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8月2日(木) Bow Barracks Forever |
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先日、アンジャン・ダット監督の「The Bong Connection」を見たが、それに続くように同監督の「Bow Barracks Forever」が公開されている。どうもアンジャン・ダット監督はコールカーターが大好きのようで、この「Bow
Barracks Forever」もコールカーターに実在するボウ・バッラクスという地域を舞台とした映画である。ただし、今回取り上げられているのは生粋のベンガル人ではなく、いわゆるアングロインディアンと呼ばれる白人とインド人のハーフのコミュニティーである。英語、ヒンディー語、ベンガリー語が入り乱れるハイブリット映画だ。
題名:Bow Barracks Forever
読み:ボウ・バラックス・フォーエバー
意味:ボウ・バラックスよ永遠に
邦題:ボウ・バラックスよ永遠に
監督:アンジャン・ダット
制作:プリーティーシュ・ナンディー、ランギーター・プリーティーシュ・ナンディー
音楽:ニール・ダット、アンジャン・ダット
作詞:ニール・ダット、アンジャン・ダット、ウシャー・ウトゥプ
出演:リレット・ドゥベー、ヴィクター・バナルジー、ネーハー・ドゥベー、クレイトン・ロジャーズ(新人)、サビヤサーチ・チャクラボルティー、ソーヒニー・パール(新人)、ムン・ムン・セーン、アヴィジート・ダットなど
備考:PVRアヌパムで鑑賞。

左の男性はクレイトン・ロジャーズ、上の女性はソーヒニー・パール、
右上の女性はリレット・ドゥベー、男性はサビヤサーチ・チャクラボルティー、
右下の男性はヴィクター・バナルジー、女性はネーハー・ドゥベー
| あらすじ |
コールカーター北部ボウ・バラックスには、第二次世界大戦後、米軍兵士のために建造されたアパートがあった。そこには多数のアングロインディアン家族が住んでいたが、建物の老朽化が進んでおり、政府による取り壊しが行われようとしていた。住民たちは何とかそれを阻止しようとするが、人間関係のもつれやマフィアの妨害などによって、様々なトラブルが発生する。
エミリー・ロボ(リレット・ドゥベー)は夫亡き後、息子のブラドリー(クレイトン・ロジャーズ)と共に住んでいた。長男ケンはロンドン在住で、エミリーもロンドンへ移住しようとするが、ケンからは4年間も音信がなかった。また、ギタリスト志望のブラドリーは失業中だったが、母親には秘密にしていた。
アニー(ネーハー・ドゥベー)は、夫トム(サビヤサーチ・チャクラボルティー)の暴力に耐えながらも暮らしていた。アニーとブラドリーは密かに出来ていたが、それは公然の秘密であった。また、シンガー希望の女子高生のサリー(ソーヒニー・パール)はブラドリーのことが好きだったが、ブラドリーはアニー一筋であった。ある日サリーは家出をしてムンバイーへ行ってしまう。また、アニーは急にブラドリーを避けるようになる。
ピーター(ヴィクター・バナルジー)は、マンションの住人からピーター・ザ・チーターと呼ばれる変わった男だった。ほら吹きだったが、トランペットも吹き、住民に迷惑をかけていた。しかし、人々の良き相談相手でもあった。
ローザ(ムン・ムン・セーン)は、学校教師の退屈な夫メルヴィル(アヴィジート・ダット)に飽き飽きしており、保険セールスマンと浮気していた。あるとき彼女はセールスマンと家を出て行ってしまう。傷心のメルヴィルは妻を待ち続ける。数日後、ローザはメルヴィルの元に帰って来る。
トムがアニーに暴力を振るっていたとき、ブラドリーが止めに入る。怒ったトムは銃を取り出して彼の脚を撃つ。トムは逮捕され、ブラドリーは病院へ運ばれる。エミリーはアニーのことを嫌っていたが、ブラドリーが命をかけて彼女を救おうとしたこと、また、アニーがブラドリーのために夫の暴力に耐えて来たことに心を打たれ、2人の仲を認める。ブラドリーとアニーは結婚することになる。
ブラドリーとアニーの結婚式の日、サリーがボウ・バラックスに帰って来る。彼女はムンバイーでシンガーとして成功しており、ブラドリーのためだけにコンサートを開いた。あれほどロンドンへ移住したがっていたエミリーも、今ではここに住み続けることを決める。また、ピーターの演技のおかげで、住民たちに脅迫をかけていたマフィアたちもボウ・バラックスから手を引く。いろいろなことがうまく回り始めていた。 |
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インド映画界の最近の傾向として、「海外へ移住しようとしていたインド人が、インド(または地元地域)の良さを再発見し、そのまま居残ることを決める」または「海外に移住したインド人がいろいろな経験をした後、結局インドに帰って来る」というプロットを映画のエンディングに持って来て観客を感動させるパターンの映画が増えているように思える。例えば「Khosla Ka Ghosla」(2006年)や「Namesake」(2007年)などがその例として挙げられる。この「Bow Barracks Forever」も、一見ごちゃごちゃとした人間関係を追ったいわゆる「グランドホテル様式」の映画だったが、最終的には生まれ育った場所に住み続けることの美徳を訴えることで話がまとめられていた。
アングロインディアン家族が多く住むボウ・バラックスは取り壊しの危機に瀕しており、住民の間では2つのグループが生まれていた。ひとつはボウ・バラックスを出て別の地域または海外へ移住する者、もうひとつはボウ・バラックスを何とかして守ろうとする者である。一応映画の主人公と言えるエミリー・ロボは前者の立場を取っていた。彼女にはロンドンで働いている長男がおり、近隣の住民には「もうすぐロンドンへ移住する」と言っていた。ところが、彼女が毎日ロンドンに電話をかけ、メッセージを残しているにも関わらず、当の長男からは4年間も連絡がなかった。このジレンマが彼女を過度にヒステリックにしていた。だが、次男の勇気ある行動をきっかけに彼女の考えも180度変わり、このまま亡き夫との思い出が詰まったボウ・バラックスに住み続けることを決めるのだった。
結局映画中ではボウ・バラックスの危機は完全に去っておらず、最後に「ボウ・バラックスは取り壊しの危機に瀕している」とメッセージが出るに留まっている。また、当のアングロインディアン・コミュニティーからは、「アングロインディアンを間違った見方で描いている」として上映禁止の要求も出ている。実際のボウ・バラックスには、アングロインディアンだけでなく、中国人、ゴア人、グジャラート人、ビハール人、ベンガル人など、132家族が住んでいるようだ。
ヴィクター・バナルジー、リレット・ドゥベー、サビヤサーチ・チャクラボルティーなど、演技派俳優陣の演技は素晴らしかった。ラーイマー・セーンやリヤー・セーンの母親、ムン・ムン・セーンが出演していたのはレアであった。リレット・ドゥベーの娘のネーハー・ドゥベーも非常に良かった。「Monsoon
Wedding」(2001年)でもこの2人は母娘共演していた。ブラドリーを演じたクレイトン・ロジャーズと、サリーを演じたソーヒニー・パールはこの作品がデビュー作。クレイトンは外見にオーラがなかったが、演技力はあった。ソーヒニーはこれからどういう女優になっていくのかあまり先行きが見えない。
言語は大半が英語だが、ヒンディー語やベンガリー語が字幕なしで突然入るので、それらの言語が分からないと一部理解できないところもある。
「Bow Barracks Forever」は、アングロインディアンのコミュニティーを描いた稀な作品である。パールスィー・コミュニティーを描いた「Being
Cyrus」(2006年)にも通じるものがある。インドのマイナー・コミュニティーの映画化がこれからも続く予感がする。展開が少し観客を突き放した感があるが、最後は割とうまくまとめられていたと思う。
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8月3日(金) Gandhi My Father |
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「インドの父」として今でも尊敬を集め、インドの歴史を語る上で必ずその名が出て来るマハートマー・ガーンディーだが、彼とその息子たちとの関係は必ずしも良好ではなかった。ガーンディーにはハリラール、マニラール、ラームダース、デーヴダースという4人の息子がいたが、ガーンディーは息子たちと父子の関係を築くのに失敗したと言われている。本日より公開のヒンディー語映画「Gandhi
My Father」は、長男ハリラールとガーンディーの関係に主眼を置いた作品である。チャンドゥラール・バグバーイー・ダラール著の伝記「Harilal
Gandhi: A Life」を原作としたフィーローズ・アッバース・カーン監督の演劇「Mahatma vs Gandhi」を、アニル・カプールのプロデュースにより、フィーローズ監督自身が映画化した。
題名:Gandhi My Father
読み:ガーンディー・マイ・ファーザー
意味:我が父ガーンディー
邦題:ガーンディー・マイ・ファーザー
監督:フィーローズ・アッバース・カーン
制作:アニル・カプール
出演:アクシャイ・カンナー、ダルシャン・ジャリーワーラー、ブーミカー・チャーウラー、シェーファーリー・シャーなど
備考:PVRアヌパムで鑑賞。

アクシャイ・カンナー(左)とダルシャン・ジャリーワーラー(右)
| あらすじ |
1948年6月。ムンバイーの病院に一人の浮浪者が瀕死の状態で担ぎ込まれた。病院関係者は身元確認をしようとするが、その男は自分の父の名をバープー(マハートマー・ガーンディー)だと答えるばかりで、困り果ててしまう。だが、その男は本当にマハートマーの息子だった。
ハリラール・モーハンダース・ガーンディー(アクシャイ・カンナー)はモーハンダース・カラムチャンド・ガーンディー(ダルシャン・ジャリーワーラー)の長男だった。ガーンディーが南アフリカで働いているとき、グジャラート地方のラージコートにいたハリラールは、父親の許しを得ずにグラーブ(ブーミカー・チャーウラー)と結婚する。その後ハリラールも南アフリカへ行き、父親の仕事を手伝うようになる。だが、あまりに公平無私なガーンディーは、息子に対しても決して贔屓をしようとしなかった。英国留学を夢見ていたハリラールであったが、ガーンディーは奨学金を別の若者に与えてしまう。次第にハリラールは父親の愛情を疑うようになる。ハリラールはインドに戻り、アハマダーバードで勉学に励む。だが、彼は何度も落第した。生活も貧しく、父親からの仕送りも足らなかった。
1915年、ガーンディーもインドに戻って来る。ハリラールはインド国民から「マハートマー」と尊敬される父親を尻目に、商売を始めては失敗したり、アルコール中毒になって悪酔いして逮捕されたり、イスラーム教に改宗してまたヒンドゥー教に再改宗したりと、不安定な人生を送る。その間、心の支えだった妻グラーブも実家に帰ってしまい、そこで突然死去してしまう。ガーンディーの独立運動に加わったこともあったが、長くは続かなかった。そんなハリラールをガーンディーは常に温かく迎えていたが、ハリラール自身は父親と距離を置いていた。彼の心の拠り所は母親のカストゥルバー(シェーファーリー・シャー)であったが、彼女も軟禁中に死去してしまう。ハリラールは乞食となって放浪生活を送る。
1947年、インドはパーキスターンの分離という痛手を負いながらも独立する。1948年1月30日、ガーンディーはデリーにおいてヒンドゥー教過激派の青年の凶弾に倒れる。ハリラールはそれをラジオで聞き、涙を流す。それから5ヶ月後、父親の後を追うようにハリラールもムンバイーの病院で息を引き取る。 |
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ハリラールの人生の全貌が明らかになっていないのだろうか?映画中では彼の人生のいくつかのポイントが点々と無造作に並べられているだけで、ハリラールの生き様や心の動きを線で結んで考えることが困難な印象を受けた。いろいろな出来事が詳しい説明や結果報告なしに矢継ぎ早に巡って行った。なぜハリラールは急に南アフリカへ行くことになったのか、なぜハリラールは事業に失敗したのか、なぜハリラールはイスラーム教に改宗し、ヒンドゥー教に再改宗したのか、どのように妻グラーブが死んでしまったのかなど、全く説明がなかった。もし時間の制約で詳細を省略せざるをえなかったのなら残念なことである。2時間ちょっとの映画だったが、インド映画なのだから、3時間使って点と点の間をつなげ、さらに重厚に描き出すことも可能だったはずだ。だが、一国の父としての「バープー」と、一人の息子の父としての「バープー」の間に挟まれるガーンディーの姿は比較的よく描写されており、共感を呼んだ。どちらかというとガーンディーを主人公にした方が映画がまとまったのではないかと思った。ガーンディーの他の3人の息子も映画中ではほとんど登場しなかった。
「Gandhi My Father」は、全ての人々を自分の実の息子として扱う博愛主義の偉人と、父親の愛を欲してやまなかった凡人の葛藤の物語だ。そして、全ての人を愛するという崇高な行為が、ときに自分の家族を蔑ろにし、犠牲にしてしまうというパラドックスを問題提起した作品である。ガーンディーは決してハリラールを特別扱いしなかった。ハリラールが英国留学を夢見ているのを知っていながら、彼はそれを許さなかった。支援者から留学のための奨学金の話が来たが、彼はその奨学金を息子には与えず、他の者に与えた。ガーンディーにとってそれは家族をも贔屓にしない、公明正大で無私無欲の「真理」の行為であったが、息子のハリラールの目には父親の愛情の欠如に映った。そのような出来事が重なり、ハリラールはガーンディーに反抗するようになり、やがて人としての道も外してしまう。
映画はハリラールを主人公に据えていながら、実際はガーンディーの負の部分に迫った作品だと言える。晩年のガーンディーは友人にこう漏らしたと言う。「私が生涯説得できなかった人物が2人いる。それはムハンマド・アリー・ジンナーと、ハリラール・モーハンダース・ガーンディーだ。」ジンナーは言わずと知れた「パーキスターン建国の父」である。ガーンディーは、息子との間の心の亀裂を、印パ分離独立と同じだけ悔いていたことが分かる。印パ分離独立の悲劇は多くの映画で語られて来たが、「Gandhi
My Father」は、ガーンディーの身の上に起こったもうひとつの悲劇を描いている。
フィーローズ監督は映画の中で、息子の教育に重きを置かなかったガーンディーの矛盾をも突いている。ガーンディー自身は英国に留学し弁護士の資格を取得していたが、彼はハリラールをはじめとした息子たちに正規の教育を受けさせなかった。ガーンディーの考え方では、人間の価値は教育や学位で決まるものではなかった。誠実に生きることこそが最大の価値であった。それは学校で教えられるものではなかった。ところが、その理想論的な哲学のせいでガーンディーの息子たちは社会に出てもまともな職に就けず、父親から経済的に独立することも出来なかった。そして父親の名声が高まるにつれ、息子たちに対する世間の視線は冷たいものとなって行く。ハリラールは何度も挫折し、何度も父親に反抗しながらも、何とか自分の人生を築き上げようと努力するが、結局失敗し、父親の名声を汚すだけになってしまう。ハリラールの惨めな人生は、ガーンディー主義の壮大な実験の副作用であった。
「Gandhi My Father」はガーンディー上級者向けの映画である。ガーンディーに関わる事件や彼の活動などをある程度頭に入れておかないと、理解するのが難しいだろう。南アフリカでのフェニックス・セットルメントやトルストイ・ファーム、インドでのスワデーシー(国産品愛用)運動や「バーラト・チョーロー(インドを去れ)」運動など、ほとんど説明なしに挿入される。最初の内は年号と場所が出ているが、ストーリーが進むにつれていつ頃の出来事なのかよく分からなくなる。それらの歴史的事件を頼りに時間軸を推定していくしかない。
面白いことに、映画には当時実際に記録された歴史的映像や音声が多用されている。そして、「フォレストガンプ」(1994年)のように、その映像の中にダルシャン・ジャリーワーラーやアクシャイ・クマールの映像が合成されている。ジャワーハルラール・ネルーが1947年8月14日に行った有名な演説「Long
time ago...」や、マハートマー・ガーンディーが暗殺された日のラジオ放送など、本物が使われていた。
ハリラールを演じたアクシャイ・カンナーは適役と言っていいだろう。映画の中で何度も見せる劣等感に苛まれた表情が絶妙であった。サイフ・アリー・カーンは「Omkara」(2006年)で演技も出来る男優として脱皮したが、「Gandhi
My Father」はアクシャイのキャリアにとって同様にひとつのターニングポイントとなるだろう。
マハートマー・ガーンディーを演じたダルシャン・ジャリーワーラーは、ボリウッド映画界で昔から活躍している訳でもないし、演技力に定評があったわけでもない。よって、今回の配役は抜擢と言っていい。しかし、多くの名優が演じて来た「インドの父」を、「1人の息子の父」という新たな文脈で演じることにかなり成功していた。ただ、やはり聖人としてのガーンディー像は完全に捨て切れておらず、等身大の生身のガーンディーにはあと一歩及ばなかったのではないかと思う。「Gandhi
My Father」のガーンディーは、息子に対していつでも寛大ではあったものの、息子のために涙を流すこともせず、常に理性に従って冷静にかつ冷酷に接していた。人間としての弱みがあまり見えなかった。
ハリラールの母親を演じたシェーファーリー・シャーも素晴らしかった。「Gandhi My Father」という題名ながら、どちらかと言うとハリラールと母親の間の愛情の方がクローズアップされていたように思えた。ハリラールの妻を演じたブーミカー・チャーウラーも控え目ながらいい演技を見せていた。
言語は基本的にヒンディー語だが、英語も多用される。グジャラーティー語やベンガリー語も少しだけ聞こえて来た。
「Gandhi My Father」は、映画としての完成度に満点を与えることは出来ないが、その着眼点は大いに評価したい。最近、ガーンディーの実像に迫る本の出版も相次いでおり、「Lage
Raho Munnabhai」(2006年)で沸いた去年とは微妙に違って、今年は生身のガーンディーを巡る議論が沸き起こりそうだ。
8月15日の独立記念日の前後の週は毎年大作や期待作が公開される。「Dus」(2005年)をヒットさせたアヌバヴ・スィナー監督もこの時期に新作「Cash」を投入して来た。「Dus」と似たスタイリッシュなアクションスリラー映画である。
題名:Cash
読み:キャッシュ
意味:現金
邦題:キャッシュ
監督:アヌバヴ・スィナー
制作:アニーシュ・ランジャン、ソハイル・マカニー
音楽:ヴィシャール・シェーカル
作詞:ヴィシャール・ダードラーニー
振付:レモ、ラージーヴ・ゴースワーミー
衣裳:アンナ・スィン、スニート・ヴァルマー、ナヴィーン・シェッティー、ナンディター・メーターニー
出演:アジャイ・デーヴガン、スニール・シェッティー、ザイド・カーン、リテーシュ・デーシュムク、イーシャー・デーオール、シャミター・シェッティー、ディーヤー・ミルザー、イーシャー・ターキヤーなど
備考:PVRプリヤーで鑑賞。

左から、イーシャー・デーオール、ディーヤー・ミルザー、スニール・シェッティー、
アジャイ・デーヴガン、ザイド・カーン、リテーシュ・デーシュムク、
シャミター・シェッティー
| あらすじ |
150年前にインドで発掘された伝説の200カラットのダイヤモンド。それは現在3つに分かれており、2つはアンクルと呼ばれるマフィアの手元にあった。残りの1つは長い間行方不明だったが、それが突然見つかり、ケープタウンで取引が行われようとしていた。
アンガド(スニール・シェッティー)は5年前にアンクルに騙され、5発の銃弾を喰らった上に5年の懲役刑に処せられた。アンガドはアンクルを訪ねたが、復讐はせず、残り1つのダイヤモンドの取引に関わることになる。だが、アンガドは陰で復讐の計画を立てていた。
アンガドにはアディティ(ディーヤー・ミルザー)という恋人がいた。かつてアンガドとアディティはチームを組んで犯罪をしていた。今回もアンガドはアディティを使って一攫千金を図る。アディティは犯罪計画のプロ、ドク(アジャイ・デーヴガン)に協力を頼む。ドクは現在、警察に勤務するシャーニヤー(シャミター・シェッティー)と付き合っていたが、彼女に正体はばれていなかった。彼の前ではカランという名の作家を演じていた。ドクはこの計画のためにムンバイーから、ダニー(ザイド・カーン)とラッキー(リテーシュ・デーシュムク)を呼び寄せる。ダニーは水上逃亡のプロで、ラッキーは陸上逃亡のプロだったが、2人は犬猿の仲だった。その原因はプージャー(イーシャー・デーオール)という女性。プージャーは自動車の運転にかけては右に出る者がいなかった。プージャーは2人を引き合わせないように苦心する。一方、シャーニヤーもダイヤモンド取引の情報をキャッチしており、犯人逮捕のため策略を練っていた。彼女は偽の取引相手をでっち上げ、ダイヤモンドを手に入れる計画を立てた。
ダイヤモンド取引の日。まずはラッキーが美術展から絵を盗み、逃亡する。プージャーの助けを借りながら彼は絵を川に投げ捨てる。そこで待っていたダニーが絵を受け取り、海へ逃げる。そのまま警察の追手を引き連れて海上に浮かぶアンクルのボートへ向かった。また、アディティは海中からボートに近付き、アンクルの手元にあった2つのダイヤモンドと現金を盗み出した。アンガドはアンクルを殺害する。また、アディティはその現金を使ってマフィアから残り1つのダイヤモンドを購入する。
一方、ドクもダイヤモンド取引現場へ向かった。密売人に化けたシャーニヤーも現金を持ってそこへ向かっていた。ドクは巧みな戦術でその現金を盗み出すが、2人は偶然顔を合せなかったため、お互いのことは分からなかった。ドクはその金を報酬としてダニー、ラッキー、プージャーに配る。だが、その金はマーキングがされていた。また、ドクもこのとき初めてシャーニヤーがこの事件に関わっていたことを知る。
マーキングされた現金を渡されたダニー、ラッキー、プージャーはドクに騙されたと勘違いする。また、シャーニヤーもアンガドに騙されたと勘違いする。シャーニヤーはアンガドにダイヤモンドを渡すはずだったが、それを拒否し、殺されてしまう。ダイヤモンドはシャーニヤーの自動車に隠してあったが、彼女はそれを事前にラッキーに託していた。また、アンガドはドクがダイヤモンドを持っていると勘違いし、シャーニヤーを誘拐する。ドクは何とかダニー、ラッキー、プージャーの誤解を解くと、シャーニヤー救出とアンガド打倒へ向かう。プージャーはシャーニヤーを助け出し、ドク、ダニー、ラッキーの3人はアンガドを倒す。こうしてドクは、シャーニヤーに正体を知られずに、3つのダイヤモンドを手に入れたのだった。 |
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この映画の内容について話をする前に、この映画の撮影過程でのトラブルと映画ビジネスの話をしておいた方がだろう。なかなかこういう話は表沙汰にはならないが、映画がどのように制作されているのかを垣間見るいい例だと思う(7月27日付ザ・ヒンドゥー紙フライデー・レビュー参照)。
外国で映画を撮影する際、映画制作者はその国の政府と3つの証券にサインをしなければならない――完成保証証券(Completion Bond)、事前販売契約(Pre-Sale
Bond)、銀行合意契約(Bank Agreement Bond)である。その内の完成保証証券によると、もし映画の制作費が予算を越えた場合、その国の政府が映画が完成するのに必要な額の資金援助をすることを保証する。ただし、政府によって支払われた額は、映画制作者がその国を去る前に払い戻されなければならず、それが満たされない場合は政府によって映画のネガが差し押さえられる。
「Cash」は全編南アフリカ共和国ロケの映画であり、予算は1億2,500万ルピーだった。だが、最終的に制作費は2億1千万ルピーにまで膨れ上がってしまい、完成保証証券を通して南アフリカ共和国政府から借金をして映画を完成させざるをえなくなってしまった。しかも、プロデューサーのソハイル・マカニーが支払いをせずに勝手に帰国してしまったため、映画のネガは南アフリカ共和国に差し押さえられてしまった。もう1人のプロデューサーのアニーシュ・ランジャンとアヌバヴ・スィナー監督は何とかアドラブスなどから資金援助を取り付け、何とかネガを取り返したが、その後、この件を巡ってソハイル、アニーシュ、アヌバヴの間で訴訟となってしまった。
皮肉にも「Cash」という題名通り金のトラブルが付きまとった映画だったようだ。その影響なのか元からなのか、映画のストーリーは説明不足で非常に分かりにくく、予算が掛けられているようで安っぽい映画になってしまっていた。
第一の問題は脚本自体にあるだろう。若手で勢いのあるスターたちが何人も登場するオールスターキャストだったのはいいのだが、それぞれの登場人物の相関関係や行動の動機がよく説明されておらず、観客を混乱のまま取り残して先に進んで行っている印象を受けた。ストーリーテーリングも下手で、完全に理解できた観客はいなかったのではないかと思う。最近複雑な筋のインド映画が増えて来ているが、あまりに複雑にし過ぎると多くの観客が付いて来れなくなると前々から心配だった。だが、「Cash」の理解不能さは、筋が複雑なのではなくて、筋が滅茶苦茶なことが原因で起こっている。
第二の問題は途中で挿入されるアニメーションである。ボリウッドの実写映画にアニメーションが挿入されるのはもはや珍しいことではなくなったが、「Cash」でのアニメーションの使い方はどう見ても予算削減のためとしか思えなかった。ビルから飛び降りたり、パラシュートで落下して地上を走る自動車に乗り移ったり、悪党と格闘したりなど、ハラハラドキドキのアクションシーンで急にアニメになってしまっており、ゲンナリであった。アクションで魅せる映画ではなかったのだろうか?しかもそのアニメの質が低い。俳優に似てない。全く駄目。
「Cash」で唯一良かったのは音楽とダンスだ。作曲はヴィシャール・シェーカル。タイトル曲で冒頭キャストロールで流れる「Cash」は音楽、ダンス共に最高。「Naa
Puchho」、「Rehem Kare」なども良い。エンドロールと同時に流れる「Naughty Naughty」はワンテイクで撮影されていた。
アジャイ・デーヴガンとスニール・シェッティーを除けば、若手俳優の中で最も勢いのあるスターが登場していた。中でもリテーシュ・デーシュムクが最も成長を見せていた。ディーヤー・ミルザーもなかなか良かった。ザイド・カーン、イーシャー・デーオールはアベレージ。唯一、シャミター・シェッティーだけはかわいらし過ぎて警察官を演じるには役不足だった。
「Cash」は、スピード感のある音楽と勢いのあるキャストとスタイリッシュな映像から、いかにも娯楽超大作と言った印象を受けるが、筋が分かりにくく、肝心の部分でスリルに欠ける失敗作だ。サントラCDなら買いだが、わざわざ映画を見る価値はない。
インド映画史上最高傑作に数えられることも多い「Mughal-e-Azam」(1960年)が3年前のディーワーリー週(2004年11月12日)に完全カラー化されて公開されたときは大きな話題を呼んだ。白黒映画のカラー化には賛否両論があるが、古典的名作を最先端の音響設備の整った映画館で見るチャンスが得られるのは素晴らしいことである。カラー版「Mughal-e-Azam」は1億ルピーの興行収入を上げるヒットとなり、白黒映画のカラー化がビジネスになることが証明された。それから3年後、遂にカラー化白黒映画第二弾が先週の金曜日に公開された。BRチョープラー監督の「Naya
Daur」である。オリジナルは1957年8月15日公開ということで、ちょうど50年後のリバイバル公開ということになる。ただし、「Mughal-e-Azam」のリストアとカラー化を担当したのはインド芸術アニメ学院社(IAAA)だったが、今回はフロリダのウェスト・ウィングスというインド人経営の会社のゴア支社が行ったらしい。プロダクションも異なる。だから、白黒映画のカラー化プロジェクトは特定の個人や団体が推し進めているわけではなく、独立して行われているようだ。
題名:Naya Daur
読み:ナヤー・ダウル
意味:新しい時代
邦題:新時代
監督:BRチョープラー
制作:BRチョープラー
音楽:OPナイヤル
作詞:サーヒル
出演:ディリープ・クマール、アジト、ヴァイジャンティマーラー、ジーヴァン、チャーンド・ウスマーニー、ジョニー・ウォーカーなど
備考:PVRアヌパムで鑑賞。

ディリープ・クマール(左)とヴァイジャンティマーラー(右)
| あらすじ |
馬車の御者シャンカル(ディリープ・クマール)と木こりのクリシュナ(アジト)は大の親友だった。だが、2人は同じ女性を恋してしまう。その女性の名前はラジニー(ヴァイジャンティマーラー)。シャンカルとクリシュナは、祭りの日にラジニーが神様に捧げる花の色で決着を付けることを決める。もしラジニーがジャスミンの白い花を捧げたら彼女はシャンカルのもの、マリーゴールドの黄色い花を捧げたらクリシュナのもの、ということになった。ところがその話をシャンカルの妹のマンジュ(チャーンド・ウスマーニー)が聞いていた。マンジュは密かにクリシュナに恋していた。祭りの日、ラジニーはマリーゴールドの花を持って来るが、マンジュがこっそりそれをジャスミンに取り換えた。それを目撃したクリシュナは、シャンカルが妹を使って自分を騙したと勘違いし、シャンカルと絶交する。
一方、村にはクンダン(ジーヴァン)という都会育ちの男が、バナーラスへ行った父親に代わって木材の仕事を見にやって来ていた。クンダンは人間の労働力では限界があると感じ、町から機械を持って来る。そのおかげで今まで木材の加工に携わっていた職人たちは職を失ってしまう。
シャンカルに何とか復讐しようと考えていたクリシュナは、クンダンに入れ知恵をする。それに従い、クンダンはバスを走らせ始めた。駅から村へ人を運んで生活費を稼いでいたシャンカルは、生活の危機にさらされる。シャンカルと御者仲間はクンダンのところへ押し掛ける。クンダンは、馬車とバスで競争して勝ったらバスをやめるという条件を出す。シャンカルはそれを受け入れる。競争は3ヶ月後に行われることになった。
普通に競争したら馬車に勝てるはずがない。だが、シャンカルには秘策があった。競争は寺院まで先に着いた方が勝ちだった。バス用の道は遠回りして寺院へ通じていた。そこで、馬車用の近道を3ヶ月以内に人力で作ることを思い立ったのだった。当初はその突拍子もない考えに賛同する者はラジニーとマンジュぐらいしかいなかったが、次第に村の仲間たちの協力を得られるようになる。ボンベイから来たジャーナリスト(ジョニー・ウォーカー)がシャンカルたちの努力を新聞で取り上げたことにより、職を失って他の土地へ移り住んでいた村人たちも戻って来て協力し始めた。クンダンはクリシュナや部下を使って妨害しようとするが、シャンカルたちはそれをひとつひとつ克服する。途中、小川にぶち当たるが、そこに橋を架けることにも成功する。そして遂に道を完成させる。
競争日前日、クリシュナは密かに橋杭を破壊していた。ところがそれをマンジュに見られてしまう。マンジュはそのとき初めてクリシュナに、花を取り換えたのは自分がクリシュナと結婚したかったからだと告白する。真実を知ったクリシュナは、一転して橋を補修し始める。
競争日。シャンカルは馬車に乗り、クンダンはバスに乗り、一斉に走り出した。バスは古い自動車道を通り、馬車は新しい馬車道を通った。橋の補修は間に合いそうになかったが、クリシュナが体で橋を支え、シャンカルの通行を助ける。シャンカルの馬車はクンダンより先に寺院に着き、勝利を収める。シャンカルはクンダンに、機械と人間が共存できる社会を求める。また、シャンカルとクリシュナは友情を再確認し、抱き合う。 |
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人間の生活を便利にするために作り出されたはずのものが、人間の生活の糧を奪う。そんな現代にも通じる問題を、迫力ある映像と、愛と涙と勇気溢れるストーリーで描き出した傑作。カラー化の質も高く、特に背景の山々などは実写なのではないかと目を疑ったほどだ。最後のバスと馬車のレースは、50年前の映画とは思えないほどスリリングであったし、仲違いした親友が再び抱き合うシーンは涙が溢れた。あらゆる娯楽的要素を詰め込んだマサーラー映画の最高到達点のひとつと言える。
機械対人間または文明批判というテーマは、「Naya Daur」が公開された50年前でも新しいものではなかっただろう。そもそも古典的SF映画の真のテーマは文明批判であった。そのテーマは容易に富裕者対貧者、モダン対伝統などに置き換えることも出来る。だが、「Naya
Daur」は完全に機械を否定する訳でもなく、完全に文明を否定する訳でもなく、人間と機械が共存できるような社会が理想として掲げられ、人間の愛と友情と勇気が礼賛されていた。機械と人間の対立を単純に、富める者と貧しい者の対立に置き換えてもいなかった。ディリープ演じるシャンカルは、バスと馬車のレースを「機械と手の戦い」と宣言し、勝利した後はクンダンに、「金持ちの財布が温まり、貧乏人の腹も満たされるような社会」「テクノロジーを活用しながらも、伝統的な仕事をしている人々が生活できるような社会」を考えて欲しいと頼んでいる。独立の熱気冷めやらぬ希望に満ちた50年代のインドを象徴するような、理想主義的な映画であった。
「Naya Daur」は明らかにマハートマー・ガーンディーの思想に基づいている。映画の冒頭にガーンディーの言葉が引用されていることからも明白である。ガーンディーは機械そのものには反対していなかったが、雇用削減を目的とした機械の導入、機械による大量生産、少数による富の独占を促す機械の利用に断固反対していた。その思想がインド独立後もインドの産業や社会にかなりの影響力を及ぼし、今から見ればインドの発展を妨げたことは否めない。経済自由化を機に経済成長の波に乗り、大量消費社会に突入しつつあるインドは、現在ではガーンディーの思想とは逆の方向へ向かっているように見える。そういう時代だからこそ、「新時代」を謳った「Naya
Daur」のリバイバルは意味のあるものだと言える。
当時のヒット作であり、傑作でもある「Naya Daur」がカラー化されてリバイバルされるのには十分過ぎる理由があるのだが、もうひとつ、映画を見ていてカラー化するメリットを感じた。それは、シャンカルとクリシュナがラジニーを巡って賭ける賭けだ。2人は親友同士だったが、ある日同じ女性を恋してしまったことを知り、困惑する。最初2人はお互いに譲り合うが、シャンカルはその決着を神様に託すことを提案する。もしラジニーが祭りの日に寺院でチャメーリー(ジャスミン)の白い花を捧げたらラジニーはシャンカルのもの、ゲーンド(マリーゴールド)の黄色い花を捧げたらクリシュナのもの、という賭けである。そんなまどろっこしいことをせずに、ラジニーにどっちが好きかを聞けば決着が付くのに、と思うのだが、非常に微笑ましいシーンである。花の色が判定基準になるのだから、ここはカラー映画でなければ説得力がない。当然、カラー版「Naya
Daur」ではしっかり花の色が着色されていた。
カラー化の質は「Mughal-e-Azam」と比べても遜色ないが、一ヵ所だけ気になる点があった。それは、寺院のご神体のシヴァ像である。前半、シヴァ像が出て来るシーンで、額のティラクと頭にくっ付いた月がチラチラと不自然に動くのである。後半ではそんなことはなかった。推測するに、オリジナルのフィルムで、シヴァ像にティラクと月が欠けており、後半のティラクと月のあるシヴァ像と合わせるために、カラー化のときに追加したのではないかと思う。もしかしたらそのミスはオリジナルのフィルムのものかもしれない。
ディリープ・クマールとヴァイジャンティマーラーは当時を代表する人気俳優である。共演のアジトと共に、素晴らしい演技であった。この映画のキャスティングにはいくつか裏話が残されている。ディリープ・クマールは、最初この映画への出演オファーが来たとき、脚本も読まずに拒否した。仕方なくBRチョープラー監督はアショーク・クマールに出演依頼したが、彼はこの役は都会風の自分には合っていないと判断し、ディリープが適任だと助言した。既に断られていたのを知ったアショークは自らディリープを訪れ、脚本を読むように勧めた。脚本を読んだディリープは一瞬で気に入り、即座に出演をOKしたと言う。また、元々ラジニーの役は、現在でも映画ファンの間で「インド映画史最高の美女」の誉れ高いマドゥバーラーが演じる予定だった。当時ディリープとマドゥバーラーが恋愛関係にあることは公然の秘密であった。だが、マドゥバーラーの父親は2人の仲を認めておらず、ディリープとの共演を許さなかった。そこでマドゥバーラーの代わりにタミル語映画界出身女優ヴァイジャンティマーラーがラジニー役を演じることになった。ディリープ・クマールとヴァイジャンティマーラーは既に「Devdas」(1955年)で共演していた。ただしヴァイジャンティマーラーが「Devdas」で演じたのはヒロインのパーローではなく、準ヒロインのチャンドラムキーであった。ディリープとヴァイジャンティマーラーは、現在まで存命であること、長い間スクリーンから遠ざかっていること、国会議員になって政界で活躍した時期があることなど、いくつか共通点がある。
数年前に亡くなってしまったが、コメディアン俳優のジョニー・ウォーカーも途中から登場ながらいい味を出していた。
細かい点は異なるものの、「Naya Daur」は「Lagaan」(2001年)と非常によく似た映画だと感じた。田舎が舞台になっていること、自分たちの家族、村、生活を守るために権力者とスポーツで賭けをすること、最初は孤軍奮闘だった戦いが、次第に仲間たちの理解を得て、最後には村が一丸となっての戦いとなること、村から裏切り者が出て危機に陥るが、最後にその裏切り者が改心して村人たちの側に付くことなど、かなりの共通点があった。「Lagaan」の映画制作者が参考にした点は多いと思う。
「Naya Daur」は、50年前の映画ながら、今見ても全く遜色ない傑作である。最新の映画館の迫力ある音響設備と共にこの映画を楽しむチャンスは今しかない。見れば感動間違いなし、見逃したら一生の損、の映画である。これからも続々と過去の名作がカラー化されてリバイバル上映されると思うと楽しみでならない。今のところ、BPチョープラー監督の息子のラヴィ・チョープラーが父親の作品を全てカラー化する野望を抱いており、「Dhool
Ka Phool」(1959年)、「Kanoon」(1960年)、「Gumraah」(1963年)などがリストアップされている。また、アルン・ダットは父グル・ダット監督の「Pyaasa」(1957年)や「Sahib,
Bibi Aur Ghulam」(1962年)のカラー化を計画しており、デーヴ・アーナンドは、自身で制作し、弟のヴィジャイ・アーナンドが監督した「Hum
Dono」(1961年)のカラー化を進めている。
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8月9日(木) デリーの雨季の風物詩:カーンワリヤー |
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デリーが最も美しいのは雨季だと思う。モンスーンの豪雨が降っている間は審美的感覚が沸き起こるような余裕はないが、雨が上がる直前、そして上がった直後のデリーの風景は、ちょっと言葉では表現できないくらいの美しさだ。まず、雨が止みそうになると小鳥たちがさえずり始める。まるでもう雨雲が去ったことをみんなに伝えているかのようだ。水たまりに映る波紋もやさしい模様となって来る。そして雨が上がると、周囲の風景は一変している。大地や自然が興奮冷めやらぬと言った感じで大きく息をし、全ての色と言う色が生き返ったかのように鮮やかさを増し、目に飛び込んで来る。そして、雨宿りしていた人々が一斉に外に出て活動を再開する。
しかし、デリーがどうしようもなく汚れ、破壊され、混乱するのも雨季である。雨が降ると道路は川となり、マンホールから下水が溢れ、倒木により電線が切断されて停電が起き、劣悪な舗装道に突然大穴が開き、信号や街灯が傾き、それらが全部ひっくるまって至る所でひどい交通渋滞が起こる。
酷暑期にはどこかに隠れていた虫たちが、ここぞとばかりにぞろぞろと出て来るのもこの時期だ。得体の知れない巨大な蛾が便所の壁でじっとしていたり、今まで留守だった砂製の蜂の巣にいつの間にか新たな住人が入居していたり、大小様々な大きさの蟻が部屋の床を歩き回ったりする。
そして雨季のデリーは「シヴァマエ」になるのである。「シヴァマエ」とは、「シヴァ神的になる」「シヴァ神への信仰心で満たされる」みたいな意味である。「シヴァマエ」のシンボルカラーはオレンジ。オレンジ色の装束に身を包んだ人々がデリーのあちこちで見られるようになる。彼らはシヴァバクト(シヴァ信者)とかカーンワリヤーと呼ばれる。

カーンワリヤー
ヒンドゥー暦では、今はサーワンまたはシュラーワンと呼ばれる月に当たる。雨季はインドの全ての分野において重要である。まず、サーワン月(7月後半~8月前半)は宗教上、1年で最も吉祥な月とされている。農業から見ても、雨季の雨如何で農作物の出来が左右されるので最も重要なことは言うまでもない。そして、インドは今でも農業国であることを考え併せると、モンスーンと経済もかなり連動していることが容易に伺い知れる。また、雨季や雨はインド文学やインド映画を読み解く非常に重要な要素であり、特に「サーワン」という言葉は特別な意味を伴って詩や歌詞などによく出て来る。
インド神話ではトリムールティという考えがあり、世界を創造するのはブラフマー神、世界を維持するのはヴィシュヌ神、世界を破壊するのはシヴァ神とされている。だが、世界の管理を任されているヴィシュヌ神は1年を通して活動している訳ではない。北インドにモンスーンが到来し始めるアーシャール月(6月後半~7月前半)から休眠期間に入ってしまうのである。その他の神様たちも、ヴィシュヌ神に続いて次々と休暇を取って休眠室へ入ってしまう。唯一、シヴァ神のみが目を覚まして活動を続けており、サーワン月には目を覚ましている神様はシヴァ神しかいなくなってしまう。このような理由から、サーワン月はシヴァの月とされており、この月に特にシヴァ神への礼拝が行われる。ガンガー(ガンジス)河をはじめとした聖河から汲んで来た聖水をシヴァリンガへ浴びせるのである(これをジャラービシェークと言う)。特にサーワン月の月曜日にジャラービシェークを行うことが最も吉祥であるとされている。月曜日はシヴァの日だからだ。
北インド(主にハリヤーナー州やラージャスターン州)では、ハリドワールから汲んで来たガンガー河の聖水によってジャラービシェークを行うことが重要視されている。この季節になると、村の有志たちがハリドワールへ向かい始める。彼らはガンガー河で沐浴をした後、水をカーンワルで運ぶ。カーンワルとは天秤棒の両端に釣り下げられた容器またはその天秤棒自体のことを言う。ベヘンギーとも言うようだ。日本の時代劇などにもよく出て来るアレだが、最近では各村の威信をかけてかなりけばけばしく装飾がなされている。カーンワルを運ぶ人々のことをカーンワリヤーと呼ぶ。カーンワリヤーたちは、自分の村のシヴァ寺院のシヴァリンガに、ハリドワールの聖水をジャラービシェークするために、村までの帰路を裸足で歩いて旅するのである。必ずしも走る必要はないようだが、中には「ダーク・カーンワリヤー」などと呼ばれる走者がおり、ハリドワールから村までずっと走って聖水を運ぶこともあるようだ。村ではカーンワリヤーになることは一種のステータスであり、非常に誉れの高い仕事である。カーンワリヤーの通るルート上に位置する町や村の宗教団体や有志も、カーンワリヤーたちを支援し、恩恵のおこぼれに預かるために、キャンプを張ったり、食事や飲み物を提供したり、救急病院を設置したりする。カーンワリヤーたちは巡礼をしている間、心を清く正しくしなければならない。ハリドワールから徒歩で村に帰るのも大変なことだが、カーンワリヤーの巡礼にはもうひとつ変わった規則がある。それは、カーンワルを決して地面に置いてはいけないというルールだ。シヴァ神の恩恵が詰まったカーンワルは、地面に置いた時点で霊力を失ってしまうと考えられている。インド神話や伝承には、「移動中、一度地面に置いた神像がその場から動かなくなってしまったので、仕方なくそこに寺院を作った」みたいな話がけっこうあるが、それとも関連していると思われる。だが、ずっと重い天秤棒を運ぶのは大変なので、カーンワリヤーたちは集団で移動し、代わる代わるカーンワルを持つ。また、途中の町や村では、カーンワリヤーたちがカーンワルを置いて休めるような木の台が用意されている。その台は、カーンワルが地面に着かないようになっている。
カーンワリヤーの季節が近付くと、特にヒンディー語新聞で、カーンワリヤーの動向が伝えられるようになる。その様子はまるで日本の台風情報みたいだ。「今年は何日にデリーに到着開始予定」「デリー各地でカーンワリヤー・キャンプ準備完了」「キャンプの位置一覧」「警察○人配備」「カーンワリヤーの通行ルートマップ」などが毎日報道される。行政にとって、カーンワリヤーは文字通り台風のような存在だ。カーンワリヤーの通行ルートになっている幹線は、カーンワリヤーの群衆やキャンプのために道が狭まって交通渋滞が発生する。基本的にカーンワリヤーは村から来た田舎者なので、デリーの都会特有のルールもよく理解していない。そこからトラブルも発生する。それでいて、伝統的な宗教行事なので下手に手を出すことが出来ない。よって、デリー州政府も神経を尖らせており、毎年市民に対して「カーンワリヤーには極力接触しないこと」とお触れを出している。
デリー近辺では今年もカーンワリヤーを巡ったトラブルが多発している。一番多いパターンが、「暴動トラックが道端を歩いていたカーンワリヤーをはねる」→「怒ったカーンワリヤーたちが暴動」→「関係ない車両まで燃やされる」→「道路閉鎖」→「警察出動、発砲」→「カーンワリヤーにさらなる死傷者発生」である。

バスを燃やしたり倒したりしているカーンワリヤーたち
8月8日付けタイムズ・オブ・インディア紙より
インドの祭りは往々にして、エネルギーの有り余った若者たちのガス抜きの場になっていることが多い。元々そういう目的でいろいろな祭りが考え出されたのかもしれないとまで思う。心を清く正しく保たなければならないはずのカーンワリヤーたちだが、何かあると暴徒と化して暴動を起こし、日頃の鬱憤を晴らす。だが、本当に純粋な信仰心を持って巡礼の旅をしている人々がほとんどなはずで、暴動を起こすカーンワリヤーはごく一部のはずだ。あるカーンワリヤーは、「例え仲間がトラックにひかれようとも何があろうとも、何も言わずに耐え忍んで旅を続けるのが本当のカーンワリヤーだ」と語っていた。
8月8日付けのタイムズ・オブ・インディア紙には、カーンワリヤーたちの伝統的な通行ルートマップも掲載されていた。

彼らは昔からずっと同じルートを通っているらしく、このマップはデリーの町の発展という観点からかなり重要なのではないかと思う。昔からの通商路とも合致するだろう。ハリドワールから伸びて来た3つのルートが、全てデリーでヤムナー河を渡って、それぞれの方向へ分散しているのも、デリーの宗教的または戦略的重要さを示しているように思えてならない。ここでヤムナー河を渡らなければならない何らかの理由があったはずだ(ただ単にこの3点に橋が架かっているからという単純な理由かもしれないが)。また、このマップには載っていないルートもいくつかあると思われる。例えばオーロビンド・マールグからグルガーオンへ抜ける道もカーンワリヤーの通り道となっており、昔からの市街地や商店街にはキャンプが造営されているのを目にする。
カーンワリヤーたちは、サーワン月のアマーワスィヤ(晦日)のシヴァラートリに、ハリドワールから運んで来た聖水を各村のシヴァリンガにジャラービシェークする。今年のサーワン月アマーワスィヤは8月11日となる。よって、カーンワリヤーの姿も11日を過ぎるとデリーの街頭からパッタリと消えるだろう。
【追記】8月12日付けのヒンドゥスターン紙によると、今年のカーンワリヤー巡礼参加者推定数は過去最高の400万人。「インド最大の祭り」とされるクンブメーラーが200万人程度なので、カーンワリヤーがインド最大の祭りに躍り出た可能性がある。巡礼よりも観光目的でカーンワリヤーに参加する人々も増えており、今後ますます規模が拡大すると見られている。
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8月10日(金) Chak De! India |
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インドの独立記念日(8月15日)が近付いて来た。インド最大の映画コングロマリット、ヤシュラージ・フィルムスは、一昨年、昨年と、独立記念日に大作をぶつけて来ている。2005年はアーミル・カーン主演の愛国主義的歴史映画「Mangal Pandey」、2006年はカラン・ジャウハル監督の「Kabhi Alvida Naa Kehna」であった。そして2007年、ヤシュラージ・フィルムスが満を持して送り出すのが、シャールク・カーン主演のスポーツ映画「Chak De! India」である。女子ホッケーがテーマという変わり種の映画だ。
題名:Chak De! India
読み:チャク・デー・インディア
意味:頑張れインド
邦題:チャク・デー・インディア
監督:シーミト・アミーン
制作:アーディティヤ・チョープラー
音楽:サリーム・スライマーン
作詞:ジャイディープ・サーニー
振付:ガネーシュ・アーチャーリヤ
衣裳:マンディラー・シュクラ、シーラーズ・スィッディーキー
出演:シャールク・カーン、ヴィディヤー・マーラヴァデー、サーガリカー・ガートゲー、チトラシー・ラーワト、タニア・アブロール、アナイター・ナーイル、シュビー・メヘター、スィーマー・アーズミー、ニシャー・ナーイル、サンディヤー・フルタド、アーリヤー・メーナン、マソチョン・V・ジミク、キミ・ラルダウラ、キンベリー・ミランダ、ニコラ・セキーラ、ライニア・フェルナンデスなど
備考:PVRアヌパムで鑑賞。

中央シャールク・カーン他
| あらすじ |
カビール・カーン(シャールク・カーン)は、男子ホッケー・インド代表チームのキャプテンだった。ワールドカップ決勝戦でインド代表はパーキスターン代表と戦ったが、インドは1点差で敗れてしまう。カビールはその責任を負わされたばかりか、パーキスターンに買収されて八百長試合を行ったとの濡れ衣まで着せられる。試合後、カビールは公衆の面前から姿を消す。
7年後。ワールドカップを3ヶ月後に控え、インド・ホッケー協会では女子ホッケー代表のコーチ選定が行われていた。協会は女子ホッケーに全く期待しておらず、適当に人選を決めようとするが、そこにカビールが現れ、コーチに名乗り出る。
早速インド各地から代表選手が召集され、キャンプが開始された。マディヤ・プラデーシュ州からはヴィディヤー・シャルマー(ヴィディヤー・マーラヴァデー)、パンジャーブ州からはバルビール・カウル(タニア・アブロール)、ハリヤーナー州からはコーマル・チャウターラー(チトラシー・ラーワト)、チャンディーガルからはプリーティ・サッバルワール(サーガリカー・ガートゲー)、マハーラーシュトラ州からはビンディヤー・ナーイク(シルパー・シュクラ)、西ベンガル州からはアリヤー・ボース(アナイター・ナーイル)、アーンドラ・プラデーシュ州からはグンジャン・ラカニー(シュビー・メヘター)とネートラー・レッディー(サンディヤー・フルタド)、ジャールカンド州からはラーニー・ディスポッター(スィーマー・アーズミー)とソイモイ・ケールケーター(ニシャー・ナーイル)、ウッタル・プラデーシュ州からはグル・イクバール(アーリヤー・メーナン)、マニプル州からはモリー・ジミク(マソチョン・V・ジミク)、ミゾラム州からはメリー・ラルテ(キミ・ラルダウラ)などなどが集まった。
ところが、チームはなかなかまとまらなかった。年長のビンディヤーはカビールに協力しようとせず、いつも自分勝手なことばかりしていた。コーマルとプリーティはフォワードだったが仲が悪く、絶対に互いにパスをしようとしなかった。その他にも問題が山積みだった。
カビールはチームをまとめるため、厳しいトレーニングを行う。一時はビンディヤーが中心となってコーチ解任を求める全選手署名入りの請願書を提出し、カビールはコーチを辞める寸前まで行く。だが、マクドナルドでからかって来た男たちをみんなで撃退したことでチームがまとまる。カビールは再びコーチをし始める。
一方、協会は予算の都合で女子ホッケー代表のワールドカップ派遣を見送ろうとする。そこでカビールは男子ホッケー代表との試合を要求する。試合には負けるが、女子ホッケー代表の健闘が称えられ、ワールドカップ派遣の許可を得る。
オーストラリアで開催されたワールドカップ。初戦は6度の優勝経験を持ち、現在チャンピオンの開催国オーストラリアであった。インド代表は0-7で無様な敗北を喫する。だが、これを機にインド代表は集中力を取り戻し、以後の試合で勝ち進む。最後まで協力的でなかったビンディヤーも、マンツーマン・ディフェンスを採る強豪韓国代表との試合で本領を発揮し、チームに溶け込む。インド代表は驚くべきことに決勝戦まで辿り着く。相手はまたもオーストラリアであった。
インド代表は先制点を決めるものの、追いつかれ、やがて逆転されてしまう。だが、コーマルとプリーティが初めて連携したことで1点を取ることに成功し、2-2の引き分けとなる。勝負は5発ずつのペナルティーショットに委ねられることになった。最初はオーストラリア代表に先行を許すものの、後半で持ち直して見事逆転し、ワールドカップ優勝を決める。 |
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娯楽映画としては無難にまとまった作品、スポーツ映画としては平凡な展開の作品であったが、別の観点から見るといくつか見所のある映画で、とても楽しむことが出来た。
まず、愛国主義や国民統合と言った、ボリウッドの大予算映画がよく取り上げるテーマを踏襲していながら、インドの違った側面を提示する努力がなされていた点が新しかった。普通、インドで国民統合の障害になっているものと言えば、宗教とカーストが真っ先に挙がって来る。ヒンドゥー教とイスラーム教の対立、不可触民の問題など、今まで何度も映画の題材となって来た。「Lagaan」(2001年)もよく見ると、この2つの問題が村人たちのクリケット・チームに巧みに織り込まれていることに気付くだろう。だが、「Chak
De! India」は違った。宗教問題は一部言及があったが(後述)、大して重要な要素ではなく、カースト問題に至っては全く触れられていなかった。代わりに取り上げられていたのは、インドの地域間の偏見や確執である。映画は、インドの州と州、地域と地域が未だに連帯感を持てていないことが、インドの統合性の重大な障害になっていること、そしてインドが国際社会で真のプレーヤーとなるには、それを克服しなければならないことが主張されていた。
インド人と少し話をすると分かるが、彼らは「インド人」としてのアイデンティティーよりもまず先に、もっとローカルなアイデンティティーを持って生きている。例えばパンジャーブ人はパンジャーブ人としての、ベンガル人はベンガル人としてのアイデンティティーを持っている。それは往々にして高いプライドと強力なコミュニティー意識となって現る。同じ地域の人々の間での連帯感は素晴らしいものがあるが、それが時に、他の地域の人々を見下したり、「○○人は~~だから信用できない」みたいな偏見を生む。「Chak De! India」では、インド各地から集められた女子ホッケー代表選手たちや指導部の間で、当初そのような偏見が渦巻いていた。「タミルとテルグは似たようなもの」「ノースイーストの人々はお客様」「ジャールカンド?ジャングルから出て来たの?」などなど、相手の出身地域だけを見て偏見に満ちた発言をしている人々がたくさんいた。だが、コーチのカビール・カーンだけは違った。彼は最初から選手たちに、「州は関係ないし知りたくもない」と言い、インドのために戦い、チームのために戦う選手だけを必要としていると宣言した。
特にノースイーストの人々に対する一般のインド人の視線の描写の仕方はかなり鋭かった。ノースイーストの人々は、子供の頃からインドの一員であると教えられている。だが、いざ彼らが一般のインド人に接すると、お客様扱いされたり、外国人扱いされたりする。彼らの置かれているそのような微妙な立場に映画は思い切って触れており、とても目新しかった。そもそもボリウッドの娯楽映画でノースイーストの人々が出て来ること自体が珍しい。また、一般のインド人男性が、ノースイーストの女の子たちをいやらしい視線で見たり、悪戯をしたりする傾向にあるのも真実であり、映画中でもそれが再現されていた。なぜか彼らにはノースイーストのモンゴロイド系の女の子たちがセクシーに見えるようだ。
インドの国民的スポーツと言ったらクリケットだが、敢えてホッケーを選んだところにもセンスを感じる。だが、忘れてはならないのは、かつてインドはホッケー大国であったことだ。独立前からインドはホッケーの強豪国で、印パ分離独立後もパーキスターンとオリンピック決勝戦などで死闘を繰り広げた。だが、1976年の五輪モントリオール大会から人工芝が導入されたのをきっかけにインドホッケーは没落し、代わって台頭してきたクリケットに国民的スポーツの座を奪われてしまった。ただし、今でもインドの国技はホッケーである。
インドのスポーツが本当に越えなければならないのは、国際試合における世界の壁よりもむしろ、国内におけるクリケット人気の壁である。そしてクリケット人気の壁を越えるには、やはり国際試合で目覚ましい活躍をしなければならない。クリケットが宗教と化しているインドのスポーツ界の現状も、「Chak
De! India」は見落としていなかった。プリーティの彼氏はインドのクリケット代表チームの副キャプテンであった。彼はホッケーを完全に見下しており、クリケットとホッケーを同列のスポーツと見なしていなかった。プリーティは、そんな彼氏を見返すため、ワールドカップで獅子奮迅の活躍を見せる。そして試合後、プロポーズして来た彼氏を一蹴するのである。また、カビールがクリケットとホッケーを比較して、「ホッケーにチャッケー(6点)はない」と言っていたシーンもあった。狙えば一気に大量の得点を取ることが出来るクリケットと違い、ホッケーは地道に1点ずつ積み重ねていくしかない。そのホッケーの魅力を一言で見事に言い表していた。
インドの女子スポーツをテーマにした点でも画期的である。インドでは、「インド人女性は家で家事をするもので、外に出て走り回るなんてみっともない」という考えが根強く残っており、ホッケーの振興をするはずの協会自身すらも女子選手に対してそのような偏見に満ちた見方しか持っていなかった。カビールはその偏見を覆すため、男子ホッケー代表との試合を申し込む。その試合の前、カビールは女子選手たちに言う。「これは『インド人女性はスポーツなんか出来ない』と思っている人々全てとの戦いだ。」試合には負けてしまったものの、女子選手たちは3-2という接戦を見せ、協会の目を覚まさせる。
少しだけだが、インドのスポーツの根本的問題にも言及があった。それは、州代表やインド代表レベルの選手になると、政府から住居が宛がわれたり、助成金が出たりすることである。それはそれで問題ないのだが、どうもインドでスポーツを志す人々の多くは、これが目当てでやっているようだ。だから、一度代表選手に選ばれると、それで目的を達成して満足しまい、伸びて行かないのである。スポーツ選手支援のための制度が、彼らの安い目標となって成長を阻んでいる。10億人の人口を抱えるインドのスポーツがなかなか発展して行かない大きな原因のひとつであろう。「Chak
De! India」の女子ホッケー代表も、当初はそんなモチベーションの低い選手たちの寄せ集めに過ぎなかった。
主人公のカビール・カーンがイスラーム教徒であったことから、インドにおけるイスラーム教徒の立場の問題も少しだけ取り上げられていた。彼はパーキスターンとの試合でペナルティーショットを外してしまい、それがインド代表敗北の直接の原因となってしまう。試合後、パーキスターンの選手と握手していたところを写真に撮られ、八百長疑惑が持ち上がる。人々はカビールがイスラーム教徒であることだけを見て、パーキスターンと密通していたと思い込み、「そういう奴らは分離独立のときにパーキスターンに放り込んでおけばよかったんだ」との非難の声まで上がる。「裏切り者」のレッテルを貼られたカビールは、祖父の代々から住んで来た家を母親と共に去り、姿をくらまさざるをえなかった。彼が女子ホッケー代表コーチを志願したのは、その汚名を返上し、インドへの愛国心を証明するためであった。
映画は実は、実在のホッケー選手の人生を大まかにベースにしている。その選手の名はミール・ランジャン・ネーギー。インド代表のゴールキーパーだったが、1982年のアジア大会でパーキスターンに1-7の惨敗を喫し、社会的に抹殺される形で現役引退を余儀なくされる。だが16年後、彼はゴールキーピング・コーチとして復活し、1998年のアジア大会でインド代表を金メダルに導く。しかし、不可解なことに、彼は試合後すぐに解雇されてしまう。彼が選んだ新天地は女子ホッケーであった。女子ホッケー代表のゴールキーピング・コーチとなったネーギー氏は、2002年の英連邦大会でチームを金メダルに導く。しかし、2年後に息子を交通事故で失い、傷心のままホッケーの世界から完全に引退する。シャールク・カーン演じるカビール・カーンは、ネーギー氏がモデルとなっている。さらにネーギー氏自身が「Chak De! India」のホッケー・コーチを務め、ホッケー未経験の女子たちに、ホッケー選手役が演じられるだけのテクニックを教え込んだ。ちなみに、シャールク・カーンはハンスラージ大学在学時にホッケー・チームのキャプテンを務めており、以前からホッケーの経験があった。
映画の難点は、後半のワールドカップの展開があまりにお約束過ぎる展開だったこと、カビール・カーンの家族的背景がほとんど描写されていなかったことなどだ。しかし、映画全体の質を落とすようなものではない。全体的にはとてもよく出来ていた。
シャールク・カーンは、珍しくヒゲを生やして役作りをしていた。「Kabhi Alvida Naa Kehna」に続いて、影のある負け犬男を演じていた。所々で重みのある演技を見せているところはさすがだった。だが、ここは女子ホッケー代表を演じた女優たちに拍手を送りたい。特別かわいい女優が出ていたわけではなく、皆ほぼ無名の女の子たちだったが、それがかえってリアルでよかった。中でも特に反骨娘のビンディヤーを演じたシルパー・シュクラが良かった。
音楽はサリーム・スライマーン。2時間半の映画ながら、インド映画らしいダンスシーンは皆無であった。だが、タイトルソングの「Chak De! India」は思わず口ずさんでしまう洗脳性の高い曲で、映画の雰囲気によく合っている。
大雑把に言ってロケ地は、前半はデリー、後半はオーストラリアであった。朝靄の中、インド門、プラーナー・キラー、フマーユーン廟などの歴史的遺構をバックにコーチと選手たちがランニングするシーンは、デリーっ子たちには格別感動的であった。
この映画の言語はとても面白い。インド各地の訛りに染まったヒンディー語が飛び交う。ハリヤーナー州出身のチャウターラーはジャート特有の農村の慣用句を多様したしゃべり方をし、パンジャーブ州出身のカウルは物騒なパンジャービー語の悪態を付きまくる。ジャールカンド州出身のソイモイは最初、英語もヒンディー語も分からず、「ホー」しか言わない。マニプル州出身のモリーとミゾラム州出身のメリーは一応ヒンディー語を話すが、ノースイースト特有の発音である。この方言や訛りの豊富なバラエティーは、「公用語」ヒンディー語の面白い部分である。
「Chak De! India」は、寄せ集めの女子ホッケーチームが、トラウマを抱えたコーチの下、一丸となってワールドカップを手にするという夢物語のような作品だが、インドのいろいろな問題に触れながら盛り上げて行くことに成功しており、見応えのある娯楽映画に仕上がっている。インド独立60周年にふさわしい作品と言える。チャク・デー!
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8月13日(月) Blue Umbrella |
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徐々にだが、インドでも子供向け映画というジャンルが確立されつつある。子供向け映画は大きく実写映画とアニメーション映画に分かれる。実写の子供向け映画の先駆けとなったのが、ヴィシャール・バールドワージ監督の「Makdee」(2002年)であった。名女優シャバーナー・アーズミーが、何をとち狂ったのか、おかしな魔女役を演じるぶっ飛んだ映画であったが、田舎の子供たちの夢と冒険に満ちた日常が元気一杯に描かれており、「こんな子供生活を送りたかったなぁ」と思わされたものだった。
ヴィシャール・バールドワージ監督は変わった映画監督である。音楽監督から映画監督へ転向したと言うのも変わり種だが、彼の映画は全く二極に分かれる。「Maqbool」(2003年)や「Omkara」(2006年)などの重厚な心理劇と、「Makdee」のようなほのぼのとした子供向け映画である。先週の金曜日からは、バールドワージ監督の最新子供映画「Blue
Umbrella」が公開されている。インド生まれの英国人童話作家ラスキン・ボンドの同名短編小説が原作となっている。この映画は2005年に映画祭に出品されており、公式には2005年作品となっているが、一般公開は2007年8月10日である。ちょうど、先日発表された国家映画賞の子供映画部門に輝いた。
題名:Blue Umbrella
読み:ブルー・アンブレラ
意味:青い傘
邦題:ブルー・アンブレラ
監督:ヴィシャール・バールドワージ
制作:ロニー・スクリューワーラー
原作:ラスキン・ボンド
音楽:ヴィシャール・バールドワージ
作詞:グルザール
衣裳:ドリー・アフルワーリヤー
出演:パンカジ・カプール、シュレーヤー・シャルマーなど
備考:PVRナーラーイナーで鑑賞。

シュレーヤー・シャルマー(左)とパンカジ・カプール(右)
| あらすじ |
ヒマーラヤ山脈の静かな村に住む10歳の女の子ビニヤー(シュレーヤー・シャルマー)は、ある日日本人観光客から青い傘をもらう。村の人々はその傘を見てうらやましがる。その一人が、チャーイ屋を営むナンドキショール・カトリー(パンカジ・カプール)であった。カトリーは傘を手に入れようとビニヤーを説得するが、ビニヤーは絶対に譲ろうとしなかった。そこでカトリーは町に同じような傘を探しに行く。そこでビニヤーの持っている傘は、日本製で2500ルピーもすることを知る。しかもデリーから注文しなければならなかった。
どうしても傘が欲しかったカトリーは一計を案じる。ある日、ビニヤーが目を離した隙に傘がなくなってしまう。村の人々はビニヤーがなくしてしまったと思うが、ビニヤーは誰かが盗んだと考えていた。彼女はカトリーを疑い、警察に頼んで彼の店を捜索してもらう。だが、カトリーの店からは何も出て来なかった。ビニヤーはすっかり落ち込んでしまう。
数日後、カトリーのもとに、デリーから注文した傘がやって来る。その傘はビニヤーの傘とそっくりだったが、色は赤だった。傘を手に入れたカトリーは村人たちから急にもてはやされるようになる。村で開催される相撲大会でもカトリーは主賓席に座ることになった。
ところが、ビニヤーは郵便局で、カトリーのところにデリーから何の荷物も届いていないことを突き止める。警察はまず染色屋を事情聴取し、ビニヤーの傘を赤く染めたことを白状させる。また、相撲大会の途中で雨が降って来たことで、カトリーの傘の色が落ちて、青い下地が見えて来てしまった。
以後、カトリーは村中から傘泥棒と呼ばれるようになり、村八分となってしまった。カトリーの店に来る者はいなくなってしまった。カトリーは孤独な生活を送るようになる。それを見たビニヤーは気の毒になり、彼に傘をあげる。カトリーは傘を店の屋根に掲げ、再び商売を始めた。 |
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ヒマーチャル・プラデーシュ州の美しい山村と、半分童話のような半分実話のようなストーリーがとてもマッチしていた。しかし、後半になると村八分になるカトリーが哀れ過ぎて、ほのぼのとした雰囲気が損なわれてしまう。最後は一応持ち直したが、子供向け映画なので、全体を通して明るい雰囲気の作品にしてもらいたかった。しかし、もしかしたらこれは、子供に「許し」の感情を知ってもらおうという監督のメッセージなのかもしれない。
「青い傘」という題名から、何かの魔法の力を持った傘を手に入れた子供の映画なのかと想像していた。だが、映画に空想の要素は全くなく、地に足の着いた作品だった。山村の少女が、ひょんなことから素敵なデザインの傘を手に入れ、それが村の中でちょっとした事件を巻き起こすというあらすじである。子供向けの映画なので、ただそれだけなのストーリーなのかもしれないが、少し深読みをすることも可能だ。
映画中、所々で描写されていたが、ビニヤーの住む村は完全に人里離れた寒村ではない。シーズンになると外国人観光客が訪れるぐらいの、ちょっとした観光地である。外国人観光客はよく、村の子供などに珍しい物をプレゼントしたりする。ビニヤーがもらった青い傘は、そのような外国人観光客が持ち込む文明の利器や珍しい品々の象徴と捉えることが出来る。外との交流がほとんどない村では、誰もそんな素敵なものは持っていないので、欲望や羨望と言った感情は生まれない。他人が持っているものは大体自分も持っている。だからコミュニティーはまとまって行く。だが、一度誰かが何か自分の持っていないものを手に入れると、周囲の人々の心に一気に波紋が広がる。ビニヤーが青い傘を持って村の中を駆け巡ると、人々の視線は傘に釘付けになる。そして、「あれが欲しい」と思う人々が出て来る。そして欲に身を任せる人が出てしまい、それが犯罪につながり、村の平安を乱すことになる。外国人の目からこの「Blue
Umbrella」を見ると、純粋な村に外国人が入り込んで行って自己満足的な親切をすることの功罪を考えさせられる。
カトリーによる泥棒が発覚すると、映画のトーンは一気に暗くなる。そして、村八分に遭って困窮するカトリーの様子が長々と映し出される。泥棒をするのはよくないが、あまりに気の毒なので、もう許してやってもいいのではないかと思われて来る。そのタイミングを見計らって、ビニヤーはカトリーに傘を渡し、許したことを示すのである。ヒンディー語で傘のことを「チャトリー」と言うが、カトリーは自分の店の名前を「カトリーの茶屋」から「チャトリーの茶屋」に変更して、再び商売を始めるのであった。ちょっと強引な終わらせ方だったが、暗いまま終わるよりは数倍マシであった。
パンカジ・カプールは、ヒンディー語のパハーリー方言を駆使して、とぼけた茶屋のお爺さんを熱演していた。役に溶け込むことを知っている、本当にうまい俳優だ。彼の一挙手一投足がおかしかった。ビニヤー役のシュレーヤー・シャルマーも、青い傘を手に入れた喜びを体中で表現していて微笑ましかった。
ロケはヒマーチャル・プラデーシュ州のカッジヤールで行われたようだ。カッジヤールはダルハウジーの近くにある風光明媚な観光地で、「ミニ・スイス」と呼ばれている。非常に美しい光景で、その青と緑の風景の中にビニヤーの青い傘がとても映えた。
言語は基本的にヒンディー語だが、ヒマーチャル・プラデーシュ州の方言が多用されるため、聴き取りは非常に困難。だがその代り、ヒンディー語と英語を含め、全てのセリフに字幕が入るので、理解に困難はなかった。唯一、字幕が入らない言語があった。それは日本語・・・。突然日本語が聞こえて来るので驚く。青い傘は日本人観光客からもらったものと言う設定だからだ。日本人役の人々もスクリーンに出て来る。外見は日本人に見えないこともなく、日本語のセリフは棒読みながらネイティブのものだったが、俳優はどうも日本人ではないようだ。エンドクレジットで見てみたら、インド人の名前が出ていた。
しかし、いくら日本製だと言ったって、こんな唐傘みたいな傘は日本でももうほとんど手に入らないと思うのだが・・・。こんなの持ってトレッキングする日本人がどこにいるのだろうか?
「Blue Umbrella」は、基本的に子供向けのほのぼのとした映画なので、そういうのが好きな人が見ればいいだろう。決してつまらない映画ではないが、絶対に見ておいた方がいい映画と言うわけでもない。日本人にとっては、インド映画に日本人と日本語が出て来るのがちょっとした見所になりうるだろう(あまり好意的な描かれ方ではないが・・・)。
インド人の占いに対する信心深さを表すエピソードとして、1947年8月14-15日の印パ分離独立の裏話が取り上げられることが多い。例えば、伊藤武著「図説インド事典」には、以下のような一節がある。
・・・とにかく、いっさいの決定を占星術師にゆだねる、というのが昔ながらのヒンドゥーなのだ。そしてそれだけに、最後のインド総督マウントバッテン卿が、
「イギリス領インドは、1947年8月15日をもって、インドと東西パキスタンとに分離独立する」
と、ラジオ発表したときには、インド中が大騒動になった。
8月15日。その二年前、日本が連合軍に無条件降伏した日だ。マウントバッテン卿は、第二次世界大戦中は極東軍総司令官だった。そして日本の終戦記念日こそが、ともに大英帝国の一員として日本と戦ったインドの独立にふさわしい日と考えたのだ。ところが、インド全国の占星術師たちが、
「1947年8月15日は大凶なり」
と異口同音に絶唱したのである。この日は凶日とされる金曜日。マカラ(山羊座)の影響下にあり、遠心的な力が働く。インドとパキスタンの分割に対して激しい反発があることを示している。また、この日は最大の凶星である土星の圧倒的な支配下にあって、悪魔の惑星ラーフの支配下にも入る。その土星は、やはり不吉な争いの星である火星と夫婦座(双子座)で、それこそ夫婦のように交接している。乙女座に入った木星は、肉親とのいさかいの暗示だ。
そしてなにより、インドの暦では、ちょうどこの日から太陽が獅子座に入る。獅子座は太陽の本来の「宮」だ。惑星を照らす太陽の力が強くなる。つまり諸星の呪いのすべてが幾倍にも強化されるのである。もしこの日に独立すれば、洪水、旱魃、混乱、虐殺とありとあらゆるよくないことがインドを襲い、別れた肉親(パキスタン)と血で血を洗う戦争が未来永劫くり返されることになるだろう。
占星術師が、この子は悪い星の下に生まれたとの託宣を下すと、その子を捨てる親も多いお国がらだ。この日に独立するくらいなら、イギリス支配に甘んじたほうがまだまし、という抗議が総督官邸に殺到した。
思ってもいなかったところから自分の決断にケチをつけられたマウントバッテン卿は、頭をかかえて、占星術師に相談した。すると、前日の8月14日は「小吉」と出たのである。しかし、いちど発表したことは大英帝国のメンツにかけても覆すことはできない。では、どうすればいい?
妥協案が生まれた。新生インドの誕生日は、
「1947年8月14日の24時00分」
となったのである。 (P.335~336)
その他の日本語のインド・パーキスターンに関する本でも、同じようなインド独立の裏話が掲載されているのを見たことがある。だが、その詳しい経過をなかなか見つけることが出来なかった。
ところで、インドでは毎年8月15日は盛大に祝われるが、今年はインド独立60周年であり、盛大さも数割増しになっていた。8月15日付けの各紙もかなり大々的に独立記念日特集をしていた。ザ・ヒンドゥー紙には「Independent
India at 60」というサプリメント紙が付録で付いていた。同紙のアーカイブに所蔵されている貴重な写真と共に、インド独立が大特集されていた。その中に、独立時に要職に就いていた高級官僚HVRアイヤンガルが1972年8月15日に書いた記事のリバイバル掲載があり、そこに上の裏話と関係する話も盛り込まれていた。伊藤武氏の記述と大筋で一致しているが、細かな点で違いもあった。
英国政府は、インドの憲法制定会議への権力移譲を8月15日に行うことを決定した。英国人は政治的決断を下すときに占星術師に相談をする習慣を持っていなかったが、インド人の中には星の運行が人間に与える影響を信じてる者がおり、8月15日は吉日かどうかを占星術師に相談した。占星術師によると、8月15日は吉日ではなかった。むしろ前日の8月14日の方が遥かに吉日であった。だが、この日は英国政府がパーキスターンへ権力移譲を行う日として決定済みであり、しかもマウントバッテン総督は14日午前にカラーチーで式典を行い、同日午後に飛行機でデリー入りする予定となっていた。この難問の解決策を思い付いたのは、(記者の記憶によると)歴史家のKMパニッカルであった。パニッカル氏は、星の運行に逆らわず、英国政府にも不必要な予定変更の手間を煩わせない秘策を考え出した――まず、憲法制定会議を8月14-15日の日付変更直前から始めることで、独立の手続き開始を14日とし、占星術上の凶日を避ける。そして日付変更後にインド独立の宣誓式を行い、英国政府が約束した15日の権力移譲を実現させる――というものだった。
インド独立時にジャワーハルラール・ネルーが憲法制定会議で行った有名な演説をよく読むと、このときはまだ14-15日の0時になっていなかったことが分かる。
...At the stroke of midnight hour, when the world sleeps, India will awake
to life and freedom.
・・・午前0時ちょうど、世界が眠っているときに、インドは命を吹き返し、自由に目覚めるだろう。
よって、憲法制定会議が14-15日の0時前に始まったことは確実であろう。だから、英国政府の決定と占星術の妥協を「8月14日24時00分」と考えるよりも、ザ・ヒンドゥー紙の記事にあるように、憲法制定会議を14日深夜から始めることで妥協を図ったと考えた方がより事実に近いのではないかと思う。もし8月14日24時00分が独立の瞬間であったら、インドの独立記念日は8月14日でなければ辻褄が合わないような気がする。
また、インドの占星術では、1日の始まりは日の出からとされる。よって、もし8月14-15日の深夜に独立し、一通りの儀式を済ませておけば、占星術的には独立の日は14日であり、西洋の暦的には15日ということになる。あまりこの説は見ないのだが、僕はこの妥協案を採ったと考えるのが一番妥当なのではないかと思う。それなら、インドの独立記念日が8月15日となっているのも納得が行く。
一方、パーキスターンの独立記念日は一般に8月14日となっている。時々「8月15日にインドとパーキスターンは分離独立した」と書かれているのを見るが、それを考慮する限り、正確ではない。だが、もっと正確に言えば、パーキスターンの独立記念日も8月15日なのではないかと思う。
前述の通り、マウントバッテン総督は8月14日の午前にカラーチーにいた。彼はそこで、パーキスターン領土の権力をパーキスターンの憲法制定会議に移譲するという英国国王のメッセージを伝え、デリーへ向けて発った。だが、パーキスターン初代総督に就任したムハンマド・アリー・ジンナーは、マウントバッテンが去った後も、14日日没まで英国国旗を降ろそうとしなかった。なぜならパーキスターン独立の時間も14-15日の0時と決められていたからである。法律家であったジンナーはその決定に忠実に従ったのであった。
また、ジンナーは占星術を信じていなかった。インドでは憲法制定会議が14-15日深夜に行われたが、ジンナーは15日の朝に公式な総督就任式と組閣式を行い、国民に向けてパーキスターン独立の演説を行った。
It is with feelings of greatest happiness and emotion that I send you my
greetings. August 15 is the birthday of the independent and sovereign State
of Pakistan. It marks the fulfillment of the destiny of the Muslim nation
which made great sacrifices in the past few years to have its homeland.
私はあなたたちに挨拶をしながら、大きな幸福と感激を感じている。8月15日は独立国・主権国パーキスターンの誕生日である。過去数年間、ムスリムの国家を作るという神意のために多くの犠牲が払われて来たが、遂にそれが実現したのである。
よって、ジンナー自身はパーキスターンの独立記念日を8月15日と考えていたのではないかと思う。だが、一般にパーキスターンの独立記念日は8月14日とされている。おそらく、マウントバッテンが権力移譲の宣言を行った日をもってして、独立としているのであろう。それとも時差の関係でそうなっているのかもしれない。現在、インドとパーキスターンには30分の時差がある。パーキスターンが独立したときは、まだインド時間に合わせていたはず。いつから独自のパーキスターン時間が採用されたかは知らないが、インド時間の8月14-15日午前0時に独立ということは、現在のパーキスターン時間の8月14日午後11時半に独立ということになる。しかし、この辺りの詳しいことはちょっとよく分からなかった。
しかしそうなると、「8月15日は凶日」という占星術師の言葉を信じたインドの独立記念日が8月15日になり、それを信じなかったパーキスターンの独立記念日が前日の8月14日になるという、矛盾した状況になってしまっていることに気付く。
また、この60年間、インドとパーキスターンの間で起こった出来事を見ると、占星術は的中し、しかも小手先の技で星の目を欺くことは出来なかったと結論づけざるをえない。
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8月17日(金) Buddha Mar Gaya |
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今日は新作コメディー映画「Buddha Mar Gaya」を見た。
題名:Buddha Mar Gaya
読み:ブッダー・マル・ガヤー
意味:老いぼれがくたばった
邦題:ご臨終
監督:ラーフル・ラヴァイル
制作:ラーフル・ラヴァイル、スニール・ルッラー
音楽:パッピー・レヘリー
作詞:マノージ・ムンタシル
振付:スハース・グジャラーティー
出演:パレーシュ・ラーワル、アヌパム・ケール、オーム・プリー、ランヴィール・シャウリー、ラーキー・サーワント、ムケーシュ・ティワーリー、ムルリー・シャルマー、マハーバヌー・モーディー・コートワール、モナ・アンベーガーオンカル、ボビー・パルヴェーズ、マンナト・カウル(新人)、ヒーナー・ビシュワース(新人)、マードヴィー・スィン(新人)、ジャイ・ソーニー(新人)、ディーピカー・シャルマー(新人)、ジテーンドラ・バルガヴァー(新人)
備考:サティヤム・ネループレイスで鑑賞。

中心はアヌパム・ケール
左上から時計回りに、オーム・プリー、ラーキー・サーワント、パレーシュ・ラーワル、ランヴィール・シャウリー、?、?、?、ムケーシュ・ティワーリー、?、?、?、マハーバヌー・モーディー・コートワール
| あらすじ |
カバーリー(廃品回収屋)から一代でインド最大の財閥にまでのし上がったラクシュミーカーント・カバーリヤー(アヌパム・ケール)、通称LK。彼の家には双子の妹プレールナー(マハーバヌー・モーディー・コートワール)、2人の息子ランジートとサミール(ムケーシュ・ティワーリー)、その妻シュルティーとアンジュ、ランジートとシュルティーの2人の娘サンジャナーとナムラター、サミールとアンジュの息子パワンが住んでいた。また、LKの家には、ヴィデュト・バーバー(オーム・プリー)という聖者や、何十年も勤めて来た使用人(パレーシュ・ラーワル)が住んでいた。LKは有能な実業家で尊敬を集めていたが、その息子たちは無能で知られていた。
LKの会社が株式公開をしようとしていたとき、LKは三流セクシー女優(ラーキー・サーワント)の上で腹上死してしまう。LKが死んだことが分かれば株式公開で大損してしまうことを恐れた家族は、LKの死を隠すことにする。だが、誰かが死んだことは知られてしまったため、急いで「LKの大の親友の死」ということにする。家族は急いで代わりの死体を探す。そのときちょうど病院では貧乏人ムンナー(ランヴィール・シャウリー)の父親が死んだ。ランジートとサミールは、ムンナーから死体を買う。こうしてLKの親友の葬式がでっち上げられた。葬式にはLKの友人たちが参列した。
株式公開が行われ |