スワスティカ これでインディア スワスティカ
装飾上

2004年5月

装飾下

目次
生活■2日(日)期末テスト終了!
映評■3日(月)Main Hoon Na
生活■4日(火)EVMプロトタイプを探して・・・
分析■8日(土)インド神話と現代インド
映評■11日(火)Charas
生活■12日(水)蛇
分析■13日(木)下院総選挙開票、与野党逆転
映評■14日(金)Lakeer
映評■14日(金)Run
▼マハーラーシュトラ州旅行(5月15日〜6月7日)
旅行■15日(土)マハーラーシュトラ州旅行へ
旅行■16日(日)コンカン・コーストの漁村、ムルド
旅行■17日(月)海上の砦、ジャンジラー
旅行■18日(火)密林のリゾート、マーテーラーン
旅行■19日(水)石窟寺院カールラー&バージャー
旅行■20日(木)デカン高原を南下
旅行■21日(金)デカンの女王、ビジャープル(1)
旅行■22日(土)デカンの女王、ビジャープル(2)
旅行■23日(日)力士の町、コーラープル
旅行■24日(月)絶景の避暑地、マハーバレーシュワル
旅行■25日(火)プラタープガル&ラーイガル
旅行■26日(水)観光拠点、アウランガーバードへ
旅行■27日(木)アジャンター石窟寺院
旅行■28日(金)エローラ石窟寺院
旅行■29日(土)5万年前のクレーター、ローナール
旅行■30日(日)清浄なる町、プネー(1)
旅行■31日(月)清浄なる町、プネー(2)
映評■31日(月)Yuva
映評■31日(月)Hum Tum


5月2日(日) 期末テスト終了!

 やっと今日、期末テストが終わった。インドの大学は7月末〜8月初めに始まり、4月末〜5月初めに終わるのが一般的である。だから日本の「4月から新学期新学年新生活」という感覚とはズレがある。僕が通うジャワーハルラール・ネルー大学(JNU)は、1年にモンスーン・セメスター(7月〜12月)とウインター・セメスター(1月〜5月)の2学期があり、12月〜1月初めに1ヶ月の冬休みが入るカリキュラムになっている。そのウインター・セメスターの期末テストが本日終了したのだ。

 日本は現在ゴールデン・ウィークの真っ最中だが、どうやら今年はインドでも同時期にゴールデン・ウィークになったようだ。5月3日はイードゥル・ミーラード(ムハンマドの誕生日)、5月4日はブッダ・プールニマー(ブッダの誕生日)、5月5日と10日は下院選挙の投票日(デリーは10日のみ)で休日となり、もし6日と7日に休みを取れば、1日〜10日まで10連休ということになる。この連休を使ってシムラーやナイニータールへ避暑に行くインド人家族も多いという。

 実はこの連休のおかげでテストが繰り上がってしまった。元々テストの日程は4月29日、30日、5月3日、4日という日程で、5月1日(土)と2日(日)は中休みになっていた。非常に理想的なスケジュールだったのだが、直前になって急に日程が変更され、4月29日、30日、5月1日、2日に変わってしまった。つまり4日間ぶっ続けである。3日のイードゥル・ミーラードと4日のブッダ・プールニマーは月の満ち欠けを見て占星術師が日程を決定するため、急に日付が変わったりする。ただでさえ難しいテストなのに、こんな殺人的なスケジュールになってしまって目まいがしたが、喉もと過ぎれば暑さを忘れ、今は「早くテストが終わってよかったな〜」と解放感に浸っている最中である。

 今年1年を振り返ってみると、勉強漬け、ヒンディー語漬けだったとつくづく感じる。旅行したり趣味に時間を費やすことがほとんどできなかった。インド人向けのヒンディー語文学修士コースを学ぶのはかなり大変だったが、なんとか付いて行くことができてよかった。モンスーン・セメスターには、

@ヒンディー語の言語的歴史
Aヒンディー語文学の歴史(1857年まで)
B黎明期のヒンディー語文学(チャンドバルダーイー「プリトヴィーラージ・ラーソー」、カビール「ビージャク」、ジャーイスィー「パドマーワト」)
Cヒンドゥスターンの文学と文化の伝統(ヒンディー語科とウルドゥー語科の混合コース)
Dウルドゥー語とウルドゥー文学入門

の5つの科目があった。ヒンディー語とウルドゥー語の複雑な関係を実感できたことや、ウルドゥー語とウルドゥー文学を学ぶことができたのが印象的だった。一方、ウインター・セメスターには、

@ヒンディー語文学の歴史(1857年〜)
A中世のヒンディー語文学(スールダース「ブラマルギート」、ミーラーバーイー「パダーワリー」、トゥルスィーダース「ラームチャリトマーナス」、ビハーリーラール「サトサイー」、ガナーナンド「ガナーナンド・カヴィット」)
Bヒンディー語の小説と短編(プレームチャンド「ゴーダーン」「カファン」、パニーシュワルナート・レーヌ「マイラー・アーンチャル」「ラールパーン・キ・ベーガム」、ジャイネーンドラ・クマール、モーハン・ラーケーシュ、ヤシュパール、アマルカーント、シェーカル・ジョーシーなど)
Cサンスクリト詩論学(バラト「ナーティヤシャーストラ」〜ラージ・ジャガンナート「ラスガンガーダル」まで)

の4科目があった。特にサンスクリト詩論学は、おそらく日本語で読んでも難解なことをヒンディー語で読まなければならないため、ほとんどチンプンカンプンだったが、チンプンカンプンなりになんとか理解し、なんとか答案用紙を埋めることができた。カビールから始まりトゥルスィーダースまでのヒンディー語文学は、黄金期と言われるだけあって、読んでるとのめり込んで来るものが多い。ビハーリーラールの言葉の魔術を駆使した詩の数々にも感動した。また、ヒンディー語の小説や短編を読めば読むほど、もっと多くのヒンディー語文学を日本語に訳して、一般の日本人が簡単に読める状態にしないといけないと感じた。日本人がインドをあまり理解していない、または凝り固まった偏見を持っているのは、インドの文学があまり日本で紹介されていないことも一因だと思われる。また、日本人がインドよりも中国に親近感を覚える理由の一因も、インド文学よりも中国文学が日本人にとって圧倒的に身近なものだったからだと思う。詩の翻訳は難しいし、「マハーバーラタ」や「ラーマーヤナ」の完訳は途方もない仕事になるが(未だにこのインドニ大叙事詩は日本語に完訳されていない。完訳に着手すると必ず志半ばで倒れるというジンクスがあるようだ・・・)、小説や短編だったら不可能じゃないし、訳しても原本の雰囲気が壊れることは少ない。ただ、インド関係の本は出版してもすぐに絶版になって入手困難になる傾向にあるのが不安なところだ・・・。おそらく日本は将来インドと真剣に関係を築かなければならなくなるだろう。そのときに、インド文学の翻訳が揃っていると、インドのことを理解するのに非常に役立つのではないかと考えている。

 ところで、インドの大学のテストが真面目に行われているかというと・・・形式的には厳格に行われているが、管理が行き届いていないというか、学生の人格に問題があるというか・・・ちょっとひどい。まず、期末テストの重要性は非常に高い。僕のコースでは、期末テストだけで成績の50%が決まる。一昔前のデリー大学では、期末テストだけで成績が決まっていたので、全く授業に出ず期末テストだけ受けて単位を取るという学生もいた(現在では出席率や中間テストが成績に反映されるように変更されたそうだ)。どちらにしろ、期末テストは非常に重要である。インドの大学のテストは、日本の試験で言う小論文形式で、設問に対して一般論や自分の意見を書き連ねなければならない。一問一答とか、択一問題のようなものは、未だに見たことがない。インド人学生はとにかく書く。書いて書いて書きまくる。とにかく長く書けば点数が多くもらえると思っているようだ。どうも本当に長く書けば書くほど点数がもらえるシステムの大学や学部もあるようだが、JNUのヒンディー語科では内容重視で、蛇足な事項を書くと点数が下がる。正当に評価してもらえるだけありがたい。JNUでは、答案用紙は学部の印鑑と監視員の署名がされており、シリアルナンバーも割り振ってある。これはおそらく、外部から偽の答案用紙を持ち込む行為を防止するためだと思われる。また、受験者は受験票を持参しなければならない。しかし、いかんせん教室が狭く、机も狭いため、受験者はほとんど肩を寄せ合って試験を受けることになる。そうすると、インド人の学生たちはテスト中にも関わらずお互いにこそこそ相談し合ったりする。監視している教授たちはもちろん注意するのだが、テスト中話をしている受験生たちを処罰することまではしない。しかも彼らは頻繁にトイレへ行く。トイレが近いためではない。トイレでカンニングするためだ。あらかじめ重要事項をメモしておいた紙を身体のどこかに隠し持っており、トイレでこっそり読んで、また教室に戻ってくる。卑怯すぎる・・・。ちなみに「カンニング」はヒンディー語では「チーティング・マールナー」という。

 テストが終わり、夏季休暇となったわけだが、下院選挙が一段落つくまではデリーを動かないつもりである。インドの選挙は何があるか分からないので、安全策をとってデリーで羽を伸ばすのが賢いだろう。最近、この時期には珍しく大雨や雹が何度か降り、デリーは俄かに涼しくなった。だから実は現在非常に快適な気候である。あまり涼しくなり過ぎると、インドの基盤である農業に影響が出て、最近好調のインド経済にも響くので、心からこの異常気象を歓迎しているわけではないが・・・。

5月3日(月) Main Hoon Na

 テストが終わって夏期休暇が始まり、鳥かごから解き放たれた鳥のように自由になって、直行した場所はもちろん映画館。現在大ヒット中の新作ヒンディー語映画「Main Hoon Na」を見たくてテスト中はかなりうずうずしていた。チケットは予約完売するほどの売れ行きで、それを見越して予め予約をしておいたため、めでたく今日見ることができた。PVRプリヤーで鑑賞。

 「Main Hoon Na」とは「僕がいるよ」という意味。監督は、ヒンディー語映画のミュージカルに革新を起こした女流コレオグラファー(振付師)、ファラハ・カーン。監督第1作目で、脚本と振り付けも担当している。音楽監督はアヌ・マリク。キャストは、シャールク・カーン、スシュミター・セーン、スニール・シェッティー、ナスィールッディーン・シャー、カビール・ベーディー、ザイド・カーン、アムリター・ラーオ、ボーマン・イーラーニー、キラン・ケール、サティーシュ・シャー、ビンドゥー、ムルリー・シャルマーなどである。

 結論から先に言うと、今年上半期最大のヒット作と言っても過言ではないほど面白い。以下、かなり詳細なあらすじを結末まで書くが、もし映画を一から楽しみたかったら読まない方が賢明である。




左からアムリター・ラーオ、シャールク・カーン、ザイド・カーン


Main Hoon Na
 インド軍のアマルジート・バクシー将軍(カビール・ベーディー)は、パーキスターンとの関係改善を図るミッション・ミラープを発案し、国会の承認も得ることができた。ミッション・ミラープとは、印パが分離独立した8月15日に、パーキスターン人の捕虜を国境で解放するというものだった。ところが彼のプロジェクト・ミラープに反対していたのが、元軍人のラーグヴァン(スニール・シェッティー)だった。ラーグヴァンは息子をパーキスターン人に殺されたことから、パーキスターンに異常な敵意を燃やしており、軍隊を解雇された後はテロリストとなって印パの関係改善を妨害することに命を燃やしてきた。ラーグヴァンはTV局でインタビューに答えていたアマルジート将軍を襲撃するが、将軍を身を張って助けたのは、コマンドー部隊隊長で彼の親友でもあったシェーカル・シャルマー(ナスィールッディーン・シャー)准将だった。同じ部隊に所属していたシェーカルの息子のラーム・プラサード・シャルマー少佐(シャールク・カーン)は逃げるラーグヴァンを追いかけるが、父親が重傷であったため、深追いすることができなかった。父親は死ぬ間際にラームに、今まで隠してきた真実を語る。ラームは実はシェーカルの愛人の息子だったのだが、彼女が死んでしまったため、シェーカルが引き取ったのだった。しかしそれが原因でシェーカルの妻マドゥ(キラン・ケール)は息子のラクシュマンを連れて家を出てしまい、それから20年間ずっと別居生活をしていた。シェーカルは遺言としてラームに、もう一度家族をひとつに戻すよう言い残して息を引き取った。

 一方、ラーグヴァンはアマルジート将軍のミッション・ミラープを止めさせるため、娘のサンジャナー(アムリター・ラーオ)を狙っていた。それを知ったアマルジート将軍は、ラームにサンジャナーの護衛を頼む。しかし彼女には問題があった。アマルジート将軍は自分のような軍人になるべき息子を望んでいたのだが、生まれてきたのが娘だったため、サンジャナーに愛情を注ぐことができなかった。それが原因でサンジャナーは父親嫌い、軍人嫌いの性格になってしまい、家を出てダージリンの大学で寮生活をしていた。アマルジート将軍はラームに、学生になりすましてサンジャナーに近づき、彼女を護衛するように命令する。父親の遺言を優先させたかったラームは最初辞退するが、アマルジートは彼に有力な情報を与える。マドゥとラクシュマンも現在ダージリンに住んでいるとのことだった。ダージリンに行けば、ミッション・ミラープの遂行と父親の遺言の遂行を同時に行えることを理解したラームは、二つ返事でその任務を受ける。未だ見ぬ弟の姿を思い浮かべながら・・・。

 ダージリンに到着したラームは、早速学生っぽい格好をして大学を訪れるが、そこは軍隊生活を送ってきたラームにとって全くの別世界だった。ラームは「おじさん」と呼ばれ、時代遅れのファッションをからかわれ、3年間留年し続けている大学の人気者ラッキー(ザイド・カーン)と小競り合いを繰り広げ、学長(ボーマン・イーラーニー)のぶっ飛んだキャラクターに翻弄され、最初は全く溶け込めなかった。サンジャナーにも迷惑がられた。ラームは早速ラクシュマンを探すが、簡単には見つからなかった。そこで大学のコンピューターをハッキングして学生名簿を閲覧したところ、ラクシュマンは実はラッキーだったことが判明した。一方、ラッキーはつまらぬ揉め事に巻き込まれて、屋根から滑り落ちそうになっていた。全校生徒が見守る中、ラームはラッキーを助け出す。この事件をきっかけにラームとラッキーは親友になり、ラッキーを密かに恋していたサンジャナーもラームに心を開くようになる。だがラームは自分の素性は明かさなかった。

 ラームはラッキーの家にペイング・ゲストとして住むようになる。ラッキーの母親(つまりラームの義理の母親)のマドゥもラームを歓迎する。だが、既にラーグヴァンはダージリンに到着しており、着々とミッション・ミラープ妨害作戦を進行させていた。ラーグヴァンは部下のカーン(ムルリー・シャルマー)にサンジャナーの友人の暗殺を命令するが、ラームの活躍によって阻止され、カーンは捕らえられてしまう。ラーグヴァンはラームがダージリンにいることを知り、自ら作戦実行に乗り出す。一方、ラームは化学の教師チャーンドニー(スシュミター・セーン)に恋する。サンジャナーは、父親が息子を欲しがっていたことに影響され、ボーイッシュな服を好んで着ていたのだが、ラッキーが自分を女として扱ってくれないことに失望し、落ち込む。ラームはチャーンドニー先生に指南を依頼し、おかげでサンジャナーは女の子らしい女の子に変身する。するとラッキーのサンジャナーを見る目はコロリと変わるのだった。また、サンジャナーはラームの勧めで父親に電話をし、和解をするのだった。

 ラーム、ラッキー、サンジャナーらのクラスの物理は今までラサーイー(サティーシュ・シャー)先生が担当していたのだが、ある日突然ラサーイー先生は辞表を出し、新しい先生がやって来た。それがラーガヴ先生(=ラーグヴァン:スニール・シェッティー)だった。ラーガヴ先生はプロムパーティーでうまくラームとチャーンドニーを外に出し、サンジャナーを車に乗せて連れ去ろうとするが、そのときラームが戻ってきたため、ラーグヴァンは何もすることができなかった。ちょうどその日、アマルジート将軍はダージリンに到着しており、娘と再会を果たす。ミッション・ミラープもうまくいき、パーキスターン側も同日にインド人捕虜の解放することを発表した。

 ラーガヴ先生はラームとラッキーがシェーカル准将の息子であることを突き止め、そのことをマドゥとラッキーに伝えてしまう。マドゥとラッキーはシェーカルとその息子のことを毛嫌いしていたため、その事実を知って愕然とする。ラームはラッキーの家を追い出され、大学も去ることになった。

 ところがラームが大学を去った後、ラーグヴァンは遂に作戦を実行に移し、大学の生徒を人質にとってミッション・ミラープの中止を求めた。ラームは引き返し、ラーグヴァンの隙を狙って生徒たちを逃がす。後に残ったラームとラーグヴァンは決闘を繰り広げ、最後にラームは勝利を収める。また、ミッション・ミラープも成功裡に終わり、印パは関係改善のための小さな、しかし偉大なる一歩を踏み出したのだった。

 まさにこれぞインド映画!古今東西の映画の要素がたっぷり詰め込まれたマサーラー・ムービー!笑い、涙、恋愛、アクション、カーチェイス、兄弟愛、家族愛、青春、音楽、踊り、パロディー、愛国心などなどの要素の他、インドとパーキスターンの関係改善やテロの本質についても提言がなされており、よくぞここまでいろんなものをひとつにまとめたな、と感心してしまった。軍隊のプロモーション映画のようにも思える。女流監督ということで、もっと女性的視点から繊細な映画を作るのかと思っていたが、蓋を開けてみたら他の男性商業映画監督に負けないほどの典型的なインド娯楽映画だった。おそらく女性監督でここまで商業的映画を作る人は珍しいのではないかと思う。

 はっきり言ってストーリーにあまりオリジナリティーはない。「失われた家族の絆をひとつに」というテーマや、自分の血縁者の家に正体を明かさずホームステイするシーンは、「Kabhi Khushi Kabhie Gham」(2002年)そのままだし、ボーイッシュな女の子が乙女に変身、というプロットは「Kuch Kuch Hota Hai」(1998年)を想起させる。シャールク・カーンが大学にやってきて恋のキューピッド役を務めるのは「Mohabbatein」(2000年)そのままだし、愛人の子供が家庭崩壊の原因となる筋は「Kal Ho Na Ho」(2003年)でもあった。また、「マトリックス」や「ミッション・インポッシブル」などのパロディーもいくつかあった。とは言え、ファラハ・カーン監督はこれら使い古されたネタの数々を新鮮な調理法で仕上げることに成功している。

 特に印象的だったシーンは3つあった。1つは中盤のカーチェイス・シーン。ラーグヴァンの部下カーンらが自動車で逃走するのを、ラーム(シャールク・カーン)がなんとサイクルリクシャーで追いかけるのだ。ダージリンの坂道を下っていくので、サイクルリクシャーでも自動車並みの速度は出ると考えられ、それほど非現実的ではない(ただ、ダージリンにはサイクルリクシャーはなかったと記憶しているが)。途中、インドならではの障害物がいくつかラームの前に立ちはだかるが、それらを超人的なフットワークでかわし、遂にカーンを仕留める。2つめは、ラームがラーグヴァンの人質になったラッキー、サンジャナーやその他の学生たちを救出しに行くシーン。人質というと・・・最近起こったあの事件が連想されてタイムリーだ(ビデオカメラで人質を撮影したりもしている)。ラームは心配するマドゥに対し「必ずあなたの息子を助け出します」と約束する。このときマドゥは既にラームがシェーカルの息子、つまり別居の元凶となった存在であることを知っており、怒ってラームを一度は追い出していたのだが、しかし彼女はラームに言う。「私には両方の息子の命が必要です。」このとき初めてラームは、義理の母親に、息子と認めてもらえたのだった。3つめはミッション・ミラープが成功し、印パの捕虜交換がなされたシーン。場所はどうもラージャスターンだった。パーキスターンから解放された捕虜たちが、自分の家族と再会して涙を流すのだが、その中には、インドの砂を額に塗ったり、地面に頭をつけて喜んでいるラージャスターニーのお爺さんの姿があった。母なるインドの大地に再会の喜びを表現しているのだろう、何だかいかにもインドっぽかった。

 シャールク・カーンはアクションに、踊りに、ロマンスに、八面六臂の大活躍だった。シャールクの演技力を疑う余地はないが、しかし彼のキャラクターの内部矛盾は皮肉にもこの映画の最大の欠点になっていた。軍人としての行動、慣れない大学への戸惑い、家族との感動の再会、ラッキーやサンジャナーへの温かい眼差しなどは、ラームのキャラクターを非常によく表していたが、スシュミター・セーン演じるチャーンドニー先生の前での彼は、全く別のキャラクターになってしまっていた。これはちょっと誤ったスパイスを入れてしまったように思えた。

 ザイド・カーンは「Chura Liya Hai Tumne」(2003年)でデビューした若手男優。彼はリティク・ローシャンの妻スザンヌ・カーンの兄弟であるため、つまりリティクと義理の兄弟ということになる。インド人離れした細面でチャラチャラした外見なのだが、今回はまさにそういう役柄だったので、ピッタリはまった。ヒロインのアムリター・ラーオはそこら辺にいるインド人の女の子と大差ないのだが、間違いなくこの映画のヒットで今後キャリアアップするだろう。スシュミター・セーンは色っぽい女教師役を演じたが、何だか彼女はサーリーが似合ってないように思える。ちなみにインドの女性教師は必ずサーリーを着用している。アムリターとスシュミターが並ぶと、身長差があり過ぎてまるで大人と子供みたいだ。スニール・シェッティーは「Rudraksh」(2004年)に引き続きマッドな悪役を演じていた。テロリストが物理の教師になって大学にやって来るという設定には無理を感じたが、悪役としての憎々しい演技は素晴らしかった。

 学長役を演じたボーマン・イーラーニーは、「Everybody Says I'm Fine!.」(2002年)でデビューした遅咲きのコメディアン。「Munna Bhai M.B.B.S.」(2003年)の1本で、彼は現在のインド映画界で最もホットなコメディアンとして注目を浴びるようになった。元々写真家や舞台俳優をしていたようだ。僕も当然のことながら彼に注目している。この映画でも暴走気味の演技で爆笑を誘っていた。この強引な笑いはジョニー・リーヴァル以来ではないだろうか?




「Munna Bhai M.B.B.S.」での
ボーマン・イーラーニー


 カビール・ベーディー、ナスィールッディーン・シャーなどのベテラン俳優も出番は少ないながら存在感のある演技をしていた。ラッキーの母親マドゥ役のキラン・ケールは、「Devdas」(2002年)でパーローの母親役を演じた女優。シャールク演じるラームがマドゥと初めて会うシーンを見ると、ついつい「Devdas」でのデーヴダースの印象的なセリフ、「カーキー・マー、パーロー・ハェ?(叔母さん、パーローはいる?)」が頭をよぎってしまう。

 音楽監督はアヌ・マリク。「Main Hoon Na」のCDは、飛びぬけて明るいアップテンポの曲が多く、好みが分かれると思うが、客観的に見たら買って損はしないだろう。テーマソングの「Main Hoon Na」は秀逸。コレオグラファーが監督を務めただけあって、ミュージカル・シーンはどれも絶品。特に一番最初のミュージカル「Chale Jaise Hawaien」は、おそらくインド映画史上に残る傑作ミュージカルかもしれない。なにがすごいかというと、ロングテイク(長回し)でミュージカルが撮影されていたことである。つまり、ワンカットで数分間撮影されているのだ。厳密に数えたわけではないが、曲の間奏部にあたるラッキーの登場シーンを除けば、前半と後半の2カットだけでミュージカルが撮られていたと記憶している。多くのダンサーが複雑に入り乱れて踊る立体的な群舞シーンであり、この振り付けを行うのは相当難しいことが想像に難くない上に、編集でごまかしが効かないため、俳優やダンサーの踊りの技能も必要になる。この曲で踊っていた俳優はザイド・カーンとアムリター・ラーオだったが、2人とも踊りはド下手ではないので、この類稀なロングテイク・ミュージカルの撮影に成功したのだろう。「シカゴ」(2002年)程度の平面的で無味乾燥なミュージカルしか作る才能が残されていないハリウッド映画では、綿々とミュージカル映画の伝統を受け継いできたインド映画ミュージカルの結晶「Chale Jaise Hawaien」のような傑作ミュージカルを作ることは不可能と思われる。この1曲だけで僕はファラハ・カーン監督は賞賛に値すると思う。ちなみにファラハ・カーンは、「Dilwale Dulhaniya Le Jayenge」(1995年)、「Dil To Pagal Hai」(1997年)、「Dil Se」(1998年)、「Kuch Kuch Hota Hai」(1998年)、「Kaho Na... Pyar Hai」(2000年)、「Dil Chahta Hai」(2001年)、「Asoka」(2001年)、「Kabhi Khushi Kabhie Gham」(2002年)、「Koi... Mil Gaya」(2003年)、「Kal Ho Naa Ho」(2003年)など、ここ10年間のヒット作のダンスの数々を振り付けしてきた、インドで最も才能のあるコレオグラファーの1人である。

 ダージリンが舞台だけあって、美しいヒマーラヤ山脈が度々背景に映し出されていてよかった。ロケが行われていた学校は、ダージリンを旅行したときに見たような気がする。ダージリン名物のトイ・トレインもちゃんと登場していた。

 気になったのは、後半途中でタッブーらしき人影が一瞬だけ見られたこと。特別出演にしては不自然な映り方で、まるで亡霊のようだった。インド人観客も「タッブーだ!」と反応していたので、タッブーに間違いないと思うのだが・・・全く脈絡のない登場の仕方だった。この映画の大きな謎だ。パーキスターンのパルヴェーズ・ムシャッラフ大統領のそっくりさんにも注目(そこまでそっくりではないが・・・)。

 そういえば、映画中、ザイド・カーン演じるラクシュマンが、自分の古臭い名前を嫌がって本名を明かさず、「ラッキー」と名乗っているという筋があるが、実は僕の友人にも同じような人がいた。彼の本名ラクシュマンというのだが、スニールと名乗っていた。どうも最近のインド人の若者にとって、神様の名前と同じ名前というのは相当ださいようだ。ちなみにラクシュマンとは、「ラーマーヤナ」に登場するラーム王子の弟の名前である。また、悪役のラーグヴァンという名前も、実はラームの別名である。ラーム王子はラグ家の家系と言われており、ラーグヴァンとは「ラグ家の者」という意味である。物語のクライマックスで、ラーグヴァンがラームに「お前のラーマーヤナは終わりだ」と言うと、ラームはラーグヴァンに「自分のラーマーヤナのことを忘れてないか?ラーマーヤナはいつも、ラームの死で終わるんだ」と答える。この映画は、善のラームと悪のラーム(ラーグヴァン)の戦いと取ることも可能である。

 芸術映画しか興味のない人にとっては「Main Hoon Na」は非現実的で馬鹿馬鹿しい全くの駄作だろうが、娯楽映画を楽しむ度量を持っている人なら、この映画はかなりオススメである。2004年度の最重要ヒンディー語映画のひとつになることは確実。「Main Hoon Na(僕がいるよ)」というセリフも今年の流行語になりそうだ。

5月4日(火) EVMプロトタイプを探して・・・

 5月3日付けのザ・ヒンドゥー紙に、サダル・バーザールで選挙関連商品が売られているという記事が載っていた。今年の一番人気は国民会議派ソニア・ガーンディー党首の娘、プリヤンカー・ヴァドラーのグッズらしい。プリヤンカーは今回選挙に出馬せず、代わりに弟のラーフル・ガーンディーがウッタル・プラデーシュ州アメーティー選挙区から立候補した。しかし可哀想なことに、ラーフルのグッズは姉と一緒に映っていないと売上が伸びないという。プリヤンカーの人気、恐るべしである。もしプリヤンカーが本格的に政治に参加したら、プリヤンカー人気だけで国民会議派が与党になってしまうかもしれない。ちなみに売上No.2は順当にインド人民党(BJP)のアタル・ビハーリー・ヴァージペーイー首相のグッズだそうだ。




プリヤンカー・ヴァドラー


 その記事で気になったのが、サダル・バーザールで電子投票器(EVM)のプロトタイプを売っている、という一文だった。政治家たちが有権者たちに、EVMの使い方を教えるために買っていくらしい。これがどうしても欲しくて、今日はサダル・バーザールまで足を伸ばした。

 サダル・バーザールはアジア最大の市場と言われている。敷地面積だけを見たらもしかして最大かもしれない。しかし大きさよりも、その混雑ぶりはおそらく世界でも有数の市場であることは確かだ。ウィンドウ・ショッピングなんて優雅な行為は全くできないほど人通りが激しく、大量の荷物を押し車や頭に乗せて運ぶ人が行きかうため、立ち止まることもままならない。それでも立ち止まる人がいるから、ますます混雑する。

 サダル・バーザールと一口に言っても本当に広いのだが、中心部にバラートゥティー・チャウクという大きな交差点があり、そこを中心にマーケットを散策すると何とか全体像を掴める。件の選挙関連商品を売る店がたくさん立ち並んでいる部分は、そのバラートゥティー・チャウクから東のチャーンドニー・チャウク方面へ向かう、マハーラージャー・アッガルサイン・マールグだった。ただ、もともと生活用品などを売る店が固まっている地域であり、全部の店が選挙グッズを売っているわけではなかった。新聞で読んだほどプリヤンカー関連のグッズが売られているようには感じなかったが、あちこちにインドの国旗色である緑とオレンジが溢れ、国民会議派のガーンディー党首、BJPのヴァージペーイー首相などのポスターや、各政党のシンボルマークが入ったバッジ、傘、シール、旗などなどが売られていた。ただ、このマーケットは卸売り専用なので、ばら売りで売ってくれるところはほとんどなかった。




選挙グッズを売る店


 とりあえず、そこら辺をうろちょろしている客引きに「EVMはどこに売ってる?」と聞くと、「そんなもん買って何に使うんだ?」と怪しまれて避けられてしまった。選挙グッズを売っている店の人にも聞いてみたが、不審な目で見られて「あっち」とか適当にしか返答してもらえなかった。確かにEVMを買い求めている外国人というのは傍目から見たら甚だ怪しい。店先に並んでもいなかった。もしかしたら違法で売っているのかもしれない。いや、しかし違法だったら新聞で紹介されたりはしないだろう。どうも要領よくEVMを拝むことができなかったので、作戦を変えて、今度は選挙関連商品を売っている店に何気なく立ち寄って、自己紹介や世間話をしながら親密になり、何気なくEVMのことについて聞いてみた。すると、「売っている」とのことだったので、内心「やった!」と思いつつも冷静に、「ちょっと見せてくれない?」と言ってみた。すると出てきたのは・・・




これがEVMプロトタイプ・・・!


 写真だと分かりにくいが、なんとこれは厚紙でできている。上部にはちゃんと「Electoric Voting Machine」と書かれており、その下に1番から16番のリストがある。本物は、ここに政党名、政党のシンボルマーク、または候補者名が書かれ、有権者は自分の支持する政党または候補者の右側にあるボタンを押して投票する。しかしこれはダミーのため、一番上にしかボタンが設置されていない。ただ、そのボタンを押すと「ピー」という電子音が鳴り、赤いランプがピカピカ光る。上述したが、これを使って政治家たちは有権者にEVMの使い方を教えるのだ。だが、どうも彼らは普通に「EVMの投票の仕方」を教えるのではなく、例えば「蓮のあるマークの隣のボタンを押してくださ〜い。それ以外のボタンを押すと機械が故障してしまいますよ〜」みたいに教えるらしい(蓮のマークはBJPのシンボル)。そういう逸話を聞く限り、EVMを使って以前よりも公正な選挙ができるようになったとは思えない。

 しかしそんなことはこの際どうでもいい。僕は「EVMプロトタイプ」と聞いて、てっきりEVMの試作品が市場に出回っているのだと思ってわざわざやって来たのだった。だが出てきたのは、厚紙で作った安っぽい偽EVM・・・。これには唖然としてしまった。卒倒しそうになりながら「もっといいのはないのか?」と聞いてみると、今度は木製のが出てきた。これもボタンを押すとピーと鳴ってランプが光るって・・・お前ら、夏休みの自由工作やってんじゃないぞ!と一喝したくなったが、インド爆笑グッズとしてその木製EVMを購入することに決定した。100ルピーだった(高い・・・)。







購入した木製ダミーEVM
上部に赤いボタンと赤いランプ
開くと中はこんな感じ
まさに夏休みの自由工作


 だが、インドのことだ、本物のEVMが市場に流れていてもおかしくない。僕はこのダミーEVMを買っただけで満足して(打ちひしがれて)帰ってしまったが、もしかしたらもっと巧みに探せば、闇から本物が出てくるかもしれない。「EVMはないか?」と聞いたときの店の人々の反応を見る限り、その可能性を排除することはできないと感じた。

5月8日(土) インド神話と現代インド

 インド神話を読んでいると、いくつかの法則というか、決まりが暗黙の了解としてあることに気付く。その内のいくつかは、現代のインドに通じるものがあったりして、けっこう面白い(注:インド神話の固有名詞はサンスクリト語読みで一般的に表記されるが、僕は基本的にヒンディー語読みにしている)。

 例えば、「口に出したことは必ず実行される、または実行されなければならない」という決まりがある。日本にも「言霊」という考え方があり、言葉には一種の霊性が宿ると考えられていた。インドでも口から発する言葉には特別な力があると考えられていたようで、インド神話の中では、誰かが発してしまった言葉によって事件が巻き起こることが多い。自分で自分に関する言葉を発してしまうこともあれば、他人に関することを発することもある。他人に対して発した言葉は、一種の呪いとなる。例えば「マハーバーラタ」集会編において、パーンダヴ5王子の次男ビームは、自分の妻ドラウパディーに対し破廉恥な行動をとった宿敵ドゥリヨーダンに対し、「ドゥリヨーダンの太ももを棍棒で粉砕しないならば、私の魂は報われないであろう」と宣言した。その宣言は、マハーバーラタ戦争の末期、シャリヤ編におけるビームとドゥリヨーダンの一騎打ちで実現する。また、同じく「マハーバーラタ」初編では、聖仙キンダムがパーンドゥ王に対して発した呪いの話がある。キンダムが鹿に変身して妻と交わっていたところ、狩りに来たパーンドゥ王が彼を射殺してしまった。その際、キンダムはパーンドゥ王に対し、「汝は妻の身体に触れたらたちどころに死ぬであろう」と呪いをかけた。その後、パーンドゥ王はその呪いに悩まされ、妻の身体に触れることができなかったのだが、遂に妻の1人マードリーの魅力に耐えかねて触ってしまい、呪い通り即死してしまった。もうひとつ「マハーバーラタ」から例を挙げると、パーンダヴの5王子の共通の妻ドラウパディーの話など最適である。不思議なことに、「マハーバーラタ」の中の主人公である5兄弟は、1人の共通の女性と結婚した。つまり一妻多夫制である。その理由として、こういう話が伝わっている。5王子が追放されて母親クンティーと共に隠遁生活を送っていたとき、三男のアルジュンはドルパド王の娘ドラウパディーを自選式(花嫁が自ら夫を選ぶインド古代の儀式)で勝ち取り、家に連れて帰って来た。アルジュンが「母上、いいものをお見せします」と言うと、母親はアルジュンが何かを拾ってきたのだと勘違いし、「兄弟で仲良く分けなさい」と言ってしまった。母親の言葉は絶対かつ真実であるため、5兄弟は1人の女性と結婚することになったという。これらの話から、おそらくインド人は「軽々しく物事を口に出してはいけない」という教訓を得るのだろう。ということは裏を返せば、当時から軽々しくあることないこと口に出す連中がインドにはたくさんいた、ということになるのではなかろうか・・・。

 現代のインドでも、この言霊信仰はまだ生きていると思う。例えば、昔ケーンドリーヤ・ヒンディー・サンスターンでヒンディー語を習っていたとき、ヒンディー語の例文を作るように言われたことがあった。どういう脈絡だったか忘れたが、僕は「私の息子は死んでしまった」という文章を作った。そうしたら先生に、「それはよくない文章だ」と言われた。文法的に間違っているのではなく、内容がいけないらしい。どうもインドでは、年下の人の生命や健康に関して悪いことを言うのはいけないことと考えられているようだ。例え例文でも、実際に息子がいなくても、言葉にしてはいけないらしい。その割には、年上の人にならそういうことを言うのはまだ許されるらしい。確かにインド人は、事あるごとに子供などの年下の人に「長生きするように」と言っている。日本の場合を考えてみると、多分正反対だと思う。他人に対して「死ね」などと言うのは絶対によくないことだが、どちらかというと年上の人に対してそういうことを言う方がタブー視されているように思える。そうでなくても、年上の人に対して「長生きしてください」という言うことはあるが、年下の人にそんなことあまり言わないのは確実だ。よって、この点に関して日本とインドは逆だといっていいだろう。多分インドでは、年上の人が年下の人に対して発した言葉は効力を持つと考えられていると思われる。先程の文を、「私の父親は死んでしまった」に直したら、「それならまだいい」と言われた。

 一度発してしまった言葉に振り回される話はインド神話の中に数多くあるが、最も多いのが、神様が人間や悪魔などに発してしまった言葉による騒動である。神様が発した言葉は恩恵と言ってもいいが、一番困るのが悪魔に対して与えてしまった恩恵である。インド神話のルールとして、まず「苦行をした者は誰でも神様から恩恵を与えられる」というものがあり、悪魔でも何万年も苦行することにより、神様から恩恵を授かることができる。一方、第2のルールとして、「不死身の恩恵は不可能」というものがある。いくら苦行しても、不死身の身体という恩恵を得ることはできない。多分この理由は、インド神話では神様自身も元々不死身ではなく、アムリタという霊水を飲むことによって不老不死の状態を維持しているだけだからだと思われる。不死身でない者が、他人を不死身にすることはできないというわけだ。苦行に苦行を重ねて恩恵を受けれることになった悪魔は皆、神様から不死身の身体を得ようとするが、それはできないことになっているため、代わりに別の言い方で不死身に近い力を獲得する。例えば、「ラーマーヤナ」に出てくる羅刹王ラーヴァンは、ブラフマー神から「神様にも悪魔にも殺されない」という恩恵を授かった。それに対し、インド神話に登場する神様や英雄たちは、悪魔が授かった恩恵の抜け穴を探し出して何とか退治するのだ。ラーヴァンは、人間の王ラームと、彼の率いる動物の軍勢によって退治された。また、シュンブとニシュンブという兄弟の悪魔がいたが、2人は苦行によってシヴァ神から「いかなる神の攻撃も受けない」という恩恵を得た。だが、彼らは「女神」を恩恵の条件に入れ忘れていた。結局、シュンブとニシュンブは、ドゥルガー女神によって殺されてしまった。

 神様から悪魔が授かった恩恵の抜け道を探すという行為は、まさに現代のインド人が法律の抜け道を探そうと躍起になっている姿を想起させる(まあインド人だけではないが)。その一方で悪魔側も必死である。ヒラニヤカシプという悪魔に至っては、シヴァ神から「人間にも獣にも神様にも悪魔にも殺されず、昼にも夜にも殺されず、家の中でも外でも殺されず、いかなる武器でも殺されることがない」という恩恵を得た。おそらくヒラニヤカシプは、上記の悪魔たちの失敗を見て、より完全に不死身に等しい身体を得る工夫をしたのだろう。こちらは、法律の網をかいぐぐる国民たちを漏れなく網にかけようと努力する政府の姿を想起させる。しかし、ほぼ完璧に近い恩恵を得たヒラニヤカシプも結局殺されてしまう。しかし誰がいったいどうやって?無敵のヒラニヤカシプを殺したのは、ヌリスィンハという人獅子(ライオンの顔をした人)であった。つまり、人でも獣でもないという訳だ。そしてヌリスィンハは、日没時の、昼でも夜でもないときに、家の玄関、つまり家の中でも外でもない場所で、自身の爪と牙で、つまり武器ではない武器で、ヒラニヤカシプを退治したのだった。神様と悪魔の騙しあいというか、知恵比べというか、いたちごっこというか、そういうのを読むと、なぜか現代のインドの様子が浮かんでくるから不思議だ。

 以上、言霊に関して述べてきたが、マハーバーラタ戦争の展開を見ても面白い。マハーバーラタ戦争は、クル族のカウラヴ兄弟とパーンダヴ兄弟という肉親同士で起こった戦争であり、「マハーバーラタ」では、パーンダヴの5王子の方に同情的に書かれている。インドで最も人気のある神様であるクリシュナが味方するのもパーンダヴ側であるし、最後に勝つのもパーンダヴ側である。しかし、よく読んでみると、正々堂々と戦争を行っているのはどちらかというとカウラヴ側であり、パーンダヴ側は次々とルール違反やずるい手段を使って戦争を有利に進めていく。例えばパーンダヴ5兄弟の長男ユディシュティルは、カウラヴ軍の最高司令官ドローンが死んだという嘘をついて、敵の武将や兵士たちの戦意を消失させた。この他にもパーンダヴ側は数々の汚ない手を使って勝利をもぎ取った。伝説の王バラトを祖とするクル族はインド人の祖先とも言われている。もしカウラヴ側がマハーバーラタ戦争に勝利していたら、インド人は正直な国民になっていたかもしれない(?)。

 ところで、現在インドの首相を務めるアタル・ビハーリー・ヴァージペーイーは、カリスマ政治家としてインド人民党(BJP)の顔となっているが、彼の人気が僕にはどうしても「マハーバーラタ」に登場する長老ビーシュムと重なる。ヴァージペーイー首相の人気の要因のひとつに、「独身」という要素があると言う。インド人はどうも、独身の男性というのは聖人に等しいと考えている節がある。ここで言う独身というのはつまり、童貞というか、女性を知らない男性ということだろう。実はヴァージペーイー首相にも愛人がいるようだが、公式には独身ということになっている。インド神話の中で、童貞を通した有名な人物がビーシュムである。ビーシュムは、カウラヴとパンダヴの祖先シャーンタヌ王の息子で、皇太子だった。ところがある日、シャーンタヌ王はある漁師の娘サティヤヴァティーに一目惚れしてしまい、結婚を申し込んだ。漁師はその条件として、サティヤヴァティーから生まれた子供を王位継承者にすることを主張した。シャーンタヌ王はビーシュムを愛しており、彼を後継者にすると決めていた。しかしサティヤヴァティーのことも諦めることができなかった。父王の苦悩を知ったビーシュムは、自ら王位継承権を放棄し、自らの子孫が増えないように一生独身で過ごす誓いを立てた。こうしてシャーンタヌ王はサティヤヴァティーと結婚することができ、ビーシュムは一族の長老として尊敬を受けて長生きし、マハーバーラタ戦争にも参加した。また、「ラーマーヤナ」に登場するハヌマーンもブラフマチャリヤ(独身)だと言われている。だから、女性はハヌマーンの像などに触れてはいけないとされているし、ハヌマーンの日である火曜日は、男性だけが断食をしたりハヌマーン寺院を参拝したりする。インドにはクシュティーという一種の相撲があるが、その力士も独身というか童貞でなければいけないそうだ。結婚後は土俵に上がれなくなるという。このように、インドにはどうも、独身と童貞に重きを置く文化がある。ヴァージペーイー首相の人気を見ても、それは現代まで生きていると言っていいだろう。首相に加え、アブドゥル・カラーム大統領も独身である。つまり、現在のインドは独身男2人に支配されていることになる。とは言え、ヴァージペーイー総理の秘密の愛人の話を聞く限り、ビーシュムにももしかしたら愛人がいたかも、と思ってしまう。

5月11日(火) Charas

 昨日、下院選挙の最終投票が終わり、あとは13日の一斉開票を待つだけとなった。唯一ビハール州チャプラー選挙区で揉めており、5月31日に再選挙が行われるようだ。インドの出口調査の結果はあまり信用していないのだが、インド人民党(BJP)率いる連立与党の国民民主連盟(NDA)が苦戦し、最大野党の国民会議派が再び勢力を拡大している模様である。ただ、どちらも過半数に届かない可能性が高く、こうなると両党は中立政党との連携に腐心することは火を見るより明らかで、開票後もしばらくインドの政界と経済界はごたごたすると思われる。僕としては順当にNDAが政権を維持してもらいたかったのだが、インド国民はNDAが政権を握った5年間のインドの急速な発展をあまり高く評価していなかったようだ。確かにインドの全人口の8割以上は、発展とはあまり関係ない農村部や僻地に住んでいるのだ。その上、ヴァージペーイー首相の健康問題も争点となっている。多分NDAが再び政権につき、ヴァージペーイー首相が再び首相となっても、任期の途中でポックリいくか、健康悪化のため引退せざるをえないだろう。そうなると後継者争いが起こるのは必至である。とは言え、国民会議派がもし与党となったら、どうもソニア・ガーンディーがそのまま首相となる可能性が高いようで、そうなるとイタリア出身の女性がインドの首相となるという、なんだかへんてこな事態になってしまう。いったいどうなることやら・・・。

 今日は新作ヒンディー語映画「Charas」を見に、PVRナーラーヤナーへ行った。監督は「Haasil」のティグマンシュ・ドゥリヤー、音楽はラージュー・スィン。キャストはジミー・シェールギル、ウダイ・チョープラー、ナムラター・シロードカル、リシター・バット、イルファーン・カーンなど。ちなみに「Charas」とは「大麻」のこと。




左からウダイ・チョープラー、リシター・バット、
ナムラター・シロードカル、ジミー・シェールギル


Charas
 インドにアーユルヴェーダを学びに来た、植物学専攻のイギリス人留学生サムは、インドの山奥を歩いている内に行方不明になってしまう。サムを探すため、ロンドン市警でインド系移民3世のデーヴ・アーナンド(ジミー・シェールギル)がインドに派遣される。

 デリーのパハール・ガンジに着いたデーヴは、ガイドのアシュラフ(ウダイ・チョープラー)を雇い、彼と共にバイクに乗ってヒマーラヤの方角へ北上する。その途中、ナイナー(リシター・バット)という女性をヒッチハイクするが、彼女はいつの間にかどこかへ消えてしまった。山奥の村に着くと、そこには西欧から来たヒッピーたちがたくさん滞在していた。2人はピヤー(ナムラター・シロードカル)というチンピラみたいな女とも出会う。

 デーヴはサムを探し回る内に、この密林のどこかに大麻栽培の一大基地があることを突き止める。そこでとれる大麻は世界一の品質と裏世界では評判で、「ポリスマン」(イルファーン・カーン)と呼ばれる謎の男によって運営されていた。デーヴはそこにサムがいることを直感したが、政府からパーキスターンのスパイの容疑をかけられる。実はアシュラフは覆面警官で、デーヴを見張るために彼のガイドをしていたのだった。アシュラフはデーヴを捕らえるが、アシュラフも大麻基地のことを知り、そこのボスがかつて上司だったラトゥール警部だと直感する。デーヴとアシュラフは、大麻基地を探すためにジャングルに入る。

 一方、ピヤーは実は週刊誌アウトルックの記者で、大麻栽培に関する取材をするために来ていたのだった。ピヤーはデーヴが集めた情報を全て盗み、それを記事にしてしまった。この大麻栽培と大麻密貿易は、インド、イギリス、イタリア、アフガニスタンなどの政治家、警察、マフィアなどが関わっており、それが暴露されたために各国で大慌てとなる。ピヤーは追われる身となるが、より決定的な証拠を掴むために彼女も密林の中に入る。また、世界最高品質の大麻を求め、アフガニスタン人のマフィアも潜入して来る。

 デーヴとアシュラフは、途中でナイナーにばったり出くわす。ナイナーがポリスマンの手下であることを既に知っていた2人は、彼女をガイドにして基地へ向かう。しかしそこに一足先にアフガニスタン人のマフィアが襲撃をかけていた。デーヴとアシュラフは協力してアフガニスタン人を一掃するが、ポリスマンも自決してしまう。デーヴは、そこで無理矢理大麻の栽培を研究させられていたサムを発見する。また、そこへ辿り着いたピヤーは、大麻組織の全てを暴き、国際的麻薬密貿易網を一網打尽にするのだった。

 ヒマーラヤの奥地の大麻栽培基地の秘密を暴くというテーマは目新しかったが、主演男優2人、女優2人の演技力とカリスマ性の無さからか、監督の技量不足からか、全体的に退屈な映画だった。

 舞台である「インドの山奥のどこか」は、具体的には示されていなかったが、おそらくモデルとなっているのはヒマーチャル・プラデーシュ州マナーリーだろう。マナーリーはインド人の間では避暑地として有名だが、外国人バックパッカーやヒッピーたちの間では、ドラッグ天国としても非常に有名である。実はマナーリーはインドで最も外国人旅行者が何らかの事件に巻き込まれる数の多い場所で、この映画のストーリーもまんざらフィクションではない。事実、この映画の冒頭では「この映画は事実に基づいたフィクションです」と注記されている。ロケ地はクル〜マナーリー辺りと、ラダックのレーかスピティー地方辺りだと思われる。デリーの大統領官邸付近や、パハール・ガンジ、ラージパト・ナガルもチラッと登場する。

 山奥で大麻の栽培を行う「ポリスマン」は、名前の通り昔は優秀な警察官だった。しかし部下を2人も失いながら必死の思いで捕まえたイタリア人武器商人が、「上からの命令で」あっけなく釈放されたのを見て激怒し、警察を辞める。その後、彼は山奥で大麻栽培を始め、政治家や警察とも癒着した国際的麻薬密輸組織のボスとなる。そのポリスマンのかつての部下の1人だったのがアシュラフで、デーヴの監視を続ける内にポリスマンの正体を知る。また、デーヴもサムの捜索を続ける内にポリスマンに行き着く。

 デーヴを演じたジミー・シェールギルと、アシュラフを演じたウダイ・チョープラーは、「Mohabattein」(2000年)や「Mere Yaar Ki Shaadi Hai」(2002年)で共演した仲だが、どちらもまだスターとしてのオーラが出ておらず、黄金コンビとは言い難い。真鍮コンビ止まりか。ウダイは顔が変だが踊りがなかなかうまいのでまだ救いようがあるが、この映画でのジミーは魅力に欠けた。ゲッソリと痩せてしまって見えるのは気のせいだろうか。ジミーが演じたデーヴ・アーナンドは、往年の名優デーヴ・アーナンド(1923〜)から名付けられたという設定だったが、それが何らかの伏線になったりしておらず、全く意味のない設定だった。

 配役上では悪役ということになるが、ポリスマンを演じたイルファーン・カーンは真の主役であり、この映画の唯一の救いと言っていいだろう。今年初めに公開された「Maqbool」で好演していたイルファーンは、この映画でも渋くて味のある演技を見せた。現在のボリウッドでもっとも演技力のある男優に間違いない。怒りと絶望をミックスさせた表情がうまいと思う。

 一方、デーヴとアシュラフがバイクで走行中にヒッチハイクしたナイナーは、実はポリスマンの手下だった。また、アイスクリームをきっかけにデーヴと出会うピヤーは、実は麻薬密貿易の取材をするジャーナリストだった。映画中、デーヴとピヤー、アシュラフとナイナーの恋愛が少しだけ描かれる。

 ナイナーを演じたリシター・バットは、どちらかというとTVドラマ向けの顔に思えてならない。映画に出てきても、観客の視線をグッと引きつける吸収力があまりない。ピヤーを演じたナムラター・シロードカルもなかなかブレイクしない可哀想なニ流女優の1人だ。この2人のヒロインは、はっきり言って邪魔か障害物と思えてしまうほど映画を貶める存在となってしまっていた。もちろん脚本や監督の責任もあるわけだが、やはり2人共女優としての素質に欠けている。ヒーロー2人とヒロイン2人の恋愛描写がオマケ程度で中途半端だったし、最後のまとめ方も最悪だった。

 デーヴとアシュラフがヤマハのアメリカン、Enticerに乗ってインド山岳部の荒野を走る姿はなかなか壮観で、「Easy Rider」(1969年)を思わせた。インド映画でヒーローがバイクに乗って疾走するシーンがあるのは、他に「Dil Chahta Hai」(2001年)や「Sssshhhh...」(2003年)ぐらいしか思いつかない。「Kaho Naa... Pyaar Hai」(2000年)ではリティク・ローシャンがバイクに乗っていたように記憶しているし、ファルディーン・カーン主演の「Janasheen」(2003年)ではバイクのレーサーが主人公だった。だが、大抵の場合、インド映画の主人公は四輪車を乗りこなすことが多い。つまり、これほどバイク社会なのにも関わらず、男優がバイクに乗る姿はあまり描かれないのだ。多分、「バイク=庶民の乗り物」というイメージが定着しているためだと思うが、次第に映画界で「バイク=かっこいい」という価値の転換が起こりつつあるのも確かである。普通、インドでアメリカンと言ったら、エンフィールドを置いて他にないのだが、この映画ではヤマハのEnticerが使用されていた。しかし125ccのバイクなので、これでラダックをツーリングしたりするのは大変だと思うのだが・・・。




ヤマハのEnticerに乗る2人


 映画の内容は下らなかったが、インドにドラッグ目当てでやって来る外国人旅行者の実態が描いたインド映画は今まであまりなく、新鮮だったのはよかった。ヒッピー風の格好をした白人がたくさんエキストラ出演していたが、あまり好意的な描写の仕方ではなかった。映画中、あるイタリア人ヒッピーにおいては、インド人から「イタリア人は英語がしゃべれねぇ」と馬鹿にまでされていた。日本人旅行者が馬鹿にされなくてよかった・・・というか日本人は全く出てこなかった。ブラブラとインドに長期滞在する外国人旅行者に対する、インド人の正直な視線が反映されていたように思えた。

 視点を変えれば興味深い映画になりうるかもしれないが、普通に見たら多分つまらない映画のひとつにカウントされるであろう。イルファーン・カーンの演技だけは自信を持って推すことができる。

5月12日(水) 蛇

 5月初旬のデリーは異常に涼しくて神様に感謝していたのだが、たちまちの内に元の酷暑に戻り、最近は非常に暑い日が続いている。昨日は1、2時間ほどバイクで外を走ったのだが、うかつにも半袖で出掛けてしまったため、両腕がまるで海水浴にでも行ったかのように真っ黒に焼けてしまった。酷暑期のインドの日光をなめてはいけない。これは殺人光線である。

 今日は朝から用事があってグルガーオンへ向かっていた。昨日の反省を活かし、今日は長袖で外出していた。しかし幸いにも今日は曇っていたため、昨日ほどクソ暑くはなかった。アフリカ・アヴェニューからヴァサント・クンジ方面へ抜けるアルナー・アサフ・アリー・マールグを通って南下していた。この辺りはサンジャイ・ヴァンと呼ばれ、広大な森林が手付かずで残っている。この道はまだ道路の拡張工事が行われておらず、細くて街灯もない道路なのだが、アウター・リング・ロードからヴァサント・クンジやグルガーオンへ抜ける近道となっているので、よく利用している。

 そのアルナー・アサフ・アリー・マールグを通行中、前方で人垣が出来ているのが見えた。交通事故でも起こったのだろうと思い、ゆっくりと走行しながら人々の視線の先をチラリと見てみると、そこには不思議な光景があった。2匹の蛇がクネクネとくんずほぐれつもつれ合っていたのだ。そして、インド人たちはわざわざ車やバイクを停めて、それを見ていたのだった。




蛇の交尾


 僕ももちろんバイクを停めて2匹の蛇の不思議な行動をしばらく見ていた。後で調べてみた結果、それは交尾だということが分かった。どうやら蛇の交尾はかなり長時間に渡って行われるようだ。インド人の中には「ケンカしてるんだろう」と言っている人もいたので、インド人もあまり知らないのだろう。というより、デリー生まれデリー育ちのインド人は、動物の生態についてあまり詳しくないと思われる。田舎に住んでいたらこんなことは日常茶飯事だろう。

 蛇というと、インドでは神様に等しい扱いを受けている神聖な動物のひとつである。危険な動物であることから、人間に危害を加えないようお願いする目的で祀られるようになったのが発端だと思われる。蛇神崇拝は全インドで見受けられ、インド神話中でもヴィシュヌ神のベッドになったり、乳海攪拌のための綱になったり、シヴァ神の首飾りになったりと、けっこう活躍している。また、子宝に恵まれないのは、前世または現世で蛇に対して何か悪い行いをしたからだと考えられており、子供が生まれるように蛇に祈ることがあると聞く。2匹の蛇がもつれ合った様子が描かれた石碑が寺院などに立っているのを見かけることがあるが、あれは子宝成就のためのものらしい。蛇の交尾を見ていたら、蛇が子宝と結び付けられた理由が何となく理解できた。インド北東部にナガランドという州があり、ナガ族という民族がいるが、この「ナガ」という言葉は、蛇を意味するサンスクリト語の「ナーガ」に由来するとナガ族の友人が言っていた。

 僕がその蛇の交尾を見ている間は、野次馬がただじっと2匹の蛇を見守っていただけで、1人のインド人がカメラ付き携帯電話で撮影していたくらいだったが、インドではこういう現象が起こると必ず手を合わせて拝んだり、お賽銭を投げたりする人が出てくるものだ。

 蛇というと、今年2月のマハーシヴァラートリーの出来事が思い起こされる。僕の直接の体験ではなく、伝聞だが、非常に印象深い出来事だった。マハーシヴァラートリーと言えば文字通りシヴァ神を祀る祭りである。その日、JNUのヤムナー・ホステル(女子寮)に突然蛇が現れたという。蛇と言えば前述の通りシヴァ神と関係深い動物である。もし日本で女子寮に蛇が現れたとしたら、それはそれで大事件になると思うが、多分その蛇はあえなく退治されてしまうだろう。しかしインドでは全く違った。マハーシヴァラートリーの日、シヴァ神の祭りの日に、女子寮にシヴァ神の化身とも言うべき蛇が現れたのだ。こんなめでたいことはない。インドの未婚の女性は、いい夫に巡り合えるように、幸せな結婚ができるように、シヴァ神に祈るのが普通である。シヴァとその妻パールヴァティーの結婚の神話を読めば、その理由が分かる。だから、マハーシヴァラートリーの日に女子寮に蛇が現れたのは、インド人女性にとっては神様の降臨に等しい大事件であり、自分の幸せな結婚が約束されたも同然の大吉兆である。聞くところによると、寮中のインド人の女の子たちが急いでミルクを持って駆けつけ、我も我もと蛇にお供えしたらしい。それに驚いて蛇は一目散に逃げてしまったようだが、それでもインド人女性にとってこれほどめでたいことはないのだ。ヤムナー・ホステルはJNUで最も高級な寮であり、住んでいるインド人は裕福な家庭の娘ばかりで、日常会話は常に英語というタカビーぶりなのだが、そんなミーハーな彼女たちでさえ簡単に迷信を信じてしまうのだからインドは面白い。

 インドはなぜか奇跡が起こりやすい土地のような気がする。いや、それとも奇跡を奇跡と受け止める土壌ができているのか。例えば、1995年9月21日にデリーで起こった「ガネーシャ像がミルクを飲んだ」事件は有名である。デリー郊外の寺院で参拝者がガネーシャの像にミルクを捧げたところ、そのミルクをガネーシャが飲むという奇跡が起こった。その噂はたちまちインド中に広まり、奇跡を目の当たりにするためその寺院に多くの人々が詰め掛けた他、各家庭の神棚に飾られている神様の像までミルクを飲んだという報告がインド全国から寄せられたという。この噂はインド国内に留まらず、世界中のインド系移民たちにも広まり、例えばイギリスでは多くのインド系移民たちが寺院や家庭の神像にミルクを捧げたため、店のミルクが品切れになったと言われている。普段は近代的生活を送っている先進諸国在住のインド系移民たちでさえ、いざとなったら迷信に走るのだ。しかも、インドの科学者たちの多くは、この事件に関してコメントを出すのを控えたという。理由は「宗教的事柄なので」とのことらしい。科学的根拠の追及よりも神への冒涜を恐れているのだろう。インド人というのは本当に不思議な民族である。

5月13日(木) 下院総選挙開票、与野党逆転

 4月20日から始まったインド下院総選挙。当初は4期に分けて行われる予定だったが、トリプラー州の祭日と投票日が重なったため、トリプラー州の投票日だけ変更され、結果的に5期に分けて投票が行われた。ただ、トリプラー州の投票日を数えずに4期とされることが多い。分割されて投票される理由は、国土が広いこともあるが、治安部隊の数を間に合わせるのが一番の理由らしい。有権者の数は世界最大の6億7500万人。投票率は55%ほどだったようだ。その下院総選挙の開票日が今日だった。下院の総議席は545議席あるが、その内2議席は大統領が指名するため、選挙で選ばれるのは残りの543議席。その内、4議席が再投票されるため、本日開票されたのは539議席だった。今回の選挙では全国で文明の利器である電子投票器(EVM)が使用されたため、集計は迅速に行われた。午前8時から開票が始まり、正午前後には大局が明らかになった。

 僕の事前の予想では、与党インド人民党(BJP)が苦戦しながらも、またBJP率いる連立与党の国民民主同盟(NDA)が過半数割れしながらも、第1党の地位を手堅くキープすると考えていた。10日に発表された各メディアの出口調査の結果を見ても、どこもBJPとNDAの苦戦は予想していたが、第1党から転落することは誰も予想していなかった。しかしそれが起こってしまった。NDAは前回298議席を確保していたものの、今回の獲得議席は186議席に留まった一方で、国民会議派が主導する「政教分離同盟」は前回の135議席に対し、今回は216議席と大幅に議席を伸ばした。どちらの連合も過半数(273議席)を達成していないが、国民会議派は左翼政党(62議席)と連携して、合計278議席を獲得する見込みだ。(各政党の獲得議席数は、なぜか新聞ごとに数字が違う。僕はザ・ヒンドゥー紙をもとにした。)

 既にアタル・ビハーリー・ヴァージペーイーはアブドゥル・カラーム大統領に辞表を提出しており(政権の完全交代までは首相を務めるようだが)、現在争点は誰が首相になるかという点に移行している。もし国民会議派がこのまま与党となるなら、首相は同党内の指導者から出るのが順当なところだろう。だが、国民会議派のソニア・ガーンディー党首は、元々イタリア人でインドに帰化した女性なので、首相に就任することを問題視する意見は党内にも少なくない。もしソニア党首が首相になったら、ペルーのフジモリ元大統領みたいな感じになるだろう。ソニア・ガーンディーは、はっきり言って普通の人だったのだが、インディラー・ガーンディー元首相の息子ラージーヴ・ガーンディー元首相と結婚したがために数奇な人生を送ることになってしまった。実は彼女は僕が通っていたケーンドリーヤ・ヒンディー・サンスターンでヒンディー語を学んでおり、僕の先輩にあたる存在である。彼女のヒンディー語はなかなかうまいのだが、欧米人がしゃべるヒンディー語の特徴として短母音と長母音の区別に無頓着なので、やはりインド人の耳には「ちょっと変なヒンディー語」に聞こえるらしい。例えば「政治」という意味の「ラージニーティ」という単語を、正確に発音できない。「ラジニティ」になってしまう。どうもソニア党首が首相に就任する可能性が濃厚のようだが、インド国民そして世界の人々はいったいこのイタリア出身のインド首相をどう思うだろうか?・・・かと言ってソニアの息子のラーフル・ガーンディー(当選)はまだひよっ子だ。娘のプリヤンカー・ヴァドラーはカリスマ的人気を誇るが、今回は選挙に出馬しなかった。

 下院総選挙と同時に選挙が行われ、制度上の問題から11日に一足早く開票が行われたアーンドラ・プラデーシュ州の州議会選挙で、BJPの苦戦の前兆が既に見えていた。同州ではBJPの同盟政党であるテルグ・デサム党(TDP)のチャンドラバーブー・ナーイドゥ党首が2期(8年8ヶ月)に渡って州首相を務め、「黄金のアーンドラ・プラデーシュ州計画」を打ち出して世界的に有名になりつつあった。ところが開けてビックリ玉手箱、選挙前、TDPは294議席中180議席を獲得していたが、今回の選挙ではわずか47議席しか確保できなかった。BJPに至っては、27人の候補を立てたにも関わらず、当選したのはたった2人だった。一方、国民会議派は同州にて単独で185議席を獲得し、また同盟政党と合わせて全議席の4分の3にあたる226議席を獲得し、絶対優位に立った。ナーイドゥ党首は州首相を辞任し、国民会議派のラージャシェーカラ・レッディーが州首相に就任した。アーンドラ・プラデーシュ州でのTDPとBJPの敗因は、そのハイテク重視と農民無視の政策にあったと見られている。ナーイドゥは州都ハイダラーバードをバンガロールやチェンナイに負けないIT都市にする計画を実施していたが、それは結局同州の人口の大半を占める農民を無視する結果となった。それだけでなく、彼の政策は都市部でも受け容れられず、州都の13議席の内、TDPは2議席、BJPは1議席しか確保できなかった。ナーイドゥはマスコミにちやほやされ過ぎて、夢ばかりを膨らませ、地に足の付いた政治をすることができなくなってしまっていたのだろう。逆に、国民会議派は農民に対し、無料の電力供給を公約として掲げ、選挙を有利に進めた。農民をないがしろにした政治家と政党が、インドでどういう目に遭うか、アーンドラ・プラデーシュ州はその好例となった。インドはまだまだ農業大国である。IT大国ではない。

 アーンドラ・プラデーシュ州でのTDPとBJPの失敗は、そのまま全インドの政局にも当てはめられるだろう。BJPは過去5年間の急速な経済発展や、印パ関係改善などを強みとして選挙に臨んだが、やはり彼らも農民のことをあまり考慮に入れていなかったと思われる。いくら経済が発展しても、それを享受するのは都市部の中産階級以上の人々だけで、インドの大半を占める貧困層はインフレによってますます生活が苦しくなるだけだ。印パ関係が改善しようが、クリケットでインド代表がパーキスターン代表を打ち負かそうが、目の前の生活が困窮していては、BJPの掲げる「フィールグッド」を感じることは不可能だ。この選挙結果から察するに、IT大国として有名になったのはいいが、まだまだインドにITは早すぎたということか。人口の大半を占める農民、後進階級、貧困層、部族たちの地位向上と、基本的インフラの整備、そして何より衣食住の安定こそが、インド国民の総意だったと言っていいだろう。インドの政治は、宗教で説明されることが多いが、今回の選挙は都市と田舎の対立、または富者と貧者の対立で見るべきだと思う。インドと中国が違う点は、中国は人口の大多数を占める貧困層に発言力がないが、インドは少数の富者に一矢を報いるだけの力を貧者が持っていることだ。NDAの敗北によって貧富の差と都市農村の差が縮まるとは思えないが、インドの庶民は自分の意思を堂々と世界に示したと言っていいだろう。デリーに住んでいると、インドの急速な発展ばかりに目が行き、しかもそれを賞賛する気分になってしまうが、デリーは本当のインドではない。マハートマー・ガーンディーは「インドを知りたかったら農村へ行け」と言った。NDAの勝利を信じて疑わなかった僕も、またNDAの政治家たちも、そして各メディアも、結局は都市部の人間であり、農村の現状に疎かったということだろう。果たして発展が万人のためになるのか、今回の選挙は多くの教訓を残してくれたように思う。

 インドは世界最大の民主主義国と言われるが、今回の下院選挙での与党の敗北は、世界最大というその肩書きに恥じることなく、民意が正確に反映された選挙が行われたことを意味する。インドは、世界最大でしかも真の意味での選挙が行われる立派な民主主義国だと誇っていい。これは、国民会議派の勝利と言うよりも、民主主義の勝利と言って過言ではなかろう。ヴァージペーイー氏の最後のセリフは、「我々の政党と連合は敗北したが、インドは勝利した」だった。まさにその通りだと思う。

5月14日(金) Lakeer

 明日から旅行へ行くため、今日は今週から公開のヒンディー語映画2作をまとめて鑑賞した。どちらも一級品には思えなかったが、気になる映画ではあったので、2作とも見てみようと思っていた。

 まず最初に見たのは「Lakeer」。映画館はDTシネマ。監督はアハマド・カーン、音楽はARレヘマーン、キャストはサニー・デーオール、スニール・シェッティー、ソハイル・カーン、ジョン・アブラハム、ナウヒール・キルシ。ちなみに「Lakeer」とは「線」という意味。




左からサニー・デーオール、ジョン・アブラハム、
スニール・シェッティー、ソハイル・カーン


Lakeer
 アルジュン・ラーナー(サニー・デーオール)は地元の人々から畏怖されているマフィアのボスだった。アルジュンには弟のカラン(ソハイル・カーン)と妹のビンディヤー(ナウヒール・キルシ)がいた。3人とも元々孤児で、今は亡き父親が養子にしたのだった。アルジュンは特に、何不自由ない生活を送るカランを溺愛していた。

 一方、アルジュンの支配下にあるスーラジ・ナガルには、サンジュー(スニール・シェッティー)とその弟サーヒル(ジョン・アブラハム)が住んでいた。サンジューはメカニックの仕事をしており、アルジュンを非常に尊敬していた。サーヒルは、カラン、ビンディヤーと同じ大学に通っていた。

 しかし、サーヒルがビンディヤーに恋してしまったことから事件が巻き起こる。実はカランはビンディヤーのことを密かに恋しており、ビンディヤーに付きまとうサーヒルに対して暴行を加える。大怪我を負ったサーヒルを見たサンジューは、カランに対して復讐して瀕死の重傷を負わせる。しかしサンジューはカランがアルジュン・ラーナーの弟だとは知らなかった。カランを半殺しにされて怒ったアルジュンの部下たちは、サンジューの住むスーラジ・ナガルを焼き討ちにする。また、サンジューは自らアルジュンのもとを訪れ、リンチを受ける。

 それから1ヶ月が過ぎた。サーヒルは大学を辞め、レストランで働いていた。アルジュンはスーラジ・ナガルをすぐに復興させ、サンジューは以前の通りメカニックの仕事をしていた。ところがサーヒルとビンディヤーの恋愛は終わっておらず、遂にサーヒルは兄のサンジューにビンディヤーを引き合わせる。サンジューも2人を祝福する。

 しかし退院したカランは黙っていなかった。カランは自分の退院パーティーを口実にビンディヤーを人気のない教会に呼び出し、プロポーズする。ビンディヤーが断ると、カランは怒って無理矢理彼女に結婚をOKさせようとする。そこへサーヒルが現れ、2人は殴り合いのケンカをするが、カランがサーヒルを血まみれにする。だが、カランの強引なやり方をアルジュンはよく思っていなかった。サンジューと共に教会に駆けつけたアルジュンたちだったが、カランはそれを見るとまるで狂人のようになり、ビンディヤーを盾に、尊敬する兄アルジュンにすら銃口を向ける。アルジュンは仕方なくカランを撃ち殺す。

 心優しいが怒ると怖いマフィアと、チンピラのボスみたいな庶民との間のケンカが描かれた暴力映画の割には、恋の三角関係を軸とした人間関係の絡み合いが最大のテーマとなっている、ちょっと変わった映画だった。主演男優の4人は皆、血の似合う武闘派男優。しかし殴り合いのシーンでごり押しする映画ではなく、あくまで人間のドラマを俳優の演技力で魅せていく映画だった。

 まずキーポイントとなるのは、アルジュン、カラン、ビンディヤーの兄弟が、お互いに血のつながりのないこと。これにより、カランとビンディヤーの恋愛が正当化される。また、アルジュンもサンジューも、兄弟を何より大切にする性格であることも重要である。サンジューはアルジュンを尊敬していたが、サーヒルとビンディヤーの恋愛を成就させるため、アルジュンとの決闘も辞さない構えを取る。そして後半で急にクローズ・アップされるのが、カランのプッツンぶり。ビンディヤーへの恋は、サーヒルに対する殺意に変わり、最終的にはアルジュンに対してすら銃を向けるまでプッツンしてしまう。その他、脇役になるが、カランの親友ロニー(アプールヴァ)と、サーヒルの親友ビルジュ(ヴラジェーシュ・ヒルジー)も人間関係の潤滑油として無視できない役割を果たす。

 この映画をただの暴力映画に貶めなかった要因のひとつは、暴力と忍耐の葛藤があったことだ。ビンディヤーは常に暴力を恐れていたが、アルジュンも自分を自制しようと努力し、サーヒルも、公衆の面前で自分を侮辱したカランに対して怒りを抑えていたし、サンジューもすぐには腕力に訴えなかった。これら主人公の自制心が、復讐が復讐を呼ぶマフィア同士の抗争という陳腐な筋に陥るのを防いでいた。唯一、カランだけが次第に暴力に訴えるようになり、自滅していく。暴力と非暴力の葛藤を象徴するシーンは、映画の冒頭で見られる。アルジュンの誕生日に、カランとビンディヤーはそれぞれプレゼントを用意する。カランは銃を、ビンディヤーは花を、兄に贈る。「どちらのプレゼントが気に入ったか?」という質問に答えて、アルジュンは、ビンディヤーのプレゼントをカランのプレゼントよりも優れていると言う。なぜなら銃は人を殺すことしかできないが、花は周囲を幸せにするからだ。また、題名の「Lakeer(線)」も、人間と人間の間の、越えてはいけない「線」という意味があるみたいだ。

 サニー・デーオール、スニール・シェッティー、ソハイル・カーン、ジョン・アブラハムは、4人とも素晴らしい演技をしていたと思う。特にジョン・アブラハムは、まだデビューして1年ほどなのに、サニーやスニールといったベテラン筋肉男優に負けず劣らずマッチョな活躍をしていた。ヒロインのナウヒール・キルシ(Cyrusi:何て読むのか分からず)は、最初イーシャー・デーオールが痩せたのかと思ってしまった。目の辺りがイーシャーと似ている。イーシャーと同じく、コギャル女優という感じがしたのだが・・・。

 音楽監督はARレヘマーンで、印象的な曲がいくつかあった。ディレール・メヘンディーの歌う「Nachley」、VIVAの歌う「Rozana」、シャーンとカヴィター・クリシュナムールティの歌う「Paighaam」、クナル・ガンジャーワーラーの歌う「Shehzade」などがよかった。踊りも悪くなかった。

 なかなか変わったストーリーの映画で、見て損はないだろうが、必見映画というわけでもない。

5月14日(金) Run

 「Lakeer」を見た後、サハーラー・モールにあるメキシコ料理レストラン、サルサ・サルサーに行って昼食を食べた。インドでメキシコ料理というのは珍しい上に、なかなかおいしくて掘り出し物だった。昼食後は今度はメトロポリタン・モールに取って返して、PVRメトロポリタンで「Run」を見た。

 「Run」の監督はジーヴァ、音楽はヒメーシュ・レーシャミヤー。キャストは、アビシェーク・バッチャン、ブーミカー・チャーウラー、マヘーシュ・マーンジュレーカル、ヴィジャイ・ラーズ、アーイシャー・ジュルカー、ムケーシュ・リシなど。




ブーミカー・チャーウラー(左)と
アビシェーク・バッチャン(右)


Run
 イラーハーバード出身のスィッダールト(アビシェーク・バッチャン)は、大学に通うためデリーにやって来た。スィッダールトは、姉のシヴァーニー(アーイシャー・ジュルカー)の家に住むことになったが、スィッダールトと姉の夫、ラージーヴ(ムケーシュ・リシ)は仲が悪く、無視し合っていた。

 スィッダールトはバスの中で、ある女性(ブーミカー・チャーウラー)に一目ぼれしてしまう。スィッダールトはその娘に話しかけるが、最初は無視される。名前を聞くと「ステラ」と答えたが、それは口からでまかせで、本当の名前はジャーンヴィーといった。スィッダールトとジャーンヴィーは何度か偶然の出会いを繰り返すが、ジャーンヴィーは彼に対して冷たい態度を取っていた。

 実はジャーンヴィーの兄のガンパト(マヘーシュ・マーンジュレーカル)は、マフィアのボスだった。ガンパトは妹に付きまとっていた男を半殺しにしたことがあった。スィッダールトもマフィアたちに襲撃されるが、返り討ちにする。しかしスィッダールトはますますガンパトから狙われることになった。一方、ジャーンヴィーもスィッダールトのことを恋するようになり、2人は秘密でデートを重ねる。ジャーンヴィーをきっかけに、スィッダールトとラージーヴの仲も幾分改善される。

 ガンパトは、スィッダールトを直接狙うことをやめ、彼の家族を狙い始める。役所に勤めていたラージーヴは汚職の濡れ衣を着せられて失業し、シヴァーニーは交通事故に遭う。それを見たスィッダールトは意気消沈するが、ラージーヴは彼を励まし、一度足を踏み入れてしまったら、行けるところまで突っ走るように助言する。

 勇気付けられたスィッダールトは、ガンパトのアジトに単身乗り込み、「明日の9時にジャーンヴィーを連れに来る!」と宣言して帰っていく。ガンパトは眠れぬ夜を過ごす。次の日、8時50分にスィッダールトから電話がかかってくる。彼は、「もう既にジャーンヴィーを連れ出しており、今から結婚式を挙げるところだ」と言う。怒り狂ったガンパトは部下を引き連れてスィッダールトを探しに行くが、実はまだジャーンヴィーはアジトにいた。スィッダールトは悠々とアジトに入り込み、ジャーンヴィーを連れて行く。

 罠に気付いたガンパトと部下たちは、2人を追いかける。とうとう追いつかれてしまい、スィッダールトは絶体絶命の危機の陥るが、ジャーンヴィーが兄に「勇気があるなら、一対一で対決しなさい」と言い、スィッダールトとガンパトはタイマンで殴りあう。遂にスィッダールトが勝利し、ジャーンヴィーの手を取って去っていく。

 実はこの映画は、同名のタミル語映画のリメイクである。原作の方は大ヒットしたらしいが、残念ながらこの映画はそうはいかないだろう。非常に古風な作りで、ストーリーに捻りがなく、タミル語映画特有の、脈絡のないコメディー・シーンやミュージカル・シーンは、ヒンディー語映画に適用すると、映画全体が非常にアンバランスになってしまう。どうもタミル人の趣向と北インド人の趣向は、少し違うように思われる。

 ヒンディー語映画の観点から見て奇妙に思えたシーンをいくつか挙げていく。まず、スィッダールトがジャーンヴィーに一目惚れするシーンは、ヒンディー語映画の技法と違って非常にストレートかつシンプルだった。そういえばマニ・ラトナム監督のタミル語映画「Kannathil Muthamittal」を翻案したヒンディー語映画「Sathiya」の男女の出会いのシーンも、ヒンディー語映画とは異質のものだった。一目惚れしたスィッダールトが強引にジャーンヴィーに言い寄るシーンも、ヒンディー語映画のそれを越えた強引さがあった。タミル人の方が押しが強いということか?地下道でマフィアがスィッダールトを襲撃するシーンがあったが、十人ほどの悪党を1人で、しかも全く無傷で退治してしまう圧倒的な強さも、ヒンディー語映画にはあまり見られない特徴である。ヒンディー語映画だと、血まみれになりつつも何とか撃退する、という方が好まれるように思う。ガンパトがラージーヴの家を襲撃するシーンがあったが、そのとき同時になぜかスィッダールトはガンパトのアジトに侵入しており、ガンパトの妻と娘を人質にとって、逆にガンパトを脅迫していた。この非現実的なご都合主義も、ヒンディー語映画よりさらに強い。上のあらすじには書かなかったが、イラーハーバードからスィッダールトの友人のガネーシュ(ヴィジャイ・ラーズ)がやって来るが、彼がコメディー役を務めていた。しかしガネーシュとスィッダールトのストーリーはほとんど交差せず、ガネーシュのコメディー・シーンは全くのオマケだった。こういう構成もタミル語映画の特徴なのかもしれない。ミュージカル・シーンもヒンディー語映画より脈絡がなく、夢や妄想の中で繰り広げられる踊りがほとんどだった。クライマックスでは、スィッダールトとガンパトが死闘を繰り広げるが、スィッダールトが勝った途端、映画は終わってしまった。インド人は映画が終わる直前に席を立って帰り始める習慣があるが、そのインド人に席を立つ暇を与えないほどあっさりとした終わり方だった。もしかしてこれが、インド人の趣向に合致した正統派インド映画の終わり方なのだろうか・・・。

 ロケはイラーハーバード、デリー、アーグラーなどで行われており、イラーハーバードのサンガム(ヤムナー河とガンガー河の交差点)も映っていたし、デリーの各地の風景、例えば大統領官邸、コンノート・プレイス、プラガティ・マイダーンなども出ていたし、アーグラーのタージ・マハル(対岸から)も使われていた。

 ガネーシュのコメディー・シーンは映画をアンバランスにしていたものの、映画中一番面白いシーンもやっぱりガネーシュのシーンであった。デリーに来るはいいが、スーツケースをなくし、財布を盗まれ、時計を取られ、衣服まで持っていかれ、病院からは追い出され、AV映画に出演させられそうになり、散々な目に遭って笑わせてくれた。最後には頭が狂って、ペチコートを着てゴーバル(牛糞)を投げ散らしていたところ、人々から「ゴーバル・バーバー(牛糞和尚)」「ペチコート・バーバー(ペチコート和尚)」と呼ばれて尊敬を集めるというオチだった。ガネーシュを演じたヴィジャイ・ラーズは、今まで悪役を演じていたところをよく見てきたが、コメディーをやらせてもかなりうまいということが分かった。ガネーシュのコメディー・シーンは、多少デリー市民への批判が含まれていたように感じる。これもタミル語映画のエッセンスのひとつかもしれない。

 アミターブ・バッチャンはだいぶ落ち着いた俳優に成長してきて嬉しい限りだ。踊りも一昔前に比べたらだいぶマシになったが、まだ固い動きをしている踊りもあった。ブーミカー・チャーウラーは「Tere Naam」(2003年)に出ていたが、僕の好みの顔ではなく、しかも果たしてインド人の好みの顔なのかもはなはだ怪しい。演技力はなかなかだと思う。ムケーシュ・リシは、典型的な公務員といった感じのラージーヴを演じていた。彼は普段は軍隊、警察、マフィアなど、もっと男らしい役を演じていたため、新鮮だった。

 「Run」は、言わばタミル語映画をそのままヒンディー語映画に当てはめて失敗した映画だ。無理して見る必要はないだろう。

5月15日(土) マハーラーシュトラ州旅行へ



 国民会議派が勝利を収めるという大番狂わせの結果に終わったものの、下院総選挙が無事終了し、安心して旅行できる状況になった。今夏の旅行先はけっこう迷った。この季節に最適な旅行場所は、ヒマーラヤ方面だが、ヒマーチャル・プラデーシュ州もダージリン周辺も主要観光地はほぼ行き尽くしてしまった感があり、まだ行ったことがないウッタルカーンドやネパールも、とりあえずあまり魅力を感じなかった。季節抜きにして現在一番旅行してみたかった場所は、マハーラーシュトラ州だった。海上の砦ジャンジラーや、隕石落下跡ローナールなどに非常に興味をそそられていた。マハーラーシュトラ州の気候を調べてみたら、デリーよりはマシのように思えたので、酷暑期ながらマハーラーシュトラ州旅行を強行することに決定した。

 ムンバイー行きの列車のチケット入手に動き始めたのは、旅行開始の1週間前だった。しかしデリー〜ムンバイー間の列車のチケットは非常に入手困難なようで(少なくとも1ヶ月前に予約しないと取れないそうだ)、普通に予約しようとしたら、ウェイティング・ナンバー200番〜300番ほどだった。ただ、各主要列車には、外国人旅行者用に予め確保されている席が数席あるため、観光ヴィザでインドに来ている外国人旅行者は、比較的簡単にどの列車のチケットでも入手可能である。しかし学生ヴィザではその恩恵にあずかれない。駄目元でニューデリー駅の外国人専用チケット売り場へ行ってみたが、やっぱり学生ヴィザであることがばれて、チケットを売ってもらえなかった。これでおめおめと引き下がるわけにはいかないので、責任者と思われる人物に、ボリウッド映画でよく出てくるセリフ「私は両手をあなたの前で合わせて頼んでいます」を使ったり、もっとケンカ腰に挑んでいったり、いろいろ試してみたが、状況はますます悪化したので諦めた。次にパハール・ガンジへ行って、旅行代理店をあたってみたが、やはりデリー〜ムンバイー間の列車は例外的に入手困難なようで、学生ヴィザでは打つ手なしと言われてしまった。もはや最後の手段を使うしかない。最後の手段とは、観光ヴィザで観光に来ている、同じ性で同じ年齢くらいの日本人旅行者をパハール・ガンジで捕まえて、代わりにチケットを取ってもらう方法である(チケットには性別と年齢が記される。国籍もごまかせないと思われる)。しかし、見知らぬ旅行者をこういうグレイな道に連れ込んだりしていると、その内某ガイドブックに何か書かれそうなので、どうしようかしばらく考えていた。考えている内に、友達の友達がちょうど観光ヴィザでインドに来て、デリーに滞在していることを思い出したので、彼に頼むことにした。この方法はうまくいき、無事デリー〜ムンバイーの往復チケットを手に入れることができた。

 2952ムンバイー・ラージダーニー・エクスプレス。「ラージダーニー」と付く列車は、言わばインドの新幹線で、最も速く、最も快適に目的地に到着することができる。全車両エアコン完備、食事や毛布なども付いて、しかもサービスがよい。しかし料金も最も高い。デリーからムンバイーまで、3等席で1485ルピーだった。別の特急列車の、エアコンの付かない寝台席で同じ距離(デリー〜ムンバイー間の1389km)を走行したら365ルピーで済むことを考えると、非常に高いことがわかる。最近、長距離移動は専らラージダーニーを愛用している。まだ若く、インド初心者だった頃は、安い列車、安い席で貧しい庶民と共に旅行することに生き甲斐を感じていたが、現在の僕にとって移動は移動に過ぎず、また年齢の衰えを金でカバーしないといけなくなっているため、次第にラージダーニー派へと移行してきた。しかも、いろいろな体験談を聞くにつれ、強盗やトラブルに遭いやすいのは断然安い列車、安い席であることが明らかになってきた。ラージダーニーのような高級列車に乗る人は皆リッチな人が多く、盗難の心配が少ないし、銃を持った護衛がつくので、盗賊もラージダーニーは襲わないと言われてる。

 列車は、午後4時の発車予定時刻から8分遅れでニューデリー駅を出発した。噂には聞いていたが、デリー〜ムンバイー間を走るラージダーニーは最新車両であり、車内は非常にきれいだった。しかもトイレが飛行機のトイレと同じような感じなっていたのは驚いた(少し誇張表現あり)。サービスもさすがラージダーニー。ミネラルウォーター、ジュース、軽食、スープ、夕食、朝食などが付く上に、ベッドシーツ、タオル、毛布、枕なども各乗客に配られる。しかも売り子や乞食などが車内に入ってこない。まさに特権階級の乗り物である。

 同じコンパートメントになったのは、やはり外国人旅行者だった。外国人旅行者用のチケットを買うと、外国人旅行者同士で固められる。僕の他には、韓国人の女の子2人、ブラジル人の男1人、イスラエル人の女の子1人、エチオピア人のおじさん1人だった。特にブラジル人の男は、ムンバイーに既に2年半以上住み、過去にはコールカーターやヴァーラーナスィーにも住んでいたことがあるらしく、かなりのインド通だった。タブラーを習っている、というか既にプロのミュージシャンのようだ。エチオピア人のおじさんも変わったキャラクターで、楽しく過ごすことができた。

5月16日(日) コンカン・コーストの漁村、ムルド

 予定より約45分遅れで9時40分頃にムンバイー・セントラル駅に到着した。ブラジル人以外の5人は皆、安宿が集まるコラバへ行く予定だったので、タクシーをシェアすることにした。しかしタクシーに大きな荷物を持った5人が乗るのは難しかったため、僕はエチオピア人のおじさんと2人でシェアすることにした。駅のタクシー・スタンドにいたタクシーを使い、メーターで走らせた・・・が、やはり駅前のタクシーは悪質な輩が多いみたいで、料金をごまかそうとして来た。多分メーターが改造してあったのだろう、それとも料金表が間違っているのか、320ルピーを請求された。しかしエチオピア人のおじさんが既に以前、同じ距離をタクシーで50ルピーで走っていたため、すぐにぼったくっていることがばれた。僕は、どうせぼったくって来るだろう、と予想していたので、ぼったくってくれた方が驚かなくていいのだが、エチオピア人のおじさんはそれを真剣に受け止めてかなり怒っていた。結局100ルピーを払っておいた。2人でシェアすれば別に損した気分にもならない。




ムンバイー


 今日はムンバイーに滞在せず、そのまま素通りする。コラバのインド門にあるフェリー乗り場から、11時発マーンドワー行きのフェリーに乗った(55ルピー)。ここからは、ムンバイー郊外の主要観光地のひとつ、エレファンタ島へのフェリーも出ている。フェリーは揺れに揺れたが、うまく中央の席に座ることができたので、楽に移動することができた。マーンドワーには1時間後に到着し、そこから無料のシャトルバスでアリバーグへ向かった。アリバーグから今度は1時発ムルド行きのバスに乗った。アリバーグからムルドまでは1時間半ほどだった。

 マーンドワーからムルドまでは、コンカン・コーストの北部にあたる部分で、アラビア海に面してずっとビーチが続いており、ムンバイー市民のリゾート地となっている。このビーチはずっとゴアまで続いている。景色は亜熱帯雨林という感じで、ココナッツやヤシの木が立ち並んでおり、南インドに来た気分になる。まぶしいくらいに緑が色鮮やかで、風は柔らかくてヒンヤリした肌触り。デリーよりも湿気があるが、外を出歩けないくらい暑いわけではないのでひとまず安心した。

 ムルドも他のコンカン・コーストの町や村と同じくビーチ・リゾートの町となっており、ビーチに面してリゾート・ホテルが立ち並んでいる。ビーチは閑散としており、手付かずのビーチと言ったら聞こえはいいが、ただの海岸と言ってしまっても差し支えないだろう。波も荒く、泳ぐ気にはなれない。インドのビーチにはなぜかラクダや馬車などがいる、というかいないといけないと考えられている節があるが、ここにもやっぱり馬車がいて、観光客を乗せて走っていた。




ムルド


 ムルドでは、ミラージュ・ホテルという新しくできたばかりのホテルに宿泊した。せっかく宿代の高いムンバイーで泊まるのを避けて来たのだが、ビーチ・リゾートだけあって宿泊料は全体的に高かった。ダブル・ルーム、バス・トイレ付きで700ルピーだった。他にもいくつかホテルを見てみたが、さらに高いか設備が貧弱だった。700ルピーという値段はその妥協点だった。

 今日の行動予定はこれで終わりなので、あとはビーチを散策したり、町から離れた場所にある宮殿まで散歩したりした。

5月17日(月) 海上の砦、ジャンジラー

 ムルドは、アラビア海沿岸に点在するビーチ・リゾートのひとつとして、細々と開発されているようだが、この寂れた漁村には他の大同小異のビーチ・リゾートとは一線を画した遺跡がある。ムルドの南、約5kmのラージプリーという港の沖に、海に囲まれた難攻不落の砦、ジャンジラーがあるのだ。

 ジャンジラーは1140年にスィッディー・ジャホールによって建造された砦で、16世紀にスィッディー王国の首都となった。ちなみにスィッディーとはアフリカ大陸からインドに渡ってきた黒人のことである。今でもグジャラート州からマハーラーシュトラ州にかけての沿岸地域には、黒人の顔をしたインド人を見かけることがある。

 今日はジャンジラーへ行く予定だった。しかし朝から雨が降っており、8時頃になってようやく止んだ。ジャンジラーへ行くには、まずはラージプリーへ行く。ムルドからオート・リクシャーを拾って、40ルピーでラージプリーまで行った。オートに乗っている内に再び雨が降り出し、だんだん不安になって来た。ラージプリー港のボート乗り場には既に十数人の人が集まっていた。しかし、船乗りたちは海が荒れているため、舟を出すのを渋っていた。もちろん渋っているのは、高い料金をせしめるための演技である。小降りになってきたところで、「舟は出すが、往復20ルピー出してもらう」と言い出した。往復12ルピーが普通の料金である。どうでもいいから、とにかく行ってもらわないと困るので、僕は20ルピーで行ってもらうことにした。他のインド人たちも、背に腹は代えられぬということで、20ルピーでOKした。

 フェリーが停泊していたので、てっきりフェリーで行くのかと思ったが、それは湾の対岸に渡るためのもので、ジャンジラーへ行くのは今にも転覆しそうな小さな帆船だった。幸い、雨は既に止んでいたのだが、がは強くて方向が頻繁に変わり、波も荒いので、百戦錬磨の船乗りたちもだいぶ舵取りに苦労しているようだった。途中、港に停泊していたフェリーがやって来たので、それに途中まで引っ張ってもらい、何とかジャンジラー近くまで辿り着くことができた。約1時間かかっただろう。ジャンジラーの周囲には12mの高さの壁が直立しており、所々に大砲が覗いていた。マラーターの英雄シヴァージーも陥落できなかったというが、それは嘘ではなさそうだ。




海上の砦、ジャンジラー


 ジャンジラーの入り口には桟橋など付いておらず、階段が海の底まで続いているだけだった。乗客は、舟からジャンプしてその階段に着地しなければならない。もちろん、膝から下はびしょ濡れになった。ジャンジラーを訪れるときは、濡れてもいい格好で来なければならないだろう。いっそのこと水着で来るといいかもしれない。




ジャンジラーの入り口


 これだけ苦労して辿り着いたジャンジラーだったが、外観は相当立派だったものの、内部は無残なまでに荒れ果てていた。もう少し整備すれば何とかなりそうなものだが、これだけ不便な場所にあっては整備するのも一苦労だろう。船乗りの1人が案内してくれたが、マラーティー語(マハーラーシュトラ州の公用語)で話していたため、あまり理解できなかった。置いていかれると困るので、1人でゆっくり中を巡ることもできなかった。45分ほど主要なポイントを巡って、再び舟に乗り込んだ。




ジャンジラーの内部


 帰りは追い風だったので、10分ほどで港まで戻ることができた。ジャンジラーにはけっこう期待していたのだが、辿り着くまでの苦労に見合うだけの価値はない遺跡だった。外から眺めると壮観なのだが・・・。ジャンジラーの他、ムルドにはもうひとつパドマドゥーリーという砦が沖合いにあるが、そこには行けないらしい。

 ジャンジラーがあっけなく終わってしまったので、もうムルドを後にすることにした。ホテルを12時にチェック・アウトして、テンポ(乗り合いタクシー)に乗ってアリバーグへ向かった。テンポはレーヴダンダーで乗り換えで、ムルドからレーヴダンダーまで20ルピー、レーヴダンダーからアリバーグまで10ルピーだった。途中のレーヴダンダーは古い砦+ジャングルと一体化している不思議な雰囲気の町で、少し見て回ったらポルトガル語らしき印章が砦の壁に刻んであったので、ポルトガル人が造った砦なのではないかと思う。

 実は次の目的地を決めかねていた。ムンバイーまで戻ろうか、それともマーテーラーンに行こうか、考えていた。ムルドからさらに南へ下ろうかとも考えていたが、それは早い段階で止めにした。交通が不便だったからだ。列車の中で出会ったブラジル人が、「絶対にマーテーラーンへ行け」と言っていたので、マーテーラーンへ行くことは決めていたのだが、ロンリープラネット(英語の旅行ガイド)にはムンバイーから列車で行く方法しか記載されていなかったので、ムンバイーまで戻らなければならないのだろうか、と思っていた。しかしアリバーグのバス停で聞いてみたら、そこからマーテーラーンまでバスで行く方法を教えてくれた。アリバーグからカルジャトへ行き、そこからネーラルへ行けば、マーテーラーンへ行けるようだ。早速そのルートを通ることにした。

 アリバーグから午後3時15分発のカルジャト行きバスに乗った(40ルピー)。やはり途中で雨が降ったりしたが、午後5時45分頃にはカルジャトに到着した。しかしカルジャトからネーラルまで行くバス、テンポ、ジープなどが見当たらなかったため、オートを100ルピーでチャーターして、そこから15km離れたネーラルまで行った(後日分かったことだが、カルジャト〜ネーラル間は頻繁にムンバイー郊外列車が往復しているため、列車を使用するのがよい)。

 マーテーラーンは標高800mの山の上にある避暑地で、ネーラルからトイ・トレインが出ているとのことだったので、今日はネーラルに宿泊して、明日の朝トイ・トレインでマーテーラーン入りしようと考えていた。ところがネーラルは思ったよりも小さな町で、ろくなホテルがなかったことから、このままマーテーラーンまで行ってしまうことに決めた。タクシー乗り場でマーテーラーン行きの乗り合いタクシーに乗り(50ルピー)、山道をぐんぐん登って行った。30分ほどでマーテーラーンの駐車場に到着した。

 マーテーラーンは環境保全のため町中まで自動車などの乗り入れを許していないと聞いていた。だが、同じことはシムラーでも行われていたため、僕はてっきりシムラーみたいな雰囲気の町を想像していた。しかし、マーテーラーンは今まで訪れたインドのどの町とも違っていた。はっきり言って、ジャングルである。ジャングルの中にある町である。駐車場から町の中心までは2.5kmも離れており、マーテーラーンを自動車で訪れた人はそこまで歩かなければならない。もしトイ・トレインで来れば、町の中心部までそのまま来ることができる。マーテーラーンの交通機関は、人力車か馬である。自転車すら町の中では使用を許されていない。人力車か馬を使わないならば、徒歩しかない。町の入り口でマーテーラーンへの入場料25ルピーを払うと、そこには人力車と馬が客待ちをしているが、僕は敢えて徒歩を選んだ。しかし歩けど歩けど町らしきものは現れない。次第に辺りは暗くなってきて、人影もまばらになってきて、相当焦ってきた。「このまま森の中で野宿か・・・」と思っている内、30分ほど歩いただろうか、やっと駅とバーザールらしきものが見えてきた。今まで閑散としていた林道が幻であるかのように、大勢のインド人でごった返していた。ホテルを探すのも苦労しそうだったが、2軒目で安いホテルを見つけることができ、そこに落ち着くことにした。

 僕が泊まったホテルは、カーンズ・ロッジング。ダブル・ルーム、バス・トイレ付きで300ルピーだった。見たところ、どうもマーテーラーンのホテルのマネージャーが最も恐れているのは、宿泊客に金・土・日まで延泊されることのようだ。マーテーラーンのホテルはこの時期、週末はどこも予約でいっぱいである。マーテーラーンには2泊する予定だったが、絶対に2泊で出て行くように言われた。今日はかなり疲れたので、夕食を食べた後そのまま寝た。

5月18日(火) 密林のリゾート、マーテーラーン

 マーテーラーンとは、「マーテー(額)」+「ラーン(森林)」で、つまりジャングルの上という意味のようだ。標高は803mあるため、酷暑期でも涼しく、パンカー(天井のファン)が要らないくらいだ。その代わり水シャワーだと少し冷える。湿気があるためジメジメしており、洗濯物がなかなか乾かない。既にモンスーン入りしているのか、雨が頻繁に降る。ムンバイーとプネーの中間点にあるため、それらの都市からのリゾート客が多いのかと思いきや、町を歩いているとグジャラーティー語が目立った。聞いてみると、やはりグジャラート人の観光客が最も多いという。もちろんムンバイーやプネーなどからもリゾート客は来るが、土日を利用した短期滞在がほとんどであり、長期滞在するのはグジャラート人がほとんどだそうだ。元々マハーラーシュトラ州とグジャラート州はボンベイ州というひとつの州で、1960年に分割されたばかりなので、マハーラーシュトラ州にグジャラート文化が移植されていてもおかしくないのだが。

 まず、朝から駅へ行って、明日の帰りのトイ・トレインの座席を予約した。早朝5時45分発の列車しか席が空いていなかったので、それを予約した。1等席が欲しかったのだが、最近は1等車両が連結されていないようで、全席2等席とのことだった。運賃は39ルピーだった。

 マーテーラーンでやるべきことと言ったら、とにかく森林の中を歩くことぐらいしかない。マーテーラーンはテーブル状の台地になっており、遊歩道が縦横に張り巡らされている。その中で見晴らしのいい場所や何か特徴のある場所は「ポイント」と呼ばれている。マーテーラーンには全部で38ポイントあり、それらを制覇するのが一応の目的になりうる。しかしあいにく今日は曇っており、景色は期待できなかった。それでも何かしなければならないので、とりあえずマーテーラーン南部のポイントを徒歩で巡ることにした。





マーテーラーンのバーザール


マーテーラーンの道はこんな感じ


 午前中に巡ったのは、カンダーラー・ポイント、アレキサンダー・ポイント、ラーム・バーグ・ポイント、リトル・チャウク・ポイント、チャウク・ポイント、ワン・ツリー・ヒル、ベルヴェドル・ポイント、シャルロット・レイク、エコー・ポイントなどである。およそ4時間の道程だった。一時的に雲が晴れた部分もあったが、ほとんど雲の中で景色はロクに見えなかった。残念・・・。





ワン・ツリー・ヒル
1本だけしか木が生えていない丘
とのことだが、2本ある?



エコー・ポイント
ここで叫ぶと声がコダマする
ここだけじゃないと思うが


 昼食はエコー・ポイントからバーザールに向かう途中にあるグジャラート・バヴァンでグジャラーティー・ターリーを食べた。グジャラート人が多いということは、きっとおいしいグジャラーティー料理にありつけるだろうと考えていた。グジャラート州を旅行して以来、好物になったグジャラーティー・ターリーを久しぶりに食べた。グジャラート・バヴァンのグジャラーティー・ターリーは110ルピーと高かったが、お代わり自由で味も悪くなく、腹いっぱい食べることができた。

 4時から馬でマーテーラーン西部のポイントを、サンセットと併せて巡る予定だったが、あいにく3時頃から雨が降り出してしまった。ホテルのレセプションに馬を頼んでおいたので、4時前にゴーラーワーラー(馬引き)が来てしまった。最初はキャンセルするつもりだったが、4時になると幾分小降りになったため、即座に決断して馬に乗って出掛けた。馬に乗るのは初めてではないし、今までラクダや象に乗ってきたが、動物に乗ると必ず身体のあちこちが痛くなるからあまり好きではない。しかし一応マーテーラーンに来たからには、お約束の娯楽を少しは体験しておかなければならないだろうと思って、馬での観光を選んだ。馬1頭に乗って、ゴーラーワーラーが歩いて引っ張るタイプだと200ルピー、ゴーラーワーラーも馬に乗って、馬2頭で行くと300ルピーとのことだった。後者だと、駆けたり走ったりできるので楽しい、と言われたので、そうすることにした。

 雨は降ったり止んだりで、濡れるのは覚悟の上だったが、道の上まで覆いかぶさった木々のおかげでそれほどびしょ濡れにはならなかった。マーテーラーンは雲の中にすっぽり覆われており、前方がほとんど見えないほどの濃霧だった。その中を馬で駆けていると、何となくシャーロック・ホームズの時代のロンドンという感じがしてくる。ルイサ・ポイント、コロネーション・ポイント、サンセット・ポイントなどの主要なポイントを巡って戻った。当然、どこもほとんど景色は見えなかったし、サンセット・ポイントで日没を見ることも不可能だった。ただ馬に乗ってグルッと回っただけだったが、乗馬ができてよかったということにしておこう。




お約束の写真
相当な濃霧である


 マーテーラーンの夜は騒々しい。僕が泊まっているホテルはバーザールの中にあるので、人通りが激しいのもその一因だが、不幸なことにちょうど目の前にあるナウロージー・ロード・ガーデンという広場で、毎晩毎晩ライブ・コンサートが行われるのだ。どこぞの素人バンドがボリウッドのヒット曲を大音響で演奏するのだが、これがド下手クソで、ただの騒音になってしまっている。マーテーラーンで静かに過ごしたかったら、バーザールからなるべく離れた場所にあるホテルに宿泊すべきである。

5月19日(水) 石窟寺院カールラー&バージャー

 早朝5時45分のトイ・トレインに乗るために早起きして、ホテルをチェック・アウトした。やはり今日も霧が出ていた。例年は6月中旬からモンスーン入りし、モンスーン入りと同時にマーテーラーンのシーズンも終わるらしいのだが、今年はモンスーンが1ヶ月早く到来してしまったようで、最近の天候は始終こんな感じみたいだ。マーテーラーンは他では見られない独特の避暑地だったが、天候と景色に恵まれなかったのが残念である。ただ、霧が出ているといっても半袖で十分なくらいの気候であり、避暑を目的とするだけだったら、マーテーラーンはいい場所である。

 トイ・トレインはほぼ時間通りに出発した。出発時に駅員が鐘をカンカンと鳴らしたり、手旗で合図したりするのが味があってよかった。まるで高倉健主演の映画「鉄道員(ぽっぽや)」の世界である。マーテーラーンと麓の町ネーラルの間には、アマン・ロッジ、ウォーター・パイプ、ジュンマー・パッティーの、3つの駅がある。全長21kmで、マーテーラーンからネーラルまで約1時間半かかった。マーテーラーンを少し離れるとすぐに辺りの景色は晴れ渡り、青々とした手付かずのジャングルや、広大なデカン高原の景色を見渡せた。トイ・トレインは地元の人々の交通機関にもなっており、途中、駅でもないところで飛び乗ってくる人々がたくさんいた。狭軌なので車両内は非常に狭い。いろは坂のように、列車がジグザグに山を下っていくのは、新鮮だった。途中、1つトンネルをくぐる。7時半頃にネーラル駅に到着した。





ネーラルとマーテーラーンを結ぶ
トイ・トレイン

トイ・トレイン内部


 ネーラル駅で朝食を済ませ、プラットフォームでプネー方面に向かうデカン・エクスプレスが来るのを待った。もしムンバイーからマーテーラーンへ来ようと思ったら、このデカン・エクスプレスでネーラル駅まで来るのがひとつの方法である。しかし、デカン・エクスプレスが到着する頃には、「マーテーラーン行きのトイ・トレインの座席は満席になりました」とアナウンスが流れていたので、シーズン中はこの方法だとトイ・トレインに乗れないかもしれない。

 8時半頃、デカン・エクスプレスがやって来たのでそれに乗り込む。今日はローナーヴァラーへ向かう。ローナーヴァラーもムンバイー近郊の避暑地のひとつで、標高は625mある。ムンバイーとプネーのちょうど中間点にあるため、アクセスは非常によい。しかし、マーテーラーンやマハーバレーシュワルに比べたら避暑地としてのランクは落ちる。その代わり、ローナーヴァラーの近くには、紀元前の仏教石窟寺院が2ヶ所あるため、観光地としての価値はある。

 ネーラル駅を出たデカン・エクスプレスは、カルジャト駅、カンダーラー駅で停車し、1時間ちょっとでローナーヴァラー駅に到着した(ネーラル駅から25ルピー)。この辺りの駅はどれも日本の田舎の駅と非常に雰囲気が似ており、懐かしい感じがする。ムンバイーに通じるローカル列車は、通勤通学時間に非常に混雑するのも日本と同じである。

 ローナーヴァラーではホテル・チャンドラロークに宿泊した。ローナーヴァラーもリゾート地であるので、安いホテルはあまりないようだ。ダブル・ルームで500ルピーだった。だがTVなども付いて設備はよかった。レストランではグジャラーティー・ターリーが食べれる。

 ホテルにチェック・インした後、すぐさまオート・リクシャーをチャーターして(250ルピー)、カールラーとバージャーを観光しに出掛けた。まずはローナーヴァラーから12km離れたカールラーへ向かった。カールラーの石窟寺院は仏教遺跡で、20分ほど石段を登って行った場所にあるのだが、なぜか麓からヒンドゥー教の巡礼地の雰囲気になっていた。供え物や神様グッズを売る店が立ち並び、乞食が道端に座っている。その答えは石窟寺院まで辿り着いたら分かった。仏教の石窟寺院の真ん前に、ヒンドゥー教の寺院ができていたのだった。インド人たちの多くは、この寺院を参拝しに来ているのだった。それほど古い寺院に見えなかったので、多分以前は石窟寺院をそのままヒンドゥー寺院にしてしまっていたのではないだろうか?

 ヒンドゥー寺院は入場料など必要ないが、石窟寺院に入るにはインド人5ルピー、外国人100ルピーのチケットが必要である。いつもの通り、インドに住んでいるからインド人料金にしてくれ、と頼んでみたが、やはり外国人の多いムンバイーやプネーに近い遺跡だけあって、インド人料金にはしてくれなかった。「ソニア・ガーンディーが来ても外国人料金を取るのか?」とか「マネージャーはどこだ?」とか粘ってみたが、ソニア・ガーンディーでも外国人料金を取るし、マネージャーはアウランガーバードに行ってしまっていて留守だ、とつれない答えを返されるだけで効果は無かった。仕方なく100ルピーのチケットを買った。外国人が多く来る観光地と、現場の最高責任者がその場にいない観光地では、インド人料金で外国人が遺跡に入場できる可能性は低くなる。

 カールラー石窟寺院は前80年に造られた石窟寺院で、巨大なチャイティヤ窟(礼拝堂)と、複数のヴィハーラ窟(僧の居住地)で成っている。チャイティヤ窟は相当な規模で、天井には木の骨組みが残っている。インド各地に残る石窟寺院の多くは、当時一般に造られていた木造寺院の建築様式を模倣して彫られたと言われている。カールラーの石窟寺院を見ると、それだけでなく石窟寺院には石を彫るだけでなく、木も使用されていたらしいことが分かる。この木は伝えられるところによるとオリジナルとのことだ。チャイティヤ窟の奥にはストゥーパが鎮座しており、それを取り囲む柱の上には象や人の彫刻があった。入り口側面などの彫刻も大したものだった。







カールラー石窟寺院
チャイティヤ窟


 次にカールラー石窟寺院から5km離れたバージャー石窟寺院に行った。こちらも石段を10分ほど登って行った場所にあるが、カールラーと違ってヒンドゥーの寺院にはなっていないため、静かである。ここも入場料が必要で、インド人5ルピー、外国人100ルピーである。

 バージャー石窟寺院はカールラー石窟寺院よりもさらに古く、前200年頃に造られたと考えられている。チャイティヤ窟の規模はカールラーに劣るが、ヴィハーラ窟の数はこちらの方が多い。興味深いのは、ストゥーパが14個並んでいる部分。ストゥーパを彫る練習でもしたのだろうか?バージャー石窟寺院にもやはり木造建築を思わせるような彫刻が随所に見られ、チャイティヤ窟の天井には木が残っている。




バージャー石窟寺院


 ところで、ローナーヴァラーは、チッキーというお菓子で有名である。ネーラル駅からローナーヴァラー駅へ向かう列車の中でも、売り子が「ローナーヴァラーのチッキーだよ〜」と言って売っていた。マーテーラーンにもチッキーを売る店がたくさんあり、この近辺はチッキーの名産地のようだ。チッキーはグル(サトウキビから取れる未精製の砂糖)とナッツを固めて作られた固くて甘いお菓子である。日本でも同じようなお菓子があったような気がするが、何というのか知らない。日本人にとって、初めて食べる味ではなく、いつか食べたことのある味だと思う。




ローナーヴァラー名物チッキー


5月20日(木) デカン高原を南下

 今日は1日中バスの中だった。

 まずは午前8時半頃、ローナーヴァラーのバススタンドでプネー行きのバスに乗った(42ルピー)。バスはムンバイー〜プネー・エクスプレス・ハイウェイを通った。2001年に完成したエクスプレス・ハイウェイは、ムンバイーとプネーを結ぶ有料高速道路で、おそらくインドで最も近代的な道路である。片側3車線のきれいに舗装された道路で、日本の高速道路と比べても遜色ない。ムンバイーのバイク野郎たちは、この道路で自慢のバイクをかっ飛ばして楽しむそうだ。デリー周辺には、まだこのような安心してスピードを出せる道路はない。

 エクスプレス・ハイウェイを下りると、次第に辺りは大都市の周辺部といった感じの風景になってきた。インド屈指の快適都市と言われるプネーが次第に近づいてきたのだ。南デリーと比べると多少ごちゃごちゃしてはいるが、普通のインドの都市に比べたらだいぶすっきりとした都市である。気候も、ローナーヴァラーよりさらに過ごしやすいように思えた。繁華街らしき場所も通ったが、まだほとんどの店が開店前だったものの、けっこう栄えていそうな感じだった。ローナーヴァラーから1時間半ほどでスワールゲート・バススタンドに到着した。

 今日はこのままプネーを素通りして、デカン高原を南下する。同じバススタンドでコーラープル行きのバスに乗った(109ルピー)。途中ひとつふたつ山を越えた他はずっと平原であり、バスはひたすらバンガロール方面へ直進した。サーターラー、カラードなどのバススタンドでしばらく停車しつつ、コーラープルには午後5時頃に到着した。プネーから6時間半ほどかかったことになる。この辺りは、暑くもなく、寒くもなくの理想的な気候で、わざわざデリーの酷暑から逃れてきた甲斐があったというものだ。聞くところによるとここ数日間、デリーは猛暑に襲われているらしい。北インドの酷暑期にマハーラーシュトラ州旅行を選んだのは正解だったようだ。

 このままバスの接続がよければ、真の目的地、カルナータカ州ビジャープルまで一気に行ってしまうつもりだったが、次の便まで2時間ほど待たなければならず、その便を使ったらビジャープルに着くのは真夜中になってしまうので、今日はコーラープルに宿泊することにした。バススタンド近くにあるホテル・ツーリストに宿泊した。ツイン・ルーム(バス、トイレ、TVなど完備)をシングル料金にしてもらって390ルピーだった。

 コーラープルはマハーラーシュトラ州の最南部にある町で、チャッパル(サンダル)と力士で有名だそうだ。ちょっと散歩してみたが、コーラープルは典型的中規模都市の様相を呈していながら、何となく他の町よりもいろいろな点で整っている感じがして好感が持てた。例えば、小さな交差点でも人々は信号をよく守っているし、オート・ワーラーもメーターを必ず使用して走行してくれる。町にはなぜかアイスクリームの店が多く、スクーターに乗っている若い女性が目立つように思えた。

 散歩から帰るとちょっとした事件があった。警察からホテルに電話があったようで、僕が警察署に呼ばれたのだ。インドでは、外国人旅行者がホテルに宿泊する際、宿帳の他、フォームCという政府に提出するための用紙に氏名やパスポート番号などを記入させられる。そのフォームCに書いた僕の情報で何か問題があったみたいで、すぐに警察から呼び出しがあったというわけだ。別にやましいことはしていないので、面白いことになったと思いつつ、ホテルの警備員と共に警察署へオートで行った。警察署は町の郊外にあり、かなり広大な敷地に警察署や警察関係者の住宅街などが固まっていた。警察に呼ばれた理由は、外国人登録のことだった。観光ヴィザ以外でインドを訪問する外国人、またはインドに6ヶ月以上滞在する外国人は、入国から14日以内に外国人登録局または警察署で外国人登録を行わなければならない。外国人登録を行うと登録番号が記入された手帳を手渡される。もちろん、僕はちゃんと外国人登録を行っているので、登録番号も持っている。その登録番号をフォームCに書かなければならなかったのだが、ホテルのレセプションがそれを知らずに勝手に省略してしまったため、問題になったようだ。僕は外国人登録手帳もパスポートと一緒に念のために常に携帯しているので、警察署でそれを見せたら「オー、ソーリー」ということで一件落着となった。しかし、今まで旅行中に警察に呼び出しをくらったことなどなかったので幾分驚いた。という訳で、上記の条件に当てはまる外国人は、ちゃんと外国人登録を行っておかないと、思わぬところでトラブルに巻き込まれることになるから要注意である。それにしてもコーラープルはいろんなことがきちんとしている。逆に感心してしまった。

5月21日(金) デカンの女王、ビジャープル(1)

 コーラープルのバススタンドで、早朝5時45分発ビジャープル行きのバスに乗った(79ルピー)。今回はマハーラーシュトラ州旅行ということだったが、少し寄り道してカルナータカ州北部の町ビジャープルを訪れる。ビジャープルはコーラープルから