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11月3日(月) ヒマーラヤと富士山の詩会 |
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毎年11月は日本文化月間となっており、インド各地でいくつもの日本文化紹介イベントが開催される。その中で、僕が主催者側に回っているものがひとつあった。それは「Himalaya
Ki Goda Mein: Japan-India Poetry Recital(雪山に抱かれて:日印詩朗読会)」であった。主催団体は、教育者でもあり、文学者でもあるラージ・ブッディラージャー女史が率いるインド日本文化評議会(ICJC)。文化の日である11月3日に、インド国際会館(IIC)で開催された。
ラージ・ブッディラージャー女史は今まで「桜」、「河」、「紅葉」、「子守唄」などをテーマに、インドと日本の詩を詠み合う会を開いて来たが、今回は「山」がテーマであった。日本には富士山があり、インドにはヒマーラヤがある。どちらの国民も山にただならぬ誇りを抱いており、そこに国を越えた文化の共通点を見出そうというのが主旨である。インドに住み始めてから数年来ブッディラージャー女史にはとてもお世話になっており、今回も日本語⇔ヒンディー語の翻訳や小冊子の作成などで助力する機会を与えていただいた。
主賓は日本大使館の島田丈裕参事官。他に、日本大使館ジャパン・イフォメーション・センター所長の松村一氏、元駐日インド大使アルジュン・アスラーニー氏、詩人ローケーシュ・チャンドラ、経済学者DKククレージャーなどに貴賓として出席していただいた。
詩会の前に、以下の3冊のヒンディー語書籍のブック・リリース(出版記念式典)も簡単に行われた。
- 日本とインドの子守唄(जापान-भारत के लोरीगीत)
- 日本の短編小説選集(जापान की चुनिन्दा कहानियाँ)
- 日本(जापान)山口博一著
2番目と3番目の本はブッディラージャー女史の翻訳であるが、1番目の「日本とインドの子守唄」は、ブッディラージャー女史と僕の共著である。2007年5月5日に「子守唄と童謡」をテーマに詩会を開いたが(参照)、そのときに集まった子守唄や童謡を一冊の本にまとめたのが同著である。正式な本という形では僕の処女作になる。ワーニー・プラカーシャンというヒンディー語出版界ではナンバー1の出版社が出資をしてくれたため、出版が実現した。今年3月には既に出版され、店頭にも並んでいるのだが、様々な事情によりなかなかブック・リリースをする機会が得られなかった。本日晴れて正式にお披露目されたというわけである。
日本とインドの子守唄
この本はヒンディー語と日本語のバイリンガル書籍になっている。インドで日本語の書籍を出版するのには大変な苦労が伴った。結局は僕がワードで作った何の飾りもない文書をそのまま本にしただけである。デザインははっきり言って同人誌レベルと言うのもおこがましい。だが、インドで日本語の書籍を出版できたことに意義があると言えよう。ちなみに、2番目の本もワーニー・プラカーシャンから、3番目の本は国営のナショナル・ブック・トラストから出ている。
さて、詩会の方であるが、基本的にはインド人の詩人にヒマーラヤについて詩を詠んでもらい、日本人には富士山について詩を詠んでもらった。また、詩会の雰囲気を深めるため、まずは両国の著名な文学作品からヒマーラヤや富士山についての詩をピックアップし、紹介することにしていた。インドからは、サンスクリット語詩人カーリダーサの「クマーラサンバヴァ」、ヒンディー語文学者ジャイシャンカル・プラサードの「チャンドラグプタ」や「カーマーヤニー」、同じくヒンディー語文学者ラームダーリー・スィン・ディンカルの「ヒマーラヤ」などを準備した。一方、日本からは、「万葉集」収録の山部宿禰赤人(やまべのすくねあかひと)や高橋虫麻呂(たかはしのむしまろ)の長歌、「新古今和歌集」収録の西行の短歌を用意した。ただ、インドではよくあることではあるが、賓客のスピーチが長引いてしまい、時間が押していたので、それら全ての詩を詠むことができなかった。
以下、山部宿禰赤人の長歌とそのヒンディー語訳を代表で掲載する。
天地の
別れし時ゆ
神さびて
高く貴き
駿河なる
富士の高嶺を
天の原
振り放け見れば
渡る日の
影も隠らひ
照る月の
光も見えず
白雲も
い行きはばかり
時じくぞ
雪は降りける
語り継ぎ
言い継ぎ行かむ
富士の高嶺は |
जबसे आकाश और पाताल का
वियोग हुआ,
तबसे देवतुल्य,
उच्च एवँ पुण्य रहा है फ़ुजि पर्वत,
सुरुगा देश में स्थित
उस फ़ुजि के शिखर को,
आकाश की ओर
मुँह उठाकर देखें तो,
चलते सूर्य का
प्रकाश भी छिप जाता है,
चमकते चंद्र की
उजाली भी नहीं दिखती,
श्वेत मेघ भी
टकराते रुक जाते हैं,
पल-पल
बर्फ़ पड़ती रहती है,
सुनते चलें,
सुनाते चलें प्रशंसा
फ़ुजि के शिखर की । |
次に、来賓の日本人による詩の朗読に移った。島田氏や松村氏、また、国際交流基金の保科輝之副所長などにも、詩を自作し、朗読していただいた。ブッディラージャー女史は大人しい外見ながら、誰にでも片っ端から詩作を強要するというアグレッシブなところがあり、何を隠そう僕自身もブッディラージャー女史に言われてヒンディー語で詩を書き始めた1人なのであるが、驚くべきことに、別に特別な訓練を受けていなくても皆素晴らしい詩を作ってくれるのである。詩心というのは基本的に誰にでもあるもので、それは誰かに引き出されるのを待っているだけなのかもしれない。人は詩を書くべきである、そう思わざるをえない。
僕は、ヒンディー語で「फ़ुजि का संदेश」という詩を作って朗読した。題名の意味は「富士からのメッセージ」である。この詩のコンセプトは、富士山から派遣された雲の大使がヒマーラヤのところに友情のメッセージを持ってやって来たというもので、富士山とヒマーラヤの同盟に日印友好を投影させた内容になっている。
सादर प्रणाम हिमालय, हम हैं फ़ुजि के राजदूत ।
फ़ुजि हमारे देश का, सबसे उच्च पहाड़ है
तेरी तरह समूह नहीं, इक अकेला कोह है
भूमि पर द्वितीय नहीं, नभ उसी के वश में है
हिम किरीट उसका भी, मेघ उसके सुत ही हैं
सिंधु छू रहा चरण, जो तुझे न अब मिले ।
ओ सुन महान हिमाद्रि, फ़ुजि को और जान लो ।
अचल शांत सौम्य है, शर्मिला भी है मगर
तन में सुलगता ज्वाल, अब फटे या ना फटे
देश का रक्षक है वह, सब का विनाशक भी है
तुझमें हैं उमा-महेश, उसमें भी हैं देवता
सुधा पी है शिखर ने, जो चढ़े अमर बने ।
जय हो विशाल हिमाचल, फ़ुजि का संदेश सुन ।
“ओ पश्चिम के नगेंद्र, सबसे बड़ा तू है पर
तू व मैं अलग कहाँ, हम पहाड़ ही तो हैं
तू दिवार मैं मिनार, एक ही कर्त्तव्य है
राष्ट्र के गौरव हैं हम, एकता के प्रतीक हैं
तू व मैं हैं समान, मित्र बनो हिमालय”।
मानो उदार नगाधिप, फ़ुजि से दोस्ती करो ।।
日本語訳は以下の通りである。日本語にするとだいぶ雰囲気が変わってしまうのだが、大体の内容は同じである。
ご機嫌麗しゅう御座いますヒマーラヤ閣下、
私は富士の大使で御座います。
富士は我らの国の、
もっとも高貴なる山で御座います
閣下のように山の集合体ではなく、
独立したひとつの山で御座います
地上に並ぶ者はなく、
天空を独占しております
閣下のように雪の冠を戴いており、
雲々の父で御座います
大海が足を触れております、
それは閣下がもはや得られない栄光で御座いましょう。
お聞き下さい偉大なるヒマーラヤ閣下、
富士の話をさらにお話し致します。
不動かつ静寂かつ沈着な山で、
時に恥ずかしがり屋でもありますが
体内には火を宿しておりまして、
いつ噴火するか分かりません
国の守護者でもあり、
全ての破壊者でもあります
閣下にシヴァ神夫妻がおわしますように、
富士も神々の住処となっております
その頂は霊薬を飲んでおりまして、
登った者は皆不死となります。
巨大なヒマーラヤ閣下に栄光あれ、
富士からのメッセージをお聞き下さい。
「西の山の王よ、
地上でもっとも偉大なのは貴山だ
しかし貴山と私の間に違いがあろうか?
同じ山ではないか
貴山は壁であり私は塔であるが、
両者の責務は同じだ
我らは国の誇りであり、
統合性の象徴である
貴山と私は同じである、
友情を結ぼうではないか。」
寛大なるヒマーラヤ閣下、
富士との友情をご承認下さい。
次に、来賓のインド人がヒマーラヤや富士山について詩を朗読した。そして最後に文部省唱歌「富士山」を歌って詩会は終了した。苦労して準備しただけあり、大成功だったのではないかと思う。
インドと日本の山に関する詩を集めて来た中で、やはり感じずにいられなかったのは、山に対する感情や、山が象徴するものが、両国民の間でかなり共通していることである。特に、万葉集の長歌で詠われている内容――天地の描写、雪や雲の描写など――は、そのままヒンディー語詩人たちが書いた定番の「ヒマーラヤ」詩の中に見出すことができる。しかし、インド人の詩に特徴的だったのは、ヒマーラヤを「沈黙の行者」「眠れる巨人」と見なしており、独立運動や社会改革の文脈で、「ヒマーラヤよ、今こそ目を覚ますときだ」と呼びかけていることである。日本人の詩は純粋に自然を賛美し、それを自分の思い出や感動と結び付けて表現していることが多いが、ヒンディー語詩人の詩は、何らかの世直しへの欲求を自然に託して表現することがよくあるように思える。
この詩会の成果も、もしかしたらまた本という形で世に出すことができるかもしれない。
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11月5日(水) 「屍衣(Kafan)」について |
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近現代のヒンディー語文学の代表として、「小説の帝王」と呼ばれる文豪プレームチャンド(1880-1936年)の「Kafan(屍衣)」が選ばれることが多いようである。300とも400とも言われるプレームチャンドの作品群の中で傑作を選ぶ際も、必ずと言っていいほどこの作品が入り込んで来る。「Kafan」はプレームチャンドの没年である1936年に書かれた短編小説で、彼の文学人生の完成形とも言える重要な作品だ。
しかし、インドについても、ヒンディー語文学についても、プレームチャンドについても、何も知らない人が純粋な気持ちでこの作品をヒンディー語文学の代表として読んだら、きっと失望するに違いない。作品の雰囲気は非常に暗く、ストーリーも気味悪く、後味も良くない。一度読んだだけでは、何を言いたいのかよく分からないだろう。そのままプレームチャンド文学から関心を失ってしまったり、最悪の場合はヒンディー語文学に見切りをつけてしまうこともありうるのではないかと思う。
しかし、「Kafan」が傑作であることには変わりがないのである。「Kafan」を本当に理解するには、プレームチャンドの作品を初期から念入りに読んで行く必要がある。彼は、インドの様々な問題――農民問題、カースト問題、不可触民問題、女性問題、独立運動、社会改革など――について小説を書いて来たが、それらの問題に対する理解は年を経るごとに徐々に深まって行き、「Kafan」に至ってそれが完成形と呼べるものにまで達した。だが、やはりつまみ食いの読者にそういう面倒な読解を要求するのは酷であり、ヒンディー語文学に対する理解を日本人の間で広めるには、「Kafan」の意義について日本語で解説をしておく必要があるのではないかと感じていた。
ところで、最近日本で小林多喜二の「蟹工船」が流行しているというニュースを見て興味を持った。「蟹工船」は、資本家に搾取され酷使された出稼ぎ労働者が団結して反乱を起こすまでが描かれた小説であり、日本が現在直面しつつある「格差社会」の現状を思わせる内容が受けたようである。いわゆるプロレタリア文学の代表作とされる「蟹工船」が発表されたのは1929年であり、プレームチャンドの時代とピッタリ重なる。そして作品のテーマもとても似通っている。プレームチャンドも階級間の摩擦をいろいろな形で書いたが、彼はガーンディー主義にも傾倒しており、「蟹工船」の結末のような暴力革命的解決法を手放しで賞賛することはなかった。「Kafan」で描かれている社会は、どちらかというと「蟹工船」よりもさらに危険な状態、つまり階級差がますます拡大し、労働階級が団結して反抗する気力すら失った社会である。「蟹工船」の世界は、プレームチャンドの1920年代の作品に近いと言える。「Kafan」を「蟹工船」との対比で読むのも、今のご時世にはなかなか面白いのではないかと思った。
というわけで、9ページほどの短編小説「Kafan」をササッと翻訳してみた(参照)。既に「Kafan」の邦訳は先人によって世に出ているが、公開しているのは自分自身の翻訳である。まずは作品を読んでいただきたい。
プレームチャンドの初期の小説では、先進的思想に目覚めた地主階級や資本階級が、自ら自分の封建的権力を放棄し、農民たちや労働者たちの福祉のために立ち上がるという理想主義的結末が用意されていることが多い。インドが英国支配から独立した暁には、支配階層の積極的な取り組みによって様々な社会問題も同時に解決され、平等で平和な世の中がやって来ると期待をしていたようである。だが、次第に彼は支配層の心変わりを諦め、逆に、被支配層自身の問題点や、このような格差のある世の中が続いたら近い将来どうなるかについて、作品で表現し始める。その考察の中で最後に辿り着いたのが「Kafan」の世界である。そこでは、社会システム全体が批判の的となっている。
「Kafan」の主人公であるギースーとマーダヴの父子は、嫁のブディヤーが出産で死にかけているにも関わらず、芋を炙って食べている。ブディヤーが死んだことで、情け深い村人たちから葬式のための寄付金が集まる。その金で死体の身を包む屍衣(Kafan)を買わなければならなかったが、彼らは屍衣を買う代わりに酒やごちそうを食べて浪費し、最後には酔っぱらって地面に倒れ込むというストーリーである。
主人公の一家は皮革業を生業とするチャマール・カーストであり、いわゆる不可触民である。だが、この作品では不可触民差別がテーマになっているわけではない。主人公の父子が村の爪弾き者なのは、彼らが不可触民だからではなく、怠け者で嘘つきで泥棒だからである。嫁のブディヤーは出産で死にかけているのに何もしてもらえず、そのまま死んで行くが、だからと言って女性問題に焦点が当てられているわけでもない。作品中には地主が出て来るが、プレームチャンドの他の作品のような悪徳支配階級ではなく、むしろ慈悲深い性格の人間として描写されている。では「Kafan」のテーマは何だろうか?この作品の主旨は、作品中の一文、「昼夜勤勉に働く者の生活状況が、この2人のような怠け者の生活状況と大して変わらないような社会、もしくは農民たちの弱みにつけ込むことを知っている2人のような者が農民たちより裕福であるような社会において、このような考え方が生まれることは別段驚くべき話ではない」に集約されている。つまり、貧乏人がいくら働いても搾取されて報われないような社会では、働かない方が得だという考え方が生まれても不思議ではないということであり、格差が是正されなかったら、社会を底辺から支える労働者の労働意欲は減退し、社会そのものが立ち行かなくなるということである。作品中、怠け者のゲースーとマーダヴは、社会の寄生虫として批判されているわけではなく、むしろ退廃的社会をうまく生き抜く賢い人間として賞賛されている。言わば覚醒した人間である。そして、このような覚醒者たちが次々に生まれて来る可能性がある社会システム全体に対して警鐘が鳴らされているのである。作品の終盤、屍衣を買うためのお金を使って飲めや食えやの大宴会をする2人を、周囲の人々はうらやましそうに眺めている。それが暗い将来を殊更に暗示している。
プレームチャンドは、様々な社会問題の根源を探る中で、「Kafan」に来て遂に境地に達したと言える。「Kafan」の結末に見られる達観は、プレームチャンドの最後の長編小説「牛供養(Go-dan)」にも対応している。「Go-dan」の主人公ホーリーは、牛が欲しいというささやかな願望を持つ農民であったが、働いても働いても借金は増えるばかりで、遂には農地を失い労働者に転落して過労死してしまう。一方、滅多なことでは働こうとしない怠け者のゲースーとマーダヴは、めでたくごちそうにありつけたのである。「Go-dan」の方も日本語訳はある。筑摩書房の世界文学大系第4巻インド集に収録されている。だが、既に絶版になっており、図書館で借りるか古本屋で購入するしかなく、しかも、完訳でない上にあまりいい日本語ではない。新訳が求められる。
日本の世相が、「蟹工船」がリバイバル流行するくらいに本当に暗いものになっているなら、もしかしたらプレームチャンド文学も今の日本人には受ける要素を持っているのではないかと感じる。
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11月7日(金) EMI Liya Hai To Chukana Padega |
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インドに住み、携帯電話を持つと、途端にいろんなところからセールスの電話がかかって来る。その多くは銀行からのローンのオファーである。裏を返せば、セールス人員を雇い、携帯電話保有者に片っ端から電話を掛けても利益が出るだけ、現代インドにはローンの潜在的顧客数が増大して来ているということであろう。そして遂にその社会現象はボリウッド映画のテーマにもなってしまった。本日より公開の「EMI」である。「EMI」とは「Equated
Monthly Installments」の略で、「等分割月賦」とでも訳そうか。言わば月払いのローンのことである。映画の正式タイトルは「EMI」のみのようだが、それだけだと記憶に残りにくいので、副題も含め、「EMI
Liya Hai To Chukana Padega」として紹介する。
題名:EMI Liya Hai To Chukana Padega
読み:イー・エム・アイ・リヤー・ハェ・トー・チュカーナー・パレーガー
意味:ローンを借りたら返さなければいけないだろう
邦題:ご利用は計画的に
監督:サウラブ・カーブラー
制作:スニール・シェッティー、シャッビールEボックスワーラー、ショーバー・カプール、エークター・カプール
音楽:チランタン・バット
歌詞:サリーム・モーミン、ハムザー・ファールーキー
振付:ボスコ・シーザー、ハルシャル&ヴィッタル
出演:サンジャイ・ダット、ウルミラー・マートーンドカル、アルジュン・ラームパール、マライカー・アローラー・カーン、アーシーシュ・チャウドリー、ネーハー・ウベーロイ、プシュカル・ジョーグ、クルブーシャン・カルバンダー、マノージ・ジョーシー、ダヤー・シャンカル・パーンデーイ
備考:PVRアヌパムで鑑賞。
上段左から、アーシーシュ・チャウドリー、ネーハー・ウベーロイ、
ウルミラー・マートーンドカル、マライカー・アローラー・カーン、
アルジュン・ラームパール
あらすじ |
舞台はムンバイー。DJのライアン(アルジュン・ラームパール)は、様々な銀行でクレジットカードを作り、それで大金を引き出しては悠々自適の生活を送っていた。彼のモットーは「死ぬまでに金を借りるだけ借りる」というものであった。ライアンはセクシーな女性ナンシー(マライカー・アローラー・カーン)と出会い、同棲し始める。
アニル(アーシーシュ・チャウドリー)とシルパー(ネーハー・ウベーロイ)はこれから結婚するカップルで、銀行から借りたお金を使って結婚式から新婚生活からハネムーンまで全てをアレンジした。
チャンドラカーント(クルブーシャン・カルバンダー)は定年退職した老人だった。彼の妻は既に亡くなっており、1人息子のアルジュン(プシュカル・ジョーグ)の行く末のみが心配だった。アルジュンはロンドンに留学したいという希望を持っていた。チャンドラカーントは銀行で100万ルピーのローンを組んで、アルジュンの留学費用を捻出した。
プレールナー(ウルミラー・マートーンドカル)の夫は、借金苦のために自殺してしまった。夫は生命保険に入っていたが、銀行は自殺者の遺族には保険金を支払わないと言う。保険金を手に入れるためには警察のレポートが必要であったが、警察も夫の死の原因を自殺と断定していた。もし保険金が下りればその額は2千万ルピーになるはずで、彼女はそのお金が必要だった。そこでプレールナーは、自殺を殺人に切り替えるためにマフィアのところへ行く。マフィアはその仕事のために100万ルピーの前金を要求する。プレールナーは仕方なくそのお金を銀行から借りて支払う。
1年が過ぎ去った。上記全てのローンは返済が滞っていた。
ライアンのところにはあちこちの銀行から借金返済の電話がかかって来ていた。ずる賢いライアンは口先だけでそれをかわしていたが、ナンシーに愛想を尽かされて逃げられてしまう。
アニルとシルパーは既に仲違いして別居しており、離婚のための調停を進めていた。だが、離婚をするためにもお金が必要だった。2人は結婚前に借りたお金も返しておらず、どうしようもない状態に置かれていた。
チャンドラカーントの息子のアルジュンはロンドン留学から帰って来たが、自然写真家になる夢を持っており、まだ定職には就いていなかった。チャンドラカーントは借金を返済するために再び仕事を始める。
未だにプレールナーの夫の死因は殺人にはなっていなかった。もうすぐ裁判所の判決が出るはずだったが、敗訴する可能性もあった。しかも、その仕事を頼んだマフィアが死んでしまう。プレールナーはさらにお金に困ることになった。
これらの借金を取り立てるため、銀行はプロの取り立て屋に仕事を依頼する。サッタール・バーイー(サンジャイ・ダット)率いるグッドラック・リカバリー・エージェンシーであった。サッタール・バーイーの部下たちは、負債者のところを次々と訪問し、借金返済を要求する。
だが、最近サッタール・バーイーは政治家になる夢を持っていた。親分のユースフから、人々から尊敬されなければ政治家にはなれないと忠告され、サッタール・バーイーは少しソフトな人間になる。サッタール・バーイーはアニルに対し、妻に謝れば全てうまく行くとアドバイスし、その通り2人の仲は回復する。父親が借金取り立て屋に脅迫されているのを知ったアルジュンは責任を感じ、自分が借金を返すと言い出す。ライアンはサッタール・バーイーの紹介で音楽会社に採用され、成功を手にする。また、サッタール・バーイーはプレールナーに一目惚れし、彼女を口説く。プレールナーが抱えていた案件もサッタール・バーイーの尽力で解決し、2人は結婚するのであった。 |
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悪人が世直しや人助けに一肌脱ぐという、「Munnabhai」シリーズの流れを汲む作品であった。無計画な借金を諫めるメッセージもあったが、基本的にはコメディー映画である。借金取り立て屋のサッタール・バーイーは、負債者から金をただ搾り取るだけではなく、彼らの悩みを聞き、その解決法を提示する。そのおかげで負債者が人生で抱えていた問題が解決し、皆ハッピーになるというストーリーであった。「Munnabhai」シリーズと同じくサンジャイ・ダットが主人公を演じていたため、類似性はどうしても否定できない。
それでも、中盤までは軽快に進み、流行のクロスオーバー映画(娯楽映画とアート映画の中道)の雰囲気があって好意的に見ていた。しかし、話がサッタール・バーイーとプレールナーの恋愛に辿り着いたところで一気に冷めてしまった。急に二流映画のテイストになってしまったのである。少なくともサッタール・バーイーは終わりまで硬派に構えているべきであった。プレールナーとのデート・シーンなどは全く場違いで、映画全体を崩壊させていた。下手に「Munna
Bhai」シリーズを真似た悪影響であろう。
サンジャイ・ダットは押しも押されぬスーパースターであるが、それ以外のキャストはほとんどB級と言える。最近上り調子のアルジュン・ラームパールが再び好演をしていたことと、普段はアイテムガール出演しかしないマライカー・アローラー・カーンが通常の役で出演していたことを除けば、特筆すべきことはなかった。
音楽はチランタン・バット。「Mission Istanbul」(2008年)でデビューした音楽監督だが、ボリウッド受けする曲を作る才能がありそうで、この映画のサントラCDも悪くはない。サンジャイ・ダットが歌うタイトルソング「EMI」やムンバイーの場末の雰囲気がよく出た「Vote
For Sattar Bhai」、アルジュン・ラームパールとマライカー・アローラー・カーンが踊るベリーダンス風「Chori Chori Dekhe
Mujhko」など、なかなか見所が多い。これから注目して行きたい音楽監督である。
「EMI Liya Hai To Chukana Padega」は、4組の負債者のストーリーを、借金取り立て屋役を演じるサンジャイ・ダットがとりまとめた、準オムニバス形式映画である。作り方によっては軽妙なクロスオーバー映画になったと思うが、脚本が弱く、無理に娯楽映画的な要素を詰め込んでしまった印象を受け、亀裂が生じていた。全体的な評価としては中の下である。
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11月7日(金) ムンバイヤー・ヒンディー講座3 |
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「これでインディア」では昔から、ムンバイー特有のヒンディー語、通称「ムンバイヤー・ヒンディー」または「タポーリー・バーシャー」の特集を行って来た。ヒンディー語映画はムンバイーで制作されているため、ムンバイーが舞台になることが圧倒的に多いし、台詞にもムンバイヤー・ヒンディーがよく使われる。特にマフィアやチンピラは必ずと言っていいほどムンバイヤー・ヒンディーを話す。よって、ヒンディー語映画愛好家は、標準ヒンディー語だけでなく、ムンバイヤー・ヒンディーも地道に学習しなければならないのである。以下が、「これでインディア」でムンバイヤー・ヒンディーを取り上げた記事である。
- 2004年4月10日:ムンバイヤー・ヒンディー講座
- 2004年12月5日:ヒンディー語講座マフィア用語編
- 2006年6月29日:ムンバイヤー・ヒンディー講座2
最近、金曜日のタイムス・オブ・インディア紙には、「What's Hot」というイベント情報誌が付随している。本日の「What's Hot」の表紙は、以下のように、ムンバイヤー・ヒンディー初心者向けABCチャートになっており、面白かったので、「ムンバイヤー・ヒンディー講座」の第3弾として、ここでひとつひとつ吟味してみようと思う。これは元々映画専門チャンネルHBOの広告である。
2008年11月7日(金)の「What's Hot」表紙
アプン。「自分」という意味である。ヒンディー語でも「自分の」という意味の「アプナー」という単語があるが、ムンバイヤー・ヒンディーでは、一人称代名詞に「アプン」をよく使う。日本語に敢えて訳すと「オイラ」みたいな感じだ。
バーイー。元々「兄弟」という意味であるが、日本語の「兄貴」が時々特別な意味を持つように、ムンバイヤー・ヒンディーの「バーイー」も「マフィアのドン」という特別な意味を持っている。大ヒット映画「Munnabhai」シリーズの「ムンナー・バーイー」も、正確に言えば、「マフィアのドン、ムンナー」という意味である。
チャマン。通常、ヒンディー語では「庭園」「花壇」という意味であるが、ムンバイヤー・ヒンディーでは、「馬鹿」などの罵詈雑言になる。同義語に「チャミヤー(Chammya)」「チャンパク(Champak)」などがある。
ダーダー。元々は「父方の祖父」または「兄」という意味であるが、ムンバイヤー・ヒンディーでは「マフィア」という意味になる。関連語に、「暴力行為」という意味の「ダーダーギーリー(Dadagiri)」がある。
イシュタイル。英語の「style」が訛った形。インドでは語頭に「s」に続く連続子音が来ると、「s」の前に「イ」などの母音が挿入されることがある。「school」→「イスクール」など。また、「s」が訛って「sh」になることもある。よって「style」は「イシュタイル」になるのである。
フルトゥー。おそらく英語の「full」から来ている単語であろうが、語源は正確には不明。「最上の」という意味で、酒を飲んだりエンジョイしたりするときによく使う。
例文:Tu kya roz Ful too hota hai? 「お前毎日酒飲むのか?」
ガーティー。元々の意味は「谷に住む人」。ムンバイヤー・ヒンディーでは、この言葉には2つの意味があるようである。ひとつは「マラーティー語話者」、もうひとつは「保守的な人」「頑固者」。どちらも侮蔑的な使われ方をするようである。
ハテーラー。「馬鹿」「狂人」という意味。語源は不明だが、おそらく「離れる」という意味の動詞「ハトナー」から派生していると思われる。「一般人の考えと離れてしまった人」という感じである。
アイテム。語源は英語の「item」である。ムンバイヤー・ヒンディーでは「美女」という意味。既にこの用法は全国に広まっている。映画においてダンスシーンのみ特別出演の女優を「アイテムガール」と呼ぶ。「高価な物」という意味のヒンディー語「マール(Maal)」も同様の用法で使われる。
例文:Kya Item hai yaar! 「わぉ、なんてかわい子ちゃんだ!」
ジャカース。「素晴らしい」という意味。ヒンディー語に「ピカピカの」という意味の「ジャク(jhak)」という単語があるが、それから派生してできた単語だと思われる。
カルチャー・パーニー。直訳すると「有料の水」みたいな意味だと思うが、ムンバイヤー・ヒンディーでは別に2つの意味がある。ひとつは、この絵から想像できるように、「賄賂」という意味である。もうひとつは「ぶん殴る」という意味。
例文:E du kya Kharcha Pani? 「あぁ?ぶん殴ってやろうか?」
ローチャー。「トラブル」という意味。語源は不明。同義語に「ラフラー(Lafda)」があり、「ローチャー・ラフラー」というようにセットで使用されることも多い。
例文:Bola na is loche pe mat pad? 「この問題に首突っ込むなって言っただろ?」
マーンドワーリー。「和解」という意味。語源は不明。
例文:Chal bhai ke saath Mandvaali kar le. 「ほら、兄貴と和解しろ。」
ヌッカル。「街角」「路地」という意味。これは標準ヒンディー語でも使われる単語である。
オエ。文字通り「オイ」という呼びかけ。相手を脅すときに使う感動詞。
ペーティー。第一義は「小箱」「スーツケース」という意味。だが、ムンバイヤー・ヒンディーではこの単語はお金の単位で、「10万ルピー」を示す。類義語に「コーカー(Khoka)」があるが、こちらは「1000万ルピー」。武器や麻薬の売買時に隠語としてよく使われているようである。
カルティー。英語の「quality」の訛った形だと思われる。
ラープチク。「刺激的な」「セクシーな」という意味。
例文:Kya Raapchik maal hai yaar! 「なんてセクシーな女だ!」
シャーナー。元々は「ハンサムな男」ぐらいの意味だが、ムンバイヤー・ヒンディーでは「かっこつけすぎの男」という悪い意味で使われることが多い。
例文:Tu kya shaana hai kya? 「何だお前、キザ野郎か?」
タプカー。ムンバイヤー・ヒンディーでは「殺す」という意味。ヒンディー語で「タプカーナー」と言ったら「滴をしたたらせる」という意味の動詞であるが、おそらく「血をしたたらせる」というニュアンスで使っているのであろう。
ウター・デー。直訳すると「持ち上げろ」。ムンバイヤー・ヒンディーでは「殺す」「殴る」「誘拐する」など、あらゆる暴力行為に使われる。
例文:Usko duniya se Utha de. 「あいつを殺せ。」
ヴェッラー。ムンバイヤー・ヒンディーで「鈍感な人」という意味。南インド起源の言葉と思われる。
ワート。ムンバイヤー・ヒンディーでよく使われる言葉で、「トラブル」という意味である。前述の「ローチャ」や「ラフラー」も含め、ムンバイヤー・ヒンディーには「トラブル」という意味の単語がとても多い。他に「ワーンダー(Waanda)」、「ゾール(Zor)」、「ラーダー(Raada)」など。
例文:Waat lag gai. 「大変なことになった。」
クーン(?)。おそらく「血」という意味の言葉だと思われるが、このような表記は普通しない。
イェーラー。ムンバイヤー・ヒンディーで「ずる賢い人」「裏でこそこそ悪事を企む人」という意味。
ザースティー。「多くの」という意味。普通に使う単語である。
アルファベットの関係で、無理矢理ひねり出したような単語もいくつかあったが、概してイラスト付きで分かりやすく説明されているものが多く、非常に参考になった。「Munnabhai」に登場するサーキットを目指して、これからも日々ムンバイヤー・ヒンディーを鍛錬しようと思う。バス・キャー?
11月中旬は日本に一時帰国していたが、その間にいくつか重要なヒンディー語映画が公開された。なるべく見逃さないようにひとつずつ見て行く予定である。帰国後すぐに見ることにしたのは11月14日公開の「Dostana」。ボリウッドのカリスマ的映画監督カラン・ジャウハルがプロデュースした、ゲイをテーマにしたコメディー映画である。
題名:Dostana
読み:ドースターナー
意味:友情
邦題:Gな2人
監督:タルン・マンスカーニー
制作:ヒールー・ヤシュ・ジャウハル、カラン・ジャウハル
音楽:ヴィシャール・シェーカル
歌詞:アンヴィター・ダット・グプタン、ヴィシャール・ダードラーニー、クマール
振付:ヴァイバヴィー・マーチャント、ファラー・カーン
出演:アビシェーク・バッチャン、ジョン・アブラハム、プリヤンカー・チョープラー、ボビー・デーオール、スシュミター・ムカルジー、キラン・ケール、ボーマン・イーラーニー、シルパー・シェッティー(特別出演)
備考:PVRプリヤーで鑑賞。
左から、ジョン・アブラハム、アビシェーク・バッチャン、プリヤンカー・チョープラー
あらすじ |
舞台はアメリカ合衆国フロリダ州マイアミのビーチ。ロンドン生まれのサミール(アビシェーク・バッチャン)は、マイアミの病院で看護師をしていた。また、不法滞在中のクナール(ジョン・アブラハム)はファッション写真家をして生計を立てていた。2人とも大のプレイボーイで、度々顔を合わすことになるが、最初は特にお互い気にしていなかった。しかし、2人とも新居を探していることが分かると、ある作戦が浮上する。
2人は高級マンションの一室に空き部屋を見つけており、是非ともそこに住みたいと思っていた。しかし、部屋の大家(スシュミター・ムカルジー)は女性の入居者しか認めていなかった。そこで2人はゲイ・カップルだということにし、無害で、しかもいざとなったら心強いガードマンになることを売りにアピールする。大家も考え直し、2人の入居を認める。しかし、そこに一緒に住むのはその大家ではなく、彼女の姪のネーハー(プリヤンカー・チョープラー)であった。ネーハーはファッション雑誌で編集の仕事をしていた。
ネーハーは極上の美人で、2人は一瞬にして恋に落ちる。だが、ゲイだと自称して入居したからにはなかなか本当のことを切り出せなかった。また、住所登録のために移民局を訪れるが、そこでゲイ・カップル用の申請窓口があり、ゲイは優遇されていることを知ってクナールは大喜びする。彼は不法滞在中であったが、ゲイであることにすればすぐに滞在許可が出ることが分かったからである。
だが、ロンドンに住むサミールの母親スィーマー(キラン・ケール)は、息子がゲイであると知って驚き、マイアミまで押しかけて来る。また、移民局のオフィサーも2人が本当にゲイであるか確かめに来るが、実際は彼自身がゲイで、2人に気があったのであった。さらに、ネーハーの上司でゲイのM(ボーマン・イーラーニー)まで家にやって来る。彼らの家は大混乱に陥るが、特に騒動の原因となったのはスィーマーであった。だが、ネーハーの説得によって考え直したスィーマーは、サミールとクナールの仲を認める。次第に2人のゲイと1人の女の子の奇妙な同居生活が軌道に乗って行き、3人の間で友情が芽生え始める。
その頃、ネーハーの上司Mはライバル雑誌にヘッドハンティングされてしまい、その後釜としてアビマンニュ(ボビー・デーオール)という青年が編集長の座に就く。ネーハーは自分が編集長になれると思い込んでいたため、アビマンニュに敵対心を燃やすが、アビマンニュは彼女の才能を引き出し、成功を褒め称える。その中でネーハーはアビマンニュに恋するようになる。
ネーハーにアビマンニュという恋人ができたことに危機感を募らせたサミールとクナールは、何とか2人の仲を裂こうとする。アビマンニュの最大の弱点は息子であった。彼は前妻と死別しており、5歳の息子と同居していた。2人は息子に継母の恐ろしさを吹き込む。アビマンニュはネーハーにプロポーズしようとするが、息子の反対を受けてそれを諦める。また、ネーハーはこのとき、サミールとクナールが本当はゲイではないこと、そして2人が彼女に恋していることを知って大きなショックを受ける。
サミールとクナールは家を追い出されることになった。2人は、てっきりアビマンニュとネーハーが婚約したと思い込んでいたが、アビマンニュが息子の反対を理由にプロポーズしなかったことを知って、自分たちの行為のせいだと悟る。そこでアビマンニュとネーハーに許しを乞いに行く。アビマンニュは条件として、公衆の面前でキスをするように言う。サミールとクナールは顔をしかめるが、思い切って2人はキスをする。それを見てネーハーはサミールとクナールに駆け寄り、抱き合う。3人の友情はこのとき再び復活したのであった。 |
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インドでは同性愛は犯罪である。インド刑法(IPC)第377条に、自然に反する性交を行った者は、最高で無期懲役に処せられると明記されている。この法律は英領インド時代の1860年に起草されたものであるが、現在までそのままの形で残存しており、最近では物議を醸してもいる。同性愛者に対する軽蔑の念もインドでは非常に強い。それでもインドに同性愛者は存在し、デリーやムンバイーのような大都市では、同性愛者が集まるスポットというものも時々耳にする。ボリウッドも時代の変遷を敏感に察知し、同性愛を映画のテーマに巧みに織り込んで来た。もっとも有名なのは、2004年に公開された「Girlfriend」である。この映画ではレズビアンが主人公になっており、当時は大きな問題になったものだった。あれから4年、今度は男性同士のホモセクシャリティーをテーマにした映画が公開された。プロデューサーのカラン・ジャウハル自身がゲイなのではないかと思うが、とりあえずそれは置いておいて、映画の内容を吟味して行こう。
予告編を見た段階では、主演の男優2人がゲイで、彼らの人生に1人の美女が入り込んだことがきっかけで2人がストレートに目覚めてしまうというストーリーを予想していたのだが、実際は2人がゲイではなく、ヒロインと同居するためにゲイだと偽っただけであった。よって、正確には「Dostana」はゲイを主人公とした映画ではなく、ゲイではない男たちがひょんなことからゲイということになってしまった状況を笑うコメディーになっている。しかし、偽りから生まれた3人の友情ではあったものの、最後にはそれが本当に男女の垣根を越えた友情に昇華されており、それが映画の真のテーマになっていた。よって、「Dostana」は、同性愛を真っ向から扱った「Girlfriend」と比べるよりも、男女間の純粋な友情は可能かどうかという命題に触れた「Jaane
Tu... Ya Jaane Na」に近いテーマを持った映画だと言える。
それでも、「Dostana」中には本当のゲイ役も登場し、同性愛というタブーに触れた映画であることには変わりがない。カラン・ジャウハル監督は「Kabhi
Alvida Naa Kehna」(2006年)で結婚後の恋愛の成就という、インド映画が今まで避けて通って来た結末を用意し、インドの保守的な観客層からそっぽを向かれたが、今回はよりソフトなタブーに無難な方法で挑戦したと言える。評判は上々のようで、既にヒット作と記録されている。
さらに、ゲイをテーマにしたコメディーの他、「Kuch Kuch Hota Hai」(1998年)、「Kabhi Khushi Kabhie
Gham」(2001年)、「Taare Zameen Par」(2007年)など、過去のヒット作のパロディーもあり、ボリウッド映画ファンは特に存分に楽しめる映画となっていた。
主演のアビシェーク・バッチャン、ジョン・アブラハム、プリヤンカー・チョープラーは、スクリーン上での相性も良く、映画をいい方向へ持って行っていた。3人とも最近少し下降気味であったが、この映画のヒットでひとまずキャリアを安定させたと言っていいだろう。特筆すべきはジョンの肉体であろう。ますますムキムキになっており、しかもカメラが彼の肉体を最大限に強調していた。もちろんプリヤンカーのセクシーショットも多かったのだが、ゲイ観客にアピールすることを少し念頭に置いているのではないかと感じた。映画のクライマックスではアビシェークとジョンのキスシーンもあるが、インド映画伝統のキスシーン・テクニック(本当にキスしていなくてもキスしているように見える撮影技術)が使われており、2人が本当にキスしているかは不明である。
主演以外では、ボビー・デーオールが重要な脇役として登場し、シルパー・シェッティーが冒頭のダンスシーン「Shut Up & Bounce」でアイテムガール出演していたのが特筆すべきであろう。名脇役俳優に数えられるボーマン・イーラーニーやキラン・ケールは、今回は一瞬のみの出演であった。むしろ、ヒロインの叔母を演じたスシュミター・ムカルジーの方が目立っていた。
音楽はヴィシャール・シェーカル。アップテンポのダンスナンバーが多い。主演の3人が踊る「Desi Girl」、シルパー・シェッティーのアイテムナンバー「Shut
Up & Bounce」などがいい。
「Dostana」は、ゲイをテーマにした映画ではあるが、題名通り、真のテーマは友情であり、しかもそれは男女間の友情である。ライトなノリのコメディーに仕上がっており、誰でも気軽に楽しめるだろう。
毎年11月が日本文化月間になっていることは、11月3日の日記で触れた通りである。この間、デリーをはじめ、インド各地で数々の日本文化紹介行事が行われて来たが、残念ながら日本に一時帰国していたため、それらに参加することはできなかった。しかし、11月28日~29日に、日本文化月間行事の一環としてデリーのジャパン・ファウンデーション(国際交流基金)において開催された国際啄木学会インド大会だけは、主催者のウニーター・サチダーナンド教授(デリー大学)から助力を頼まれていたこともあり、欠席することができなかった。今回の日本帰国は個人的かつ特別なもので、日本で少しゆっくりすることもできたのだが、この国際啄木学会インド大会があったため、その日程に合わせてインドへ帰国せざるをえなかった
まず、僕の知る範囲で、国際啄木学会がインドで開催されることになった経緯を説明しようと思う。国際啄木学会は、その名が示す通り、明治時代の詩人、石川啄木の研究者が集う学会である。また、「国際」を冠していることからも分かるように、1989年の発足当初から国際的学会として活動することが主眼に据えられていたようで、1991年の第2回大会では既に台北大会が開かれている。その後も日本各地での大会の合間に、台湾、韓国、インドネシアなどアジアの国々で大会が開かれて来た。よって、インド大会が実現した背景には、まずは学会自身が持つ国際的志向性があったのだと思われる。
しかしそれだけではインド大会は実現しなかっただろう。多くの日本人にとって、インドはまだまだ遠い国であり、そのような土地において、日本の詩人をテーマにした学会を開くなど、何の人脈もなければ誰が思い付いただろう?インド大会実現の最大の動力源となったのは、日印の学者同士の個人的ネットワークであった。ジャワーハルラール・ネルー大学(JNU)で日本語・日本文学を教えるPAジョージ教授は、宮沢賢治の研究者で、彼の故郷にある岩手大学に客員研究員として赴任したことがあった。そのとき、石川啄木の研究者で、当時は岩手大学教育学部学部長(現在は盛岡大学学長)の望月善次教授と出会い、交流が生まれた。PAジョージ教授は、デリー大学で日本語を教えるかたわら、石川啄木を研究しているウニーター・サチダーナンド教授を望月教授に紹介した。ウニーター教授は、望月教授の力添えもあり、2005年にインド啄木学会「あこがれの会」を発足させた。言うまでもなく、会の名称は石川啄木の詩集から命名されている。2006年11月3日には、望月教授がデリーに招聘され、石川啄木の詩をテーマにした朗読会・講演会が開催された。この会には僕も参加しており、そのときの様子は日記でも報告している(参照)。
その後もウニーター教授と望月教授の親交に後押しされた日印文学関係者の交流は続いた。そして遂に今年11月、国際啄木学会がデリーで開催されることが決定したのである。会長の太田登教授をはじめ、学会に所属する日本人学者20名あまりが、ムンバイーのテロや州議会選挙に揺れるデリーを訪れた。
インド側の出席者もそうそうたる顔ぶれであった。著名な文芸評論家で教育者のナームワル・スィンをはじめ、スレーシュ・サリル、ガンガー・プラサード・ヴィマル、プラヤーグ・シュクラ、マンガルムールティ、ラージ・ブッディラージャー、トゥルスィー・ラマン、ジャーナキー・プラサード・シャルマー、ノーマーン・シャウク、ファルハト・エヘサースなど、現代のヒンディー語とウルドゥー語の文学界を代表する文学者、詩人、編集者、研究者、教育者が出席していた。ジャワーハルラール・ネルー大学やデリー大学からも、ヴァリヤーム・スィン、ランジート・サーハー、アンワル・パーシャーなど、現役の教授がやって来て会を盛り上げていた。ただ、2日目の11月29日は運悪くデリー州議会選挙投票日と重なってしまい、午前中はインド人出席者がほとんどいなかった。多くの人々は投票を済ませた後に会場に駆けつけたようである。
ウニーター教授はインド人のギリギリズムを体現しているような人物なのであるが、今回は前もって精力的に動いており、かなり盛りだくさんの内容になっていた。2日間とも朝から晩まで息をつく間もないほど日程が詰まっていた。学会であるのでメインは研究発表になるが、その他、文化行事として、石川啄木の詩を題材にした舞踊劇、絵画や写真の展示、ムシャーイラー(ウルドゥー詩朗読会)などが盛り込まれていた。特に、啄木の詩を舞踊劇や絵画などの視覚的芸術に昇華させる試みは非常に斬新であった。ちなみに、舞踊劇はプラヤーグ・シュクラが監督し、絵画部門ではアヌ・ジンダルやマダン・ラールなどの著名な芸術家が参加した。
2006年のときに僕は石川啄木の短歌をいくつかヒンディー語に翻訳したのだが、今回も彼の1篇の詩をヒンディー語に翻訳し発表した。ウニーター教授から啄木の詩集を渡され、この中から好きなのを選べと言われたので、パラパラとページをめくりつつ流し読みしたのだが、その中でひとつ、なぜか印象的だったものがあった。そういう直感は時にとても創造的な果実をもたらすので、それに素直に従い、僕はその詩を訳すことに決めた。それは、明治38年(1905年)に石川啄木が書いた「古苑(ふるぞの)」という長詩である。この詩は、「黄草集」と題した詩稿ノートの中に収められていたもので、刊行された詩集には掲載されていない。東京滞在中の明治38年3月~4月の間に書かれたため、第一詩集「あこがれ」直後の詩ということになる。まずは原文を掲載する。
古苑
夜の風吹くよ、和らや、
この古苑、
若葉の木の間に、沈み心地、
夜の手に曳かれて、われ今。
旅の身なにか知らむや、
ただあこがれ、
春行く方をぞたづねわびの
さまよひ、今宵(こよひ)はこの苑。
荒れたり、これや、(知らねど)
古きかたみ、
白石くづれし榻のかたへ、
半らば枯れたる桜樹。
見よ、見よ、照るは三日月、
老さくらの――
残んのあはれや、――一重花に、
若眉さびしのほのめき。
白石小榻くづれて、
長ももとせ、
人こそ凭らざれ、おもひいでの
涙か、花散るけはひよ。
いでいで、夢よ、今こそ、
花降る夜半、
さめきてうたへや、ふるき歌を、――
ここにし逢ひけむ二人の。
(恋皆、花も、なべての
うるはしきは、
市にか葬られ、春も去にて、
古苑、――月さへ沈みぬ。)
(あまき口吻、清らの
あこがれ、はた
かくこそ荒むや。)――若き我は
涙もさめざめ。鐘鳴る。
夜の風ほのか。(この身の
とはの栖家
ありや。)と思ふに、夢に啼くか、
いにしへなつかし、鶯。
旅の身、春を追ひ来て、
この古苑、
若胸、おもわに、一重花の
口吻しげきをただ泣く。
ヒンディー語訳は以下の通りである。
पुराना बाग़
रात की हवा चलती है, मुलायम,
इस पुराने बाग़ में,
कोंपल भरे पेड़ों के बीच, डूबते,
रात के हाथ से खंचे चला आया हूँ, मैं आज।
मुसाफ़िर जो हूँ, क्या जानूँ, अभिलाषा के सिवा,
गुज़रती बहार का पीछा करके
भटकते, पहुँचा हूँ इसी बाग़ में आज की रात।
उजड़ चुका है, यह वही है?, “लगता तो नहीं”
एक पुराना यादगार,
संगमरमर की टूटी बेंच के पास,
खड़ा है सकुरा का पेड़ मुरझा-सा।
देखो, देखो, चमक रहा है नया चाँद
पुराने सकुरा के...
बेचारे कितने बचे हैं, ...फूलों पर,
पड़ रही है धुँधली चाँदनी।
संगमरमरी बेंच को टूटे,
मानो सैकड़ों साल हुए,
कोई आया न होगा, बीते दिनों की याद में
आँसू, या पंखड़ियाँ गिर रही हैं।
आ जा आ जा, सपना, इसी वक़्त,
बरसती पंखड़ियों की रात में,
जाग आके सुना दो, पुराना गीत, ...
उन दोनों का जो मिला करते थे यहीं।
“प्यार सब, फूल भी, जो भी
ख़ूबसूरत था,
बाज़ार में दफ़नाया गया, बहार भी चली गई,
और पुराने बाग़ में... चाँद भी डूब गया।”
“मीठा चुंबन, निर्मल
अभिलाषा, आखिर,
किस हद तक उजड़ गई।” ... मैं एक जवान
ज़ार-ज़ार रोया। घंटी बजी।
रात की हवा है मुलायम। “मुझे अपना
हमेशा का घर
क्या मिल जाएगा।” सोचा तो, मानो सपने में कूका,
पुरानी यादें सताता है, उगुइसु पक्षी।
सफ़र के बीच, बहार का पीछा कर आया,
इस पुराने बाग़ में,
जवान दिल को, मुँह को, सकुरा की पंखड़ियाँ
चूमती रहीं और मैं रोता रहा।
ひとつの詩が人間の心に与える影響は時に甚大で、この詩と出会った当時(今年10月頃)、僕の頭からしばらくこの詩が抜けなかったのを覚えている。流浪の身となった若者は、かつてよく訪れていた公園を再訪する。当時と違いすっかり荒れすさんでしまった公園の中の、老いた桜のそばに、ポツンと佇む、崩れかけの大理石製ベンチ。かつてここに座って逢い引きを繰り返していた2人――僕は啄木と彼の昔の恋人だと読んだ――を思い出し、若者は涙を流す。すると、どこかで鐘が鳴り、まるで夢の中のように鶯が鳴き、そして、老桜に残ったなけなしの花びらが若者の全身を接吻しながら散って行く・・・あたかも昔の恋人の思念がその桜に乗り移り、彼を慰めているかのように・・・。なんと美しい情景だろう・・・。ウルドゥー語文学のガザル詩の持つ雰囲気と似ていたため、意図的にウルドゥー語彙を多用して翻訳した。
ところで、この詩の中には「あこがれ」という言葉が2度出て来る。この言葉は啄木の詩集の題名にもなっており、啄木文学の中でも特に重要な意味を持っていると言えるだろう。それをヒンディー語でどう訳したらいいのか、ということを、その場で少し議論させていただいた。その過程で得られたヒンディー語文学者やインド人日本語学者の意見をもとに、ここでも少し議論してみたいと思う。
まず、古賀勝郎氏の「日本語-ヒンディー語辞典」を見てみると、「あこがれ」の項には以下の単語が挙げられていた。
उत्कट इच्छा; तीव्र कामना; ललक; उत्कंठा; दिली आरज़ू; तमन्ना
これらを再び日本語に訳すと、どれも「強い欲求」「切実な願望」などになる。「あこがれ」は欲求のひとつに違いないのだが、しかしその度合いが強いだけのものではないと思う。よって、これらの単語に何か物足りなさを感じた。まず、「あこがれ」とは決してネガティブな欲求ではないと思う。金や権力などに対する低俗な欲求や、性的欲求などにはあまりこの言葉は使われない。この言葉から貪欲さは感じられないのである。あくまで前向きの欲求、純粋な願望だと思う。それと関連していると思うが、「あこがれ」の中には、欲求を満たそうとするアグレッシブな態度が必ずしも同居していない。実現を不可能または困難だと知りながらも心の中に留め置き、いつかの実現を願う純粋な願望をかなりの部分含んでいると感じる。そういう意味では祈りに近い言葉だ。また、「日本語-ヒンディー語辞典」では、用法の例として「憧れの眼差しで」を挙げ、その訳として「प्रशंसित
नज़र से」と書いているが、これを再び日本語に訳すと「賞賛の眼差しで」になる。確かに「あこがれ」の中には賞賛の念も含まれており、こちらは素直に同意できる。
それらのニュアンスを正確に含む単語を僕はヒンディー語の中に見つけることができなかったが、一応「अभिलाषा(アビラーシャー)」というサンスクリット語起源の言葉を使うことにした。ウルドゥー語彙(つまりアラビア語・ペルシア語起源の言葉)を多用する中で敢えてサンスクリット語起源の言葉を使うことで、欲求の純粋さを際立たせようとしたのであるが、そういう感覚が果たして一般のインド人にあるかどうか分からず、ただの独りよがりなものになってしまったかもしれない。プラヤーグ・シュクラ氏には「あこがれ」の訳語として「कामना(カームナー)」を提示していただいた。「日本語-ヒンディー語辞典」でも挙げられていた単語だ。確かに「कामना」には「欲求」の中に「祈り」のニュアンスが入り、もしかしたらこちらの方が近い単語かもしれない。しかし、響きが美しすぎて、訳詞の中に埋没してしまうような気もするのである。この単語はサンスクリット語起源ではあるが、ウルドゥー語彙との相性が良すぎるのだ。「あこがれ」は啄木文学の中でもっとも重要な言葉のひとつであるため、読者や聴衆がふと立ち止まるようなインパクトがこの言葉の訳語に欲しい。また、日本文学研究者のPAジョージ氏は、「あこがれ」の英語訳を「yearning」だとし、それに対応するヒンディー語訳を探すべきだと提案されていた。おそらく「yearning」にもっとも近い単語は、動詞ではあるが、「तरसना(タラスナー)」になるだろう。だが、「तरसना」という単語からは、身をよじらせて悶え苦しむような強烈な欲求が感じられ、「あこがれ」のためには強すぎる単語なのではないかと思った。同じくジャワーハルラール・ネルー大学で日本語を教えるアニター・カンナー教授には「ख़्वाहिश(カーヒシュ)」を提示していただいた。「तमन्ना(タマンナー)」と共に、透き通った響きを持つウルドゥー語系の単語である。もしウルドゥー語彙で訳詞の語彙を統一するなら、このどちらかを使っただろう。さらに、石川啄木を初めてインドの文壇に紹介したインド人文学者スレーシュ・サリルは、詩集「あこがれ」を「लालसा(ラールサー)」と訳している。「लालसा」は、「欲望」に近いニュアンスを持つ言葉で、やはり「あこがれ」の持つすがすがしさとは相容れないと感じる。よって、これら全ての議論を終えた後でも、僕は「अभिलाषा」を敢えて使い続けたいと思い、ここで掲載した訳詞でもそのままにしておいた。
個人的に嬉しかったのは、前回の石川啄木の会で僕が訳した啄木の以下の短歌が、今回かなり高く評価してもらえたことだ(前回刊行されたパンフレットが今回も配布された)。ナームワル・スィン教授とヴァリヤーム・スィン教授の2人に、啄木文学を象徴する代表的短歌として引用してもらえた。
ふるさとの訛(なまり)なつかし
停車場の人ごみの中に
そを聴きにゆく
सुनाई पड़ी बोली देश की अपने
भीड़ के बीच स्टेशन में परदेश के
सुनने गया यह आई कहाँ से
実は僕も自分で会心の訳詞だと思っていたので、それを正当に評価してもらえたことは非常に幸福であった。
ムシャーイラーのセッションでは、まず日本大学の岡野久代教授をはじめとする国際啄木学会のメンバーが、石川啄木の詩を朗読したり、歌ったり、ラヴィーンドラナート・タゴールのギーターンジャリの訳詞を朗読したりした。岡野氏が最初に読んだ「君が花」という詩がとても美しく感銘を受けたので、ここでヒンディー語に訳してみた。これは「あこがれ」に収録されている詩である。
君が花
君くれなゐの花薔薇(はなそうび) 白絹かけてつつめども 色はほのかに透きにけり。 いかにやせむとまどひつつ、 墨染衣(すみぞめごろも)袖かへし 掩(おお)へども掩へどもいや高く
花の香りは溢れけり。
ああ秘めがたき色なれば、 頬にいのちの血ぞ熱(ほて)り、 つつみかねたる香りゆゑ 瞳に星の香も浮きて、 佯(いつ)はりがたき恋心、 熄(き)えぬ火盞(ほざら)の火の息に 君が花をば染めにけり
तुम हो फूल
तुम हो फूल लाल गुलाब
तुम्हें सफ़ेद रेशम से लपेटता हूँ फिर भी
तुम्हारा रंग हल्का-सा दिख जाता है
सोचते हुए कि क्या करूँ कैसे छिपाऊँ
कमीज़ की काली बाँह बढ़ाकर
तुम्हें ढाँकता हूँ मगर इस बार
तुम अपनी गंध तेज़ महका देती है।
आह! न छिपता है तुम्हारा रंग इसलिए
गालों में ज़िन्दगी का लहू जल जाता है
न ढकती है तुम्हारी गंध इसलिए
आँखों में महकते सितारे चमक आते हैं
छिपाते न छिपता यह प्यार
बुझाते न बुझता यह दीया जिससे
तुम्हारे फूल को और भी रंग देता हूँ।
ムシャーイラーの後半では、ウルドゥー語詩人たちが自作の詩を朗読した。その中でジャーナキー・プラサード・シャルマー氏は、現代インドが直面するテロやコミュナリズムに対抗するため、特に11月26日に発生したムンバイー連続テロ事件を引き合いに出し、ウルドゥー語詩人カイフィー・アーズミーの有名な詩「ソームナート」を朗読した。僕の稚拙な日本語訳と共にここで紹介する。1024年にガズナ朝のメヘムードが、グジャラート地方の有名なヒンドゥー教寺院であるソームナート寺院を侵略するという歴史的事件があったが、それを題材にしながら、過激な原理主義を批判した詩である。
सोमनाथ
बुत शिकन कोई कहीं से भी न आने पाये
हमने कुछ बुत अभी सीने में सजा रक्खे हैं
अपनी यादों में बसा रक्खे हैं
दिल पे ये सोच के पथराव करो दीवानो
कि जहाँ हमने सनम अपने छिपा रक्खे हैं
वहीं ग़ज़नी के ख़ुदा रक्खे हैं
बुत जो टूटे तो किसी तरह बना लेंगे उन्हें
टुकड़े-टुकड़े सही दामन में उठा लेंगे उन्हें
फिर से उजड़े हुए सीने में सजा लेंगे उन्हें
गर ख़ुदा टूटेगा हम तो न बना पायेंगे
उसके बिखरे हुए टुकड़े न उठा पायेंगे
तुम उठा लो तो उठा लो शायद
तुम बना लो तो बना लो शायद
तुम बनाओ तो ख़ुदा जाने बनाओ कैसा
अपने जैसा ही बनाया तो क़यामत होगी
प्यार होगा न ज़माने में मुहब्बत होगी
दुश्मनी होगी अदावत होगी
हमसे उसकी न इबादत होगी
वहशत-ए-बुतशिकनी देख के हैरान हूँ मैं
बुतपरस्ती मेरा शेवा है कि इंसान हूँ मैं
इक न इक बुत तो हरएक दिल में छिपा होता है
उसके सौ नामों में इक नाम ख़ुदा होता है
ソームナート
どんな偶像破壊者も、どこからも侵入できないだろう
我らは胸の内にまだ像を祀っているから
記憶の中に安置しているから
投石する前に今一度考えてみよ、狂信者たちよ
我らが神様を隠している場所は
お前たちの神が住んでいる場所と同じなのだ
像が壊されても、何とかして作り直すだろう
粉々に砕かれても、破片をひとつひとつ拾い集めるだろう
荒れ果てた心を再び飾り立てるだろう
もし神自身が消滅したなら、誰も作り直せないだろう
その破片を拾い集めることもできないだろう
拾いたければ拾うがいい
作りたければ作ればいい
神を作るとしてもどのように作るのか?
自らのように作ったら破滅が来るだろう
愛されることも崇められることもないだろう
恨まれるだろう、憎まれるだろう
そして我らはそれを敬わないだろう
偶像破壊の熱狂を見て私は驚いている
偶像崇拝は人間としての私の信仰だ
誰の心にも何かしらの像が宿っているものだ
何百もあるそれらの名前のひとつが神であるに過ぎない
2日間に渡って開催された国際啄木学会インド大会は、デリー州議会選挙と重なるという不幸があったものの、日印両国から多くの出席者を集め、盛りだくさんの日程を何とか消化しながら、ムシャーイラーによって引き起こされた詩的興奮をクライマックスとして、終了した。大成功と言えるのではなかろうか。
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11月30日(日) Oye Lucky! Lucky Oye! |
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ここ数年、ボリウッドではユニークなセンスと斬新なアイデアを持った若い映画監督が次々に登場しており、インド映画の多様化に貢献して来ている。低予算ながらスマッシュヒットを飛ばした「Khosla
Ka Ghosla!」(2006年)でデビューしたディバーカル・バナルジー監督もその一人である。「Khosla Ka Ghosla!」は、マイホームを夢見る一般庶民が直面する不動産マフィアの問題を、真剣に、かつコミカルに取り扱った絶妙な作品で、多くの人々の共感を呼び、口コミの力でヒット作に化けた。ディバーカル監督は、名前から察するにベンガル人なのだが、生まれも育ちもデリーで、同作品の舞台もデリーだった。ボリウッド映画はムンバイーで作られるため、ムンバイーが舞台になることが非常に多いのだが、最近ではデリー・ロケが一種の流行となっており、映画中にデリーの風景が出て来ることはもはや珍しいことではなくなっている。しかし、「Khosla
Ka Ghosla!」におけるディバーカル監督の視点は、流行に乗ったお上りさんのものではなく、明らかにデリー市民のものであり、インド門やクトゥブ・ミーナールのような観光地をこれ見よがしに映し出すのではなく、デリーの一般的な住宅街の風景をさりげなく映し出し、ムンバイー・ロケの映画と全く違った「異国情緒」を醸し出すことに成功していた。そのディバーカル監督の第2作が現在公開中である。11月28日より公開の「Oye
Lucky! Lucky Oye!」だ。やはり大部分はデリーが舞台になっており、デリー市民にお馴染みの地名もいくつか出て来ていて、デリー在住の人々はそれだけで嬉しくなってしまうだろう。ディバーカル監督は、ムンバイーを拠点とするボリウッドの中にあって、デリー派と呼ぶことのできる人物の1人だと言える。主演はアバイ・デーオールだが、1人3役をこなすパレーシュ・ラーワルにも注目だ。
題名:Oye Lucky! Lucky Oye!
読み:オエ・ラッキー・ラッキー・オエ
意味:おい、ラッキー、ラッキー、おい
邦題:スーパーチョール
監督:ディバーカル・バナルジー
制作:ロニー・スクリューワーラー
音楽:スネーハー・カーンワルカル
歌詞:ディバーカル・バナルジー
衣装:マノーシー・ナート、ルシ・シャルマー
出演:アバイ・デーオール、パレーシュ・ラーワル、ニートゥー・チャンドラ、アルチャナー・プーラン・スィン、マヌ・リシ、リチャー・チャッダー、アヌラーグ・アローラー、マンジョート・スィン、ラジンダル・セーティー
備考:PVRプリヤーで鑑賞。
上段左から1人目、3人目、4人目はパレーシュ・ラーワル、
2人目はニートゥー・チャンドラ、下はアバイ・デーオール
あらすじ |
妻がいるのに平気で愛人を家に連れ込んで威張り腐っている父親(パレーシュ・ラーワル)にいじめられながら育てられたラッキー(アバイ・デーオール)は、貧しい暮らしをしていたが、子供の頃から泥棒の才能を開花させ始める。親友のバンガーリー(マヌ・リシ)の紹介で、ラッキーは、歌手のゴーギー・バーイー(パレーシュ・ラーワル)にに会い、彼のために物を盗むようになる。
ラッキーはあるとき、ソーナール(ニートゥー・チャンドラ)という女の子と出会い、恋に落ちる。ラッキーは自分が泥棒であることを彼女に隠さなかった。ソーナールは最初彼を避けようとするが、彼とデートをするようになる。ソーナールの母親も、ラッキーの天才的な泥棒の才能を評価し、彼に泥棒を依頼するようになる。しかし、ソーナールとの接近が、親友のバンガーリーとの間に軋轢を生む。また、ゴーギー・バーイーも独断行動が目立つようになったラッキーを邪魔に思うようになり、彼をバンガーリー共々罠にはめて警察に引き渡す。
しかしラッキーはまんまと警察から逃げ出し、以後インド各地で泥棒をして回るようになる。そのスマートな手口は人々の間でも有名になり、テレビで取り上げられる一方、特捜部のデーヴェーンドラ・スィン(アヌラーグ・アローラー)がラッキーの逮捕に乗り出す。また、ラッキーは獣医ハーンダー(パレーシュ・ラーワル)と仲良くなり、彼の夢であったレストラン開店のパートナーになる。バンガーリーと再び合流したラッキーは、以前にも増して泥棒に精を出すようになる。また、ラッキーは時々ソーナールに会うことも忘れなかった。やがてラッキーはソーナールと結婚する。
しかし、ハーンダーはラッキーを利用していただけだった。ラッキーはレストランのために一生懸命泥棒をして資金を準備するが、いざレストランが開店すると、ハーンダーはラッキーを無視し出す。ラッキーはハーンダーと決別する。
相変わらずラッキーは次から次へと泥棒を重ねていた。だが、バンガーリーの裏切りによって、特捜部のデーヴェーンドラ・スィンに遂に逮捕されてしまう。だが、天才的泥棒ラッキーは、世間からむしろ賞賛の目で見られた。そしてラッキーは護送中にまたもまんまと逃げ出したのであった。 |
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映画の冒頭で、この映画が実際の事件をベースに作られたと書かれていたが、その実際の事件とはおそらく、2007年にデリーで逮捕された2人のスーパーチョール(スーパー泥棒)のことであろう。1人はバンティー。ネパール生まれのバンティーは、高級車ばかりを狙う手口、番犬を手なずける技術、泥棒の目撃者をまんまと騙す言い訳、そして警察から逃げ出す方法などで有名な泥棒で、スーパーチョールの名をほしいままにしていた。もう1人はスバーシュ・クマール。彼は南デリーで550件もの盗難事件に関わった人物で、共働きの家庭を狙って、宝石、ノートPC、高級腕時計などを盗んでいた。これら2人の実在のスーパーチョールが、「Oye
Lucky! Lucky Oye!」の主人公ラッキーのモデルになったことは間違いない。バンティーとスバーシュ・クマールにまつわるエピソードがそのままストーリーに盛り込まれていた。例えばもっとも顕著なのが、ラッキーがミュージック・システムを盗み出すシーンである。ラッキーは早朝、ジョギングに出掛けた若い女性の家からミュージック・システムを盗み出すが、それを運んでいるときに当の本人に見つかってしまう。女性は「どうして私のミュージック・システムを運んでいるの?」と質問する。だが、ラッキーは顔色一つに答える。「部屋に行って、君のお父さんが何を買ってくれたか見てごらん。お誕生日おめでとう。」そしてラッキーは悠然と去って行く。この咄嗟の返答はバンティーが実際に使ったもので、彼の英雄譚のひとつとなっている。
名優パレーシュ・ラーワルが1人3役で出演していた。彼が演じたのはどれも、ラッキーの保護者的役割の人物である。1人は実の父親、1人は裏社会にコネを持つ歌手、1人は野心家の獣医である。3人ともいろいろな意味で腹黒い人物で、汗水流して一心に泥棒をするラッキーの、一種のすがすがしい勤勉振りと対比されていた。
パレーシュ・ラーワル演じる3人の人物から社会批判的なメッセージを抜き出すことも可能であるが、ディバーカル監督はそういう方向へ行き過ぎないようにうまくバランスを取っているようにも思えた。あくまでこの映画は、スーパーチョールの天才的な泥棒技術を見せて観客を爽快な気分にさせることを目指しており、深く考える必要はないだろう。
アバイ・デーオールは、デビュー当初はその軟弱な外見から将来性を感じなかったのだが、徐々に芸風を確立しつつあり、案外このままボリウッドに定着して行くかもしれない。今回のラッキーもはまり役であった。彼は、善人に見えてずる賢い人物を演じさせたらかなりはまる。ヒロインのニートゥー・チャンドラは、「Traffic
Signal」(2007年)における売り子役など、従来のヒロイン女優とは一線を画した一風変わった役を演じることが多く、不思議な方向性を持った女優である。今回も泥棒の恋人・妻という変な役を演じていた。だが、やはりこの映画で獅子奮迅の活躍をしていたのは1人3役出演のパレーシュ・ラーワルであろう。現在ボリウッドでもっとも実力のある男優である。
ポップな雰囲気の映画ではあったが、ダンス・シーンはなかった。別にダンスを入れても雰囲気が損なわれることはなかっただろうが、それも監督のこだわりなのかもしれない。
「Oye Lucky! Lucky Oye!」は、実在の天才的泥棒をモデルにしたコメディー映画である。ただし、一般のボリウッドのコメディー映画とはかなり趣を異にしている。そのひとつの理由はデリーが舞台になっていることであろうが、大部分はディバーカル・バナルジー監督のユニークなストーリー・テーリングにある。同監督の前作「Khosla
Ka Ghosla!」と同様に、口コミが効果的に作用すれば、ヒットすることもありうるだろう。
近年ボリウッドにおいてもっとも急激に頭角を現した若手女優はカトリーナ・カイフである。2003年のデビュー当初はほとんど注目を浴びなかったのだが、2007年から2008年にかけてヒット作を連発し、あれよあれよと言う間にトップ女優の座に躍り出た。特に注目すべきはアクシャイ・クマールとのスクリーン上での相性の良さである。2人が共演した「Namastey
London」(2007年)、「Welcome」(2007年)、「Singh is Kinng」(2008年)は全て大ヒット作となっている。だが、実生活の恋人であるサルマーン・カーンとも相性は悪くなく、例えば2人が共演した「Partner」(2007年)は大ヒットした。11月21日公開の「Yuvvraaj」でもサルマーン・カーンとカトリーナ・カイフが共演している。監督はベテランのスバーシュ・ガーイー。オールスターキャストの豪華な映画に仕上がっており、11月最大の話題作である。
題名:Yuvvraaj
読み:ユヴラージ
意味:主人公の氏名、王子という意味もある
邦題:ユヴラージ
監督:スバーシュ・ガーイー
制作:スバーシュ・ガーイー
音楽:ARレヘマーン
歌詞:グルザール
振付:チンニー・プラカーシュ、レーカー・プラカーシュ、アハマド・カーン、シアーマク・ダーヴァル
衣装:ロッキー8
出演:サルマーン・カーン、アニル・カプール、ザイド・カーン、カトリーナ・カイフ、ボーマン・イーラーニー、ミトゥン・チャクラボルティー、オーシマー・サーニー、アンジャン・シュリーワースタヴ、スルバー・アーリヤ、アパルナー・クマール、ジャーヴェード・シェーク(特別出演)
備考:PVRプリヤーで鑑賞。
左からサルマーン・カーン、カトリーナ・カイフ、アニル・カプール、ザイド・カーン
あらすじ |
デーヴェーン・ユヴラージ(サルマーン・カーン)は、ロンドン在住の大富豪ヨーゲーンドラ・ユヴラージ・スィン(ジャーヴェード・シェーク)の次男ながら勘当され、プラハで大物歌手を目指しながら、楽団のコーラスを務める貧しい若者であった。デーヴェーンは、同じ楽団でチェロを弾くアヌシュカー(カトリーナ・カイフ)と5年間付き合っていたが、彼女の父で名医のPKバントン(ボーマン・イーラーニー)は2人の結婚を絶対に許さなかった。バントンはアヌシュカーを友人の息子と結婚させようとする。
そのとき、デーヴェーンのところにヨーゲーンドラの訃報が飛び込んで来る。莫大な遺産が転がり込むことを当て込んだデーヴェーンは、バントンとひとつの賭けをする。もし40日以内に億万長者になれなかったらアヌシュカーとの結婚は諦めるが、もしそれが適ったら結婚を認めるというものだった。バントンはそれに乗る。
デーヴェーンはロンドンの実家に帰った。家では、ヨーゲーンドラの弟オーム・プラカーシュ(アンジャン・シュリーワースタヴ)とその2人の息子が幅を利かせていた。また、ヨーゲーンドラには3人の息子がいた。1人は前妻の子で名前をギャーネーシュ(アニル・カプール)と言ったが、知能障害があった。デーヴェーンは2番目の妻の子であったが、もう1人下に弟がいた。ダニーシュ、通称ダニー(ザイド・カーン)である。ダニーは根っからの遊び人で、てっきり遺産が全て自分の物になると思い込んでいた。しかし、状況はそう簡単ではなかった。
ヨーゲーンドラの遺書が、彼の親友で弁護士のスィカンダル・ミルザー(ミトゥン・チャクラボルティー)によって公開された。それは驚くべき内容であった。ヨーゲーンドラの遺産総額は1500億ルピーだったが、家族や親戚には各々わずか5千万ルピーのみ分配され、残りは長男のギャーネーシュのものとされていた。そしてもしギャーネーシュが死んだら、その金はオーム・プラカーシュが運営する慈善団体に全額寄付されるとも書かれていた。
デーヴェーンとダニーはパートナー契約を結び、ギャーネーシュから何とか遺産を奪い取る方法を考える。ダニーは、ヨーゲーンドラが遺書を書いているとき精神状態が不安定だったことにし、遺書を無効化しようと画策するが失敗する。そこでデーヴェーンは懐柔策を採り、ギャーネーシュをオーストリアに連れて行き、友情を深めようとする。
ギャーネーシュは知能障害であったが天才的音楽の才能を持っていた。アヌシュカーは彼のその才能を見抜き、今度のコンサートで独唱者に推す。デーヴェーンは彼女の余計な行動に腹を立てるが、次第にギャーネーシュの純粋さに感化され、兄弟愛に目覚めて行く。また、ダニーもギャーネーシュに取り入るためにオーストリアにやって来る。ダニーは最初ギャーネーシュにデーヴェーンの悪口を吹き込もうとする。しかし、プラハの家を追い出され全てを失ったダニーは、初めて素直に全てを受け容れることができ、デーヴェーンとパートナーではなく兄弟として新たな関係を始めることを決める。今回の遺産相続騒動を通し、バラバラだったユヴラージ三兄弟は、真の兄弟としての結束を手に入れたのだった。また、ギャーネーシュはコンサートで独唱を務めることになる。そのコンサートの日は、ちょうどデーヴェーンがバントンと約束した40日目であった。
ところがオーム・プラカーシュらは陰謀を企んでいた。コンサートの日にギャーネーシュを毒殺しようとしていたのである。オーム・プラカーシュの長男の嫁スカームナー(アパルナー・クマール)は、隙を見てギャーネーシュの吸入器に毒入りシリンダーをセットすると同時に、過去にデーヴェーンとダニーが密談しているところを撮影した動画を見せ、2人がギャーネーシュを金のために利用しようとしていると吹き込む。毒に身体を冒され、しかも兄弟の裏切りを知ったギャーネーシュは、フラフラになりながらもステージに立ち、熱唱しながら倒れてしまう。だが、デーヴェーンとダニーはオーム・プラカーシュらの陰謀を察知していた。デーヴェーンはギャーネーシュを病院に搬送し、ダニーは逃亡するオーム・プラカーシュらを捕まえた。
病院に運ばれたギャーネーシュであったが、ちょうど医者が出払っており、手術が出来ない状態だった。しかし偶然にも病院にはバントンが来ていた。デーヴェーンはバントンに、ギャーネーシュの手術をするように頼み込む。最初はデーヴェーンの気持ちを疑うバントンであったが、彼の目に真実を見て、手術を引き受ける。バントンのおかげでギャーネーシュは一命を取り留めた。また、バントンはこの一件でデーヴェーンを見直し、アヌシュカーとの結婚を認めた。 |
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ボリウッドらしい壮麗かつ壮大な映画。ストーリーとミュージカルの融合にも努力が払われていたし、サルマーン・カーンやカトリーナ・カイフをはじめとしたスター俳優たちも輝いていた。家族愛、兄弟愛を題材にしているのもボリウッドの王道である。いろいろな面でスバーシュ・ガーイー監督自身の過去の傑作「Taal」(1999年)ととてもよく似ており、悪く言えば古風だったが、逆に言えば、あの時代のインド映画が好きな人々にはたまらない作品となっていた。
しかし、スバーシュ・ガーイー監督は編集が雑なところがあり、それがストーリーの混乱を招いて時々映画に深刻なダメージをもたらす。「Yaadein...」(2001年)は彼のそんな失敗作のひとつである。「Yuvvraaj」にもその欠点が見受けられ、観客がストーリーを追いやすいように映像をつないで物語を説明していく丁寧さに欠けていた。ただ、ストーリーは複雑ではなく、全体の流れを見失うことはないだろう。
骨子はボリウッド映画の典型そのものである。貧しい若者が、裕福な家の女の子に恋をし、彼女と結婚するために金持ちになろうと努力するというものだ。男女が逆ではあるが、「Taal」と同じ構造である。実は主人公の若者は大富豪の息子なのだが、訳あって貧乏生活をしているという設定は、タミル語映画界のラジニーカーント映画のパターンを彷彿とさせる。遺産相続を巡る親族間の争いに飛び込んで行くところはテレビドラマ風だが、結局ヒロインとの結婚を実現させる要因となったのは、相続争いを勝ち抜いた末に手にする金ではなく、愛であった。しかもその愛はヒロインに対する愛ではなく、むしろ兄弟愛であるところに「Yuvvraaj」の特殊性があると言える。だが、それもボリウッドの典型から大きく外れるものではない。つまりはボリウッドの伝統をそのまま堂々と踏襲した作品であり、ベテランらしいプライドとその創造性の限界を同時に感じさせられた映画であった。
この映画の見所の大部分は、ARレヘマーン作曲の音楽と、それに合わせたミュージカルである。スバーシュ・ガーイー監督とARレヘマーンがコンビを組んだのは「Taal」以来であり、やはりこの点でも「Taal」との類似性が指摘されうる。しかし、どちらの映画も音楽や踊りが素晴らしいばかりでなく、それらをストーリーにうまく組み込むことに成功しており、その点でガーイー監督の恵まれた才能を感じさせられる。また、アニル・カプールがクライマックスのミュージカルで重要な役割を果たすことも「Taal」との共通点のひとつだ。
舞台は主にプラハ、ロンドン、オーストリアの3ヶ所で、インドのシーンはひとつも出て来ない。完全に海外が舞台で、インド色が極力排除されたインド映画は21世紀のボリウッドのトレンドのひとつである。ボリウッド映画の国際化、ターゲットのグローバル化として歓迎することもできるが、同時に、脱インド映画化が目指されているのではないかと感じることもあり、不安になることがしばしばである。特にスバーシュ・ガーイーのようなベテラン映画監督がその方向に向かっているのは決して安穏に見過ごせない現象であろう。
カトリーナ・カイフは、お飾りのヒロインから一歩前へ踏み出しながらも出しゃばりすぎていなかった。成功に酔いしれず、着実にキャリアを重ねようとしている姿勢が感じられ、好感が持てる。海外生活が長いため彼女はヒンディー語が得意ではなく、初期の作品では彼女の台詞は吹き替えになっていたのだが、人気を維持するために真面目にヒンディー語の勉強をしているようで、徐々に自分の声でのアフレコに挑戦するようになっている。この作品の彼女の声も自分の物であろう。
サルマーン・カーンも、期待通りのヒーロー振りであった。また、ザイド・カーンもサルマーンに劣らない存在感を示していた。アニル・カプールは、「Taal」ととてもよく似たエキセントリックな役を演じていたが、それは彼がもっとも実力を発揮できる役だと言える。ボーマン・イーラーニーも非常に良かった。
音楽はARレヘマーン。映画の雰囲気にピッタリのスケールの大きな曲ばかりで、さすがの一言。やはりクライマックスの「Dil Ka Rishta」の出来が素晴らしいが、コミカルな曲調の「Mastam
Mastam」、空を飛ぶようなイメージの「Tu Meri Dost Hain」などもとてもいい。「Yuvvraaj」のサントラCDはオススメである。
ちなみに、アニル・カプールが頻繁に弾いていた小さな楽器は口琴と言う。原始的な楽器で、世界中で類似した楽器があり、インドにも存在する。ストーリー進行上重要な小道具という訳ではないが、とても印象に残る使われ方がしてあった。
「Yuvvraaj」は、最近めっきり減ってしまったタイプの典型的ボリウッド娯楽映画である。すなわち、男女間の愛、家族愛、兄弟愛をテーマにし、豪華キャストと共に、壮大な音楽と踊りとセットでもって描き出す壮大なストーリーの映画のことだ。インド人観客や批評家の間では必ずしも評価は高くないが、インド映画らしいインド映画を求める日本のボリウッド映画ファンには受けるのではないかと思う。
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