌を歌うように詩を詠む習慣があり、それが伴奏もついて本格的な音楽になったものも、一般的にガザルと言っている。ジャグジート・スィンは、そのガザルの有名な歌手である。
| ● |
|
● |
|
 |
|
| ● |
ジャグジート・スィン |
● |
コンサートはグローバル・マーチという児童労働撲滅運動を展開しているNGOの主催で行われた。チケットは3種類あり、高い方から700ルピー、400ルピー、200ルピーである。チャリティー・コンサートであり、収益金は今年の5月にイタリアで行われる児童労働世界会議のために使われるそうだ。児童労働に関して僕なりの持論はあるものの、ジャグジート・スィンの歌声を生で聴きたかったので、200ルピーのチケットを購入した。
開場は6時から。やはり一番安い席は一番変な席を宛がわれており、2階の隅の方に座ることになった。客の入りはあまりよくなくて、特に700ルピー席には空席が目立った。ジャグジート・スィンほど有名な歌手のコンサートなのに、これだけの客入りというのは、主催者側の宣伝不足と言わざるをえない。しかし、これだけ空席があるとまずいと主催者も感じたのか、コンサートが始まる直前に入場して来た人は、チケットに関係なく無条件で1階のいい席に通されていた。わざわざ早く来て待っていた僕たちの立場はどうなるんだ・・・。
本当は開始は6時半なのだが、1時間ほど遅れてコンサートが始まった。まずは来賓の政治家たちの紹介。インドはこの前置きが長いので、気が滅入ってしまう。観客たちも「馬鹿げたポリティックスだ」と文句を言っており、政治家が話し出すと意地悪な拍手をしたりして、早くスピーチを終わらせようとしていた。
政治家のスピーチの後、やっとジャグジート・スィンが登場。案外庶民的な雰囲気の人だ。タブラー、バイオリン、バーンスリー、ギター、ダウラクなどの奏者たちに囲まれ、ジャグジートはハルモニウムを弾きながら歌いだした。「アァァア〜ア〜」おお、CDで聞くジャグジートの声と全く同じだ。彼の声はアルファー波入りの心地よい響きで、まるで絹が耳から入って脳の中を通り抜けるような快感を覚える。しかしイメージしていたのと違って、ジャグジートは茶目っ気たっぷりの性格であり、歌詞を間違えたり、歌と歌の間に冗談を言ったり、かなりリラックスしてコンサートを行っていた。
ジャグジートは多くのCDを出しているが、実は僕はほとんど彼のCDを持っていない。唯一持っているのは、「Leela」(2002年)という映画のサントラCDだけである。彼がその映画の挿入歌の全曲を歌っている。
ジャグジートはメドレーのように、休みなしで曲を歌って行った。おそらく全て有名な曲で、一緒に口ずさんで歌っている観客もちらほらいた。しかし、彼の音楽は皆ほとんど同じような雰囲気であり、少し退屈だった。ジャグジートの歌は、歌詞と歌声を楽しむためのものであるように感じた。
途中休憩があった。10分ほどの休憩とかアナウンスしておきながら、30分くらいあった。その間、子供たちが出てきて歌を歌ったりしたが、かなり下手くそだったので、耳障りだった。
後半もジャグジートは休みなしで歌い続けた。後半になると、ある驚くべき光景を目の当たりにするようになった。なんとジャグジートが歌っている最中に、一人また一人と、観客のインド人がステージに上がってきて、ジャグジートの前まで言ってお金を渡して礼をして去っていくのだ。こんなことが行われるのを、未だかつてインド音楽のコンサートで見たことがない。僕にはコンサートの妨害にしか思えなかったのだが、しかしジャグジートもそれを楽しんでおり、特に若い女性がステージに来ると、その女性を題材にガザルを歌ったりして、大はしゃぎだった。ガザルのコンサートでは通例となっている光景なのだろうか・・・?
どうも時間オーバーしているようで、10時半頃、まだジャグジートが歌っているにも関わらず、司会のお姉さんが出てきて、「もう終わりで〜す!」と強制的に終了宣言をしてしまった。それでもジャグジートは歌を歌い続けたが、左右の幕が閉じ始め、無理矢理終了ということになってしまった。こんな呆気ない幕切れも珍しい。全体的に、主催者のアレンジのまずさが目立ったコンサートだった。
| ◆ |
2月5日(木) FJ−フィルム・ジョッキー |
◆ |
DJという職業がある。「ディスク・ジョッキー」の略で、「ディスクを扱う人」という意味である。元々ラジオでただ単にレコードをかけて音楽を流していた人のことを言うが、いつしかラジオのパーソナリティー全般をDJと呼ぶようになり、また、複数のレコードをミキシングして新しい音楽を作り出すミュージシャンもDJと呼ばれるようになった。インドでは最近、DJドールとか、DJホットなど、「DJ」という名前の付いたリミックスCDが発売されており、ヒットチャートを賑わしている。インドでは「DJ」は「リミックス」という意味でも使われ始めているのかもしれない。
VJという職業もあるようだ。「ヴィデオ・ジョッキー」とか「ヴィジュアル・ジョッキー」の略で、映像をミキシングしたりしてパーティーなどで流すことを生業にする人らしい。ミュージックTVなどで流れている映像を作っている人もVJと呼ぶのだろうか?
しかし、インドにはDJ、VJを超越した職業が存在する。FJ、つまり「フィルム・ジョッキー」である。何てことはない、FJとはつまり映写技師のことだが、インドの映写技師が日本や他国の映写技師と決定的に違うのは、独自の判断で映画を編集してしまうことである。そういう自我を持った映写技師のことを、僕はFJと呼ぼうと思う。
インドの映画館で映画を見ていると、ときどきストーリーが飛んだり、ミュージカル・シーンが勝手にカットされたりすることがある。特に地方の安い映画館などでは、そういうことが頻繁に行われるようだ。僕も昔、デリーのオデオン・シネマで、「Ajnabee」(2001年)という映画を見ていたときに、FJの仕事を目の当たりにしたことがある。映画を見ていたら、明らかにストーリーがプツッと飛んだ場面があったのだ。そのときはあまり気にしなかったのだが、その後同映画のサントラCDを買って聴いたら、映画中使われなかった曲が一曲あることに気が付いた。「Jab Tumhe Aashqi Maloom」という曲である。しかし、サントラCDに入っているものの、映画では使用されない曲というのもインド映画にはよくあることなので、やはりあまり気にしなかった。ところがその後、「Ajnabee」のDVDを買ってもう一度映画を見てみたら、その曲は映画で使われており、映画館で見たときはその部分がまるまるカットされていたことが分かった。だが、それでも僕は、映画の製作者の意向でカットされたのだろうと思っていた。しかし気になったので、その後、「Ajnabee」を映画館で見た友人に、その曲のミュージカル・シーンはあったがどうか聞いてみた。すると「あった」と言われた。そのとき初めて、製作者がカットしたのではなく、映写技師が勝手にカットしたのだということが判明した。
それを知ったときは最初憤慨したが、しかしDVDでもう一度その曲のミュージカル・シーンをよく見てみると、確かにそのミュージカルは質が低く、見ていてあまり楽しくない。「Ajnabee」は僕のお気に入りの映画のひとつで、特にミュージカル・シーンで優れたものがいくつもある。その中で、「Jab Tumhe Aashqi Maloom」だけはダントツで手抜きだった。もしかしたら映写技師は、より映画を完成度の高いものにするために、意図的にあのシーンをカットしたのではないかと思うようになった。
インドの映写技師に関する同じような話はインターネット上だったか本だったかでどこかで読んだことがある。その人が見たときは映画の終わりの部分がまるまるカットされていたという。しかし後で完全版の映画を見たときに、実は終わりの部分をカットした方がかえって完成度の高い作品になっていたことに気が付いた、みたいなことを感想として述べていた。
自我を持った映写技師――FJ――映画をより面白いものとするため、勝手に映画を編集していく人々・・・。日本的な感覚で言うと、それはとんでもない越権行為のように思える。映写技師の仕事は映画をスクリーンに映すことであり、映像を勝手にいじるのはよくないだろう。「ニューシネマ・パラダイス」(1989年)のように、キスシーンだけをカットするというのならまだ理由は分かるが、「映画を面白くするために」独自の判断で映画をカットしていくのは、いささか傲慢のような気もする。だが、映写技師のダルム(職業的義務)は観客を楽しませることだ、という哲学を引っ張ってくれば、映写技師がつまらないと思ったものをカットすることも、全く間違ったことではないように思える。例えば、おそらく田舎の映画館では、観客から熱狂的人気を受けているミュージカル・シーンを、観客の要望に従って再度流したりすることがあるはずだ。前述の映画「Ajnabee」の中の「Mehbooba Mehbooba」という曲も、当時かなりの人気を誇った曲で、映画が終わった途端に観客から「『Mehbooba
Mehbooba』をもう一回流せ〜!」とアンコールが沸き起こったものだった。デリーの映画館ではアンコールに答える映写技師は少ないと思うが、田舎に行ったらインドのことだから、調子に乗ったFJによる「映画のアンコール」という前代未聞の珍事が行われている可能性は十分ある。
ただ、僕は勝手にカットされた映画を見るのが好きではないので、FJ行為が発覚した時点で、映画が勝手にカットされにくい高級映画館で映画を見ることに決めた。しかし、たまに安い映画館へ行って庶民と安っぽいアクション映画を見るのも楽しいものだ。
| ◆ |
2月7日(土) ブライアン・アダムス・コンサート |
◆ |
先週の土曜日のタイムズ・オブ・インディア紙に以下のような広告が載っていた。「カリズマ・ジェット・セッターズのためのブライアン・アダムス・コンサート無料チケット」――ヒーロー・ホンダ社の高級バイクであるカリズマ所有者、または期間内にカリズマを購入した人は、2月7日にデリーで行われるブライアン・アダムスのコンサート・チケットを無料でもれなくゲットできる、という内容だった。なんとカリズマ専用駐輪場と、カリズマ所有者専用席まで用意されるらしい。(おそらく)日本人初のカリズマ・オーナーとして、是が非でも出席しなければならないコンサートである。ブライアン・アダムスというミュージシャンについては恥ずかしながらほとんど知識がなかったが、チケット入手に動くことにした。
広告を見てみると、無料チケットを入手するためには、車両登録証と運転免許証のコピーを提出しなければならないとのことだった。運転免許証は国際免許証があったのでいいが、車両登録証は実は未だにもらっていない。前に住んでいたガウタム・ナガルの住所で登録したので、もしかしたらそちらに届いているかもしれないと思い、昔の大家さんの家を訪ねたのだが、ヒーロー・ホンダ社からは何も届いていないとのことだった。そこで今度は、カリズマを購入した、サフダルジャング・エンクレイヴのヒーロー・ホンダ・ショールームへ行ってみた。すると難なく車両登録証をもらうことができた。どうも購入から1週間後くらいに、自分で車両登録証を取りに来なければならなかったみたいだ。車両登録証は、政府に自動車税などの税金を納めました、という書類で、これを携帯していないと警察に捕まったときに厄介なことになる可能性があったようだ。今まで警察に止められたことはないので気付かなかった。
車両登録証と運転免許証のコピーをとり、それらをクトゥブ・ホテル近く、カトワーリヤー・サラーイにあるヒーロー・ホンダ社のヘッド・オフィスへ持って行った。そうしたら、簡単にブライアン・アダムスの無料チケット(2人分)が手に入った。カリズマ専用駐輪場の入場券も一緒だった。会場は、クトゥブ・ミーナールの近く、アヒンサー・スタルの南側にあるミッタル・ガーデンという場所だった。
ちなみにブライアン・アダムスとは、1959年カナダ生まれのロックンローラー&シンガーソング・ライターで、ハスキー・ボイスとストレートな歌詞が人気を集めているそうだ。なんと彼は菜食主義者らしい。インドでも数回ライブを行っているが、デリーでのライブは今回が初めてらしい。インドでライブをするミュージシャンというのはけっこう珍しいのだが、彼の菜食主義と何か関係があるかもしれない。ブライアン・アダムスのチケットが手に入ってから、一応最低限のマナーとして、また当日なるべく盛り上がるため、彼のCDを1枚買って聴いておいた。「Do To You What You Do To Me」という、2001年5月6日ムンバイーで行われたコンサートのライブCDである。ライブCDはベスト盤っぽい選曲である上に、ライブで行われる曲はある程度共通しているだろうという目算があったためだ。
いよいよコンサート当日になった。開場は5時半だったので、少し早めに会場へ行ってみた。しかしそこには警備員が2人だけ立っていて、「会場はジャワーハルラール・ネヘルー・スタジアム(JNスタジアム)に移転しました」という垂れ幕を持っていた。当日いきなり会場を変更するとは、さすがインド・・・(後で当日の新聞を読んだら、会場変更の旨が出ていたが)。これしきのことでは驚かないので、一目散にローディー・コロニー近くにあるJNスタジアムへ向かう。
JNスタジアムには5時40分頃到着した。JNスタジアムには続々と車両がなだれ込んでいた。カリズマ専用駐輪場を探すが、そんなものはどこにも見当たらなかった。警備員に聞いても何も分からない。僕は、ブライアン・アダムスのコンサート以上に、デリー中のカリズマがズラリと立ち並ぶ様を楽しみにしていたのだが、その期待は水泡に帰した。仕方ないので、普通の駐輪場にバイクを停めた。JNスタジアムの周辺では、カリズマ専用駐輪場を求めて徘徊する哀れなカリズマが多数目撃された。
会場は相当な混雑だった。デリー中の若者たちが集っているのではないかと思うほど、大勢の人々が会場へ向かっていた。入り口には長蛇の列ができていたが、そこに秩序らしきものは見当たらなかった。大量の警察官が動員されており、彼らが横入りするインド人たちを罵倒するのだが、それが何らかの効果を発揮してるわけではなかった。横入りに次ぐ横入り。僕は「カリズマ専用チケット」を盾に警察官を説得し、列を無視してどんどん先へ進んで行った。インドで列に並ぶのは最良の選択ではない。あらゆる手段や言い訳を駆使して横入りしていかないと、いつまで経っても列の最後尾に留まることになる。真面目に列に並んでいる健気なインド人たちを尻目に、かなり前の方まで辿り着いた。入り口で非常にいい加減な身体検査があった。男だけ調べられるので、女に預けていれば爆弾であろうが何であろうが会場に簡単に持ち込むことができる。カメラ持込禁止なのに、余裕でカメラを持ち込んでいる人がいたことが何よりの証拠だ。数々の修羅場を潜り抜け、やっとコンサート会場に辿り着いた。てっきりスタジアム内で行われるのかと思っていたが、行ってみたら、スタジアムのそばにある広場に野外ステージが組まれていた。全て立ち見である。このコンサートのチケットには、500ルピーと750ルピーの2種類があり、僕がもらったチケットは750ルピー・チケットと同等だった。500ルピーはステージから遥か後方のゾーンで、750ルピーはステージの真ん前を含む前方のゾーンである。インドのカースト制度を象徴するかのように、500ルピー・ゾーンと750ルピーゾーンの間には、25m以上の空間が設けてあり、250ルピーの差を歴然と象徴していた。
悪い予感がしていたが、やはりカリズマ専用席なんていうものは全く用意されていなかった。例え用意されていたとしても、あの混沌の中で分かるはずがなかった。誰に聞いても分からない。どこへ行っても分からない。もはや自力でいい場所に陣取るしかない。僕は何とか群集を掻き分け、ステージにかなり近いところまで辿り着いた。会場は既に異様な盛り上がりで、整備をするために裏方がステージに上がっただけで歓声が上がっていた。
6時45分頃、ステージ両脇に設置されたスクリーンにスポンサーのCMが流され始めた。マクドウェル・ソーダ、ヒーロー・ホンダ・カリズマ、プラネットM、エアテル、ラジオ・シティー91FM、ペプシなどのCMが流れた。特にペプシのCMは秀逸で、ローマのコロセウムで3人の女剣闘士がクイーンの「We Will Rock You」を歌うという設定だった。インド人もその歌は大好きなので、観客みんなでその歌を合唱した。CMが終わると、今度はステージ上にいきなり2台のカリズマ(赤と黄)が登場し、司会者2人を下ろして去って行った。カリズマの登場で僕のボルテージは一気に上昇、しかも2人の内1人は、テレビや映画で見たことがある顔だった。ガウラヴという、特徴的な耳を持ったヒョウキンな男で、日本の芸能界で言ったら藤井隆みたいなキャラクターの人物である。ガウラヴともう一人の女性が観客を何だかんだ言って盛り上げ、そこで登場したのがなんとアースマー・・・!?アースマーとは、インドの新鋭ポップ・グループで、昨年「Chandu
Ke Chacha」を大ヒットさせた。アースマーの登場によりインド人は盛り上がるかと思われたが、観客の反応は冷たく、音楽に合わせて「We Want Bryan! We Want Bryan!」と合唱していた。アースマーも可哀想に・・・。
その後再びステージ整備が始まり、スクリーンに同じCMが流れ始めた。一気にインド人観客のテンションは下がり、「We Want Bryan」コールが鳴り響いた。もはやこの時点で僕は群集に挟まれて相当疲れていたので、もうどうでもよくなっていた。
ブライアンがステージに出てきたのは7時半頃だった。観客は一斉に手を挙げて大歓迎。しかし前が見えない・・・!でも僕はまだマシな方だ。背の低い人はこれではこんな間近にいるブライアンの姿すら見ることができなさそうだ。背が高くてよかった、と思った。ブライアンは登場と同時にフェンダーのストラトキャスターをかき鳴らして、特有のハスキー・ボイスで元気に歌っていた。「18 Till I Die」から始まり、「Can't Stop This Thing We Started」、「Summer
of '69」、「Back To You」、「Everything I Do I Do It For You」、「Back To You」、「Run To You」、「Cuts Like A Knife」、「I'm Ready」、「Please
Forgive Me」、「Heaven」などなどのヒット曲を歌った。途中、観客の中からプリヤーという一人の女性がステージに呼ばれ、ブライアンと一緒に「Baby You Are Gone」を歌った。プリヤーちゃんはブライアンに抱きついたりキスしたりして大変興奮していた。ブライアンは一旦ステージの裏に下がったが、観客の「We
Want More!」という声に応えて再びステージに戻り、「Best Of Me」、「Cloud Number Nine」などの曲を歌った。またステージを去ったが、再度アンコールに答え、最後に一人でギターを弾き語りし、18歳のとき最初に作ったという「Straight
From The Heart」を歌ってくれた。全部で2時間ほどのコンサートだった。
| ● |
|
● |
|
 |
|
| ● |
ブライアン・アダムス |
● |
ブライアン・アダムスは華奢な身体をしており、ギターをガバッと抱えて一生懸命かき鳴らしているという感じの奏法だった。もう45歳ぐらいになるが、「死ぬまで18歳(18 Till I Die)」という曲の通り、エネルギーに満ち溢れた若々しいおじさんだった。個人的には裏の方でひっそりとベースを指で弾いていた大柄なおじさんが気になった。ブライアンは、「デリーにどれだけミュージシャンがコンサートに来てるか知らないけど、友達になるべくデリーにも来るように伝えとくよ」と、デリー市民にとっては嬉しいメッセージを残してくれた。しかし、さらに多くのコンサートを行う前に、インド人はもっとコンサートでのマナーを身に付けるべきである。
コンサートが終わってからも、会場は予想通り大混乱で、押し合いへし合いのかなり危険な状態。最近メッカや北京で群集が圧死したというニュースを聞いているので、相当身の危険を感じた。インド人に譲り合いの心など元からないので、みんながみんな出口に殺到、ほとんど身動きできない状態。会場から出るのに30分以上かかった。ずっと立ちっぱなしだったし、群集の中で押しつぶされそうになっていたので、もうへとへとだった。もう2度とインドでこの種のコンサートには来ない、と誓った。
携帯電話は使用禁止だというのに、観客はコンサート中でも余裕で携帯電話を使用していた。特に最近、カメラ付き携帯電話がインドで流行り始めており、多くの人が携帯電話でコンサートの写真を撮影していた。僕もカメラ付き携帯電話を買おうかと思ったくらいだ。カメラを持ち込んでいる人も多く、予めカメラや携帯電話を置いて来た僕は理不尽な気持ちでいっぱいになった。また、主催者側も、会場の誘導をもっとシステマティックに行わないと、非常に危険である。
ブライアン・アダムスはインドで数回コンサートを行っているだけあって、インド人にも人気のあるミュージシャンのようだ。彼の曲を熟知している観客も多く、というかほとんどの観客は曲を熟知しており、かなり盛り上がっていた。幸い、僕が買った「Do To You What You Do To Me」に収録されていた曲の多くがライブで演奏されたので、予習した甲斐があった。
翌日の新聞によると、観客数は2万人以上だったそうだ。観客のマナーは「比較的良好」で、事故などは起こらなかったと記されていた。この後、バンガロールでも公演があるようだ。
何より残念だったのは、カリズマ・オーナーのために予定されていた特別措置が全くなかったことだ。カリズマ専用駐輪場と、カリズマ・オーナー専用席にはかなり期待していた。カリズマは高価なバイクである上に、インド人がバイク購入時にもっとも気にする、燃費があまりよくないバイクなので、カリズマを所有するインド人は、とにかく目立ちたい奴か、趣味でバイクに乗ってる人に限られる。あまり販売台数も多くないので、道路で非常に目立つ。この際、カリズマ・オーナー同士の交流を深めようと淡い夢を抱いていたのだが、それは見事に打ち破られた。長年インドに裏切られ続け、相当疑い深くなっている僕でさえ予想だにしなかった、見事な裏切りであった。この年になってインドにやっつけられるとは思っていなかったので、相当ダメージは大きかった。僕だけでなく、他の多くのカリズマ・オーナーたちも大いに夢を打ち破られたことだろう。JNスタジアム周辺をうろつくカリズマの姿は、まさに敗者の姿であった。ここで一句。
カリズマや 好き者どもが 夢の跡
もう済んだことなので、いつまでもくよくよしても仕方ない。無料でブライアン・アダムスのチケットが手に入っただけでも、ヒーロー・ホンダ社に感謝しておこう。ありがとう、ヒーロー・ホンダ、ありがとう、カリズマ。
| ◆ |
2月8日(日) ビルジュ・マハーラージ公演 |
◆ |
デリーの2月は文化の月だ。まるで春の到来を待ち切れずに咲き乱れる花のように、連日のようにあちらこちらで公演が行われる。ここ1週間を振り返ってみても、非常に忙しい週だった。まずは1月末にヒンディー語映画が4本封切られ、その内の3本は事前予測で「必見」の映画だったため、毎日のように映画館に通って映画を見た。その後、ガザルの巨匠ジャグジート・スィンのコンサートを見て、昨日はカナダ人ロックン・ローラー、ブライアン・アダムスのコンサートに行った。そして今日は、カタックの巨匠パンディト・ビルジュ・マハーラージの公演である。この他にもサロードの巨匠アムジャード・アリー・カーンや、タブラーの巨匠ザーキル・フサインのコンサートなども近くにあり、インド古典芸術ファンには目が回るほど忙しい期間である。
2月4日のビルジュ・マハーラージの誕生日を祝い、毎年2月上旬になると、マハーラージ主催のヴァサントーツァヴァ(春祭り)という芸術祭がデリーで行われる。毎年豪華な顔ぶれが揃うので、僕を含め、デリーの古典芸術ファンは楽しみにしている。今年は2月5日〜8日まで開催され、今日が最終日だった。最終日だけあって、出演者は最も豪華である。オリッスィー・ダンスの巨匠ソーナール・マンスィン、バナーラス派のタブラーの巨匠シャルダー・サハーイ、そしてビルジュ・マハーラージである。せっかく招待状をもらったので、最終日の今日だけでも行こうということで、夕方ヴァサントーツァヴァの開催されているカマニ劇場へ行った。
まずは、マハーラージ直属の芸術学校カーラーシュラムの生徒たちが群舞を踊った。日本人カタック・ダンサーの佐藤雅子さんも外国人でただ一人舞台に立ち、華麗な舞いを踊った。男女合わせて10人が踊り、その中でもイーシャーニーちゃん(過去に会ったことあり)は、回転や動作に余裕があり、素人目ながらうまさが目立った。マハーラージがパカーワジを叩いていた。
次はソーナール・マンスィン(女性)のオリッスィー・ダンス。3演目あり、1つはドゥルガーの踊り、1つはクリシュナの噂をするゴーピーたちの踊り、1つはシヴァ神のターンダヴァだった。なかなか迫力のある踊りをする人で、一人で舞台で踊っただけだったが、観客の目をグググッと惹きつけるオーラがあった。
その次は、シャルダー・サハーイによるタブラー。「時間がないから急いで弾くよ」と言いながら、けっこう長々と演奏し続けた。ハルモニウムとタブラーだけの演奏だったので、少々退屈だったが、最後に見せた片腕のタブラー演奏は目新しかった。昔、王の怒りに触れて左手を切り落とされたタブラー奏者が作曲した曲だと説明していた。
最後はいよいよビルジュ・マハーラージの登場。しかし幕が開いてみると、マハーラージはタブラー、ヴィーナー、ハルモニウム、サーランギーの奏者に囲まれて、座って歌を歌うだけだった。やはりカタックの大巨匠である、父親アッチャン・マハーラージや叔父のシャンブー・マハーラージ&ラッチュー・マハーラージなどの作った歌を、思い出話と共に懐かしそうに歌っていた。かつてのマハーラージ家に毎日流れていた芸術的雰囲気を醸し出そうとしていたようだ。ビルジュ・マハーラージはもちろん踊りが本業だが、あらゆる楽器を演奏することができ、彼の歌も踊りに負けず劣らず素晴らしい。しかし大半の観客は、マハーラージの踊りを見に来ているので、歌を歌ってばかりいるマハーラージにはちょっと落胆させられていた。もう夜遅くなっていたので、マハーラージの歌を2、3曲聴いただけで席を立つ観客も多かった。とうとう観客の一人が舞台下から「どうか踊って下さい、マハーラージ!」と手を合わせて懇願し、やっとマハーラージは立ち上がった。最後の数曲だけ、グングルー(足の鈴)を着けずに踊っただけだったが、さすが生きた伝説とまで言われるダンサーだけあって、貫禄のある踊りっぷりだった。我慢できずに帰ってしまった観客は残念だった。幸運にも最後まで残っていた観客は、マハーラージの踊りを見て皆立ち上がってスタンディング・オヴェーションをした。見たところマハーラージは以前よりもだいぶ老けたように見え(今年で67歳)、体調が悪そうにも思えたが、踊りには全く支障なかったようだ。全てのカリキュラムが終わったときには、10時半になっていた。
今回つくづくと実感したのは、インド古典芸術を理解するには、ヒンディー語とインド神話の知識があると非常に有利だということだ。インド古典芸術のコンサートは司会も会話もほとんどヒンディー語中心に進むので、ヒンディー語が分からないと理解しづらいだろう。歌にはサンスクリト語やブラジ語(マトゥラー周辺の言語)などもよく使われるし、今回はオリッスィー・ダンスの公演があったので、オリッスィー語の歌もあった。また、インドの神様の名前や、神様にまつわる神話を知っていると、何を題材にして踊りを踊っているのか、歌を歌っているのか、よく分かる。多分言語の知識よりも、神話の知識の方が重要だろう。言語が分からなくても、固有名詞などは聴き取ることができるため、それによって歌で何が歌われているのかを推測することが可能だ。一応僕にはこの2つの知識があるので、それらの知識がない人の5割増しくらいには楽しめたと思う。それに加えて、ラーガ(音律)やタール(リズム)の知識があれば、音楽を純粋に楽しむことができるだろうし、ティハーイー(フットワーク)やアビナイ(表現)の知識があれば踊りを純粋に楽しむことができるだろう。インドの芸術は、伝統的に観客にも積極的な参加(つまり予備知識)が求められるため、無勉強な観客は置いてけぼりにさせられるという敷居の高さがある。
悲劇は時に悲しみを後に残し、時に英雄を誕生させる。2004年2月12日、ジャワーハルラール・ネヘルー大学(JNU)に一人の英雄が誕生した。その名はビプル・クマール。ビハール州ラージギール出身のヒンディー語修士1年生、そう、僕のクラスメイトであり、クラスの中で最も仲のよい友人でもある。僕がTVCMに出演して一番喜んでくれたのも彼だった。
まずは2月13日付けのザ・ヒンドゥー紙の記事を読んでもらいたい。
| JNUで火事発生 |
修復中だったジャワーハルラール・ネヘルー大学の社会科学学科1階講堂で12日夜に火事が発生し、少なくとも10人の学生と1人の教授が2階にある図書室に閉じ込められたが、全員無事に救出された。一人も負傷者は出なかったと伝えられている。
火事は午後8時半頃、電気回線のショートにより発生した。そのとき10人の研究生と1人の教授が2階にある図書館にいた。通りがかった学生が過去1年に渡り修復作業が行れていた講堂から炎が燃え上がっているのを見て、直ちに警備員に通報し、大学の管理部や消防署にも救援を求めた。
閉じ込められた学生たちは消防士が梯子を使って救助し、教授は階段から消防士に付き添われて1階に下りた。少なくとも13台の消防車が出動し、2時間以内に火を消し止めた。
検証により、電気回線のショートから出火したことが明らかになった。講堂に置かれていた工事道具、コンピューターや家具は燃え尽きてしまった。大学管理部と地元警察が検証を担当している。 |
この記事を読むと、2階に閉じ込められた学生たちを助けたのは消防士であるような印象を受ける。しかし現実は違う。なんと僕のクラスメイトであるビプル・クマールが、危険を顧みず果敢に彼らを助けたのだった。新聞には「負傷者は一人も出なかったようだ」と書かれているが、それも間違っている。火事の中唯一怪我をしたのが、救出に向かったビプルであった。
今朝、ビプルは右手に包帯を巻いて登校してきた。既にビプルの英雄譚は大学中の噂になっていたので、彼の登場と共に「すっかり英雄になったそうじゃないか!」と彼の勇気を褒め称えた。ビプルは2階に閉じ込められた学生たちを救うため、外から梯子をかけ、2階の窓ガラスを右手で割って、そこから一人一人外へ連れ出したという。右手の怪我は、そのときにできた傷であった。病院で数針縫ったという。まさに名誉の傷である。しかし右手が使えなくなくて文字が書けないようなので、今日行われた中間テストは教授から許可をもらって欠席ということになった。
火事の様子を聞いてみるとなかなか面白い。ビプルは出火時、近くにある図書館で勉強をしていたという。「助けて〜」という声を聞いて外に出たビプルは、社会科学学科の校舎が燃えているのを見て、まずは消火器を求めて走り回ったという。しかし、いかにもインドらしいのだが、そこら中にある消火器全て空で使い物にならず、とっさの判断で上述の英雄的行動を行ったという。火よりも煙がすごかったと言っており、2階に閉じ込められた人々は長時間煙を吸い続けていたら命が危うかったと思われる。ビプルは10人以上の人々の命を救った、JNUの英雄だ。それとは対照的に、現場にはただ見てるだけで何の行動も起こそうとしない野次馬が大勢詰めかけたという。彼らが何らかの筆舌に値することをしたとしたら、とにかく悲鳴を上げて現場の雰囲気を盛り上げたことだけだったという。また、火が消し止められ、全てが済んだ後に初めてのこのこと現場にやって来て、「誰か残ってる人はいませんか〜」と校舎内を見て回る偽善政治家予備軍みたいな人も登場したというから面白い。
残念なのは、新聞にビプルの活躍が全く載らなかったことだ。手柄は全て消防士のものとなってしまった。インドの新聞ってそういうものなのだろうか・・・。このままではビプルの英雄譚も歴史の影に埋もれてしまう恐れがある。ビプルは病院までの交通費と治療費で100ルピー費やしたと愚痴をこぼしているので、是非彼に感謝賞でも名誉戦傷賞でもいいから賞金を与えてやってもらいたい。僕にできることは、真実を後世に残すためにも、ここに昨夜の事件の真相とビプルの勇敢な行動の全貌を記しておくことだけだ。
今日はテスト後、ビプルに連れられて現場を案内してもらった。2階の窓にかけられた梯子はまだそこにかけられたままになっており、また講堂内部は真っ黒に焼け焦げていた。インドの建物はレンガ造りなので、日本の家屋のように火事で全焼するということはあまりないようだ。ただ家具などが燃え、壁が黒くなるだけらしい。現場はまだ焦げ臭かった。
・・・しかし2階に閉じ込められた人々も、助けに行ったビプルも、全員無事だったから後味のいい出来事に何とか収まったものの、もしビプルが帰らぬ人になったりしてたら、JNUにとってもクラスにとっても僕にとっても悲しい出来事になってしまっただろう。わが身を顧みず助けに行ったビプルの勇気は讃えられるべきだが、それは匹夫の勇と評されても仕方ないだろう。それにしても素手でガラスを割るとは・・・。ビプルには、「お前もよくやったよ、頭でガラスを割らなかったんだからな」と、インド人っぽい褒め方をしておいた。
1ヶ月ほど前から、気になる映画の予告編が流れていた。まるで「マトリックス」のような、「ロード・オブ・ザ・リングス」のような、「ハリー・ポッター」のような、おかしなインド映画の予告編だった。下らないが面白そうな映画だった。映画の名前は「Rudraksh」。本日から封切られたので、ラージパト・ナガルの3C’Sに見に行った。
「Rudraksh」とは「シヴァの眼」という意味で、インドジュズノキとかジュズボダイジュと呼ばれる樹やその実の名前である。よくヒンドゥー教徒や仏教徒が菩提樹の実を数珠にして身に付けているが、あれは実際は菩提樹の実ではなく、ルドラークシュの実である。菩提樹(インドボダイジュ)の実からは数珠は作れないそうだ。
「Rudraksh」のキャストは、サンジャイ・ダット、スニール・シェッティー、ビパーシャー・バス、イーシャー・コーッピカル。監督は「16 December」(2002年)のマニ・シャンカル。
| ● |
|
● |
|
 |
上から時計回りに
サンジャイ・ダット、
イーシャー・コーッピカル
スニール・シェッティー、
ビパーシャー・バス
|
| ● |
|
● |
| Rudraksh |
何千年も昔、ラーム王子によってランカー島の羅刹王ラーヴァンは退治された。そのラーヴァンの王宮の遺跡が1990年にスリランカで発見され、発掘が進められていた。発掘作業の労働者を連れて遺跡を訪れていたブリヤー(スニール・シェッティー)は、ラーヴァンがシヴァから受け取った無敵のルドラークシュを手に入れる。ブリヤーは悪の力に心を占領され、次第に超人的な力を発揮するようになる。その後、ブリヤーは恋人のラーリー(イーシャー・コーッピカル)と共に姿を消す。
世界中を暴力が覆うようになった2004年。米国在住のインド人科学者ガーヤトリー(ビパーシャー・バス)は、仲間と共に超能力の研究に没頭していた。ほとんどの超能力者は偽物だったが、たった一人、ヴァルン(サンジャイ・ダット)の超能力だけは本物だった。彼は患者の病気を治したり、心眼を発揮したりしていた。ヴァルンはガーヤトリーの研究に協力するが、その内邪悪な力が自分とガーヤトリーを狙っていることに気付く。ある精神異常者が発する不気味なマントラの謎を解くために、ヴァルンとガーヤトリーはヒマーラヤの奥地に住むヴァルンの父親を訪ねる。そのマントラは、聞いた者を野蛮な羅刹に変えるものだった。そこへ何者かの襲撃を受け、ヴァルンの父親は殺されてしまう。偶然ビデオに映っていた映像には、ブリヤーの姿が映っていた。
ヴァルンとガーヤトリーはスリランカへ渡り、ラーヴァンの王宮を訪れる。しかしブリヤーの手掛かりは見つからず、かえってガーヤトリーが危険な目に遭った。しかしブリヤーは自らヴァルンに自分の居所を教える。「ムンバイーに来い・・・ヴァルン・・・」ヴァルンとガーヤトリーは一路ムンバイーへ向かう。
ムンバイーでは大規模な暴動が発生している最中だった。ラジオやテレビから邪悪なマントラが流れ、人々は暴力の衝動に駆られていた。ヴァルンはガーヤトリーを後に残し、ブリヤーの待つラジオ局へ単身乗り込む。ブリヤーはヴァルンに、仲間になって共に世界を支配しようと説得する。実はルドラークシュはブリヤーを受け入れようとせず、ヴァルンの力を必要としていた。しかしヴァルンはブリヤーの説得を受け容れなかった。ブリヤーに攻撃されたヴァルンは一度瀕死の状態になるが、父親の魂に助けられ、羅刹のマントラを受け容れて自ら羅刹となる。羅刹となったヴァルンはルドラークシュを手にし、最強の力を持つに至る。ブリヤーはヴァルンを攻撃するが、ルドラークシュを手に入れたヴァルンの敵ではなかった。圧倒的パワーをもってヴァルンはブリヤーを退治する。 |
 |
  |
  |
  |
  |
  |
  |
  |
  |
  |
予め「下らないが面白そうな映画」だと予想していたが、実際はその予想より5割増しくらいに下らなくて、5割減くらいの面白さの映画だった。しかし突っ込みどころ満載なので、ゲテモノ映画として見るとなかなか楽しめる。
もはや最近のハリウッド映画になくてはならぬ技術となったCGやワイヤー・アクション。「マトリックス」や「ロード・オブ・ザ・リングス」などを見ると、その技術の高さに驚かされる。ただ、それらの特撮技術を使ったハリウッド映画というのは、技術に頼りすぎて中身のない映画が多いので、インド映画よりもつまらない作品が多い。生半可なハリウッド映画よりは、インド映画の方がよっぽどか楽しい。しかしインド映画がハリウッドの真似をして特撮技術を使い出すと、それはZ級ハリウッド映画にも及ばないようなゲテモノ映画となってしまう。この「Rudraksh」がいい例だ。全長2時間半の内の1時間以上でCGが使われていると自慢げに紹介されているが、その質たるやPIA(パーキスターン国際航空)の機内で流れるヘッポコCGに毛が生えた程度(分かる人だけ笑ってください)。最近インドでもハリウッド映画がよく上映されているので、インド人の目も肥えてきており、こんな稚拙な映像では映画の質を貶める効果しか期待できないだろう。まだまだインド映画にCGやワイヤー・アクションのノウハウは蓄積されておらず、さらなる精進が必要だ。もっと言えば、僕はインド映画に特撮技術の必要性を感じないので、精進する必要もない。
スペシャル・エフェクトだけでなく、ストーリーや美術もいい加減だった。時間短縮のためかストーリーはぶつぶつと切れるし飛ぶし(まさかFJではあるまいが)、突然戦闘シーンになったりするし(「マトリックス」の影響か?)、全てが解決されずにエンディングを迎えてしまうしで、もう無茶苦茶。映画のセットに至っては、まるで日本のテレビ番組のコント劇レベル。石造の宮殿が次々と崩れ落ちるシーンがあるのだが、いかにも発泡スチロールであった。衣装もダサすぎ。ルドラークシュを得て覚醒したヴァルン(サンジャイ・ダット)の眼が・・・なぜに猫目・・・というか妖怪人間ベム・・・?
| ● |
|
● |
|
 |
|
| ● |
覚醒時のヴァルン |
● |
「ラーマーヤナ」をストーリーの下地にしたのは正しい試みだったと思う。インドにはSF映画のネタになりそうなものがゴロゴロしている。今までインド映画が「ラーマーヤナ」をSF映画的に使ってこなかったことが不思議なくらいだ。しかしもっと上手に使ってもらいたかった。確かにラーヴァンの住むランカー島という地名が出てくるが、そのままランカー島をセイロン島にしてしまうには無理がある。スリランカに行ったとき、インド人がスリランカ人に「ラーヴァンの寺院はどこにあるんだ?」と真剣に質問していたのを見たことがあるが、神話と現実をごっちゃにするインド人が多いのは困りものだ。その他、ヨーガやヴェーダなどがSFネタとして使われていた。ラーヴァンの王宮はなぜかカンボジアのアンコール・トムやアンコール・ワットがモデルとなっていた。
欠点だらけの映画だが、俳優の演技は合格点だった。特にサンジャイ・ダットの演技はなかなか。最近サンジャイの映画をよく見ていたせいか、だんだんサンジャイのことが好きになってきたような気がする。スニール・シェッティーはちとはまり込み過ぎ。ビパーシャー・バスは相変わらずセクシーな衣装、セクシーな演技をさせられるが、可もなく不可もなくの当たり障りのない演技をしていた。イーシャー・コーッピカルは・・・頭のねじが一本外れたか?と心配してしまった。
日本人にとって、この映画でもっとも面白い部分は、サンジャイ・ダット演じるヴァルンが、弟子たちと共に空手の練習をするシーンである。突然サンジャイ・ダットが「ありがとござます〜!」と日本語で叫び、「いち!に!いち!に!」と号令をかける。サンジャイ・ダットが日本語をしゃべるというのは、もしかしたらこの映画の最大の見所かもしれない。その他、ヴァルンはサンスクリト語を話すし、スリランカではシンガリー語も話す。
あまり取り得のない映画だが、音楽とミュージカル・シーンは個性があって楽しかった。音楽監督はシャンカル・エヘサーン・ロイ。「Rak Rak Rak」のミュージカル・シーンは、CGとインド映画的ミュージカルの華麗なる融合といえる。これも一見の価値はある。一見だけ。
いつの間にか、インドでもヴァレンタイン・デイが盛大に祝われるようになっていた。インドに住み始めてからこれで3度目のヴァレンタイン・デイだが、年々祝い方が派手になっている。2002年のヴァレンタイン・デイには、当時デリー随一のホット・スポットだったアンサル・プラザへ行った。その頃から既にヴァレンタイン・デイは祝われていたが、一部の富裕層の若者たちが、一部の高級マーケットに集結するといった感じだった。2003年のヴァレンタイン・デイも相当な混雑だったが、今年はもっとすごかった。アンサル・プラザやサウス・エクステンションの周辺の交通はパンク状態。グルガーオンのモール・シティーへ行く道も大混雑だったと聞く。ヴァレンタイン・デイに結婚式を挙げるというのも、デリーではひとつのトレンドになりつつあるようだ。同時に毎年恒例のシヴ・セーナーらヒンドゥー原理主義グループによる反ヴァレンタイン・デイ運動も行われた。デリーでは、ニューイヤー、ヴァレンタイン・デイ、クリスマスなど、欧米諸国の祝日の祝われ方が盛大になってきたのと反比例して、ホーリー、ダシャヘラー、ディーワーリーなどインド伝統の祭りの熱気が縮小しているように思える。
インド人のヴァレンタイン・デイの祝い方は、どちらかというと欧米方式である。カップルがお互いにプレゼントを交換し合う。もっとも一般的なプレゼントは、チョコレート、グリーティング・カード、花、宝石などで、これらは納得がいくが、インドでは携帯電話もヴァレンタイン・デイでよくギフトとなる品物らしい。また、ラクシャー・バンダンなどで結ぶラーキー(ミサンガのようなもの)も、友情や愛情の印として交換される。2月15日付けのタイムズ・オブ・インディア紙によると、ヴァレンタイン・デイにはインド全土で3000万通のSMS(携帯電話のメッセージ)、500万枚のグリーティング・カード、1000トンの花が流通したようだ。しかしこれでも人口10億人、未成年人口5億人の国が全力を挙げている訳ではないので、まだまだ将来的にヴァレンタイン・デイは盛大になっていく可能性大である。あまり信用ならないデータだが、インド人がヴァレンタイン・デイに消費する平均費用は一人1000ルピーほどらしい。
それにしても2月14日のタイムズ・オブ・インディア紙は悪乗りが過ぎる。本紙の方は「Times of〜」の「M」の字がハートになっているくらいだったが、付属のローカル版デリー・タイムズ・オブ・インディアは、大々的なヴァレンタイン・デイ特集。「ヴァレンタイン・デイにデートは必須か?」「ヴァレンタイン・デイにキスをしたことがあるか?」などという下らない上に全く信憑性のないアンケート結果が大半を占めており、キューピッドへのインタビューまで載っている(キューピッドの学歴は恋愛学科と射的学科卒で、非切開心臓手術について論文を書いたそうだ)。世界一の発行部数を誇る英字紙が、スポーツ新聞みたいな記事を平気で載せて喜んでいるとは・・・面白すぎる。
今日はヴァレンタイン・デイであったが、同時にワールド・ブック・フェアの初日でもあった。ワールド・ブック・フェア(ヒンディー語:ヴィシュヴァ・プスタク・メーラー)は、名多くの出版社や書店が集い、全書籍10%引きになる毎年恒例のイベントである。初日に行かないといい本が売れてしまうので、学生としてはヴァレンタイン・デイよりもこちらの方を優先させなければならない。というわけで、朝からJNUの友人と共にワールド・ブック・フェアの行われているプラガティ・マイダーンを訪れた。
僕の目的はヒンディー語の書籍で、授業で必要となる教科書を何冊か買い漁った。JNUのヒンディー語学科では、数十年前に絶版となったような本が平気で教科書に指定されているので、手に入れるのに非常に苦労する。何とか見つかった本もいくつかあり、来た甲斐があった。プラガティ・マイダーンにもヴァレンタイン・デイの魔の手は伸びており、あちこちのベンチに腰掛けているカップルの姿が目立った。
ワールド・ブック・フェアで買い物を終えた後、JNUへ行ってみたら、ヒンディー語科のクラスメイトたちがグラウンドで1学年上の先輩たちとクリケットをしていた。ヴァレンタイン・デイなのにみんな何やってるんだか・・・。JNUの中でもヒンディー語科の男たちは「もてない男」カーストにカテゴライズされてしまうため、ヴァレンタイン・デイとは関係なく過ごしている人が多いようだ。こんな彼らが、大学卒業後には各々の村に帰って、ヴァレンタイン・デイを広めるのだろうか・・・。
| ◆ |
2月16日(月) I - Proud To Be An Indian |
◆ |
海外に住むインド人移民(NRI)を描いた映画は近年やたらと多くなり、ざっと思い出してみただけでも、「Bend It Like Beckham」「American Desi」「Leela」「The Guru」(以上2002年)「Anita And Me」「Kal Ho Naa Ho」(以上2003年)などがあった。この他にも、海外在住のインド人がインドに帰って来たり、主人公が帰国子女だったりする筋は、既にインド映画の常套手段となっている。その中には、インド人が海外で味わうカルチャー・ショックが面白おかしく描かれている映画もあれば、何の説明もなしにインド人が海外で悠々自適の生活を送っていたりする映画もある。
しかし、海外に住むインド人は、現地で実際にどのような扱いを受けているのだろうか?決して優遇されているわけではないだろう。むしろ差別されていることの方が多い。今までのインド系移民を主人公とした映画(NRI映画と呼ぶことにする)では、そのインド人に対する差別が全くと言っていいほど語られて来なかった。そんな中、遂にインド人差別を真っ向から扱った映画が登場した。「I - Proud To Be An Indian(インド人としての誇り)」である。
監督はプニート・スィラー。製作・主演はサルマーン・カーンの弟で、「Maine Dil Tujhko Diya」(2002年)の監督ソハイル・カーン。その他のキャストは、クルブーシャン・カルバンダー、ヒーナー・タスリーム、ティム・ローレンス、アースィフ・シェイク、モーナー・アンベーガーオンカルなど。ちなみに主人公の名前は映画中出てこない。
| ● |
|
● |
|
 |
|
| ● |
ソハイル・カーン(男)と
ヒーナー・タスリーム(女) |
● |
| I - Proud To Be An Indian |
主人公(ソハイル・カーン)は父親(クルブーシャン・カルバンダー)と共にインドからイギリスの首都ロンドンへ移民してきた。既にロンドンには兄夫婦(アースィフ・シェイクとモーナー・アンベーガーオンカル)が住んでおり、彼らの家に厄介になることになった。
しかしロンドンでは、プロレスラー並みの大男カイン(ティム・ローレンス)率いるスキンヘッド軍団が、白人至上主義を掲げてインド人などの有色人種に暴行を加えていた。主人公が兄嫁や、兄夫婦の娘の友達ヌール(ヒーナー・タスリーム)を襲ったスキンヘッド軍団員を殴り倒したことから、彼の家族はカインらから狙われることになる。
カインがまず送り込んだのは、パーキスターン人でボクサー、そしてヌールの兄のアスラムだった。アスラムは主人公を闇討ちするが、ヌールを助けたのが彼であることを知ったことから仲直りし、共にカインに立ち向かうことを決める。また、主人公とヌールは恋仲となり、アスラムの承認も得た。
しかしカインらスキンヘッド軍団の嫌がらせは過激化するばかりで、家族は怯える毎日を送っていた。一人カインに立ち向かっていた主人公も、とうとう父親から「カインに謝って全てを終わりにしなさい」と説得され、カインの前で跪いて許しを請う。プライドをズタズタにされた主人公は、失意のままインドへ帰ることに決める。
それと時を同じくして、アスラムはカインを裏切ったことによって処刑され、主人公の家族の家も放火された。空港でアスラムが殺されたことを知った主人公は、再びカインの元へ舞い戻り、カインと一騎打ちの決闘をする。一時はダウンするが、父親の激励を受けて力を取り戻し、逆にカインを打ちのめす。こうして主人公は、白人に虐げられていたインド人や有色人種たちの英雄となったのだった。 |
 |
  |
  |
  |
  |
  |
  |
  |
  |
  |
まず、この映画はロンドンのみを舞台としていながら、ほとんどの会話はヒンディー語(またはパンジャービー語)で進むヒンディー語であることを明記しておかなければならない。NRI映画はヒングリッシュ映画のことが多いのだが、この映画は珍しく極力ヒンディー語でセリフをしゃべるように配慮されていた。ただし、イギリス人の登場人物は皆イギリス英語を話す。比率はヒンディー語80%以上。
米国や英国に住むインド人に対する差別というのは、映画のテーマとして非常に優れた着眼点だったと思う。今までのインド映画は、あまりに海外在住インド人の環境を楽観視しすぎていた。「Kal Ho Naa Ho」では、いかにもインド人が皆ニューヨークで人生をエンジョイしているかのように描かれていたし、「Kabhi
Khushi Kabhie Gham」では、カリーナー・カプール演じるプージャーが、ロンドンの大学でイギリス人の同級生を部下同然に扱っているという、イギリス人が見たら憤慨するような描写がなされていた。まるで海外への移民を夢見るインド人たちの夢をさらに助長させるような、理想主義の映画が多かった。そういう流れの中で、、この映画はインド人の理想主義を打ち砕く役割を果たすであろう。
しかし、この映画でインド人家族に執拗な嫌がらせをするネオナチみたいなスキンヘッド軍団というのも、かなり非現実的だ。ロンドンで本当にそういうことが起っているなら何も反論できないが、起っていたとしても、この映画ほどひどくはないだろう。映画の冒頭で、タクシードライバーが、タクシー待ちをしていた主人公の父親を無視して、その先で待っていたイギリス人のところで止まる、というシーンがあったが、そのような一般的なインド人差別を描いて行った方が、社会派映画としてはよかっただろう。この映画ではその後、主人公とカインの力任せの戦いとなっていき、他のインドのアクション映画と大筋が変わらなくなる。ひたすら暴力に耐える主人公の兄や、誇りを捨てて差別に耐えながら校長の座にまで上り詰めたインド系移民など、現実のインド系移民が直面する問題が浮き彫りにされている重要なシーンがちらちらと出てくるのだが、メイン・ストーリーがアクション・シーンと復讐劇なので、それらはかすんでしまっていた。
サルマーン・カーンの弟、ソハイル・カーンは、監督もこなす知性派かと思いきや、やっぱり兄と変わらぬ筋肉ナルシストで、やたら上半身裸になるシーンや、血みどろの決闘を繰り広げるシーンが多かった。あまりハンサムではないのだが、演技は確かなものを持っていた。「Lagaan」(2001年)でマハーラージャーの役を演じたクルブーシャン・カルバンダーは、さすがの落ち着いた演技。
何より怖かったのは、スキンヘッド軍団のボス、カインを演じたティム・ローレンスである。彼のプロフィールはよく分からないのだが、おそらく元プロレスラーか何かだろう。インド人が束になってもかなわなそうな体格をしていた。最後の、瀕死の主人公にやっつけられるシーンは、あまりに予定調和的で白けてしまった。いくら何でも血まみれになった主人公が、ほとんど無傷のカインを数撃で沈めるような奇跡は起りえないだろう・・・。スキンヘッド軍団の雑魚たちは、いかにも弱そうな馬鹿白人という感じだった。
| ● |
|
● |
|
 |
|
| ● |
ティム・ローレンス
サンジャイ・ダットと戦わせてみたい |
● |
主人公とアスラムの友情は、インドとパーキスターンの外交関係に対するサジェスチョンの一種だろう。「インドとパーキスターンが互いに争い合って、結局得したのは誰だ?」というセリフもあり、印パが手を取り合えば、現代の白人支配世界に対抗できるようなことを暗示する言葉もあった。だが、いかんせんメッセージが弱すぎる。やはりこれも、アクション・シーンの裏に隠れてしまっていた。
「I - Proud To Be An Indian」は、NRIを主人公としながら、またインド系移民に対する差別という面白いテーマを発見しながら、普通のインド映画のテイストになってしまった残念な映画ということができる。主人公の名前がなぜ映画中に出てこないかも、よく分からないのだが・・・。何か深い意味でも込められているのだろうか?
| ◆ |
2月19日(木) トゥルスィーダースと宗教対立 |
◆ |
「コミュナル暴動」という言葉は既にインドの現代社会史を代表する言葉になってしまっている。「コミュナル暴動」とは広い意味ではコミュニティー間の対立と紛争のことを指すが、インドでは特にヒンドゥー教徒とイスラーム教徒の間の宗教的対立という文脈で使われることが多い。1992年12月、ウッタル・プラデーシュ州アヨーディヤーのバーブリー・マスジド破壊から端を発したコミュナル暴動はムンバイーに飛び火し、深刻な問題を引き起こした(マニ・ラトナム監督「ボンベイ」が詳しい)。最近では2002年2月、グジャラート州ゴードラーで発生した列車焼き討ち事件が記憶に新しい(先日ベルリン国際映画祭で受賞したラーケーシュ・シャルマー監督の「Final Solutions」は、このゴードラー事件を題材としているそうだ)。これらのコミュナル暴動の直接的原因となっているのが、バーブリー・マスジド跡地に建設が予定されているラーム生誕地寺院である。
「ラーマ」または「ラーム」と呼ばれる神様は、ヒンドゥー教の神様の中でも有名である(僕は基本的にヒンディー語的に「ラーム」と呼ぶことにしている、以下同じ)。妻のスィーターや、弟ラクシュマン、猿の将軍ハヌマーンを従えて弓を持って立っているインド名物神様ポスターを、インド各地で目にする。ラームは、詩聖ヴァールミーキが著したと言われるインドニ大叙事詩のひとつ「ラーマーヤナ」(3世紀頃成立か)の主人公で、ヒンドゥー教ではヴィシュヌの化身のひとつと考えられている。同じくヴィシュヌの化身であるクリシュナが人民のエンターテイナーだとしたら、ラームは人民のガードマンである。ラームはアヨーディヤーの王ダシュラト王の長男として生まれ、ジャナク王の娘スィーターと結婚し、14年間の森林生活中にランカー島の羅刹王ラーヴァンをハヌマーンら猿の軍団の助けを借りて退治し、アヨーディヤーに戻って善政を敷いたという。そのアヨーディヤーが現在ウッタル・プラデーシュ州にあるアヨーディヤーだと考えられており、ムガル朝初代皇帝バーバル(「バーブル」という日本での一般表記はインドでは通じない)が、アヨーディヤーにあったラーム生誕地寺院を破壊して、跡地にバーブリー・マスジドを建てたと言われている。「ラーマーヤナ」は何らかの歴史的出来事を元に作られたと思われるが、神話であることに変わりなく、神話上の登場人物の生誕地を問題にすること自体おかしい。また、「ラーマーヤナ」に登場するアヨーディヤーが現在のアヨーディヤーと同じである保証もない。アヨーディヤーはサルユー河河畔にあるとされ、現在のアヨーディヤーもサルユー河またはガーグラー河と呼ばれる河の河畔に位置している。しかし河の流域は氾濫によって簡単に変わるものであり、当時のアヨーディヤーと現在のアヨーディヤーが同じ場所にあったとは思えない。ただ、アヨーディヤー周辺の地域は今でもアワド(アヨーディヤーが変化した形)と呼ばれているため、その辺りにあったことは想像に難くない。また、バーブリー・マスジドができる前に本当にラーム生誕地寺院がそこにあったのかも疑わしい。バーブリー・マスジド跡からいろいろな出土品が出土しており、何らかのヒンドゥー教寺院があったことは確かのようだが、同時に仏像なども発掘されており、その場所にはどうも元をたどっていけば、ジャイナ教寺院か仏教寺院があったようだ。実際、アヨーディヤーは、ヒンドゥー教のみならず、ジャイナ教や仏教の聖地でもある。また、アヨーディヤーはもともとギリシア人が作った街だとも言われている。つまり、現在ヒンドゥー教原理主義者たちが主張しているようなラーム生誕地寺院建立は、全く信憑性のない理屈に基づいている。しかし、今年の4月か5月に行われる下院選挙でも、未だにこのバーブリー・マスジドは問題になっている。インド人は時間に対しては悠然と構えるが、土地(つまり財産)に対しては異常なほどの執着心を持つ傾向がある。これはインド人が根っからの農耕民であることを指すのかもしれない。日本人は時間を金で買うような性格の人が多いが、インド人はいくら時間をかけても、少しでも多くの金を獲得しようとする人が多い。「ラーマーヤナ」「マハーバーラタ」や、その他の神話に記されている時間の概念の無茶苦茶さは全く議論されず、場所だけ議論されるのも、こういうインド人の本質と関係あるような気がする。
ところで、今までラームのことをヴァールミーキ作「ラーマーヤナ」の主人公と説明してきたが、別にラームはそれだけに留まらない。むしろ民間信仰として脈々と語り継がれていたラーム王子の冒険譚が、サンスクリト語で編纂されたのがヴァールミーキの「ラーマーヤナ」だと言える。だから、その他にもいろいろなラーム、いろいろな「ラーマーヤナ」がインド国内やアジア各地に存在する。日本の昔話「桃太郎」も、「ラーマーヤナ」の物語の変形だと言われているし、中国の「西遊記」の主人公、孫悟空もハヌマーンが原型になっていると言われている。
いろいろな「ラーマーヤナ」が存在する中で、インドの、特に北インドのラーム信仰を決定的に民間に定着させたのは、ヴァールミーキ作「ラーマーヤナ」ではない。中世インド、ヒンディー文学史の専門用語だと「バクティ・カール」と呼ばれる時代に活躍した詩人トゥルスィーダース(1532?-1623)が著した「ラームチャリト・マーナス」である。ヴァールミーキ作「ラーマーヤナ」は、学識者専門の公用語であったサンスクリト語で書かれており、庶民には程遠い存在だった。しかし、トゥルスィーダースの「ラームチャリト・マーナス」は、アワド地方の言語であり、ヒンディー語の一方言とされるアワディー語で書かれている。「ラームチャリト・マーナス」がインドの社会や文化に与えた影響は計り知れず、トゥルスィーダースはヒンディー文学が生んだ最高の文学者の名をほしいままにしている(もしアワディー文学をヒンディー文学の一種とするならば、だが)。
トゥルスィーダースの出生はあまり明らかになっていないのだが、一般に語り継がれている話によると、ブラーフマンの私生児として16世紀にウッタル・プラデーシュ州ラージャープルで生まれ、幼くして父母を亡くし(捨てられた、という説もある)、乞食をして幼年時代を過ごしたという。伝説では、5歳児と同じ風貌で生まれ、生まれると同時に「ラーム、ラーム」としゃべったという(捨てられて当然か・・・)。やがてナルハリダースという学者の下に身を寄せるようになり、ラームの話を始めとする学問の手ほどきを受け、師と共にカーシー(現在のヴァーラーナスィー:現代ではバックパッカーの溜まり場として悪名高いが、当時は学問の都として誉れ高かった)へ移り住んで、15歳まで学問を学んだそうだ。その後、故郷のラージャープルへ戻って、ブラーフマンの娘ラトナーワーリーと結婚し、やがて世俗を捨てて、インド中を巡礼して歩いた。カーシー、アヨーディヤーの他、現在のオリッサ州にあるジャガンナートプリー、タミルナードゥ州にあるラーメーシュヴァラム、グジャラート州にあるドワールカー、チベットにあるカイラース山やマーンサローヴァル湖などを巡り、ラームとスィーターが追放生活中に過ごしたというウッタル・プラデーシュ州南部のチットラクートに居を構えた。1574年、アヨーディヤーへ行って「ラームチャリト・マーナス」の著作を開始し、2年7ヶ月後にカーシーで完成させたという。存命中に既にトゥルスィーダースの名声は最高潮に達し、多くの学者や詩人たちが彼の元を訪れたという。1623年、トゥルスィーダースは没したとされる。
トゥルスィーダースの文学的特徴は、まずその言語にある。当時北インドでは、ブラジ語(マトゥラー地方の言語、これもヒンディー語の一方言とされる)とアワディー語が文学用の共通語として確立していた。トゥルスィーダースはこの両言語に通じ、ブラジ語で「カヴィターワリー」「ギーターワリー」などを、アワディー語で「ラームチャリト・マーナス」などを著した。しかも彼は伝統的教養語であるサンスクリト語にも造詣が深く、ブラジ語やアワディー語の著作の中にサンスクリト語の語彙を巧みに混ぜ込んだ。現代のインドでは、サンスクリト語の代わりに英語が教養語としての地位を確立している。「英語のできない人=教養のない人」という公式が出来上がってしまっており、都市部では、ヒンディー語で何かを書くことは教養がないことを意味する。トゥルスィーダースの時代のインドでも、インド人の考えにそう大した変化はなかったようで、やはりサンスクリト語で著作することが教養の証であり、ブラジ語やアワディー語などの庶民語で著作をすることは、自身の教養のなさを世間に暴露するに等しい行為だったと思われる。しかし敢えてトゥルスィーダースは「ラームチャリト・マーナス」の言語にアワディー語を選んだ。「ラームチャリト・マーナス」の第一章バールカーンド(少年編)の冒頭には、トゥルスィーダースの序文にあたる部分があり、そこにはアワディー語で著作をすることに対する躊躇が、自身の知識のなさに対する謙遜と共に赤裸々に語られている。また、序文の前にはサンスクリト語で書かれた神への賛歌の部分もあるが、それは自身のサンスクリト語の知識を示し、サンスクリト語を理解していながら、敢えてアワディー語で書くのだ、という言い訳ともとれる。しかし、サンスクリト語の語彙と共にアワディー語で著作をしたことにより、「ラームチャリト・マーナス」はインド人の心に浸透し、不滅の名作となったばかりか、ヒンドゥー教のバイブルに近い存在にもなったことは確かである。よって、ヒンドゥー教徒にとって重要なのは、ヴァールミーキ作の「ラーマーヤナ」ではなく、トゥルスィーダース作の「ラームチャリト・マーナス」である。
ヴァールミーキの「ラーマーヤナ」では、ラームは人間として描かれているが、「ラームチャリト・マーナス」の登場人物は、ラームをはじめ、スィーター、ラクシュマンなど、全て神性を与えられている。それぞれの登場人物の行動によって、インド人として、ヒンドゥー教徒として、そしてインド社会の構成員として、それぞれの階級が何をすべきか、という道徳観が示されている。トゥルスィーダースはラームの話によって、理想の社会、つまりユートピアを描こうとしていたと言われる。「ラームチャリト・マーナス」に描かれている社会は階級社会、つまりカースト制を肯定する社会であり、また男性を中心とする男権社会であり、それが時には批判の対象になったりもする。しかし、それは一言で要約すれば「自己の本分を尽くせ」ということであり、英語で現代風に言ったら「Do Your Best」であり、「バガヴァド・ギーター」で語られていることと等しい。また、400年前の著作や文学者に対してその種の批判をするのは筋違いだと思う。自分の得意なことを皆が一生懸命することができるような社会は、今から考えても理想の社会だろう。
しかし、トゥルスィーダースの著作の最も重要な特徴は、中道中庸主義であり、全てを肯定する思想である。「ラームチャリト・マーナス」の序文の中で、トゥルスィーダースは善人と悪人の違いについて長々と描写をしている。彼はいくつもの詩的な比喩で善人と悪人、善人と悪人の性質や行動の違いを例えているが、僕がもっとも好きなのは河、湖の喩えである。詩の中で、「悪人はまるで水を得て氾濫する河や湖のごとく、自分の幸せのみに狂喜乱舞する。善人は満月を見て満ちる海のように、他人の幸せを見て満ち足りた気分になる」と語られている。しかし、トゥルスィーダースは善人と悪人両方に対して等しい尊敬を払っており、両方の祝福を求めている。
また、当時の北インドでは、「神に形はあるかないか」という議論があった。偶像崇拝を禁止するイスラーム教の流布とイスラーム教徒の侵入の影響もあっただろう。ヒンドゥー教内で、「神に形はない」と主張するニルグン派と、「神に形はある」と主張するサグン派の対立が生まれていた。元々インドの宗教は、バラモン教、仏教、ジャイナ教などを見ても、偶像崇拝のない宗教が多かった。ブッダも元々偶像崇拝を禁止したが、ブッダの死後はブッダの遺骨である仏舎利や、足跡である仏足石が崇拝の対象となり、やがて仏舎利を収めるストゥーパが仏教の崇拝対象となった。やがてギリシアの影響で仏教やジャイナ教が仏像などを作るようになり、それに影響されてヒンドゥー教も神様の像や寺院を作るようになったと言われている。神様を信仰するのに、偶像は必要か不必要か、この議論はインドで何度も何度もなされてきたようだ。トゥルスィーダースは一般的に「神に形はある」と主張するサグン派に分類されるが、「ラームチャリト・マーナス」の序文ではニルグン派とサグン派を超越した意見を展開している。それは「名前論」である。トゥルスィーダースは「神に形はあるかないか」の議論を、「火に形はあるかないか」の議論に等しい、と語っている。火に形があるといえばあるし、ないといえばない。どちらも正しく、どちらも間違っている。しかし、この両者に共通しているのは、「火」という名前である。火に形があると考える人も、形がないと考える人も、「火」という名前の存在は疑っていない。これと同じように、神様への信仰も、ただ名前だけがあればいいと言っている。「ラーム」という名前を発すれば、ニルグン派であろうがサグン派であろうが、神様のもとへ祈りを届けることができると語っている。トゥルスィーダースは名前を灯りにも喩えている。もし部屋の外と中を同時にひとつの灯りで明るくしようと思ったら、灯りは部屋の入り口の敷居に置くべきだと言っている。つまり、ニルグン派とサグン派の両方の意見を尊重しようと思ったら、名前を信仰の対象とすべきだと言っている。
また、当時のヒンドゥー教にはシヴァ派とヴィシュヌ派の対立もあった。文字通り、シヴァ派はシヴァ神を信仰する一派であり、ヴィシュヌ派はヴィシュヌ神を信仰する一派である。ヴィシュヌの化身であるラームの話を書いたトゥルスィーダースは、ヴィシュヌ派を代表する詩人であるが、「ラームチャリト・マーナス」にはシヴァとその妻パールヴァティーに対する祝福と祈りが、ヴィシュヌ神に対する祝福と祈りよりも多く書かれている。ラームの英雄譚を書きながら、シヴァ神への信仰を蔑ろにしなかったトゥルスィーダースの思想は、北インドのヒンドゥー教徒に大きな影響を与え、当時南インドで起っていたシヴァ派とヴィシュヌ派の対立ほど深刻な対立は、北インドでは発生しなかったと言われている。
このように、トゥルスィーダースは対立する観念の調和を目指し、それぞれの立場を尊重する、平和的思想を持っていた。現代のインドの社会の病巣となっているヒンドゥー教徒とイスラーム教徒の対立は、そのトゥルスィーダースの思想と全く相反する。ヒンドゥー教原理主義者たちは、アヨーディヤーのバーブリー・マスジド跡にラーム生誕地寺院を建立しようと躍起になっているが、本当に彼らはヒンドゥー教の原典を読んでいるのか、ヒンドゥー教の原理を知っているのか、全く疑わしい。一説によると、「ラームチャリト・マーナス」は、トゥルスィーダースと同時代を生きたムガル朝第三代皇帝アクバル(1542-1605)の善政に影響されて書かれたと言われている。「ラームチャリト・マーナス」で賞賛されているラームのモデルは、ヴァールミーキ作「ラーマーヤナ」のラーム王子であると同時に、大帝アクバルだと言われている。アクバルはヒンドゥー教とイスラーム教の融和を図る政治を行い、インドに繁栄をもたらした。また、アクバルもトゥルスィーダースの「ラームチャリト・マーナス」を読んで感動したと言われている。ラーム王子こそ、ヒンドゥー教とイスラーム教の調和の象徴であり、平和の使徒であるはず。それがコミュナル暴動の原因となっているとは、何とも皮肉な話である。
| ◆ |
2月20日(金) Chokher Bali |
◆ |
今日から首都圏の高級映画館で、ベンガリー語映画「Chokher Bali」が上映され始めた。ラヴィンドラナート・タゴールの同名小説が原作の映画で、各国際映画祭に出品されている典型的な社会派映画である。デリーでヒンディー語と英語の映画以外が一般公開されるのは珍しいのだが、逆に言えば、デリーで一般公開されるヒンディー語と英語以外の映画は、良作である可能性が非常に高い。しかもあのアイシュワリヤー・ラーイ主演であり、さらには、ガードの固いアイシュワリヤーが役作りのために限界まで肌を露出したとの報告もあり、是非とも見なければならない映画だった。公開初日からPVRアヌパムへ駆けつけた。
「Chokher Bali」の監督はリトゥパルナ・ゴーシュ。キャストはアイシュワリヤー・ラーイ、プロセーンジート・チャットーッパディヤーイ、トーター・ラーイチャウドリー、ライマー・セーン、リリー・チャクラヴァルティー。アイシュワリヤー・ラーイ以外はベンガル人俳優である。言語はベンガリー語だが、英語字幕付き。
| ● |
|
● |
|
 |
|
| ● |
アイシュワリヤー・ラーイ(左)と
トーター・ラーイチャウドリー(右) |
● |
| Chokher Bali |
1902年、ベンガル。カルカッタに住むマヘーンドラ(プロセーンジート・チャットーッパディヤーイ)は、何不自由ない生活を送りながら医学を学んでいた。親友のビハーリー(トーター・ラーイチャウドリー)も医学を学んでいたが、2人の間には密かに競争心があった。マヘーンドラの母親のラージラクシュミー(リリー・チャクラヴァルティー)は友達の娘で、英語も話せる聡明なビノーディニー(アイシュワリヤー・ラーイ)と息子の見合いをしようとするが、マヘーンドラはビノーディニーの写真を見ただけで拒否した。ビハーリーも彼女との結婚を拒んだ。ビノーディニーは別の男と結婚をしたが、1年もしない内に彼女は未亡人になってしまった。
マヘーンドラは最終的に純朴な田舎の娘アーシャーラター(ライマー・セーン)と結婚をする。一方、ラージラクシュミーは未亡人となったビノーディニーを自分の家に住まわせる。アーシャーラターとビノーディニーは、すぐに仲良くなる。
しかし、教育を受け、性の悦びを知ったビノーディニーは、インドの社会が未亡人に強要する抑圧された生き方が耐えられなかった。ビノーディニーは自身の才能と美貌でマヘーンドラとビハーリーを誘惑する。やがてマヘーンドラはビノーディニーと肉体関係を持つようになり、それを偶然知ったアーシャーラターは、突然家を出てバナーラス(ヴァーラーナスィー)へ行ってしまう。ビノーディニーも責任をとらされ、ラージラクシュミーに家から追い出される。
ビノーディニーはビハーリーの家を訪れ、彼に結婚を迫るが、拒絶される。彼女は自分の故郷に戻り、自殺するかバナーラスへ行くか思案を巡らすが、結局バナーラスへ行くことに決める。出発の直前、マヘーンドラが彼女の家を訪ねて来る。彼は全てを捨ててビノーディニーの元へやって来たのだった。しかしビノーディニーの決心は変わらず、彼女はマヘーンドラと共にバナーラスを訪れる。
バナーラスのガンガー河畔で、ビノーディニーは人生のはかなさを目の当たりにする。同じくバナーラスに来ていたアーシャーラターが妊娠をしていることを知り、マヘーンドラにアーシャーラターとよりを戻すよう説得する。また、ビハーリーもマヘーンドラやビノーディニーを追ってバナーラスへ来ていた。彼は、ラージラクシュミーの死という悲しい知らせを運んできた。マヘーンドラはアーシャーラターと共にカルカッタへ戻る。
ビノーディニーと再会したビハーリーは、彼女に結婚を申し込む。しかし、翌日彼女の家を訪れたビハーリーは、もぬけの殻となった部屋に置かれたアーシャーラターへの手紙を見つけただけだった。ビノーディニーはアーシャーラターに対し、生まれてくる子供に決して自分たちの世代が味わったような不幸を味わせてはいけないと忠告する。それから約42年後、ベンガルは別々の国として独立を果たす。 |
 |
  |
  |
  |
  |
  |
  |
  |
  |
  |
タゴールの小説が元になっているということで期待して見に行ったのだが、映画としては超一流の出来とまではいかなかった。もちろん、ベンガリー語の映画であり、英語字幕を一生懸命追いながら鑑賞していたので、映画を十分に堪能できなかったことは確かだ。だから今回ばかりは歯切れよく映画を評価することができない。だが、全体に小説の堅苦しい語り口から抜け出していないという印象を受け、映画ならではの味が出ていなかったと思う。
アイシュワリヤー・ラーイがベンガリー語を話すのか、と思っていたが、案の定吹き替えだった。しかし彼女の美貌と演技は素晴らしく、ベンガルの未亡人演じるアイシュワリヤーを見るだけでもこの映画は価値がある。当時のベンガル人女性はサーリーの下にブラウスを着ていなかったようで(今でもベンガルの田舎へ行けば、ブラウスを着てない女性を見ることができる)、時代考証を徹底させるために、普段は肌を露出させることが少ないアイシュワリヤーも、惜しげもなく右肩を露出させている。また、かなり大胆な着替えシーンもある(アイシュワリヤー本人が演じているかどうかは分からないが)。
| ● |
|
● |
|
 |
|
| ● |
ベンガル人未亡人を演じる
アイシュワリヤー・ラーイ |
● |
この映画のテーマは、インドの寡婦問題である。夫を亡くした女性は、サティー(焼身自殺)を強要されたり、一生白い衣服しか身に付けれなかったり、家族から「不吉な存在」として疎まれたりと、人間としての尊厳を全く失ってしまう。主人公のビノーディニーは、英語教育を受けた教養のある女性で、未亡人に対する抑圧をはねのけて、自由を求めて大胆な行動をする。一方、インドの伝統に従って教育を受けてこなかったアーシャーラターは、ただ夫に尽くすことしか知らず、最終的に夫のマヘーンドラにも親友のビノーディニーにも裏切られることになる。
寡婦問題と平行して、映画中では高揚するインド独立運動の一端を垣間見ることができる。インドの未亡人の自由獲得と、インドの独立を平行して描写している。最後にビノーディニーに裏切られたビハーリーは、独立運動に身を捧げることになる。
ちなみに、題名の「Chokher Bali」とは、ベンガリー語で「眼の中の砂」という意味で、主人公ビノーディニーのニックネームである。
原作を読んだことはないが、おそらくこの映画は原作の一行一行に忠実に従って映画化された作品だと思う。セリフはいかにも小説的で難解。ストーリーの進め方も小説っぽい技巧的な展開。言語が理解できず、しかも字幕に追いつけないと、何が何だか分からなくなる。
2月25日はビートルズの元メンバー、ジョージ・ハリスンの誕生日である。その2月25日に、ジョージ・ハリスンのスィタールの師匠であり、親友でもあるラヴィ・シャンカルが、娘のアヌーシュカー・シャンカルと共にコンサートを行うという広告が新聞に載っていた。エントリーは招待状のみ(つまり無料)で、チャーナキャープリーにあるラヴィ・シャンカル・センターで配布されている、と記述されていた。
デリーに住み始めて以来、カタックの巨匠ビルジュ・マハーラージ、オリッスィーの巨匠ケールチャラン・モハーパトラ、タブラーの巨匠ザーキル・フサイン、サロードの巨匠アムジャード・アリー・カーン、声楽の巨匠ギルジャー・デーヴィー、ガザルの巨匠ジャグジート・スィンなどなど、インド古典芸術界の巨匠たちの生の公演をほとんど無料で体験して来た。しかし唯一、世界中で高い評価と知名度を誇っている、スィタールの巨匠ラヴィ・シャンカルの公演だけは体験したことがなかった。噂によるとラヴィ・シャンカルは高齢で体調がよくないらしく、もたもたしていると二度と彼の生演奏を聞けなくなってしまう可能性もある。だから何が何でも聞きたかった。
今日は朝からチャーナキャープリーへ行って、ラヴィ・シャンカル・センターを探した。予め地図で大体の位置の見当をつけておいたのだが、そこは全くの外れで、それからチャーナキャープリー中をあっちこっち彷徨うことになった。チャーナキャープリーは各国の大使館が集中している地域で、セキュリティーも厳しい。先日デリーの監獄から脱獄した、プーラン・デーヴィー殺害犯シェール・スィン・ラーナーの捜索網を敷いているためか、いつもよりも警察の数が多かった。そんな中、ふらふらとバイクで彷徨うのは余計なトラブルに巻き込まれそうで嫌だった。
迷いに迷った挙句、やっとラヴィ・シャンカル・センターを発見。かなり辺鄙な場所にあり、ジーザス&メリー大学の裏だった。しかし、招待状は既に完売、というか完配されており、そっけなく門前払いをくらった。今回もラヴィ・シャンカルは見逃すことになるか・・・。まあ次の日がテストなので、行けなくてもものすごく残念なわけではないが、ラヴィ・シャンカルの生スィタールを聞かないことには、デリー留学を完了することはできない・・・。
その後、1週間前に引き続き再度ワールド・ブック・フェアへ行って本を買い漁った。そして夜には今週から公開のヒンディー語映画「Tum?」をチャーナキャー・シネマで見た。マニーシャー・コーイラーラーが主演している映画である。僕の周りにはなぜかマニーシャー・ファンが多く、まだ見てないうちから映画の感想を求められるので、なるべく早く見ておこうと思った。
「Tum?」とは「お前が?」という意味。監督はアルナー・ラージェー(女性監督)。キャストはマニーシャー・コーイラーラー、ラジャト・カプール、カラン・ナート、ネータンニャー・スィン、アマン・ヴァルマー。
| ● |
|
● |
|
 |
|
| ● |
マニーシャー・コーイラーラー(左)と
カラン・ナート(右) |
● |
| Tum? |
大企業の社長ヴィノード・グプター(ラジャト・カプール)は、妻カーミニー(マニーシャー・コーイラーラー)と18回目の結婚記念日を祝うためにモーリシャスでのバカンスを用意した。ヴィノードは仕事で忙しく、カーミニーは先にモーリシャスへ行って彼を待っていた。しかしヴィノードは結婚記念日の前日まで仕事をしていた。カーミニーは寂しい気持ちでいっぱいだった。
モーリシャスでカーミニーは、ジャティン(カラン・ナート)という若者と出会う。ジャティンはカメラマンで、カーミニーに「写真を撮らせてくれ」と言い寄り、次第にカーミニーも彼に心を開くようになる。しかしジャティンと夕食を共にしたカーミニーは泥酔し、翌日目を覚ましたときにはジャティンが横に寝ていた。典型的なインド人女性だったカーミニーは、自身が犯した罪を自分で責める。その日の夕方、ヴィノードはモーリシャスに到着する。カーミニーは昨夜起った出来事を夫に話すことができず、一人罪の意識に苛まれることになる。カーミニーはもう2度とジャティンと関わりたくなかったが、ジャティンは何食わぬ顔で彼女たちの前に現れ、ヴィノードと名刺交換をした。
ムンバイーに帰ったヴィノードとカーミニーは、再び日常生活を送っていた。2人の間には息子と娘もおり、幸せな家庭を築いていた。しかしその幸せを打ち破る電話がかかった。ジャティンからの電話だった。ジャティンはあの夜以来、カーミニーのことが忘れられなくなっていた。ジャティンは、あともう一度だけ会って欲しいと頼み込む。カーミニーはもちろん受け容れなかったが、ジャティンはヴィノードにも電話をして、また何食わぬ顔で彼らの家を訪問する。カーミニーの娘のプリーティはすっかりジャティンのことが気に入ってしまい、自分をモデルにして欲しいと頼む。
一方、ジャティンにはトップ・モデルのイーシャー(ネータンニャー・スィン)という婚約者がいた。イーシャーはモーリシャスから帰って以来ジャティンの様子がおかしいことに気付き、何があったのか問いただす。イーシャーは、ジャティンがカーミニーと寝たことを知って激怒し、カーミニーに怒りの電話をかける。ジャティンからの誘惑の電話と、イーシャーからの怒りの電話に悩まされ、次第にカーミニーはヒステリーに陥っていく。そんな母の変化を敏感に感じ取っていたのは、息子だった。
遂にジャティンは最終手段に出る。ジャティンはカーミニーに、「俺ともう一晩一緒に寝ろ、そうでなければプリーティを犯す」と伝える。プリーティはジャティンに写真を撮ってもらうために彼の待つ家へ行く。動転したカーミニーを見て、息子はプリーティを尾行し、カーミニーもその後を追い、ヴィノードもまたその後を追う。また、イーシャーもジャティンの友人ラリトを連れてその家を訪れる。
イーシャーがその家に入ったとき、そこにあったのはジャティンの死体だった。自殺か?他殺か?他殺だとしたら、いったい誰が殺したのか?ユースフ刑事(アマン・ヴァルマー)がやって来て事件の調査を行う。ユースフはすぐにジャティンとグプター家とのつながりをつきとめ、彼らの家を訪れる。グプター家には、「弁護士が来るまで何もしゃべらない」と主張するヴィノード、ただ震えるカーミニー、傷だらけの息子、泣きじゃくるプリーティがいた。カーミニーは、自分がジャティンを殺したと自供するが、ユースフはそんな単純な事件ではないと推測した。ユースフはグプター一家とイーシャー、ラリトを事件現場に呼び寄せ、一人一人の説明を聞く。結局真犯人は思わぬ人物であった。 |
 |
  |
  |
  |
  |
  |
  |
  |
  |
  |
最初はインド映画特有のストーカー恋愛モノかと退屈な思いで見ていたが、最後の30分で突然サスペンス映画に急変し、なかなか面白い結末になっていた。何よりマニーシャー・コーイラーラーが好演しており、マニーシャー・ファンは必見の映画だと感じた。ただし、最初の2時間は、インド映画の平均レベルを越えたベッド・シーンの他には退屈極まりないで、途中で席を立たないように辛抱強く鑑賞してやらなければならない。
ストーリーの結末は、あらすじに敢えて入れなかった。ある意味意外な結末だし、ある意味予想できた結末だ。だが、いきなりジャティンが殺されてしまうのには驚いた。ジャティンが死んで終わり、という終わり方は十分あり得たが、ジャティンが死んだところからこの映画の本編が始まっているような感じで、不意打ちをくらった。ストーカー恋愛映画から一転して刑事サスペンス映画
|