スワスティカ これでインディア スワスティカ
装飾上

2004年4月

装飾下

|| 目次 ||
分析■1日(木)エイプリル・フール
生活■1日(木)講演「インド映画のすすめ」
映評■2日(金)Murder
映評■5日(月)Meenaxi:Tale of 3 Cities
分析■8日(木)デリー大地震の予感
言語■10日(土)ムンバイヤー・ヒンディー講座
分析■13日(火)インドはひとつか?
映評■14日(水)Masti
分析■15日(木)デリー大地震の予感2
分析■15日(木)ムガル皇帝の末裔は今・・・
分析■15日(木)日本人人質解放
映評■16日(金)Krishna Cottage
競技■17日(土)インド代表、テスト・シリーズにも勝利
分析■18日(日)コピープロテクトCD
分析■18日(日)Bill Chahta Hai
分析■20日(火)デリーの遺跡の怪談
分析■22日(木)下院総選挙開始


4月1日(木) エイプリル・フール

 インドに来てからというものの、僕は毎年4月1日を楽しみにしている。4月1日といえばエイプリル・フール。嘘をついても許される日である。その日にインドで何が起こるかというと、デリー・タイムズ・オブ・インディア紙などの新聞に嘘記事が載るのでである。これでインドに住み始めてから3回目のエイプリル・フールであるので、そろそろインドのエイプリル・フール評論家を名乗ってもいいかもしれない。さて、今年のエイプリル・フールはどんな記事が載ったかな、と1日付のデリー・タイムズを見てみると・・・う〜ん、案外楽しくなかった。というか、嘘の記事なのか本当の記事なのかよく分からない微妙な記事が多くてがっかりした。その中で最も楽しかったのは、ムシャッラフ大統領来印の記事である。もちろん内容はデタラメなので信じないでもらいたい。でもデリーの実在のレストランなどが出てきて面白かった。

ムシャッラフ大統領の新しい「K」
 印パの関係改善を受け、パーキスターンのパルヴェーズ・ムシャッラフ大統領がラーホールからデリーまで一般のバスに乗って来印し、現在デリーにおいて親善ツアーを行っている。ムシャッラフ大統領の行動は印パ関係改善を大きく進展させる突破口として歓迎されている。

 インド人民党(BJP)の報道官によると、ムシャッラフ大統領は、4月6日にデリーで行われるインド人民党(BJP)結成25周年式典に招待されてインドを訪れた。国境の町ワーガーでラーホール〜デリー間を結ぶバスに乗ったムシャッラフ大統領は、3月30日、デリーのアーンベードカル・バスターミナルにおいてABヴァージペーイー首相、LKアードヴァーニー副首相、シヴ・セーナーのバール・タークレー党首ら政治指導者たちに出迎えられた。しかしながら、国民会議派の指導者たちは欠席が目立った。ある会議派指導者は、「ムシャッラフ大統領はソニア・ガーンディーを表敬訪問する予定だ」と述べた。

 30日の朝、ムシャッラフ大統領はチャーンドニー・チャウクにある自身の旧家を訪れた。その後、大統領はジャーマー・マスジド近くにあるレストラン、カリームを訪れた。パーキスターン大使館の報道官は、「今回の旅行で『K』のつく言葉はカバーブだけだ。ムシャッラフ大統領とヴァージペーイー首相は、今回はカシュミール問題を取り上げないことで合意した」と明らかにした。

 カリームでのルーマーリー・ローティー、マトン・バッラー、脳みそカレー、ナルギスィー・コーフター、シャーミー・カバーブなどの豪華なランチの後、ムシャッラフ大統領は大統領官邸で行われた行事に参加した。各界の著名人が出席した中、ムンバイーからは女優のアイシュワリヤー・ラーイが駆けつけ、ムシャッラフ大統領と印パ合作の映画の可能性について話し合った。

 大のクリケット・ファンであるムシャッラフ大統領は、その後ヴィジャイ・マッリヤ上院議員(キングフィッシャー・ビールで有名なUB社の社長)の主催するパーティーに出席し、クリケットについて大いに語り合った。パーティーに出席した男優のスニール・シェッティーは「私自身も大のクリケット・ファンだから、私はすぐにムシャッラフ大統領と仲良くなることができた。私たちは、現在パーキスターンで行われているクリケットの試合が、両国の関係を正しい方向へ導く重要なステップであることに合意した」と述べた。

 ムシャッラフ大統領は今日4月1日、アショーカ・ホテルにおいてAPJアブドゥル・カラーム大統領主催の昼食会に出席する予定である。情報筋によると、ヴァージペーイー首相はムシャッラフ大統領を首相官邸に招待し、よりプライベートな夕食会を行うことを希望している。現在、セントラル・コテージ・エンポリアムは、ムシャッラフ大統領にふさわしい贈答品の準備をしている。外務省官僚は、「親善の意を表すため、インドのクリケット・チームのワンデイ国際マッチのユニフォームを贈ることを考えている」と述べた。ムシャッラフ大統領がインドを離陸する4月7日には、印パの関係が飛躍的に進展することが期待されている。

 他に、アーミル・カーンが「1857:The Rising」の後の出演作として、「Aks」のラーケーシュ・メヘラー監督の「Rang De Basanti/Paint It Yellow」の出演にサインした、という記事があったが、一体本当の記事なのか嘘の記事なのか判別ができなかった。また、マハートマー・ガーンディーのひ孫にあたるトゥシャール・ガーンディーのインタビューもあったが、これもおそらく冗談の記事ではないと思う。

 タイムズ・オブ・インディア紙以外では、インディアン・エクスプレス紙の地方版エクスプレス・ニュースライン紙がエイプリル・フール関連の記事を載せていた。記事というより写真にセリフをくっつけた1コマ漫画みたいなもので、インドの日々のゴシップに精通していないと理解するのが難しいものばかりだった。以下、そのセリフと解説。

●ヴィヴェーク・オーベローイ曰く「サッルー(サルマーン・カーンの愛称)、俺はお前の言うとおりにするよ。今日からアイシュワリヤーは俺の姉妹さ。」つまり、アイシュワリヤーの昔の恋人だったサルマーンに対し、現在の彼女の恋人であるヴィヴェークが、「アイシュワリヤーをお前に譲るよ」と言っている。ありえなさすぎる・・・。

●アイシュワリヤー曰く「次の映画で私はサルマーン・カーンに17回キスをするわ。」17回という回数が何を意味するのかは分からない。

●ムシャッラフ大統領曰く「この世界はひとつの花嫁、花嫁の額のビンディー、私のインド、私の愛するインド・・・」写真は3月16日にパーキスターンのラーワルピンディーで行われた印パのワンデイ国際マッチ第2試合のときのもの。ムシャッラフ大統領はスタジアムに軍服で観戦に訪れ、ヒトラーよろしく群集の前で手を挙げた。

●アーユルヴェーダ化粧品の女王シェヘナーズ・フサイン曰く「国会は過剰な衣服の着用を禁止する法律を通すべき。」彼女は異常なほど衣服に凝っているのだろう。

●筋肉派男優サニー・デーオール曰く「犬畜生!お前の血を飲んでやるもんか、代わりに献血してやるぜ。」何だか笑えるセリフ。

●ファッション・デザイナーのローヒト・バル曰く「僕が唯一好きなパーティーは、ポリティカル・パーティー(政党)。」おそらくパーティー好きなのだろう。

●2004年ミス・インディアに輝いたタヌシュリー・ダッター曰く「子供たち!世界平和!そんなことどうでもいいわ。私がここにいるのは名誉のため、お金のため、そしてハニーのため。」そのまんまですな。

●Mr.キングフィッシャーのヴィジャイ・マッリヤ上院議員曰く「ビキニ着用は禁止されるべきだ。特に女性に対して。」多分、ビキニを着たインド人女性の写真付きのキングフィッシャー・カレンダーのことを風刺しているのだと思う。

●クリケット界のヒーローかつカーマニアのサチン・テーンドゥルカル曰く「ダブル・センチュリー?個人の記録は俺にとって、俺のフェラーリの関税が免税されることと同じくらい取るに足らないことだ。」テストマッチ第1試合のバッティングにおいて、サチンは196ランを稼いだ。あと4ラン足らないところで、デクラレーション(宣言:クリケットのルールが分からないと分からないだろう)されて、惜しくもダブル・センチュリー(200ラン)を逃した。今でもその問題が尾を引いている。そのことをサチンのカーマニアぶりと共に風刺している。

●元ミス・インディアかつ元水泳チャンピオンかつ映画女優かつ社会活動家のナフィーサ・アリー曰く「私は他の写真のためにポーズを取らないわ。」ちょっと意味不明。

●ボリウッド界のカリスマ、アミターブ・バッチャン曰く「次にアマル(国会議員)が最前列を私のために求めたら、みんなの前で怒鳴ってやる。」アミターブ・バッチャンと、社会主義党のアマル書記長が2月にドゥバイで行われたZEE映画賞授賞式の会場に共に姿を現した際、2人のために用意された席は「I」列(最前列から9列目の席か)だった。それを見たアマル・スィンは激怒し、「私がこんなに後ろの席とは何事だ」と言って、アミターブと一緒に会場を去ろうとした。それを見た主催者や、出席していたシャールク・カーンは急いで2人を引き止めてとりなし、VIP席へ案内した。アミターブ・バッチャンは終始黙っていたという。この出来事のことを風刺しているのだろう。

 ・・・全体的に意味不明かひねりが足らないものが多かったように思えた。今年のエイプリル・フールはイマイチだ。

 と思っていたら、面白いエイプリル・フール記事を発見した。4月1日付けのタイムズ・オブ・インディア紙の一面である。デリー・タイムズではなく、タイムズ・オブ・インディア本紙の方だ。今までエイプリル・フール記事は、本紙の方ではなく、オマケで付いてくる地方版の方に載っていたのでノーチェックだったが、よく見たら本紙の方にまで嘘記事が載っていた。ということは、エイプリル・フール記事の悪ふざけは減少したのではなく、むしろ増大したということだろう。その記事は以下の通りである。

ムシャッラフ大統領とヴァージペーイー首相がラーホールでクリケット対戦
 ムルターンにおいてインドのクリケット・チームはパーキスターンに対し歴史的勝利を収めたが、印パの平和プロセスはラーホールにおいて新展開を向かえることになりそうだ。外務省の情報筋によると、パーキスターンからヴァージペーイー首相に対し特別招待状が届き、ラーホールにおいてヴァージペーイー首相がバッティングをし、ムシャッラフ大統領がボウリングをするオーバー(回)が行われることが提案された(始球式みたいなものか)。

 外務省官僚は、「クリケットは印パの接着剤であり、この提案が実現すれば、印パの関係は劇的に改善されるだろう」と述べた。

 このニュースは正に青天の霹靂だが、それほど非現実的な提案ではない。野球が国民的人気を誇る米国では、大統領が始球式を行うことは珍しくない。スポーツが外交で重要な役割を果たしたこともある。かの有名なピンポン外交は、1960年代の中国と米国の関係を改善し、資本主義のチャンピオンと共産主義のドラゴンが手を結ぶきっかけを創出した。

 このアイデアは、パーキスターン人とインド人の頭脳集団が、どうやったら現在のインド代表のパーキスターン遠征をさらに友好的なものにすることができるか、知恵を絞りあって考え出したものである。提案を聞いた両国の指導者は、平和と繁栄のための偉大な試合に、真のスポーツマンシップをもって参加することに同意した。79歳のヴァージペーイー首相は、バットを振ることが、ペンで詩を書くよりもさらに労力のいる仕事であることに気付くだろう。一方、元コマンドーのムシャッラフ大統領は、戦いこそが自分の本性であることを証明するだろう。カールギルとアーグラーにおいて、ムシャッラフ大統領は既にバンパーボール(投球後高くはずむボール)とグーグリー(変化球)の切れを披露している。しかしインディア・シャイニング(BJPの政治スローガン)も有効にボールに作用するだろう。

 果たして、ラーホールでの両首脳の対戦は実現するのだろうか?「印パ両国から既に確約を得ている。ヴァージペーイー首相は数年前にバスに乗ってラーホールへ行ったのだ。ガッダフィー・スタジアムのクリース(バッターボックスみたいなもの)まで歩くのくらいわけないだろう」と、外務省報道官のlirpA looF氏は語った。

 本紙1面に掲載されていた記事なので、こんなことが本当に行われるのかと驚きつつ読んでいたが、最後に「lirpA looF氏」と書いてあったので、嘘記事だと分かった。もちろんそれは、「April Fool」を逆さまにしたものである。デリー・タイムズでは飽き足らず、遂に嘘記事はタイムズ・オブ・インディア本紙の方まで進出して来たか!インドのエイプリル・フールからますます目が離せなくなった。・・・ていうか、こんなことする新聞、世界に他にあるのか???723万5000部の発行部数を誇る、世界有数の英字新聞なのだが・・・。

4月1日(木) 講演「インド映画のすすめ」

 今日はデリー日本人会婦人部ボランティア・グループに頼まれて、インド映画について講演を行った。上でエイプリル・フールについて書いたので、これも嘘の記事だと思われるかもしれないが、実は本当の話である。講演名は最初「手づかみインド映画、箸つまみインド映画」としたが、その後「インド映画のすすめ」に変更された。以下、その要約。ここで言う「インド映画」とは、基本的にヒンディー語映画だと考えてもらいたい。

 まずは2003年のヒンディー語映画界について概観した。調べてみたところ、2003年に公開されたヒンディー語映画の数は247本、その中でデリーで公開された映画は97本、そして1億ルピー以上売り上げた映画、俗に言うヒット映画は17本あったという(数字には誤差あり)。全公開数とデリー公開数に大きな開きがあることには驚いたが、おそらく映画祭のみに出品した映画も全公開数の内に入っているため、このような結果になったのだと思う。また、やはり首都デリーまで届く映画は、公開に値するものがある程度選りすぐられていることが予想される。次に、インターネットから2003年のヒンディー語映画興行収入を探し出し、それを元にして2003年の重要映画を振り返った。それが以下の表である。数字の単位は億ルピー。まだ公開中の映画も多くあり、実際の興行収入とは開きがあると思われるが、一応4位の「Munna Bhai M.B.B.S.」は2004年3月までの実際の興行収入。他の映画は1月あたりで算出した予想興行収入だと思われる。

興行収入
映画名 製作費 国内 海外 合計
Koi... Mil Gaya 3.0 9.0 1.0 10.0
Kal Ho Naa Ho 3.0 6.0 2.5 8.5
Baghban 1.2 4.5 1.5 6.0
Munna Bhai M.B.B.S. 1.0 2.3 1.5 3.8
Main Prem Ki Diwani Hoon 1.0 1.9 1.5 3.4
Chalte Chalte 1.2 1.8 1.5 3.3
The Hero 5.5 2.4 0.3 2.7
Line of Control 4.0 2.0 - 2.0
Andaaz 1.0 1.5 0.4 1.9
10 Qayamat 4.0 1.7 - 1.7
11 Bhoot 1.0 1.5 - 1.5
12 Hungama 0.7 1.4 - 1.4

 今年の興行収入トップ12を見てみると、良作映画が順当に金を稼いだと言える。「Kal Ho Naa Ho」よりも「Koi... Mil Gaya」の方が儲かったのには意外だった。前者は海外で反応がよく、後者はインド国内で特に受けた様子が上の表から分かる。「Baghban」「Munna Bhai M.B.B.S.」など、上位に食い込んでいる映画はどれも何らかの長所がある映画ばかりである。高い興行収入を得ても、「The Hero」「Line of Control」「Qayamat」の3本は、製作費が高かったために赤字となってしまったようだが、全体的に2003年の映画は比較的低予算で作られた上にそこそこの収入を得たものが多かったため、映画業界は潤ったようだ。

 次にインド映画の国際性について論じた。日本ではとかくインド映画を「マニアック」で「マイナー」なものと考えがちだが、実際世界を眺め渡してみると、案外いたるところでインド映画が見られていることが分かる。インド周辺の南アジア諸国は言うに及ばず、東南アジア、西アジア、中東、アフリカ、旧ソ連領、またインド系移民の多いフィジー、モーリシャス、トリニダード・トバゴなど、多くの国でインド映画が映画館で上映されるか、またはVCDなどで普通に鑑賞可能となっている。ハリウッド映画だけが世界の映画界を支配してると思ったら大間違いで、実はインド映画の方が圧倒的に多くの人々に支持されている可能性を指摘した。つまり、日本が世界の映画の潮流に乗っていないだけで、日本人が少数派なだけである。さらに極論すれば、人口1億の日本人が考えていることと、人口10億のインド人が考えていること、どちらが世界の主流派かといえば、民主主義の観点から言ったらインドに軍配が上がるに決まっている。現在の世界は、国内は民主主義、国際社会は階級主義、封建主義という状態が主流になっている。しかしいつか国際社会が完全に民主主義に移行したら、国の発言力は、その国の人口に比例する、という社会になるかもしれない(それが一番世界の民の民意を反映するだろう)。つまり、人口が多い国が勝ち、という時代がやってくるかもしれない。そのときの日本はおそらく高齢化社会が進み、老人ばかりの国になっており、人口も減少傾向にあるだろう。一方、インドは世界一の人口を誇る国となっているだろう。そう考えると、インドの未来は明るいような気がするし、日本の未来はより暗くなる。少なくとも現在インド映画を支持する人の人口は、日本の総人口よりも多いと容易に想像できる。多くの人が見ていればいい、というわけではないが、少なくともインド映画はマイナーなものではないし、マニアックなものでもないということが分かる。この発想の転換が、インド映画を再評価する際に重要だと思う。

 次に、インド映画をインドの芸術論から再評価する試みを提案してみた。バラトのナーティヤシャーストラから始まるラス理論を中心に、伝統的な芸術の観点をグン(長所)、ドーシュ(短所)、アランカール(装飾)、ラス(情感)、リーティ(様式)の5つとし、また芸術の目的をダルム(宗教)、カーム(性愛)、アルト(利益)、モークシュ(解脱)の4つだと述べ、それらをインド映画に当てはめてみた。まだ自分の中でも整理のついていない考え方なので、全てをここには書かないが、ラス理論とインド映画の関連だけは述べておこうと思う。

 インド映画には9つのラスがある、という説は既に日本では一般的になっている。元々バラタがラス理論を唱えたときはラスの数は8つだったが、後世の詩論家によって追加され、9つまたは10のラスが確立された。8つとした方が分かりやすいので、ここでは8つのラスとしておく。ラスというのは「情感」と訳されることが多く、「感情」と訳してしまってもいいと思うが、ただ気をつけなければならないのは、ラスは実生活で生じる種々の感情とは性質を異にする非現実的感情、芸術的感情であることだ。実生活で生じる感情は、スターイー・バーウ(基本的感情)と呼ばれている。スターイー・バーウもラスに対応する形で8つ提示されており、それを表にすれば以下のようになる。

スターイー・バーウ
(基本的感情)
ラス
(芸術的感情)
1.恋愛 ラティ シュリンガール アーナンド
(9つ目のラス、
シャーンティ)
2.喜笑 ハース ハーサヤ
3.悲哀 ショーク カルン
4.憤怒 クロード ラウドラ
5.勇猛 ウトサーハ ヴィール
6.恐怖 バイ バヤーナク
7.嫌悪 ジュグプサー ビーバッサ
8.驚嘆 ヴィスマイ アドブト

 悲哀の感情を例にとると分かりやすい。実生活で親しい人が亡くなった場合、人の心には悲しみの感情が沸き起こる。その感情は悲しいだけであって、それ以上のものでもそれ以下のものでもない。これがスターイー・バーウ(基本的感情)である。しかし、もし映画や演劇などを見ていて、主人公の親しい人が死んでしまった場合、観客にはどういう心の変化が起こるだろうか?おそらく悲しみの感情が沸き起こるだろう。しかしその感情は、実生活で沸き起こる感情とは性質を異にする。芸術から得た感情は、正の感情でも負の感情でも、必ず観客に満足感をもたらす。これがラス(芸術的感情)である。悲しい映画を見終わった後、観客は涙を流しているが、それは本当に悲しくて涙を流しているのではなく、芸術的悲しみを得て涙を流しているのであり、満足感や充実感と共に涙を流しているのである。専門用語を使えば、スターイー・バーウではなく、スターイー・バーウを基盤としたラスが沸き起こっているから、満足感を得ているのである。そうでなかったら、誰も悲劇を見に行かないし、悲劇を上演する意味がない。この芸術的満足感がアーナンドであり、後世の詩論家によって9つ目のラス、シャーンティ・ラスとされた。また、実生活で感情が豊かではない人、つまりスターイー・バーウに乏しい人には、芸術から得られるラスも少ないだろうし、アーナンドも生まれない。芸術の目的は、観客の感情にラスを生じさせ、最終的にアーナンドを生じさせることにある。もちろん、いろいろな人がいろいろな意見を述べているが、大雑把に説明すれば、ラス理論とはこのような感じだろう。

 ラスは実生活の感情とは異なる。非現実的な事象、自分とは直接関係のない事象からラスが生まれる。ということは、観客の心にラスを生じさせるためには、作品は非現実的なものでなければならない。観客の実生活の環境から遠ければ遠いほど、ラスは生じやすいことになる。一方、映画にもドキュメンタリー映画というジャンルや、実話を基にした映画、まるで現実であるかのような映画があるが、そういう作品からは観客にラスは生じにくいことになる。なぜならそのような作品で描かれる悲しみはフィクションではないから、観客の心に生じる悲しみはより現実に近いものとなる。よって、ラス理論からすれば、映画はフィクションでなければならず、観客の日常からかけ離れた非現実的なストーリーでなければならない。インド映画のストーリーや環境があまりインドの実態に即していないのは、ラスとアーナンドを大事にする伝統的芸術理論が影響しているのではないか?こじつけに近い考え方であることは十分承知の上だが、インド映画を伝統的芸術論から論じると、案外いろいろな答えが見つかるのではないかと最近考えている。

 その他、「映画は映画館で見るべし」というアルカカット的映画論や、インド映画の良作駄作を、映画を見る前に推測するテクニックなどを論じた。また、資料として現在活躍中のボリウッド俳優の厳選リストを作成して配布した。まだまだ90年代のヒンディー語映画黄金期に活躍した俳優たちが頑張っているが、徐々に新しい世代の俳優たちも活躍し始めている。だからこれから有望な新人もなるべく取り上げるようにした。

4月2日(金) Murder

 今日はムケーシュ・バット監督の新作ヒンディー語映画「Murder」をPVRアヌパムで見た。あまり注目していなかった映画だが、予想外に力の入った公開体勢だったため、最優先映画にランクアップさせて公開初日に見に行くことにした。平日には珍しくほぼ満席だった。

 監督はアヌラーグ・ボース、音楽はアヌ・マリク。キャストは「Inteha」のアシュミト・パテール、「Footpath」のイムラーン・ハーシュミー、「Khwahiish」のマッリカー・シェーラーワトなど。全員新人に近い若手俳優である。




マッリカー・シェーラーワト(上)と、
イムラーン・ハーシュミー(下)


Murder
 スディール(アシュミト・パテール)とシムラン(マッリカー・シェーラーワト)は結婚して5年目の夫婦で、タイのバンコクに在住していた。スディールは実はシムランの姉ソニアと結婚してカビールという息子もいたのだが、姉はシムランの代わりに行った旅行先で死んでしまった。シムランは責任を感じ、姉の夫スディールと結婚し、カビールも自分の子供同然に育てることにしたのだった。ところがスディールはソニアを忘れることができなかった上に、仕事で忙しく、シムランのことをいつしか顧みなくなっていた。シムランは孤独な日、孤独な夜を過ごすようになった。

 偶然、シムランは大学時代の恋人サニー(イムラーン・ハーシュミー)と出会う。サニーは大学時代、シムランに手を出した男を半殺しにして服役していた。刑期を終えた後、サニーはシムランを追ってバンコクへ来たのだった。孤独だったシムランは、サニーと密会を重ねるようになる。同時にシムランは夫に冷たい態度をとるようになる。

 スディールは妻の態度が変わったことに気付き、探偵を雇うことにした。スディールは3日間ムンバイーへ出張に出掛ける。その間、シムランはサニーと情事に耽るが、その様子を探偵に盗撮される。しかし、サニーとの情事でカビールを幼稚園に迎えに行くことを忘れてしまい、それをきっかけに自分がしていた過ちに気付く。全てを無かったことにするため、シムランはサニーの家を訪れる。しかしそこにいたのは、サニーのガールフレンドで売春婦の女だった。シムランはショックを受けるが、自分こそが売春婦だったと自覚し、サニーに絶交を言い渡す。

 それと入れ違いに、探偵から妻の不倫の証拠写真を受け取ったスディールは、サニーの家を訪れる。そこで乱闘になり、スディールはサニーを殺害してしまう。スディールは死体を車で運んで林の中に埋める。

 ところが、すぐにサニーが行方不明になったことが明らかになり、警察がスディールの家を訪れる。また、スディールのもとには何者かから、彼が死体を埋めているところを撮影した写真が送られてくる。スディールは妻に、自分がサニーを殺したことを白状する。シムランは夫とカビールをインドへ逃がすことにし、彼らを空港まで送る。しかしスディールは妻を置いてタイを去ることができず、引き返してしまう。警察の追っ手が迫り、スディールとシムランは逮捕される。

 尋問でスディールとシムランは庇いあうが、スディールの罪が明らかになる。家に帰ったシムランを待っていたのは、なんと死んだはずのサニーだった。実はサニーは生きており、あの写真を撮ったのは売春婦の女だった。シムランは必死で逃げる。一方、警察は売春婦の女の尋問をし、サニーが生きていることを突き止める。それを聞いたスディールはシムランの身が危ないことに勘付き、留置所を脱走してシムランのもとへ走る。

 シムランはサニーから逃げ回っていたが、そこへスディールがやって来る。スディールとサニーは肉弾戦を繰り広げ、最後にサニーは警察によって射殺される。試練を乗り越えたスディールとシムランは、本当の名実共に夫婦となるのだった。

 前半からクライマックスの前までは、黒沢明監督の「羅生門」タイプの、登場人物の証言によって事実が二転三転する構成だった。警察の尋問による自供でストーリーは進むが、あらすじでは一本の筋が通ったストーリーに編集した。また、ストーリーを分類するならば、インド映画がなぜか好んで取り上げるストーカー恋愛もの+最近急増してきた不倫ものである。けっこうしっかりとストーリーを組み立てており、いい映画だと言うことができる。

 主演の3人は全員去年デビューしたばかりの新人だが、3人とも演技が素晴らしく、またそれぞれ個性があってよかった。イムラーンは、何となく気持ち悪い顔をしているのだが、それが幸いして気持ち悪い役が似合う。この映画でもシムランに異常な愛情を注ぐ危険な男を演じており、彼にピッタリだった。演技もうまい。アシュミト・パテールは知的な役、熱血漢な役、両方こなせそうな男優だと思った。今回はどちらの面も見せていた。なんとアミーシャー・パテールの兄弟とのこと。ヒロインのマッリカー・シェーラーワトは、おそらく現在のボリウッド界のセックス・シンボル、ビパーシャー・バスに取って代わるほどの魅力を持った女優だと思った。やはりビパーシャーと同じで肌の色が黒いのだが、それゆえにインド美人特有の妖艶な魅力がある。しかも、ミセスの役を押し付けるのはもったいないくらいまだ若いと思うので、これから急成長しそうな予感。「Khwahish」の他、彼女は「Jeena Sirf Merre Liye」(2002年)にリーマー・ランバーという名前で出演していたようだが、記憶にない。




新セックス・シンボル?


 この映画の最大の特徴は、インド映画の限界に挑戦した性描写である。最近露骨な性描写の映画がインドでも増えてきたが、この映画はさらに記録を塗り替えるくらいの激しい性描写だった。ベッド・シーンが多い上に、インド映画最高記録と思われる激しいディープ・キス・シーンがあり、「いいのか?」と心配になってしまった。

 バンコクが舞台のため、バンコクの風景がよく映っていた。僕が最後にバンコクへ行ったのは2000年だったと思うが、あの頃に比べてだいぶきれいになったな、と思った。BTSも映っていた。インド人にとってバンコクがどういう土地なのかは分からないが、けっこうインド人が住んでいるのだろうか。スディールはコンピューター・エンジニアの仕事をバンコクでしているという設定だった。

 この映画でひとつだけ難点を挙げるとすれば、セリフがちょいと臭いことだ。何年かぶりに大学時代の恋人サミーと再会したシムラン。サミーは彼女に電話番号を渡す。最初シムランはサミーに電話をする勇気がなく、電話をかけてもすぐに切ってしまっていた。しかしあるとき電話をかけると、サミーが出る。「ハロー?」しかしシムランは黙っている。サミーは言う。「シムラン?」シムランは黙り続ける。そこでサミーが言う。「俺はお前のこと全部知ってるんだ。お前の沈黙すら聞き分けることができるんだよ。」観客は大爆笑。こういう臭いセリフがいくつかあって、その都度インド人の若者は大笑いしていた。しかし、物語のクライマックス、サニーを射殺した警察が、2人に言った言葉はよかった。「結婚式に新郎新婦は火の回りを回って誓いを立てるが、それでは結婚は真の意味で成立しない。人生の炎(試練)を夫婦で共に潜り抜けたとき、夫婦は本当の意味で夫婦になるんだ。」このセリフで映画は終了し、観客からは拍手が起こった。このセリフだけで、いい映画に思われた。

 音楽はアヌ・マリク。アヌ・マリクの音楽はピンキリだが、この映画の音楽は普通のインド映画音楽とは違う独特のテイストがある。「Kaho Na Kaho」は、エジプトの歌手アマル・ディヤープの「Tamally Maak」というヒット曲のカバーで、パーキスターンのアミール・ジャマールが歌っている。

 「Murder」はヒンディー語とテルグ語の同時公開だそうだ。ストーリーはインド人にとっては新鮮だと思うし、性描写の激しさが相乗効果となって、僕の予想では、けっこうヒットするのではないかと思う。

4月5日(月) Meenaxi:Tale of 3 Cities

 今日はM.F.フサイン監督の自費製作映画「Meenaxi:Tales of 3 Cities」をPVRアヌパムで見た。M.F.フサインは画家で、過去に「Through the Eyes of a Painter」(1966年)と「Gaja Gamini」(2000年)の2本を監督している。既に年齢は88歳。こんな高齢でまだ映画を作ることだけでも驚きである。キャストはタッブー、クナール・カプール(新人)、ラグヴィール・ヤーダヴなど。音楽監督はA.R.レヘマーン。ちなみに「Meenaxi」とは「魚の目をした女性」という意味で、主人公の女性の名前。




タッブー(左)とクナール・カプール(右)


Meenaxi:Tale of 3 Cities
 ハイダラーバード在住で作家のナワーブ(ラグヴィール・ヤーダヴ)はスランプに陥っていた。同居していた妹が嫁いで出て行ってしまってから、彼の生活は荒れるばかりだった。長年愛用していた愛車ベーガムも故障してしまい、修理に出さなくてはならなかった。そんなとき、ナワーブは1人の不思議な女性ミーナークシー(タッブー)と出会う。ミーナークシーは、自分を主人公に小説を書くように頼む。ナワーブは、一切文句を言わないという条件の下、彼女を主人公に小説を書き始める。また、主人公の男性のモデルになったのは、ベーガムを修理に出した自動車修理屋の男(クナール・カプール)だった。彼はミュージシャンになる夢を持ちながら、自動車を修理する毎日だった。

 小説の舞台はジャイサルメール。ハイダラーバードからやって来たカーメーシュワル(クナール・カプール)は、ミーナークシー(タッブー)という女性と出会う。カーメーシュワルはミーナークシーと出会い、恋に落ち、そして・・・。しかしこの話はミーナークシーが気に入らず、全て燃やしてしまった。

 次にナワーブが書き始めた小説の舞台はチェコのプラハ。インド学を学ぶマリア(タッブー)は、インドからやって来たカーメーシュワル(クナール・カプール)と出会い、恋に落ち、そして・・・。やはりこの小説もうまく進まない。しかしその内、小説の中に現れたナワーブは、マリアに、現実の世界に出てきてくれ、と頼む。

 妹が嫁ぎ先からナワーブを訪ねて来ると、ベッドにはナワーブが横たわって息を引き取っていた。ナワーブの小説の世界の主人公だったミーナークシーは、彼が小説を書く前から現実の世界に現れ、彼に小説を書かせていたのだった。そして天国(?)でナワーブはミーナークシーと出会っていた。

 非常に詩的な映画。昨年「Tehzeeb」という映画があったが、あの映画にも増して詩を読んでいるかのような難解な映画だった。舞台はヒンディー語とウルドゥー語の揺りかごで、かつハイダラーバード藩王国の首都として栄えた文芸都市ハイダラーバード。主人公は常に詩を朗読しているような典型的文学者で、ヒンディー語というよりウルドゥー語を話す。作品の構成も現実の世界と小説の世界が入り乱れ、また幻想的なミュージカル・シーンが頻繁に挿入される。だから、あらすじを書くのにも苦労した。「Tehzeeb」と併せて、このような映画をガザル映画とカテゴライズしたい。ガザル映画の定義とは、登場人物がウルドゥー語を話し(つまりアラビア・ペルシア語彙を多用し)、詩の詠唱が映画中よく登場し、ストーリーがガザル詩のように一貫性がない映画のことを指す。

 映画が始まるとまず、ハイダラーバードの名所チャール・ミーナールが映し出される。ナワーブは不思議な女性ミーナークシーの頼みに従って、ラージャスターン州ジャイサルメールを舞台にした小説を書き始める。もちろんジャイサルメールでロケが行われており、中世とほとんど変わらぬ街並みと、中世とほとんど変わらぬ格好をした地元の人々は、それだけでCGを問題外とする臨場感がある。小説の主人公はカーメーシュワルとミーナークシー。砂漠の街を背景に燃え上がる恋。しかし2人の恋は最後まで書かれることなく、ミーナークシー自身に燃やされてしまう。次に書き始められたのは、チェコのプラハを舞台にした小説。これもやはりプラハでロケが行われている。ただ、タッブー演じるマリアがチェコ人というのは少し無理がある。チェコでもカーメーシュワルとミーナークシーの恋は燃え上がるが、やはり最後まで書かれることなく終わってしまう。ナワーブは小説を書くにつれて次第に衰弱していき、最後に息を引き取る。しかしナワーブは、幻想の世界でミーナークシーと出会い、「この世界も小説なのか?」と問いかける。この映画の副題は「3つの都市の物語」。3つの都市とはもちろん、ハイダラーバード、ジャイサルメール、そしてプラハである。ナワーブが書く小説の舞台としてジャイサルメールとプラハの物語が描かれたが、ハイダラーバードを舞台にしたナワーブの人生も、結局その物語の一話に過ぎなかったのだろうか。そして我々がいる世界もまた、誰かの書く小説の一部であり、我々もその登場人物に過ぎないのかもしれない。「マトリックス」をより文学的に魅せた映画だと感じた。

 主演女優のタッブーは、もはや安心して見ていられる優れた女優と言っていい。演技も申し分なく、ムスリム特有のヒンディー語の発音も何だかそそる(ヒンディー語には、ムスリムっぽい鼻から抜けるような発音というのがあると思う)。ただ、プラハのシーンで洋服を着たタッブーは・・・ちょっと駄目だった。ラグヴィール・ヤーダヴもベテランらしい演技。カーメーシュワルを演じたクナール・カプールは、モデルのようなスタイルと顔立ち。モデル体型のボリウッド女優が次第に増えてきたと思っていたが、その波は男優にも押し寄せている。日本でも人気が出そうな甘いフェイスをしている。そういえば映画中、監督のM.F.フサインも特別出演している。高齢なのに達者なことで・・・。




クナール・カプール


 A.R.レヘマーンの音楽もいくつか卓越したものがあり、ミュージカル・シーンも全体的に素晴らしかった。特にナワーブとミーナークシーが最初に出会うカッワーリー風の曲は、音楽、踊り共によかった。監督の本業は画家なので、色彩豊かなミュージカルが多かったように思う。

 「Meenaxi」は、インド映画の新しい潮流を感じさせてくれるような佳作だった。万人向けの娯楽映画ではないが、映画と詩を解する人にはオススメの映画である。ただ、監督はもう高齢であり、また寡作のため、次回作は期待できないかもしれない。助監督を務めた息子のオワイス・フサインが後を継いで、また素晴らしい映画を届けてくれることに大いに期待したいと思う。

 全然関係ないが、「ミーナークシー」という言葉を構成する「ミーン(miin:魚)」という言葉にはひとつのロマンがある。マドゥライにあるミーナークシー寺院でもなく、パハール・ガンジを牛耳るヒジュラーのボス、ミーナーちゃんのことでもない。「ミーン」である。辞書によると、「ミーン」という言葉はサンスクリト語起源とされているが、聞くところによると実際はドラヴィダ語族起源でサンスクリト語に借用された単語らしく、タミル語でも「魚」を「ミーン」という。インダス文明の遺跡から発掘されたインダス文字(未解明)から「魚」を意味する単語の子音が「m」と「n」であることが推定されており、インダス文明の担い手と南インドの民族であるドラヴィダ語族との関係が、「魚」という単語を通してうっすらと明らかになったという話を以前聞いたことがある。

4月8日(木) デリー大地震の予感

 デリーでは最近微震が相次いでいる。相次いでいるといっても、地震大国日本の比ではないが、今までこんなに地震が起こることがなかったので、少し心配している。というより、かなり心配している。

 記憶に新しい地震は、3月18日午後1:23に起こったマグニチュード2.7のもの。ちょうど昼ごはんを食べていたときに起こり、はっきりと揺れを感じた。しかしインドには日本と違って、電灯のひもなどがないため、揺れを視覚的に感じることが難しい。では何で揺れを計るかというと、ビズレリの水である。ある程度の生活レベルの家庭には、必ず飲み水用に20リットルの水のタンクがある。ビズレリという会社が普及させたので、一般的に「ビズレリ」と呼ばれているが、今は他の会社も参入している。この水を飲んでいれば100%安心、というわけでもないが、何となく安心のような気にさせてくれるだけでもありがたい存在である。ちなみに現在20リットルのボトルが50ルピー。電話をすると、肉体労働者がこの重たいボトルを手間賃なしでわざわざ家まで持って来てくれる。とにかく、地震が来ると、このボトルの中に入っている水が揺れるので、地震が来たことが分かるのである。この日の地震の震源地はITO(税務署)と報道されていた。税務署はオールド・デリーとニューデリーの境目あたりにある。しかし税務署が震源地の地震って・・・何だか暗示的だ。




インド家庭の地震計?
ビズレリの水


 さらに最近では、4月6日午前2:45にもデリーで地震が発生した。震源地はなんと遠く離れたアフガニスタンのヒンドゥークシュ山脈らしい。マグニチュードは6.3というから、かなり大きな地震だったと思われるが、インドでは被害は報告されていない。真夜中突然ベッドが揺れたので飛び起きた。余震の次に本格的な地震が来るか、と身構えていたが、どうやら単発で済んだようだ。

 この他にもデリーでいくつか微震が相次いでいるらしく、インド気象庁はデリー各地に地震計を増設することを決定した。今の設備では、マグニチュード2以下の地震は測定が難しいらしい。もっと地震計の数を増やすことにより、微震の測定が可能となるようだ。

 こうなってくると、もしかしてもうすぐデリーに大規模な地震がやって来るのではないかと不安になる。気象庁も、「地震計の増設は、大地震が迫っていることを意味しない」と言いつつも、その可能性を完全に排除していない。地震発生の可能性を数字で示した4段階の指標があるが、デリーはゾーン4にあたるそうだ。つまり、最も地震発生の確率が高い地域である。ちなみに2001年1月26日に発生した地震の震源地となったグジャラート州カッチ地方も、ゾーン4となっている。

 インド気象庁のウェブサイトによると、1800年から2001年までの200年間にインドで発生したマグニチュード5以上の地震の分布図は以下の通りとなっている。


 この分布図を見ると、インド亜大陸がユーラシア大陸をグイグイと押し上げている様子が明らかになる。世界一の高さを誇るヒマーラヤ山脈が、昔は海の底であったことは有名な話だ。インド亜大陸がユーラシア大陸を圧迫したため、ヒマーラヤ山脈が隆起し、今でも各峰はさらに高くなっているという(ただ、エベレストなどの山ほど高くなると、風などの影響によって頂上が削られるため、もう標高は限界まで来ているそうだが)。ヒマーラヤ山脈の他にも、インド亜大陸を囲む赤い丸の連なりが、そのまま現在では山脈となっていると言って過言ではない。分布図を見ていると、その内ミャンマーとスマトラ島が地続きになるかもしれない、と思えてくる。ちなみに200年の間、3383回のマグニチュード5以上の地震が発生したそうだ。デリーを見てみると、周辺地域で過去に地震が発生している上に、地震多発地帯のヒマーラヤ山脈に近いため、やはりけっこう地震とは縁の深い地域であることが分かる。

 とは言いつつも、デリーの建築は全く耐震など考えられていない。おそらくマグニチュード6くらいの地震が発生したら、デリーの建物はきれいさっぱり消えてなくなるだろう。そうなった場合、相当な死者が出ることは必至だ。レンガ造りの4階5階建て家屋が立ち並ぶ低級住宅地は壊滅的だろう。それとも隣り合った家同士がお互いに支え合って地震をしのぐだろうか。地震が起きたときに案外一番安全なのは、一階建ての家屋が多いスラム街ということになるかもしれない。考えただけでも身の毛がよだつ、デリー大地震の予感・・・。

4月10日(土) ムンバイヤー・ヒンディー講座

 ムンバイーはマハーラーシュトラ州の州都で、マラーティー語圏であり、またインドの中でも最も英語の通じる都市ではあるが、ヒンディー語もよく話されている。しかし彼らの話すヒンディー語は北インドのものとは少し違うため、「ムンバイヤー・ヒンディー」と言われている。ヒンディー語映画は主にムンバイーで作られているため、映画の中にもムンバイヤー・ヒンディーが入り込むことが多い。しかしその中でも、ムンバイヤー・ヒンディーの名手として知られる(?)のが、我らがサンジャイ・ダットである。

 サンジャイ・ダットは職業柄(?)マフィアの役をすることが多いのだが、そのときの彼が話すヒンディー語は、デリーのヒンディー語とはかなり違う、聴き取るのが困難なほどコテコテのムンバイヤー・ヒンディーである。それは、東京の人が大阪弁を聞くときに感じる感覚と似ていると思う。何となく言っていることは分かるのだが、それを真似しようと思うとけっこう難しい。最近の映画では、「Munna Bhai M.B.B.S.」という映画でサンジャイ・ダットが自慢のムンバイヤー・ヒンディーを披露していた。題名からして、「バーイー(bhai)」という言葉はムンバイヤー・ヒンディーの一種である。元々その単語は「兄弟」という意味で、日常会話でもよく使われるが、ムンバイヤー・ヒンディーの文脈で使われると、「マフィアのボス」みたいな意味になる。つまり、「バーイーをしている」というと、「マフィアのボスをしている」という意味になる。「ムンナー・バーイー」と言ったら、「ムンナーお兄さん」という牧歌的な意味合いではなく、「ムンナー兄貴」とか、「極道ムンナー」みたいな恐ろしげな意味になる。そういえば日本語でも「兄貴」という言葉が、時として似たような意味に使われることがある。

 かなり前のことになるが、3月13日のデリー・タイムズ・オブ・インディアに、冗談記事として、ムンナー兄貴へのインタビューが掲載されていた。ちょうどその頃は、クリケット・インド代表がパーキスターンへ遠征し、第1試合目を行う日だったので、トピックはインド対パーキスターンの試合である。ムンナー兄貴は典型的なムンバイヤー・ヒンディーを話しており、参考になったのでとっておいたのだが、忘れてしまいそうなので、ここらで日記にも載せておく。よって今回の日記は、一応対訳、解説を載せておくが、主にヒンディー語が分かる人向けである。ムンバイヤー・ヒンディーには英語の単語も多く混じること、またムンナー兄貴は映画に従い、現在では医者をしていることを念頭に読んでもらいたい。




ムンナー兄貴


題名:Bole to, apun Pakistan ko Mamu bana dega
意味:はっきり言って、パーキスターンを餌食にしてやるぜ。
解説:■「bole to」という言葉はムンナー兄貴の口癖。直訳すれば「言ってみれば」みたいな意味だが、あまり意味はなく、文の前によく挿入される。「ええっと」みたいな意味ともとれる。■「apun」はムンバイーのヒンディー語の特徴のひとつ。「オレは」という意味。■「Mamu」とは「母方の叔父」という意味。よって、「〜ko Mamu bana dega」は直訳すれば「〜を母方の叔父にする」という意味。しかしムンバイヤー・ヒンディーでは「Mamu」は、恐喝するときなどに相手に対して呼びかける言葉で、例えば「ヘイ、マームー、金を出せ」みたいな使い方をする。よって、上の文は「〜を餌食にしてやる」みたいな意味になる。

質問:D-Day. India ka chance banta?
意味:運命の日です。インドが勝つチャンスはありますか?
ムンナー:Chanus ki baat bolta? Arre baap, apun Pakistan ke ilaaj ke liye prescription deta. Tension lene ko nahin mangta, unko tension dene ko mangta. Team ko Karachi halwa khane ka, phir bindaas batting-bowling karke unka hawa nikalne ka. Yaar, ek baar pet puja ho gaya, Inzy ka aloo bana denga kya?
意味:チャンスがどうしたって言うんだ?いいか、オレ様がパーキスターン対策のために処方箋をくれてやったんだ。心配する必要はないぜ、心配するのは奴らの方だ。チームはカラーチーのハルワー(お菓子)を食べて、最高のバッティング、ボウリングして、やつらの度肝を抜いてやるんだ。いいか、腹さえ膨らめば、インズィーをポテトにして喰っちまうさ。
解説:■「D-Day」とは、「Day of Declaration(大宣言の日)」という意味。■「Chanus」とは英語の「chance」が訛った言葉だと思われる。■「tension lene ko nahin mangta」ムンナー兄貴は「tension lena」という言葉をよく使う。否定形で使って、「焦る必要はない」とか「心配する必要はない」という意味になる。■「halwa」ハルワー。ギー、砂糖、ココナッツなどでできた甘いお菓子。■「Team ko 〜 khane ka」ムンバイヤー・ヒンディーでは、「(人)ko(動詞)ka」という慣用句がよく使われる。意味は「(人)が(動詞)をする」という意味。■「bindaas」という単語は辞書には載っていないが、俗語で「陶酔した」とか「素晴らしい」みたいな意味らしい。■「〜ka hawa nilakne ka」を直訳すれば「〜の空気を抜き出す」。「度肝を抜く」と訳しておいた。■「pet puja」は直訳すれば「お腹のお祈りををする」。食べ物を食べて空腹を満たすという意味。■「Inzy」とは、パーキスターン代表インザマームル・ハク主将の愛称。■「〜ka aloo bana denga」とは直訳すれば「〜のポテトを作る」。ポテト・カレーにして食べてしまうという意味だろう。

質問:Great idea baap! But they must also be having a game plan, na?
意味:グッド・アイデアですね!でもパーキスターン・チームもゲーム・プランを持っているでしょうね?
ムンナー:Mere dimaag mein ekdum superhit counter-plan hota. When Sourav ka team field mein huddle karega, then aapas mein jadu ki jhappi lene ka. Zor se gale milo, phir khelo. Is jhappi ka koi medical laabh abhi tak pata nahin chala, but isse strength jaroor milta hai.
意味:オレ様の頭には、飛びっきりスーパヒットなカウンター・プランがあるんだ。サウラヴのチームがフィールドに散らばったらだな、お互いに「魔法のハグ」をするんだ。力いっぱい抱き合って、それからプレイするんだ。この「魔法のハグ」の効能は医学的にはまだ証明されてないが、でもこれをすることで力が得られるんだ。
解説:■「ekdum superhit counter-plan」ムンバイヤー・ヒンディー使用の際は、大袈裟な英語を使うことがコツ。■「Sourav」とは、インド代表のサウラヴ・ガーングリー主将。■「jadu ki jhappi」とは、「Munna Bhai M.B.B.S.」で一躍有名となった「魔法のハグ」。お母さんのハグによってムンナー兄貴は魔法の力を手に入れ、また兄貴は患者や仲間にハグすることによって魔法の力を与えてきた。一部映画ファンの中では、「魔法のハグ」が大流行したとか。

質問:Shoaib Akhtar says India ko clean-bowled karega.
意味:ショエーブ・アクタルは、インド・チームをクリーン・ボールにしてやると言ってますが。
ムンナー:Phenkta hai saala. Jab se Sachin master-blaster ho gaya, ye Shoaib thought mujhe bhi kuch bolne ka. World Cup match mere dimaag mein action replay hota. Still, ye saala danger aadmi hai. But fikar nahin karne ka. Pahle set hona, phir uska operation karna.
意味:大口叩きやがって、あの野郎。サチンがマスター・ブラスターになってからというものの、ショエーブもなんかわめきたくてしょうがなかったんだろうよ。ワールド・カップの試合がオレ様の頭の中でリプレイされてるぜ。とは言っても、あの野郎は危険人物だな。でも心配する必要はねぇ。まずは落ち着いて、それから奴のオペをしてやろうじゃないか。
解説:■「Shoaib Akhtar」とは、パーキスターン代表の速球投手。■「Clean-bowled」ウィケットを倒して打者をアウトに取ること。■「saala」を直訳すると「嫁の兄弟」だが、ヒンディー語では悪口として使われる。「野郎」「畜生」みたいな意味。■「Sachin」「master-blaster」インド代表のサチン・テーンドゥルカルは世界的に有名な打者。「マスター・ブラスター」の称号を持つ。ショエーブ・アクタルとは宿敵の仲。■「World Cup match」2003年に行われたクリケット・ワールドカップのインド対パーキスターン戦では、サチンが大活躍してショエーブは赤っ恥をかいた。

質問:How can you, a doctor, come up with such a goofy idea?
意味:ドクター、どうやったらこんな突拍子もないアイデアが浮かんでくるんですか?
ムンナー:Apun ka style thoda hat ke hota. Is liye apun team ko bolta hai ki dimaag ko pocket mein rakho, dil se kaam lo.
意味:オレ様のスタイルはちょっとだけ人とは違うんだ。だからオレ様はチームに言ってるのさ、脳みそはポケットにしまって、心で仕事をしろってな。
解説:特になし。

質問:You going to Pakistan?
意味:あなたはパーキスターンへ行きますか?
ムンナー:Bole to, apun big cricket fan hai. But apun very busy hai, baap. But, bole to, team ko mera presence mangta to apun definitely jayenga. Mamu, ek baar apun wahan pahoonch raila to unka circuit fuse kara dega. Sab ki chhuti kar dega!
意味:はっきり言って、オレ様は大のクリケット・ファンなんだ。でもオレ様はとても忙しいんだ。だがな、チームがオレ様を必要とするなら、オレ様は必ず行くぜ。オレ様があっちへ行ったらだな、奴らの回線をフューズさせてやるぜ。全員休日にしてやるぜ!
解説:■「raila」ムンバイヤー・ヒンディー特有の補助動詞と思われる。標準ヒンディー語では「jaayegaa」あたりに置き換えるといいだろう。■「circuit fuse kara dega」とは直訳すれば「回線をフューズさせてやる」という意味で、そのまま翻訳したが、まあ「打ちのめしてやる」ぐらいの意味だろう。■「sab ki chhuti kar dega」も直訳すれば「全員休日にしてやる」という意味で、そのまま翻訳した。日本語では「病院送りにしてやる」あたりが一番近いかもしれない。クリケットの文脈で言えば、「全員アウトにしてやる」か。

質問:But it's already a chhuti there today!
意味:しかし向こうは既に休日ですよ!
ムンナー:Chal, chal hawa aane de. Kafi sar kha reela tum. Ab ja ke match dekh!
意味:ああ、そうかい、気にすんな。お前はだいぶオレ様をおちょくってくれるじゃねぇか。さあ、行って試合を見な!
解説:■「it's already a chuuti there today」パーキスターンは既に休日とのことだが、この日(土曜日)は印パ戦が行われるから休日なのか、それともこの記事が書かれた前日(金曜日)がムスリムの礼拝日で休日なのか、いまいちよく分からない。■「hawa aane de」とは直訳すれば「風を吹き込ませておけ」。「そのままにしておけ」という意味だろう。■「sar kha reela」とは直訳すれば「頭を食っている」。「reela」もムンバイヤー・ヒンディー特有の補助動詞で、標準ヒンディー語なら「lee rahaa hai」あたりに相当するだろう。「オレを馬鹿にしてくれるじゃないか」みたいな意味だろう。

 ムンナー兄貴の「魔法のハグ」が効いたのか、この日の試合にインドは勝利した。先日テストマッチ第2試合が行われ、パーキスターンが勝利を収めた。いよいよパーキスターン遠征最後の試合、テストマッチ第3試合がもうすぐ始まる。

4月13日(火) インドはひとつか?

 よくインドのトラックや自動車に「I Love India」とか「Hamaraa Bhaarat Mahaan(我らがインドは偉大なり)」などと書かれたステッカーが貼られていたりする。共和国記念日にデリーで行われるパレードや、愛国主義的映画などを見ると、インド人はインドを愛しているのだなぁ、とつくづく感じる。クリケットの印パ戦は、インド国民の心を一致団結させる大イベントである。一方、日本は過去の軍国主義の影響からか、愛国心が抑圧されている。だから、大っぴらに母国への愛を表明できるインドが少しうらやましい。

 しかし、インド人がインド人を仲間だと思っているかというと、それは複雑である。クラスメイトを見るとそれがよく分かる。

 僕が所属するジャワーハルラール・ネルー大学(JNU)ヒンディー語学科修士1年のクラスには30人弱の学生がいる。その内僕を含む4人は外国人である。インド人の構成を見てみると、ビハール州とラージャスターン州出身の学生が多く、残りはウッタル・プラデーシュ州出身の学生という感じだ。宗教別に見ると、1人のムスリムを除き全てヒンドゥー教徒である。

 表面上はクラスメイトのインド人たちは皆仲良くしているように見える。しかし彼らの間では、個人的な競争もあるとはいえ、特にテスト前などは出身地別の対立が露になってくる。やはりビハーリーとラージャスターニーが二大勢力なので、この間での沈黙の争いが熾烈である。具体的に何をするかというと、マテリアル(参考文献や教材など)などを隠したりするのだ。ヒンディー学科では、成績を左右するイベントが1学期に4回ある。クラステスト(中間テストみたいなもの)、セミナー・ペーパー(授業で一人一人発表する)、ターム・ペーパー(小論文)、期末テストである。それらをこなすにはマテリアルが不可欠なのだが、インドの大学ではその肝心のマテリアルを手に入れるのが一番難しい。JNUの図書館にあれば問題ないのだが、図書館にもなく、既に絶版になったような本が、平気で必読本に指定されていたりするから、学生たちは失われた書物を求めて、まるでゲームのように奔走しなければならない。もちろん教授の手元にはあるのだが、滅多なことでは貸してくれない。だから、「あの先輩が持っている」とか「あの図書館にある」などの情報を頼りに、一冊の本を求めてデリー中を駆け巡らなければならない。だから、入手困難なマテリアルを所有することは、権力の象徴に等しい。というわけで、図書館に一冊しかない本を借り出してテストが終わるまで返さなかったり、先輩からもらったマテリアルをずっと隠し持っていたりする奴らがいる。まさにブラーフマン階級が長年に渡って知恵と知識の独占によってインドの社会を支配してきたように、インド人たちはマテリアルを独占することによって、高い成績をゲットしようとする。独り占めするずるい奴もいるが、もし他の学生とシェアするなら、やはり出身地別のコミュニティーがひとつの単位となる。つまり、ビハーリーはビハーリー同士、ラージャスターニーはラージャスターニー同士、情報を共有するのである。

 実際、インド人はインド人である前に、何らかのコミュニティーに何重にも重複して属していると考えた方がいい。何らかのコミュニティーとはつまり、カースト、宗教、出身地などである。クラスメイトの動向を見ていると、彼らが一番気にするのはどうも出身地のようだ。言われているほど宗教間の対立は感じられない。2003年の大ヒット映画「Kal Ho Naa Ho」でも、グジャラーティーとパンジャービーの結婚に対する障害が少しだけ描写されていたが、異なる言語を話す異なる地域の人々の間には、低くはない壁が存在する。グジャラーティーはインド人である前にグジャラーティーだし、パンジャービーはインド人である前にパンジャービーである。また、同じヒンディー語圏でも、クラスで見られるように、ビハーリーとラージャスターニーの間には格差があるし、同じ州の中でも、さらに細かい分類があることもある。例えばビハール州北部のミティラー地方と、南部のボージプリー地方、マガヒー地方は違うし、ラージャスターン州にもマールワーリー、メーワーティー、マールヴィー、ハーラウティーの4つの分類がある。こうやって考えていくと、インドの社会というのは、インド哲学みたいに細分化された世界である。

 これだけ細分化されているので、違うコミュニティー同士はお互いあまり信頼しない。インドで生活していると、「あいつは〜(のコミュニティーの人)だから信用するな」と助言してくるインド人によく会う。「あいつはビハーリーだから」「あいつはスィンディーだから」「あいつはノースイーストだから」「あいつはムスリムだから」「あいつは南インド人だから」などなど、悪い性質を持ったコミュニティーに属しているから信用してはならない、という論調で人を排除しようとすることが多い。こういう考え方は、日本人には少し理解しがたい。確かに日本にもある程度地域別の結束があったり、学閥主義が残っていたりするが、だからといってその人の人格全てを否定するような論調は見られない。そういう状況を見ると、インドは未だにひとつにまとまってないように思えてくる。

 しかし、結局のところ、インド人はインド人しか信頼しない。これも真実である。日本人が日本人しか信用しないように、インド人もインド人しか信用していない。何かあったときに、インド人は外国人の味方よりもインド人の味方につくだろう。現在、国民会議派のソニア・ガーンディー党首の外国出身問題が選挙戦で再三取り上げられているが、あれも選挙の戦略とは言え、インド人の外国人に対する潜在的不信感の表れだろう。さらに言えば、インド人は白人よりもむしろパーキスターン人に親近感を持つ傾向もあると思う。海外では、インド人移民とパーキスターン人移民は仲良く生活しているとよく聞く。これは自分により近い存在を優先して考える、生物学的な本能によるものなのかもしれない。

 ところで、我がクラスにおける外国人の取り扱いだが、最初の内、外国人は慈悲の目で見られていたので、無条件にマテリアルを貸してもらえることが多かった。だが、4人ともけっこう頑張っており、教授たちから褒められることも多い。1学期の成績が既に発表されたが、外国人よりも低い点数だったインド人はけっこういた。そういうわけで、インド人たちは嫉妬の炎を燃やし始め、外国人にもマテリアルを隠すようになって来た。最近はだいぶヒンディー語でものを書くのにも慣れてきたので、マテリアルの不足を補うことも可能になってはいるが、やはりつらい。ただ、マテリアルが不足している分、自分で考えていろいろ書かないといけないのだが、かえってそれがまた教授に褒められたりすることもある。インド人はマテリアルの丸写しでレポートを書いたり、引用だらけのオリジナリティーのない論文を作成することが多く、ちょっと彼らの将来を危ぶんでいるのだが、やはり優れたマテリアルがあると、概して優れた論文を書くことができる。まあ僕は僕で、経済力(金)と機動力(バイク)にものを言わせて、ヒンディー・ブック・センターなどで必要な本を買い漁ったり、諜報力(インターネット)で情報を集めたりする優位性を持っているので、どっちもどっちなのかもしれない。

 もう一度、冒頭の問いに戻ってみる。インドはひとつだろうか?ミクロなレベルでいろいろな対立や相違はあるものの、やはりインドには何らかの統一性があると言っていい。最近、インド人民党(BJP)などを中心に「ヒンドゥー主義とはつまりインド主義である。ヒンドゥーとは、インドの心を持つ者全てを指す」という、インドの全コミュニティーを「ヒンドゥー」としてひっくるめてしまう考えが広まっている(確かに「ヒンディー」「ヒンドゥー」という言葉は西アジアなどでは「インドの」という意味で使われている)。「インドの心」というのが具体的に何を指すのか分からないが、確かにインド人には「インドの心」があるような気がする。そして「インドの心」はインドのみならず、南アジア全体を覆う概念のようにも思える。

4月14日(水) Masti

 今日は新作ヒンディー語映画「Masti」を見にPVRアヌパムへ行った。「Masti」はボリウッドの将来を担う若手の俳優が出演しているコメディー映画で、予告編を見たらなかなか面白そうだった。

 「Masti」とは「エンジョイ」みたいな意味。監督はインドラ・クマール。キャストは、アジャイ・デーヴガン、ヴィヴェーク・オーベローイ、アーフターブ・シヴダーサーニー、リテーシュ・デーシュムク、ラーラー・ダッター、アムリター・ラーオ、ターラー・シャルマー、ジェネリアなど。音楽監督はアーナンド・ラージ・アーナンド。




左からヴィヴェーク・オーベローイ、
リテーシュ・デーシュムク、
アーフターブ・シヴダーサーニー


Masti
 ミート、プレーム、アマル(ヴィヴェーク・オーベローイ、アーフターブ・シヴダーサーニー、リテーシュ・デーシュムク)は大学時代の仲良し3人組だった。大学卒業後、それぞれ結婚をして家庭を築いた。3人とも離れ離れになっていたが、3年後、3人はムンバイーで再会した。しかし3人とも妻のことで幸せではなかった。

 ミートは宝石屋を経営し、アーンチャル(ジェネリア)とラヴラヴの生活を送っていたが、あまりにラヴラヴ過ぎて、アーンチャルは30分に一度はミートに電話をかけるほどの極度な愛し方だった。学生時代はプレイボーイだったミートだが、結婚してからというものの妻にがんじがらめにされた窮屈な生活を余儀なくされていた。

 プレームは銀行員となり、信心深いギーター(ターラー・シャルマー)と結婚していた。ギーターはあまりに信心深すぎて、毎日夫のために寺院へ行き、断食をしているような女性だった。プレームは線香臭い生活を余儀なくされていた。

 アマルは歯医者になった。彼はプロレス一家の娘ビンディヤー(アムリター・ラーオ)と結婚し、毎日強制的に特訓をさせられていた。家庭での権限はゼロに等しく、毎日小遣い40ルピーをもらって細々とした生活を余儀なくされていた。

 久しぶりに再会した3人は、大学時代のマスティーを取り戻すため、浮気をすることを決意する。1ヵ月後に再会することを約束し、それぞれ浮気相手を探す。3人ともいろいろ失敗しながら、何とか浮気相手を見つける。そして1ヵ月後、3人は再会し、お互い浮気相手の写真を見せあう。すると、3人の浮気相手は同一人物で、モニカ(ラーラー・ダッター)という名前のセクシーな女性だった。そこへモニカが現れる。3人の浮気作戦をこっそり聞いていたモニカは、彼らを恐喝するために罠にかけたのだった。モニカは3人が自分と浮気しているところの写真を持っていた。もし妻に浮気をばらされたくなかったら、それぞれ100万ルピーずつ持ってくるように恐喝する。

 3人は何とか300万ルピーをかき集め、モニカの元へ持っていく。ところがモニカは何者かに殺されていた。驚いた3人は、モニカの死体を廃屋へ隠す。ところが死体はすぐに発見され、スィカンダル警部(アジャイ・デーヴガン)から疑われるようになる。

 ところが3人をさらに追い詰める男が登場した。彼は自らモニカを殺害したことを暴露するが、彼は3人はモニカの死体を運んでいる写真を持っていた。この写真を警部に渡してもらいたいくなかったら、300万ルピーを持ってくるように言う。再び3人は300万ルピーをかき集めなくてはならなくなる。先に集めた300万ルピーはアマルの家の金庫に保管してあったが、泥棒に入られて盗まれてしまう。

 3人は300万ルピーを集めることができず、その男に謝りに行く。ところがそこにスィカンダル警部が現れたため、4人は逃走する。しかしその際に誤って発砲してしまい、男は死んでしまう。3人の無実を証明できる唯一の人物が死んだことにより、3人の有罪は決定的となってしまう。

 警察署へ連行される3人。そこには3人の妻たちもいた。しかし突然妻たちは笑い出す。しかもその場には、死んだはずのモニカや例の男まで現れる。なんと全ては妻たちとスィカンダル警部が仕組んだことだった。ミートら3人が浮気を計画していることを偶然知った妻たちは、友人のモニカやビンディヤーの兄スィカンダルに相談した。そこでみんなでグルになって、ミートたちを懲らしめてやろうと計画したのだった。こうして夫婦円満となってめでたく終了した。

 最後のまとめ方が強引過ぎたが、それ以外は大爆笑の中にホロリとした涙のある佳作コメディー映画だった。最近、結婚後の浮気や不倫をテーマにした映画がボリウッドでは流行しているが(2003年の「Jism」から始まり、2004年の「Tum」「Hawas」「Murder」など)、どれも割とドロドロとした映画が多かった。しかしこの映画はそれをコメディータッチで取り上げ、なかなか成功している。どうも結婚前の恋愛映画は使い古されてしまったようで、インドの映画業界は結婚後のストーリーを模索し始めているように思われる。

 物語は、アマルの家に人々が集まってくるところから始まる。近くの茶屋では、「たった今、人生を歩み始めたばかりだったのに・・・なんて不幸な・・・」と近所の男たちが噂話をしている。若者が「その家で誰か死んだのか?」と問いかけると、「いや、アマルが結婚するんだよ」と答える。映画のテーマはまさにその一言に集約される。映画のポスターにも「結婚前の男は不完全、結婚後の男は・・・完全に破滅!」と書かれている。その後、いかに結婚が男にとって地獄であるか、3人の主人公ミート、プレーム、アマルによって描き出される。

 久しぶりに再会した3人は最初、いかに自分が幸せな結婚生活を送っており、いかに妻を尻に敷いているかを自慢し合う。しかしすぐに化けの皮ははがれ、3人とも地獄のような結婚生活を送っていることが明らかになる。プレームは、「家のダールばかり食べていたら男が駄目になる。たまには外のビリヤーニーを食べなければ!」と提案し、3人は各々浮気相手を探すことになる。しかしそのおかげで3人はモニカに騙され、殺人事件に巻き込まれ、鬼のように恐ろしいスィカンダル警部に睨まれ、さらに謎の男にまた恐喝され、とんでもない目に遭う。

 アマルの家に置いてあった300万ルピーが盗難に遭ったとき、スィカンダル警部は3人の妻の前で、彼らの犯行であることを主張する。しかし妻たちは、「私は夫を信じています」と言って、警部の言うことを信じない。それを見て、ミート、プレーム、アマルは、浮気をしようとしていたことを恥じ入る。全ては妻たちが仕組んだ計画だったことが発覚した後も、3人は怒りもせずに彼女たちに感謝する。それを見てスィカンダル警部は、「たまには家でビリヤーニーを食べさせなさい、そうすれば夫たちは外へ出ようとしなくなる」と言って一件落着となる。

 「Masti」は、現在のボリウッド界を引っ張る若手男優3人、ヴィヴェーク・オーベローイ、アーフターブ・シヴダーサーニー、リテーシュ・デーシュムクが本格的なコメディーに挑戦した作品となった。ヴィヴェークの人気は既に定着しており、アーフターブも次第に頭角を現しつつある。2人とも臆病で不運な夫の役を面白おかしく演じていてよかった。特にアーフターブは全裸シーンにも挑戦している。元マハーラーシュトラ州首相の息子リテーシュだけは、個人的に今まであまり認めていなかったのだが、この作品では今までで一番いい演技をしていたと思う。彼の目はギョロ目なので時々怖いのだが、こういう二枚目の役なら活路を見出せそうだ。

 一方、妻役の3人、アムリター・ラーオ、ジェネリア、ターラー・シャルマーは、上記の3人に比べたら活躍の場が少なかったため、それほど印象に残らなかった。恐怖の警官役を演じたアジャイ・デーヴガンはますます凄みが出てきて、このままハードボイルド路線を突っ走ることだろう。元ミス・ユニヴァースのラーラー・ダッターは、3人の男を罠にかけるセクシーな女性役だったが、まあそのまんまの役と言っていいだろう。ラーラーは妖艶すぎて、ちょっとインド映画の典型的ヒロイン役には向かないかもしれない。

 コメディー映画としては上出来。退屈なときに見るといいだろう。

4月15日(木) デリー大地震の予感2

 4月8日の日記で「デリーに大地震が来るのではないか」という記事を書いたが、今日のデリー・タイムズ・オブ・インディアに同じような内容の記事が載っていた。

 同紙によると、過去1ヶ月間、デリーにおいてマグニチュード1.6〜3の微震が合計7回発生したという。また、デリーは地震ゾーン4に指定されているが、それが意味するところはつまり、マグニチュード5.5〜6.8の地震が起こる可能性があるということのようだ。最後にデリーで大きな地震が発生したのは1960年。マグニチュードは6で、50人が負傷しただけだったという。しかし当時のデリーはまだ現在ほど人口や建物が密集していなかったために被害はそれだけで済んだようだ。現在のデリーは人口1400万人。もし前述のゾーン4レベルの地震が発生したら、70万人の人が死亡し、280万人の人が重傷を負うというデータが出ている。特に断層線のあるヤムナー河河畔の地域(中央デリー〜南デリー)が最も危険であるが、その地域はまさにインドの中枢機関が集中している地域でもある。ただ、「デリー市内に絶対に安全な場所はない」とされている。

 やはり最も懸念なのは、地震そのものによる死者ではなく、建築物の損壊による死者である。1993年9月30日にマハーラーシュトラ州ラートゥールで発生したマグニチュード6.3の地震は、何千人もの人々の命を奪ったが、同じ規模の地震が先進国で起こった場合の死者は2〜3人ほどだという。つまり、インドは建物が全く耐震を考えて作られていないのだ。もしデリーでラートゥール地震と同じ規模の地震が起こったら、デリーの全ての建物は倒壊するとまで言われており、その被害は2001年1月26日のグジャラート地震を遥かに凌駕する。問題は建築物に関する法律にあるのではなく、その法律の遵守がなされていないことにある。

 また、もし万が一デリーで大地震が発生したとき、災害対策も迅速に行われる保証はない。デリー政府に災害予防部が設置されたのはつい最近の2004年2月である。災害発生時には各機関が二次被害の防止に努めることになっているが、デリーは極度の縦割り社会かつ指令系統が複雑化しているので連携行動は非常に困難である。地震発生から6時間は、政府各機関がただ連絡を取り合うことだけに費やされると予想されている。

 唯一救いなのは、デリー市内の各町内会が自発的に災害のための対策を講じ始めていることだ。サーケート、スィーマープリー、ナーラーヤナー、マンダウリー、ブリジワーサンなどの町の町内会は、赤十字、消防署などの協力を受けて、住民たちの避難訓練などを行っているらしい。しかし全ての町にそのようなプログラムが適用されるには10年以上かかるとされており、やはり楽観的にはなれない。

 記事の最後には、こう記されている。「我々はただ、自然が我々に十分な災害対策を講じるだけの時間を与えてくれるのを祈ることしかできない。」まさに神頼みということか。

4月15日(木) ムガル皇帝の末裔は今・・・

 本日のインディアン・エクスプレス紙に興味深い記事が載っていた。

ムガル皇帝の末裔、黄金寺院を参拝
 ムガル朝最後の皇帝バハードゥル・シャー・ザファル(1775-1862)のひ孫の嫁にあたるというスルターナーさんが14日、パンジャーブ州アムリトサルの黄金寺院を訪れた。スルターナーさんは皇帝の末裔とは思えないほどの粗末な身なりをしていた。身体に宝石などは全く見当たらず、ぼろぼろの衣服を身に付けており、目には涙を浮かべ、懺悔の言葉をつぶやいていた。

 スルターナーさんはムガル朝が行った残虐行為の罪を償いに黄金寺院を訪れていた。聖なる水に身を浸した者は、全ての罪が洗い流されるという黄金寺院の伝説を信じて来訪したという。

 現ミャンマーのラングーン(ザファルの流刑地)からインドにやって来たスルターナーさんは、1965年にザファルのひ孫、ミルザー・バダル・バクト氏と結婚したという。そのとき彼女は12歳で、ムガル朝に抵抗して戦ったスィクたちのことを知らなかった。15年前、彼女はハーウラーで行われた展覧会において、ムガルによって拷問されるスィクや、剣で突き刺される幼児が描写された絵画を見た。

 イスラーム教は罪のない人々への暴力を許していない。その絵画を見たスルターナーさんはスィクのコミュニティーだけでなく、神そのものへ許しを乞いたいと願うようになった。貧困もその原因だった。彼女は、祖先が帝国を失い、末裔が貧しい生活を送っているのは、祖先が犯した罪のためだと信じている。彼女の夫は占い師として日に2、3ルピー稼いでおり、また道端で刃物を研ぐ仕事をしている。

 「私は日頃寺院とモスクを訪れており、やっとこのグルドワーラーにも来ることができた」と彼女は述べた。スルターナーはアカール・タクト(スィク教の最高権威)も訪れ、懺悔をした。アカール・タクトのジョーギーンダル・スィン・ヴェーダーンティー法主はその場にいなかったものの、彼女の懺悔を受け容れたという。

 彼女は、「心に重荷を背負って生きていくのが耐えがたかった。アクバル皇帝の家庭がこんな状態とは・・・。私の娘はグルバーニー(スィク教の聖典)を読んでいる。貧困のせいで、私は息子に教育を受けさせることができない。私は今、ハーウラーで茶屋を経営しており、息子は台所を手伝っている。5人の娘も裕福な家庭との結婚には縁が無かった」と語った。彼女の夫は、ムガル朝最後の皇帝の直系子孫として、1965年から400ルピーの年金を受け取っている。その額は40年前から変わっていないという。

 インドのラスト・エンペラーとして知られるバハードゥル・シャー2世。ザファルというペンネームの方がよく通っている。1837年に皇帝の位に付いたが、既にムガル朝は権力を失っており、イギリス東インド会社から年金をもらって生活をしていた。1857年にインド大反乱(セポイの乱)が起こったときに、ザファルは反乱軍の旗頭に担ぎ出され、皇帝復権を宣言したものの、翌年に反乱軍はイギリス軍によって鎮圧され、ザファルも逮捕された。彼の3人の息子と1人の孫は処刑され、ザファル自身は盲目にされて当時インド領の一部だったビルマのラングーン(現ヤンゴン)に流刑された。1862年、87歳で流刑地にて死亡する。

 ザファルは詩人として文壇に名を残しており、文芸を手厚く保護したことでも知られている。彼が支援した文学者の中には、ミルザー・ガーリブ、ザウク、モーミン、ダーグなど、ウルドゥー文学の巨匠と呼ばれる詩人たちが多くいる。流刑地ラングーンで死に際にザファルが書いたガザル詩は非常に有名である。

  荒む我が心、この不毛の地
  誰も満たされぬ、この無常の世

  誰かこの沸き起こる多くの感情を追い出してくれ
  我が傷ついた心にもう隙間はない

  私は命を乞い、4日の時間を得た
  2日間祈り続け、2日間待ち続けた

  ザファルよ、お前はなんと不幸なことか
  墓所のため、故郷のわずかな土地すら得られぬとは

 冒頭に挙げた新聞記事は、そのザファルのひ孫の嫁に当たる人物が、アムリトサルの黄金寺院を訪れたという内容だった。ザファルにひ孫が本当にいたのかどうかは知らないが、一応直系子孫という公認は得ているようだ。ただ、「ひ孫(great grandson)」といっても、4代以上世代は離れているだろう。しかしその落ちぶれようは、ザファルの書く悲哀詩よりもさらに悲惨なものである。現在スルターナーさんはコールカーターに住んでいるようだが、ハーウラーで茶屋を営んで生活をしているという・・・。店の名前は「ラスト・エンペラーズ・ティー・ストール」とかだったら面白いと思うのだが・・・。ザファルの直系の子孫にあたるスルターナーさんの夫ミルザー・バダル・バクト氏は、なんと占い師と研磨屋を兼業しているという・・・。研磨屋ならまだ「いつか皇帝に返り咲いてやる・・・」とかつぶやきながら刃物をシャカシャカと研ぐ光景が浮かんできて何となく納得がいくが、占い師って何だ、占い師って・・・。皇帝の末裔が占い師とは泣けてくる・・・。しかも毎日の収入が2、3ルピー(10円以下)とは・・・。それだけだったら乞食をした方が儲かるような気がする。乞食はしないまでも、せめて曽祖父のように文学者として身を立てていてもらいたかった。彼は国から年金をもらっているようだが、400ルピーという額が1年間の額なのか1ヶ月の額なのかは明記されていなかった。ただ、毎月400ルピーもらっているとしても、生活には不十分な額だ。

 封建社会の崩壊と共に、かつての支配者たちは特権を失い、没落していった者も多い。それはインドのみならず、世界中でも同じだし、日本でも同じである。戦国武将や藩主の末裔と言われる人が時々ニュースなどに出ることがあるが、もはや一般人となってしまっていることがほとんどだ。だが、ムガル皇帝の末裔は世界の中でも最も没落した旧支配者だと言えるだろう。茶屋、研磨屋、占い師・・・。

 ちなみに、記事中に書かれている、ムガル朝がスィク教徒に対して行った残虐行為とは、おそらくアウラングゼーブ帝(1618-1707)がスィク教徒に対して行った弾圧のことを言っているのだと思われる。特にアウラングゼーブ帝が第9代グル、テーグ・バハードゥル(1622-75)に対して行った拷問は、スィク教をテーマにした絵画などでよく描かれる。

4月15日(木) 日本人人質解放

 1週間前にイラクで謎の武装集団に拘束されていた日本人3人がやっと解放されたというニュースが流れた。実はインドでも日本人拘束のニュースは大きく取り上げられていた。何はともあれ、3人とも無事に解放されてよかった。ただ、新たに2人の日本人が拘束されたというニュースも入っており、まだ予断を許さない状態である(17日にその2人も無事解放された)。

 日本人拘束のニュースと同時に気になったのは、インド人が一時拘束されたというニュースだった。僕はそのニュースを日本語のニュースサイトから得た。毎日、インドの新聞には一通り目を通しているつもりだが、インド人が拘束されたというようなニュースは見たことがなかった。もう一度過去の新聞を見直してみたら、12日付けのザ・ヒンドゥーに小さくその記事が載っていた。

8人の人質、解放される
 イラクで拘束された、インド人1人を含む8人の外国人人質が、11日解放された。アル・ジャズィーラに送付されたビデオテープにおいて、覆面をした男が「我々は、ムスリム聖職者協会の要請に従い、彼らを解放した。彼らは占領軍と2度と接触しないと確信している」と語った。人質の国籍は、パーキスターン人、トルコ人、インド人、ネパール人、フィリピン人。

 これ以外の記事は見当たらなかった。日本人人質の記事や、日本政府、日本国民の反応の記事は連日写真入りで報道されているにも関わらず、自国民が人質にされた事件はほとんどインドで報道されなかった。

 インドは元々イラクに軍隊を派遣しておらず、反米グループの標的になる可能性は低い。また、今回拘束されたインド人たちは皆トラック運転手をしていたようで、つまりは出稼ぎ労働者である。インド政府が人質を全く相手にしなかったのは、人質の身分の低さも関係していると思われる。国内のメディアも、下院選挙関連の報道で手一杯で、そんな小さな問題にいちいち反応していられない、という感じだったのだろう。また、インドでは常にテロ事件が頻発しており、同じような人質事件は珍しくないので、反応も冷やかだったと考えられる。日本中が大騒ぎしたのとは対照的な反応で興味深い。

 今回の日本人人質事件、またそれに関するインドのメディアの反応について、ひとつ書いておかなければならないことがある。それは、世界には日本人が期待している以上に親日的な国、親日的な国民がたくさん存在することである。日本人の人質が無事に解放されたひとつの原因を、イラク国民の根強い親日感情と分析する人が多い。海外にあまり出たことがない人、中東方面に行ったことがない人にはあまり想像がつかないだろうが、案外中東周辺のイスラーム圏には、日本に対して特別親しみの感情を持っている国民が多い。僕はエジプトへ行ったことがあるが、そこで彼らの親日感情をまざまざと味わった。しかも面白いことに、彼らの日本に対する憧憬は、どうも日清戦争で日本が清に勝利した1895年、または日露戦争で日本が大国ロシアに勝利した1904年あたりから始まっているらしい。エジプトでは何回か、「日本はどうやって中国やロシアのような大国に勝ったんだ?」とエジプト人に質問された。・・・いや、どうやって勝ったかと言われても、そのときには僕はまだ生まれてなかったし・・・と返答に窮したのだが、何となく誇らしい気分になったものだ。確かにインドでも、19世紀後半には「日本は非文明的で野蛮な国」と考えられていたものの、日清戦争や日露戦争で日本が勝利したことにより、一気に日本ブームが訪れたと言われている。1902年に岡倉天心がインドを訪れたが、「アジアはひとつ」という彼の言論は、ラヴィンドラナート・タゴールなどベンガルの知識人に大きな影響を与えた。また、ラヴィンドラナート・タゴールは1916年に日本を訪れている。

 また、アメリカに唯一立ち向かった国として、日本はイスラーム圏の国民に英雄扱いされていることも確かだ。911事件が起こったとき、中東で大喜びする人々の映像が日本人に衝撃を与えたが、僕には彼らの喜びがよく分かった。中東の人々の大半は反米主義で、アメリカに立ち向かった日本を賞賛し、高品質の製品を造る日本を尊敬し、原爆で多くの人々を殺された日本に同情を抱いている。中東などの若者は、「カラテ」「ジュードー」「ニンジャ」「ブルース・リー」などの武術を通して日本を憧れの眼差しで見ていることも多い(ブルース・リー=日本人はよくある間違いだが・・・)。だから、自衛隊のイラク派遣が彼らに与えた衝撃は大きかっただろう。武装グループが日本人を拉致したときに発表した声明文にも、「日本に友情や愛情を感じていたが、日本は恩知らずにも敵意を返してきた」と書かれていた。まるで片思いの相手に振られて自暴自棄になった人のようだ。

 911事件以来、中東やイスラーム教は日本人にとってますます「訳が分からない存在」になってしまったかもしれない。それとも以前に比べて関心は高まっただろうか?だが、イスラーム教徒の多くは日本に対して親しみの感情を持っていることは日本人に知っておいてもらいたい。テロはインドに住む僕にとって、決して対岸の火事ではないが、僕はテロを悪いこととは思わない。よく「卑劣な手段」とか形容されるが、米軍の方がよっぽど卑劣であり、テロリストや反米武装勢力を卑劣呼ばわりするのはお門違いだ。もしテロが卑劣な手段だったら、アメリカと堂々と戦争すればいいのだろうか?アメリカと真っ向から対抗して勝てる国など、現在の世界に存在しないだろう。そうなった場合、弱者がアメリカに対抗できる唯一の手段はテロしかない。テロは弱者にとって全く合理的な手段だ。確かに民間人を無差別に殺害するようなテロはこちらも困るが、米軍だって民間人を無差別に殺害しているので、やっていることは同じだ。日本にいると、韓国や中国から日本が非難されるニュースばかり流されるので、だんだん卑屈になってくるが、海外にいると親日的な人が多いので、日本人としての誇りが出てくる。インドは世界一の親日国と言われている。日本人の顔はネパール人などとあまり区別がつかないので、インド人と初対面のときは向こうも戸惑った様子を見せるが、こちらが日本人であることが分かると、急に態度がコロリと変わり、「ジャパン?グッド・カントリー!」と握手を求められたりする。

 世界には、日本に親しみを抱く人々がたくさんいる。それがたとえ幻想や勘違いに近い親しみであっても、日本人にはとても嬉しいものだ。日本人はもっと自国に自信を持つべきだ。それには、親日的国民の多いインドを訪れるのもいい刺激になる。

4月16日(金) Krishna Cottage

 しばらくレポートの提出で忙しく、週末は勉強ばかりしていたのだが、レポートの波が途切れ、今週末は解放されている。今日は早速、新作ヒンディー語映画「Krishna Cottage」をPVRアヌパムで見た。

 「Krishna Cottage」のプロデューサーはエークター・カプール、監督は新人のサントラーム・ヴァルマー、音楽監督はアヌ・マリク。キャストは、ソハイル・カーン、ナターシャ、イーシャー・コーッピカル、ヴラジェーシュ・ヒルジー、ヒテン・テージワーニー、ディヴィヤ・パラト、ラティ・アグニホートリー、ラージ・ズシなど。




左からナターシャ、ソハイル・カーン、イーシャー・コーッピカル


Krishna Cottage
 マーナヴ(ソハイル・カーン)とシャーンティ(ナターシャ)はシムラーの大学に通う大学生で恋人同士だった。2人の婚約式の日、大学にディシャー(イーシャー・コーッピカル)という女の子がやって来た。マーナヴはディシャーに不思議な感覚を覚える。マーナヴ、シャーンティ、ディシャーや友人たちは、婚約式の後、自動車に乗って帰っていたが、途中車がパンクしてしまった。ちょうどその場所に「クリシュナ・コテージ」という廃墟となった屋敷があったので、そこで一晩を明かした。しかしそこで彼らは不思議な心霊現象を体験するが、無事に一夜を過ごす。ディシャーはそれを、死んだ昔の恋人アマルのせいだと語った。

 一方、スィッダーント・ダース教授(ラージ・ズシ)は、1年前に著した「知られざる話」の行方を捜していた。その本の最後の章を読んだ者は皆死んでしまうという呪われた本だった。その本をたまたま図書館で見つけたマーナヴの友人たちが2人、その呪いによって殺されてしまう。

 マーナヴとディシャーが仲良くなっていくにつれ、シャーンティは嫉妬し出す。ある日シャーンティはディシャーの家へ押しかけるが、そこにいたディシャーの母親から、「ディシャーは22年前に死んだ」と知らされる。恐怖の事実を知ったシャーンティに、ディシャーの霊が襲い掛かるが、偶然通りかかった霊媒師(ラティ・アグニホートリー)に助けられる。

 実は例の呪われた本の最後の章には、ディシャーと恋人アマルの恋愛が書かれていた。ディシャーは自分の恋愛を知った者を殺していたのだった。さらに驚くべきことに、マーナヴはアマルと瓜二つで、アマルの生まれ変わりだった。ディシャーは、マーナヴがアマルが死んだときと同じ年に一緒にあの世へ連れて行こうとしていたのだった。

 霊媒師は、ディシャーの望みを打ち砕くため、結界の中でマーナヴとシャーンティの結婚式を行うが、そこへディシャーの霊が現れ、霊媒師を殺害する。ディシャーはシャーンティに憑依するが、マーナヴは自分の命を差し出すことを告げ、アマルが死んだラヴァーズ・ポイントへ乗り込む。そこで待っていたディシャーに対し、マーナヴは「オレはお前に身体も魂も与えることができるが、オレの心だけはお前は奪えない。オレの心はシャーンティのものだ」と言って、自ら崖から身を投げる。

 目を覚ましたマーナヴは、見知らぬ小屋の中で横たわっていた。小屋に住むお爺さんによると、若い女の子が彼をここへ連れてきたという。その小屋のガラスには、ディシャーのメッセージが残されていた。「私は本当の愛が何かを知ったわ。愛とは奪うものではなく、与えるもの。あなたの幸せが私の幸せ、あなたの幸せはシャーンティと結婚すること。シャーンティと幸せに・・・」と書かれていた。こうして、マーナヴとシャーンテイは結婚した。

 2003年は俄かにインド製ホラー映画が立て続けに数本公開された年だった。エークター・カプールがプロデュースしたホラー映画「Kuchh To Hai」も同年、鳴り物入りで公開された。興行的には失敗の映画だったのだが、それでも懲りずにエークター・カプールはホラー映画第二弾を投入してきた。それがこの「Krishna Cottage」だ。「Kuchh To Hai」ははっきり言ってハリウッド映画「ラストサマー」(1997年)のパクリだったのだが、「Krishna Cottage」もはっきり言ってあるホラー映画のパクリである。それは日本にホラー映画ブームを巻き起こした傑作「リング」(1998年)である。しかし同作はハリウッドで2002年に「ザ・リング」としてリメイクされており、ハリウッド経由でボリウッドまで伝わった可能性が高い。これまで、日本映画がハリウッド経由でボリウッドでリメイクされた例は、「七人の侍」(1954年)→「荒野の七人」(1960年)→「Sholay」(1975年)ぐらいしか確認されていなかったが、「Krishna Cottage」はその第2例として歴史に名を残すかもしれない。

 「七人の侍」「荒野の七人」「Sholay」はどれも各国の映画史に名を残す普及の名作となっており、「リング」は言わずもがな大ヒット、「ザ・リング」もそこそこヒットしたと記憶しているが、残念ながらこの「Krishna Cottage」だけはそこまで当たらないだろう。ホラー映画製作の基本的なテクニックが未熟で、ストーリーにも破綻があちこちに見受けられた。ホラー映画にミュージカル・シーンを挿入するのは非常に危険であることがまだよく分かっていないことも残念だった。

 「リング」ではビデオを見ると呪われたが、「Krishna Cottage」では本を読むことで呪われるという設定だった。本を読むと意味不明の不鮮明な映像がフラッシュバックで入るのもそのまま同じだったし、幽霊が貞子と全く同じスタイルで、長い髪をダラリと前に垂らしていた。結局その本が呪われたのは、ディシャーが自分の恋愛談を他人に読まれたくなかったかららしいが、そんな恥かしがり屋の幽霊、聞いたことないぞ・・・。そんなに恥かしいなら、どんどん人を殺していくな、と突っ込みたくなった。そもそも教授が執筆している段階で出版を阻止するとか、そのくらいの知恵を働かせてもらいたかった。

 サルマーン・カーンの弟、ソハイル・カーンは「I - Proud To Be An Indian」で俳優デビューし、今回が主演第2作目となった。兄とは違ってごつい顔で、個人的にはあまり好きな顔ではないが、演技は無難である。イーシャー・コーッピカルは2000年のデビュー以来いまいち伸び悩んではいるが、だんだん貫禄ある美しい女優に成長してきていると思う。最近注目しているのは、ヴラジェーシュ・ヒルジー。なぜか主人公の友人役が多いが、「Muskaan」(2004年)では真犯人役を務めたりして、だんだん頭角を現しつつある曲者男優である。

 相変わらずインドの映画館でホラー映画を見るのは面白い。インドでは、ホラー映画は「怖がる」ためにあるのではなく、「笑う」ためにある。これを理解するには、インドの映画館でインド人の観客と共にホラー映画を見なければならないだろう。ホラー映画を見て笑いこけるインド人を見ると、カルチャーショックを受けること請合いである。インターヴァルの直前に、ディシャーが22年前に死んでいたことが明らかになるのだが、それを見て観客は一斉に拍手喝采をし出した。おいおい・・・。

 前述の通り、日本映画がハリウッドを通してインドまで伝わった珍しい例のひとつなので、それを体験するためなら見る価値はある映画である。

4月17日(土) インド代表、テスト・シリーズにも勝利

 3月13日から始まった、クリケット・インド代表のパーキスターン遠征ツアー。パーキスターンにインドのクリケット・チームが足を踏み入れるのは実に14年ぶりのことであった。当初はどうなることかと思ったが、昨日無事に全試合が終了した。今回の遠征では、ワンデイ国際マッチ(ODI)が5試合、テストマッチが3試合行われた。ODIはその名の通り、1日で決着がつく試合で、1イニング制である。一方、テストマッチは5日間に渡って1試合が行われる、伝統的なクリケットの試合で、2イニング制である。ちなみに2001年の大ヒット映画「ラガーン」で行われたインド農民代表対イギリス支配者代表の試合は、3日間の変則試合だった(当時は3日間だったのだろうか?)

 まずはODI5試合から始まり、特に第1試合目と第5試合目は相当盛り上がった。まずはインドが1勝し、次にパーキスターンが2勝し、その後インドが2勝するという展開となった。パーキスターンで初めてインド対パーキスターンの試合が行われたのは50年以上も前のことであり、その間、合計6シリーズ、23試合が行われたらしいが、インドがシリーズでパーキスターンに勝ったことは一度もなく、試合に勝つのも稀だった。インド代表は相当弱かったようだ。だから、まずODI第1試合目でインドが勝利を収めたのは、非常に歴史的なことであり、しかもODIシリーズで勝利を収めたのは、史上初の快挙ということになった。インド人の喜びようは想像に難くないだろう。政治家まで踊り出すくらいの喜びだった。

 次にテストマッチ3試合が行われた。テストマッチは1試合が5日間と相当長いので、全試合を見ようと思ったらかなりの根気が必要となる、というか、暇人にしかそんなことはできないだろう。だから、一般的なクリケット・ファンは、仕事や勉強などの合間にスコアをチェックして一喜一憂するという楽しみ方をする。クリケットが貴族のスポーツと言われた所以も、このダラダラとした試合展開にある。テストマッチでもインド代表の勢いは止まらず、特に第1試合目のヴィーレーンドラ・セヘワーグのトリプル・センチュリー(309ラン)は圧巻だった。300ラン以上の得点を達成したプレイヤーは、クリケット史上彼を含めて18人しかいない。ただ、セへワーグがトリプル・センチュリーを達成した数日後、西インド諸島のブライアン・ララ主将が、クリケット史上初の400ランを達成した。それまでの最高得点は、オーストラリア代表マシュー・ハイデンの380ランだった。400の壁を越えることは不可能と言われていたが、ララはその偉業を成し遂げた。

 話がそれてしまったが、インド対パーキスターンのテストマッチ3試合は、インド1勝、パーキスターン1勝と来て、4月13日から第3試合が行われていた。まずはパーキスターンのバッティングだったが、いまいち精彩を欠き、224ランに押さえ込まれた。その後のインドのバッティングで、ラーフル・ドラヴィルが270ランの高得点を稼ぎ、インド代表は合計600ランをマークした。もはやこの時点でインド代表の勝利は確実だった。第2イニングでパーキスターンが再びバッティングをしたが、やはり大した活躍をする選手がおらず、240ランで10人の打者が皆アウトになってしまった。よって、インド代表は第2イニングのバッティングをすることがなく勝ってしまった。つまり、ボロ勝ちである。インド代表がパーキスターンでパーキスターン代表にテスト・シリーズで勝利を収めたのも、当然のことながら史上初のことである。

 最近のインド代表は本当に強い。インドの英雄的打者サチン・テーンドゥルカルが駄目でも、他の打者が頑張るため、好調を維持している。また、若手の中にも有望な選手が育ちつつあり、非常に楽しみである。このパーキスターン遠征により、クリケット世界ランキング中のインドのポジションは第4位となった。一方、ボロ負けのパーキスターンは、世界第3位から一気に6位に転落した。

 インド代表の勝利により、インド人は皆喜んでいるが、中でも一番ほくそ笑んでいるのが、インド人民党(BJP)を初めとする与党各政党であろう。最近のBJPは「フィール・グッド」という言葉をスローガンにしており、「フィール・グッドな経済」「フィール・グッドな政治」など、何でもかんでも「フィール・グッド」にしてしまっている。野党や国民からは「全然フィール・グッドじゃないぞ!」という反論も出ていたが、このクリケットの試合だけは「フィール・グッド」を認めざるを得ない。4月20日からインドの一部の地域で下院選挙の投票が始まるが、まさに「フィール・グッド」なタイミングである。

4月18日(日) コピープロテクトCD

 インドは海賊天国である。巷には、いわゆる「海賊版」というメディアが溢れ返っている。海賊版VCDで封切られたばかりの最新映画を見ることは既に日常茶飯事であり、ケーブルTVを通して違法で放送される最新映画は庶民の生活にすっかり溶け込んでしまった。数本の映画の音楽をMP3で大量に収録した海賊版CDも堂々と売られている。インドで売られているPCの中に入っているソフトは、OSを含め、100%全て海賊版と言っていい。家電製品などにもコピー製品は多く、デリーだったらコンノート・プレイスの地下に広がるパーリカー・バーザールに行けば「ソニー」や「パナソニック」のCDウォークマンなどを安価で手に入れることができる。しかしよく見ると「Sonny」だったり「Panasony」だったりするのだが。家電製品やPCはともかくとして、インド映画ファンとして、映画産業を駄目にする海賊行為は非常に心が痛む。

 僕は善良なインド映画ファンなので、映画は必ず映画館で見るし、映画音楽は必ず正規の店でCDを購入している。既にデリーのいくつかの映画館ではお馴染みの顔におそらくなっており、チケット売り場の人に「君はよく映画を見に来るね」と言われるほどである。2001年にインドに来て以来、かなり多くの映画を見て、かなり多くの音楽CDを買ってきた僕は、インド映画界から表彰されてもいいくらい、映画業界に貢献をしていると自負している。2001年夏以降のヒンディー語映画の動向についてなら、そこらのへなちょこインド映画ファンのインド人には負けない自信がある。昔のインド映画の知識では絶対にかなわないだろうが・・・。僕の持論である「映画館以外で見た映画は映画でない」という理論を持ち出すならば、2001年以降に見た「映画」の本数は、全インドレベルで見ても相当上位に食い込んでいるのではないだろうか。上位1億番以内だろうか。いや、多分上位5000万番以内くらいには入っているだろう。

 しかし、最近この善良なインド映画ファンの僕をおちょくる事態が発生しつつある。それは、インド映画の音楽CDに、コピープロテクトが施されたものが徐々に出てきたことである。僕はいつも音楽CDをMP3に変換してPCにコピーし、それで音楽を聴いていたのだが、最近MP3に変換できないCDが出てきた。

 インド映画の音楽CDにコピープロテクトが施された最初の例は、2003年5月30日にリリースされた「Joggers' Park」だと記憶している。レーベルはヴァージン・レコード。CDケースに「コピープロテクトCD」と記載されていた。ただ、なぜか難なくMP3に変換することができた。どうもまだ技術的に未熟だったようだ。

 それ以来、インドの映画音楽業界にコピープロテクトCDが現れることはしばらくなかった。「Joggers' Park」を見たときは「遂にインド映画音楽にもコピープロテクトの波が押し寄せたか・・・!」と警戒したのだが、すっかりそんなことは忘れていた。しかし、やはりインド音楽業界は海賊版防止への徹底対策を諦めていなかった。

 つい最近、「Murder」という映画の音楽CDを購入した。現在同映画はスマッシュ・ヒットを飛ばしており、音楽も素晴らしい。音楽監督はアヌ・マリク。映画を見て、一発で「こいつは買いだ」と直感してCD屋に走ったほどの出来である。ところが、このCDがコピープロテクトCDだった。MP3に変換しようとすると、変換スピードが非常に遅い上に、そのMP3を再生すると、不快な雑音が入る。同じようなコピープロテクトは、先日インドでも発売されたノラ・ジョーンズの「Feels Like Home」(EMI)にも施されていた。ノラ・ジョーンズのCDにはちゃんと「コピープロテクトCD」と記載されていたからまだ許せるが、「Murder」のCDケースにその旨は全く記載されていなかった。レーベル会社はサレガマ(SaReGaMa)である。名盤だった故に、このような小細工は余計残念だった。

 また、最近「Hum Tum」のCDを買った。サイフ・アリー・カーンとラーニー・ムカルジー主演の最新ヒンディー語映画のサントラである。音楽監督はジャティン−ラリト。中にはオマケでシールが入っていたりして、なかなかサービス精神旺盛だったのだが、これがまたコピープロテクトCDだった。発売元はやっぱりサレガマ。

 このコピープロテクトを外す方法というのも、検索すればネットにいろいろ載っているが、今のところ試していない。とりあえずCDの再生には支障がないので、CDを入れて聴いている。だが、コピープロテクトCDはCD規格から外れているため、再生できないコンポなどがある。実際、友人の家のコンポで、ノラ・ジョーンズのCDは再生できなかった。海賊行為を防止するのはまあ悪くはないが、再生に支障のあるCDが堂々と売られていることが一番の問題である。こういうことをされると、音楽CDを買う意欲が減退する。日本でもコピープロテクトCD(日本ではCCCDと呼ばれているようだ)は大きな問題になっているようだが、インドでもその内問題に取り上げられるだろう。

 インドのレーベル会社には、他にTシリーズ(T-series)、ユニヴァーサル(Universal)、ヴィーナス(Venus)、ティップス(Tips)、プージャー・ミュージック(Puja Music)、ソニー・ミュージック、タイムズ・ミュージック、ミュージック・トゥデイなどなどがあるが、今のところコピープロテクト措置を本格的に講じているのはサレガマだけのようだ。

 一方、ついでにインドの最新DVD事情についても触れておく。最近はVCD、DVD共にリリースが非常に早くなった。つい1、2週間前に公開された映画のVCD、DVDが店頭に並んでいることは珍しくない。もちろん、どれも正規版である。これもおそらく海賊版対策の一環であろう。VCD、DVDの発売を遅らせていても、海賊業者の利益になるだけなので、正規の版権を持つ会社も映画公開から間をおかずにVCD、DVDを発売していると思われる。興行的に失敗した映画ほどVCD、DVD化が早いという傾向も見られる。2003年の大ヒット映画の中では、未だに「Kal Ho Naa Ho」のVCD、DVDは発売されていない。「Koi... Mil Gaya」「Baghban」のVCD、DVDは既に発売されており、「Munna Bhai M.B.B.S.」はVCDのみ発売となった。

 最近のDVDの特徴は、インドの各言語の字幕が付くものが増えたことである。例えば、2002年の大ヒット映画「Kabhi Khushi Kabhie Gham」の正規版DVDには、英語、タミル語、ベンガリー語、マラーティー語、マラーヤム語、グジャラーティー語、カンナダ語の字幕が付く。ヒンディー語の字幕を付けてくれれば、ヒンディー語学習者のために非常に役に立つと思うのだが、まだインド人には「ヒンディー語映画をヒンディー語の教材に使う」という発想がないようで、そういう措置はなされていない(日本のDVDには、英語の映画に英語字幕が付いたり、日本語の映画に日本語字幕が付いたりするから、語学学習に使い勝手がいい)。

 また、やはり正規版DVDの特典といったら、数々のオマケ映像である。その点はインド人にも分かっているようで、「メイキング・オブ・・・」や「映画賞受賞映像」などの特典映像が付いたDVDは多い。しかしインドのDVDで「メイキング・オブ・・・」と言った場合、製作者のインタビュー集という性格が強い。映画の撮影現場に潜入、といった感じの映像は、実は少ない。そういう映像を見てみたいのだが・・・。

 先日、「Koi... Mil Gaya」のDVDを買った。ちょっと前に発売されたのだが、すぐに売り切れてしまい、ずっと再販を待っていた。DVDにはオマケとして、ジャードゥーのシールやタトゥー、リティク・ローシャンやプリーティ・ズィンターのポストカードなどなど、子供が喜びそうなものが入っていた。また、特典映像として、スクリーン映画賞のときのリティク・ローシャンのダンス・パフォーマンスや、メイキング映像(つまりインタビュー集)もあった。正規版DVDにも関わらず、映像の左上に会社のロゴマークが入っているので、映像的には不満であった。インタビューで一箇所驚いたことがあった。映画中、UFOが舞台の町に飛来し、町中の電気がサーッと消えるシーンがあるのだが、どうもインタビューを聞く限り、映画のスタッフがロケをした町の電気の元をカットし、強制的に停電にしてそのシーンを撮影したらしい。地元行政官などに許可を得たなら許されるとは思うが、そのようなことは述べられていなかった。・・・確かにインドは停電が多いので、いきなり停電になっても誰も驚かない。だが、もし映画撮影のために無許可で人為的に町中を停電にしたとしたら、これは大問題ではないか・・・!?こんなことインタビューでしゃべってもいいのだろうか?ただ、聞くところによると故黒澤明監督も、映画撮影のために邪魔な民家などを取り壊させたりしたそうだ。映画監督というのは、ときにはマッドな行動をしなければならないのかもしれない。



 映画音楽関連でひとつニュース。先日公開されたM.F.フサイン監督の「Meenaxi - A Tale of Three Cities」が公開中止となった。理由は、映画中に使用された曲「Noor-Un-Ala-Noor」の歌詞の一部が、イスラーム教の聖典コーランから借用されていることに、インドのムスリム団体が苦言を呈したからである。コーランの中の言葉を歌にすることが厳格に禁止されているのかどうかは知らないが、どうも彼らの神経を逆なでしたのは、預言者ムハンマドを賞賛する言葉が、映画のヒロインの身体的美しさを表現するために使用されていたことのようだ。はっきり言って、「Noor-Un-Ala=Noor」はミュージカル・シーンと共に映画中最も素晴らしい曲だったので、今回のこの措置は少し残念である。元々同映画は、フサイン監督の自費製作映画であり、監督自身が映画の公開中止を求めたため、迅速に公開が中止されたようだ。

4月18日(日) Bill Chahta Hai

 まずは下の写真を見てもらいたい。







 2001年にスマッシュ・ヒットを飛ばした「Dil Chahta Hai」のポスター?と思いきや、映っている人や文字がちょっと違う。「Dil Chahta Hai」とは直訳すれば「心が欲している」という意味で、アーミル・カーン、サイフ・アリー・カーン、アクシャイ・カンナー、プリーティ・ズィンター、ソーナーリー・クルカルニー、ディンプル・カパーディヤーなどが主演していた。一方、上の写真は「Bill Chahta Hai」。直訳すれば「ビルが欲している」になる。「Dil Chahta Hai」の続編か?それともパロディー映画か?

 実はこれ、デリー政府の消費税局(Sales Tax Department)の広告である。3月くらいから各新聞に掲載されるようになった。この下には、「何かを買ったときは必ずレシートをもらって下さい。レシートの回収が消費税の納税を増進します。」と書かれている。つまり、消費者が何か商品を買ったときにレシートを回収しないと、販売者は消費税をごまかすから、それを防ぐためにレシートを回収してください、という主旨の広告である。レシートの回収が消費税の回収につながり、それが地下鉄、フライオーヴァー(高架橋)、道路の舗装などに役に立ち、市民の生活をより向上させるという説明も併記されている。つまり、上の「Bill」とは「レシート」のことで、「Bill Chahta Hai」とは「レシートが(回収されることを)望んでいる」または「(君は)レシートを望んでいる」、2つの意味にとることができる。右下に小さく「Ya Nakli Maal Chahta Hai?」とも書かれているが、これは「それとも偽物が欲しいのかい?」という意味である。多分レシートがないと、万が一その商品が不良品や偽物だった場合でも、返品できないよ、という意味だろう。

 ちなみに上の広告の元になったポスターはこれである。ネット上を必死に探したのだが、きれいに撮れている写真がこれしかなかった。CDのジャケットである。実はこのタイプのジャケットを持つ「Dil Chahta Hai」のCDは希少である。微妙に違うヴァージョンのジャケットのCDの方が一般的だ。







 消費税局の広告攻勢はこれに留まらない。下の2つの写真を見てもらいたい。













 上は日本において「ミモラ」という邦題で一般公開された「Hum Dil De Chuke Sanam」(1999年)のパロディー広告、下はこれもまた日本で一般公開済みの「ディル・セ(Dil Se)」(1998年)のパロディーである。「ミモラ」はサルマーン・カーン、アイシュワリヤー・ラーイ、アジャイ・デーヴガンが主演、「ディル・セ」はシャールク・カーン、マニーシャー・コーイラーラーが主演である。どれもその年を代表するヒット映画だ。「Hum Dil De Chuke Sanam」とは「私は心を与えつくした、愛しい人よ」という意味で、「Hum Bill De Chuke Sanam」は「私はレシートを既に与えた、愛しい人よ」という意味。その下には「Jo Na Dete To Bahut Badi Galti Karte(レシートを与えていない者は大きな間違いを犯している)」と書かれている。また、「Dil Se」は「心から」という意味で、「Bill Se」は「レシートから」というような意味になる。その上には「Saaman Kharido Toh Sirf(商品を買うときはいつも」と書かれており、「Bill Se」と併せて「商品を買うときはいつもレシートと一緒に」という意味になる。ちなみにそれぞれの元ネタになったポスターは以下の通り。










 どれも商品を買うときはレシートを一緒に受け取ることを消費者に促す目的の広告である。このシリーズがどんどん出てくるのかと密かに期待していたが、もう飽きたのか、ネタ切れか、十分な宣伝効果があったのか、打ち止めになってしまった。

 それにしても、政府の機関が映画のポスターをネタにして広告を出すとは、インドは上から下まで面白すぎる国である。しかもモデルをしている人たちが、なんだか無性に素人っぽくて、広告の異様さを高めている。どうせなら元の映画俳優を凌ぐくらいの美男美女にモデルをやらせればよかったと思うのだが、なんかドン臭い人たちがモデルをやっている。消費税局の局員の子供とかを使って撮影しているのではないかと疑ってしまう。しかも、ポーズが微妙に違ったりするからじれったいったらありゃしない。どうせなら完璧にポーズを真似て作ってもらいたかった。

 ところで、消費者がレシートを受け取るよう努力することによって消費税の回収率がアップするか、という問題だが、はっきり言って僕はあまり変わらないと思う。まず、「レシートくれ」と言ってもレシートを発行してくれる店は非常に少ないし、行商や露店で買い物をしたときにレシートがもらえるはずないし、しかも仮にレシートを発行してもらっても、店側はもう一度レジを打ち直して売上をごまかし、脱税するに決まっているからだ。インドは税金がやたらと高い国なので、まともに税金を払っていたら商売にならないと聞く。だから脱税は日常茶飯事というか、商売をするのに必要な行為である。

 ところが、嘘みたいな話だが、上のパロディー広告を載せ始めてから、デリー消費税局の税収が例年に比べてアップしたという。もしこんなふぜけた広告が国民に影響を与えるのだったら、それこそインドは面白すぎる国と言う他ない。

4月20日(火) デリーの遺跡の怪談

 デリーはもうだいぶ暑くなってきて、「ホット、ホッター、ホッテスト」のうちの「ホッター」ぐらいまで酷暑レベルが到達したと思われる。しかしまだ日中外を歩くことができるので、「ホッテスト」ではない。こんな暑いときには怪談でも聞いて背筋を冷たくするに限る、と考えるのは日本人でもインド人でも同じようで、この時期にはホラー映画がよく上映される。そんな中、4月18日と19日のデリー・タイムズ・オブ・インディアに、デリーの遺跡にまつわる怪談が掲載されていた。最近テスト前で勉強ばかりしているので、新聞からのネタが多くなってしまっているが、ご了承いただきたい。

■ズィーナト・マハル

 ズィーナト・マハルとは、ラール・キラー(レッド・フォート)内にある博物館のことらしい。「美麗な宮殿」という意味である。この宮殿には、毎晩ミターイー(甘いお菓子)を買うお化けや、頭のない英国人や、泣き叫ぶ妖精や、信者におかしな贈り物を贈るサイード・バーバーなる謎の人物や、通行人に拾ってもらうのを待つ子供のお化けなどが出ると、専らの噂らしい。しかし、宮殿の管理人のオーム・プラカーシュ氏によると、彼はお化けなど一度も見たことがないという。

■クーニー・ダルワーザー

 クーニー・ダルワーザーとは「血の門」という意味。ムガル朝最後の皇帝バハードゥル・シャー・ザファルの3人の息子が公開処刑にされた場所として知られている。ITO(税務署)とオールド・デリーの間にあり、現在では門だけが残っている。伝説によると、この門は精霊やジンの家らしく、真夜中になると名前の通り門の壁から血が滴り落ちてくるらしい。実際、門の壁を昼間見てみると、赤みがかった液体が垂れた跡が残っている。この門を管理していたアスガル・カーン氏によると、左側の門で幽霊を目撃したという。

■ダーディー・マスジド

 デリーには大小無数の遺跡があるため、このダーディー・マスジドがどこにあるのか特定できず。地図にも載っていなかった。意味は「賞賛のモスク」だと思う。このモスクの近くに来ると、自動車のクラクションが一時的に使えなくなるという怪現象が起こることで知られており、近隣の住民を恐怖のどん底に突き落としている。ただ、このモスクは近隣の若者にとって、冷えた缶ビールを飲むために集合する場所としても有名らしい(つまり、冷える話、というオチだろう)。

■ジャマーリー・カマーリー

 ジャマーリー・カマーリーはクトゥブ・ミーナールのそばにあるモスク。「美しく素晴らしい」という意味である。午後11時半以降、ドーム部に線香を置くと、ひとりでに燃え出すという怪現象が起こるらしい。近所の住民の証言によると、中庭にはミルザー・ガーリブ(有名なウルドゥー詩人)の幽霊が現れるという。ただ、ここは真夜中、恋人たちの密会場所となっており、管理人のラージュー氏はそんな怪談を「ただの噂」と一笑に付している。また、かつてパッチースィー(25という意味)地区では、アクバル帝とその后が、メイドを駒に見立ててチェスを行ったという。

■バルバン廟

 バルバン廟もクトゥブ・ミーナールの近くにある。バルバンとは、奴隷王朝の皇帝だった人物のようだ。毎週木曜日の夜になると、バハードゥル・シャー・ザファルの幽霊が、后や家臣一団と共にこの廟を訪れるという。ザファルの幽霊を見たという人物も存在するが、遠目からしか見たことがないそうだ。そのザファルの一行の前を横切った者は生きて帰って来れないとも言われている。ただ、ムガル朝の皇帝がなぜ奴隷王朝の皇帝の墓を参拝に来るのか、よく分からない。

■ムガル・スクエア ドーム状の廟

 ムガル・スクエアなる遺跡または地域がどこにあるのかよく分からないが、とにかくそこにドームを持った廟があるようだ。そこの管理人のサントーシュ氏によると、毎晩全ての扉の錠を閉めて寝るのに、朝になると必ず1つの扉が開いているという。

 以上、6つの怪談が載っていたが、読んでの通りあんまり怖くないし面白くもない。タイムズ・オブ・インディア特有のジョーク記事だとは思うが、ジョークにしてはパンチ力不足だし、本当の話だとしても取材不足に思えた。いくつかの遺跡については、実在するのかどうかも疑われた。

 最近、インド考古学局がインド中の遺跡の保護と整備を進めており、主要遺跡は柵で囲まれて容易に侵入できなくなっているものが多い。やはり怪談なので、夜に遺跡へ入ったりしなければ話が始まらないのだが、それが難しくなっているために怪談が成立しないのだろう。よって、昔から遺跡に存在した怪談も、徐々に現実味がなくなってきているのかもしれない。それともインド考古学局が整備の一環として幽霊を追い出してしまったのだろうか?

 それと、上の怪談でひとつ興味深かったのは、デリーの各遺跡にはどうも管理人が最低1人はいるらしいことだ。クーニー・ダルワーザーなどは、本当にただの崩れかけた門なのだが、それにも管理人がいるみたいだ。そういえば地方の遺跡などに行くと、必ず日陰などで昼寝をしている人がいるが、あれももしかしたら管理人なのかもしれない。

4月22日(木) 下院総選挙開始

 4月20日からインド各地で下院総選挙が始まった。広大な国土と、6億7千万人以上と言われる有権者をカバーするため、4月20日、22日、26日、5月5日、10日の5回に分けて投票が行われる。また、4州では下院選挙と同時に州議会選挙の投票も行われる。その第1期投票日にあたる4月20日には、13の州と3つの連邦直轄地で、全543議席中140議席の選挙が行われた。第1期投票で投票を行う権利のある有権者数は1億7560万人、投票所の数は18万6603ヶ所。第1期投票の投票率は50〜55%ほどと報告されている。日本でも今回のインドの総選挙は「世界最大の選挙」として報道されているものの、日本のインド報道のお約束なのか、暴動や選挙妨害などのマイナス面が必要以上に強調されているように思われる。21日の選挙管理委員会の発表によると、再投票を行う必要があるのはせいぜい全国で400ヶ所の投票所くらいで、1%にも満たない。選挙妨害や暴動などにより発生した死者の数も18人ほどであり、全体的に見れば、投票は平和裏に行われたと言える。

 昨年12月1日にデリー州、ラージャスターン州、マディヤ・プラデーシュ州、チャッティースガル州で行われた州議会選挙、またそれに先立って11月20日に行われたミゾラム州の州議会選挙で初めて電子投票器(EVM)が導入された。今までインドの選挙は紙に親指で押印する方法がとられてきたが、EVMの導入により、ボタンを押すだけで投票することができるようになった。開票&統計が簡単かつ迅速になるだけでなく、インドの各地方では、物珍しさ、EVM見たさから村人たちが投票所に殺到し、投票率が上がったという副作用も報告されている。また、毎度お馴染みの選挙妨害も、EVMの導入により、どうやって妨害したらいいのか分かりづらくなったようで、妨害者たちは頭を悩ませたと言う。得票数の偽装なども不可能だとされている。投票に電子機器が使用されたのは、おそらくインドが世界初ではないだろうか?欧米各国もEVMの効果に注目しているという。EVMは1分間に5人の投票を行うことができ、1日に約2700人分の投票を行うことができるらしい。




これが電子投票器(EVM)


 今回の下院総選挙では、先の5州の州議会選挙でのEVMの成功を受け、一気に全国規模でEVMが導入されることになった。やはり今回も地方の村々でEVMは旋風を巻き起こしているようで、21日付けのタイムズ・オブ・インディア紙に載っていた記事によると、オリッサ州ベヘラムプル選挙区の部族地域では、地元の村人たちがEVM見たさに投票所に殺到したという。彼らは今まで一度も投票に参加したことがなかったというから、EVMの効果は絶大である。村人は最初はEVMを怖がって近づこうともしなかったようだが、安全だということが分かると喜んでボタンを押すようになり、「選挙がこんなに簡単だとは思わなかったよ」と口々に感想を述べて投票所を後にしたという。のどかというか、ほのぼのというか、EVMひとつで村中が大騒動となる様子や、田舎のインド人が驚き喜ぶ姿が目に浮かぶ。

 ただ、インドは広大であり、投票所もそれこそインド全国津々浦々に設置される。まだインドには現代文明が届き渡っていない地域もたくさんあるが、そういう場所でも選挙が行わなければならない。というわけで、辺境地域の投票所を管理する役人は非常に大変な思いをして投票所まで赴かなければならないようだ。20日付のザ・ヒンドゥーには、アッサム州とメーガーラヤ州の州境にあるナルタプ投票所まで行くため、象に乗り込む選挙オフィサーの写真が掲載されていた。象だけでなく、なんと彼らはこれから馬に乗り、さらに舟に乗って投票所まで行かなければならないという。EVMを投票所まで無事に届け、選挙をして生還するのは、もはや命懸けの仕事である。それだけでなく、インドの投票所には武装集団なども現れるため、選挙は投票する方も管理する方も、戦場へ向かう兵士のような心構えにならなければならない。アブドゥル・カラーム大統領も国民に「勇気を持って投票を!」と呼びかけている。そう考えると、日本の選挙ほど軟弱なものはない。命を懸けなくていいんだから、投票くらいするのはどうってことないな、という気分にさせてくれる。




象に乗り込む選挙オフィサー
白いケースの中にはEVMが


 しかし、これだけハイテク技術が選挙に導入されたものの、ズルしようとする奴らはひたすらローテクで対抗して来るようだ。インドの選挙では、投票すると指の爪に黒い印をつけられる。これで誰が投票したかが分かるようになる。しかし、アーンドラ・プラデーシュ州のどこかの投票所では、その印をレモン汁やパパイヤ汁を使って消して、再び投票をしようとする奴が現れたらしい。同州の州都ハイダラーバードでも、あらかじめ爪にロウを塗っておき、投票後、印を付けられたら、ロウを削って再び投票しようとした奴がいたそうだ。女性の中には、投票し終わった後にヘンナ(メヘンディー)を塗って印を塗りつぶし、ブルカーをかぶってもう一度投票所に現れる人もいたそうで、何が彼らをそこまで選挙に駆り立てるのか、日本人にはもはや理解できない領域に達している。投票後に服を着替えてまた投票所にやって来る単純な手法を用いる有権者もいたらしい。そもそも、EVMでの投票の様子を写真で見てみると、EVMの周りを囲っているのはただのダンボール・・・。しかもそこら辺の店からもらって来て、適当に切ってこしらえただけのように見える。この国はハイテクとローテクが奇妙な混在の仕方をする傾向があり、それが面白い。




投票の様子


 よく見ると、ダンボールにペンで「PARLIAMENT」と書かれているが、どうも綴りを間違えたようで、「PARLMENT」の「L」の空白部分に無理矢理「IA」が加えられている。多分村人たちは国会のことを「パールメント」と呼んでおり、そう綴ってしまったのだろう・・・。

 選挙が行われると同時に必ず行われるのが、予備調査や出口調査である。しかしこれが全く信用ならない。多分調査方法に問題があるのだろう、そのような調査で出た結果と、実際の結果には大きな開きがあることが、昨年の州議会選挙でも明らかになった。調査対象が一部の階級、カースト、地域に偏っていたり、母数が少なかったりするせいではないかと思っているが、やはりまずは「インドに平均はない」という金言を忘れてはならないだろう。21日の各紙には各TV局が行った出口調査が発表されたが、これが全くバラバラであった。例として、タイムズ・オブ・インディアに載っていたアーンドラ・プラデーシュ州の下院選挙の出口調査の結果を載せておく。今回の選挙は、インド人民党(BJP)率いる与党の国民民主同盟(NDA)と、国民会議派一派の対決が争点となっているため、出口調査もそれを基準に統計されている。ちなみに今回争われた同州の議席数は21議席である。

NDA 会議派
サハーラー 11 9
スター・ニュース 7 13
アージ・タク 6 15
ZEEニュース 10 11
NDTV 3 17


 サハーラーとZEE、スター・ニュースとアージ・タクが比較的似通った結果を発表しているが、しかし5局とも見事に違うと言っていいだろう。共通しているのは、NDAが苦戦しているということだけだ。ちなみに現在(選挙前)の議席数は、NDAが17議席、会議派が3議席である。NDAにとって楽観的な調査結果を出しているTV局はどこにもない。アーンドラ・プラデーシュ州では州議会選挙の投票も同時に行われたが、その予備調査と出口調査でもやはりNDAは苦戦しており、もしかしたらチャンドラバーブー・ナーイドゥ州首相は失脚するかもしれない・・・と出口調査の結果に踊らされてはいけないのが、インドの選挙の注意点である。結果が出てみなければ、全く実態は分からない。それまで泰然自若として状況を眺めていなければならない。

 ・・・と、インドの下院総選挙を報道する際、選挙に伴う暴動や妨害などに頼らなくても、このように興味を沸きたてる報道の仕方ができるのではないかと思う。ちなみにデリーの投票日は最終日の5月10日である。開票は5月13日に行われ、結果も即日発表される予定らしいが、再投票などにより多少延びる可能性はある。



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