スワスティカ これでインディア スワスティカ
装飾上

2009年6月

装飾下

|| 目次 ||
映評■6日(土)Anubhav
分析■8日(月)マンゴーのウンチク
映評■12日(金)Kal Kissne Dekha
映評■12日(金)Frozen
映評■19日(金)Paying Guests
言語■20日(土)カタカナ表記規則の再考
言語■22日(月)デリー大学の最新流行語
映評■26日(金)New York
分析■29日(月)インドで食人は犯罪か?
分析■30日(火)マイケル・ジャクソンとインド映画


6月6日(土) Anubhav

 4月から続いていたプロデューサー対マルチプレックスの対立も何とか合意に至ったようで、ストライキにより公開が延期されていた作品が来週から続々と公開される予定である。特に7月は話題作のラッシュとなりそうだ。そのため、ここ2ヶ月の間、スクリーンの空きに乗じて上映されて来た低予算映画の数々は、すぐに映画館から姿を消しそうである。見るならお早めに、と言いたいところだが、本当につまらなそうな映画ばかりなので、無理して見なくてもいいだろう。その中でも、5日に封切られたヒンディー語映画「Anubhav」は、キャストが渋かったので見てもいいかと思い、映画館に足を運んだ。監督はマラヤーラム語映画で活躍するラージーヴ・ナートで、主人公の親友役でも出演しているアヌープ・メーナンが脚本を担当している。元々2007年夏公開予定であったがお蔵入りし、今回のストライキでようやく日の目を見たという曰く付きの作品である。



題名:Anubhav
読み:アヌバウ
意味:経験;主人公の名前
邦題:ジゴロ

監督:ラージーヴ・ナート
制作:MMRエンターテイメント
音楽:アーデーシュ・シュリーワースタヴ、クリシュナモーハン
出演:サンジャイ・スーリー、グル・パナーグ、ジャッキー・シュロフ、アヌープ・メーナン、ラージ・ズトシー、ミーター・ヴァシシュト、スダー・チャンドラン、シュルティー・セート
備考:サティヤム・ネルー・プレイスで鑑賞。

サンジャイ・スーリー(左)とグル・パナーグ(右)

あらすじ
 ムンバイーの演劇学校を卒業したアヌバウ・マロートラー(サンジャイ・スーリー)は、映画界での運試しを決意する。オーディションで偶然、彼のファンだという女性ミーラー(グル・パナーグ)と出会い、恋に落ちる。アヌバウは、親友で監督志望のアーディティヤ(アヌープ・メーナン)と共に下積みを積みながら、ミーラーとの愛を育む。やがてアヌバウはミーラーと結婚する。

 アーディティヤとアヌバウは、老プロデューサーを説得することに成功し、2人で協力して映画を作ることになる。ところが完成間近になってプロデューサーが急死してしまい、映画は暗礁に乗り上げてしまう。また、妊娠していたミーラーは難産の末に女児を産むが、障害を持っており、その手術のために200万ルピーが必要であった。アヌバウは、女児が生きていること、そして手術に大金が必要なことをミーラーに隠し、彼女には女児は死んだと伝えた。そして、手術に必要な金を集めに奔走することになる。

 アヌバウは、ヴァンラージ(ラージ・ズトシー)という投資家を紹介され、彼から手術代の援助をもらう。だが、当然のことながらそれは無料ではなかった。ヴァンラージは大都市の裕福な女性たちに男娼を斡旋する仕事をしていた。アヌバウは借金返済のために男娼になることを強制される。元々男優であったアヌバウは、男娼になることを演技だと自分言い聞かせ、ジゴロの世界へと入って行く。だが、屈辱的な思いをすることが多く、アヌバウの精神は崩壊しそうになる。当然、ミーラーとの仲もギクシャクしたものとなってしまった。アーディティヤや、演劇学校時代の恩師(ジャッキー・シュロフ)もアヌバウが選んだ道にショックを受ける。

 だが、アヌバウは屈辱に耐え、同情した裕福なマダムの寄付も受けたおかげで、借金を完済する。ヴァンラージはアヌバウを男娼から解放する代わりに、最後の仕事を命じる。その最後の相手がミーラーであった。ミーラーは男娼となったアヌバウを罵る。だが、後にアーディティヤから真実を聞き、ミーラーは反省する。彼女はもぬけの殻となって帰って来たアヌバウを受け容れる。アヌバウは救いを得られるが、ミーラーの口からショックな知らせを受ける。手術は成功せず、女児は息を引き取ってしまっていた。2人はただ嘆き悲しむ。

 サンジャイ・スーリーは「My Brother... Nikhil」(2005年)で、HIVに感染して死んで行く同性愛者というかなり際どい役を演じたのであるが、今回は男娼というこれまたぶっ飛んだ役に挑戦しており、真面目な外見とは裏腹にキワモノ街道をまっしぐらしている興味深い男優である。ただ、「Anubhav」で彼が演じたのは単なる男娼ではなく、妻と娘のためにプライドを捨てた悲劇の男であり、どれが本当の自分なのかアイデンティティーの危機に苦悩する姿には、彼が傾倒するハムレットの姿が重ねられる。さらには彼の体験を通して、インドの娯楽産業における男性への性的搾取という珍しいトピックにも触れられていて、一筋縄ではいかない映画に仕上がっていた。それでも、ストーリーは先読み完全可能であったし、エンディングは悲しすぎで、ハッピーエンドを求めるインド人観客には向かないだろう。一応「5年後・・・」として悲しすぎるエンディングのフォローがナレーションによってしてあったが、ちゃんと映像で見せてもらわなければ観客の魂は完全には浮かばれない。ちなみに、脚本のアヌープ・メーナンによると、この映画は実話に基づいて作られているようで、インドの男娼の実態についても一応リサーチしてあるようである。

 この映画をわざわざ見に行った最大の理由はグル・パナーグであった。1999年のミス・インディアであるグル・パナーグは、同じミスコンから映画界に入ったアイシュワリヤー・ラーイなどと比べて圧倒的に地味な位置におり、しかも寡作であるが、いい選択眼を持っており、彼女が出演する映画は見て損はないと思わせる何かがある。既に30歳を越えてはいるが、元ミス・インディアの美貌は健在である上に、ますます知的な魅力の漂う女優に進化して来ている。「Anubhav」でも演じているのは単なるヒロインを越えた重要な難役であり、後半は幾分出番が減るものの、十分な熱演を見せていた。

 他にジャッキー・シュロフやラージ・ズトシーなど渋い俳優も登場する。ジャッキー・シュロフは「Devdas」(2002年)の頃から挙動不審な脇役がすっかり板に付いてしまい、今回も変人振りだけが取り柄の役であった。変人と言えばラージ・ズトシーが演じた男娼斡旋屋も十分に変人であったが、むしろ彼の方がいかにもいやらしげな、インパクトのある演技をしていた。

 主人公のアヌバウはテレビドラマ俳優としてキャリアをスタートするが、その影響からか映画には主にテレビドラマで名を馳せている女優が多数登場する。ミーター・ヴァシシュト、スダー・チャンドラン、シュルティー・セートなどである。

 テーマが際どいため、劇中には多少ホットなベッドシーンも出て来る。だが、何よりも際どいのは、アヌバウが顧客のマダムたちを抱くときの嫌悪感を独白する終盤のシーンである。受け止め方によっては、もう既に若くない女性たちへの侮辱とも取れる言葉の数々であったが、もしかしたらこれが長年お蔵入りになっていた最大の原因かもしれない。

 上映時間2時間強の短い映画であるが、通常のインド娯楽映画と同様にダンス・シーンやミュージカル・シーンが入る。しかし、特に魅力的なものはない。基本的にシリアス路線を行きながらダンスやミュージカルもちゃっかり挿入する作風の映画は2002年頃から流行だし、サンジャイ・スーリーなどはそういう映画に多く出演しているが、そういう映画にはもはや目新しさを感じなくなってしまった。

 「Anubhav」は、主人公がジゴロになるという一風変わったストーリーが売りの映画で、それを演じるサンジャイ・スーリーが最大の見所だが、それ以外ではヒロインのグル・パナーグが輝いているくらいである。最後のまとめ方などに若干不整合性を感じたのだが、それは一旦お蔵入りになった作品を、再公開向けにアレンジし直した結果かもしれない。典型的娯楽映画が数ある中でこういう映画もあるならまだいいが、現在のようにメインストリームの映画が枯渇している状態だと、ますます力不足さが目立ってしまう。4月からのストライキ期間に公開された他の低予算映画と同様に、無理して見る価値のある映画ではない。

6月8日(月) マンゴーのウンチク

 デリーは現在酷暑期の真っ直中である。時々雨が降って気温を下げてくれているので助かっているが、それでも基本的には最高気温42度前後をキープしている。暑さの苦手な人には文字通り酷な季節であるが、インドに長く住む内、いつしか僕は1年の内で酷暑期をもっとも愛するようになった。自然に完全に身を任せた生活、それを都市に住みながらも思い出させてくれるのが酷暑期だ。酷暑期の間の活動時間は朝と深夜である。もっとも頭の冴える時間に効果的に物事に集中することができる(僕の場合は論文執筆など)。日中は何もすることができないので、堂々と昼寝をして過ごす。極度に乾燥しているので水を大量に飲む。食欲が出ないので野菜を中心とした最低限のものしか食べない。汗をかくので頻繁にシャワーを浴びる。暑いので余計なことはせず、全てはシンプルになる。そのように自然に身を任せていると、自然と健康的な生活になって行って、身体の調子が良くなる。おそらく毎日の勤務時間が決まっている人は、いくら暑くても自然に身を任せた生活は許されないだろうし、そもそもエアコンのある生活をしていればそんなことを感じることも少ないだろう。酷暑期のこの魅力は全ての人には理解されないかもしれない。

 だが、インドにおいて酷暑期を耐える人々全てに自然が与えてくれるギフトがある。それはマンゴーである。マンゴーは南インドで4月に旬を迎え、アルフォンソなどの世界的に有名なブランドがまず市場に登場し、その後いくつかの前座的ブランドが場をつなぐ。北インドが本格的にマンゴーの季節に入るのは、モンスーン到来後の7月である。インド随一のマンゴー名産地ウッタル・プラデーシュ州の極上品マンゴーの数々が満を持して人々の前に姿を現す。酷暑期を耐える者でなければこのマンゴーのフルコースを楽しむことはできないし、インドのこの暑さを知らずしてマンゴーの味を味わうことは許されない気すらする。マンゴーはいわば共に暑さを堪え忍ぶ戦友のようなものである。インドのマンゴー通たちは、成熟中のマンゴーと共に汗を流し、雨季の到来と共に、ひとつひとつのマンゴーに詰まった酷暑期の暑さを噛みしめながら至福の甘味を享受するのである。

 今ぐらいの時期になると、新聞でマンゴーについて特集がされたりして、本格的マンゴー・シーズン到来を待ちわびる気分が募らされる。6月7日付けのヒンドゥスターン紙のサプリメント「リミックス」でも早速マンゴーについてウンチクが語られていた。マンゴー予告編ということで、全文を翻訳して転載する(翻訳の都合により一部省略)。
見出し文
 どの季節にもそれぞれの良さがある。今は何と言っても果物の王様マンゴーの季節。屋台にマンゴーが並んでいるのを見ると、どんな暑さの中でも舌が勝手に唇を舐め始めてしまう。マンゴーこそは民主主義のブランドアンバサダーだ。マンゴーはヒンディー語で「アーム」と言い、その単語には「一般的」という意味もあるが、マンゴーの味は格別で、一般人から有名人まで、みんなの大好物。選挙に出馬したら、お祖母ちゃんから孫娘まで、舅から娘婿まで、マンゴーはみんなから支持を得られるだろう。そしてそれは至極当然のこと。「Sholay」のガッバル・スィンのあの台詞を思い出してみよう。「誰がガッバルから身を守ることができる?ガッバルのみだ。」それと同じように、マンゴーのような味とスタイルがどの果物にあるだろうか?マンゴーだけだ!だから若い世代もマンゴーの大ファンなのだ。しかもマンゴーの漬け物は、ジェネレーションギャップすら飛び越てしまう。おいしいものを求める気持ちは、古い世代も若い世代も同じだ。
本文
 マンゴーは何千年も前のヴェーダ・プラーナ時代から重宝されて来たインド特産の果物だ。紀元前1000年の文献ブリハダーランニャカ・ウパニシャドやシャタパタ・ブラーフマナにもマンゴーの樹、葉、果物の偉大さについての記述が見られる。仏教のジャータカにも、仏陀がある信者のマンゴー園で休息する下りが出て来る。また、仏陀が水をまいた場所に聖なる白いマンゴーの樹が生えて来たと言われている。バルフトのストゥーパ(仏塔)の一部にこの樹が描かれている。

 マンゴーはブリハダーランニャカ・ウパニシャドにおいてアームラ(आम्र)と呼ばれているが、サンスクリット語では他にラサーラ(रसाल)またはサハカーラ(सहकार)とも言う。文学伝統では、マンゴーの新芽は愛の神カームデーヴの5本の矢の内、第一の、もっとも魅惑的で愛らしい矢だとされており、詩聖カーリダーサは「シャークンタラー」や「クマールサンバヴァ」の中で何度も美しい描写をしている。

 科学者たちの予想では、マンゴーはインド北東部、インドとミャンマーの国境付近が原産地である。いつの時代か、誰か果物愛好家がこの樹を外部に持ち出したのだろう。今日でも国境地帯ではアームラタク(学名Spondias Pinnata)という名のマンゴーの野生種が見られる。英語のMangoはタミル語から来ている。タミル語でマンゴーは「マンガー」または「マーンカーイー」と呼ばれる。1510年にヴァルセマという名のポルトガル人が南インドでこの果物を食べ、地元の単語を借用して「Manga」と呼んだ。それが英語で「Mango」になったという訳である。英国人は、ムガル人と同様にマンゴーに惚れ込んでしまった。1673年にフライルという名のヨーロッパ人は、マンゴーを食べたらヨーロッパの桃、杏、プラム、ネクタリンの味を忘れてしまったとマンゴーの味を賞賛するカスィーダー詩を詠んだ。

 マンゴーはただ種を植えるだけでどこでも生えて来るが、最高品種のマンゴーは接ぎ木によって生まれる。ガーデニングを愛するムガル人やポルトガル人はこれに関し大いに試行錯誤を行った。ナワーブやマハーラージャーの中にも、家臣や地主たちに希少なマンゴーの品種を開発を奨励し、報酬として免税などの措置を与えた者がいた。キラーナーのムカッラブ・カーンもそのような地主であった。マリーハーバードのナワーブもマンゴーの愛好家だった。1919年頃、現ウッタル・プラデーシュ州のマリーハーバードでは1300種ものマンゴーが生産されていたと言われている。ラール・キラーの中にもムガル皇帝専用のマンゴー園があった。ウッタル・プラデーシュ州ラクナウーの近くのカーコーリーはグルメで知られている(有名なカーコーリー・カバーブは、歯の抜けたナワーブのために発明された)。この地域のダシャハリー村は、ダシャハリー種マンゴーの原産地である。同様にハルドーイー県のチャウサー村で開発されたチャウサー種マンゴーは、この村の名を不朽のものとした。ウッタル・プラデーシュ州東部も負けてはいない。人気品種ラングラーはヴァーラーナスィーで生まれた。「ラングラー」とは「足の不自由な人、びっこ」という意味だが、言い伝えによると、あるびっこの僧侶が、魔法の力を持ったサードゥからもらった枝を接ぎ木して作ったマンゴーだから、ラングラーという名前が付いたそうだ。後にヴァーラーナスィーのマハーラージャーの命令によってこの品種のマンゴー園が、今日のバナーラス・ヒンドゥー大学のキャンパスに造園された。今でもこのマンゴー園は残っている。ベンガル地方のマールダーでも良質なラングラーが採れるが、これは特にマールダー種と呼ばれている。ビハール州西部のチャンパーラン県、ベンガル地方のディーガー、マハーラーシュトラ州のラトナーギリ県などもマンゴーで有名である。タミル・ナードゥ州のニーラムやアーンドラ・プラデーシュ州のバイガンパッリとスワルナレーカーは、南インドのマンゴー愛好家の間で有名である。ラトナーギリのアルフォンソは最近、中央アジアからアメリカまで世界各国に輸出され出した。かなり高価になったが、インドのマンゴー愛好家たちは今でもアルフォンソを購入している。

 良質のマンゴーの樹は100年以上実を実らせることで知られている。チャンディーガルの近くには1955年まで樹齢150年のマンゴーの樹があったが、落雷で倒れるまで毎年16800キロの実を実らせていた。マンゴーの特長はまず果物として食べられることである。そして同時にグルメ愛好家や料理研究家は未熟または熟したマンゴーを使ったいくつもの料理を発明した。酷暑期の熱砂嵐によって収穫前に落ちてしまった未熟なマンゴーを使った漬け物は、パンジャーブ地方からベンガル地方まで、また、ウッタラーカンド州からケーララ州まで、女性たちによって数え切れないほどの種類が発明され、インドの食卓の欠かせない一部となっている。グジャラート州やマハーラーシュトラ州ではマンゴーの汁はプーリーと共に神の食事とされているし、カルナータカ州ではヨーグルトに熟したマンゴーの汁を混ぜたものが神聖とされている。西ベンガル州の甘酸っぱいアームパーパルはおいしいもの好きの女性や子供たちの大好物だ。大きな種を持った未熟なマンゴーを乾燥させ、砕いたものをアムチュールと言う。古代の医師チャラカは「サハカーラ・スラー」という名の、マンゴーの汁から作られる酒について記述している。

 神々の中でもシヴァは特にマンゴーを愛している。「チャンディーマンガラ」では、シヴァは酸っぱいマンゴーに目がないと書かれている。慶事にはマンゴーの新芽やマンゴーの葉の門飾りが作られる。

 インドの医学の本でもマンゴーやマンゴーの新芽の効能が書かれている。アーユルヴェーダによると、マンゴーは熱の属性を持っている。消化を助けるため、マンゴーを食べた後は牛乳を飲むとよいとされている。マンゴーは精力を増強させ、ピッタをなくし、カパを無効化する効力があると書かれている。

 「マンゴーはマンゴー、種にも価値がある(आम के आम गुठली के दाम)」という諺があるが、それはおそらく旱魃のときに作られたものだろう。旱魃のときは村人たちは、デンプンを多く含むマンゴーの種を砕いてローティーを作り生き長らえている。歴史家グリヤーソンはこの諺を記録している。今日でも後進部族地域では多くの人々がこれを食べて生きている。だが、雨季には、カビの生えたマンゴーの種の粉を食べて死ぬ人もいる。

 インドの芸術でも、マンゴーの新芽の門飾りや、未熟なマンゴーの形をモデルにした唐草模様が作られた。織工、建築家、彫刻家や刺繍をする者たちは、このデザインを何度も利用した。

 カーリダーサからミルザー・ガーリブまで、多くの著名人に大好物の果物に数えられているマンゴーは、どんなに賞賛しても賞賛し切れない。ヴィシュヌ神のように、マンゴーにもいろいろな化身があり、無数の美点がある。それでも結局一般人に対して、マンゴーの美点をいちいち数え上げるのは無意味だ。マンゴーは食べることに意味があるのだから。
 マンゴー好きな人がマンゴーを語り出したら本当に止まらない。既にマンゴーは学問の一分野を形成していると言っても過言ではないだろう。しかし、難しいことは考えず、この時期にインドにいる人はとにかくマンゴーを食べまくるに限る。ただ、引用した文章にもあったように、マンゴーは実は身体への影響力が強い果物なので、食べ過ぎには注意した方がいいだろう。

6月12日(金) Kal Kissne Dekha

 2ヶ月間抗争を続けて来たプロデューサーとマルチプレックスも和解し、プロデューサーによる新作ストライキも終了して、ようやく今週からメジャー作品のリリースが始まる。先陣を切るのは、プロデューサーのヴァーシュ・バグナーニーが息子のジャッキー・バグナーニーを華々しくデビューさせるために作ったと言われる娯楽作品「Kal Kissne Dekha」。ヒーロー、ヒロイン共に新人で、スターパワーはほとんどないが、乾季の終わりを告げる雨として歓迎したい。



題名:Kal Kissne Dekha
読み:カル・キスネ・デーカー
意味:明日を誰が見た
邦題:明日が見えたら

監督:ヴィヴェーク・シャルマー
制作:ヴァーシュ・バグナーニー
音楽:サージド・ワージド
歌詞:サミール
振付:レモ
出演:ジャッキー・バグナーニー(新人)、ヴァイシャーリー・デーサーイー(新人)、リシ・カプール、アルチャナー・プーラン・スィン、クナール・クマール、ヌシュラト・バルチャー、アクシャイ・カプール、ラーフル・デーヴ、ラージパール・ヤーダヴ、ダリープ・ターヒル、リテーシュ・デーシュムク(特別出演)、サンジャイ・ダット(特別出演)、ジューヒー・チャーウラー(特別出演)
備考:PVRプリヤーで鑑賞。

ジャッキー・バグナーニー(左)とヴァイシャーリー・デーサーイー(右)

あらすじ
 チャンディーガルの農村で育ったニハール・スィン(ジャッキー・バグナーニー)は、子供の頃から未来を予知する能力があった。ニハールは、彼を溺愛する母親(アルチャナー・プーラン・スィン)の制止を振り切ってムンバイーの大学に通い出す。大学では、ラグ(クナール・クマール)やリヤーなどの友達が出来るが、文化祭で学校一の美人ミーシャー(ヴァイシャーリー・デーサーイー)と踊る権利を得たことで、ニハールは不良上級生たちから目を付けられることになった。だが、ニハールは彼らの挑戦に受けて立つ。その結果、ニハールは彼らからも認められる存在となる。ミーシャーは当初ニハールを軽蔑していたが、彼に命を救われたことで惚れてしまう。2人は恋仲となり、将来のことを語り合うようになる。

 ニハールは科学に興味があった。ニハールは、物理の教授で寮長でもあるスィッダールト・ヴァルマー(リシ・カプール)と親しくなる。ヴァルマー教授はかつてNASAなどの研究機関で研究していた科学者だったが、優秀すぎて周囲から理解を得られず、研究所を追われ、現在は大学の教授となっていた。ニハールはヴァルマー教授を尊敬し、彼の助手となる。

 その頃、ムンバイーではテロが相次いでいた。だが、ニハールは予知能力を使ってモールのテロを防ぎ、ミーシャーの命を救う。それをきっかけに彼の特殊能力は世間に知られることとなり、彼の元には学生から学長からマフィアのドン、カーリーチャラン(リテーシュ・デーシュムク)まで、いろいろな人々が将来の相談にやって来るようになる。だが、その能力を脅威に感じる者がいた。それはヴァルマー教授であった。実はヴァルマー教授はテロリストの一味であった。最先端の科学を使って、高性能の爆弾を作っていたのだった。

 テロリストのボス(ラーフル・デーヴ)は、最初ニハールを殺そうとするが、ヴァルマー教授は逆に彼の力をテロに利用しようとする。ヴァルマー教授はニハールの助力を得て信号妨害装置を開発する。また、大規模テロ準備中にニハールの予知能力を別の方面へ向けるため、彼の恋人であるミーシャーを誘拐する。ニハールはミーシャーを探すために警察(ダリープ・ターヒル)と共にムンバイー中を駆けずり回る。

 ニハールはとうとうミーシャーを探し出し、テロリストを一網打尽にする。だが、爆弾は既にムンバイー中に設置された後だった。ニハールは警察と共にそれらをひとつひとつ見つけ、解除する。だが、最後の爆弾がまだ残っていた。ヴァルマー教授は、テロリスト対策会議が開かれているホテルに爆弾が仕掛けられていることを教える。そこには母親やミーシャーも滞在していた。ニハールはホテルに急ぎ、人々を避難させ、爆弾を探す。その爆弾は実はニハールが乗って来た、ヴァルマー教授の自動車に仕掛けられていた。ニハールは自動車を海に突っ込ませる。そこにはちょうど、爆弾見物をしていたヴァルマー教授の乗った船があった。自動車はヴァルマー教授もろとも爆発する。

 今年に入って、「Aa Dekhen Zara」、「8x10 Tasveer」と、未来や過去を覗く特殊能力を持った主人公の話が続いた。偶然は重なるもので、この「Kal Kissne Dekha」も同じラインのストーリーであった。主人公のニハール・スィンは、未来を予知したり、危険を察知したりする能力を持っており、それがストーリーにも大きく関わって来る。だが、基本的にはロマンスやアクションを中心とした娯楽映画である。

 「Kal Kissne Dekha」にはありとあらゆる娯楽要素が詰め込まれていた。秀逸だったのはアクション面である。序盤、モトクロス・バイクで山岳地帯を疾走するシーンは迫力があったし、序盤や終盤の素手の格闘シーンも、ワン・マン・アーミー気味ながら悪くはなかった。予算をかけたダンスやミュージカルも要所要所に挿入されており、新人中心キャストながら派手さがあった。ロマンスの部分も、典型的展開ながら退屈ではなかった。ストーリーにテロを交えるのは最近のボリウッドの流行で、特にコメントする必要はないだろう。しかし、それらをミックスさせるときに手間暇を惜しんだため、全体としてとても雑な印象を受ける映画になってしまっていた。シーンとシーンのつなぎ目に余裕や余韻がなかったし、メインストーリーの部分でもロケ地があちこちするため、うまく映像の中に入り込めない部分があった。編集次第でもう少しよくなったと思うと惜しい。

 ジャッキー・バグナーニーは、ウダイ・チョープラー系の微妙な顔をした男優だ。「Kal Kissne Dekha」では、常人離れした身体的パワーと予知能力を備え持った超人を演じていたが、ふとした拍子に見せるコミカルな演技の方が彼の本来の持ち味に合っているように思えた。ヴァイシャーリー・デーサーイーは、マンモーハン・デーサーイー監督の曾姪にあたる人物で、モデルから銀幕デビューした経歴を持っている。最初は役柄からかメイクからか非常に冷たい印象を受けたのだが、等身大の女の子も普通に演じられそうだ。とりあえず2人ともまずまずのデビューを飾ったと言っていいだろう。

 リシ・カプールやアルチャナー・プーラン・スィンなどのベテランが脇を固めていた他、リテーシュ・デーシュムク、サンジャイ・ダット、ジューヒー・チャーウラーなど、意外な特別出演キャストがある。だが、映画自体の助けにはならなそうだ。

 音楽はサージド・ワージド。多くの曲に「Kal Kissne Dekha」という歌詞が使われており、統一感が持たされている。だが、音楽自体は平凡な出来である。

 「Kal Kissne Dekha」は、プロデューサーが自分の息子に、ボリウッドのヒーローが映画の中で1人でできることをとにかく全てさせたような、インスタント・ヒーロー・メイキング映画である。部分部分は悪くないのだが、編集が丁寧でないために、観客をスクリーンに引き込む力に欠けている。無理して見る必要はないだろうが、長期に渡る新作枯渇によって干からびている人には恵みの雨になりうる。

6月12日(金) Frozen

 「Kal Kissne Dekha」のメジャー・リリースがあった本日だが、密かに変わり種の作品もいくつか公開されている。その中でもっとも異色を放っていたのが「Frozen」。ラダッキー語(部分的にヒンディー語)の白黒映画で、全編ラダック地方でロケが行われている。初公開は2007年で、世界各地の映画祭で上映されて来たが、インドでの一般公開は今回が初めてとなる。プロデューサ対マルチプレックスの抗争のおかげで日の目を見た作品のひとつと言えるだろう。インドで白黒映画の新作がリリースされるのは、1965年の「Aasmaan Mahal」以来のことだと言う。



題名:Frozen
読み:フローズン
意味:凍った
邦題:フローズン

監督:シヴァージー・チャンドラブーシャン
制作:シヴァージー・チャンドラブーシャン
音楽:ジョンPヴァーキー
出演:スカルザン・アンチュク、ガウリー・クルカルニー(新人)、ダニー・デンゾンパ、ヤシュパール・シャルマー、ラージ・ズトシー、アーミル・バシール、デンジル・スミス、サンジャイ・スワラージ、アヌラーダー・バラール、シルパー・シュクラ(特別出演)など
備考:PVRアヌパムで鑑賞。

ガウリー・クルカルニー

あらすじ
 10代後半の少女ラシア(ガウリー・クルカルニー)は、アプリコットのジャムを作って生計を立てる父親カルマ(ダニー・デンゾンパ)と、弟のチョモ(スカルザン・アンチュク)と共に、ラダック地方の人里離れた荒野に住んでいた。母親は、チョモの出産時に亡くなっていた。家では、スィーターという家政婦が家事をしていた。

 あるとき、インド陸軍が家のすぐ近くに駐屯地を造営した。セキュリティー上の要件から、次第にカルマの一家は不自由な生活を強いられるようになる。やがて陸軍から、別の場所へ移住するように命令を受ける。また、カルマの作ったアプリコットのジャムによる稼ぎは年々減っており、レーの街に住む高利貸しシャルマー(ヤシュパール・シャルマー)やダワー(ラージ・ズトシー)から借りた借金はどんどん膨らむばかりであった。シャルマーやダーワーは、借金の形にラシアを要求するようになる。

 ラシアは、レーの街へ行ったときに、ダーワーの息子ロミオ(シャキール・カーン)に言い寄られる。ロミオはレーを去ることになり、ラシアの家にまで来て彼女を連れ出そうとするが、ラシアは彼を受け容れなかった。ちょうどそのとき、チョモは姉の道具箱からヘンテコな物体を見つけ、それを分解しようとする。だが、それは実は爆弾だった。チョモがいじったことで爆弾は爆発し、家ごと吹っ飛んでしまう。また、水を持ちに行っていたカルマは、途中で疲労から息絶えてしまう。

 1年後・・・。父と弟を同時に失ったラシアは、小間使いなどをして細々と生計を立てていた。だが、彼女は今までには感じたことのない自由を感じていた・・・。

 ラダック地方は、ジャンムー&カシュミール州の東部に位置する広大な高山性砂漠地帯で、住民の多くはチベット仏教を信仰しており、小チベットとも呼ばれる、インドの中でも特殊な地域である。また、パーキスターンや中国との国境に囲まれているため、軍事的にも非常に重要なエリアとなっている。「Frozen」は、真冬のラダック僻地で繰り広げられる、ある貧しい家族の物語である。

 「Frozen」の題名が示す通り、映像はまるで写真のような凍結感を持っている。冬のラダックの厳寒を表現するのに、白黒の映像が一役買っている。監督の弁によると、ラダックの空は青すぎて、冬に撮影しても夏のように見えてしまうため、敢えて白黒を選んだとのことである。間違いなくラダックの自然や風俗をもっとも美しく映像化した作品の1本である。そして、音。映像がシンプルなだけあり、音声情報が通常の映画よりもよく入って来る。それは静寂だけではない。家のすぐ近くにできた陸軍駐屯地から響いて来る銃声やトラックの音、それが主人公の家族に忍び寄る不気味な脅威として強調されていた。

 映画は基本的に、父親カルマ、長女ラシヤ、その弟チョモの3人家族を中心に進んで行く。チョモが1人称でナレーションをするため、チョモの視点から物語が語られているという前提で理解される。だが、観客は最後で不思議な倒錯感を味わうことになる。なぜなら急にナレーションの主はラシヤだったことが判明し、チョモは最初から存在しなかったことが明かされるからである。チョモは、出産時に母親と共に死んでしまった。だが、ラシヤは想像上の遊び相手として、この世に生まれ出ることができなかった弟チョモを設定し、空想の中でチョモを生かしていたのである。よって、最後に爆弾が爆発するのも、実際はチョモが不発弾をいじっていて爆発したのではない。爆発の原因は謎のままである。だが、少なくともその爆発によって、ラシヤの空想の中にいたチョモは死んでしまったのだった。よって、この要素を反映させると、上のあらすじは微妙に別のものとなる。

 最後に一部だけカラーになった部分があったが、それはラシヤの心を表しているのだろう。父親を失ったラシヤはさらに貧しい生活を余儀なくされていたが、仏教的悟りの境地に達しており、必ずしも不幸な終わり方にはなっていなかった。

 ダニー・デンゾンパはスィッキム出身のダンディーな男優で、貧困の中、男手一人で子供を育てるたくましい父親役をしっかりと演じていた。ヤシュパール・シャルマーやラージ・ズトシーと言った、ボリウッド映画の曲者俳優たちも登場する。変わったところでは、カルマの死んだ妻役として一瞬だけシルパー・シュクラが出て来る。シルパーは、「Chak De! India」(2007年)でお局さんプレーヤーを演じた女優である。ラシヤを演じたガウリー・クルカルニーは本作がデビュー作となる。

 音楽は新人のジョンPヴァーキー。意外なことに音楽はロック調のものが多く、ラダックの壮大な雪景色やレーの市街地とのギャップが楽しめた。

 言語はラダッキー語とヒンディー語である。全ての台詞には英語字幕が付く。だが、背景と一体化してしまっていて読めない部分がいくつかあった。テクニカルな部分だが、その辺りの配慮をもう少ししてもらいたかった。

 「Frozen」は、ラダックを舞台にした貧しい家庭の戦い、現実と空想の倒錯に満ちた物語、そして強烈な白黒の映像が取り柄の芸術映画である。サティヤジト・ラーイ(サタジット・レイ)映画を思わせる作りだが、決してそれだけではない。芸術映画ファンには必見の映画である。

6月19日(金) Paying Guests

 先週から新作映画公開が再開されたボリウッド。今週は新作コメディー映画「Paying Guests」が公開された。「ペイング・ゲスト」とは、略してPGとも呼ばれ、インドで一般的な下宿のスタイルである。大家さんの家の一室を間借りする形で、一般の賃貸住宅よりも大家さんとの距離がかなり近い。ホームステイと変わらないことも多い。その題名が示唆するように、「Paying Guests」は、下宿がテーマのドタバタコメディーである。ただし、舞台はタイのパタヤーであり、インドではない。



題名:Paying Guests
読み:ペイング・ゲスツ
意味:下宿人
邦題:ペイング・ゲスト

監督:パリトーシュ・ペインター(新人)
制作:ラージュー・ファールーキー
音楽:サージド・ワージド
歌詞:ジャリース・シェールワーニー、ワージド、AKウパーディヤーイ
出演:シュレーヤス・タルパデー、ジャーヴェード・ジャーファリー、アーシーシュ・チャウドリー、ヴァトサル・シェート、ネーハー・ドゥーピヤー、セリナ・ジェートリー、リヤー・セーン、サヤーリー・バガト、ジョニー・リーヴァル、ディルナーズ・ポール、チャンキー・パーンデーイ、アスラーニー
備考:PVRプリヤーで鑑賞。

左から、リヤー・セーン(上)、サヤーリー・バガト(下)、
ヴァトサル・シェート(上)、ジャーヴェード・ジャーファリー(下)、
シュレーヤス・タルパデー、セリナ・ジェートリー、
ネーハー・ドゥーピヤー、アーシーシュ・チャウドリー

あらすじ
 タイのパタヤーで働くインド人仲良し3人組、バーヴェーシュ(シュレーヤス・タルパデー)、パラーグ(ジャーヴェード・ジャーファリー)、パリークシト(アーシーシュ・チャウドリー)は、キスカーという変な名前の大家さんの家に下宿していた。バーヴェーシュはコック、パラーグは脚本家、パリークシトは自動車セールスマンをしていたが、3人とも職場でトラブルを起こして解雇されてしまう。しかも、家賃滞納の上に大家さんを激怒させ、家を追い出される。だが、このときインドからパリークシトの従兄弟のジャエーシュ(ヴァトサル・シェート)がやって来ており、あと数日で就職することが決定していたため、その間どこかに下宿することを決める。ジャエーシュが就職した後は、とりあえず彼に割り当てられる住居に転がり込んで、職探しをする予定であった。

 パタヤーで新たな下宿先を探すのは難航を極めたが、パリークシトとジャエーシュはあるインド人スィク教徒の家が下宿人を募集しているのを見つける。ただし難点がふたつあった。ひとつは下宿人は既婚の夫婦に限るという条件を提示していること、もうひとつは、その大家さんはかつてバーヴェーシュが働いていたレストランのオーナーであることだった。大家さんの名前はバッルー(ジョニー・リーヴァル)、奥さんの名前はスウィーティー(ディルナーズ・ポール)と言った。

 だが、背に腹は代えられなかった。パリークシトの妙案により、バーヴェーシュとパラーグは女装し、それぞれパリークシトの妻カリシュマー、ジャエーシュの妻カリーナーを名乗ることになった。こうして晴れて4人は新たな下宿先に転がり込むことに成功する。また、バッルーにも、カリシュマーの正体がバーヴェーシュであることはばれなかった。

 ところで、4人にはそれぞれ恋人や意中の人がいた。パラーグはTV番組プロデューサーの娘スィーマー(サヤーリー・バガト)と恋仲にあった。パリークシトは自動車ディーラーの上司アールティー(ネーハー・ドゥーピヤー)と一度大げんかをして解雇にまで至ったものの、その後急速に関係を深めつつあった。ジャエーシュにはアルピター(リヤー・セーン)という恋人がいたが、彼女はインドにいた。だが、アルピターは実はスウィーティーの妹カルパナー(セリナ・ジェートリー)の友達で、カルパナーと共にアルピターもパタヤーへやって来る。アルピターはジャエーシュが知らない間にカリーナーという奇妙な女と結婚していたことにショックを受けるが、後で真実を知って安心する。また、バーヴェーシュはカルパナーに一目惚れし、カリシュマーの姿で彼女の好みの男性を聞き出し、その後その通りのイメージで彼女の前に登場して、カルパナーのハートをガッチリと掴む。

 バッルーは弟のラミー(チャンキー・パーンデーイ)との間にトラブルを抱えていた。父親のレストランを継いで地道に経営するバッルーと違い、ラミーはチンピラとなっていた。ラミーはレストランを売ってその金を山分けするように再三バッルーに要求していた。一度はバッルーの家まで押しかけて来たことがあったが、カリシュマーの活躍で撃退された。そのとき以来、ラミーはカリシュマーを敵視し、付け回すようになっていた。その中で彼は、下宿人4人の秘密を知ってしまう。

 一方、4人組の方もバッルーをこれ以上騙し続けることを潔しと思わなかった。まずはカルパナーに真実を打ち明けた。そしてその後バッルーとスウィーティーにも本当のことを話そうとしていた。ところが、それよりも先にラミーが2人に真実を告げ口してしまう。ラミーを裏で操るマフィアのドンまでバッルーの家にやって来ていた。裏切られたバッルーは、ショック状態のまま、レストランを売り払う契約書にサインしてしまう。だが、4人組はそれを許さず、契約書を持って逃げ出す。ラミー、マフィア、バッルーらに加え、4人の恋人たちもその逃亡と追いかけの列に加わる。そのまま一行は演劇「Mughal-e-Azam」公演中の公民館に突入し、演劇をメチャクチャにする。最後にラミーやマフィアたちは警察に逮捕される。

 4人の活躍によってレストランは助かり、バッルーも彼らを許さざるをえなくなる。こうして4人は、各々の恋人と共にバッルーの家に住むことになったのだった。

 下宿先を探す男たちが、大家さんの出す条件をクリアするために爆笑モノのトンチを働かすというプロットは、昨年のスマッシュヒット映画「Dostana」から着想を得ているのではないかと思う。「Dostana」ではテナントの条件として女性オンリーを掲げていたため、主人公の男2人組はゲイ・カップルということにしてその部屋に住むことに成功する。一方、「Paying Guests」では、大家さんは条件として既婚のカップル・オンリーを掲げていたため、主人公の男4人組の内の2人が女装をして、2組の既婚のカップルということにして、大家さんから住む許可を得る。ちなみに、インドでは、大家さんが男性オンリー、女性オンリー、カップル・オンリーなどの条件をテナントに対して一方的に掲げることはしごく一般的である。また、大ヒットコメディー映画「Golmaal」(2006年)も似たようなプロットの映画であり、影響を受けているかもしれない。

 ヒーロー4人、ヒロイン4人、その他往年のコメディアン俳優を脇役に配置した大人数型のキャスティングや、その大勢のキャストが最後で総出演してドタバタ劇を繰り広げる展開は、インド映画界で「コメディーの帝王」と称されるプリヤダルシャン監督のスタイルを彷彿とさせる。本作の監督はパリトーシュ・ペインターという名前で、今回がデビュー作であるが、おそらくプリヤダルシャン映画をよく研究したのだと思われる。大人数キャスト映画の欠点に、誰が誰だか分からなくなるというものがあるのだが、「Paying Guests」に関しては比較的分かりやすく、混乱はなかった。インドのコメディー映画は、各シーンは爆笑できるのだが、それらをうまくつなげられず、一貫したストーリー映画として完成度の低いものも多い。「Paying Guests」ではそういう混沌さもなかった。よって、コメディー映画としてよくまとまっていたと言える。クライマックスは何と言っても最後の演劇「Mughal-e-Azam」シーンである。これは、ムガル朝第3代皇帝アクバルとその息子サリーム(後のジャハーンギール)の確執や、サリームとアナールカリーの恋愛を描いた伝説的インド映画「Mughal-e-Azam」(1960年)をベースにした演劇で、最初は真面目に演じられているのだが、途中で映画のメインキャストたちが乱入して来ることによって、スパイダーマン、怪傑ゾロ、「Sholay」(1975年)の悪役ガッバル・スィンやタークル、「Umrao Jaan」(1981年/2006年)のウムラーオ・ジャーン、「Shahenshah」(1988年)でアミターブ・バッチャン演じるシェヘンシャーなどの映画キャラクターやら、プーラン・デーヴィーやオサーマ・ビン・ラーディンなどの実在の人物やら、「ラーマーヤナ」の悪役ラーヴァンやら、人気TVドラマ「Kyuunkii Saas Bhi Kabhi Bahu Thi」でスムリティ・イーラーニー演じるトゥルスィーやらが登場するドタバタ劇に変貌してしまう。だが、コメディー映画「Maan Gaye Mughal-e-Azam」(2008年)で似たようなネタが見られたため、二番煎じの印象は否めなかった。ただ、観客には受けていたようである。

 女装ネタはボリウッド・コメディーの十八番で、過去にも多くの映画で男性主人公の女装を中心とした傑作コメディー映画が作られて来ている。女優の男装モノもある。今思い付くもので印象深いのは「Style」(2001年)だ。劇中でも「Apna Sapna Money Money」(2006年)の中で女装したリテーシュ・デーシュムクの映像が使われていた。女装コメディーでは、普通に見たら男だと丸わかりなのだが、映画中では暗黙の了解でそれがばれず、爆笑を引き起こす。定番とは分かっていても、女装によるコメディーはやはり面白く、笑わずにはいられなかった。特に、バーヴェーシュが女装したカリシュマーが「妊娠」してしまう下りは大爆笑であった。単なる笑いだけでなく、それがその後のストーリーにも影響を与えており、よく練られたコメディー脚本だったと言える。ちなみに、女装時の偽名はカリシュマーとカリーナーだが、これは言うまでもなく、カプール姉妹の名前から取られている。

 主人公は4人だが、主役格はシュレーヤス・タルパデーである。彼は芸幅の広い才能ある俳優だが、最近はコメディー映画への出演やコミックロールの演技が多く、すっかりその路線が板に付いている。今回は妖艶な女装姿も披露し、ますます磨きがかかっていた。ジャーヴェード・ジャーファリーも独特な笑いが取れる俳優で、彼も女装に挑戦。シュレーヤスに比べたら全く女に見えなかったが、そこはご愛敬であろう。アーシーシュ・チャウドリーは間違ってボリウッド俳優になってしまったような存在であるが、今回は許せるレベルであった。ヴァトサル・シェートは「Tarzan」(2004年)や「Heroes」(2008年)に出演していた若手俳優。ハンサムな顔をしているのだが、今回は完全におちゃらけた役を演じており、ハンサム路線を諦めたのかと思わせられた。

 ヒロインも4人。一時は将来を有望視されながら、不幸にもいまいちパッとしなかった女優たちを安いギャラでかき集めた感じだ。このようなマルチ・ヒロイン映画に出演してしまうと小粒さが際立ってしまうのだが、もはや彼女たちに他のオプションは残されていなかったのだと思われる。なりふり構わず、と言ったところか。特にネーハー・ドゥーピヤーの没落振りに心が痛む。

 最近めっきり寡作がとなってしまったコメディアン俳優ジョニー・リーヴァル。僕がインド映画の世界に入った頃は、見る映画見る映画彼が出ていたように記憶しているのだが、いつの間にかスクリーンから遠ざかっている。だが、コメディーの切れは失われておらず、久し振りに彼のギョロ目やマシンガントークを見られて良かった。

 音楽はサージド・ワージド。コメディー映画なのでノリのいい曲が多かったが、耳に残るものはほとんどなかった。

 舞台はタイのパタヤーで、実際に大部分のシーンがパタヤーでロケが行われていた他、バンコクも出て来た。だが、タイを舞台にする意義があまり感じられなかった。インドが舞台でも特に問題なかったのではないかと思う。

 「Paying Guests」は、過去のヒット映画のいいとこ取りをしながらも、全体としてはこぢんまりとまとまっていまっている感じではあるが、普通に楽しめるコメディー映画である。まだまだ映画館にはヒンディー語映画が不足しているため、来週公開の「New York」までの時間稼ぎとして見ておいても損はないだろう。だが、無理して見る必要のある映画ではない。

6月20日(土) カタカナ表記規則の再考

 インドに関して日本語で文章を書く際、必ず直面するのが、固有名詞のカタカナ表記の問題である。全く気にせず書いている人も中にはいるかもしれないが、大体は苦労しているのが見て取れる。僕も短くない期間、インドのカタカナ表記と苦闘し続けて来ているので、他の人の書いた文章のカタカナ表記を見れば、インドの言語に関するその人の知識や、カタカナ表記に対する取り組みの真剣さは大体分かってしまう。「これでインディア」はどうかと言うと、一応カタカナ表記というページを設け、カタカナ表記の原則について明らかにしている。少なくともインターネット上のインド関連情報の中では、もっとも真剣にカタカナ表記問題に取り組んでいると自負している。また、事あるごとにカタカナ表記について触れて来ている。

 インドの固有名詞のカタカナ表記においてまず大事なのは、インドの固有名詞に則した明確な原則を打ち立てることである。インドは英語の情報が多いが、残念ながら英語アルファベット表記の固有名詞をそのまま英語→日本語の慣習に従ってカタカナ表記することはできない。なぜならインドの固有名詞を英語アルファベット表記するための原則は定まっておらず、今のところ好き勝手に書いている状態が続いているからだ。それは日本の人名の漢字の読みが基本的に自由であるのに似ている。そのような表記を基準にカタカナ表記化した場合、元の発音と全くかけ離れたものになってしまうことがある。例えばManeka Gandhiという人物がいるが、名字はともかくとして、もし彼女の名前(First Name)の発音を知らなかった場合、アルファベット表記をそのままカタカナ表記してしまうと、「マネカ」などと書いてしまう恐れがある。もっとも原音に近いカタカナ表記は「メーナカー」である。「メーナカー」なのにアルファベットでは「Maneka」と書いているのである。インド人の人名はローマ字読みすればいい訳ではない。また、英語→日本語の際、「r」の音を音引きで表記、または一度音引き化しておいて、さらに音引きを省略してしまうことが多いが、インドの言語にまでそれを適用するのは不適切である。なぜならインドでは「r」の音ははっきりと発音されるからである。ベンガル人にMukherjeeという名字を持つ人物がよくいるが、現在日本ではどうも「ムカジー」などと書く習慣が広まってしまっている。おそらく間の「r」を音引き化して「ムカージー」にし、さらに短縮するため「ムカジー」としてしまったのだと思うが、もっとも原音に近い表記は「ムカルジー」である。これを読んだ関係者は即刻「ムカルジー」を採用すべきである。もしこのような横暴が許されるならば、なぜBerlinは「バリン」にならないのだろうか?ドイツ語やフランス語などの場合は、その言語の読みが重視されている。インドの固有名詞にも、同様の配慮がなされて然るべきである。

 カタカナ表記を決める際、「定着」してしまった表記を採用するという考え方もある。だが、果たしてインドの固有名詞はもう定着してしまったのだろうか?僕はそうは思わない。一昔前に比べてインドの固有名詞が日本のメディアに登場することが多くなったが、ほとんどの固有名詞はまだまだ定着前の段階にあると考える。おかしな表記が本当に定着してしまう前に、最後の抵抗を試みるつもりである。

 また、カタカナ表記から逃げる方法もある。それは日本語の文章の中に、固有名詞だけ英語アルファベットをそのまま置く方法である。短期的にはもっとも無難なやり方ではあるが、我々全てに課せられた使命、つまり先祖から受け継がれた日本語を、さらに豊かなものにして次の世代に受け渡して行くという重大な責務を遂行する過程において、それはインドの固有名詞を日本語に取り込むことに全く寄与しておらず、長期的には必ず損となる。それに、英語混じりの文章は、カタカナ混じりの文章よりも頭に入って来にくい。つまみ食い程度でインドに関わる人ならまだしても、真剣にインドに関わって行こうという人が取るべき手段ではない。

 忘れてはならないのは、カタカナ表記は事の本質ではないということである。ある言語の単語を別の言語で表記する際、原音を忠実に再現できることは稀であるし、カタカナ表記が甘いからと言って、その情報や考察の価値が減じることはない。それを踏まえた上で、カタカナ表記について誠意を持って議論して行かなければならないだろう。そうでなければカタカナ表記の問題は単なる他人の揚げ足取りに終始してしまう恐れがある。

 前述の通り、自分でかなり厳格なルールを決めてインドの固有名詞に対峙している訳だが、それでもいくつか曖昧な点が出て来てしまったり、矛盾が発生してしまったりもする。また、ある程度時代の流れを読まなければならないところもある。例えば最近、ボリウッド女優Deepika Padukoneのカタカナ表記を変更した。彼女がボリウッド・デビューした当初は、彼女の名字は「パードゥコーネ」と呼ばれることが割とあったため、僕もそれを採用していた。だが、いつの間にか「パードゥコーン」の方が優勢になって来たし、元々ヒンディー語表記でも「パードゥコーン」が少なくなかったため、最近になって思い切って「パードゥコーン」に変更した。南インドの固有名詞についてはまだまだ知識不足のことも多く、どうしても曖昧なところがある。もうひとつの例は女優Shaukat Kaifiである。先日、彼女が書いた自伝の日本語訳の書評を書いたのだが(参照)、その中で彼女の名前(First Name)をどう表記しようか迷いに迷った。普通に考えたら訳者の表記に従うべきであろう。訳者は基本的に「ショーカット」と書いている。だが、文中をよく読むと「ショウカット」と書かれている部分もあり、結局完全に統一されていない。よって、自分の原則に従って「シャウカト」とさせてもらった。僕は基本的に「ッ」は極力使わない方針であるため、このように短く縮まるのだが、それよりもさらに大きな問題は「au」の表記である。これを「アウ」にするか、それとも「オー」や「オウ」にするかは、頭の痛い問題だ。なぜならヒンディー語話者の間でも統一されていないからである。デリー周辺部では「オー」という音に近く、ヴァーラーナスィー周辺部では「アウ」と読む傾向が強い。ヒンディー語の歴史を紐解くと、現在のヒンディー語の基盤となったのはデリー周辺部で話されていた言語であるが、発展の過程でヴァーラーナスィー周辺に住む人々が重要な役割を果たしたため、彼らの方言や考え方の影響も強く出ている。よって、「au」は母音なのでその表記はなるべく例外なしに固定化したいのだが、それが難しい状況となっている。先日日本でボリウッド映画「Chandni Chowk to China」(2009年)が一般上映されたが、その題名は「チャンドニー・チョーク・トゥ・チャイナ」になった。「Chowk」の部分は、もっと分かりやすく書くと「Chauk」なのだが、僕は「チャウク」と表記することにしている。だが、やはり「チョーク」の方が日本人により馴染みやすい発音であることは否めない。映画監督Karan Joharの名字も、ヒンディー語表記では「Jauhar」になるため、僕は「ジャウハル」と書くことにしているのだが、いっそのこと「ジョーハル」にしてしまった方が分かりやすいだろうと心の中では思っている。だが、それを認めてしまうと、サンスクリット語文学の登場人物など、今までかなりの量日本語で表記されて来ている名前にまで影響が出て来る。例えばDraupadiという人物がいるが、ドラウパディー以外の表記(つまりドローパディーなど)を認めることはかなり勇気のいる行為である。母音「ai」についても同様で、「アイ」にするか、「エー」などにしてしまうかは、難しい判断を要求される。今のところ僕は「アウ」「アイ」の方を一貫して使い続けている。

 このように、ただ原則を作ってそれを守っていくだけでなく、たまに自分のカタカナ表記を自分でレビューして、再考するのも大切なことだ。多少時期外れになってしまったが、新UPA政府の内閣が発足し、大臣が出揃ったので、大臣となった人々の名前を題材に、彼らの「これでインディア」公式カタカナ表記を決めると同時に、自分で決めたカタカナ表記の規則についてちょっと考え直してみたいと思う。文中の数字は、カタカナ表記の条項に対応している。また、その名前の属する文化圏もカタカナ表記を考慮する際は重要になって来るため、大まかにその人の所属地域や民族を併記している。
Manmohan Singh (Prime Minisiter)
मनमोहन सिंह (प्रधान मंत्री)
パンジャーブ
僕はマンモーハン・スィンと書いているが、日本のメディアでは「マンモハン・シン」が一般的になっているようである。元々短母音と長母音の区別は厳密にしていく方針ながらも(1-1)、他人の書いた表記に関しては無駄な位置に音引きが入っていない限りこだわらない姿勢を取っているし、「si」の表記を「スィ」にするか「シ」にするかについても、一応前者を採用しながらも(11-1)、基本的にはどちらでもいいという立場を取っているため、「マンモハン・シン」でも問題ないだろう。だが、インド人によくある名字「Singh」を「シン」にした以上、それを全ての人名に適用しなければならない。役職名は総理大臣または首相でいいだろう。
P. Chidambaram (Home Affars)
पी. चिदंबरब (गृह)
タミル
Pチダンバラムにしているが、「チダムバラム」や「チダンバラン」などでも間違いとは言えないだろう。この辺りはタミル語専門家の意見も仰がなければなるまい。6-1や16-2も参照のこと。役職名は内務大臣または内相。
Pranab Mukherjee (Finance)
प्रणव मुखर्जी (वित्त)
ベンガル
プラナブ・ムカルジー。ヒンディー語では「プラナヴ」と書かれているが、9-1に従い、アルファベット表記に合わせて「プラナブ」にする。「ムカルジー」は譲れない。「プラナブ・ムカジー」などの誤った表記は廃絶すべきである。「ムカジー」を主張する人々に大した根拠はない。2-2も参照のこと。役職名は財務大臣や財相などでいいだろう。
S.M. Krishna (External Affairs/Foreign)
एस.एम. कृष्णा (विदेश)
カルナータカ
SMクリシュナ。ヒンディー語表記では「クリシュナー」と末尾が伸びているが、地元のカンナダ語表記では「クリシュナ」になっているし、こちらの方が短くなるので、こちらを採用している。16-2も参照のこと。役職名は外務大臣または外相で問題ない。
A.K. Antony (Defence)
ए.के. एंटनी (रक्षा)
マラヤーラム
AKアントニー。「Antony」という名字はキリスト教文化から来たものだと推測されるため、16-1の原則を適用し、ヒンディー語表記を無視して、英語→日本語のダイレクト変換をしている。役職名は国防大臣または国防相。
Mamata Banerjee (Raiways)
ममता बनर्जी (रेल)
ベンガル
まずファーストネームの方はヒンディー語表記に合わせて「マムター」にするか、アルファベット表記を重視して「ママター」にするか、2つの選択肢がある。どちらでもいいと思うのだが、13-1の原則に従って「ママター」にしようと思う。名字の方は「バナルジー」でなければならない。ローマ字読みして「バネルジー」「バナジー」などと書く人がいるが、それは間違いである。よって、ママター・バナルジーになる。役職名は鉄道大臣。
Sharad Pawar (Agriculture, Consumer Affairs, Food & Public Distribution)
शरद पवार (कृषि, खाद्य, उपभोक्ता मामले एवं सार्वजनिक वितरण)
マラーター
シャラド・パワール。特に問題はないだろう。役職名はどうしても長くなってしまうのだが、もし全て表記するなら農業・消費・食品・配給大臣などでいいのではなかろうか。
Virbhadra Singh (Steel)
वीरभद्र सिंह (इस्पात)
ヒマーチャル
ヴィールバドラ・スィン。「マンモハン・シン」に合わせて「ヴィールバドラ・シン」でもいいだろう。役職名は鉄鋼大臣。
Vilasrao Deshmukh (Heavy Industries & Public Enterprises)
विलासराव देशमुख (भारी उद्योग एवं सर्वजनिक उद्यम)
マラーター
ヴィラースラーオ・デーシュムク。もし問題となる部分があるとしたら「ラーオ」であるが、9-1の法則に従っている。役職名は重工業・国営企業大臣。
Ghulam Nabi Azad (Health & Family Welfare
ग़ुलाम नबी आज़ाद (स्वास्थ्य एवं परिवार कल्याण)
カシュミール
グラーム・ナビー・アーザード。役職名は保健・家族福祉大臣。
M. Veerappa Moily (Law, Justice & Company Affairs)
एम. वीरप्पा मोइली (क़ानून)
トゥル
ヒンディー語表記に従うと「Mヴィーラッパー・モーイリー」になり、カンナダ語表記に従うと「Mヴィーラッパ・モイリ」になる。「Moily」という名字は他の地域では聞かないので、全てカンナダ語表記に合わせてMヴィーラッパ・モイリでいいと思う。役職名は法務・企業大臣。
Sushil Kumar Shinde (Power)
सुशील कुमार शिंदे (बिजली)
マラーター
スシール・クマール・シンデー。「クマール」のことを「クマー」などと書く表記を見たことがあるが、それは論外である。役職名は電力大臣。
Farooq Abdullah (New & Renewable Energy)
फ़ारूक़ अब्दुल्ला (नवीन एवं अक्षय ऊर्जा)
カシュミール
ファールーク・アブドゥッラー。役職名は再生可新エネルギー大臣。
S. Jaipal Reddy (Urban Development)
एस. जयपाल रेड्डी (शहरी विकास)
アーンドラ
Sジャイパール・レッディー。ヒンディー語表記に従うと名字は「レーッディー」になるが、冗長さと日本語としての不自然さを防ぐための14-2の法則によって、「レッディー」にしている。役職名は都市開発大臣。
Kamal Nath (Road Transport & Highways)
कमलनाथ (सड़क परिवहन एवं राजमार्ग)
ウッタル・プラデーシュ
カマルナート。よく「th」を英語読みしてサ行にする人がいるが、それは間違いである。役職名は陸上交通・ハイウェイ大臣。
Vayalar Ravi (Overseas Indian Affairs)
व्यालार रवि (प्रवासी भारतीय)
マラヤーラム
マラヤーラム語表記に従うと、ヴァヤラール・ラヴィ。ちなみにヒンディー語表記では「ヴァヤーラール・ラヴィ」。役職名は在外インド人大臣。
Saifuddin Soz (Water Resources)
सैफ़ुद्दीन सोज़ (जल संसाधन)
カシュミール
サイフッディーン・ソーズ。役職名は水資源大臣。
Dayanidhi Maran (Textiles)
दयानिधि मारन (कपड़ा)
タミル
ダヤーニディ・マーラン。役職名は繊維大臣。
A. Raja (Communications & IT)
ए. राजा (संचार एवं आई.टी.)
タミル
Aラージャー。役職名は郵政IT大臣。
Murli Deora (Petroleum & Natural Gas)
मुरली देवड़ा (पेट्रोलियम एवं प्राकृतिक गैस)
マハーラーシュトラ(ノン・マラーター)
ムルリー・デーオラー。役職名は石油天然ガス大臣。
Ambika Soni (Information & Broadcasting)
अंबिका सोनी (सूचना एवं प्रसारण)
パンジャーブ
アンビカー・ソーニー。役職名は情報放送大臣。
Mallikarjun Kharge (Labour & Employment)
मल्लिकार्जुन खर्गे (श्रम एवं रोज़गार)
カンナディガ
マッリカールジュン・カルゲー。役職名は労働雇用大臣。
Kapil Sibal (Human Resource Development)
कपिल सिब्बल (मानव संसाधन विकास)
パンジャーブ
ヒンディー語表記では「カピル・スィッバル」。だが、14-1に従い、英語アルファベットに合わせてカピル・スィバルでいいだろう。役職名は人材開発大臣。
B.K. Handique (Mines & Development of North East Region)
बी.क़े. हाण्डिक (खान एवं पूर्वोत्तर विकास)
アッサム
この名字は東北部特有のものだと思われる。よってBKハンディクでいいだろう。役職名は鉱山・北東部開発大臣。
Anand Sharma (Commerce & Industry)
आनंद शर्मा (वाणज्य एवं उद्योग)
ヒマーチャル
アーナンド・シャルマー。役職名は商工大臣または商工相。
C.P. Joshi (Rural Development & Panchayat Raj)
सी.पी. जोशी (ग्रामीण विकास एवं पंचायती राज)
ラージャスターン
CPジョーシー。役職名は地方開発・パンチャーヤトラージ大臣。
Kumari Seljia (Housing, Urban Poverty Allevation & Tourism)
कुमारी शैलजा (आवास एवं शहरी गरीबी उन्मूलन एवं पर्यटन)
ハリヤーナー
名字の部分の英語アルファベット表記は変則的。ヒンディー語表記に従い、クマーリー・シャイルジャーにするのがいいだろう。役職名は住宅・都市貧困緩和・観光大臣。
Subodh Kant Sahay (Food Processing Industries)
सुबोध कांत सहाय (खाद्य प्रसंस्करण)
ジャールカンド
スボード・カーント・サハーイ。「サハーイ」の「イ」に関しては7-1を参照のこと。役職名は食品加工業大臣。
M.S. Gill (Youth Affairs & Sports)
एम.एस. गिल (खेल एवं युवा मामले)
パンジャーブ
MSギル。役職名は青年スポーツ大臣。
G.K. Vasan (Shipping)
जी.के. वासन (जहाज़रानी)
タミル
GKヴァーサン。役職名は船舶大臣。
Pawan Kumar Bansal (Parliamentary Affairs)
पवन कुमार बंसल (संसदीय कार्य)
チャンディーガル
パワン・クマール・バンサル。「パワン」の「ワ」に関しては9-1を参照のこと。役職名は議会大臣。
Mukul Wasnik (Social Justice & Empowerment)
मुकुल वासनिक (सामाजिक न्याय एवं आधिकारिता)
マハーラーシュトラ(ノン・マラーター)
ムクル・ワースニク。役職名は社会正義・地位向上大臣。
Kantilal Bhuria (Tribal Affairs)
कांतिलाल भूरिया (आदिवासी मामले)
マディヤ・プラデーシュ
カーンティラール・ブーリヤー。「Bhuria」の「ia」を「イア」ではなく「イヤ」と表記することに関しては7-3を参照のこと。役職名は部族大臣。
M.K. Azhagiri (Chemicals & Fertilizers)
एम.के. अझागिरि (रसायन एवं उर्वरक)
タミル
MKアラギリ。「Azhagiri」の「zh」の発音に関しては、ヒンディー語では「ジャ」の音が当てられているが、これは「タミル」の「ル」の音と同じであり、カタカナ表記の際にもそれを踏襲して構わないだろう。よって「アジャギリ」や「アザギリ」などではなく、「アラギリ」になる。役職名は化学肥料大臣。
 以上がキャビネット・ミニスター(Cabinet Minister)、つまり内閣大臣となり、政権の中枢となる。その他にミニスター・オブ・ステート(Minister of State)という役職があり、これは日本語では「副大臣」と訳されるが、必ずしも大臣の補佐職ではない。役職上はミニスター・オブ・ステートながら、上に大臣がおらず、事実上各担当省庁における最高権力職もいくつかある。以下、そのような独立(Independent Charge)のミニスター・オブ・ステートを列挙する。これらは便宜的に「大臣」と訳す。
Praful Patel (Civil Aviation)
प्रफुल्ल पटेल (नागर विमानन)
マハーラーシュトラ(ノン・マラーター)
プラフル・パテール。ヒンディー語表記を正確に反映させると「プラフッル」になるが、14-1の規則により促音を省略する。役職名は民間航空大臣。
Prithviraj Chavan (Science & Technology, Earth Science)
पृथ्वीराज चव्हाण (विज्ञान एवं प्रौद्योगिकी, पृथ्वी विज्ञान)
マハーラーシュトラ(ノン・マラーター)
プリトヴィーラージ・チャヴァーン。役職名は科学技術大臣。彼は他にも内閣事務室長などの要職を兼任している。
Sriprakash Jaiswal (Coal, Statistics)
श्रीप्रकाश जायसवाल (कोयला, सांख्यिकीय एवं कार्यक्रम कार्यांवयन)
ウッタル・プラデーシュ
シュリープラカーシュ・ジャーイスワール。役職名は石炭・統計大臣。
Salman Khursid (Corporation Affairs, Minority Affairs)
सलमान ख़ुर्शीद (निगमित मामले और अल्पसंख्यक मामले)
ウッタル・プラデーシュ
サルマーン・クルシード。17-2も参照のこと。役職名は企業・少数派大臣。
Dinsha Patel (Small & Medium Enterprises)
दिनशा पटेल (छोटे एवं मझोले उद्यम)
グジャラート
ディンシャー・パテール。役職名は中小企業大臣。
Krishna Tirath (Women & Child Development)
कृष्णा तीरथ (महिला एवं बाल विकास)
デリー
クリシュナー・ティーラト。役職名は母子発育大臣。
Jairam Ramesh (Enviroment & Forests)
जयराम रमेश (वन एवं पर्यावरण)
カンナディガ
ジャイラーム・ラメーシュ。役職名は環境森林大臣。
 以上が独立のミニスター・オブ・ステートである。以下、副大臣の名前を挙げていくが、名前を列挙するのみとする。注記すべき点は後でまとめて述べる。

省庁 英語アルファベット ヒンディー語 カタカナ表記
科学肥料 Srikant Jena श्रीकांत जेना シュリーカント・ジェーナー
鉄道 E Ahmad ई. अहमद Eアハマド
内務 M. Ramachandran एम. रामचंद्रन Mラーマチャンドラン
計画議会 V. Narayansamy वी. नारायणसामी Vナーラーヤンサーミー
商工 Jyotiraditya Scindia ज्योतिरादित्य सिंधिया ジョーティラーディティヤ・スィンディヤー
人材開発 D. Purandeswari डी. पुरंदेश्वरी Dプランデーシュワリー
鉄道 K.H. Muniyappa के.एच. मुनियप्पा KHムニヤッパ
内務 Ajay Maken अजय माकन アジャイ・マーカン
繊維 Panabaka Lakshmi पानाबाका लक्ष्मी パーナーバーカー・ラクシュミー
財務 Namo Narain Meena नमो नारायण मीना ナモー・ナーラーイン・ミーナー
国防 M.M. Pallam Raju एम.एम. पल्लमराजू MMパッラムラージュー
都市開発 Saugata Roy सौगत राय サウガタ・ロイ
財務 S.S. Palanimanickam एस.एस. पलानीमाणिक्कम SSパラニマーニッカム
石油
天然ガス
Jitin Prasada जितिन प्रसाद ジティン・プラサーダ
鉄鋼 A. Sai Prathap ए. साई प्रताप Aサーイー・プラタープ
外務 Preneet Kaur परनीत कौर パルニート・カウル
郵政IT Gurudas Kamat गुरुदास कामत グルダース・カーマト
労働雇用 Harish Rawat हरीश रावत ハリーシュ・ラーワト
農業消費
食料配給
K.V. Thomas के.वी. थामस KVトーマス
電力 Bharatsinh Solanki भरत सिंह सोलंकी バラトスィン・ソーランキー
陸上交通
ハイウェイ
Mahadev Khandela माधव एस. खंडेला マハーデーヴ・カンデーラー
保健
家族福祉
Dinesh Trivedi दिनेश त्रिवेदी ディネーシュ・トリヴェーディー
地方開発 Sisir Adhikari शिशिर अधिकारी シシル・アディカーリー
観光 Sultan Ahmad सुल्तान अहमद スルターン・アハマド
船舶 Mukul Roy मुकुल राय ムクル・ロイ
情報放送 Mohan Jatua मोहन जतुआ モーハン・ジャトゥアー
社会正義
地位向上
S. Napoleon डी. नेपोलियन Sナポレオン
情報放送 S. Jagathrakshakan एस. जगतरक्षकन Sジャガトラクシャカン
保健
家族福祉
S. Gandhiselvan एस. गांधीसेल्वन Sガーンディセルヴァン
部族 Tusharbhai Chaudhary तुषार भाई चौधरी トゥシャールバーイー・チャウダリー
郵政IT Sachin Pilot सचिन पायलट サチン・パイロット
青年
スポーツ
Arun Yadav अरुण यादव アルン・ヤーダヴ
重工業
国営企業
Prateek Patil प्रतीक पाटिल プラティーク・パーティル
陸上交通
ハイウェイ
R.P.N. Singh आर.पी.एन. सिंह RPNスィン
外務 Shashi Tharoor शशि थरूर シャシ・タルール
水資源 Vincent Pala विंसेंट पाला ヴィンセント・パラ
地方開発 Pradeep Jain प्रदीप जैन プラディープ・ジャイン
地方開発 Agatha Sangama अगाथा संगमा アガサ・サンガマ
  • 「Ahmad」は「アーマド」などと読まれることもあるが、12-5に従って「アハマド」と表記している。
  • 南インド人の名前は現地語を優先している。「ムニヤッパ」、「パラニマーニッカム」、「ガーンディセルヴァン」など。
  • 「Scindia」は「スィンディヤー」と読む。
  • 「Roy」というベンガル人名がいくつか見られるが、それは13-2に従って「ロイ」と読む。
  • 英語由来の名前を持つ人が何人かいるが、それは例外規則16-1に従って英語→日本語のダイレクト変換をしている。「トーマス」、「ナポレオン」、「パイロット」など。
  • 東北部や部族などに属する名前を持つ人は、例外規則16-2を適用し、ヒンディー語表記を無視して英語→日本語でカタカナ表記している。「パラ」、「サンガマ」など。
 もっと問題が出て来るかと思ったが、少なくとも現行の大臣の名前をカタカナ表記する際に限っては、僕の作成したカタカナ表記規則でほぼ対応できている。問題があるものについてはそれぞれ触れたつもりである。特に大きな変更をする必要は感じられなかったが、冒頭にも述べた通り、「au」「ai」の扱いについてだけはもう少し熟考して行く必要があるだろう。

 ところで、話のついでに現在の内閣における注目の人を1人だけ取り上げておこう。それは地方開発副大臣のアガサ・サンガマ。彼女は現在28歳、第2次マンモーハン・スィン内閣の最年少である。メーガーラヤ州出身で、メーガーラヤ州3部族の中ではガロ族に属するようである。内閣発足時の宣誓の儀式のとき、アガサ・サンガマは非ヒンディー語圏出身ながらヒンディー語で宣誓を行い、与野党から喝采を浴びたのは記憶に新しい。密かに彼女を応援している。


アガサ・サンガマ

 ついでに名前について触れておくと、「アガサ(Agatha)」の部分が果たして英語の「アガサ」なのか、それともガロ語か何かから来ているのか、それともサンスクリット語を意識しているのか、実はいまいち不明だったのが、あるインタビューを読んだ結果、父親がアガサ・クリスティーのファンだったためにこの名前が付けられたことが判明したため、英語名ということで、例外規則16-1を適用し、「アガサ」と表記している。僕の決めたカタカナ表記規則は、名前の語源を重視しているため、それが分からない場合にとても脆弱であるという欠点もありそうだ。

6月22日(月) デリー大学の最新流行語

 インドは現在大学入学準備期間となっている。日本の1月~3月に近い雰囲気で、入学願書の提出、足切り発表、入学試験の受験、合格発表などが順々に行われている。なぜ1年で1番暑い時期にこんな重要なイベントが行われるのか、前々から疑問でならないのだが、インド人自身はあまり気にせずにこの酷暑の中淡々と将来の夢に向けて前進している。この時期、タイムズ・オブ・インディア紙のような大衆紙では、デリー大学を中心に、様々な大学関連情報を詳細に掲載しており、それらを見ているととても面白い。近年ヒートアップしているのは、どの都市が全国共通試験の上位者(トッパー)をたくさん輩出したかの競争である。デリーは教育首都なだけあり、毎年多くのトッパーを出しており、デリー市民は無意味に鼻高々感を味わっている。それとは逆に、受験に失敗して自殺と言った暗い話題も耐えないのがこの時期である。また、今年は私立大学の入学選考時における寄付金名目の贈収賄が明るみに出て問題となっている。

 6月も既に後半に入り、そろそろ受験生の進学先も決まって来ているため、新聞では「大学デビューのための指南書」的な記事も見られるようになって来る。やはりこれから大学に入学しようとする若者たちの最大の関心事は、いかにスムーズに大学文化に溶け込むかで、そのためにもっとも重要なのはファッションである。イマドキの大学生がどんなファッションを身に付けているのか、いろいろな形で紹介されている。インドでは友人同士で衣服やアクセサリーの貸し借りが普通に行われているため、オシャレな衣服を持ってなくて経済的余裕もない人は、入学願書受け取りのときから、とりあえず友人からジーンズやサングラスなどを借りてキャンパスに乗り込む。試験に受かろうと落ちようと、「ださい奴」というレッテルを貼られることだけは我慢ならない。その辺りは日本の若者ともそう変わらない。デリー大学は特にファッションにうるさいと言われており、入学希望者はデリー大学にふさわしいファッションセンスを身に付けようと努力する。

 それと関連し、新聞では若者言葉の特集も時々組まれる。以前、インドの若者言葉と題して、インドの各主要都市で流行している言葉を取り上げたことがあった。6月20日付けデリー・タイムズ・オブ・インディアではデリー大学新入生のために同じような特集があった.。今回は特にデリー大学で流行っている言葉の特集である。これらをうまく使いこなせないと、キャンパスの「主流派」に溶け込めないという訳だ。それらをまとめてみる。

 まず、デリー大学の組織や地理に密接に関係した流行語がいくつかある。デリー大学には大まかにノース・キャンパスとサウス・キャンパスがあるが、特にデリー大学の本拠地とも言えるノース・キャンパスのことを学生たちはキャンパス(Campus)と短く呼ぶようである。また、ノース・キャンパスの近くには、カムラー・ナガル(Kamla Nagar)という大きなマーケットがあり、学生たちの溜まり場となっている。イマドキのデリー大学生はカムラー・ナガルのことをケーナッグス(KNags)と呼ぶらしい。もちろん、「カムラー・ナガル」の略である。デリー大学には、日本のサークルにあたるソサイエティー(Society)なるものがある。やはりこれもイマドキの多忙な若者にとってはフルに発音するのが面倒なようで、短くソック(Soc)と呼ばれているようだ。デリー大学や各カレッジには寮があるが、全ての学生に部屋が宛がわれる訳ではない。低カースト者や身体障害者などに対する優遇制度もあるが、通常、成績優秀者から部屋が割り当てられて行く。よって、寮に住むことは一種のステータスである。学生の間では寮または寮生のことをレズ(Res)と呼ぶ。これはおそらくレジデンス(Residence)またはレジデント(Resident)の略であろう。また、寮長はアンマー(Amma)と呼ばれる。これは「母親」という意味であるが、寮長が男であってもこの言葉は適用される。寮長はまるで母親のように監視の目が厳しいからであろう。

 これだけ見ても、デリー大学の流行語の大きな特徴として、「短縮」「省略」があることは明らかである。それは日本の若者言葉とも類似している。他にも「短縮」や「省略」の過程によって形成された流行語がある。まずは「大学」。英語のユニバーシティー(University)は長いので、大学生たちはユニヴ(Univ)と呼んでいる。短縮は食べ物にも及ぶ。例えばシーバッツ(CBats)。これはインド人庶民の大好物チョーレー・バトゥーレーのことである。ヒヨコマメ煮とメリケン粉の揚げパンのセットで、油っこいがうまい。ジージャムス(GJams)は甘いお菓子グラーブ・ジャームンのことだ。この「頭文字+短縮形+s」の組み合わせは他にも作れそうである。例えば、ゴールガッパーのことをジーガップス(GGapps)、アールー・ティッキーのことをエーティックス(ATicks)などと呼ぶことも可能だ。

 形態論的に面白い特徴を持っているのが、ドープチー(Dopechi)ドラームチー(Dramchi)である。前者は英語のdope(麻薬)から派生しており、いかにも麻薬をやっていそうなマッドな人物のことを指す。後者はやはり英語のDrama(演劇)から来ており、物事を大袈裟に吹聴する癖があったり、演劇のように感情表現が激しい人のことを指す。どちらも「チー」という接尾語が付いており、これはかなり応用力のありそうな形態素である。例えば食べ物に目がない人をグルメチー(Gourmetchi)と呼んだり、本の虫をブックチー(Bookchi)と呼んだりできるだろう。この「チー」は、「物」という意味のヒンディー語「チーズ(चीज़)」の短縮形かと一瞬思ったが、大修館ヒンディー語=日本語辞典で調べてみたところ、トルコ語起源の「チー(-ची)」という接尾語が見つかった。意味はズバリ「名詞に付加されて『(-に)関係のある人、(-に)関わる人など』の意の名詞を作る」。この用法と見事に合致する。辞書には用例として「トープ(तोप)大砲→トープチー(तोपची)砲手」が挙がっていた。他に「料理人」という意味の「バーワルチー(बावरची)」などもこのトルコ語起源の接尾語が付加されて派生した単語であろう。もし現代の流行語ドープチーやドラムチーの「チー」が、現代ヒンディー語の中でほとんど死語と化しているトルコ語の接尾語から来ているなら、非常に面白い現象と言う他ない。化石に乗ってサーフィンをしているようなものである。

 他にデリー・タイムズ・オブ・インディア紙に掲載されていたものを簡単に紹介する。ヴェッラー(Vella)はかつてムンバイヤー・ヒンディー講座3でも取り上げた。人生を無駄に過ごしているような怠け者のことである。ビーティーエムス(BTMs)は「Behenji-Turned-Mod(お姉さんからモデルへ転身)」の略で、新入生のときはただの田舎者だったのに、デリー大学で過ごす内に自分のことをモデルと勘違いしているかのようなオシャレさんに大変身しまった女性のことを指す。ただ、どんなにファッションを頑張っても方言だけはなかなか抜けないもので、キャンパスでBTMsを特定するのはそれほど難しいことではないらしい。ビヤッチ(Biyatch)は、女性に対する英語の罵詈雑言の一種ビッチ(Bitch)から派生した言葉だが、悪意はなく、友人同士の間で愛情を持って使われる言葉である。その使用例が載っていた。「あんたはホントにビヤッチね!なんでブラックのトップスを着て来るって教えてくれなかったの?これじゃあ私たち双子みたいじゃない!」ヤーヴァー(Yava)はこっ恥ずかしい状況のことを指す。これも使用例を見て欲しい。「教授の前で友達のオカンに彼女はいるのか聞かれてよ、オレ、ヤーヴァーになっちまったぜ。」この言葉も面白いことに、大修館ヒンディー語=日本語辞典によると、トルコ語起源の言葉である。意味は「馬鹿げた;つまらない;くだらない;とりとめもない」。若干、上の用例とズレもあるが、ニュアンスは大きく外れていない。若者の間でトルコ語の単語が復権しているのだろうか?カプタル(Khapeter)は意地悪な人のことを指す。その語源は不明である。

 以下はオマケ。デリー大学の女子大生たちのファッション。いろいろなモノが流行っているようである。派手な傘とか、ヒールのない平らなサンダルとか、ホットパンツとか。

 ただし、流行語もファッションも、デリー・タイムズ・オブ・インディア紙がそう言っているだけであって、本当にそれらがデリー大学で流行っているかどうかは分からない。

6月26日(金) New York

 2月公開の「Delhi-6」以来、実に4ヶ月振りの大型新作映画リリース!ボリウッド最大のコングロマリット、ヤシュラージ・フィルムス制作の「New York」が本日公開となった。題名やポスターを見ると、「Kal Ho Naa Ho」(2003年)や「Kabhi Alvida Naa Kehna」(2006年)などと同じ雰囲気のニューヨークを舞台にしたNRI映画に見えるが、基本的にロマンス映画であったそれらとこの新作が大きく異なるのは、911事件後に在米南アジア人が被った差別というシリアスなテーマに挑戦していることだ。同様のテーマを扱った作品には、「Yun Hota Toh Kya Hota」(2006年)や「Hope and a Little Sugar」(2006年)、また、パーキスターン映画になるが、「Khuda Kay Liye」(2007年)などが挙げられるが、ボリウッドのメインストリーム映画でポスト911を中心に据えたのは初のことであろう。



題名:New York
読み:ニューヨーク
意味:ニューヨーク
邦題:ニューヨーク

監督:カビール・カーン
制作:アーディティヤ・チョープラー
音楽:プリータム
歌詞:サンディープ・シュリーワースタヴァ
出演:ジョン・アブラハム、カトリーナ・カイフ、ニール・ニティン・ムケーシュ、イルファーン・カーンなど
備考:サティヤム・ネルー・プレイスで鑑賞、満席。

左から、ジョン・アブラハム、カトリーナ・カイフ、
ニール・ニティン・ムケーシュ

あらすじ
 米国在住のインド人オマル(ニール・ニティン・ムケーシュ)は、ある日突然テロリストの容疑をかけられてFBIに連行され、南アジア系捜査官ローシャン(イルファーン・カーン)によって取り調べを受ける。FBIのターゲットは、オマルの大学時代の親友サミール、通称サム(ジョン・アブラハム)であった。ローシャンの話によると、サムはテロリスト・グループを率いているとのことであった。だが、オマルはサムがそのようなことをする人物だとは信じられなかったし、そもそも大学卒業以来サムと連絡を取ったことすらなかった。オマルはサムとの出会いを語り出す。

 オマルが故郷デリーからニューヨークにやって来たのは1999年のことであった。奨学金を支給され、初めての海外がニューヨーク州立大学への留学だった。そこでオマルはサム、そしてマーヤー(カトリーナ・カイフ)と出会う。米国で生まれ育ったサムは大学の人気者で、とにかく目立ちたがり屋な性格であった。マーヤーはインド生まれだったが幼少時に両親と共に米国へ移住して来ていた。3人はすぐに仲良くなり、大学生活の2年間はあっと言う間に過ぎ去った。オマルはマーヤーに恋していたが、彼女にその想いを伝えることはできなかった。

 大学卒業の日、オマルはとある事件から、マーヤーがサムを愛していることを知ってしまう。ショックを受けたオマルは土壇場で彼女に想いを伝えようとするが、そのときちょうど911事件が発生する。そのままオマルは大学を去り、フィラデルフィアへ去って行ってしまった。以降、サムやマーヤーとは連絡が途絶えていた。

 以上がオマルの話であった。それを聞いたローシャンはオマルにひとつの提案をする。それは、FBIのスパイとなってサムの様子を探るというものであった。当初オマルは友情を裏切ることを潔しとせず、それを断るが、後に、サムと自分の無実を証明するためにその仕事を引き受ける。

 サムとマーヤーは結婚し、2人の間にはダーニヤールという男の子も生まれていた。オマルはまず偶然を装ってマーヤーと再会し、2人の家に居候するようになる。サムとマーヤーの家庭はごく普通で、オマルにはサムがテロリストだとは思えなかった。だが、最終的にサムは自分からテロリスト・グループを率いていることを告白し、彼を仲間に引き入れる。サムは、なぜテロリストになったかを語り出す。

 911事件の後、サムはワールド・トレード・センターの写真を撮っていたことと、事件前後に航空券のチケットを購入したことから、テロリストの容疑をかけられ、留置所に入られて連日拷問を受けた。9ヶ月後に証拠不十分から釈放されたが、拷問がトラウマとなって通常の生活に戻れなかった。だが、マーヤーは彼を温かく迎え入れ、彼女の方から結婚を申し出る。2人は結婚する。サムは職探しに奔走したが、なかなか採用されなかった。そんな中、留置所で出会った人物から聞いた言葉を思い出し、ブルックリンのとあるパン屋を訪れる。そこでアラブ人テロリスト・グループと接触を持ち、テロの道へと入って行く。

 サムはテロリストになったことをマーヤーに伝えようと思っていたが、ちょうどそのとき彼女が妊娠したことが分かり、このことは家族には内緒にすることを決める。サムは表向きビルの清掃業を営みながら、裏でテロを計画する二重生活を送っていた。一方、マーヤーは人権団体に所属し、不当な拘禁を受けた人々のケアを担当していた。

 サムは携帯電話爆弾を使った爆破テロを計画していた。だが、いつどこでテロを起こすかは誰にも話さなかった。そんな中、マーヤーが担当していた被害者が警官を殺し、自殺するという事件が発生する。それをきっかけにサムはテロ計画を延期する。また、マーヤーは偶然オマルがFBIのスパイであることを知ってしまう。オマルは彼女に真実を話す。実はマーヤーもサムがテロリストであることに勘付いていたが、いつか現実の世界に戻って来てくれることを信じ、知らない振りをしていたのだった。オマルはマーヤーをローシャンに紹介し、サムがテロを起こさないように協力することを約束させる。

 ところが、サムはテロ計画を諦めていなかった。マーヤーがFBI本部でローシャンと会っている間、サムはFBI本部そのものに爆弾を仕掛けていた。オマルはそのことを知ると、ローシャンに連絡し、ビルから人々を脱出させる。また、オマルは爆弾を起爆させようとするサムを止め、自分がFBIのスパイであること、そしてマーヤーがこのビルにいることを伝える。既にスナイパーが待機しており、サムに標準が合わせられていた。そこへマーヤーも駆けつける。サムはオマルの裏切りに失望しながら、爆弾の起動装置を手放す。その瞬間、サムは銃撃される。同時に、駆け寄ろうとしたマーヤーにも銃弾が浴びせられる。その場で2人は絶命した。

 6ヶ月後・・・。オマルはダーニヤールを引き取っていた。ダーニヤールは子供野球の試合に出場し、大活躍をしていた。そこへローシャンが訪れる。オマルはローシャンの仕打ちに腹を立てており、話そうとしなかった。だが、911事件後に生まれた世代のために、差別のない自由な社会を作って行かなければならないというローシャンの言葉に、彼も少し心を動かされる。

 911事件後、FBIが過剰で差別的な捜査を行い、その結果多くの南アジア人、特にイスラーム教徒が不当に拘禁され、過酷な拷問を受けた。拷問を受けた人々は心に大きなトラウマを抱えることになり、通常の生活に戻るのは困難であった。それを克服するためにある者は米国に対して報復的なテロを計画することになった。つまり、本当のテロリストになってしまった。映画の表向きの主題は、疑心暗鬼がさらにテロリストを生むこの負のサイクルであった。映画の最後でも、911事件後におよそ1200人の外国人が不当に拘束された旨が説明されており、この映画が完全なるフィクションではないことが提示されていた。

 だが、決して南アジア人の視点から米国を糾弾するだけの作品ではなかった。南アジア系FBI捜査官ローシャンは、主人公オマルに対し、また同時に観客に対し、「イスラーム教徒のテロリスト容疑者の捜査のために、イスラーム教徒である私が担当者に任命されることが、米国の素晴らしいところだ」「イスラーム教徒への疑いを晴らすには、我々イスラーム教徒がテロを防がなければならない」「誰にでも、どの国にも間違いはある。だが、米国の素晴らしいところは、テロリストの息子をこうやって受け容れるところだ」など、全く逆の視点を提示しており、それがこの映画の真のメッセージとなっていた。よって、結局米国を礼賛する内容になっていた。それは「Khuda Kay Liye」にも部分的に共通するメッセージである。インド映画は通常インドを賞賛する内容が多いのだが、「New York」ではインドはほとんど関係ない上に、むしろ米国の寛容性を賞賛する傾向の方が強く、少し奇妙にも思えた。

 インド映画の中で必ずと言っていいほど描かれる家族の描写も、この映画では皆無であった。もちろん、サムとマーヤーの家庭は描かれていたが、サム、マーヤー、オマルの実家が描かれることはなかった。マーヤーの母親や、デリーのラージパト・ナガルに住むオマルの家族のことは、台詞の中で触れられていただけである。海外のインド人社会を舞台にしたNRI映画ではたまにそういう傾向があることは否めないが、それも「New York」がインド映画の典型から外れている点だと言える。

 この映画で重要な要素は主人公のオマルとサムがイスラーム教徒であるという点である。だが、不思議なことに「New York」では「イスラーム」や「ムスリム」と言った言葉が出て来ず、「マズハブ(宗教)」という言葉のみがそれを象徴していた。おそらく監督が神経を使ったのであろうが、重要な点なのでもう少しはっきりさせても良かったのではないかと思う。

 また、贅沢を言ってしまえば、数ヶ月に渡る新作不足を打ち破る大作だったため、できることならもう少し気楽に見られる映画であって欲しかった。拷問のシーンや、悲しいラストなどは、観客の心をかなりヘビーにさせた。だが、それでも「New York」は今年の名作の1本に数えられる出来であることには違いない。

 この映画の最大のサプライズはカトリーナ・カイフである。今や人気ナンバー1の彼女であるが、カトリーナが今まで演じて来たのはほとんどただかわいいだけのヒロイン役で、演技力が要求されるようなことは皆無に近かった。彼女自身も意図的にそういう役を楽しんで演じている感じで、それが彼女の人気の最大の秘密だと思っている。売れて来ると急に演技派ぶってファンをガッカリさせる女優は多い。今回もカトリーナはそういう感じなのではないかと勝手に思っていたが、意外や意外、彼女はシリアスな役を真剣に演じていた。はっきり言って、現時点で彼女がここまでハイレベルの演技をこなすことができるとは思っていなかった。微妙な表情を適宜使い分けている部分がいくつかあったし、凄惨な死のシーンまで演じていた。それでいて、今までの彼女のトレードマークであったキュートな魅力も存分に発揮されており、結果として「New York」はカトリーナの潜在能力をかなり引き出す映画になっていた。

 しかし、他のキャストも劣っていない。まずはニール・ニティン・ムケーシュ。まだデビューしたての彼にとって、ジョン・アブラハムとカトリーナ・カイフという若手スターとの共演は力不足と思っていたが、実際に2人の間の強い絆の前に屈服する憐れな役だったので問題はなかった。彼特有の青白くおどおどした表情もオマルのキャラクター作りに一役買っており、キャスティングの妙であった。祖父ムケーシュ譲りの(?)歌声も披露していた。ジョン・アブラハムもカリスマ性たっぷりにテロリスト、サムを演じていた。拷問シーンでは彼が全裸で狭い独房に閉じ込められているシーンが見られる。個性派の名優イルファーン・カーンも言うまでもなく素晴らしかった。

 音楽はプリータム。ストーリー中心の映画で、ダンス・シーンは存在しなかったが、BGMとして楽曲が流れ、映画を盛り上げていた。古き良き大学時代を象徴する「Hai Junoon」が名曲である。

 米国が舞台のため、台詞の中には英語が多い。重要な英語の台詞にはヒンディー語字幕が付いていた。だが、この映画は英語も理解する都市在住マルチプレックス層向けで、いくら字幕を付けようとも地方ではヒットしないだろう。

 「New York」は、一見するとニューヨークを舞台にした青春ロマンス映画に見えるが、911事件後の米国在住インド系米国人やインド人が被ったトラブルやテロリズムを扱っており、全体の雰囲気はかなりヘビーである。よって、通常の娯楽映画を求める層には適さないかもしれない。だが、今年公開の映画の中では完成度の高いメインストリーム映画であり、一見に値する。

6月29日(月) インドで食人は犯罪か?

 ここ数年インドでは同性愛者の地位向上運動が盛り上がっている。インドにも同性愛者は存在するが、社会の認知度は世界の中でももっとも低いと思われる。なぜならインドでは同性愛はれっきとした犯罪だからである。英領時代の1860年に制定され、独立後の現在でもそのまま利用されているインド刑法(IPC)は同性愛を犯罪と規定している。関連するのは以下のIPC第377条である。
377.自然に反する犯罪

男性、女性、または動物と自然の法則に反する性的行為を故意にした者は終身刑または10年以下の禁固刑を処し、場合によっては罰金刑にも処す。
 かなりの厳罰を規定しているこの条文においてキーとなるのは「自然の法則」なるものが一体何なのかという点で、拡大解釈すれば異性同士の性的行為であっても、「自然ではない」とされれば犯罪となる可能性がある。だが、通常は同性愛の禁止を主眼としているとされ、この条文はゲイ、レズビアン、バイセクシャル、トランスジェンダーの人々の足枷となって来た。2001年にこの条文の廃止のための請願書が提出されて以来、同性愛者たちは自らのアイデンティティのための闘争を続けている。最近でもデリーでゲイ・パレードがあったようである。

 それはそれで興味深いニュースなのだが、インド刑法関連でそれよりももっと興味をそそられた記事が6月29日付けヒンドゥスターン紙に掲載されていた。その記事によると、ハリヤーナー州パルワルの火葬場で、人肉を食べた4人の男が逮捕されたらしい。

 事件を要約すると以下の通りである。6月26日、パルワルのとある火葬場において、クルワント・カウル(享年75歳)というスィク教徒の女性の遺体が火葬された後、そこで掃除人として働くサントラームとその息子スニール、そして彼の友人ラメーシュとパップーの4人が、火葬された遺体の一部を食べているのが、警備員アジャイとその母親プレームワティーによって目撃された。アジャイが大声を上げたため、周囲の人々が集まって来て4人をリンチした。通報を受けた警察は現場に駆けつけ、4人を逮捕した。どうやらこの4人は常習的に火葬場で火葬された遺体を食べていたようで、同火葬場では以前にも死体が食い散らかされたりしていたらしい。今回たまたま「犠牲者」がスィク教徒女性の遺体であったため、周辺地域のスィク教徒が激怒し、27日、裁判所に連行中だった4人にさらにリンチを加えた他、パルワル署を包囲して抗議運動を行った。


死体を食べた4人の容疑者

 当然、スィク教徒たちは、4人の容疑者が食人という、正常な人間にあるまじき行為をしたことに怒っているのだが、怒りの矛先が警察にも向けられているのは、彼らの起訴理由が不適切だからと考えているからである。記事によると、警察はIPC第295条Aと第297条を違反した罪で4人を起訴しようとしているようだ。それぞれの条文は以下の通りである。
295A.任意の階層の宗教や宗教的信条を侮辱し、その階層の宗教感情を刺激するための故意で悪意のある行為

インド国民の任意の階層を宗教感情を刺激するという故意で悪意に満ちた目的と共に、口頭または筆記の言葉、身振り、可視の表現やその他の形態によって、その階層の宗教または宗教的信条を侮辱した者または侮辱しようとした者は、3年以下の禁固刑または罰金刑またはその両方を処す。

297.埋葬地への不法侵入など

任意の人物の感情を傷付けるため、または任意の人物の宗教を侮辱するため、または任意の人物の感情が傷付くと知りながら、または任意の人物の宗教の侮辱になると知りながら、信仰地、または埋葬地、または葬儀や遺体の貯蔵を行う場所に不法侵入したり、任意の遺体を侮辱したり、葬儀に参加する任意の人物を邪魔したりした者は、1年以下の禁固刑または罰金刑またはその両方を処す。
 スィク教徒抗議者によると、これらの条文は4人の容疑者を罰するには処罰が軽すぎるため、もっと重い処罰が規定されている条文の適用を求めているのである。しかし、死姦ならまだ罰則に終身刑を含む第377条が適用できそうであるものの、遺体の肉を食べただけでは、インド刑法の中で適用できそうなのはこれら2つのみである。ざっと目を通してみたが、当然各条文は生きている人間への犯罪が主で、死んだ人間に対する犯罪は刑法ではなかなか裁き切れなさそうだ。インドで果たして食人が犯罪になるかどうかに興味があったのだが、現行の法律の中では、殺人を犯さない限り、人肉を食べたこと自体は犯罪とならず、宗教感情を傷付けたり、遺体を侮辱したりした罪として、回り道して裁くしかなさそうだ。しかも、それが純粋に「人肉が大好物だから」などという動機に基づいているとしたら、295条Aも297条も適用されなさそうである。なぜならそれらの条文の中では宗教感情を刺激するなどの故意の目的が重視されているからである。食欲に突き動かされて死体の肉を食べてしまったなら、4人は無罪となる可能性もある。

 ちなみに日本でも食人を罰する法律はなく、ひかりごけ事件において刑法第190条(遺体損壊)が適用され、懲役1年の実刑判決を受けた判例があるのみのようである。

 おそらくこんなしょうもない事件の続報は新聞では報じられないだろうが、インドの方の判決も気になるところである。

6月30日(火) マイケル・ジャクソンとインド映画

 2009年6月25日、キング・オブ・ポップと称されたマイケル・ジャクソンが死去した。この訃報は全世界を駆け巡ったが、意外なことにインドでも大々的に扱われており、特にインド映画界の著名人から追悼の言葉が寄せられていた。こういうときにはにわかファンが登場し、「実はずっと前からファンだった」などとまことしやかに語り始めるもので、それはインドでも同様であるため、マイケル・ジャクソンがインドで果たしてどこまで本当に人気だったのかを今から検証し直すのは困難である。少なくとも今までインド人の口からマイケル・ジャクソンに関する話題を聞いたことはない。しかし、マイケル・ジャクソンはHIStoryワールドツアーの一環で、1996年に極右政党シヴ・セーナー政権下のムンバイーにおいて公演を行っており、当時からインドに一定数のファンがいたことは想像に難くない。ちなみに、シヴ・セーナーのボス、バール・タークレーや、現マハーラーシュトラ改革セーナー(MNS)のラージ・タークレー党首とマイケル・ジャクソンとの2ショットも残っており、このギャップは面白すぎる。


上はバール・タークレー、下はラージ・タークレー

 ところで、それらのマイケル・ジャクソン追悼記事を読んでいてふと思い出したのだが、マイケル・ジャクソンとインド映画に関し、日本のインド映画ファンの間でよく話題になるトピックがある。それは、インド映画がマイケル・ジャクソンを真似したのか、それともマイケル・ジャクソンがインド映画を真似したのか、という、「卵が先か、鶏が先か」に似た命題である。インド映画に初めて触れる日本人は一様に、「インド映画にはマイケル・ジャクソンのパクリみたいなダンスが頻繁に入る」と感想を持つが、一部の熱心なインド映画ファンの主張は、「いや、マイケル・ジャクソンの方がインド映画のダンスを真似したのだ」というものである。特に、マイケル・ジャクソンの代表作「Thriller」はインド映画のダンスシーンから着想を得たものであると言われている。僕が聞いた話では、マイケル・ジャクソン自身ではなく、彼のマネージャーか取り巻きか友人が、思い付きでマイケルに何らかのインド映画のビデオを見せ、それをマイケルがたいそう気に入り、自分のミュージック・ビデオの中に採り入れた、というものである。現在でもネットで検索すれば、「マイケル・ジャクソンがインド映画を真似した」説について触れている日本語の情報がいくつかヒットする。果たしてそれは本当なのだろうか?

 まず言えるのは、マイケル・ジャクソンの訃報を伝え、彼の足跡を紹介するインドの新聞の記事の中に、「マイケル・ジャクソンがインド映画を真似した」などと書かれているものはひとつもないということだ。ネット上でも日本語以外でそのようなことが書かれている記事は見つからなかった。逆に、マイケル・ジャクソンから影響を受けたと明かすインドの著名人のコメントは数多く掲載されていた。例えば「インドのマイケル・ジャクソン」と呼ばれるインド最高のダンサー兼コレオグラファー、プラブ・デーヴァーは、マイケル・ジャクソンのダンスを見てコレオグラファーになることを決めたと語っている。「Om Shanti Om」(2007年)の監督で、やはり有能な振付師であるファラー・カーンも、マイケル・ジャクソンのダンスを見てダンスの道に入ったようである。「Disco Dancer」(1983年)で一躍人気スターとなったミトゥン・チャクラボルティーも、マイケル・ジャクソンから多くのことを学んだと語っている。彼の息子ミモ(Mimo)も最近俳優デビューしたが、彼の名前はマイケル・ジャクソンの「Mi」とボクサーのモハメッド・アリの「Mo」から取られているそうだ。他にもARレヘマーンはマイケルの音楽に影響を受けただけでなく、彼と親交も持っており、共演の経験もある。このように、マイケル・ジャクソンがインド映画界に与えた影響は計り知れない。インド映画がマイケル・ジャクソンに影響を与えたか否かは不明だが、マイケル・ジャクソンがインド映画に与えた影響については否定のしようがない。

 また、ミュージック・ビデオなど、ビジュアルを重視したマイケル・ジャクソンの人気は、テレビの普及とも無関係ではない。インドでは1959年から国営放送局ドゥールダルシャンによるTV放送が試験的に始まっているが、衛星を使った全国一斉放送及びカラー放送が始まったのは1982年、ちょうどアルバム「Thriller」が発表された年である。そして、このアルバムがグラミー賞を総なめした第26回グラミー賞授賞式(1983年)はインドでも放送されたと言う。この年には「Thriller」のミュージック・ビデオも公開されている。つまり、マイケル・ジャクソン台頭の時期と、インドのTV放送の普及期は見事に重なっている。マイケル・ジャクソンはインド人視聴者の脳裏に、西洋文化への憧れの象徴として強烈に焼き付いたのではないかと思う。

 しかし、マイケル・ジャクソンは生涯自らのダンスを磨くことに余念がなかったようで、様々なダンス・スタイルを研究し、自分のものとしている。ウィキペディア情報になるが、有名なムーンウォークも、ゲットーに住む黒人の子供たちから学んだとされている。その研究と習得の過程で、インドのフィルミー・ダンスや古典舞踊などを目にしていたとしても何ら不思議ではない。

 では、視点を変えて、もしマイケル・ジャクソンがインド映画から何らかの影響を受けたとしたら、それは何であるかを考えてみたい。まずパッと思い付くのは、バックダンサーを従えた群舞である。米国でもインドでも、群舞を盛り込んだミュージカル形式の映画は遙か以前から作られている。マイケル・ジャクソンの群舞が特別だとしたら、それはバックダンサーたちを引き立て役にして使うスター・システム的群舞だと思うのだが、そのような群舞がマイケル・ジャクソン以前にハリウッドにもなかったか、また、インド映画にあったか、つぶさに見ていかないとなんとも言えないだろう。次に思い付くのはマイケル・ジャクソン個人の踊りである。しかし、マイケル・ジャクソンのスタイルの踊りをしていたインド人がマイケル・ジャクソン以前にいたという話は聞いたことがない。首を横に平行移動させる動作(高田純次のグロンサンと言った方が分かりやすいか)はもしかしたらインド伝来のものかもしれないが、全体としてマイケル・ジャクソンの踊りは、古典舞踊もフィルミー・ダンスも含め、インド人がダンスするときによく見せる基本的動きとは似ても似つかない。もっともありえるのは、ストーリー性のあるダンスである。「Thriller」のミュージック・ビデオは短編映画仕立てとなっているが、これは当時としては画期的なものだった。その後もストーリー仕立てのミュージック・ビデオがいくつも作られている。インドでは舞踊と演劇は本来切っても切れない関係にあり、その点でもしかして何か影響を与える部分があったのではないかと考えられる。だが、それも推測の域を出ず、何とも言えない。

 結局、インド人自身はマイケル・ジャクソンを賞賛するばかりで、「マイケル・ジャクソンが我々の○○をパクッたのだ」と主張する者がいない状態なので、このような検証をしてもあまり意味はないような気がする。「マイケル・ジャクソンがインド映画を真似た」説は、熱心な日本人インド映画ファンが、インド映画を擁護するために言い出したデマなのではないかと思われる。そもそも普段からインド人はあまり物事の起源などにこだわっていない気がする。ゼロの発見、チェス発祥の地、マーシャルアーツの源流、テキスタイルの本場、ダイヤモンドの故郷、ロケットの原点などなど、そういうことはインド大好き外国人がよく口にすることで、当事者のインド人はあまりそういう事柄に価値を見出していなかったりする。そこが由緒ある偉大な文化圏の余裕なのだと時々感じる。


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